BRAVERS STORY 〜交錯する時の欠片達〜 〜第十一話「遺産眠る城、分かつ絆(前編)」〜 「――納得いかねぇッ!」 ダン、と募った不満が込められた拳を叩きつけられ、テーブルが荒々しい音を立てた。それに何事かと食堂の他の客がざわめき出す。昼下がりの食堂は、人が多い。 「ちょっと…静かにしてよ…!」 集中する周りの視線を気にしてか、微かに頬を赤らめたマルソーがキトを睨んだ。ほうっておけば、彼はまだ不満をぶちまけてしまいそうな勢いだった。 「チッ…お前はなんとも思わないのかよ?」 露骨に不機嫌な顔で、彼は彼女を睨み返した。 「しょうがないじゃない。シンがそう言うんだから…」 「シン、シンってなぁ…十年だぞ? 十年! アイツの言うままにやって来て、さあこれからって時に、まだ何かさせる気かよッ!? 確かに力はついたが、そろそろいい加減にして欲しいモンだぜ…っておい! 聞いてんのかテメエは!?」 不満の言葉を並べる彼をよそにして、マルソーは皿に盛られたサラダを食べていた。身を乗り出して声を大きくする彼を、彼女は一瞥して、 「聞いてるよ…もう、何回同じこと繰り返したら気がすむのかしら。その台詞はもう覚えました! まったく…そんなことだから、子供って言われるのよ」 「あ! 今お前、俺に対してかなり失礼なことを言いやがったな!?」 最後にボソリと呟いた彼女の台詞を聞き逃さず、キトは更に声を大にした。彼女はうんざりした様子で、 「だから静かにしなさいってば…」 「チッ…やってらんねぇぜ」 乱暴に肉にフォークを突き刺し、彼はそっぽを向いて食事を再開した。 「……少しは落ち着いた? これからの方針について話したいんだけど」 頃合を見計らい、マルソーは旅の途中で買った世界地図をテーブルに広げた。五つの大陸と、ある程度の規模を持つ街が印されている最新版だとかで、少々値は張ったが何分世界のことを知らないため、かなりの覚悟で購入した代物だった。 「行商のおじさんの話だと、ここは西の大陸イースタなんだよね」 「ああ。『ここは何処ですか?』って訊いたら、目を点にされたけどな」 今自分たちが居る場所、しかも大陸が判らない冒険者など、前代未聞のことである。はっきり言えば、相当のバカだろう。その後、二人は盛大に笑われたことを思い出し、複雑な気分に陥った。 「ま、まあそれはともかく、この街はイースタ大陸のほぼ中部にあたる『ビスレ』。ここからどう行けば南に行けるかっていうのが、問題なんだよね」 「そう言うことになるな。ここからずっと南下して行って…」 「ねえ。そこで相談なんだけど、その前にお金を少し稼いでおかない?」 「あ? 何でだよ?」 眉間に縦皺を刻み、彼は怪訝にマルソーを見た。旅をする上で、食料など適当に獣を狩っておけば、確実とはいかないまでも不自由はしない。金が流通しているのは、北の発展した大陸や、滅びた国家跡の周辺の街だけである。 ちなみに、このビスレの街は「魔法都市国家マナ」近辺に位置しており、国家が残した遺産でそこそこ発展している。人が集中していただけに被害も大きかったが、その分使える資材などが多くあるために、復興が早いのだ。 なので、こうした食堂では金を取っている。マヌケな事に、たまにそのことを忘れて食い逃げ扱いされる者もいるそうだ。 「ほら、大陸に渡るのには船がいるじゃない? この地図を見ても分かるけど、サウスタイルって他の大陸からかなり離れているでしょ」 彼女は地図上のイースタの最南端から、サウスタイルまで指先を辿らせた。街も何も記されていない、山の模様に周りを囲まれた大陸が、世界から隔離されているかのようにポツンとそこに記されていた。 