BRAVERS STORY
〜交錯する時の欠片達〜


〜第十話「幼き歯車、誓いを胸に旅立つ」〜


 西の大陸南端に深く広がる森は、近隣住民から魔獣の棲む森として恐れられていた。
 その魔獣の中に、シンと思しき影があるという噂が、数年前から流れ始めていた。シンとは、百魔獣の長、魔獣王の異名を持つ、この世で最も強き魔獣である。
 更に奇妙な噂がある。シンと共に二人の幼子の姿を見たと、ある村人が言い出した。孤高の魔獣王が子供を育てているとは、まるで結びつかない話である。そのような話は、誰もがホラ話程度にしか考えなかった。
 真実は定かではない。誰もその森には近づかないし、近寄ろうともしない。たまに賞金稼ぎがやってきては、手酷い姿で帰ってくる程度が関の山である。
 その森は何も語るはずもなく、ただ静かに、今も雄大に、聳えるように広がっている――


 『真実を知るには、まず事の真意を知ることだ』と、いつかシンが語ってくれたことがある。


 その森は、いつもと変わらぬ静寂に満ちていた。ただし、界隈の人々が語るような生が息づかないようなモノではない。むしろ、平穏そのもの、木漏れ日の下で獣たちは床をとり、木々で小鳥たちが囀る優しい沈黙がそこには在った。
 その静寂の中に、少女は戦意を内包した身を溶け込ませ、相手の出方を伺っていた。太陽の光をそのまま跳ね返すかのような、溌剌とした青い瞳が注意深く周囲を探っている。

 ――ガサ…

 茂みが揺れる音、緊張が足元から頭まで一気に駆け抜けた。こちらに向かってくる存在が大きくなる。気配を絶とうなどとは微塵も考えていないようだ。まるで、こちらから攻めてこいと誘っているかのよう、いや、実際そうなのだろう。相変わらずと言うべきか、進歩がないと言うべきか。

 ――ザンッ!!

 正面の茂みが縦に二つに割れる。そこから巨大な銀の刃が伸び、少女を襲った。

 ――ガキィンッ!!

 腰に掛けた双剣を抜き放ちクロスさせ、その交点で剣の重量を受け止める。だが、小柄な少女にはその重量全てを支えきれはしない。徐々に足が大地に減り込むように後退する。
 頃合を見計らい、弾き飛ばすように双剣を解き、同時に後に飛び退く。腕に痺れが残ったが気にしてはいられない。すぐに追い討ちが来るはずだ。

「――ッ!!」

 正面を向いた瞬間、刃の切っ先が眼前にまで迫っていた。危うい所で身を仰け反らせてかわす。少女の金髪が一房散った。
 前言撤回、攻め方そのモノは進歩がない、否、そう思わせて油断させることが狙いだったのかもしれない。微かな油断、相手はそれを目聡く付いてきた…!!

「甘いぜマルソー!」

 かわした代償にまるで無防備の状態になった少女の目に、両手に構え、振り上げられたた銀の刃が見えた。逆光でハッキリとは見えないが、相手は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

「まだよ! 油断は、大敵ってねッ!」

 完全に取ったはずが、次の瞬間攻撃を受けていたのは大剣を持った相手の方だった。仰向けに倒れる少女は咄嗟に両手を地に付け、身体を回転させて相手の顎を盛大に蹴り飛ばしたのだ。
 下手をすればそのまま終わっていたが、小柄な身体ならではの機敏さが幸いした。たまらず後退り、怯んだ相手に少女は投げ捨てた剣を右手に掴み、飛び掛り相手を地面に捻じ伏せた。

「これで、わたしの勝ちね!」
 相手の顔の鼻先に剣を突き付け、今度は少女が勝ち誇った笑みを浮かべた。理不尽な仕打ちに納得いかないような、悔しさの残る少年の黒い瞳が睨んでいる。
「ち、ちくしょう! 聞いてねえぞこんな展開ッ!」
「でも、これが今、あなたに用意された展開です。さあ、どうなのキト? 負けを認める?」
 ヒュン! とマルソーは剣を一振り、髪を切られた仕返しを含めて、キトの銀髪を少し掠めさせた。
「ち…判ったよ。オレの負けだ…こっちは重てぇんだから、さっさと退けよ! ――だあ!?」
「あら、ゴメンなさい。ちょっと手が滑っちゃったみたいね…」
 少年の頬を軽く掠めて、少女の手から零れた剣が地面に刺さった。
(ワザとだ…こいつ、絶対ワザとだ…)
 言葉とは裏腹な彼女の微笑を、彼は冷や汗をかきながら凝視した。共に過ごして約10年、まさかこんな性格になろうとは…

