BRAVERS STORY
〜交錯する時の欠片達〜


〜第十四話「偶然と必然の狭間」〜


 酒場の客の視線が、あるテーブルへと途切れ途切れに注がれていた。
「いやー、まさか断られるなんてね」
 船を出してもらうというアトランテとの交渉を失敗に終えたマルソー、キト、レア、ゴラスの四人は、宿に戻って昼食を兼ねた夕飯を共にしていた。
「しかし、よく食うな……」
 キトは向かい座るレアの前に並ぶ料理を見て、呆れたように呟いた。
「そりゃ、昼を食べ損ねたからね。その分取り戻さないと、栄養が足りないわよ」
 彼女のさも当然といった返答に、キトは閉口した。
「まあ、みんなで食べれば問題ないっすよ。出逢いを祝してってことで」
「あら、景気の良いこと言うわね」
「そりゃあ、マナ国家の魔物退治で得た収入があるっすから。少しだけ、うちの財政は潤ってるんっすよ」
「なるほどねぇ」レアはスライスされた肉を一切れ掴み、ひょいと口へ放り込んだ。「じゃあさ……」
「酒は禁止っす」
「ええ! あたし、まだ何も言ってないのに!」
「いや、言わなくても分かるから」
「あたし、もう二十歳よ! 大人よ!!」
「いや、そういう問題じゃなくて」
「おい、ちょっといいか?」
 放って置くとしばらく続きそうだったので、キトは頃合を見計らって二人のやりとりに横槍を入れた。
「今まで気になっていたんだが、その金って、オレたちが貰うはずだった報酬から取ったモノなんだよな?」
「ええ? 何を言っているのよ? あたしたちは、正当な報酬を貰ったのよ。人聞き悪いわね」
「なるほど……つまり、君はこう言いたいわけっすね。君たちが散々苦労して戦った獲物を、最後に横から現れた僕たちが取ってしまったと」
 彼の胸中を見透かしたように、ゴラスは薄く笑った。まさにその通りであったために、キトは何も言い返すことが出来なかった。
「ふうん、そういうことか」気分を害した様子もなく、レアは一切れ口に運んだ。「貧しいって嫌よね。特に、心が」
「おい、それはオレのことか?」
 レアは答える代わりに、「他に誰が?」と言いたげな余裕の笑みを浮かべていた。キトはムッとした表情をして彼女を睨んだ。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ?」
「けっ、心が潤ったからって、飯が食えるわけじゃないんだ。貧しくてけっこうだ」
「あら、そう? じゃあ、こっちからも一つ助言しておいてあげるわ。この程度のことで横取りなんて言ってちゃ、世の中なめている証拠よ!」
 そっぽを向いて言葉を吐き捨てるキトだったが、レアは身を乗り出して彼の顔を掴み、無理矢理正面に向かせた。間近に迫った彼女の真摯な瞳に気圧されたように、彼は身を退かせた。
「別になめているわけじゃねえよ。オレは、正当な権利を」
「それは誰が決めた正当さなわけ? 誰が!? いつ!? どこで!? そんな常識、さっさと捨ててしまいなさい。キミって突っ張っているけど、中身はそうでもないみたいね」
「――な! なんだと! オレはなぁ!!」
「いい加減にしなよ! もう、みっともない」
 思わず席を立とうとしたキトの肩を掴み、マルソーは彼の行動を止めた。ゴラスも無言でレアのポニーテールを引っ張り、彼女の勢いを止めていた。
「ゴラス! 止めるのはいいけど、髪を引っ張らないでよね!」
「いやぁ、スイッチみたいで面白くって」
 本気なのか冗談なのか、ゴラスは笑いながら手を離した。扱い慣れているというのか、怒るレアに対しても、まったく動じていない。
「スイッチって、あんたねぇ……」
「いいからいいから」
 拳を固める彼女だったが、憮然として席に腰を下ろした。様子が落ち着いた頃を見計らって、ゴラスはマルソーとキトに向き直る。
「ま、こいつの言うことも一理あるっすよ。そうっすね……、あの時のキミたちは全員瀕死状態だったから、状況から考えると、最悪のケースは身包みはがされて野垂れ死にってとこっすかね」
「の、野垂れ死にですか……」
「ま、そう深刻な顔しないで。あくまで仮定の話っすよ」
 空笑いするマルソーに、ゴラスはあくまで軽い口調で返した。仮定であろうがなんだろうが、勝手に殺されてはたまったものではない。
「つまるところ、命が繋がっただけでも奇蹟に近い状況だったキミたちを、わざわざ町まで運んで介抱してあげた僕たちは、かなり有難い存在というわけっす」
「アンタたちの行動を正当化しているようだが、横取りした事実は変わらないだろ」
「あ、やっぱりそうっすか?」
 冷静に突っ込むキトに、ゴラスは悪びれた様子もなく笑った。もはや怒りを通り越して呆れたキトは、大きな溜息をつき、椅子に大きくもたれた。
「そもそも、魔獣を一匹退治したのは、あたしたちなのよ。報奨金の三分の一は、あたしたちに受け取る権利があったわけ。ピンチを救って上げたってことで、もう三分の一はもらって当然ね。どう? 文句無いでしょ」
「わかったよ……もう何も言わねえ」
 これ以上議論しても疲れるだけと悟り、キトは大人しく夕飯を奢ってもらうことで手を打つことにした。マルソーは、もとから異議などなく、場が落ち着いただけで安堵しているようだった。
「で、何の話してたんだっけ?」
「お前が良く食べるってことっす……ま、どうでもいいっすね。とりあえず、今後の行動は明日にでも考えるとして、今は食べるっすよ」