「これだけ離れているとなると、船で渡る期間はけっこうかかるでしょ。それにともなって、必要額も増えるんじゃないかな」 「なるほどねぇ…そうか…船か…しっかし、オマエもよくよく考えてるな。感心、感心」 「感心ってねぇ…」マルソーは肩を落として額を掻いた。「あなたって、いっつもそうね。確かに、生きるためには戦う力も必要だけど、こう言う知識だって生きるための立派な『力』なのよ。シンに教わったでしょ」 皮肉を込めて、マルソーは力一杯溜め息をついた。 「だから、オレはそういうチマチマしたことが苦手なんだよ…ああ、でもそうだ! さっき街を一通り見てきたんだが、『ギルド』があったぜ。なんなら、行ってみるか?」 「え? この街に『ギルド』があるの?」 「ああ、賞金首でも倒せば、少しは金になるだろ」 悪戯でもするかのような子供の笑みを浮かべ、彼は指先でフォークを踊らせた。マルソーはしばらく視線を下げて悩んでいたが、ついに決心して頷いた。 「わかった。行くだけ行ってみよう。でも、話はそれからだからね」 「よし! 決まりだな!!」 彼女の言うことを聞いているのかいないのか、おそらく聞いていないのだろう。彼の中で事は既に決定しているようだった。 そんなキトの姿にマルソーは行く先の不安を抑えきれず、小さくもう一度吐息した。 街を脅かす魔獣や、街の復興のための資材を集めるための遺跡調査など、命の危険を行う行為に対して、人は報酬と言う形でBRAVERたちに依頼をする。その依頼を紹介、斡旋する施設。これは組織ではなく、街単位で行っている事なので形式は様々だが、そう言った場所は総称して『ギルド』と呼んでいる。 街単位の行為故に、報酬の用意できないような村、町ではこうした施設はない。逆に言えばギルドがある街は、それなりに裕福であり、発展の兆しが見られるということだ。まるで弱肉強食、今の時代を象徴するかのような図式である。 「な、なんだか、妙に物々しくない?」 マルソーはギルドの前に群がる、およそ街の定住者ではないであろうその人だかりを見て、気後れした声で隣に立つキトを見た。 「みたいだな、どいつもこいつも、得物を使いたくてウズウズしてるって感じだ。こりゃ、何かあるぜ」 彼自身も予想外な顔をしていたが、すぐにそのBRAVERたちと同じような好戦的な笑みを浮かべるようになっていた。闘争本能とでも言うべきか、内から滲み出て来る、殺気にも近い気のようなモノが感じられた。 「ちょっと待ちなよ! もうしばらく様子を見た方が!」 マルソーが制止の声を掛けるも、聞かずにキトはその人だかりの方へ一直線に歩き出していた。 「なあ、いったいどうしたんだ? やけに物騒じゃねえか」 人だかりの中の一人にキトは声を掛けた。体格は彼よりも一回り大きいかもしれない。 「なんだ? ここはお子様が首を突っ込むような場所じゃないぜ。坊ちゃん譲ちゃんの出る幕はねぇから、とっとと帰りな」 一瞥をくれただけで、まるで相手にされる様子はなかった。呆れ半分な男の物言いに、キトの頭に血が昇った。 「なんだとオッサン! オレはこれでもなぁ」 「ちょ、ちょっとやめなよ!」 このままでは面倒なことになりかねない。そう判断したマルソーは、キトの手を掴んで強引に引き寄せた。 「そっちの嬢ちゃんは、よく判っているようじゃないか」 「揉め事を起こしたくないだけです。でも、何があったかくらいなら、聞かせてもらってもいいですよね?」 男の小バカにしたような物言いに、マルソーは落ちついているが、いつもよりトーンを低くした声で言った。彼女の態度に興味を示したのか、男は面白そうに笑った。 