「――今朝は、そこまでだな」
 聞きなれたいつもの声に、そのままの態勢で二人は視線を移した。鮮やかな赤い鬣をなびかせ、足音も立てずに歩み寄る巨大な狼の魔獣、シン。
「あの状況から、よくやったな。やはり、お前はまだ詰めが甘い」
「そ、そうかな? シンに褒められるなんて、久し振りだよ」
 シンを前に起き上がり、マルソーは素直に喜んだ笑みを浮かべた。彼女とは対照的に、キトはふてくされた顔をしている。
「今日もお高い場所から見物かよ…クソ! 嫌なモン見られちまったぜ…」
「そう言うな。お前も、それなりに成長している」
「それは慰めてるのか? それともバカにしてるのか? アンタがオレを慰めるなんて、気持ちの悪い話だけどな…」
 上体を起き上がらせ、横目で睨むキトに、シンは微かに笑い声を洩らした。
「私は、素直に褒めてやっているつもりだが?」
「ゲェ、そいつは、もっとゴメンだぜ…!」
 よっ、と飛び跳ねるように立ち上がり、彼は手にした大剣を鞘に収めた。
「こんなモンじゃ、まだ足りねえ…マルソーに出し抜かれてるようなレベルでアンタに褒められても、何の感慨も湧かねえってモンだ…」
「何よそれ! そんな言い方酷いよ。わたしだって、頑張ってるんだから!」
「なんなら、もう一度やるか?」
 反論するマルソーに向き直り、キトは挑発的に言った。しかし、それに対して彼女は、
「お生憎。わたしはあなたみたいに子供じゃないから、そんな挑発には乗らないわよ。今日は、わたしの勝ちであなたの負け。それだけよ」
「ンだと! 誰が子供だッ! オレは」
「――充分子供だ。この場合は、どちらも似たようなモノかもしれんがな。その辺りで止めておけ」
 口論に火が付く前に、シンがタイミング良く割って入った。彼が居なければ、このまま暫く言い合いが続いていたに違いない。
「…ごめんなさい。大人気無かったわね」
「おい、オレには謝らないのか」
「何でよ?」
「何でって、オマエなぁッ」
 身を乗り出して突っかかろうとしたキトだったが、その時頭に鈍い重圧が加えられ、鼻先から仰向けに地面へ倒れた。
「――ってぇじゃねえか! 何しやがるッ!」
「その辺りにしておけと言っている」
 前足を振り抜いた態勢のシンにキトが怒鳴る。が、シンは動じず、微かな怒気を含んだ目でキトを見下ろした。キトの動きが一瞬硬直する。端から見ても、勝敗は明白であった。
「まったく、やれやれだな。それよりも、今お前のするべきことを全うしろ」
「そうだよ。負けた者が、朝食の準備。これは鉄則だよ」
 背に若干掛かる金髪を手ですきながら、マルソーが朗らかな笑みを浮かべた。
「そういうことだ。さっさと行って来い」
「うぐ…ンなこた言われなくても解ってるよ! ちょっと待ってろッ!」
 木の枝に掛けておいたコートを引っ掴み、彼は森の奥へ勇み足で進んで行った。その背中を見送ったあと、マルソーはクスリと笑みを漏らした。
「上機嫌だな」
「だって、嬉しいんだもの」
「あいつを負かしたことがか?」
「うん。それと、シンに誉められたことも」
「あくまで今日の評価の話だ。あまり浮かれるなよ」
「え…あ、ご、ごめんなさい…」
 強まるシンの口調に、途端にマルソーは萎縮して俯いてしまった。シンはそんな彼女の姿に、少し苦笑した。
「いや、賞賛を素直に喜ぶのは悪いことではない。お前は、もう少し自分に自信を持つべきだな」
「…自信?」
 マルソーは上目遣いで、窺うように彼を見た。
「お前は、まだ自らを意味付けるモノが見つけられていないのかもな。俯くな。この10年間やってきたことは、お前の血肉に宿っている。後は、それに意味付けをするだけだ。真意というモノは必ず存在する。意味のないモノなど、この世にはない。お前自身にも、お前自身しか持てない意味がある。それを見つけ、生きることが自信へと繋がるのだ」
「うーん…少し難しいね。でも、なんとなく解るよ。ありがとう」
 顔を上げて、笑みを見せるマルソーに、シンは頷いた。
「それでいい。では、今日の本題へ入ろう。そろそろ普段の訓練は飽きてきただろう? 今日は、特別なモノを用意してある」
「特別? 何それ」
「試験のようなモノと思えばいい。この10年間で、お前たち二人が、私と肩を並べて戦う資格を身に付けたか否か、その有無を問う。内容は、お前からキトへ伝えておいてくれ」
 緊張に強張った顔のマルソーに、シンはその内容を告げるべく静かに口を開いた――


