BRAVERS STORY 〜交錯する時の欠片達〜 〜第十五話「水平線の彼方へ」〜 テラが航海の号令を出してから、慌しい一日が過ぎ去り、いよいよ出航の時が近付いていた。空は微かに紫がかった青で、そろそろ、水平線に太陽が見え出す頃である。 「久し振りだな。この感覚は」 アトランテの舳先に立つミリオは、懐中時計に収められた写真を見つめ、朝の風を浴びていた。心が昂ぶりが、鼓動となって自分の耳にも聞こえてくるようだった。 「あ、こんなところに居たんですか」 声に振り返ると、甲板にマルソーが立ってこちらを見ていた。 「わ、危ないですよ。海に落ちちゃいます!」 「大丈夫だ」ミリオは軽く苦笑して、両手を広げて見せた。「このアトランテは、俺の家だ。こんなこと、わけないぜ」 「は、はあ」 それでもマルソーは心配そうに、ミリオから目を離さなかった。 「で、何の用だ?」 「あ、はい。そうでした。船長さんが、そろそろ出航だから、副船長を呼んで来いとのことです」 「もうそんな時間か」ミリオは懐中時計に目を落とし、時間を確認してから頷いた。「わかった。悪いな、手間取らせて」 「いえいえ」 「……どうした? 楽しそうじゃないか。ようやく目的地に着けるってか?」 甲板に移動し、妙にニコニコとしているマルソーを見たミリオは、怪訝に訪ねた。 「はい、それもありますけど……わたし、船って初めてなんですよ」 「なるほどな。無邪気なモンだぜ」 じゃあ行くかと、マルソーの背中を軽く叩き、二人は船内へと戻った。 「いやあ、昨日は凄かったすね。親分と互角に渡り合うとは、姐さん凄いです!!」 「まったくです。お見逸れしましたよ」 「そんなに持ち上げないで良いわよ。あたしの実力は、まだまだこんなもんじゃ……」 テラの召集で、一足先に会議室に集められたレア、ゴラス、キト。そして、ハンドとサウザ。この二人は、昨日のテラとの飲み合いに感銘を受けたようで、いつの間にかレアを姐さんと呼んで慕っていた。 「調子に乗るな」 そうして、それに気を良くしたレアに対し、ゴラスは手首のスナップを利かせたキレのある平手を彼女の頭にぶつけるのだった。 「痛いわね! 誰のおかげで、この船に乗れていると思ってるのよ!!」 「さあ、誰っすかね」 明後日の方を向きながら、ゴラスは素知らぬ顔で言ってのけた。そのまま口笛でも吹きそうな感じである。 「朝っぱらから騒がしいヤツらだな。そういえば、ミリオも姐さんだろ? 姐さんが二人もいていいのか?」 椅子に座って卓上に突っ伏していたキトは、眠そうな顔を上げてハンドとサウザに何気なく疑問を投げかけてみた。 「姐御は姐御! 姐さんは姐さんなんすよ! しっかり区別はついてますぜ!!」 「……あ、そ」 ハンドの返答に脱力し、彼は再び顔を伏せた。どうやら、朝には弱いらしい。 「若者が情けないわね。起きなさいな」 と、そこにレアは遠慮なく、彼の頭を軽く二、三発叩いた。動く気力がないのか、ただ面倒なのか。彼は動かなかったが、怒りのマークでも頭に浮かび上がりそうな空気を放ち始めていた。 「なかなか粘るわね。これは、お目覚めのキスが必要かしらね〜」 「……酒が抜けてないんじゃないのか、アンタの連れ。朝っぱらからなんでこんな調子なんだ!」 冗談と称して本当にされかねない危機感を覚えたキトは、苛立って席を立つと、「なんとかしろ」とゴラスに目で訴えた。 「そういう性分なんだから、仕方ないっすよ」 「そうそう、それに、お酒なら大丈夫よ。二日酔い経験、ないから」 「……早く帰って来てくれ……マルソー」 聞こえないように呟き、キトはもう一度席に着き、今度は大仰にもたれ掛かって天井を仰いだ。彼女が入れば、レアの相手は自分がしなくても済む。やはり、レアのような性格は、自分にとって天敵だ。 「ただいま! ミリオさん、連れて来たよ!!」 願った直後、望んだ声が、部屋の入り口から聞こえた。 「悪い、待たせたか?」 「いえ、そんなことはありませんぜ、姐御。