 それからは、とりとめのない雑談、旅先の出来事などをしながら、ゆっくりと時間は流れて行った。腹を満たせば、「また明日に」と、互いの部屋へと戻ることになった。

「わたしたち、どうなるのかな?」
 部屋に入ると、マルソーは早々にベッドに腰を下ろし、疲れた溜息をついた。
「さてな……泳いででも渡るか?」
「もう!」彼女はキッと瞳を上げ、キトを睨んだ。「そんなこと、できるわけないじゃない!」
「もっともだな」
「真面目に考えてるの? わたし、不安だよ。うまくやれるかどうかって……」
「不安がっても不安が拭えるわけないだろ。できる範囲でやってみるしかないってことだ」
「それは、そうだけどさ……」
「なら、これ以上余計なことは考えるな」うんざりと吐息して、キトは話を切り上げた。「とっとと寝ようぜ。今日は、ただでさえ変な奴に引っ張り回されて疲れているんだ」
「うん……そうだね」
 マルソーは頷いて立ち上がると、窓の方へ歩いた。カーテンを閉めようとした彼女の視界に妙なモノが映ったのは、その時だった。
「あれ? ちょっと、キト」
「ああ?」既にベッドに寝転がっているキトは、生返事をした。
「いいから、ちょっと来てよ!」
「――ったく、うるせぇなぁ……なんだよ?」
 気だるい動作で彼女の側まで行くと、キトは彼女が指す方向を見た。
「ほら、あそこ」
 夜の闇で前方は見えにくかったが、目を凝らしてようやくそれが何なのか判った。
「あいつら、何しているんだ?」
「やっぱり、レアさんと、ゴラスさんだよね」
 後姿から、彼らであるということがわかった。キトは彼女の言葉に頷いた。
「そうだな……」月が静かに照らす通りを進む二人の背中が消えたところで、彼は踵を返した。「追うぞ、何かありそうだ」
「あ、待ってよ!」
 警戒心からか、大剣を背負って部屋を出るキトを、マルソーは慌てて追いかけた。


***


 宿の入口を飛び出して街道を見回すが、二人の姿は、とうになかった。
「ちッ、何処に行きやがった?」
「確か、あっち……港の方だったよね」
 そう言ってマルソーは南へ続く街道を指した。
「港……どうにも嫌な予感がするのはオレだけか?」
「そんなの、わからないよ……」
 うんざりしたように額を抑えながら、キトは呟いた。「とにかく、行こう」とマルソーに促され、彼は駆け出した。

