君にとどく言葉
〜未来から過去へ〜




「忠告」は、もっとも危険な贈り物。
言葉は武器。言葉は武器。――忘れてはならない。
言葉は、たった一言で心を抉る。
言葉は、たった一言で他人の人生を歪める。
言葉は、たった一言で……あなたを幸せにできる。

「忠告」は、もっとも脆い贈り物。
言葉は音。言葉は音。――形在るモノではない。
言葉は、聞こえなければ意味がない。
言葉は、届かなければ意味がない。
言葉は、思うように伝わない……こそ、意味がある。

「忠告」は、もっとも虚しい贈り物。
形なきが故に…… 意を伝えられぬが故に……
――「忠告」を聞くが、「自分」でないが故に――


◇――◇――◇――◇――◇



 ある日、『先生』は僕たち三人を呼び出した。
 『先生』に指定された部屋へ向かう途中、僕は初めて会う彼等の境遇を聞いた。
 そして予想通りに、彼等はとても不幸な生い立ちだった(僕を含めて)。
 一人は老人のように見えたけど、自分はまだ若くて、本当ならこんな『下』にいる人間 じゃない、としきりに(それはもう何度も)繰り返した。
 「あの時」まではすべてが順調で、すべてが成功していた。
 それが、たった一度の失敗と裏切りが自分からすべてを奪ったと、呪詛を紡ぐように唸って いた。
 もう一人は、おどおどと脅えていた。
 言葉をかけるたび、僕が何か凶器を持ち出して脅しているとでも勘違いしているのか、
 何度も中断しては震え上がるその人から話を聞き出すのが、とても苦労した。
 たぶん「部屋」へ向かう廊下がもっと短かったら、ただ歩くだけの時間を持て余していな かったら、こんな重労働にわざわざ関わることもなかったろう。
 ともかくその人は、もう一人の人に比べ、何かにつけ失敗を繰り返していたらしい。
 子供の「あの時」は幸福だったと、そこだけはとても満ち足りて落ちつた様子で教えてくれた。
 ただ反対を押し切って独立し、そこからが失敗人生の始まりだと、悔やんでいた。
 僕は彼等に同情した表情を浮かべてみせて、納得した。
 
 『下』にいる人間は、やはりそう違いはないのだな、と。
 僕らがココよりも『上』に行くには、『先生』に呼び出され、質問に答えなければならない らしい。
 らしい――というのは、実際にその様子を知っている人間が『下』にはいないからだ。
 『先生』の呼び出しは気まぐれ的な確率で、しかも呼び出されて帰ってきた者がほとんど いなかった。
 帰ってきても何も覚えておらず、帰ってこなかった人々が『上』へ行ったのか、
 それとももっと『下』へ行ったのか(そんな「場所」が在るのかさえ知らないけれど)、誰も 知りはしなかった。
 それなのに、まことしやかな「噂」だけはある。――奇妙な、話だ。
 ともかく、ここにいる人々は口をそろえ、大小差違な事ばかりしか言わない。
「自分は不幸だ! 自分はココなんかにいたくない!!」
 ……聞き飽きてしまった。


