BRAVERS STORY
〜交錯する時の欠片達〜


〜第十三話「潮の香に誘われて…出逢いは偶然的に」〜


 暗闇の中、瞼の裏に突き刺すような鋭い日差しを感じ、咄嗟に腕で顔を覆った。寝返りを打って蒲団を引き寄せようとしたが、その抵抗も虚しく、あっさりと剥ぎ取られてしまった。
「さあ朝よ! 起きてっ!」
 威勢の良い声に薄目を開けると、マルソーの笑顔が視界に眩しかった。キトはゆっくりと身を起こし、欠伸と同時に大きく伸びをした。
「ったく…まだ早いだろ」
 頭を掻きながら眠そうに呟くキトに対して、彼女の声は弾んでいた。
「何言っているの! 今日は船を探すんでしょ。それに、海が見えるよ。ほら!」
 両開きの窓が開かれ、流れ込んでくる潮の香りに意識が刺激された。仕方なく立ち上がり、身を乗り出して海を見つめる彼女の背後まで歩み寄った。
 ここは東の大陸最南端、港町リアスの宿屋である。
 窓の外には、陽光に煌く純然たる青が広がっていた。この蒼海の向こうに南の大陸がある。そう思うと、自然と胸は高まり眠気も消えてきた。
「凄いでしょ。わたしも、今朝起きたらびっくりしたよ」
 潮風にさらわれる髪を押さえながら、マルソーは無邪気な微笑を浮かべて言った。昨日、ここに訪れた時は夜更けで、やっとの思いで宿を見つけた後は、すぐに眠りに落ちてしまったのだった。
「凄いのはいいが、オレたちは、その凄い所をこれから越えようとしているんだぜ。少しは緊張したらどうだ」
 南の大陸へ渡るには船がいる。そのためには、ここで船を出してくれる相手を見つけなければならない。そして、そこまで首尾よくいっても、思った以上に遥かに広大な、この海を越えて行かなければならない。
 南へ渡る。シンの課題が思った以上に難題だということを、キトは今更ながら思い知らされた気分だった。
「うん…してるよ、すっごく。でも、頑張らなくちゃ始まらないよ」
 さて、とマルソーは軽くキトの背を叩いて出口に向かい、ドアノブに手をかけたところで振り返ると、
「じゃあ、この町広そうだから、午前は二手に別れよう。わたしは港の方とか、色々見てくるから、キトは町の方で情報収集お願いね」
「あ!? おい、ちょっと待て! いつ決まったんだそんなこと――」
 キトは叫んだが、早口に言って立ち去るマルソーの姿は、既にそこにはなかった。
「ったく、一人で探せってのか? 聞いてねえぞ、こんな展開…」
 所在なく部屋に立ち尽くす彼は、誰にともなく言葉を吐き捨てた。