「ああいいぜ。簡単なことだ。ここから少し東に行ったところに、マナの廃城があるだろ。最近、そこでドデカイ魔獣が住み付いちまったらしくてな。そういうわけで、腕の立つヤツを探しているって御触れがあったんだよ」 それを聞いた途端、キトの瞳が好奇に輝いた。 「へぇ、面白そうじゃねえか」 「血気盛んなのは良いことだが、痛い目みてからじゃ遅い。悪い事は言わないからやめておけ。子供の出る幕じゃないんだ」 「ずいぶんとバカにしてくれるじゃねえか。なんなら、試してみるか?」 「別に、バカにしているわけじゃないさ。そうやって、すぐに力を誇示しようとするのが、子供って言っているだけだぜ。俺は」 「確かにそうよねぇ…」 「納得すんなッ!」 嘆かわしげに呟くマルソーに、彼は噛み付いた。 「だって、的射てるんだもん」 「そうそう、その背中のモノが飾りじゃないってことは、見りゃ判る。お前さんたちは、それなりに腕の立つ若者だろうよ」 男はキトの大剣を指し、笑みを壊さずに言った。決して頭から否定されているわけではないらしい。二人は怪訝な顔付きで男を見ていた。 「若いうちは時間がある。わざわざ近道選んで命張ることはない」 「……ねえキト、やっぱり引き返そう」 「は!? 何言ってんだよ? 急にしおらしくなりやがって…」 「そうじゃないよ」 顔に怒りを露にするキトに対して、マルソーは大きく首を横に振った。 「危険と等価のモノが得られるのなら、やってみる価値はあるよ。けど、それと命を懸けるのとは別だと思う。わたしたちは、まだやるべきことがあるじゃない」 「…ああそうかよ」キトは舌打ちしてそっぽを向き、彼女を横目で睨んだ。「だが、オレは一人でもやるぜ。なめられっぱなしじゃ、目覚めがよくないからな」 「キト!」 「おっと! 言うのを忘れていたが、先行して退治に行ったヤツも何人かいたが、まだ帰ってきたヤツは一人もいないぜ。ちっとやそっとじゃ手に負えんレベルってことだ。それでも行くのか?」 脅しのつもりだったのだろうが、キトは少しも怯まなかった。もしかしたら、頭に血が上って回転が悪くなっていたのかもしれない。 「当然だ。こんなところで退いていたら、追いつけないヤツがいるからな」 即答するキトとしばらく睨み合うと、男は口端を吊り上げた。 「面白いじゃないか。だったら、俺にも一枚噛ませろよ」 「なに?」 「ど、どういうことですか?」 「何のことはない。過ぎた火遊びにならないように、お目付け役さ。発破をかけて子供二人死なせたら、目覚めが悪いだろ?」 「…けッ、勝手にしろ。だが、オレはあんたの面倒を見る気はないからな」 二度と逃げはしない。約束を果たすために、生きることと共に誓った。だから、退かない。強くなるために、二度と、誰にも背を向けはしないんだ。 「上等だ。俺はザイ。よろしく頼むぜ、新米(ルーキー)さんよ」 好意か挑戦か、差し出されたザイの手と顔をしばらく見比べた後、キトは力を込めてその手を握り返した。 ザイの案内で、二人は首尾よく道程をこなした。彼はかなり慣れた様子で、歩みは整然として迷いがない。二人が戸惑うようならば、その都度的確な指示を出し、先導する。経験の差は明らかだった。 「さて、これで終いだ。着いたぜ」 ザイの手を借りて大岩に上った先、目の前に広がる光景にマルソーは思わず息を呑んだ。予想通りの彼女の反応に、彼は口を緩めた。 「なかなかに、壮観だろ?」 抜けるような青空の下に広がる、かつて栄華を誇った五大国家の一つがそこにあった。あまりにも空が青過ぎて、朽ち果てた城だけが、別の場所から持ってきたかのようだった。眩し過ぎて、それがかえって痛々しい。 