BRAVERS STORY
〜交錯する時の欠片達〜


〜第十二話「遺産眠る城、分かつ絆(後編)」〜


 キトは上昇する気温と体温に汗を流しながら、ひたすら火球を交わして反撃の機会を伺っていた。数十個と吐き出された火球に、壁は黒ずんだり、破壊されたりと散々な状態だった。
 逃げ回る彼に痺れを切らしたのか、とうとう魔獣は火球を吐くのをやめ、助走をつけて彼に飛び掛かった。一気に勝負を決めようとしたのだろうが、この状況こそ彼が待ち望んでいたモノだった。
「やっと来たか! さっさとやられちまいな!!」
 キトの背に銀色の光が煌くと、振り被られた大剣が弧を描き、彼に飛び掛ろうとした魔物の眉間を切り裂いた。
 驚きと痛みに雄叫びを上げ、魔獣はキトから距離を取った。間一髪で直撃を免れたようだが、かなりのダメージは与えたはずだ。額から溢れる血液が、それを物語っている。
 この機を逃してはならない。大剣を片手で軽々と持ち上げて肩に担ぐと、彼は挑発的に笑った。
「どうした? 威勢が良いのは最初だけか?」
 言葉が通じるわけはないが、侮辱を感じた魔物は怒りに目を輝かせ、彼に二度目の突進を仕掛けた。キトは低く腰を落とし、構える。
「次はないぜッ!」
 大剣が唸り、両者の間の空気を揺らす。キトの瞳が、魔獣を捕えた。
 しかし、今度は魔獣がこの時を待っていたと言わんばかりに、大口を開いた。そこから見える喉の奥が、赤い熱に輝き出す。
 理屈ではなく、本能が危険の警鐘を鳴らした。しかし、相手の狙いに気付いた時には、既に遅かった。
「そうくるのかよッ!」
 吐き出される火球と大剣で叩き落したが、その次に来る魔獣自身の攻撃に、キトはまったくの無防備だった。ゆっくりと考えている暇は、もちろんない。
 辛くも身を捻るが、声にならない叫びを上げて、キトはその場に大剣を突き立て、倒れないように身体を支えた。脇腹に鋭い三本のラインが深々と刻まれ、溢れで出た赤い雫が、数滴床に零れて広がった。
「クソ…! 聞いてねえぞ…こんな展開。無事なのか…マルソー…」
 嫌な汗が額に滲んだ。早く決着を付けなければ、本気でマズイことになりかねない。
「ちくしょう…なんでオレは…強くなれないんだ…」
 ガーディアも、シンも、いつもオレに背中を見せ付けている。いつかオレは、あいつらより強くなって、オレの背中を見せてやるんだ。強いって、認めさせてやるんだ。
 強くなりたいんだ。強くなって、守りたいんだ。家族がいないも同然だったオレにできた、大切な存在を。守るためには、強くなくてはならないんだ。

 ――強くなるにはどうすればいい?

 いつだったか、シンに訊いたことがあった。何故か、アイツの言葉を思い出すと、足に力が入った。

『地に這いつくばるのはいい。立ち止まるな。そして、自分の足で立て。進んだ距離が長いほど、立ち上がった数が多いほど、お前は強くなれる』

「シンも言っていたでしょ」か。どうやらオレの中でも、あいつの言葉がしっかり刻み込まれているらしい。
 十年間、オレはその言葉に従って強くなった。そして、これからも強くなる。強くなって、いつか必ず追いつく!
 見ていろ…すぐに追いついてやる! 南だろうがなんだろうが、全部済ませて、認めさせてやる!!

 キトは獣の雄叫びのように吼え、自身を奮い立たせた。鋭い眼光は野性味を帯びて、神経が端々まで研ぎ澄まされていく。シンの試験の際に覚えた、彼の魔法が発動していた。
「――レインフォースッ!!」
 頭からつま先まで、全身の細胞が熱く活性する。この魔法は、彼自身が意識して発動できるモノではなく、窮地に追い詰められたギリギリの瀬戸際で、ようやく出せる力だった。裏を返せば、追い詰められなければ潜在能力を引き出せない、自分の未熟さが情けない。

「本番はこれからだぜ…、すぐに終わらせてやるけどなッ!!」


***


 書物は次々と魔獣の火球に当てられ、図書館内は焦げ臭い臭いが充満していた。交わすのが精一杯で、それらを庇っている余裕はなかった。大事な飯の種になるかもしれない数々の本がなくなる様を見て、ザイは勿体無い気持ちで歯噛みした。
「やってくれる…!」
 これ以上やられては堪らない。交わし続けていてもどうしようもないと判断した彼は、ついに勝負に出る事を決意した。
 観察していて判ったが、魔獣は火球を吐く際、自分の体内で何らかの熱反応を勃起させている。その証拠に、火球は全て単発で、連続して行うにしても、若干の間があった。そこに付け入る隙がある。
「ほら、撃ってこいよ」
 わざと魔獣の正面に立ち、ザイは両手を広げるという無防備な体勢を取った。魔獣はそれを観念したと判断したのか、嬉々と喉を唸らせた。その口内から溢れんばかりの熱気が渦を巻き、魔獣の灰色の体毛が逆立つ。
「なるほど…そいつが全力ってわけか」
 ザイは流れる冷や汗を拭わず、足を肩幅以上に広げて腰を据えた。

 魔獣に付け入る隙はもう一つ、それは多くの火球を吐いた後、一時的に吐かなくなるということだ。おそらく体内の熱が上がり過ぎないように冷ます必要があるのだろう。これだけ溜めたエネルギーならば、次に撃つまでの間は大きいはずだ。