***


 ――強くなりてェ…

 森に隠された湖のほとり、身の丈程ある大剣を両手に掲げ、キトは瞑想するように目を閉じてそこに立っていた。

 その一心で、ここまで付いて来た。這い蹲って、何度も立ち上がって付いて来た。それでも、まだ足りない。届かない。
「こんなんじゃ…『アイツ』に逢っても、また笑われちまうな…クソッ!」
 この大剣を振るい出したのは、単なる身長へのコンプレックスだった。少々扱い難いが、馴染みの武器を今更変える気にもならない。「良く言えば我流、悪く捉えれば無駄が多い」だと、シンに言われたことがあったか。
 誰にも否定できないオレ自身の強さ、幼い頃に見ていた憧憬は今も褪せることはない。ただ強く、強くならなければ、届かない相手がいる。殴りたい相手がいる。この燻った思いは、そこへ届く力なくては晴らせない。

「――キト!」
 聞き慣れた声が聞こえたので振り返ると、興奮気味に頬を紅潮させたマルソーがこちらに走って来ているのが見えた。
「何だよ? 飯はまだだぞ」
「そんなことどでもいいよ! あ、あの、シンがね。テストするって、ええと、ああ――」
 無理矢理掴まれた両手を激しく上下に振られ、キトの動悸もつられて早くなった。
「お、おいこら! 離せよ! 落ち着けッ!」
 バッと手を振り解き、彼は気味の悪いものを見るかのような目で彼女を見た。。
「とりえあえず、深呼吸だ。ちゃんと脳に酸素入れとけよ」
「ハァ…ハァ…はぁー…あぁ、ごめん。ちゃんと全身に酸素渡ったよ」
 最後に肩を大きく上下させ、深く息をつくとマルソーは笑みを作った。
「ったく何だってんだ…で? なんなんだ。そんなに慌てて」
 キトは早まる動悸を抑えながら、彼女を睨んで訊ねた。
「えーと、そう! わたしたち、いよいよ本番みたいなんだよ! シンが、わたしたちの力を試すテストをするって!」
「テスト? なんだそりゃ?」
「とにかく、テストなんだって! シンが認めれば、わたしたちもシンと一緒に戦うことができるんだよ!」
「あいつと…戦う…・?」
 シンと一緒に戦う。認める。彼女の言葉を、キトは頭の中でその言葉が形を成すまで反芻した。
「どうしたの? 嬉しく…ない?」
 覗き込むように見つめるマルソーに気付き、彼は慌てて首を横に振り、曖昧な笑みを浮かべた。
「い、いや…そうじゃない…ただ…」
 自分でも判る、こんな半端な力でなんとかなるモンなのか? アイツ…また何か企んでるんじゃ…
「ただ…何?」
「…何でもねえ。で、シンはどうしたんだ」
「もう行っちゃったよ。ええと、肝心の内容は、『今日の日暮れまでに、森の最深部に用意してある魔石を入手すること』って言ってたよ」
「森の最深部か…日暮れまでねぇ。ま、行けねえ場所じゃねえな。――ん? ちょっと待てよ。ってことは、もう試験は始まってんのか!?」
「あ…そういうことに、なるのかな?」
 とぼけたように笑うマルソーに、キトは額に手を当てて、祈るように空を仰いだ。
 大丈夫か、コイツ…。
「そうなるだろうが! ったく、もたもたしてられねえぞ」
「あ! ちょっと待ってよ」急いで指定場所へ向かおうと足を動かそうとしたキトだったが、マルソーに服の裾を掴まれ急停止させられた。
「――ンだよ!」
「その前に、ご飯食べてかなくちゃ。わたしも手伝うから、そうしようよ」
「何でオマエはそんなに余裕なんだよ!」
「急がば回れっていうじゃない。言い忘れてたけど、魔石の場所には守護者がいるから、心してかかるようにって。朝は食べないと力でないよ?」
「な…!? そ、そういうことは先に言え先にッ!」
 キトは舌打ちして、落ち着きを取り戻そうと一度深呼吸をした。
「クソ…! 上等だ。守護者だろうがなんだろうが、やってやろうじゃねえか。まとめてぶっ潰してやる! そのために、腹ごしらえだな!」
「うん! そのイキだぞ!」
 マルソーは彼に答えて力一杯の笑みを作った。それを見て、彼女のペースに捕まって熱くなっている自分に気付き、彼は気恥ずかしそうに顔を背けた。