「確か、マナって言っていたか?」 自力で岩を登ってきたキトが、無感動に言った。 「魔法都市国家マナ、この大陸では民族単位で人は動いていたが、いつしか人は寄り添うようになってな。様々な文化が交じり合った結果、人々は互いの持つモノに対し、大いに想像力を膨らませ、娯楽的なモノが発展。それは人が想像する幅を広げ、魔法へと繋がったんだよ」 「あ?」突然なザイの語りに、キトは怪訝に眉を寄せた「なんだって?」 「ちょっとした歴史だ。雑学はためになるぞ」 「そういうことじゃねえよ」 「…ザイさんは、この大陸出身なんですか?」 「まあ、な。さあ、とっとと行こうぜ。日帰りなんだから、仕事はさっさと済ませないとな」 人差し指で頬を掻きつつ、ザイは少し言いよどんで答えた。それを誤魔化すように早口に言うと、彼はさっさと廃城へと向かって歩き出した。 「どうしたのかな…なにか、様子が変だったよ?」 「オレが知るか」 マルソーの問いに切り捨てるように答え、キトも歩き出す。彼の冷たい態度にムッとしたモノの、気を取り直して彼女も先を行く二人に続いた。 外壁は殆ど崩れているので、中に進入するにはそう苦労はしなかった。適当な入り口を見つけ、一歩足を踏み入れると、霊でもいるかのような、ひんやりとした空気が肌を撫でた。 「さて、それじゃあ仕事を始めようか」 一早く動いたのはザイ。石造りの城内に、彼の足音はよく響いた。 「…わたしたちも、行こうか」 「ああ」呼びかけるマルソーに頷き、キトは一度周囲を観察しようと首を回した。「しかし、やたらと本棚が多くないか?」 倒されてボロボロになった、高さ二メートル程の本棚の数々が、この部屋にあるモノの全てだった。高い天井自体がガラスで出来ており、そこから日の光が差し込んでいる。 「おそらく、図書館かなんかだったんだろう」 ザイは手際よく本棚を持ち上げながら言った。 「『知識の都』って言われていただけあって、ここには色んな文献とかが埋もれているんだ。そっち方面がまるでダメってのには、こうしてご足労願う価値もないんだろうがな」 ザイは本棚から幾つか分厚い本を数冊取り出し、部屋にあった木製の机に広げると、真剣な顔で本の中身を飛ばし飛ばしに確認し始めた。本も机も、売れば高値のつく材質だっただろうが、今はもうボロボロで、どれほどの価値もないだろう。 「しかし、逆なのもしっかりいる。見る目によっては、それなりの金額が約束されるってわけだな」 「なるほどね」 キトは言葉とは裏腹に、まるで感心している様子がない。むしろ呆れている様子で続けた。 「で、アンタはその価値のある本を持ち帰って、売っ払うつもりなのか? 商売熱心だな」 本を調べる手と目を止めて、ザイは心外そうに言った。 「おいおい、盗掘だとか言うなよ? 北のレールマウンテンなんて、それこそ盗掘し放題さ。そもそも、そこが誰のモノかって考え事態がオカシイと思わないか? おこがましいだろ、何もかもが人間様のモノみたいで」 「アンタも人間だろうが」 「まあ、確かにな」ザイの笑い声が室内に響いた。「だが、依頼を受けた以上、やらなければ報酬は得られないだろ」 「え?」マルソーが怪訝な顔をした。「依頼って、魔獣を倒すだけなんじゃ」 「いや、もともと俺は、ここで目ぼしい文献を取って来て欲しいって依頼を受けているんだ」 「なんだと? じゃあ、オレたちをダシにでもする気だったのか!?」 怒鳴るキトに、ザイは両手を前に突き出して弁解しようとした。 「ああ! 待て待て! 別にそういうわけじゃない。断じて違うぞ!」 「キト、そのつもりなら、わざわざ言わないと思うよ。