もうすぐ、船長が召集を掛けるにはずですから、それまで待機です」 「なんだ、そうなのか」 やれやれとミリオは息を吐き、手近な椅子を引いて腰を下ろした。 「キト……どうかしたの? 疲れた顔してるよ?」 「いやぁ、目覚めのキスの刺激が強過ぎたみたいで」 「オマエは黙ってろ!!」 カッと見開いた両目でレアを睨みつけ、キトは怒鳴った。遠巻きに傍観しているゴラスが、必死で笑いを堪えている様子が視界に入り、更に怒りが募った。 『おう!! 全員聞こえているか!!? オレ様だ!!』 何か文句をぶちまけようと、キトが口を開ける前に、テラの大声が船内に響き渡った。 「……ちっ、いよいよ、か」 タイミングを逃したことで、キトはやる気をなくして大人しくなった。 『これより我ら蒼海征団アトランテは、南の大陸サウスタイルへ向けて出航する。昨日のうちに覚悟は決まっているだろうが、もう一度言っておく。無理についてくる必要はねえ。今、少しでも迷いのある奴は、今回の船旅には向いていないだろう。だが、それでも付いてくるってんなら、一つだけ約束しやがれ!!』 いつの間にか、船内は水を打ったような静けさに満ちていた。デッドカレント征圧。掲げられた目標の意味と、アトランテという組織の復活をかけた航海に、誰もが緊張していた。 『死ぬ覚悟は必要ねえ! 生きる覚悟をも抱えていけ!! 生きることは、死ぬことより遥かに難しいことだ。辛い局面はあるだろうが、そういうときに手前を犠牲にして仲間を救おうなんて思うな! オレ様たちは、誰一人欠けちゃならねえ。誰かのために、仲間のために生きることを、今ここで誓え!!』 ――おおおおお!!!! そして、誓い、喚起の叫びが響き渡る。テラの激励に、堰を切ったようにアトランテは沸いていた。 「なかなか、粋なことを言うもんっすね」 ゴラスは感心したようで、面白そうに言った。 「大袈裟なんだよ、親父は。確かに俺たちにとっちゃ、因縁深い場所を渡るんだけどよ」 半ば呆れた口調でミリオは言ったが、表情はまんざらでもなさそうだった。 生きる覚悟。 一度多くのものを亡くし、失った場所へ再び挑む者たちにとって、相応しい言葉であろう。 『よっしゃあ!! 出航だ!! 各員、持ち場に着きやがれッ!!』 「さて、締めていくか! お前らも出遅れるなよ!」 慌しい活気付いた船内に、ミリオは気合の乗った笑みを浮かべて出て行く。ハンドとサウザもそれに続いた。 「じゃ、あたしたちも見学がてら、出てみようか。しばらくは、出番なさそうだしね」 「そうっすね。キミたちは、どうする?」 「オレはどっちでも構わないが……」 また眠気が戻ってきたのか、キトは欠伸を噛み殺しており、あまり気乗りしていない様子だった。 「キト、行こうよ。面白そうじゃない」 「そうかぁ? ま、良いけどよ」 催促するようにマルソーに言われ、彼は緩慢な動作で席を立った。そして、不意にレアがその背中を引っぱたき、活を入れた。 「――って!? 何しやがる!」 「外の空気に当たれば、少しはマシになるでしょ。さ、行くわよ」 そう言いながら、彼女は意気揚々と船室を出て行く。恨めしそうにその背中を睨みながら、キトも後に続いた。 「じゃあ、僕たちも行くとしますか」 「……そうですね」 少し出遅れて、ゴラスとマルソーも船室を後にする。ただ、マルソーは先のキトの様子に、一抹の不安を覚えていた。 甲板に出ると、もう船は、ゆっくりと離岸を始めていた。そして、水平線には道を照らすように、朝日がゆっくりと、その姿を見せ始めていた。 「こりゃいいな。朝日もオレ様たちを出迎えてくれているぜ。送り出してくれる奴がいないってのも、色気のない船出だがよ」 上から声がして四人が見上げると、テラがマストの踊り場から見下ろしていた。 「やっぱり、ここの眺めはいいモンだぜ」 「おい、クソ船長! んなところにいないで仕事をしろ! 指示はあんたの仕事だろう!!」 船橋で舵を取るミリオが、テラに向かって怒鳴った。テラは備え付けの通信機を取ると、豪快に笑い、 「けっ、情緒ってモンがねえのか手前は。