 「部屋」についた。
 「部屋」に通されて、僕は「そこ」が便宜上は「部屋」と称されているだけだと、理解した。
 一番近い言葉は「空間」なんじゃないかしら、と思いつつ、その「部屋」の中央に佇む 『先生』へ膝をつき、頭を下げる。そうしなさいと、最初に教えられていた。
 そうできてよかったと、僕は思った。
 『先生』というモノには初めて会うけれど(多分)、およそ見慣れた僕たちと同じ形じゃ なかった。
 一番最初に連想したのは、不透明なガラスできた一輪挿しの花瓶。
 のっぺりとした細長い顔。肩から腕のない細い身体。
 足が在るのか、ローブが下敷きレースのように広がって、よくわからなかった。
 ただ移動は水面上を滑るようで、足が在っても無くても、あまり関係はなさそうだ。
ヨク来マシタ
 『先生』の「声」は「部屋」全体から聞こえた。まるで床からも聞こえるようで、俯く僕を 覗き込まれているようで、落ち着かない。
ココノ生活ハ慣レマシタカ?
 おかしな事を聞く――そういえば、僕はいつからココにいるんだっけ?
「私はこんなところにいたくない!!」
 老人のような人物が、つかさずに叫んだ。もう一人は「ひっ!」悲鳴を上げて突っ伏し、僕は、 変わらずに俯いたままだ。
……何故デスカ?
 無機質な外見を裏切って、その声は柔らかく響く。しかし、老けて見えるその人は、そんな 声にまぎれた憂いに気付かぬ風で、必死に自分の願望をぶちまける。
「私はこんなトコロにいるべき人間じゃない! もっと『上』にいって、そして――!!」
アナタハ、ドウデスカ?
 『先生』の仮面のような顔が、僕の隣で怯え切った人に聞く。その人は、おどおどと、何度か 口を開きかけたが、そのか弱い声が出てくる前に
「早く言え!!」
 老けた人が怒鳴りつけた――が、その瞬間、その人へ雷が落ちた。
 僕はその音だけを耳で聞きながら(馬鹿なヤツ)と思った。
 この「部屋」では、心情がそのまま表現され、還元される。いま雷に撃たれたのは、同じだけ のコトを怯え切った哀れな人に叩きつけたのだ。
 ……僕は、なんでこんな事を知っているんだろう?
コチラヘ、イラッシャイ
 『先生』は、さっさと踵(?)を返し、奥へ進んでいってしまう。
 僕は付いていこうとし、後から「……あの」か細い声に振り向いた。
 そこには焼け爛れた老人を、力足りず、それでも抱えていこうとしている弱い人がいた。
「ほっておけ、そんなヤツ」
「でも……」
「気にしなくても、そのうち誰か(なにか?)が片付けるさ」
「でも……」
 口篭もって、下を向く。僕は溜息をついた。ココでは、下手な言動はできない。
 戻って、反対の肩を支える。弱い人は驚いたように、そして弱く、しかし優しく「ありがとう」 と囁いた。僕は、ココではめったに聞けないその台詞を、聞き流した。
 善意でやっているわけじゃない。面倒だが、やらなければもっと面倒だからだ。
「……君が、初めてなんだ」
 予想より重い老人によろけそうになりながら、それでも必死に言葉にしたらしいその人に、 僕はただ機械的に見返した。興味はなかったが、ココではあまり聞けない話題そうだったから。
「なにが?」
「話を、聞いてくれたの。……うれしかった」
「そう」
 言って、歩を進める。やはり、興味がなかった。