こんな時に」 ザイを弁護するようなマルソーの発言に、キトは面白くなさそうな顔をするも、ひとまず納得した顔をした。 「まあ、それもそうか…」 「わかってくれて、何よりだ」 「完全に信用したわけじゃねえぞ」 機嫌の悪い視線を向けて言うキトに、「手厳しいね」とザイは肩を竦めた。 「でも、よく受ける気になりましたね。その依頼」 尊敬の意を感じられるような、感心した声のマルソーは言った。「何がだよ」とキトは眉をひそめる。ザイ自身も、不思議そうな顔をしていた。 「だって、凶暴な魔獣がいる場所なのに、一人で来るはずだったんだよ。凄いと思わないの?」 「あ! いや。ちょっと違うんだな。これが…」 それ以上話が肥大するのを恐れ、ザイは慌てて話を遮った。疑問の顔を向ける二人に、彼はバツが悪そうに苦笑いをして、頭を掻いた。 「そんな勇敢なモンじゃない。ほら、ビスレの街って金がいるだろ。その事をすっかり忘れていてな」 言いにくそうに、彼は続けた。 「あわや食い逃げ扱いされるところだったよ。なんか金になる依頼はと思って飛びついたのが、この文献調達だったんだが、その後、すぐに魔獣の噂を聞いてな。ったく、トホホもいいとこだぜ……」 自分の境遇を嘆き、ザイは深く溜息をついた。しばらく沈黙が続き、やがてキトが、 「ようするに…アンタは、単なるマヌケってことか…」 心底呆れかえった様子の彼に、ザイはガクリと項垂れた。 「ま、まあ今日のところは否定してもしょうがないな。それは置いといてくれや。で、どうするんだ? 俺の用は、とりあえずここだが、魔獣が出てくるって保証はないぞ」 「え…一緒に来てくれないんですか?」 心細そうに言うマルソーに、ザイは意味ありげに笑った。 「嬢ちゃん、ギルドの前で、あんたも言っていただろ。危険と等価のモノが見合えない仕事は、しない方がいい」 「こんなヤツに頼むことねえよ。オレたちは、オレたちでやる。行くぞ」 「あ、キト!」 踵を返して歩き出すキトと、ザイを何度か見た後、マルソーは一度ザイに頭を下げてキトの後を追って行った。 「ちょっと、いいの? わたしたちだけで…」 大股で歩くキトの背を追いかけながら、マルソーが心配な声を投げかけた。彼は素っ気無く、 「良いも悪いも、もともと誰かに付いてきてもらうツモリはなかっただろ」 「でも、ザイさんが居たほうが心強いし」 「じゃあ何か?」歩みを止めて、彼は振り返った。「オレじゃ、心許ないってことか?」 「え?」 キトの問いに、マルソーは言葉に詰まった。彼のことは、もちろん頼りにしているが、シンに対する頼りと比べれば、その『頼り』の種類が違う。どちらかと言えば、協力し合う仲であって、引っ張ってもらう感じではないと思う。 答えない彼女に、彼は吐息して背を向けた。 「オレだって、昔に比べりゃ、だいぶマシになったんだぜ。オレだって、やれるさ」 彼の声からは、焦りが感じられたように思えた。どう答えて良いのか判らず、気まずい沈黙のまま、二人は先へ進んだ。 やがて天井の高い、両側の壁に絵画が掛けられている、幅の広い回廊に出た。やはり魔族との戦いと、長年放置された経緯から、全体的に薄汚れて、崩れた壁などが道を塞ぐ障害になっていたりしていた。 見渡しがよいので、ここからなら魔獣が現れても、すぐに察知する事ができるだろう。マルソーは周りによく気を配って歩いていた。 そして、その行動は、すぐに効果を生んだ。 「――! キトッ、伏せて!!」 咄嗟にマルソーはキトに飛びついて押し倒した。その瞬間に、壁を壊す爆音と共に、一閃の鋭利な風が二人の真上を掠めた。伏せなければ、命はなかったかもしれない。 