***


「――そういや、ここに来る機会は、そうそうなかったよな」
 鬱蒼と伸びる茂みを大剣で掻き分けながら、キトは後に並ぶマルソーに声をかけた。
 不思議なモノだ。長い間、家同様に暮らしていた場所だったが、意外と知らないことが多い。それは、シンに行動範囲を制限させられていたことも原因だったのだろうが。
「ちッ…しっかし、よくもここまで育ったモンだな。逞しい事で何よりだぜ…おい、マルソー! 進めるか!?」
 自分の身の丈程に成長した草むらを、鬱陶しそうに払いながら進み、キトは振りかえってマルソーに呼び掛けた。
「え? ゴメン、何?」
 彼女は自慢の双剣を振り回し、巧みに草を切りながら前へ進んでいた。彼の心配は、杞憂に終わった。
「…いや、なんでもねぇ。とりあえず、オマエが先頭に立て」
 眉間に浮かんだ縦皺を指で掻きながら、キトはうんざりしたように呟いた。
「――? いいけど…、その前に、アレをなんとかしてよ」
 前方を指す彼女の指先を辿り見ると、まるで二人の進路を意図して塞いでいるような大岩が威風堂々と構えていた。
「あぁ…ったく、面倒なことだな」
 キトは頭を掻きながら岩に歩み寄り、正面に立った。
「おらァッ!!」
 背中の大剣の柄を右手で強く握り、一喝と同時に一気にそれを振り下ろす。岩は見事に両断、更に、剣に込められた彼の闘気が岩全体に伝わり、粉々に粉砕した。
「闘気の扱いも熟れてきたな。想像もしやすいぜ」
 キトは大剣を鞘に収め、感触を確かめるように手を閉開させた。
「魔法系は、まだまだだけどね」
「うっせえ! 頭を使うのは、オマエ専門だ。チマチマしたことは苦手なんだよ」
「別に魔法がチマチマしてるわけじゃないでしょ。シンが言ってたじゃない。あなたの魔法適性は、潜在的な魔力の許容量(キャパシティ)の問題だ、って。後、重要なのは想像力を高める経験と知識の下積み」

 この世界の魔法の概念とは、心で描いた映像を具象化し、それを外に放出することで完成する。潜在的な魔力の優劣に左右することもあるが、魔法にしても、技にしても、もっとも重要なことはイメージを豊かにすることである。
 想像は知識と経験を糧として増大する、本を読むこと、人との交流、旅…あらゆる行動が次なる想像へのステップとなり、その者の持つ可能性を引き伸ばしてくれるのだ。
 得てしてベテランの冒険者たちには、熟達した魔法使いや他にはない個人技を持った者たちが多い。むしろ、それがないうちには、まだまだ半人前の証ということになる。

「肉体なら充分つくったぜ。そろそろ、この窮屈な森から出して欲しいモンだがな」

 もっとも、想像について行ける土台となる肉体なり、精神がなければ本末転倒である。肉体、精神、その他のあらゆる要素が想像とリンクすることによって、始めて強力な技の開発に成功するのだ。