 大気が魔獣の熱気に吸い寄せられるように動いた。収束の中心である業火球はそれを吸い込み、大きく膨れ上がっていく。膨張し切ったエネルギーは、大気を燃やす微かな摩擦音を皮切りに、轟音を発してザイに襲い掛かった。
「今日は本当に厄日だぜ! やってやらあッ!」
 広げた掌に魔力を収束させ、彼は想像する。あらゆるモノを拒絶する、凍てつく冷気の壁を。彼の周りの熱せられた大気が急速に冷めてゆき、掌に収束するそれは、やがて青白い輝きを放つ二対の球の形をなした。
「リジェクト・コールド!!」
 二対の冷気の球がジェネイターの役割を果たし、冷気の障壁が彼の前面に広がった。障壁が火球と衝突し、相殺し合う衝撃に足を踏ん張り、押し流されないように歯を食い縛って耐えた。
「負けるかよッ!!」
 負荷に足を軋ませながら、彼はゆっくりと両手を重ねた。冷気の壁は消え、合わさった二つの球は爆発するかのように巨大化し、火球を呑み込まんと獰猛さを増した。しかし、力を一点に集中させたことによる負担は大きく彼に圧し掛かっている。壁がなくなったことで、守られる部分も少なくなっていた。
 焼ける肌の痛みに歯を食い縛り、ザイは更に想像した。一条の光線が火球を貫き、魔獣を粉砕する様を鮮明に。
 やがて、じわじわと冷気は火球の熱気を覆い始めた。弾け合う二つの正負のエネルギーが一方に食われた時、想像は形を成す。
「ペネトレイト・コールド!!」
 今度はザイの冷気の球が大気に悲鳴を上げさせ、魔獣に向かって疾駆する。抵抗する間を与えず輝きは魔獣の姿を包み、光線が部屋の壁を突き破って城壁にぶつかり、炸裂音を上げて消滅した。
「どうだ…俺の実力は」凍りついた城壁と周囲の、その名残を見てザイは疲れた吐息をした。「さて、それじゃあ骨でも拾いますか」
 派手に壊れた壁を潜って、彼は城壁に近づいた。余計な仕事をしてしまった分、きっちり報酬もいただかないと割に合わないというモノだ。
「なに…? いないだと…」
 城壁の間近まで近づき、ザイは一瞬我が目を疑った。
 魔獣の死骸はそこにはなく、ただ陽光に輝く、凍りついた城壁のみがあった。いや、丁度身体一つ分ほど、不自然に凍っていない個所がある。触れると驚くほど熱く、反射的に手を引いた。
「なるほど、引き際は心得ているってことか」
 おそらく、魔獣は冷気に押し流される熱気を咄嗟に身に纏い、瞬時に巨大な熱のバリアを作り出したのだろう。だとしても、城壁に叩き付けられたダメージだけでもバカにならないはずだ。
 瀕死の魔獣は、追い討ちを掛けさせないために逃げた。賞賛に値する潔い引きに、ザイは悔しげに城壁を思い切り殴った。
 では、どうなる。手負いの獣ほど厄介なモノはない。危機に陥った生命は、凄まじいまでの生存本能を発揮する。いわゆる、生きるためには形振り構ってはいられない状態だ。
 どうする? 追うべきか、追わぬべきか。
 中には、まだ少年と少女がいる。果たして、二人は魔獣を倒す事ができるだろうか。数的には一対二なのだから、火球を繰り出す法則に気付けば問題はないはず。しかし、二人はそれに気付くだろうか?
「…ったく、俺って奴は、人が良いったらありゃしないね…」
 自問を反芻し、辿り着いた答えにザイは舌打ちをすると、踵を返して廃城へと戻った。


***


 目が慣れて来たとはいえ、暗闇は暗闇に変わりはない。完全に魔獣の動きを捉えられるはずもなかった。
「お姉ちゃん…」
「大丈夫だよ。わたしは、大丈夫だから…!」
 嘘と判り切っているだろうが、泣き出しそうなアルトに対し、マルソーは自分にも言い聞かせるように強く言った。そうすれば、満身創痍でも力が入る気がした。
 忍び寄る魔獣が立てる微かな音と、殺気だった気配が攻撃を察知する手立てだった。
 それに自分の反射速度にモノを合わせても、交わすのには限界があった。身体中に受けた傷は数え切れず、そろそろ息も上がって来た。足が痛み出す間隔も、ずっと早くなっている。

 魔獣は暗闇でもこちらより目が利くらしく、的確に彼女に向かって攻撃を仕掛け続けている。しかも、居場所を知らせまいとしているのか、火球はほとんど吐こうとしない。
 魔法で室内を照らすということも考えたが、それほどの魔法を想像する間を相手が与えてくれるはずもなく、下手をすれば自分の周囲だけを照らし、かえって的になり易くなる恐れがあった。
 反射速度なら負けない自信があったが、暗闇に彼女の長所は完全に封じられていた。絶望的な未来の映像が彼女の脳裡に何度か浮かびかけたが、彼女は必死でそれを振り払っていた。