「出やがったのか!?」 「あ!」 キトはマルソーを押しのけて立ち上がり、大剣に手を掛け、舞い上がる砂埃の中に敵の姿を探した。姿は見えないが、狩りの前の静けさの中に漂う、研ぎ澄まされていて、なお獰猛な獣気がそこにある。 「来るよ!」 砂埃の奥で赤い輝きが見えたかと思うと、それを押し退けながら、拳大の業火球が飛来した。先の壁の爆発音は、おそらくこれだ。 「直撃はヤバい! 避けるぞ!!」 受け止めきれないと判断し、キトは舌打ちして横に跳んだ。しかし、マルソーは跳ばなかった。それどころか方膝を付いて蹲っていた。 「おい! 何やてるんだ! 早くしろッ!!」 「ごめん。ちょっと、捻ったみたい…」 さっきキトに押し退けられ、不安定な体勢でよろけた性だった。双剣を構えて受け止めようとしたが、火球は目の前まで距離を詰めた時、急降下して彼女の足元に直撃し、床を崩した。 「マルソーッ!!」 崩壊した床と共に落ちて行く彼女を追おうとしたが、魔獣が不気味に底光りする瞳を向け、キトの前に立ち塞がった。灰色の体毛に覆われた、獣型の魔族。一般に魔獣と呼ばれる種だった。シンと同じタイプであるが、品はまるでなっていない。 「どけよッ!!」 大剣を振り被り激昂する彼を、魔獣は嘲るように吼えた。最悪の状況を想像しないように、彼は一心に大剣を振り下ろした。 ザイは二人がいなくなった後も、順に倒れた本棚を持ち上げ、一冊一冊本を拾い上げて中身を確認する作業に勤しんでいた。依頼なのだから仕方がないと割り切っても、膨大な量に多少うんざりしてきていた。 「知識の都と呼ばれていたんだ。俺の欲しがる本の一つや二つ、落ちていても不思議じゃないだろ…」 なかなか目当ての本が見つからず、自然と愚痴が漏れていた。 そんな中で、事務的に次の本を手に取ったザイは、少し目を見張った。手に取った本は他のモノよりもずいぶんと古ぼけていて、丁寧に開かなければバラバラになってしまいそうなくらい紙も乾燥し、太陽の光に晒され続けて焼けていた。 「怪しげだな。こりゃ、何かあるかな」 慎重に扱いつつ、飛ばし読みをしながら中身を確かめる。行間を詰められた文字の羅列は、他の本とさして変わりは無い。有益な情報はなさそうだと、ザイは早くも落胆し、見切りをつけようとした。 「ん、これは…」 しかし、飛ばしたページに何か発見したらしく、ザイはすぐにページを戻し始めた。目当てのページが見つかると、彼はその単語を見つけようと、指先で文字をたどった。そして見つけると、それを確認するように本を顔に近づけ、噛み締めるようにその単語を呟いていた。 「魔族…」 それは、誰かの一人の男の日記のようなモノだった。他愛も無い自分に起きた身の上話から、マナと魔族の抗争といったモノまで、一日たりとも欠けずに書き記されていた。ザイはその魔族とマナとの抗争が始まった時からのことを、一字一句逃すまいと、文に集中した。 それでも、長い間放置されていたため、所々破けたり、汚れて文字が霞んで読み取れない部分が多かった。だが、魔族という言葉が頻繁に出てきている。何らかの情報はあるはずだ。 「ネクロマンサー…『シディー・シモン』…」 締め括りには、そう書かれていた。おそらくこの本に書かれている生涯を過ごした男の名だろう。 彼が記した最後の日、それは、彼が北の大陸ノウティカへと旅立つ日の事だった。レールマウンテンという単語に目が引かれた。多くの遺産が眠るあの山脈には、まだまだ未踏破なエリアがあるというが、魔族と関わる何かがあるのだろうか。 「とりあえず、ビンゴだな。かなり断片的だが、まあいいだろう」 魔族に関する文献を手に入れて来て欲しい、それが彼の受けた依頼だった。