 「部屋」の、「空間」の奥には、なにもなかった。正確には、そう見えた。
 ただ『先生』が立っているだけが目印で、強いて言えば、他よりも明るいと、それだけだ。
 この光源はどこからくるのか、と目を凝らすと、不意に床が強く光出した。
アナタ達ニ、ちゃんすヲ、アゲヨウ
 床がどんどん競り上がる。そして、「門」になった。まるで城壁の一部だけを刳り貫いた ような、不恰好な、しかし開けるのに苦労しそうな、重そうな「門」。
コノ門ヲヌケレバ、「あの時」ヘ行ケル。行ッテ、自ラノ過チヲ正スガヨイ
 『先生』はそう言って、表情のない顔を弱い人へ向ける。
 しかし、我先に門へ駆け出したのは、やはりあの老人だった。
「あの怪我でよく動けるな」
「……大丈夫で……」
 言いかけた言葉は、しかし門向こうのすさまじい悲鳴でかき消された。
――サア、次ギハ、アナタデス
 またしても『先生』は弱い人を見る。
「……あの」
 怯え切った表情で僕を見る。でも僕は、何も言わなかった。
 弱い人は躊躇いがちに、それでも手を伸ばして「門」を押した。
 今度は、ずいぶんと間があった。しかし聞こえてきたのは、最初の、あの老人の悲鳴だった。
次ギハ、アナタデス
 『先生』が、やっと僕を見る。でも僕は膝付いたまま、顔を伏せて答えた。
「僕は行きません」
……何故デスカ?
「僕が、僕の忠告を聞くはずがないからです」
ソウ判断スル根拠ハ?
「あの時の僕は、まだ知らないから。知りもしない事を忠告されても、理解できないから」
 『先生』が、スルリと僕に近付く。僕は見上げた。
真実ヲ述ベナサイ
 真実? 僕は苦笑を浮かべていたかもしれない。
「あの時の僕は「僕」じゃない」
真実ヲ、述ベナサイ
 ――そんなモノは、僕のどこにもありはしない。
「……前二人が失敗したから、行きたくありません」
 「門」が消えた。代わりに、扉が現れる。最初に「部屋」へ入った、あの扉が。
アナタニハ、マダ無理ノヨウデス
 出て行けと、あの場所へもう一度もどれと、言外に言われた。
 僕は扉へ向かい、一度だけ振り返った。
「『ココ』以外の場所なんて、本当にあるんですか?」
 『先生』は、一瞬の空白を置いて、滑らかに答えた。
アナタガ――ダケデス
 その言葉は、聞こえなかった。
 どうせ忘れてしまうのだけど、どうしても聞くことが出来なかった。


◇――◇――◇――◇――◇


ソレデモ、アナタモ何モ言ワナイノデスネ
 『先生』が振り返る。『先生』が言うように、ただ黙ってそこに立っていたので、誰も気付き はしなかった。
何故デスカ?
 聞きなれた質問。それに答えなくてもイイのだが、口を開いて言葉を出す。
「知らないから」
 僕は――そう答えた。
「「あの時」の「僕」は、まだ何も知らないから」
ソレガ「間違い」デハナイノデスカ?
「……間違い、かも知れませんが、間違いでもないでしょう」
 僕はあの時、たった今、自分の持ち得るすべての情報と経験で判断した。
 結果的に第三者が「間違い」と断じても、それ以上の選択など「僕」には出来ない。
 だから僕にとてあの選択は、間違いじゃない。――例え、卑怯と誹られる行動でも。
アナタハ、何故ココヘ戻ッタノデスカ?
「見る為に」
 自分が、いかに馬鹿であったかを。そして、今現在も馬鹿であることを知るために。
忠告、デハナク?
「聞きませんよ、どうせ」
 疑うのがせいぜいだ。たとえば今ココに未来の自分が現れて、「忠告するべきだ!」と力説 してもそれが正解なのだとしても、僕は、少なくとも「僕」は従わない。
 過去の「僕」が、今の「僕」が、間違いだと思っていないから。
「僕も聞きたい――あの人達は、どうなったんですか?」
 『先生』は、答えない。答えがないのか、それとも僕が予想する通りなのか……
「あの人達は、本当は「同じ人」なんじゃないですか?」
 弱い人は、きっと自分へ「忠告」ではなく、励ましに行ったのだろう。
「あなたは間違ってない。がんばれ」と。だから過去が変わり、弱い人が消える。
 そして強気で生きて、あの老人が出来あがる。老人は、きっと過去の「自分」に――
「間違い、って、なんですか?」
オ行キナサイ
 『先生』が促す。また、あの「門」があった。
アナタハ――ダカラ、オ行キナサイ
 また、聞こえない。聞こえているはずなのに、言葉が理解できない。
 たぶん、まだ、僕が幼いから。
行先ハ、解リマスカ?
「解りません。でも『上』とか『下』とか、そういうのは関係ないでしょう」
 そんな『場所』は、最初からないのだ。ただ僕達が、そう呼ぶだけ。
「また、会えますか?」
会エナイ方ガ、イイ事デス
「そうですね」
 僕は笑って、「門」を押した。


『未来の忘れ物』へ
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