 そういう経緯があり、やらないと文句を言われることは目に見えているので、キトは仕方なく船の情報を捜すことにした。
 着替え(と言っても彼の場合はコートに袖を通し、大剣を背負うだけのことだが)を済まし、まずは朝食を取ろうと宿の一階にある食堂へ下りた。
「ははははは! おい、みんな聞いたかよ!」
 食堂へ入った途端、客の馬鹿笑いが耳に入り、急にうるさくなった。どうして一歩空間を跨いだだけで、こうも雰囲気が変わるのだろう。
 キトはなるべく気にしないようにして、なるべく人の集団から離れた席を選んで腰を落ち着けた。
「ちょっとちょっと! そこは笑うところじゃないわよッ! ちゃんと聞きなさいよッ!」
「そうは言ってもねぇ…お嬢ちゃん、今時そんなこと、バカでも言わないことだよ」
 注文を済ませたところで、また大きな笑いが起こった。
 憤った女性の高い声と、それを揶揄し、嘲笑する複数の客たち。
 一瞬目を向けたが、キトはそれ以上の興味は感じず、そんな空気にお構いなしに料理を待った。どうせ、下らない揉め事に違いない。
「あたしは南へ渡りたいのよ! 誰か、船を出してくれる人はいないの!?」
 だが、続けて聞こえる女性の声に、彼の顔色は変わった。
『南』…今、そう言ったのか。
「なあ、あんたもオカシイと思うだろ」
「……何がだ?」
 ニヤケタ笑みを頬に刻んだ、細身の男が無遠慮にキトの隣に座り、話し掛けてきた。女性をバカにしている野次馬のひとりだろう。
 素知らぬ顔で答えると、いかにも喋りたがっている顔をしていた男は、思った通り流暢に話してくれた。
「いやな、あの姉ちゃんが、南の大陸へ渡りたいから船はないか、なんて言い出すモンだからよ。まったく、このご時世に船なんて出るわけないってのにさ。バカもいいところだぜ」
「何? 船は出ないのか?」
「なんだ、知らないのか? とてもじゃないが、遠出はできないぜ。南の大陸なんてもっての他だ。あそこは人間が生きて行ける場所じゃない。一年程前に、海に魔獣が棲みついてからは尚更ヤバクなってきた。『デッドカレント(死の海域)』と言って、何隻沈められたか分からん」
 デッドカレント、ただ船で渡れば良いのではないのか。しかも、この男の口振りだと、船を見つけるのは相当骨が折れそうだ。一気に増えた問題に、キトは表情は自然と険しくなっていた。
「…なんだ? もしかしてあんたも、南へ渡りたいなんて言うんじゃないだろうな?」
 キトのあまりに真剣な表情に、男は訝って訊ねた。キトは答えず黙っていたが、男はそれを肯定と取ったのだろう。一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに頬に刻んだ笑みを大きくした。
「おい! 喜べ譲ちゃん! ここにもあんたと同じ、バカが一人居るぜ!!」
 からかいと嘲笑の声に、客の好奇の視線が集中した。バカなつもりはなかったが、常識的に考えればバカなことなのだろうか。目立たぬように隅の席に座ったのに、これでは意味がない。
「うるさいわね! あたしは『譲ちゃん』なんて年じゃないわよ! それから、バカは余計!」
 足を踏み鳴らして歩み寄ってきた女性は、とうとう我慢の限界が来たのか、手にしていた鈍色の金属棒を男の頭に打ち据えた。鈍い音と共に男は椅子から転がり落ち、気絶して動かなくなっていた。
「あらら…軟弱ねぇ」
 男を見下ろしながら、つまらなそうに彼女は吐息と共に言葉を洩らした。やり過ぎたという反省の意志は、全く見受けられない。
「で、何? あなたも、南へ渡りたいの? もしかして、何かアテでもあるとか?」
 男の座っていた椅子に無遠慮に座り、彼女はキトに訊ねた。呼ばれて、やっと彼はこの女性の姿を見ることになった。
 まず、装着された丸いサングラスと、青色のリボンでポニーテールにしたピンク色の髪が印象的だった。皮製の胸当てと、スパッツを履いているので問題はないのか、大胆なミニスカートに膝丈まであるロングブーツ。後、目立つところと言えば、右の上腕に凝った模様のバンダナをしていることだった。とにかく、動き易さを重視した軽装の、活発そうな女性だ。
 その容姿と相俟って一見若く見えたが、よく見ると二十歳くらいだろう。つまり、子供っぽい大人ということだ。
「別にねぇよ。これから探すところだ」
「ふーん、あたしと同じね」
「そうか…」
 沈黙。
 キトは特に気にしては居ないようだったが、女性の方は次第に苛立ちが募ってきたようで、我慢できずに口を開いた。
「ちょっと…それだけ? もっと他にないの?」
「他ってなんだ?」
「あたしも、南の大陸を目指しているのよ。なにかこう、同じ志を持つ者としてね」
「訊いて欲しいのか?」
 キトは邪険に応じて女性を見据えた。初対面に関わらず遠慮がない。どちらかと言えば苦手なタイプの人間だった。
「まあまあ、そう構えないでよ。なんなら、奢っちゃうぞ」
「…向こうへ行ってくれ。アンタ、南の大陸へ行きたいって言っているみたいだが、情報を持っていないんだろ?」
「ああ、つまり、情報がないなら用は無いってこと。人間冷めてるねえ」
 嘆かわしげに女性は落胆の溜息をついた。正直なところ、関わり合いたくないと言った方が本音かもしれなかったが、あえて何も言わなかった。
「――つぅ…やってくれるな嬢…いや、姉ちゃん。お前たち、船を探しているなら、良い場所を教えてやってもいいぜ」
 下の方から聞こえる声に、二人は足元に視線を向けた。伸びていた男が数かな呻き声を上げて目を覚まし、上半身を起こして頭を振っていた。
「何? 港は一通りあたって見たけど、取り付くしまもなかったわよ」
 バカにされていたこともあってか、女性は疑わしげに眉をひそめた。
「まあ、町の連中は臆病風に吹かれているからな。無理もない。けれど、海賊なら話が出来るかもしれないぜ」
「海賊だと?」
「ああ、そうだ」興味を持ったキトに気を良くした男は、頬に笑みを刻んで話した。
「魔獣が南と繋ぐ海域に棲みついたって話はしたな。そのおかげで、この辺りを縄張りにしている海賊どもも船を出せないでいるんだ。おかげで、丘に上がったあいつらは、この町の一角を占拠しちまったんだ。良い迷惑だぜ。まったく…」
 そこまで言って男は立ち上がり、服についた埃を払った。
「海賊たちの縄張りは、今やこの町の裏通りになっている。そこの『バイキングヘッド』っていう、奴らが溜まり場にしている酒場があるから行ってみな。派手な看板があるから、すぐに判るだろうよ」
 カウンターまで歩いて食事代を置くと、男は食堂を後にした。やがて、二人の存在を忘れたかのように食堂が普段の賑わいを取り戻した頃、女性は少し口調を真剣にした。
「信じる? あの男の言ったこと」
「さあな。だが、アテがないなら行くしかないだろ」
 やっと運ばれてきた料理に手を出しながら、彼は素っ気無く答えた。
「もっともだわね。じゃあさ、一緒に行かない? 旅は道連れって言うし、君はなかなか見所がありそうだしね。男なら、海賊たちの根城みたいなところに、女を一人行かせるような真似しないでしょ?」
「ま、良いけどよ…どっちにせよ、行く場所が同じなら鉢合わせるだろうしな。収穫がないと、あいつに何言われるか判らねえし…」
 たとえ断ったとしても強引に引っ張られて行きそうな気がしたので、キトはなるべく面倒臭くならない選択をした。それでも十分、面倒臭い話になってしまったのだが。
「やりぃ! それじゃ、仲間となった記念に、お姉さんが奢ってあげよう!」
「あ、ちょっと待てよ」
 料理を食べ終わり、カウンターに向かおうとした女性をキトは呼び止めた。彼女は振り返り、
「ん? もしかして、女に奢られるの、嫌いなタイプ?」
 いや、恥ずかしながら貧乏なので、奢ってくれるのは大いにありがたいことだ。魔法都市国家マナ跡の一件では、結局報酬は持っていかれたし、ここまで来るのには確実性を持てない狩で食い繋いで来たのだ。そんな情けない事情は、口が裂けても言えないが。
「…そうじゃない。しばらく一緒に行動するんだ。お互い、名前くらい知っておいてもいいんじゃないのか?」
「お! もしかして、意外と常識人?」
 友好的とはいかないまでも、こちらからの初めての質問に、彼女は表情を明るくした。
「意外ってなんだよ…」
「ああ、ごめんごめん。なんか、ずっと仏頂面だったからさ。あんまり社交的じゃないでしょ?」
「うるせぇよ」
 キトは否定ができずにそっぽを向いた。それを見て楽しげに笑うと、彼女は掛けていたサングラスを頭上に持ち上げた。朱色の目は明るく、まるで子供のように好奇に輝いている。
「あたしはレア。実は相棒がいるんだけど、今は別行動中だから、また紹介は追ってするわね。よろしく頼むわよ、ボディーガードさん♪」
 彼女、レアは微笑んでそう名乗ると、軽くウィンクして見せた。