何でもよいから、できるだけ多く魔族に関する手がかりを手に入れること。 いつから魔族はこの世に現れた? 世界はいつから、そして何故このように荒れてしまったのか? 現在を生きることに必死な者たちもいれば、酔狂にもそんな事を知りたがる人間もいるのだ。 生まれた時から世界はこんな有様だったんだから、仕方ないとして現在を受け入れるしかない。現実を受け止めなければ、生きていけない。そんなことを考える余裕なんてないというのに、だ。 しかしながら、そう言った人物のおかげで自分はこうして糧を得ることができているのだから、批難をする気は毛頭ない。自分なりの生き方に満足できるうちは、まだ幸せだ。 後は適当に調べて、無理なく帰ろう。 そう思って再び本棚を起こそうとした時、地鳴りのような震動が起こった。せっかく起こした本棚が、幾つか倒れてしまい、再び本が散乱してしまった。 「あいつら、まさか本気で魔獣と遭ったのか…?」 その時、既に彼の背後には殺気を包んだ静かな気配が近づいていた。 揺れに一瞬気が反れたタイミングを見計らい、縄張りを侵した彼を排除しようとする魔獣の怒りが彼に向けられた。直前でそれに気づき、咄嗟に本棚の後ろに回りこんで直撃を回避する。それでも魔獣の火球が当たった本棚は丸ごと炭になり、衝撃で彼自身もかなり吹き飛ばされた。よろめきながら身を起こし、抱えていた本を大事に懐にしまった。大事な飯の種を燃やされるわけにはいかない。 「クソ…ッ、お代を置いてけって言うのか? あいにく、こちとら貧乏なんだよ!」 あまり戦いたくはないのだが、こうなっては避けようが無い。勝算は戦ってから見出すことにしよう。 ザイは腹を括って、その魔獣と正面から対峙した。 意識が回復し、目を開けても先に見えるのは闇だった。 目覚めたマルソーは慎重に身体を動かし、外傷を確認した。目立った怪我はしていないようだ。痛めた足が、さらに悪化していたのは問題だったが。 しばらくじっと横になって、暗闇に目が慣れるのを待った。どこまで落ちたのかは判らないが、回廊から落ちた穴が見えないことから、かなりの高さを落ちたに違いない。よく無事でいられたモノだ。 地下室があるということは、上へ行く道が用意されているはず。彼女は道を見つけるために、足の痛みを堪えて立ち上がった。 ――カッ… 「誰!?」 微かな物音に、彼女は敏感に反応して闇に叫んだ。音のした方向から、恐る恐る出てくる小さな気配。それは、今にも泣き出しそうな、怯えた幼い少年だった。 「ご、ごめんなさい…」 謝られる覚えは無かったが、少年は怯えきっており、それしか言葉が見つからなかったのだろう。マルソーは予想外の展開に、しばらく面食らっていた。 「君は…?」 「ボ、ボク、た、ただ…遊んでただけなんです…ここ……危険だって言われてたけど…、ど、どうしても探検したくて…そしたら……」 「ねえ、落ち着いて」マルソーは、自分も落ち着こうとしながら優しく言った。「わたしは、君を傷つけないわ。だから、怖がらないで」 「ほ、本当に?」 「ええ、本当よ」 ようやくマルソーの姿をまともに見て、彼女が同じ人間であることに大いに安心したようだった。少年は一度大きく深呼吸して、震える息を吐いた。 「よ、よかったぁ…」 「こっちに来てくれないかしら? ここからじゃ、君の姿がよく見えないよ」 「う、うん」 少年は返事をすると、足早に近づいて来た。目元に掛かる茶褐色の髪の奥では、黒い瞳が濡れていた。きっと、さっきまで心細さで泣いていたのだろう。衣服はところどころ破けており、血が滲んでいる。 「怪我、しているのね。大丈夫?」 