 守らなければならない。これを乗り越えなければ、強くなれない。
「待ってて、すぐに、終わらせるよ」
 マルソーは振り返って、アルトに笑顔を向けた。うまく笑えたと思う。これで、なんとか行けそうだった。
 闇の中心に立ち、深く目を閉じて全方位からの気配を探る。一歩違えば命はないが、ここでやらなければ、どちらにしても命はない。危険は承知の上、だが、死ぬ気は毛頭ない。
 右方向から石が蹴られる音が聞こえた。助走をつけて、こちらに飛び掛ろうと迫る大きな気配。
来る!!
 身を捻り、飛び掛かる魔獣の牙に左腕を差し出した。同時に手袋を貫き、さらに皮膚が突き破られる激痛と、そこから溢れる熱が腕を駆け巡った。
「う…ああ…ッ!!」
 予想以上の激痛に気を失いそうになったが、なんとか持ち堪え、マルソーは右の拳を左腕に喰らいつく魔獣に撃ち付けた。全ての狙いはここにあった。
 自らの異変に気付いた魔獣は、マルソーの腕から牙を抜いて後退した。身体が白い輝きを発している。彼女が右拳に込めた魔力の輝きだった。
「これで、姿は見えるよね…」
 牙を抜かれたことで、いよいよ腕からは血が溢れ出した。左腕を垂れ下げながら、右手に双剣の片割れを握った彼女は、痛む足で床を蹴った。
 多くの攻撃はできそうにない。狙えるならば、ただ一撃。この一撃で断たなければ、こちらの負けだ。
「はああああッ!!」
 彼女のスピードにその姿を一瞬見失った魔獣の隙を付いて、高速の一太刀が浴びせられた。右目に深々と傷を刻まれた魔獣は、苦悶の咆哮を上げてのた打ち回った。
「お姉ちゃん!!」
 突進した勢いで、そのまま前のめりに倒れ込むマルソーに、たまらずアルトは駆け寄った。
「ごめん…わたしは、一緒にいけそうにない…いまのうちに、君だけでも…逃げて……」
「や、やだよ……それに、逃げるところなんて…どこにもないよ…」
 アルトは言うことを聞かず、血を止めようと彼女の左腕を抱えた。
 幼い子供にとって、それは衝撃的な光景に違いなかっただろうが、泣きながら彼は懸命に彼女の傷口を抑えようとした。
 グルウゥゥ…ゥッ!!
 魔獣の声が闇に響いた。瀕死のマルソーに魔獣に付いた魔力を発光させる力はなく、怒りに赤く燃える左眼だけが浮かび上がっていた。
「逃げるのよ…早く!!」
 力を振り絞ったマルソーの訴えにアルトは答えず、口をわななかせてその場にへたり込んでいた。恐怖心が這い回るように全身を包み、金縛りにあったみたいに、その場から動けずにいた。
「逃げ…て…!!」
 悲痛な彼女の声も、凍りついた少年の耳には届かない。魔獣の口が紅蓮の輝きを放ち始めた。こちらが動けなくなったと見て、一気に始末をつけようというのか。
 もはや立ち上がる力も、身体を支える気力も残っていなかった。痛みの感覚はとうになく、血が流れ過ぎて意識が遠くなりつつあった。
やっぱり、わたしじゃ…ダメ…なのかな……。
 悔しかった。無力な自分が歯がゆかった。これでは、自分は何も変わっていない。十年前と何も変わっていない。次々と目の前で起こる事態に、無力だからどうすることもできない。
 もう一度、会いたいんだ。そのためには、強くならなくてはならないんだ。
 二度と後悔はしたくないから。そのために、強くなって戦うんだ。

『過去は今を生きる踏み台にすればいい。今を乗り越える強さを身に付け、先へ進むことを考えろ。そうすれば、お前は強くなれる』

 シン…必ず追いつくよ。そして…会いに行くよ、ガーディア……。

 魔獣の唸りと共に、業火球が二人を照らした。死を肌で感じたアルトが、弾けたように悲鳴を上げた。
嫌だ、こんなところで終わりたくない。わたしは生きるんだ! 生きて、生きて会いに行くんだ!! 死にたくない!! 死にたく……ないよ!!!
「うあああああああああああッ!!!」
「――ッ!!?」
 それは、嵐のような一瞬だった。突如、マルソーの身体が輝き出したか思うと、彼女から溢れる光の奔流が火球を消滅させた。そして、吹き飛ぶ魔獣の断末魔の叫びもまるごと呑み込み、奔流は収束して弾け、魔獣の姿を虚空へと消し去った。
 アルトは飛ばされないように必死に彼女の身体にしがみついて、きつく目を閉じていた。
 やがて、それが収まると彼は恐る恐る目を開けた。最初に映ったモノは、しがみついていた彼女の左腕だった。驚く事に、血が止まっていた。傷口も塞がりかけている。
 そして、目がよく見えていることについても気が付いた。彼女が発した輝きはなおも残っており、地下室を照らす光となっていたのだ。
 いったい、この刹那に何が起こったというのだろうか。
 しかし、彼にとってはそんな疑問よりも、彼女が助かったことに対して安堵する方が大きかったようだ。アルトは疑問をすぐに忘れていた。
「あ…お姉ちゃん、起きてよ…」
 力を使い果たした彼女は、ついに気を失って、アルトに覆い被さるように倒れた。彼は顔を少し赤くして、彼女の身体を揺すった。
 すると、顔に何か柔らかなモノが掛かった。なんだろうと顔を上げた彼は、視界に映ったそのモノに大きく目を見開いた。
 なぜなら、そこにあったモノは――