方角に間違いがなければ、このまま直行だ! ミリオ、任せたぞ!!」 「――ったく、元から期待はしてなかったけどよ。仕方ない。ハンド! サウザ! 進路は良いな!」 「へい、姐御!」 「全て順調です」 「あらあら、いいの? 任せっ放しで!」 「気にするな。オレ様たちには、オレ様たちのやり方ってモンがあるんだよ!」 苦笑して問うレアに、テラはドンと構えて笑っていた。 「いいんじゃないっすか? あっちはあっちで、楽しくやってるみたいだし」 頭の後ろで手を組んで、のんびりとゴラスは言った。 「確かに、素人のオレたちがどうこう言っても始まらないようだな」 「この場合、素人っていうのは関係ないと思うけどね……それにしても、本当に誰も送り出してくれないのね。当然なんだけど」 船の縁に両腕を乗せる形で持たれかかり、レアは遠くなりつつある港を眺めながら言った。 「でも、昨日は噂になっていたみたいですよ。アトランテが、船出するって」 昨日は、船の準備に追われた船員達が、町中を走り回っていた。その姿を見られていたのだろう。 「ま、オレ様たちは海賊、陸の嫌われ者だからな」 気が付けば、テラは踊り場から降り、レアと同じように港を眺めていた。 「しかし、あの町はいいとこさ。デッドカレントの化け物が現れてから、活気が薄れてきやがったからな。いっちょ、ここらでオレ様たちが化け物退治に成功すれば、また元に戻るかもな……」 「おいおい、オレたちの目的は、魔獣退治じゃないはずだぞ」 「なあに甘いこと言っているのよ」 呟くキトに、レアはたしなめるように横目で彼を見た。 「避けて通れるに越したことはないけど、真正面から突っ込むんだから、可能性は薄いわよ」 「わかっている。だからといって、無理に倒す必要はないっていうことだ。オレたちは、サウスタイルにさえ渡れればいいんだからな」 「君って、こういうことに関しては、ドライねえ」 「現実的なだけだ」 「ははは! オレ様は、どっちでも構いやしないぜ。目的は、手前らをサウスタイルに連れて行く。それだけは、きっちり守ってやるから安心しろや!」 「心強いお言葉っすね」 「おうよ! 手前らは、しばらくゆっくりしとけや。船内なら、自由に見て回って構わないからな」 ニヤリと笑い、そういい置いたテラは、自分の仕事に戻っていった。 「えーと、それじゃあ……わたしたちは、どうしましょうか?」 何かいい案はないかと、マルソーは残った三人を順に見て訊ねた。 「そうっすね。じゃあ、各自、自由行動ってことにしますか?」 「そうね。のんびり船旅を楽しみましょう」 ゴラスの意見に賛同して、レアが頷く。 「なら、解散だな。オマエはどうするんだ?」 キトに話を振られ、マルソーは少し考えた後、 「うん。じゃあ、わたしは少し船内を見て回るよ。キトも行こうよ」 「……面倒だが、まあいいか」 多少返事を渋っていたが、期待の眼差しで見つめられ、仕方なくキトは了承した。 「じゃ、決まりね。お昼時になったら、また会いましょう」 軽く手を振りながら、四人はそれぞれの行動に移り、時を過ごした。慣れない船旅に一部の者が酔ったり、苦労することも色々とでてきたが、それでも楽しくやっていた。 そして、数日の後、彼らは目標地に辿り着くため、越えなければならない障害の前に、さしかかろうとしていた。 「親分! 雲行きが変わってきましたぜ!!」 マストの頂上部で、ハンドが双眼鏡を覗き込みながら叫んだ。さっきまで晴天だったのだが、突然暗雲が陽光を閉ざし、闇を作り出した。それから大して時間も経たないうちに、雫が一粒、二粒と落ち、それは嵐の豪雨と化して船に襲い掛かった。 「よおし! オレ様たちは今、デッドカレントに突入した!! 全員怯むな!! 全力で船を維持しろ!! 絶対に振り落とされるんじゃねえぞ!!」 嵐に負けぬ気合の声が上げられる。テラは満足げに笑い、指示を出した。 「ミリオ! 全速前進!! 締めていけよ!!」 「了解だ!! 行くぜ!!」 