 しばらくして二人は港に出た。暗がりの中、かろうじて前方を歩く二つの影を見つけると、キトは言葉を投げた。
「おい、どこに行くんだよ」
 彼の言葉にビクリと反応を示し、影はゆっくりとこちらを振り返った。予想通り、それはゴラスとレアだった。
「それは秘密です」
 レアは振り向き様にウインクして言ったが、速攻でゴラスに叩かれた。
「変なことをするな」
「失礼ね。変なことってどういうことよ!」
「オレたちは、速攻で無視か?」
「あ、ゴメンね。はい、用件をどうぞ」
 どうぞと潔く譲られても、返答に困る。キトはしばらく頭を掻きつつ考え、切り出した。
「……どうやら、また明日にってのは、嘘みたいだな」
「あら、嘘じゃないわよ。ちゃんと置手紙は残してきたし」
「知るかっ!」
「あの……いったい何をするつもりなんですか? ここって、港ですよ」
 目でキトを制止して、マルソーはゴラスとレアに真剣な目を向けた。シリアスな雰囲気が苦手なのか、バツが悪そうにレアはあさっての方向を見つていた。
「仕方ないわね。見つかってしまったものは仕方がないわ。言いましょう、ええ! 言いましょう!!」
 諦めたように肩を竦め、大仰に叫ぶレア。
「言うならさっさと言ってくれ」
 そして、冷たく突き放すキト。
「適切な言葉っすね」
 大いに同意して頷くゴラス。
「もう、わかったわよ。言うわよ。ちゃんと聞きなさいよ」
 拗ねたように口を尖らせ、レアはようやく喋る気になったようだった。そして、彼女はこれから起こす行動を率直に述べた。
「なあに、簡単な話よ。アトランテの船を盗んじゃうのよ」
 数秒後、マルソーは理解し切れていない顔で目を瞬かせ、キトは嘆くように額に手を当て、空を仰いでいた。
「そいつは、穏やかじゃねえな……」
「盗むって、その、つまり……」
 あまり良くない反応に、レアはいささか不満そうな顔をした。
「だから、盗むのよ。船がないなら、無理矢理にでも手に入れちゃえばいいのよ! 単純なことだわ! そう、世の中シンプルが一番だったのよ!」
「シンプルなのは良いが、方向性が間違っている気がするぞ」
 力説振りは伝わるが、それに同意するかと言えば、話は違う。
「まあ、こういう性格っすから」
 唯一の彼女のパートナーであるゴラスは、純粋なまでに諦めモードに入っていた。
「なんだか、あまり良いように解釈はされなかったみたいね」
 こんなに素晴らしいアイデアなのに何故!? とでも言い出しそうな剣呑な口調で、レアは言った。
「当たり前だ。犯罪云々以前に、船を動かせるのか!?」
「だったら、アトランテの奴らを数人捕まえてやるわよ。問題ないでしょ」
「今度は人さらいですか……?」
 マルソーは尻込みしてレアを伺った。彼女の声は、聞く限りでは本気だった。
「少しは落ち着いたらどうっすか」
「うるさい、アンタも共犯だろ?」
「そうよ。あたしたち、運命共同体」
「気味の悪いことをぬかすな」
 ゴラスは自慢げに肩を組もうとするレアを軽くあしらい、微苦笑した。
「ま、そう邪険にしないで。僕も船を盗むなんて、本気で考えてないっすよ。こいつがこんなだから、仕方なくね」
 緊張感のない軽い口調に、キトはいくらか気勢を削がれた。それを見て、ゴラスは少し真面目な調子にして続けた。
「現実的な話をすれば、サウスタイルに渡るにはデッドカレントを通過しなければならない。僕たちみたいな素人が風任せに船を運ばせても、死ぬだけっす。つまり、僕たちはどう足掻いても、彼らアトランテの協力を仰がなくてはいけない」
「じゃあ、最初から、もう一度説得するために?」
「レアがどういうつもりだったかは、ともかくとして、僕はそのつもりだったっすよ」
 ゴラスの答えに、マルソーは安堵の表情を浮かべた。
「……おい、オマエまさか、やるって言ったら本当にこいつらの片棒担ぐ気だったんじゃないだろうな?」
「え!? そ、そんなこと、ないよ……うん」
 心底ホッとしている彼女を不審に思ったキトだったが、どうやらその通りだったようだ。
「――お前ら、さっきから聞いていれば、好き勝手言ってくれるじゃないか」
 闇夜に、不意に第三者の声がした。全員が驚きと緊張に向き直ると、そこにはミリオが憮然とした顔をして立っていた。
「話は全部聞いたぜ。俺たちの船を盗むだと?」
 彼女はレアを軽く一瞥して、棘のある声で言った。レアは、特に悪びれた様子もなく、肩を竦め、
「どこぞの海賊の船長が、聞き分けのない困ったさんだからね」
「は、全く、その通りだな。悪いが、挑発には乗らないぜ」
 ミリオは苦笑気味に頬を緩め、踵を返した。
「付いてきな。特別に招待してやるよ」
「え? ど、どういうこと……かな?」
「さあて、どういうことっすかね。ま、ひとまず風向きは良好ってとこっすか?」
 困惑した様子で仲間三人を順に伺うマルソー。ゴラスは楽観的に笑い、ミリオの後に続いた。
「そうね。あたしたちも行きましょ。いざとなったら、力尽くで逃げ出せばいいことよ。もしくは、奪っちゃう?」
「あんたの思考にオレたちを引きずり込まないでくれ。行くぞ、マルソー」
「あ、うん!」
 急ぎ足で歩き出すキトに手を引かれ、マルソーは小走りになりながら、彼と連れ立っていった。
「連れないなー。ま、いいけどさ」
 一人残されたレアは、とりあえず皆の後を追うことにした。面白くなりそうな事態に、微かに邪気のある笑みをうかべながら。