***


 一方で、町の港にやって来たマルソーは、初めて見る船に興味津々であった。いずれも木製であり、しかし、手入れはされているモノの、人の気配がまるでないのが不思議だった。船員は誰もいないのだろうか。
 何隻も並ぶ船を順に見て回りながら歩いて行き、そろそろ端まで着こうかという時に、船の上に人影を見つけた。
 そこに停泊している船は、他のモノよりも一回り大きく、妙に無骨というか、纏っている空気が物々しく思えた。
 怪訝に思ったが、彼女は港で見た初めての人影に興味を覚え、その船へと近付いて行った。
「あの! すみません!」
 間近で見ると、船は更に大きくそびえ、顔をほぼ真上に上げなければならない状況だった。できるだけ大きな声で呼び掛けてみたが、気付いてくれただろうか。
「…すみません!!」
 しばらく待っても返事がなかったので、もう一度声を張り上げてみた。すると、返事は船上からではなく、彼女の背後から聞こえた。
「どうかしやしたか? お嬢さん」
「え?」
 振り返ると、目の前に二人の男が立っていた。小太りな背の低い男と、それとは対照的な痩せ身で長身の男の、不釣合いなコンビだった。
「うむ…兄弟、どうやら見たところ、このお嬢さんは私たちの船に興味があるらしいぞ。違うかね?」
 顎に片手を当て、痩せ身の男は滑らかな口調で相方らしい小太りな男に言うと、最後にマルソーに訊ねた。
「は、はあ…、えっと…この船の方なんですか?」
「おうともさ! オイラたちは、この船の舵取り員!」
 胸を反らして叩き、小太りな男は誇らしげに言った。
「この『アトランテ』は、私たちの誇りですよ」
 痩せ身の男は船を見上げ、薄く微笑んだ。
「お嬢さん、この船に興味があるんでしょう? なんなら、不肖このハンド、オイラが案内してやりますぜ」
「きゃ!」
 小太りな男――ハンドは前に進み出ると、いきなりマルソーの手を掴んだ。彼の力は強く、強引さを感じた彼女は、咄嗟に一歩退いた。
「ハンド、お嬢さんは嫌がっているようだぞ」
「なあにサウザ、照れているだけさ。さあ、お嬢さん、遠慮をせずに…」
 彼なりに精一杯物腰を柔らかくしているのだろうが、下心が見た目にも判る笑みを浮かべられては説得力に欠けた。痩せ身の男――サウザも止める様子はなさそうである。
 受け入れ難い雰囲気に、マルソーはもう一度一歩退いた。一旦逃げるか否か思考を巡らしたが、二対一ではそれも難しいだろう。やがて躊躇いがちに双剣に手を掛けたが、その時、
「何してるっすか?」
 その場にいた誰でもない、第三者の声が割り込んできた。全員が声のする方に向き直ると、その声の主はこちらに歩い来るところだった。
「あんまり、穏やかじゃないっすね。仲間割れって感じの仲じゃなさそうだし…これは、もしかしてタイミングが悪かったかな?」
 二十前半頃に見える青年だった。三人の前に立ち止まると、彼はこちらの調子を崩す軽い口調で、冗談っぽく肩を竦めた。
 虫の触覚を彷彿とさせる、斜めに立てられた灰色の前髪と、夜の闇を凝縮したような、透明感のある漆黒の瞳が印象的だった。上着の胸ポケットとジーンズに巻きつけたナイフが、彼と不釣合いな鋭い銀光を太陽に返していた。
「なんだお前は! オイラたちは、これから良いところなんだぞ。さっさと消えろ!」
「お引取り頂くならばよし、断るのならば、お相手しますよ」
「あー、まあ、僕の意見としては、どっちでもいいんすけどね。けれど、『女性が乱暴をする』姿は、あんまり見たくないっていう気持ちもあるっす」
 いつでも双剣を抜けるように手に触れているマルソーに、男は意味ありげな含み笑いで一瞬だけ視線を向けた。そのことに、彼女は気付くことはなかったが。
「僕の名前は、ゴラス…仕方ない。予定外っすけど、お相手するっていうならしましょうか」
「なんか、癪に触るヤローだぜ。やるぞサウザ!」
「了承した」
「おい! その勝負、ちょっと待ちな!!」
 向き直る間もなく、ハンドとサウザ、そしてゴラスが向かい合う間に、突如一陣の風を巻き上げ、上空から黒い影が飛来した。船上から人が飛び降りて来たのだは、すぐには分からなかった。
 全員が呆気に取られて見つめている内に、それは何事もなかったかのように立ち上がった。そして、ゴラスの方には視線をまるで向けず、呆然とするハンドとサウザを睨み、
「ハンド! サウザ! 何をやってんだ!! 俺たち『アトランテ』の名を汚すような真似は、許されねえぞ!!」
「ひぃ! す、すいません!!」