***


 鮮血を上げ、魔獣の前足が宙に飛んだ。キトの大剣の一撃が、とうとう魔獣を捕えたのだった。
 身体を支えることが出来ず倒れる魔獣に、激しく肩で息をしながら、キトは最後の力を振り絞り、大剣を振り被った。
「あばよ!!」
 振り下ろされた大剣により、断末魔の叫びと共に魔獣の命は断たれた。
 膝に力が入らず、キトは突き刺すように床に立てた大剣を杖代わりにして、倒れないように身体を支えた。倒れれば、二度と起き上がれないような気がした。
「おい、やったのか!?」
 体力を回復させようとしばらくそのままでいると、さっき別れたはずの人物の声が耳に入ってきた。彼は、ゆっくりと顔を上げ、
「チッ…アンタか。何しに来た…?」
 一足遅く駆けつけて来たザイの姿に、彼は鬱陶しそうに舌打ちした。
「魔獣に襲われた」ザイは火傷を負った両手を上げて見せた。「瀕死にまで追い込んだはずなんだが逃げられてな。お前たちが、危ないんじゃないかと思ったんだが」
 彼はキトの近くで絶命した魔獣の姿を見て、大きく吐息した。「どうやら倒したらしいな」
「ちょっと待て、手負いって言ったか?」キトは怪訝に眉をひそめた。「それはいつのことだ? こいつは、初めからピンピンしていやがったぞ」
「なに?」ザイも同じように眉をひそめた。「ちょっと待ってろ」
 彼は魔獣の死体の前でしゃがみ、それを観察した。そして、考えがまとまらないのか、額を押さえて呟くように言った。
「どういうことだ…? 俺とお前が魔獣と戦っていた時間は、重なっていたってことだな。ということは、魔獣は最初から二匹いたってことか…?」
「なんだかよくわからないが…それはいい」
 キトはザイの思考を中断させ、真剣な眼差しで彼を見据えた。
「マルソーのやつが、そこから落ちたんだ。手を貸してくれないか…」
 キトは大剣を支えにしたまま、彼女が落ちた穴を顎で示して言った。情けない話だとは思うが、ボロボロな今の自分では、彼女を助けにいくこともままならない。
「なんだって…おい、この高さだぞ…」
 ザイは床に空いた穴を覗き込み、どんな顔をしていいのか判らず、戸惑った声を洩らした。ここからでは穴の底は見えず、暗闇が深く延びているばかりだった。こんなところに落ちてしまっては、助かるとは到底思えない。
「頼む!」
 黙りこむザイに、キトは頭を下げた。肩肘を張り、反発していた少年が懇願する姿に、ザイは観念したように口を開いた。
「ああ、わかったよ。仕方ねえな。だから、似合わない真似するな」
 ザイはキトの頭を掴んで持ち上げると、ひょいと彼の身体を軽々抱えて、背中に持っていった。
「お、おい」
「お前が倒した魔獣が、俺の仕損じたやつと別物なら、まだ何処かにもう一匹いるはずだ。怪我人を置いていくわけにはいかないだろ」
「…悪い」
「なあに、気にするな」ザイは豪快に笑った。「今日は、とことんついてないみたいだからな。最後まで付き合ってやるよ」
 穴に飛び込むわけにもいかないので、まずは地下室への入り口を探さなければならないだろう。あてもないので、歩くしかないか。だが、何処を探したらいいモノか。
「……、あっちだ」
 不意に、キトが弱々しく腕を上げて前方を指した。
「判るのか!?」
 ザイはキトを振り返り、怪訝に訊ねた。キトはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「ああ…なんとなく、だがな」
「根拠なしかよ。だが、頼りがないある分ましだな。信じるぜ」
 しっかり案内しろよ。彼はキトに案内を任せると、彼の指示に従って走りだした。何を感じたのかは知らないが、伊達にコンビはやっていないということだろう。もっとも、見つかればの話ではあるが。

「この先だ」
 キトが指す、通路を塞ぐ大岩を仰ぎ見て、ザイは途方に暮れたような顔をした。
「この先…って言われてもな」
 自分は化け物ではなく、自分は一介の人間だ。どうするべきか、彼は頭を掻いた。

 隠し通路を発見したのは図書館の一角だった。そこは、先のザイの戦いで魔獣の火球に当てられても、汚れの一つもついていなかった場所。それが、魔力によって強化を受けていた通路への入り口を発見する切っ掛けだった。