***


 船に乗り込んだ五人は、まずは甲板に出た。前方には、黒い闇に沈んだ海が広がり、潮の香を孕んだ冷たい夜風が、そこから吹き込んできていた。
「で、どうして、あたしたちいを招き入れたのかしら? 話し相手を探していたってわけじゃ、ないわよね」
 レアは夜風を胸一杯に吸い込み、一頻り楽しんでから話を切り出した。
「まあな……お前ら、本当にサウスタイルに渡りたいのか?」
「……渡りたいと言えば、渡らせてくれると? それだったら、いくらでも言うっすよ」
「そういうことじゃねえって。本気の目をしていたからな。特に、そこの二人だ」
 マルソーとキトに目をやり、ミリオは言った。
「訳ありだったよな? 良かったら、詳しく聞かせてくれないか。場合によっては、考えないこともないぜ」
「なんで、オレたちがアンタに過去を話さなくちゃいけないんだよ」
 詮索は好きではない。キトは態度を構えてミリオを見据えた。
「久しぶりに、意志のある目をみたからな。凄みがあるっていうか、やってやるぜって感じの目だ」
 ミリオは自嘲気味に笑い、黒い海の遠くを見つめた。
「実はな、うちのクソ船長は、俺の親父なんだよ」
「親父? それって、父親ってこと?」
「ああ、義理だけどな。実を言うと、母さんも海賊でね。二人はお互いに宿敵だったそうだ」
「なんだか、凄い話ですね……」
 驚きと感心を同居させたような表情で、マルソーは息を漏らした。
「まあ、俺の本当の親父を亡くして、海賊から足を洗っていたから元海賊だな。母さんはアレだ、未亡人ってやつ」
「そこに船長が目を付けたと?」
「言い方は悪いが、そういうことだ。幼心に、毎度あのクソ親父が、母さんを訪ねにきたときのことを覚えているぜ」
 当時を思い返し、ミリオは瞼を閉じた。
「細かいことは聞いてはいねえが、結局母さんは折れて親父と一緒になった。まあ、陸で生活できる身体じゃなかったのかもしれないな」
「なるほどね。だいたい、話は見えたわ」
 そこまで聞いたところで、レアは得心した様子で頷いた。
「あなたのお母さんは、海賊の血も手伝って、船長と一緒になった。そして、デットカレントで命を落とした。責任を感じた船長は、海に出るのが怖くなった」
 語るレアに、ミリオは複雑な表情をしていたが、やがて、バカらしそうに息を吐いた。
「そうだ。母さんを死なせたと思って、俺に勝手に負い目を感じているんだ。くだらないよな」
「……だいたい事情はわかった。だがよ、それで、オレたちが引き下がる理由にはできるってわけじゃないだろ」
 同情するでもなく、キトはあくまで自分たちの問題を優先して言った。理由を理解しただけで、方策自体は変わらない。船が必要なのだ。
「そうだな。だが、俺が言いたいのは逆だ。俺個人の感情では、お前たちに、この船をやっても良いと思っている」
「ええ!?」
「そんなに驚くなよ。あくまでアイツの一存ってことだろ」
 驚くマルソーに対し、キトは冷静だった。
「港に留まりっ放しじゃ、船の意味がないからな。どうせなら、使ってもらった方がこいつも幸せだろうよ。実を言うと、見張りをサボって散歩していたところ、お前たちを見つけたんだぜ」
「そりゃあまた……感心しない話っすね」
「良いんだよ、別に。なんだったら、本気でお前らの仲間になってやろうか?」
「そんな! ダメですよ!」
 冗談めかして笑うミリオに、突然マルソーが叫んだ。大人しくしていたためか、ミリオは一瞬驚いた顔をするも、すぐに表情を戻した。
「ムキになってどうした? 望みどおり、船が手に入るかもしれないんだぜ」
「捨てるみたいな言い方、しないで下さい! そんなことされても、わたし、嬉しくありません!!」
 マルソーはミリオの言葉に憤った声で反抗し、哀しげな顔をしていた。。
「本当にやめる気なら、みんなここに留まったりしませんよ! この船は、皆さんの拠り所なんでしょう!? それを奪うような真似、わたしにはできません!!」
 マルソーの真剣な瞳に見つめられ、ミリオの笑みは消えていた。おそらく、マルソーの声は核心を突いていたのだろう。戻りたいけれど、簡単に戻ることを許容できない。いつ崩れてもおかしくない、そんな不安定な足場に立っている。
「お人好しなんだ。でも、嫌いじゃないわよ、そういうの」
「ええ!? あ、あの……」
 唐突に、レア愛しそうにマルソーの頭を撫で始めた。マルソーは少し頬を紅潮させ、困惑した様子でそれを受けていた。
「――で、そちらさんの判断は? 僕らの仲間になる?」
 黙りこくったままのミリオに、ゴラスは声を掛けた。
「そいつは出来ないな。うちの副船長を、勝手に連れて行ってもらっちゃ困る」
「……いたのか、クソ船長」
 聞き覚えのある声に振り返り、ミリオは現れたテラを睨んだ。
「ったく、何か騒がしいと思ったら……ミリオ、勝手にオレ様の気持ちを決めるんじゃねえぞ」
 やれやれと、面倒そうに呟き、テラは来客である四人に向き直った。
「話は聞いていた。手前らがどう思っているかはしらんが、オレ様の気は変わらん。帰りな」
「……そのつもりです。ご迷惑をお掛けしました」
「マルソー? おい!」
 素直に頭を下げ、立ち去ろうとするマルソーの肩を、キトが掴んだ。
「どういうつもりだ」
「もう、いいんだよ。船なら、また誰かに頼めるかもしれないし。これっきりってわけじゃないから」
「それはそうかもしれないがよ……」
「ま、確かにそうよね。別に、この人たちに頼らなくたって、また宛をつければいいだけの話よ。けどね、ここで帰るのは、ちょっとずるいんじゃないかしら?」
「え?」
 非難の言葉をかけられ、マルソーは思わずレアの顔を見上げた。
「散々言っておいて、はいさよならじゃ、向こう側が納得しないってことよ。
 ポンとマルソーの頭に手を置き、レアは腹に一物もった笑みを浮かべて見せた。
「君は頑張ったから、お返しに、お姉さんも頑張ってあげよう」
 彼女は手を離し、テラの方に向き直った。
「そういうわけだから、もう少しお話しましょ」
「手前もしつこいな。何もないと言っているじゃねえか!!」
 若干怒気を込めて、テラは脅しをかけるように怒鳴った。だが、レアはどこか冷めた目つきで軽く受け流した。
「そうやって、逃げるのね」
「なんだと!?」
 今までの彼女からは想像ができないほど、見透かしたように冷たく、棘のある言い方だった。
「想い出があるだけ、まだマシなんじゃない。時々振り返って感傷に浸ってさ。そういうのも、悪くないって思うわよ。思い出してあげないと、可哀想だもんね。でもね、いつまでも縋り付いていたら、相手は迷惑するだけよ」
「手前になにが……」
「あなた、この子の言葉を聞いて、怖くなったんじゃないの? 自分がどれだけ海に出たいか。でも、何もできずに陸でいじけてばかりで、仲間を傷つけるって言い訳して、自分の臆病さに気付いて怖くなったんじゃないの?」
 テラは反論しようとしたが、彼が言葉にする前に、レアは次々と言葉を連ねていった。的確に弱いところを突いて、それが自分の一番痛いところを刺激してくる。彼にとっては、まさに言葉の刃だった。
「……とことん、言ってくれるじゃねえか」
 テラは打ちのめされた声で、うめくように言った。
「ここまで言われると、逆にスッキリするってモンだな。オレ様も男だ。女にそれだけ言われて黙っているわけにはいかねえな」
 そう言って、テラはどこか吹っ切れたような顔をした。
「わかった。船を出してやってもいい」
「本当に?」
「ああ、オレ様に勝てたらな」
 勘繰るように言うレアに、テラは不適な笑みを満面に称えた。
「こいつだ、こいつ! ハンド! サウザ!! アレ持って来い!!」
「合点だ!!」
「承知!!」
 いったい何時の間に潜んでいたのか、物陰から、人一人分はあろうかという巨大な樽を抱えたハンドとサウザが現れた。二人はテラとレアの前にドン、と勢よくそれを置いた。その中は透明な液体で満たされており、それが持つ特有の匂いがした。
「お酒?」
「おうよ! 幸い、今宵は空も晴れている。月見酒といこうじゃねえか。飲み比べだ!!」
「あー、ちょ、ちょっと待って欲しいっす」
 何か言いにくそうに、不意にゴラスが口を挟んだ。
「何だ、兄ちゃん。何か問題でもあるのか?」
「一個人として、かなり」
 ゴラスは即答して、樽の中身を丹念に観察しているレアに一瞬視線を送った。何か、得たいの知れない不安でも感じているかのように。
「だがな、オレ様は船長だ。そして、お前たちは仲間(クルー)になろうっていうんだ。オレ様の酒に付き合えないようじゃ、この船には乗せられないってモンだぜ」
「うんうん、さすが船長。良いこと言うわ!」
「お前は単に飲みたいだけだろ!」
 いつもの調子で手を上げたゴラスだったが、この時のレアは一味違っていた。彼女は瞬時に前に踏み込んで手を回避し、カウンターで彼の鳩尾に肘鉄を食らわせていた。
「……っ!!」
「あら、ごめんなさい。躓いちゃったわ」
 両膝を付いてうずくまるゴラスに、レアは邪悪な笑みを作って彼を見下ろしていた。完全に勝者の位置である。
「と、いうわけで、さあ! 勝負よ!」
 ビシッと人差し指を突きつけるようにして、彼女はテラに宣戦布告をした。
「面白ぇな。じゃあ、一気にいかせてもらおうか!」
 テラは樽を両腕で抱えて持ち上げると、一気に口の中に流し込み始めた。彼の豪快な飲み方に、レアはしばらくその様子を呆然と眺めていた。
「ハハハ! 今日はいつもより調子が良さそうだな! そっちも飲んだらどうだ!?」
 半分ほど消化したところで、彼は樽を置いて楽しそうに笑った。表情はケロリとしており、かなりの酒豪さを見せ付けていた。
「ふーん、少しは楽しめそうね」
 レアは言い返すと、負けじと樽を抱え、テラと同じように酒を飲み始めた。その飲みっぷりに、今度はテラが呆然とする番であった。
「ふぅー……良いわね。あ、聞いてなかったけど、後から酒代請求するのは、なしだからね」
 頬を若干染め、レアは頬を緩めながら言った。酒は3分の2ほど消化されていた。
「言ってくれるじゃねえか。もちろん、オレ様の奢りだ。ハンド! サウザ! 追加用意しとけよ!!」
 この一発で終わりだと思っていたら、相手はかなりのやり手だったようだ。テラは、久しく出会った宿敵に敬意を評し、酒の追加を言い渡した。