「まぁ、とにかくだ! 今は、そんな理屈っぽい話をする場合じゃねえだろ。先へ進むことが肝心だ」
「…そうね、もうすぐ着くはずだから、頑張って行こう!」
 気を取り直してマルソーが先を進もうとする。その時、キトは微かな気配をその先へ感じた。
「――マルソー、伏せろッ!!」
 飛び出すが早いか、キトはマルソーの左手を思いきり後ろに引き彼女を背後に庇うと同時に、右手に取った大剣を盾代わりにして眼前に迫った衝撃を受け止めた。その瞬間、不意に身体が軽くなった。
「――ってェ…ッ!!」
 吹き飛ばされながらもなんとか着地して間合いを取る。キトはいきなり襲いかかってきたヤツの顔を見るため大剣を僅かに下へずらした。
 血に飢えた赤い眼光は、二人の身長の倍ほどの位置にあった。高い茂みと木々の薄暗がりの奥から現れた大型魔獣、おそらく原型は熊の類だろう。鼻を突くような口臭が気持ちを苛立たせた。
「マルソー、大丈夫か?」
「なんとか…ね! 次からは、もう少し優しくして欲しいけど」
 引っ張られた左手を撫ぜながら、油断なら無い目付きで彼女は魔獣を睨んでいた。
「これが…守護者なの?」
「さあな。シンは何処に守護者がいるとか、言ってなかったか?」
「ううん。それは聞いてないよ」左手の痺れが取れたようで、マルソーは剣に手を掛けて完全に臨戦態勢に入った。「でも、守護者って感じじゃないよね」
「ま、オレにはどっちでも良いけどよ」キトは大剣を持ち直し、殺気を魔獣に投げ返した。「上等だ。邪魔するってんなら、遠慮無くブッ潰させてもらうぜッ!!」
 魔獣が咆哮を上げ、猛然と二人へ突進した。それが合図となり、キトをマルソーは左右に別れ、挟撃を仕掛けた。
「遠慮すんなよッ!」
「うん!!」
 二人の斬撃は魔獣にまともに当たった。しかし、魔獣は驚くほど肉厚で、キトの大剣でようやく掠り傷を負わせる程度だった。マルソーの小振りな剣では、逆に彼女の手に痺れが走った。
 知性があるのか、魔獣は若干動きの鈍ったマルソーに向き直り、豪腕を横薙ぎにした。
「――ッ!!」ドン! と鈍い爆発のような音が響き、彼女の身体はいとも簡単に吹き飛んだ。そして、巨木に背中を叩きつけられ、そのまま滑り落ちる。
「マルソーッ!!!」色めき立ちキトが叫ぶ。そのまま感情に流されていたら、彼は間違いなく直撃を食らっていたに違いない。だが、彼はまだ冷静だった。
 魔獣の腕の一部で毛が禿げ、焦げた跡があった。それを見て、彼は咄嗟にマルソーの方に顔を向けた。
 彼女の両腕にもまた、同じような焦げた跡があった。つまり、彼女は攻撃の直撃と同時に爆裂系の魔法を使い、衝撃を緩和させたのだ。
 振り下ろされた魔獣の腕を前転の要領で回避して近づき、キトは舌打ちして彼女を睨んだ。
「まだ起きれるだろ? 休んでんじゃねえぞ…」
「ひっどいなぁ…これでも、真剣にマズイんだよ…」
 厚めの革手袋をしていたので火傷は軽かったが、衝撃は緩和したに過ぎず、彼女の腕は爪で引き裂かれていた。傷は、決して浅くは無い。
「泣きごと言ってる間に死にてぇのか? 出来れば寝かせといてやりたいが、オマエを守る余裕なんて…チッ、 泣き事言ってるのはオレかよ…」
 キトは奥歯を噛み締めた。「この程度の壁、乗り越えれないでどうするよ…」
 こんなことでは、アイツに追い付けない。こんなところで命落としているようじゃ、オレの力はアイツに届かないッ!
「ガーディア。オレは、アンタを殴りたい…! 絶対、清算させてやるからなッ!!」
 魔獣が動き、二人へ向かって突進する。避ければ、マルソーが只では済まず、かといって受け止めきれる攻撃ではない。
「やってやるぜ! やっぱ、こう言う時は真っ向勝負っきゃねえだろッ!」
 キトの大剣と魔獣の豪腕が激突し、鈍い重圧が刃を負かそうと圧し掛かってくる。
「チィ…クショォオッ!!!」
 腕が限界を超えている。汗が滝のように流れ、今にも血管が切れそうだった。
「キト…魔力が、疼いてる?」
 魔法は属性魔法などの具現化に限ることではない。魔力と想像は多様にリンクする。身体機能の一時的な過剰活性化がその一例。キトは、まさにそれを実践していたのだった。
「ダアアアアッ!!!」キトは最後の一欠片の力を搾り出して大剣を振り、魔獣の腕を弾いた。「どうだ、少しは…カッコ…ついた、か…?」
 微かに戸惑った様子を見せたが、すぐに魔獣はいきり立った。もはや満身創痍。今度こそ、もう後がないのか。