 中は薄暗かったが、ザイが作り出した光の球で道は照らされたので問題はなかった。そこから何度か分かれ道に差し掛かったが、キトの勘が見事に的中し続け、ここまで辿り着くことができた。
 最初は不安であったが、次第にザイはキトの勘を疑うことをやめていた。もはや、勘とは言えないかもしれない。二人の絆とでも言うべきか。とにかく、感嘆するばかりだった。
「なんとか、ならないのか?」
「そうは言ってもなぁ――ん?」
 背後で、何かが動くような気配を感じた。その違和感は、通路の奥が赤く輝いた瞬間、危機感へと変わっていた。
「まさか!?」
 そのまさかであった。あの魔獣の火球が、唸りを上げてこちらに向かってきていた。
「冗談じゃねえぞ…」
 通路は直線、身を隠すものは何もない。幅はあったので横に飛んで交わしたが、それは互いに距離の余裕があったおかげだった。距離を詰められた状態では交わせないだろう。キトを背負った状態では動きが鈍る。
 火球は大岩に衝突して赤く燃え上がり、大気を激しく猛らせた。手負いの獣の力は侮れないと言うが、まさにそうだった。威力が格段に増している。
「オレに構うな。下ろせ」
「バカ言うな。今のお前じゃ、襲われたら終わりだ」
「足手まといはゴメンなんだよ!!」
「耳元で怒鳴るなよ。そんなツモリはない。いいか、俺は今、ちょっとしたことを思いついた。成功すれば、あの大岩を壊せる」
「なに、本当か!?」
「ああ。そして、そのためにはお前の力も必要だ。お前の一太刀が決め手なんだ。だから、今は休んでいろ」
「…信じていいんだな?」
「もちろんだ」ニヤリと挑戦的にザイは笑った。「それとも、怖気づいたか?」
「…上等だ」それに強く答えて、キトは言われた通りに体力を回復するべく、一度呼吸を整えた。「任せるぜ」
 通路を揺るがす咆哮と共に、魔獣の姿が現れた。ザイが睨んだ通り、それは彼が取り逃がした魔獣だった。身体のところどころに凍傷が見られた。彼がぶつけた冷気の効果だ。
「さて、第二ラウンド開始といこうか!」
 魔獣はザイの姿を認めると、更に激しく咆哮した。自分を傷つけた者に対する恨みが、今の魔獣を突き動かす原動力の全てなのだろう。驚くべき跳躍力で飛び掛る魔獣に、彼は引きつった笑みを浮かべた。
「そうとう気に入られたみたいだな。嬉しくはないがな!」
 彼は瞬時に冷気を拳に纏い、果敢に魔獣に向かって殴りかかった。インパクトの瞬間に魔力を爆発させ、威力を広範囲に拡散させることで、数発繰り出した拳によって、霧が掛かったように視界は塞がれていた。
「おい、どうするんだよ。こっちまで見えないだろ」
「お前は体力回復に専念しておけ」ザイは厳しくキトに言った。「安心しろ。もちろんワザとだ。これからが俺の勝負どころなんだから、集中させろ」
 視界を塞いだことで、相手の位置は音と気配を頼りにしなければならない。となると、先に動いた方が不利となる。ならばどうするか。霧が晴れるのを待てばいいが、相手は自分をすぐにでも殺したいと思っているに違いない。それに、冷気系の攻撃は苦手と見える。
 この苦痛でしかない状況を覆す一発を相手は持っている。それが狙いだ。
「よし! 狙い通り来たぜ!!」
 煌く紅蓮の輝きが、取り巻く冷気を全て蒸発させ、竜巻のように渦を巻いて迫って来た。おそらく、本日一番の威力だろう。だが、それもまた、思惑通りのことだった。
 横に跳んだ程度で回避し切れるモノではなかったが、やるしかない。両手に溜めた冷気の魔力を展開させ、キトをメインに身体を覆った。これに耐えなければ、先に臨めない。
「おおおおおおおおおッ!!!」
 炎の余波がザイの身体を焼き、まるで全身の血液が沸騰している感じだった。苦痛では表現しきれないほど、傷口が激しく騒いでいる。
「おい! 大丈夫かよ!!」
「何度も言わせるな! お前は、あと一振りできる体力を作れッ! もうすぐ出番が来るぞッ!!」
 通り過ぎた火球は、またしても大岩に激突した。すると、熱せられるうちに、やがて色を赤く変化させた。そうなったと判ると、ザイは防御に回していた魔力を一気に掌に収束させた。
「走れ! 岩に向かってだ!!」
 それを合図に、キトはザイの背中から降りて、彼に言われるがままに岩に向かって走った。身軽になったザイは、両手を砲身のように重ねて、冷気の波動を打ち出した。その狙いは魔獣ではなく、熱せられた大岩だ。
 熱された状態から急速に冷まされ、大岩の内部でビシリと何かが崩れるような大きな音がした。
「それで、崩れるだろ。熱したモノを一気に冷ませば、硬いモノでも脆くなる」
 ザイが作った道を、キトは振り返らずに走った。大岩を手前に跳躍し、ありったけの闘気を剣に込め、一閃を描く。
 それに見事に大岩は一刀両断され、地鳴りのような音を立てて崩れていった。 b (くそ…もう、限界か……)
 役目を果たしたキトは、大岩が崩れる光景を見つめながら、その意識を崩した。

「やったか…あとは、こいつをどうするべきか、だな」
 余力を残す余裕はなかったとはいえ、少しばかり無理をし過ぎたかもしれない。
 壁に背を預け、魔獣を迎え撃とうとザイは構えようとした。そうしなければ立っていられないほど、もう身体は空っぽだった。
「厄日とはいえ、命までなくすか…普通」
 死を覚悟したのは、これで二度目だった。初めて死を思ったのは、故郷の町が魔族に襲われた日のことだった。
 あの時は、運良くあいつに助けられたが、今はそうはいかないか…
 魔獣が止めをさすため、助走をつけるために一歩後退した。見逃してくれるような情けは、まるで持ち合わせていないようだ。
 いよいよか。最後の抗いを見せるため、ザイは足に力を入れた。
「――?」
 魔獣が動きを止めたのは、その時だった。不自然な間に彼が疑問に思うと、静止した状態で魔獣はその場に横転した。
 何が起こったのか、事態が呑み込めないでいると、倒れた魔獣の背後から、二人分の人影が出てきた。
「あのー! 大丈夫ー!?」
 甲高い声が呼び掛けてきた。魔獣退治にやってきた同業者であろうか。
「あ、ああ。とりあえず、命は大丈夫だ」
「それは重畳」
 小走りに駆け寄ってくる一方の影が、その姿を明らかにすると、不覚にもザイは面食らった顔をしてしまった。
「また、子供か…」
「あー! 失礼ねえ。子供じゃないわよ」
 その女性はサングラスをしていて表情はよく判らなかったが、長いピンク色の髪をリボンでポニーテールにしている様といい、頬を膨らませて抗議する姿は子供そのモノのように思えた。
「じゃあ、いくつなんだ?」
「二十歳」
 嘘だろ。喉まででかかった言葉を、ザイは辛うじて飲み込んだ。サングラスの奥から厳しい視線が突きつけられているのを感じたからだ。
「今は、そんなことに目くじら立てている場合じゃないっす」
 もう一つの影は男だった。彼は彼女の頭を軽く叩き、やれやれと溜息を吐いた。
「何するのよ!」
「――助けて!!」
 その女性が男に叫んだのと同時に、大岩の向こうの通路から少年の声が響いた。全員の動きが一瞬止まり、顔を向き直らせる。
「行くっすか?」
「行かないわけには、いかないでしょ」
「悪い…恩に着る」
 女性はザイにウィンクをして、駆け足で通路の奥へ姿を消した。男もまた、彼女の後を追っていった。
 良識のないBAVERならば、瀕死状態の自分たちは恰好の『カモ』であったに違いない。その点では、最後の最後で運に恵まれたのかもしれない。
 二人の背を見送った後、ザイは壁に寄り掛かったまま、滑るように崩れ落ちていった。