「迂闊……っす」
 ゴラスはうめきながら上体を起こし、完全に二人の世界に入ってしまったレアとテラの飲み合いを見守っていた。
 酒が絡むとレアは強くなる。忘れていたわけではないが、迂闊にも油断していた。まったくもって、情けない。自分が嫌になる。
「あの、大丈夫ですか?」
 気が付くと、マルソーが顔を覗き込ませていた。いったい自分はどんな顔をしていたのだろうか。彼女の酷く心配した顔に、ゴラスは誤魔化すように苦笑した。
「ああ、どうも。出逢ったばかりのこの僕に、心配をありがとう。まあ、いつものことっす」
「いつもって、かなり『きている』みたいだぜ、アレ。よく相手をしていられるな」
 ペースが落ちるどころか、逆に更なる盛り上がりを見せようとしている酒豪二人を遠巻きに見て、キトは嘆息した。
「まあ、慣れっす。苦労はするけどね」
「え……と、止めないんですか?」
 腕組みをし、腰を落ち着けて傍観するゴラスに、マルソーは訊ねた。
「今のあいつに何かすることは、食事中の獣から獲物を奪うことに等しい。噛み付かれるのはゴメンっす。それに、レアが勝てば、船を出してもらえるんだから、是が非でも勝ってもらうっす」
「割り切りやがったな」
「一線を越えたら、もう後には引けないっすからね」
「……でも、大丈夫なんですか?」
 それでも、マルソーは不安を拭い切れておらず、ゴラスに食い下がった。
「大丈夫とは、何が?」
「その、あんなに飲んで。勝てるかどうかもわからないのに……」
「ああ、そんな心配は無用っす。あいつ、頑丈だし。負けることはないと思うっすよ」
 軽く笑ってあっさり流すゴラスに、マルソーは一時言葉を失った。それは信頼なのか、楽観なのか、言葉からは掴み辛いモノがあった。