 グオァアアアアアアアッ!!!

 しかし次の瞬間、不可解な光景が二人の瞳に映った。突如、目の前の大地が勃起して火柱が巻き起こり、振り翳された魔獣の腕を食らうかのごとく呑み込み、一瞬のうちに消し去ってしまった。
 絶叫を上げて後方へよろめく魔獣は、気勢を削がれるばかりでなく、明らかに畏怖しいていた。自分を傷つけた、その存在に対して。
「私の領域で、随分と派手にやっているようだな」
 凛とした威厳を孕む声が上空より聞こえた。見上げると、空に小さな黒い点があった。否、それは徐々に大きく、つまり降下して来る影だった。
 影が大地に降り立つ瞬間、魔獣の胸に深深と爪痕が刻まれ血飛沫が上がる。悪魔を彷彿とさせる翼を持つ魔狼がそこに居た。
「――シン!」
 助かったことへの安堵感と、助けらたことへの悔しさが同時に生まれた。キトは大剣を杖代わりにして身体を支え、倒れるという格好だけはなんとか避けることに成功した。
「無事のようだな」冷静な素振りで二人を順に見て、シンは頷いた。「迂闊だった。まだ、残滓が存在していたとは」
「シン! 後ろッ!!」
 木にもたれていたマルソーが青い顔をして叫んだ。恐れから、自分を侵す恐れの対象として魔獣はシンへと襲いかかろうとしていたのだ。だが、シンは始めから気付いていたような素振りで、後ろを振り向こうともしなかった。
「私の領域を侵した時点で、お前の敗北は決まっている」
 刹那、赤い閃光が舞い上がった。彼の背後には、全てを焼き尽くすかと思われるほど、赤い鮮烈な影が広がっていた。そこに呑まれた魔獣は、肉片一欠けらさえ残すことはなかった。全てを焼き尽くす赤い影に、何もかもが蒸発する。
「赤い…影? 初めて見る…これは…?」
「私の能力の一つ、予め私の魔力を張り巡らした領域を作り、そこへ足を踏み入れた対象の地点の魔力を勃起させ、焼き尽くす。『赤い影』と世では言われているらしいが、それはどうでもいい」
 何事も無かったかのようにマルソーに近づいたシンは、彼女の腕の傷を確認するために鼻先を近づけた。
「放っておくと危険だな。少し、動くな」
 目を閉じたシンの赤い鬣が、微風に撫でられるように震えた。すると、マルソーの腕が暖かな魔力に包まれ、見る間に傷口を塞いでいった。
「これで良いだろう。動かしてみろ」
「あ…うん」言われて立ち上がり、マルソーはゆっくりと腕を動かしてみた。さっきまでは鉛のように重かった腕が、驚く程軽い。彼女は飛び跳ねるようにはしゃいで、「すごい! すごいよシン!」
「まあ、それはともかくよ…試験はどうなったんだ? アンタが守護者を倒したら意味ねえんじゃ…」
「守護者ではない」キトの問いに、シンは即座に切り返した。「こいつは、森の獣が瘴気にあてられ、突然変異した存在だ」
「え…それって…動植物の魔族化のこと?」
「そういうことだ。最近では、この森も危なくなってきている。お前たちにこの森の奥に踏み入らせなかったのは、こういった理由があるからだ。私が大分掃除したが、それでも増える速度の方が若干速い」
「まったく…」彼は嘆息して二人に背を向けて、言葉を続けた。「付いて来い。目的地はすぐそこだ」