 通路が一区切りつくと、天井の高いホールのような大部屋に辿り着いた。何故かそこだけが明るいのかは謎だったが、そのおかげで、一人の少女を泣きながら必死で揺さぶり起こそうとしている幼い少年の姿をすぐに見つけることができた。
「ボク、何があったの?」
 言い知れぬ危機感を覚えた女性は、アルトの肩を掴んでこちらを向かせた。男はマルソーの容態を確認しようと、まずは彼女の手を取って脈を調べた。
「お姉ちゃんが…カイブツからボクを守って…でも、腕に怪我しちゃって……血も、いっぱい出て…」
「確かに、こいつは酷いっすね…」男はマルソーの血に染まった左腕を見て、苦く呟いた。「でも、傷口が見当たらない…なぜ」
「そんなことどうだっていいでしょ! 無事なの、無事じゃないの!?」
「あ、ああ。少し脈が弱いっすね…」女性の剣幕に押されるように、男は慌てて言った。「早いところ、町に戻った方がいいっすね」
「わかった。その子はあたしが運ぶ。あんたは、その他男性陣担当ね」
「了解っす」
 マルソーを背負って急いで部屋を後にする女性に、男はテンポよく返事をした。
「じゃあ、僕たちも行くっすか」
「あ、あの…お兄さんたち…誰なの…?」
「え? ああ、そうっすね。ううん、なんだろう」男は一度、悪戯っぽく視線を宙に投げた。しばらくして、彼は苦笑して肩をすくめた。「想像にお任せってのは、ダメっすかね?」


***


 カーテンの隙間から漏れる、微かな朝の光にマルソーは目覚めた。背中の柔らかい感触が、日の光をよく吸い込んだ布団であることに気付いたのは、その気持ちよさにしばらくうとうとしてからのことだった。
 それに気付いた途端、彼女は布団を跳ね除けるように飛び起き、当たりを見回した。そこは簡素だが、清潔で小奇麗な木造の一室だった。
「目が覚めたか」
 聞き覚えのある声に向き直り、部屋の片隅で椅子に座っているキトを見て、マルソーは口に手を当てて驚いた。
「キト…無事だったんだ」
「それはこっちのセリフだ。左腕を見てみろ」
「え? あ…そうか、わたし」
 傷口は見当たらないが、念のためと封印でもするかのように巻きつけられた包帯。それを見て、ようやく彼女の脳裏に魔獣と戦っていた時の記憶が蘇ってきた。
「キトが…助けてくれたの?」
 彼女の問いに、彼は何を言っている、という疑問の顔をみせた。「いや…オマエ、覚えていないのか?」
「だってわたし…魔獣に腕を噛まれて…それから、少し記憶が曖昧なのよ」
「オマエを見つけた時には、魔獣はいなかったそうだ。オマエが倒したんじゃないのか? あのガキは、そう言っていたぜ」
「アルトのこと?」マルソーはまた一つ、大事なことを思い出した。「そうだ! アルトはどうしたの!?」
「ここだよ。お姉ちゃん」
 部屋のドアが開かれ、そのアルト本人が入ってきた。彼女が目覚めたことがよっぽど嬉しかったと見え、満面の笑みを浮かべていた。
「やっと起きたかい。ずいぶんと、みんな心配していたよ」
 そして、彼の後ろに立つもう一人の来客、恰幅のよい中年の女性が安心した笑みを浮かべて言った。マルソーはしばらくその女性に視点を合わせた後、
「え…と、もしかして」
「うん。ボクの母さんだよ」
「チェイルさん。この酒場兼宿屋のカミさんだ。好意で三日も部屋を貸してもらっているんだ」
「三日!?」マルソーは大きく目を見開いた。「わたし、三日も眠っていたの!?」
 申し訳なさそうな表情をする彼女に、アルトの母――チェイルは気前よく笑った。
「気にしないどくれ。そっちの坊やも、宿代の代わりに働いてくれたしね」
 それに、と彼女はアルトの頭を撫で、慈愛の母親の目で彼を見つめた。「アルトから聞いたわ。この子を助けてくれて、ありがとうよ。感謝しても、しきれないくれいなんだからね」
「そ、そんなことないです!」マルソーは慌てて両手を振った。「わたし、記憶が曖昧で、魔獣を倒したかどうかも、はっきりしていないから…」
「違うよ!」自信なく言う彼女に、ムキになったようにアルトは叫んだ。「カイブツはお姉ちゃんがやっつけたんだよ。パアーッ! って光が…」
 と、そこまで言って、彼は慌てて自分の口を両手で塞いだ。
「なんだ? 最後まで言えよ」キトが不満そうに彼を睨む。
「ダメだよ! 言わない!」
 チェイルは呆れたように吐息して、マルソーに笑いかけた。
「この子、ずっとこれなんだよ。あんたが魔獣を倒したって言うけれど、詳しくは聞かせてくれないんだよ」
「嘘じゃねえのか?」
「ウソじゃないよ! お姉ちゃん、すごかったんだから!」
「だから、何がどうすごかったのか説明しろよ」
「ダメだってば!」
「こいつ!」
「はいはい! 二人とも、もう止めな!」
 じゃれ合うようにするキトとアルトの頭を抑えると、そのまま廊下まで引きずるように連れて行った。
「さあさあ、女の子が着替えるんだ。男連中は出ていきな。着替え、そこに置いてあるからね」
 最後に振り返ってマルソーに言うと、チェイルはドアを閉めた。静かになった室内に、マルソーの気持ちは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
 まずは、身長に左腕の包帯を取ってみることにした。腕を動かしても、まるで痛みはなく、包帯はかえって邪魔だった。思い切って取ってみると、傷口は何処にもみあたらない。穴が空いたかと思うほど激しく噛み付かれたと思ったのは、気のせいだったのか。
「考えても…しょうがないかな」
 チェイルの言う通り、ベッドの脇には綺麗に畳まれた自分の服が置いてあった。愛用の双剣も、しっかり二つ揃って並んでいる。
 ボロボロになった箇所は、ありがたいことに繕ってくれていた。それが堪らなく嬉しくて、彼女は思わず胸に抱きしめると、急いで着ていた寝衣を脱いだ。
 平穏。今、この時を表すなら、そんな感じだった。
 いつまでも身を預けていたい、優しさや、暖かさがここにはあった。
 それでも、旅を再開しなければならない。人の暖かさに甘えていては、自分は強くなれないから。
「さあ、行こう!」
 決意を新たにし、マルソーは勢いよく服の袖を通した。