「ハッハッハ!! やるねぇ……ここまで飲める奴には会ったことがねえや!!」
「おじさんも、かなりいけるじゃないの。でも、そろそろ限界なんじゃないかしら?」
「バカ言うな! 相手の懐を探るようなことを言い出すとは、そっちが限界なんじゃないのか? ええ!?」
 テラは既に樽を三つほど空けていた。大して、レアは二つ半といったところだった。その差は、樽一つの量からすればけっこうな開きがある。
「ふふ、そっちこそバカ言わないでよね。あたしの本気は、こんなモンじゃないのよ」
 そう言うと、レアは髪を結んでいたリボンに手をかけ、それを解いた。彼女のポニーテールが解かれ、桜色の髪が腰元までスラリと流れ落ちる。
「リボンを取ったあたしは一味を通り越して凄いわよ! ここからが本気の勝負!!」

「髪を下ろしただけに見えるんですけど……どうなるんですか?」
 どこか気迫に満ちたレアに、マルソーは緊張した面持ちでゴラスに訊ねた。
「特異体質とか、そういうヤツか……?」
「いや、単に気分的なモノだと思うっす」
 二人は、思わずこけた。
「お、思わせぶりな……ようするに、ただのハッタリってことじゃねえか!」

「ふふふ、甘いぞ少年! 病も気からって言うでしょ! 気合と根性があれば、たいていのことはなんとかなるモンよ!!」
「聞こえていたのか……」
 酔っ払いの戯言だと思って、キトはとりあえず無視した。
「いや、一理あると思うぜ。そういう考え方、俺は嫌いじゃないな」
 今まで黙って様子を見ていたミリオが、不意に口を開いた。
「俺たちは、昔そうだったんだよ。嵐の夜だって、仲間と力合わせれば乗り越えられたしな。でも、今は違う。みんな腑抜けになっちまって、海の上にも出れやしない。アトランテの名が泣いてるぜ」
「そうよ。地上でいじけている海の男の根性なんて、タカがしれてるわ!!」
「面白ぇじゃねえか姉ちゃんよ……海の男の根性ッ! とくと拝ませてやるぜッ!!」
 それからまた、しばらく二人の飲み合いが続いた。互いの飲みっぷりを賞賛したり、早く降りちまえと罵り合ったりと、二人の騒ぎが止むことは無かった。
「親分! もう酒がありませんぜ!!」
「何ぃ!? もっとあるはずだろう!! いったい、この船には何人の仲間が乗っていると思っているんだ!?」
 しばらくして、酒を取りに船内から戻ってきたハンドが、悲痛な叫びを上げた。それにテラは怒号したが、ないものはないのだと、ハンドは情けない声で弁明した。
「申し上げにくいですが、本当です。しばらく航海をしていないので、貯蔵しておく必要がなかったせいだと……」
 それでも納得していない様子のテラに、サウザが丁重な言葉遣いで説明した。
「カァーッ!! せっかく火が点きかけていたのによ!! このままじゃ、収まらねえだろうが……」
 掲げていた樽を下ろし、テラは嘆かわしげに夜空を仰いだ。
「残念。物足りないわね」
「まったくだな。くそ……仕方がねえ」
 彼は立ち上がり、この場にいる者全員を順に見て、高らかと声を上げた。
「この憂さは、海の上で晴らさせてもらうぜ。ハンド、サウザ、ミリオ! 全員に伝えておけ! アトランテは、明朝出航する!! 目的地は南の大陸サウスタイル! デッドカレントを征圧するぞ!!」
「――!? 本気か……親父」
「不服か、ミリオ。まさか、本気で出航するからって、ビビっているわけじゃないだろう?」
「あ、当たり前だ! けど、いきなり明朝はよせ! 食料とか、経路とか、色々準備があるだろ!!」
 ミリオの指摘に、しばしうなるようにして考え込み、テラは結論を出した。
「そうれもそうだな! よし、じゃあ明日は準備期間で、明後日だ!! 頼んだぜ副船長!!」
「大して変わらんだろうが……まあいい。わかったよ。あんたに任せて入られないしな」
 豪快に笑うテラに、ミリオは若干疲れたように言うが、表情は明るかった。
「それから、ビビリ入って言い訳するような奴は、この船から叩き出せ!! いいな!?」
 そして、こそこそと後ろで話をしているハンドとサウザを一瞥して、彼らに聞こえるようにテラは言った。
「へ、へい!!」
「仰せのままに!!」
「はは、よーし、それじゃあ行くぞお前ら。とりあえず、全員叩き起こすぞ」
 ミリオは二人の間に割って入り、逃さじと、がっしりと肩を掴んた。彼女の顔は笑っているが、目は笑っていない。
「姐御……勘弁してくだせぇ」
「私たちは、別に逃げようとか思ってませんから……」
「当たり前だバカ!! 仮にも俺の義兄弟だろ!! 腑抜けたことぬかすと承知しないからな!!」
 一喝して、ミリオは二人を引きずるようにして船内に入っていった。その様子を、テラは笑いながら見送った。
「さて、オレ様はそろそろ退散するぜ。起きた船員どもが、うるさいだろうからな。なんなら、泊まっていくか?」
「そうっすね。お言葉に甘えることにするっす。こいつも、限界みたいだし」
 さっきまで騒がしかったレアは、今はゴラスの肩に担がれ、静かに眠っていた。
「おやおや……もう少し粘れば、オレ様の勝ちだったか?」
「さあ? でも、こいつ負けず嫌いなんで、粘ればそれだけ粘ると思うっすよ」
「迷惑な性格だな」
 キトの何気ない呟きに、「全くっす」とゴラスは苦笑した。
「そうかい。それじゃ、特等室でも用意してやるか。と言っても、そんなに大層なモンを期待するなよ。海賊船だからな!」
 愉快愉快と、テラは始終笑いっ放しで船室へ四人を案内した。途中でミリオの怒声なども聞こえてきた。どうやら、彼女も苦労しているようだ。