 言われるがままに、というよりもそうせざるを得ない状況だったため、二人は大人しくシンの後に続いた。しばらく森を掻き分けて進むと、少し拓けた広場に出た。奥は切り立った崖になっており、洞穴だろうか、長細い空洞が空いていた。
「この奥だ。ここからは先に行け」シンは顎をしゃくり、その空洞を示した。
「ここに、例の魔石ってやつがあるのか?」
 探るように睨むキトだったが、シンは答えなかった。
「…まさか、あそこに入ったらいきなり守護者に襲われるってんじゃないだろうな?」
 これには、はっきりと彼は首を横に振った。
「安心しろ。そういうことは、ない」
「キト…行こうよ」
「…チッ、どうにも嫌な予感がしやがるぜ」
 マルソーに急かされ、キトは釈然としないままだったが仕方なく彼女に従った。洞穴に至るまで緊張した沈黙が訪れ、乾いた足音が耳によく響いた。
「この奥だな…」
 まるで外とは別世界のようで、キンと冷えた空気が暗い洞穴を満たしていた。意を決して一歩踏み入れると、つま先から悪寒が這い上がって来るような感覚に捕われた。
「あんまり、ぞっとしないね…」
 身震いをしながら呟くマルソーの声が、洞穴内に冷たく響く。
「ああ」キトは同意して頷いた。「だが、そう長くは付き合わなくてもよさそうだぜ」
 彼の言う通り、奥の曲がり道の先が淡い緑色の光に照らされていた。
 魔石の光。目的地はすぐそこということだ。
 そして突き当たりの角を曲がると、一つの穴を境に天井が高くなっていた。どうやら、小部屋の入口のようだ。
 小部屋の中には、洞穴の岩から作られた台座の上に魔石があった。そこから発せられる淡い緑色の光が溢れ、心地良い温もりが肌に伝わり全身を優しく包んだ。
「何だ…これ…?」
「温かくて…どこか優しい光…なんだか、ホッとする…」
 マルソーが掬い取るように両手を上げ、触れようとすると光はふわりと宙に逃げ、そしてまた落ちてくる。この温かい感覚を、彼女は知っていた。降り返ると、シンが入口の前に佇みこちらを見ていた。
「これ…シンの魔力だよね? いったい、これは何なのかな?」
「なに? そうなのか?」
 二人の言葉に、シンは頷いた。
「そうだ。この魔石の魔力は私のもの。そして、お前たちは合格した。守護者として、よくやったと言っておこう」
「え!?」一瞬マルソーが目を見開いた。「シンが…守護者だったの!?」
「私が守護者ではないと言った覚えはないが?」
「なんだよ。それってアレか? あの少しネジが抜けた魔獣に襲われてなけりゃ、オレたちはオマエと戦うことになってたってことかよ!!」
「予定では、な。もちろん、手加減はしてやるツモリではあったが。お前たちの実力は、充分見させてもらった。限界を超え、今まで以上の力を開花させること、お前はやり遂げただろう。それが成長だ」
 キトは言葉を失い、口をわななかせて彼を見つめていた。今の言葉からすると、彼は上空から高みの見物をしていたということになる。決死の覚悟で戦っていた中、彼はその成り行きを観察していたのだ。
「何か言いたそうな目だな。言っておくが、不測の事態だったことに偽りは無いぞ。しかし、実際には今回のケースが、実践を体験する良い機会になったと言えるがな」
「…結果オーライってか? ふざけんなよ! こっちは死ぬとこだったんだぜ!?」
「甘えたことを言うな。お前たちが踏み入れようとしている領域は、こんな生易しいモノではない。解らないならば、これから解るまで死線を潜り抜いてこい。今回の試験は、お前たちの心構えを正すためにもあるのだからな」
「え…、でも、今合格って…」
 シンの矛盾した言葉にマルソーが口を挟む。彼は向き直り、逆に彼女に訊ねた。
「マルソー。今朝、私がお前に言ったことを覚えているか?」
 しばらくの沈黙、彼は一息ついて続けた。
「意味のないモノなど、この世には存在しない。何故、『私がわざわざ守護者を務めてまでお前たちの相手をしようとした』のか? 何故、『私がお前たちにこの魔石の場所に来させた』のか? これらの事象の中には、私の与えた真意が必ず存在している。お前たちに、それが解るか?」
「な…何の脅しだよ? まだ、試験は終わりじゃない…のか?」
 金の瞳が強く問う。その気迫に押され、キトは一歩後退った。シンは、更に続けた。
「一つ、私がお前たちの相手をしようとしたのは、これからしばらくの間、私はお前たちの行動に一切干渉できない立場にあるということ。故に、お前たち二人だけでも大丈夫であるかどうか、私自身に感じさせて欲しかったのだ」
 彼は二人の成長を確認するように順に見ながら言った。
「最後一つ、その魔石には、私の魔力が込められており、東の大陸へのマーキングが施されている。私の意思一つで、お前たちはその地へと転送される手筈だ」
 二人が彼の言葉を分析し終わるまでの間、しばしの沈黙。
「お、おい、どういうことだ? 魔石を取ることが課題じゃなかったのかよ!!」
「言葉に勝手な思い込みで誓約を付けるモノではない。私は、何をもって試験の達成かということには触れていなかった。それは、これから触れる」
 二人を取り巻く光が膨張するように膨れ、ゆるやかに瞬いていた間隔が短くなり、激しく点滅し始めた。この反応は、魔力が発動する兆候である。
 未だこれから起こることを理解し切れない二人に、彼は構わず続けた。
「課題は世界のあるポイントへ到達すること。目標は、南の大陸サウスタイルだ。方法は問わん。クリア条件は辿り着く事、それだけだ。世界は広い、行って来い。そして次に逢う時は、また成長したお前たちを見せてくれ」
 やがて視界は光に覆われ、何事かを叫ぶ二人の声も掻き消された。身体が軽くなり宙に浮かぶような感覚がすると、意識もまた、白くなり…消えた。