 褐色の肌に浮かぶ切れ長の獣のような瞳が二人を睨み付けると、彼らは震え上がって後ろに下がった。短く切られた黒髪と真紅のバンダナが、さらに野性味を強めているように見えた。
「ったく、お前らには節操がねえのかい…まだ乳臭いガキ相手に…ったく」
「なっ…!」
 吐き捨てるように投げられた言葉に、マルソーは思わず顔を赤くした。
 言葉遣いは乱暴だったが、この人物は女性だった。振る舞いは男性的だが、体は間違いなく女性のモノ。それに気づいた時、自分との違いに少し悲しくなったりしたが。
「お前ら、何の用か知らないが、俺らの周りでドンパチやらかそうってんなら、容赦しないよ」
「滅相もないっすよ。僕は、無駄に労力を使ってまで争う気はないっすから」
「そうか。ならいいんだがな…」ゴラスを睨みながら鼻を鳴らし、女性は続いてマルソーを睨んだ。
「あんた、俺たちが何者なのか知っていて近づいたのかい?」
 マルソーは彼女の質問の意味が理解できず、目を何度か瞬かせた。女性は嘆息して肩を落とした。
「知らないのか…世間知らずなのか…俺たちの名が廃ってきたのか…、どっちにしても、哀しいね」
「蒼海征団『アトランテ』、だったっすか? この町じゃあ、けっこう噂になってるっす。あまり良い評判じゃないっすけどね」
「そうかい…せいだん…?」
「はん! 町人どもが勝手にほざいているだけだろう? 俺たちは手前ら丘の人間が言うようなモンじゃねえ!」
 ゴラスの言葉に気分を害したように、女性は眉間にしわを寄せた。続いて、ハンドとサウザも抗議の声を上げた。
「そうともさ! オイラたちは、誇り高き海の漢(オトコ)!」
「嵐に猛る蒼海すら、我々の前では道を拓ける奇蹟を起こす!」
「そうとも…俺たちに大地は要らない! 俺たちの母は、この蒼海のみ!」
 一瞬の間の後、
「…なんだか、個性的な方たちですね…」
「良く言えば、そうなるっすか。逆は、あえて言わないけど」
「…少し、飛ばしすぎたか…まあ、丘の人間には理解ができないだろうね…」
 驚いたというよりも、しらけた感じのマルソーとゴラスに気付き、女性は大きく咳払いをして言った。
「で、結局なんなんだ? 俺たち海賊によ。ただ、迷っただけならとっとと帰れ。そうでないなら、さっさと用件を言いな」
「は、はい…その、船を出して頂くわけには、いきませんか?」
「船か、そいつは無理だね。多いんだよ、そういう奴らは」
 だいたい予想はついていたのか、彼女は考える間もなく答えた。
「お願いします! わたしたち、サウスタイルに渡りたいんです!!」
「――!? サウスタイルだと!? それって南の大陸じゃねえか!!」
 その地の名を聞いた瞬間、彼女の笑みは凍りつき、怒りとも恐怖ともつかない表情を顔に浮かべて叫んだ。ハンドとサウザも顔を見合わせ、言葉にならない驚愕を開いた口で表現していた。
「南っすか。奇遇かな? 僕も、彼女と同じことを考えていたんすけどね」
「え! そうなんですか!?」
「まあ、一応本気っす」
 ゴラスは軽い口調でさらりと言ってのけた。ハンドとサウザは、ますます凍りつい表情をぎこちなく女性へ向けた。
「あ、姐御…こいつら、ちょっとヤバクないですかい?」
「これはさすがに…私たちに越えられる壁では…」
 女性は顔を伏せ、肩を上下に震わせていた。やがて堪え切れなくなり、顔を上げた彼女の大きな笑い声が港に響いた。
「ハハハハハ!! 面白いね! 小娘かと思ったら、とんでもない事が出てきたモンだ! いいぜ。考えてやってもいい」
「本当ですか!?」
「ああ、だが、俺の一存で決められる問題じゃないな。まずはお前ら、船長に頼んでみることだ。クク…こいつぁ面白いぜ」
「あなたが船長じゃないんすか?」
「まさか。残念ながら、俺は副船長だよ。名はミリオ。ハンドとサウザとは義姉弟ってやつだ」
「姐御、本気ですか? 今の船長が許すわけが…」
 何か言い掛けたハンドの鼻先に、彼女――ミリオの裏拳が炸裂した。当たり所が良かったのか、勢いよく仰向けに倒れた彼は起き上がる気配がない。
「口は仕置きの元…ですね。ハンドが伸びてしまいましたよ。少しは手加減してもらわないと…」
「だったらサウザ、お前が運んでやれ」
「私がですか? 見た目通り重いんですよ、こいつは…。はぁ…仕方ありませんね」
 ミリオに睨まれて、サウザは伸びたハンドの腕を肩に掛け、彼を担いだ。
「よし、それじゃあ船長のところに案内してやる。あの人を説き伏せれば、サウスタイルも夢じゃないかもな…」
 どこか期待するようにマルソーとゴラスを見て、ミリオは快活な笑みを頬に刻んだ。