ミリオは舵を取る手に力を入れ、思い切り叫んだ。 一方で、マルソー、キト、レア、ゴラスは会議室に集まっていた。 「どうやら、始まったみたいっすね」 打ち付ける雨音と、船体が軋む音にゴラスが気付き、ゴラスが言った。マルソーは、緊張した面持ちで、落ち着くように胸に手をあてていた。 「いよいよですね」 「そうだな」 「とりあえず、出てみる?」 「あ、ちょっとお待ち下さい! それはご遠慮願います!」 そのとき、丁度会議室へ入ろうとしてきたサウザが、慌てた様子で言ってきた。 「外は嵐。揺れも激しくなっています。下手に出れば、振り落とされますよ」 「でも、魔獣が出るんじゃないの? 待機しておいた方が――」 ――ドオオオオオオン!!! 「うお!?」 「きゃぁ!!」 レアが言い終わる前に、強烈な衝撃が船を揺らされ、マルソーとキトが倒れた。嵐のせいではない。意思のある、意図的な行為によるものだ。何かが、この船を攻撃している。 『ちぃ!! さっそく着やがったぜ!! マルソー、キト、ゴラス、レア!! 出番だぞ!!』 「お呼びみたいね。まさか、止めないわよね」 「……はい。充分お気を付け下さい!」 「ほら、キミたち、早く立つっすよ!」 「く……わかっている! 行くぞマルソー!!」 「う、うん!!」 急いで立ち上がり、キトとマルソーは先に駆けて行った二人を追った。 「レアさん! ゴラスさん!」 甲板に出ると、吹き荒れる横殴りの強風に襲われた。歩くのもやっとで、豪雨で数メートル先も霞んでみるような状況だった。 「マルソー! うわぁっと!!」 レアが振り向いた瞬間、大岩を砕くかのような轟音に船体が大きく揺れた。身体が一瞬浮き上がり、全員バランスを失って仰向けに倒れる。 「あ、ごめん……」 「いいからどけ!!」 もつれ合うように転がり、マルソーはキトに覆いかぶさる形で倒れていた。彼は彼女を押しのけて立ち上がり、大剣を構えた。 「くそ! これじゃまともに戦えないぞ!!」 「弱音を吐いている場合じゃないっすよ。ほら、相手が姿を見せてきた!」 ゴラスが立ち上がり、ナイフを手に構えを取った。そして、舳先の前から一本巨大な水柱が上がった。 「な、何がいるんだッ!」 「まだ来るわよ!」 レアが周囲を睨むように首を巡らす。更に、船体を取り囲むように二本と、三本と、計六本の巨大な水柱が上がる。 「いや……気持ち悪いよ」 その中からでてきた敵は、不気味にうねる、巨大で触手のような腕だった。粘膜で覆われており、不気味に光っている。 「イカの化け物かよ!?」 そして、最後に最も巨大な水柱が上がった。まるで逆流する滝のような中からいよいよ姿を見せた魔獣。巨大な筒状の、透き通った青色をした胴部と、頂上に広がる二枚のヒレがある。そして、二本の触腕を甲板に振り下ろされ、せり上がってくるその胴部の下にある頭部についた、二つの丸い瞳が無感情にこちらに焦点を合わせた。 「……そう言えば、あたしの辞典に載ってたかな。クラーケン……海の中でもダントツで凶暴な魔獣よ」 「コイツを越えなきゃ、たどり着けない! だったら、やるしかねえだろ!!」 魔獣、クラーケンは音波のような不気味なうなり声を上げ、六本の腕を鞭のように動かし、襲い掛かってきた。 「本体を叩くっすか? それとも、邪魔な腕から仕留めていく!?」 軽い身のこなしで避け、ゴラスが声を上げた。サイズが違うだけに、一発食らっただけでも大ダメージは免れないだろう。 「本体といっても、船から離れているだろう! どうするっていうんだ!!」 キトの言う通り、クラーケンの顔本体は船から若干距離を置いたところにあった。泳いで近付かない限り、打撃を与えることは極めて困難な状況にある。 「落ち着け!!」 「あ! ミリオさん!!」 マルソーが声に振り返ると、船橋から出たミリオが、甲板より一段高い位置から四人を見下ろす形で立っていた。 「今、この船、アトランテは、その化け物の腕に襲われている! 厄介なことに、内部に二本ほど突っ込まれたが、船員たちが食い止めている! 