***


『健闘を祈る』、朧げだったが、最後に聞いたアイツの声はそれだった。今回も、アイツにまんまとやられたってわけだな…


「おい、マルソー! いい加減目ぇ覚ませ!」
 キトの呼び掛けに、マルソーの意識の霞は少しずつ晴れていった。彼女がゆっくりと目を開けると、不機嫌な彼の顔が映った。
「あ…キト。わたしたち…何処へ…」
 上体を起こして彼女が訊ねると、彼は眉間の皺を深くして舌打ちをした。
「ったく…! 聞いてねえぞ、こんな展開。周り…見てみろよ」
 言われるがままに首を巡らしてみる。その時、彼女は初めて自分たちが置かれている状況を目の当たりにして、息を呑んだ。
「なあ、南ってどっちだ?」
 彼の疑問に対して、彼女はただ、ただ首を横に振るばかりであった。


――周囲は短い草が疎らに広がる乾いた大地。果てしなく続く蒼褪めた空。
厳しく照りつける陽射し。草の薫りを乗せた、頬を撃つ風――


――ようやく我に戻り見るモノ、周囲に広がる全てが初めての世界に、二人はただただ圧倒されていた――


――二人が携えるのは、それぞれの剣と、変わらず抱き続けた過去との誓い――


――旅立ちの時は訪れた。少女と少年の前に広がる世界の如く、歯車の旋律は木霊する――




〜後書き〜

どうも、ひ魔人です。やっとこさ本編開始にこぎつけました。といっても、まだプロローグっぽいですか?(笑)
とにかく、プロローグ其の一から約10年、最初は成長した二人の子供がメインになって動きます。
これからは、他のプロローグのキャラも再登場したりなんかして、どんどん絡んでいくぜッ!!――…の予定です(汗笑)。
次回、ひとまず南へ向かう方法を探すことにした二人は、まず路銀を稼ぐこととなる。そこで出逢った人物とは――?
…と、変な期待感を残しつつ今回はこの辺で失礼します(オイ)。
そひでは、また次回にお会いしましょう!(座礼)


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