***


 港町と言うからには、他の地域の者の往来が多々ある賑わいのある町かと思っていたが、いざ外に出てみると違っていた。
 今は真昼時、町も活気付いてもいいと思うのだが、その様子はなく、閑散とする中に寂しさを感じた。
「ねえ、一つ訊いていもいい?」
「なんだ?」
 教えられた道を進み裏通りへと向かう途中、後ろを歩くレアに声を掛けられ、キトは振り返らずに声だけ返した。
「さっき、『あいつに何を言われるかわからない』って言ってたわよね? 『あいつ』って誰?」
「アンタには関係ないだろ」
 無愛想に返すキトに、彼女は悪戯でも仕掛けるかのような笑みを浮かべた。
「もしかして、彼女?」
「な…!? ア、アホかオマエは!!」
 予想していなかった問いに、キトは思わず振り返った。その声は明らかに動揺していた。
「阿呆とはひどい言い草ね。でも…女っていうのは、正解みたいねぇ」
 レアは彼の反応を面白がって笑っていた。からかわれている事が気に食わず、憮然として彼は何も言わずに踵を返した。
「ああ、怒った? ゴメンなさいね」
 キトの隣に早足に追いついて、レアは愛想よく笑った。だが、彼は見向きもせずに歩き続けた。
「そんなに怖い顔しなくても、ねえ? もっと会話を楽しみましょうよ」
「オレがそんな気分だと思うのか?」
「ううん、全く」
「あっさり言うな!!」
 怒りに声を上げるキト。それに対して大笑いをするレア。会話のペースは、完全に彼女に握られていた。

 それからややあって、町の雰囲気は変わった。静けさの中の寂しさが、不意に不気味さにすり変わった感じだ。日の当たる場所よりも影が多く、道の間隔も狭くなっている。
 その通りを抜けた先に、海を背にして酒場が一軒建っていた。看板には『VIKING HEAD』の文字がネオンサインに派手に輝いていた。
「ここで間違いなさそうだな。しかし、趣味が悪いな…」
 腕を組んでその看板を睨み、キトは次の一歩を躊躇っていた。しかし、レアは全く気にする様子はなく、
「ま、なるようになるでしょ」
 彼の躊躇っていた一歩をあっさりと踏み込み、彼女は意気揚揚と先へと進んだ。軽く舌打ちをして、彼も仕方なく続く。自分はとことん、この手の人間は苦手のようだ。出逢ってから、調子を狂わされっぱなしだ。
「失礼しまーす」
 押し開きの木製のドアを潜り、レアは店の中へ足を踏み入れた。店内の雰囲気は淀んだ空気のように沈んでいて、とても友好的とは言えないモノだった。
「雰囲気読めよ。アンタ、浮いてるぜ」
「う、うるさいわね。性格なんだから、しょうがないでしょ」
 溜息混じりに呟くキトに、振り返ってレアが抗議する。二人のやり取りを見兼ねてか、カウンターに座る大柄な男が視線を移した。
「なんだ手前らは…裏通りのモンじゃねえな」
「ああ、うん、まあね」
「へッ! ガキが二人で何の用だよ?」別の席から野次る声がした。「俺たちが何者か、知ってるのか? おい」
「ええ、知ってるわよ」レアはふんと鼻を鳴らして、挑戦的な笑みを浮かべ、その場にいる全員を見渡して言った。「海を恐れて、真っ昼間から丘でいじけて酒に明け暮れている、情けない海賊さんたちでしょ?」
 彼女の言葉に、場の空気が一気に険悪なモノへと変わった。キトは何か言おうと口を開けかけたが、その雰囲気に思わず口をつぐみ、余裕の表情を湛える彼女を訝って見つめた。
「クク…面白い姉ちゃんだな。この数を相手に、一歩も退かないか」
 一触即発の空気を破る声が、酒場の奥から聞こえた。テーブルの上に組んだ足を放り出し、横柄な態度を取っている壮年の大男がそこにいた。
「あなたは?」
「オレ様は、その情けない海賊たちの親分さ」ニヤリと蓄えた髭の下にある口を吊り上げ、男は口端に皺を刻んだ。「度胸はいいようだが、そこまで言われると、こいつらの気持ちは穏やかじゃないぜ?」
「そうですよ! 親分! やっちまいましょう、こんな奴ら!」
「その通りだ! 海の漢の名折れでさあ!!」
「そうだ! やっちまえ!!」
 次々と上がる不満と怒りの声。海賊の親玉を名乗る男は、「さあどうする?」とでも言いたげな瞳でこちらを見ているだけで、止める様子はなかった。
「なあ、『奴ら』って、オレも入っているのか? 言ったのはアンタだけだろ?」
「男が細かいことを気にしないの。それとも、逃げる?」
「ちッ…オレまで挑発する気かよ。聞いてねえぞ、こんな展開…」
 大剣に手を掛けて、キトはうんざりと溜息をついた。もちろん、剣を抜くわけではない。手加減するのは苦手だったが、逃げ場がないのだから仕方がない。
「よし! 背中は預けたぞ、キト。あたしたちの初陣を飾るわよ!」
「勝手に言ってろ」
 レアの言葉を適当に聞き流し、キトは自分の戦いに専念することに努めた。