 「それじゃあ、お世話になりました」
 深くお辞儀をするマルソーに、チェイルは「よしとくれ」と笑った。
「また来ておくれよ。あんたたちなら、歓迎するからさ」
「はい。近くに来る事があれば、寄らせてもらいます」
「約束だよ! ボク、待ってるからね!」
「うん」アルトの視線に合わせてしゃがみ、マルソーは優しく微笑んだ。「約束するよ」
「やったあ!」アルトは喜びを全身で表現した後、彼女の耳にそっと囁いた。「じゃあ、お礼に、ボク、絶対言わないからね。最初は驚いちゃったけど、お姉ちゃん、とってもキレイだったよ」
「――? アルト、何を…」
「おい、いつまでも喋ってないで、行くぞ」
「あ、うん…」
 キトに急かされ、マルソーは立ち上がって彼の背を追う。店から出る時、彼女はもう一度振り返って頭を下げた。

「おう、やっと起きたな」
 町の入り口で二人を待っていたザイは、出てくる二人の姿を見ると、軽く片手を挙げて挨拶した。
「ザイさん!」
 明るい笑みを浮かべて駆け寄る彼女に、彼もニヤリと歯を見せた。
「元気そうだな。これで安心して、俺も旅を再開できそうだ」
「あ…そうか。もう、行っちゃうんですね」
「三日間も待たされたんだ。そろそろ行かせてくれよ」彼は冗談っぽく肩をすくめた。
「飯代のために働かされていただけだろう」素っ気無くキトが横槍を入れた。「まさか食い逃げ扱いされた店が、ここだとはな」
「おいおい、それを言うなよ。俺だって、まさかアルトが、ここのガキとは露とも思わなくてだな…それに働かされたんじゃない。自分から進んで働いたんだ。俺は義理堅い男だからな。そこんとこを間違えるなよ! 以上!」
 ザイの言い分に、マルソーは怪訝な顔をした。
「そうだったんですか? でも、依頼の報酬があったんじゃ…」
 彼は依頼を受けて目ぼしい書物を探すため、あの城へ行ったはず。それに、魔獣を退治したのだから、報奨金もでるはずだ。わざわざ働かなくてもいいはずだと思うのだが……。
「依頼は、反故にされたんだとよ」
「えぇ!?」
 口に手を当てて驚くマルソーに、ザイはバツが悪そうに頭を掻いた。
「ああ。ったく、やってくれるぜ。実は、その依頼主っての、俺の友人でな…。まあ、依頼を受けてから、一週間も魔獣の件で躊躇っていた俺が悪かったのかもしれんがな。愛想をつかされたかなぁ…」
「じゃあ、魔獣の報奨金は? ザイさんが倒したんでしょう?」
「いや、手柄はあの二人組みにな…」
「あの二人?」
「ああ、そうか。お前は、気を失っていたから知らないのか」

 首を傾げるマルソーに、彼は魔獣との戦いの際に現れた二人組みの男と女のコンビについて話した。瀕死の二人を担いで町まで送ったこと。そして二人の回復を待つことなく、さっさと先を急いで行ってしまったこと。