 案内された部屋は割と広く、ベッドが二つ、窓付きで空気の入れ替え自由と、条件はそれなりに良かった。
「大丈夫なんですか? レアさん」
「一晩寝れば直るっすよ。そんな顔しなくても、大丈夫」
 ベッドに寝かされたレアを、心配そうに見つめるマルソーに、ゴラスは落ち着いた口調で答えた。
「そいつのタフさを見ただろ。それよりも、オマエも疲れているんじゃないのか? 人の心配している場合かよ」
「え……!?」
 色々あって、時間はもう真夜中だった。知らず知らずのうちに、マルソーの顔には疲労の色があった。
「寝とけよ。もたないぞ」
「でも……あ、やだ」
 緊張の糸が切れたせいか、その時、マルソーは大きな欠伸を漏らした。
「オマエ、割と無理する方だからな。いいから寝ろって」
「ふふ、優しいんだ」
 戸惑うマルソーの横で、レアの微笑ましげな声が聞こえた。何時の間にか、彼女は目を覚ましていた。
「彼の言う通りにしておきなって。どっちかが折れないと、続いちゃうわよ」
「そうそう、こいつなんて、遠慮もなくドンと構えているわけだし」
「でも、レアさんは功労者だから! レアさんのおかげで船を出してもらえることになんだし、当然ですよ」
 マルソーの言葉に、レアは一瞬目を丸くした。そして、可笑しそうに声を上げて笑い出した。
「え? わたし、何か変なこと言いましたか?」
「あー、いや。船ね。そう言えば、そんな約束だったわね。別に、そんなんじゃないんだけどな。あたしが動いたのって」
 くすぐったそうに笑いながら、レアは続けた。
「実は、あたしって過去の記憶がないんだ。10年前くらいからかな。親とか、故郷の記憶記憶って、すっかり抜けてるのよね」
「……え?」
「……なに?」
「おい、レア」
 あまりにもあっけらかんと言うレアの言葉に、マルソーとキトは思わず聞き返していた。惟一人、ゴラスは咎めるように声を掛けようとしたが、「いいのよ」と彼女に返された。
「そんなに申告に考えないで欲しいんだけど。ね?」
「は、はい……!」
 優しくあやすように声を掛けるレアに、マルソーは小刻みに頷いた。
「前向きに生きていたいんだ。今、こんなに周りが楽しいのに、過去がどうこうって、いじけていたら損じゃない。あたしは、過去なんかなくても、埋め合わせができるくらいの想い出を、今に作るの。もちろん、楽しいの重視でね」
 彼女は気持ちを整理し、一つ一つ形にして、言葉に乗せて話した。
「だから、気分悪かったのよ。勝手だって。昔以上のモノを築き上げないと、せっかくの今が勿体無い。あたしはそう思うから」
「……さて、僕らは外に出ようか」
「あ? なんだよ、いきなり」
「いいからいいから」と、そっとキトの背中を押して、ゴラスはレアとマルソーに聞こえないように言った。「どうやら、レアはキミのパートナーを気に入ったようなので」
 なんとなく彼の言いたいことが判ったのか、キトは特に抵抗するでもなく、促されるがままに部屋から出て行った。

「君を見ていると、なんだか気になるのよね。一生懸命なんだけど、そればっかりっていうか。ねえ、キミは会いたい人がいるって言っていたけど、会った後、どうする気でいるの?」
「あと……?」
「そう、後のこと。お節介かもしれないけどさ、君の目的が達成されたとき、その先には何があるのかなっていうこと。目的がないと、上手く歩いていけないんだよね」
 後のこと、そう言われてマルソーは、自分が先のことは何も考えていないと、初めて気が付いた。ただ助ける、会いたいというだけで、その先の想像は、何もできていなかった。
「過去は大事なにかもしれないけどさ。それに縛られているのを見るのも忍びないな。過去がないやつが、偉そうに言えることじゃないかもしれないけど、あんまり一生懸命だから、心配なのよね」
 約束、自分はそれを果たすために生きることを望み、必死にもなった。それは、縛られいているということなのだろうか。考えても、すぐに答えはでるモノではなかった。
「でも、わたしには、今が精一杯なんです。その後のことを考えて進めるほど、余裕がないのかもしれません。だから、後のことは、全部終わってから考えたいと思います」
「そっか、わかった。ごめんね、変なこと言って。それじゃあ、明日に響かないうちに寝ますか。男たちも出て行ったみたいだし」
 そこで、マルソーはようやくキトとゴラスが部屋から出て行ったことを知った。気を遣わせてしまっただろうかと、ふと不安になる。
「ゴラスは、けっこう気が付く奴よ。そんな顔しなくても大丈夫」
「は、はい……」
「よし。それじゃ、お休み」
「あ、レアさん。あの」
「んー? まだ、何かある?」
 布団に潜りかけたレアが動きを止め、振り返る。マルソーは言葉を選ぶように間を置いて、口を開けた。
「あの、わたし、過去を大事に思っています。約束を果たしたいから。でも、今が大切じゃないなんて、思っていませんよ。過去を清算するためだけに……今を生きているわけじゃありませんから」
「そう……それだけ言えれば、今は合格ね」
 レアは温かく微笑み、布団に潜った。マルソーは動悸を鎮めるように胸に手をあて、落ち着きを取り戻した後、眠ることにした。