***


「そういえば、お前たち、なんで南の大陸なんかに渡りたいんだ?」
 マルソーとゴラスを先導するミリオの何気ない問いに、マルソーは真剣な顔つきで答えた。
「約束したからです」
「へぇ…一途な顔してるな。男かい?」
「え、ち…違います! 確かに男だけど、そんな変な意味じゃありません!」
 顔を赤くして両手を振る彼女を見て、ミリオは愉快そうに笑った。
「悪かった。ちょっとからかってみただけだよ。で、そっちはどうなんだい?」
「僕っすか?」ミリオの視線を受けて、ゴラスは自身を指して言った。彼女は頷き、答えるように顎をしゃくった。
「えーとっすね…確か、『知的好奇心』とか言ってたっす」
「言ってた? ゴラスさん、一人じゃないんですか?」
「そうっすよ。一応相棒が一人いるっす。あいつも船の情報を探しているんすが、ちょっとルーズなところがある奴でね…」
 彼は思い出したようで、語尾を濁すとバツが悪そうに頬を掻いて苦笑した。
「それ…なんとなくわかります」
 マルソーも思い出したのか、言葉を返した。心配というか、手の掛かるというか、パートナーに対する気持ちがどこか似ていると感じた。
「お互い相棒持ちか。ってことは、4人ってことになるのか。今日は面白い日だぜ。サウスタイルに渡りたいって奴が、4人もだ」
「姐御、笑ってる場合ですか? 正気の沙汰じゃありませんよ」
 ハンドを背負って彼女の隣を歩くサウザが、呆れた声で彼女に囁いた。
「上等だぜ。ちょっとくらい飛んでた方が、あのふてくされた船長の刺激になるだろうよ」
「そうは言ってもですねえ…」
 ぶつぶつと言うサウザの頭を、ミリオは思い切り叩いた。
「いつまでもグチグチ言うな! 男だろ!!」
「す、すいません…」
「…あの、大丈夫ですか?」
「ああ、これはどうも。大丈夫ですよ。慣れていますから」
 マルソーに尋ねられ、照れ笑いを浮かべてサウザは頭を掻いた。その様子を見て、ミリオは「情けない」と一言吐き捨て、歩幅を大きくした。
「着いたぜ。ここが俺たちのアジトだ」
 裏通りを抜けた先の酒場、海を背にしてバイキングヘッドの看板は輝いていた。
「早速行くか…と言いたいところだが、その前にサウザ、そろそろそいつを落とせ」
「…わかりました」
 ミリオに言われ、サウザは背負っていたハンドをあっさりと地面に落とした。派手に地面にぶつかる音がして、情けない悲鳴を上げてハンドは目を覚ました。
「あたた…な、何事ですかい!?」
「やかましい! さっさと立って自分の足で歩きな!!」
 彼女は激を飛ばし、ハンドの尻を蹴り飛ばした。何が起こっているのか判らなかったが、とにかく彼女の機嫌を損ねないようにと、彼は慌てて起き上がった。
「それじゃあ、行くとするか」
 何事もなかったように晴れやかに言って、彼女はハンドとサウザと連れ立って酒場へと向かった。
「御立派っすね。じゃあ、僕たちも行くっすか」
「え、ええ…」
 彼らのやり取りを見て、呆気に取られているマルソーの背中を押してゴラスは笑った。彼女は頷き、促されるがままに足を前進させた。

「――お前ら!! なんだこの様はッ!!」
 と、酒場の入口まで来たところで、ミリオの怒鳴り声が響いた。何事かと顔を見合わせて店内に入った二人は、その光景にしばらく開いた口が塞がらなかった。
「あら、新手?」
「手前か! こんなことをしやがったのはッ!」
 伸び切った海賊たちの中心に立つレアに、ミリオは掴みかかろうと手を伸ばした。しかし、興奮しきった彼女の手は、あっさりとレアに弾かれてしまった。
「女に手をあげる気なの? って、なんだ。あなたも女か」
「余計なお世話だ!」
「おい! いい加減やかましいぞミリオ! 酒が不味くなる!!」
 それでもレアに食らい付こうとするミリオを上回る大声で、奥の椅子に座る親玉を名乗る男が怒鳴った。
「ああ、テラ親分。いらしたんですかい」
「バカが! オレ様なしで、この『アトランテ』は回らないだろう!!」
 豪快に笑う男――テラを横目で睨みつけ、ミリオは白けた声で吐き捨てた。
「ふん、どうでもいいけどね。どっちにしたって、こんなむさ苦しい所で飲む酒は美味いモンじゃないよ」
「けっ…言うようになりやがって…ガキはどんどん生意気になりやがる」
 テラはグラスに酒を注ぎ、一気に飲み干した。続けてもう一杯注ごうとしたが、ミリオはすかさず彼の手からグラスを引っ手繰り、それを阻止した。
「気取ってないで、この状況を説明してもらいたいな。なんで団員が全員伸びていて、船長のあんたが悠々酒なんで飲んでいられるんだい?」
「いちいち小うるさいヤツだなぁ…なに…あの姉ちゃんが、オレ様たちに喧嘩をふっかけてきたモンでな。少し可愛がってやろうと思ったら、逆にやられちまったのさ。すっかり腑抜けになりやがってよぉ…」
「…お前、一人でやったのかい?」
 ミリオは振り返り、改めてレアの顔を観察するように見つめた。
「それはちょっと、苦しいわね。彼の助力のおかげってとこかな」
 そうは言いつつも、レアは得意げに胸を張り、散らばった椅子とテーブルの方を立てた親指で示した。そこには、疲れきった顔で腰を下ろしているキトが、乱れた呼吸を整えていた。
「え…キト!? 何しているの!? こんな所で!?」
「ちッ…成り行きだ。ったく、あの女、人を散々扱き使いやがって…」
 驚きの声を上げて駆け寄るマルソーに、彼は恨み言を吐いてレアを睨んだ。
「この程度で疲れるなんて、スタミナ不足じゃないの? 思うに、君の身体のサイズに、その大剣は合ってないんじゃない?」
「ほっとけ! これがオレ流なんだよ」
「ふーん、まあいいけどね。で、そこの君が……あれ…?」
 マルソーに視線を移した途端、レアは急に言葉を切り、マルソーの顔を凝視し始めた。そして、しばらくした後、彼女の歓声のような驚く声が響いた。
「あああああ!! 君は、あの時の!!」
「え? わたし、ですか?」
「そうよ。君! ああ、そうか。どこかで見たことあると思ってたんだけど、あの時の子たちだったわけね!」
「…おい、一人で納得しているみたいだが、こっちは何のことかサッパリだぜ…」
 マルソーに続いてキトを見て、レアは何度も大きく頷いていた。呆然と彼女を見上げる二人だったが、彼らの疑問の解答は、レアの背後に立った彼女のパートナーかの口から出された。
「キミたち、マナ国家跡の遺跡で、かなり危ない状況だったっしょ。ザイって人から聞いてないかな。二人組みが助けてくれたって」
 それを聞いて、マルソーは「あっ」と口に手を当てて驚いた顔をした。キトも「そういえば…」と記憶を辿り、思い当たったようだ。
「まあ、キミたちが目を覚ます前に、僕たちは行ったから覚えてなくて当然っすね。改めて自己紹介しとくっす。僕はゴラス・ラック。そしてこいつが」
 ゴラスはレアのポニーテールを引っ掴み、彼女の頭をねじ伏せるように脇に引き寄せた。
「あうあ! ちょ、髪引っ張らないでよぉ!!」
「わめくの禁止」
「あだ!」
 声を落として、ゴラスの平手がレアの脳天に炸裂した。
「こいつが、一応相方のレアっす。二人で旅人してます。以後よろしくっす」
 彼はにこやかに挨拶するが、脇にいるレアは頭を押さえてかなり痛がっている様子だった。
「う、うう…あたしが何したって言うのよぉ〜…酷い、酷いわ…」
「嘘泣きも禁止だ…人の居ない間に、何騒ぎを起こしてるっすか!?」
「だから、それは成り行き上仕方なく…」
「かなり乗り気だったような気もしたがな」
 言い訳をしようとするレアに、キトがボソリと横槍を入れた。
「あ、ちょっと! 何を勝手に……だあ!!」
「わめくの?」
「き…禁止…」