「うん…平気」はにかんだ笑みを浮かべて、彼は首を縦に振った。「お姉ちゃんは、大丈夫なの? ずっと上から落ちてきたんでしょ?」 「ええ、まあね。でも、平気よ」 不安にさせまいと、笑みを作って彼女は答えた。少年はそれを信じて、安堵の笑みを返した。 「わたしはマルソー。君の名前は?」 「アルトだよ」少年、アルトはマルソーにすっかり心を許したようで、彼女にピッタリとくっついて離れようとしなかった。「ボクたち、ここから出られるかな…?」 「そのためには、まずは行動ね。協力してここから脱出しましょう」 「うん」アルトは素直に頷いた。「じゃあ、ボクは何をすればいい?」 「よし。それじゃあ、まずは、君が何処からここへ入って来たのか、教えてくれないかな?」 マルソーの手を引いて、アルトは先導した。握って離そうとしない彼の小さな手は、なんだかくすぐったい感じだった。 こんな風に、誰かに頼られるようなことは、これまでなかった。自分はいつも誰かの傍にいて、頼っていてばかりだったと、今更ながらに思う。 オレだって、やれるさ。 キトの言葉が思い出された。もしかしたら、キトは自分の甘えを、背負おうとしてくれていたのではないのか。だから、あんなことを―― 「ここだよ」 アルトが立ち止まり、こちらを仰ぎ見て言った。暗がりの中で行き着いた場所は、瓦礫に埋もれて行き止まりだった。 「ここから来たんだ。でも、途中で大きな灰色の怪物がでてきたんだ。それで……」 「わかった。もう言わなくていいよ」 その時の恐怖を思い出してアルトは震え出した。マルソーは彼の手を強く握って、落ち着かせようとした。 この瓦礫の向こうに上へと続く階段があったのだろう。もし、ここが唯一の通路だとしたら、救いを待つしか方法がない。キトか、あるいはザイか。キトは今ごろ魔獣と戦っているだろう。ならば、ザイの方が可能性はあるか―― 「――!!」 突如、背中に死を連想させる冷たい風が走った。まさかとは思ったが、それが紛れもない真実であることは、飛び込んできた鋭い爪と、魔獣の姿が証明してくれた。 アルトを掴み、床を転がり魔獣の不意打ちをなんとか交わすと、マルソーは彼を庇うために前に立ち、双剣を抜いた。 「お姉ちゃん!」 「君は下がって!!」 暗闇の中で魔獣の真紅の瞳が見開かれた。獲物を前にして、それは嬉々とした声で吼えた。 こいつは、キトと戦っていたはずではなかったのか。それとも、彼は… 「そんなはずない…、そうだよね…キト!!」 足が痛んだが、泣き言を言っている場合ではない。自分の後ろにいる小さな命も、この自分の命も、こんなところで奪われるわけにはいかないのだ。 〜後書き〜 どうも、ひ魔人です。 毎度毎度「やっと」という気持ちで完成させて、申し訳ないです。今回は前後編の前編です。 この話で、新たにザイとアルトというキャラがでてきました。主人公たち以外のキャラが出したかったんですよね。 3つのプロローグのキャラたちも出したいところですが、やはり、脇役がいないと世界が小さく見えるというか、なんというか。 なので、もうしばし他の主人公たちの登場はお待ち下さい。イヤでも出てきます。彼らの物語は、現在進行形で行われております(笑)。 まあ、それを書き出すのが私の仕事なわけで。早いとこしないと、彼らに置いていかれてしまいそうで、けっこう慌てていたりもします。 さてさて、本編では何やら事が慌しくなっております。 果たしてキトは無事なのか? マルソーはアルトを守り切れるのか? そして、ザイの実力は? 次回、廃城での決戦、後編をお送りします。そひでは、また次回にお会いしましょう(座礼)。 |