***


「で、オレたちはどこで寝るんだ?」
「船長さんに頼めば貸してくれるっすよ。それよりも、少しキミと話しておきたくてね」
 キトを廊下に連れ出したゴラスは、少し表情を正してキトを見た。キトは彼の表情の変化に若干興味を惹かれ、「何だ」と目で問い掛けるように視線をぶつけた。
「レアはどう思っているかは、まあだいたい判るから言うっす。僕たちの仲間関係は、一時的なものに過ぎないっていうことを、了解しておいて欲しい」
「……何を言い出すかと思えば、そんなこと、言うまでもないだろ」
 拍子抜けしたのか、キトは冷め切った声で、突きつけるように言った。当然だと。彼の言葉に、ゴラスはホッと胸を撫で下ろした。
「よかった。キミは、僕の思った通りの反応をしてくれた」
「アンタが危惧しているのは、マルソーのことだろ」
 昨日今日知り合っただけで、「ずっと仲間でいよう」などと思えるはずがない。キトは、その辺りの人間関係については割り切った感覚を持っている。だが、マルソーは違う。
「まあね、レアは気に入っているみたいだけど、彼女もそこのところは弁えているから問題ない。ただね」
 今日、ミリオに言葉を向けた彼女。始めは安全な距離を取るが、少しでもこちらが気を許した素振りを見せれば、近付き、踏み込んでくる。
「ようは、オレに釘を刺しとけってことだろ。もしくは、あいつがグズリだしたら止める役回りをしろと、そういうわけだな」
 だからこそ、こちらが、しっかりと線引きをしてやらねばならないのだ。これ以上は踏み込むなと。それも曖昧なモノではなく、誰もが理解できる形で示してやらなければならない。せっかく引いた線も、見えなければ意味がない。
「そういうことっす。悪い子じゃないんだけど、一緒にやっていこうってなると、それはそれで問題っすからね」
「そうだろうな。話はそれだけか」
「そうっす。ああ、そうだ」頷いて話を切り上げようとしたゴラスだったが、彼はそこで良いことを思いついた様子で、「せっかくだから、お礼に良いことを教えるっすよ」
「買収行為か?」
「ははは、あくまで情報提供。ギブ・アンド・テイク。貸し借りなく別れるには、それが一番手っ取り早いっす」
「貰えるモノは貰うが、オレに見返りを求めるなよ?」
「了解っす。じゃあ、手っ取り早く」
 ゴラスは咳払いをして、話し出した。
「実は、とあるお宝がサウスタイルに眠っているという噂があってね。僕たちの目的は、そのお宝をゲットすることなんだ」
「お宝?」
「そう。お宝の名は、【聖杯】……魔族の源と呼ばれる、魔族の謎を解く唯一の鍵とされるモノ」
 含みをこめた声でゴラスは言った。だが、キトにはその意味が判らなかった。
「なんだ、その、魔族の源って?」
「そのままの意味っす。【聖杯】が、魔族を生み出す素であるということ。眉唾ものだが、かといって、見過ごせるようなネタではなかった。ということっすね」
「おい……もし、それが本当だっていうんなら、アンタたち、そんなモン手に入れてどうする気だよ」
 キトは訝しげに眉をひそめた。どれほどのモノかは知らないが、何かとんでもないモノだというニュアンスだけは伝わっていた。
「情報提供はここまでっす。強いて答えるなら、知的好奇心ってとこっすね」
 レアの言葉を借りて、ゴラスは軽く笑った。キトは、その笑みが、どこか気に入らずに黙って彼を見据えていた。気を許してはならない。心のどこかで、そんな声が聞こえた。
「サウスタイルに着くまでは、そう構えなくてもいいっすよ。目的は違うけど、目指す場所が一緒なら、それまで仲間でいるっていうのも、悪くないっすから」
「それは、サウスタイルに着いたら、アンタは敵だと思って良いってことか?」
「うーん……そのときの状況によるっすね。それは、そのときに考えることにするっす。ただ別れるだけじゃないかもしれないから、事前に話をつけておこうと思ってね。そういうこと」
 共に旅をした仲間として別れるのではなく、敵として相対することになるかもしれない。ゴラスは、そう言っていた。
 自分は良いが、マルソーは果たしてどうだろうか。情を移せば、戦えなくなる。それは予想できる事態かもしれない。
「そんなに深刻な顔をしなくてもいいっすよ。これは、あくまで最悪の条件だから。僕は、物事は常に最悪を想定して臨むたちなもので」
 だが、それでも構わないとキトは思った。オレ流で言うならば、立ちはだかるのなら、全て倒していく。それが、強くなるための条件であり、曲がらぬ信念を持つということなのだから。
「わかった。ただし、最悪になったら、オレがオマエたちをぶっ飛ばすからな。覚悟しておけよ」
「お互いに、ね。じゃ、とりあえず、今は仲間ってことで、よろしく」
 ただ、一時の契約。ゴラスが差し出した手に乗せた意味を理解し、キトは何も言わずに彼の手を握った。


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