 ひとまずゴラスは腕からレアを解放し、愚痴のような小言をしばらく並べた。小さくなって正座するレアは、しょんぼりと項垂れてそれを聞いていた。

「――ね、ねえ、そろそろいいでしょ。皆さん、待ってくれているみたいだし…」
「ん…まあ、そうっすね。まあ、今日はこのくらいで終わっとくっす」
「もういいのか?」
 二人のやりとりが終わろうとしているのを見て、ミリオがすっかり興奮も冷めた声で訊ねた。ゴラスは大きく溜息をついて、とりあえず頷いた。
「ご迷惑をお掛けしたみたいで、すまなかったっす」
「気にすることはねえぜ兄ちゃん。久々に、イイモノ見せてもらったんだからな」
「仲間をのされて、それでいいのかよ。あんたは…」
「けっ、それだけ軟弱になっちまったってことだろ! オレ様たちも、落ちたもんだな。『アトランテ』の名が泣くぜ!」
 テラはミリオから酒を奪い返し、一杯一気に仰いだ。
「それで? 結局手前らは何用でここに来たんだ? ミリオの客人も、見たところ同じ目的のようだな…。話してみろ、オレ様が直々に聞いてやらぁ」
 彼は椅子を引き、こちらに来るように勧めた。忘れかけていた本題にようやく入ることができた四人は、その目的を告げた。南の大陸へ行くために船を出して欲しいということを。

「そうか…南へねぇ…若い故の勇気か…無謀か…、まあオレ様にはどっちでも構わんがな。悪いが、無理だ。他を当たってくれや」
「そんな…!」
 テラの返答に、マルソーが悲壮な声を上げた。彼の隣に立つミリオは、それが判っていたように、小さく舌打ちをしてそっぽを向いていた。
「何か、わけありみたいっすね?」
「手前らも知らないわけじゃあるまい。『デッドカレント』をな…」
「デッドカレント?」
「なんだ、知らないのか?」キトの疑問の声に、ミリオが呆れたといった顔をした。
「よくそれで、サウスタイルに渡りたいなんて、言えたモンだな」
「『死の魔海域』…港がやけに寂れているのは、そういうわけっすか」
「それって、なんなんですか?」
「えーとね…中央大陸センタリアスを覆う『黒衣の霧』、その瘴気の影響で、サウスタイル周辺の一部の海域に変化が起こったのよ。瘴気ってわかるわよね。触れたモノの命を蝕むっていう、かなり危ないヤツよ」
 聞いたことがある。東西南北の中央に囲まれる形で、中央に位置する大陸センタリアス。そこには魔族の巣窟と言われ、彼らの持つ邪気が黒き瘴気となり、大陸を覆っているのだ。それが通称、『黒衣の霧』。
 実際間近で見たことはないが、常人が触れればたちどころに命を食われるという。それを裏付けるモノは何も無いが、過去センタリアスを目指して返って来た者は誰一人としておらず、その危険性は充分に証明されている、この世界の驚異である。
「ゴラスとレアか。手前らは南へ渡るっていうリスクを、それなりにわきまえているみてえだな。それでも行きたいっていうなら、オレ様がどうこう言うこっちゃねえ。だが、オレ様は連れて行けねえ」
「どうしてよ? やっぱり、あんたたちはただの腰抜けなの?」
「ちょい待ち! 親分は、決して腰抜けじゃありませんぜ!」
「そうですとも! 私たちの親分は、勇敢な海の漢です!」
 ハンドとサウザが、テラを庇うようにレアの前に立ち塞がった。対照的な二人のコンビに凄まれて、一瞬レアは目が点になった。
「やめろ、お前ら。その女が言うように、船長は腰抜けさ…期待した俺がバカだったよ」
 二人を制したのはミリオだった。彼女は苛ついた目つきでテラを睨み、荒い足取りで酒場を出て行こうとした。
「姐御!? 待ってくだせえ!」
「よせハンド。行かせてやれ。オレ様は、臆病風に吹かれた腰抜けなんだからよ。言い返せやしねえなんて、情けねえな」
「そんなことはありません、親分。海に出れないのは、海域に魔獣が棲みついたせいでしょう?」
「魔獣? もしかして、その魔獣のおかげで、この町の人を含めた誰もが、海に出られないんっすか?」
「そうですぜ! 親分はオイラたちの身を案じて身を引いてくれているんです! もう、誰も犠牲にしないためにも!!」
「うるせえぞ手前ら!!」
 グラスをテーブルに叩きつけ、ハンドとサウザをテラが怒鳴りつけた。そして、静まり返った酒場に、彼の苦渋の声が零された。
「オレ様たちの仲間は、あの海域に何人も呑まれ、死んでいった。仇を討ちてえのは山々だがよぉ…勝算のない戦いなんかして、また無駄に仲間を失うのはゴメンだ。そんなことをして生まれるのは、また後悔するだけだからな…」
 彼は淀んだ瞳を力無く上げ、詫びを入れるように四人を順に見た。
「帰ってくれねぇか…オレ様じゃ、力になれん」