「魔獣の死体は、その二人がギルドに持っていった。治療費は置いていってくれただけ、マシな方さ」
「オレは納得してないけどな」
 不満顔のキトを一瞥し、「さて」と、ザイはいよいよ別れの言葉を切り出した。
「ま、短い付き合いだったが、俺は楽しめたぜ。ありがとよ。お前もな」
「オレも、そこそこ楽しめたぜ」
 キトとザイは、握手の代わりに軽く拳を付き合わせた。どちらも、すっきりとした笑みを頬に刻んでいた。
「あの、ザイさんは、これから何処へ行くんですか?」
「ん…そうだな。俺は北へ向かうつもりだ。ま、しばらくはのんびりやっていくさ」
「そうか、わたしたちとは、逆方向ですね」
「ってことは、お前たちは南か」
「ええ、わたしたち、南の大陸に渡るんです」
「何!?」ザイは、呆気に取られた顔をして、思わず叫んでいた。信じられないといった表情で、彼は再度確認した。「お前たち、本気か?」
「本気ですけど…変、ですか?」
 彼の驚きように、マルソーは不安げに訊ねた。彼は天を仰いで、うわ言のように何事かを呟いていた。しばらくして、
「ああ、いや、悪い。本気なのはわかったが、お前たち、サウスタイルがどういう場所か、ちゃんと理解しているのか?」
「相当ヤバイ所だってことは、わかっているつもりだぜ。だが、どうしても退くわけにはいかねえんだよ」
「相当なんてモンじゃない。お前たち、今度こそ本気で死ぬぞ」
 前人未到、聖地とも魔の発祥とも呼ばれている、世界から隔離された謎の大陸。大陸周囲には激流があり、何人たりとも近づくことすらかなわない。そこを目指した者で、帰って来た者は未だいないのだ。
「だったら、オレたちが大陸到達者第一号になるだけの話だ」
 キトの瞳を見て、制止は無駄だと悟ったザイは、それについてはもう何も言わなかった。
「いるモンなんだな。こういうバカが。そういえば、あの二人も南がどうとか言っていたな…」
 世の中には酔狂な奴らが大勢いるが、こうも連続して見るとは。もっとも、こんな世界を旅する自分自身も酔狂と言えば酔狂なのだろうが。
「まあ、いいさ。せいぜい気をつけな。腕に覚えがあったって、思わぬところでスッ転ぶことだってある。それをどう凌ぐかが、命を繋ぐコツってもんだぜ?」
 ザイはポンと二人の頭に手を置いた。
「特にコンビってのは、どんな窮地に立たされようとも信じてやらなきゃいけない。きっと助けてに来てくれるって、相棒を信じてやるんだ。ま、頼ってばかりじゃ愛想つかされちまうだろうがな! その点では、お前たちは良いコンビだぜ」
「ずいぶんと、お節介なことを言うな」
「お前たちを、気に入ったからだろうな。お節介ついでにもう一つ。南へ行くなら、ここから海岸沿い南へ下れ。そこにリアスって港町がある。まあ、このご時世じゃ船を出してくるとは思えないがな」
「充分です。ありがとうございます!」
 深くお辞儀をするマルソーに、彼は満足そうに笑うと踵を返し、二人に背を向けた。
「それじゃあ、俺は行くぜ。あばよ、ルーキーたち! 道中御無事で楽しくやれよッ!」

 ザイの背中が消え行くのを見送った後、マルソーは軽く息をつき、口元を緩めた。
「じゃあ、わたしたちも行こうか」
「そうだな。と…、その前に、一つ確認したいんだが、腕は平気なのか?」
 かなりの出血と聞いていたのだが、まるでそんな素振りを見せずに彼女は軽く笑った。
「うん。なんだかよく判らないけれど、大丈夫みたい。得した気分だね」
「そうかぁ?」キトは顔をしかめた。「オレには、気味が悪いとしか思えないんだが…」
「またまた、そんなマイナス思考を…」
「十分現実的な意見を言っているつもりだぜ、オレは」頭を掻いて、彼は諦めたように息をついた。「まあ、何にせよ良かった。今回のことは、オレのせいで酷い目に合わせちまったからな。悪かったよ」
「え? なんのこと…?」
 戸惑った顔で言う彼女に、キトは言い難そうに何度か口を動かした後、ようやく言葉を発した。
「オレが先走って、魔獣退治なんて言い出したせいだろ。そのせいで、オマエに怪我させちまって…だから、悪かった」
 殊勝な彼の態度に、マルソーは何度か目を瞬かせた。これは、滅多に見えるモノではないだろう。
「なんだ、そんなことか」
「な…『そんなこと』ってなぁ! オレは…!!」
 可笑しそうに笑うマルソーに、キトは反発して叫んだ。彼女は笑みを崩さぬまま、
「わたしだって、同じだよ。今回のことで、わかった気がするんだ。キトが、いつも何処か焦っているのって、わたしのせいでもあるんだよね」
「あ? な、何言ってんだよ。オマエ…」
「だって、そうなんでしょ? わたしが、いつまでも甘えが抜けていないこと、キトは知っていたんだよね。わたし、キトにたくさん迷惑かけていたんだよね。ごめん。全然、気付いていなかったんだよ。わたしのために…」
「バカ」
 キトはそう言ってそっぽを向くと、面倒臭そうに口を開いた。「オマエ、何か勘違いしているな。言っておくが、オレは『誰かのため』にとか、そんな器用な生き方できやしねえよ。したくもねえな」
 ほら、もう行くぞ。そう言い置くと、彼はその場から逃げるように、さっさと歩き出した。
「…わたし、強くなるからね」
 自分だけに聞こえるように呟くと、マルソーは確かな強さを感じる、その背中を追った。



〜後書き〜

どうも、ひ魔人です。今回は、なんか調子が良かったようです。
この話は学校であらかた書いたのですが、周りに何も無いと、驚くほどに集中できるモノですね。
さて、今回で後編を終えました。
やっぱり、二人はまだ未熟者なので、ギリギリの勝利でしたね。ザイも頑張ってくれました。
マルソーの身に起きた異変、それは一体なんだったのか…それはまた、後のお話。アルトは話してくれそうもないですからねぇ。
謎の二人組みについては、敢えて触れないでおきます(笑)。ザイ、アルトを含め、いずれ再会の時が来るでしょう。

さてさて、次回は、港町リアスが舞台となります。次に彼らを待ち受けている事件とは?
そひでは、また次回にお会いしましょう(座礼)。


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