***


 夕暮れに染まるアトランテを見上げ、ミリオは悔しさに歯噛みした。
「何のために、こいつはあると思っているんだよ…」
 この船が海を行く姿を、どれくらい見ていないだろうか。魔獣に襲われた事故以前は、町で滞在する時間はほとんどなく、生きた時間は海の上の方が長いくらいだったのに。
 首に掻けた懐中時計の蓋を開けると、その裏には一枚の写真が貼られていた。
 アトランテの甲板で並んで写る三人。真中には10代前半くらいの頃の自分がいた。左隣には、魔獣の事故で亡くした母が笑っていた。黒髪で褐色の肌は、自分でもよく似たモノだと思う。違いと言えば、母の方は長かったことくらいだ。
「ミリオさん!」
「ああ、お前らか。その顔じゃ、結局ダメだったみたいだね」
 意気消沈した四人の顔を見て、ミリオは苦笑した。
「ちょっとは期待していたんだけどね。悪かったな、連れて行ってやれなくて」
「まあ、船はこれだけじゃないっすから、他を当たってみるっすよ。気にしないで下さい」
 ゴラスは肩をすくめ、軽く笑ってみせた。だが、その横で眉間に皺を寄せたキトが小さく呟く。
「望みは薄そうだがな…」
「マイナス的発言は控えなさい、少年。あたしがついてるんだから、きっとなんとかなるわよ!」
「その根拠のない発言も控えて欲しいっすね」
 あくまで楽観的なレアに、ゴラスの視線が飛ぶ。
「ハハ…何はともあれ、上手く行ったら教えてくれ。見送りくらいはしてやるからな」
「はい。でも、残念です。この船が、ここで一番立派のように見えたし、ミリオさんも良い人なのに…」
「は! これからサウスタイルに渡ろうって奴が、そんなにしょぼくれた顔をしてどうするんだよ。それに、俺は海賊だぜ? 良い人なんて柄じゃないさ」
 俯くマルソーの頭に軽く手を置き、ミリオは笑った。それにマルソーもまた、微笑を返す。
「それじゃあ、とりあえず宿に戻るっすかね。色々あって、昼食を取り損ねたっすから…」
 ゴラスの言葉に「そう言えば」とレアは腹をさすった。当座の目的は、ひとまず決まったようだった。
「また、会いに来ますね」
「ああ、またな」
 四人を見送り、ミリオはもう一度アトランテを見上げた。もはや、誰もが諦めてしまったが、いつでも出航できるように手入れは欠かしたことはない。
「いい加減…目を覚ませよ。親父…」
 写真に写ったもう一人の人物、テラを見て苦々しげに呟く。妻を死なせたことで、今では頑なに海に出ることを拒んでいるが、この写真の頃の方が、よっぽど彼らしい。
 彼女は気を引き締めるためにバンダナを結び直し、整備のために船上に続く梯子を登った。バンダナは母の残した唯一の遺品。母が生きた証は、常に自分と共にあるのだ。
 日は沈みかけ、青い海が紅く染まる。それが、酷く寂しく感じる。こんな日々が、いったいあと、どれだけ続くと言うのだろうか……



〜後書き〜

どうも、ひ魔人です。
 今回で新たな旅の仲間、レアとゴラス。前回の謎の二人組みは彼らでした。
 人数が増えると雰囲気が変わりますね。書いていて楽しいし、それぞれが勝手に動いてくれて楽でもあります。そのおかげで、余分なパートも増えていたりもするのですが。

 ここからは、新キャラ『アトランテ』の面々について。
 最初、ハンド、サウザ、ミリオは三兄弟って設定でした。しかし、男が増えてきたので、バランス取るためにミリオが女性になってしまいました。男性的な女性っていなかったので、面白いかなと。結果的に、設定の輪が広がりました(笑)。
 これは蛇足ですが、3人の名前は『百』、『千』、『百万』の数の単位から取ってます。テラだけ系統が違いますが、彼も数値の単位です。特に意味はないのですが。

 船を手に入れるために話し合いをする4人。そこでレアが提案する秘策とは…? アトランテは再び海に出ることができるのか?
 そひでは、また次回にお会いしましょう(座礼)。


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