船を壊されちまえば、俺たちは終わりだ! 俺たちが時間を稼いでいるうちに、お前たちは本体をやれ! 司令塔がなくなれば、腕も死ぬからな!」 「……いいわ、あたしが本体を叩く。ようは、飛び道具があれば攻撃は届くんでしょ」 「飛び道具って、どうするつもりなんですか?」 敵の攻撃に警戒しながら、マルソーは名乗り出るレアに訊ねた。見たところ、彼女の武器は金属質の棒であり、弓矢などといった類のモノは持っていない。 「まあ見ていなさい。あたしの取って置きよ。でも、そのためにはちょっと集中しなくちゃいけないのよね」 「……つまり、アンタの準備ができるまで、オレたちにこいつの腕を食い止めておけってことか」 「お、物分りがいいわね。ポイントアップよ!」 「それはそうと、僕ら三人で、この場の八本を相手をするのは、少しきつくないっすか?」 「バカ言うんじゃねえ! オレ様たちもいるだろうが!!」 そこで、テラが勇んで名乗りを上げ、マストの踊り場から飛び降りてきた。ちなみに、甲板から踊り場までは、かなりの高さがある。 「この船は誰のモンだと思っているんだ!? オレ様たちが守るのは、当然のことよ!!」 「もちろん、俺もだ。頭数は揃った。あとは食い止めるだけだろ?」 「ハンド! 手前はサウザと中の腕をなんとかしろ! こいつはオレ様たちがなんとかする!!」 「へ、へい!! わかりやした!!」 テラの指示を受けて、ハンドは慌ててマストから降り始めた。 「実質、本体を含めれば五対九っすか。まあ、悪くないかな」 「分が悪くても、やるしかねえんだろ。来るぞ!!」 「そうだよ……ね。頑張らなくちゃ、だよね」 船体が大きく揺れ、嵐と共に水飛沫が甲板に降り注ぐ。全員倒れないように身構えた。 「あたしが合図するまで、なんとかこらえて! そうすれば、後は万事解決って寸法よ!!」 「その言葉、信じるぜ!! オレ様は、久しぶりに暴れさせてもらうからな!!」 テラは何処から取り出したのか、棘付の巨大な鉄球を武器として振り回していた。 「それはいいが、間違っても、そいつで船を壊すんじゃねえぞ!」 ミリオは、やや大型の曲刀を持ち、テラに言った。彼は安心しろと、彼女に笑みをみせた。 「オレ様を見損なうなよ! 大事な船に傷をつけるわけねえだろうが!! 行くぜえ!!」 「威勢のいいことっすね」 甲板の前衛はテラとミリオに任せ、ゴラスはレアから少し距離を取り、腕を迎撃する態勢に入った。レアに攻撃の手が回らないよう、自分が囮になりながら、キトとマルソーが彼女の周囲に気を配り、守る形を取る。 「よし、それじゃあ一つ、かましてやりますか!」 レアは、普段は頭上に持ち上げているサングラスを鼻に掛け、金属棒を右手に構えた。船体が更に揺さぶられ、立っているのも厳しい状況だったが、彼女はしっかりと踏ん張りそれに耐えて、右腕に意識を集中する。 「ギガ・エレメント、展開!!」 キィンと金属が弾ける硬質な音がすると、金属棒が糸のように細い繊維状に散開し、彼女の右腕に食らい付くように絡み始めた。それはやがて、一つの砲身へと形を成し、全く別の武器へと変形した。 「――な……なんだそれは!? 魔法か!?」 中心に赤い宝玉が組み込まれた、始めて見るその武器に、キトとマルソーは目を丸くしていた。 「魔法って言っていいのかしらね。ちょっと違うんだけど――とぉ!?」 ゴラスが相手をしきれなかった腕の一つが、彼女のすぐ真横を撃ち、甲板を若干へこませていた。 「ちっ! コイツ!!」 キトが腕に向かい、大剣を振り下ろした。しかし、巨大な腕は弾力もあることから、沈むように大剣は減り込むだけで、効果は薄かった。 「呑気に喋ってないで、準備するっす! 二人もしっかり周りを見ること!!」 「す、すいません!!」 レアの不可思議な武器に気を取られている一瞬で、事態は一変している。マルソーは慌てて周りを見回し、敵がいないか確認した。 「失敗失敗……ま、口で言うより、見てみなさいな。その代わり、しっかり守ってよね」 「守りがいのない物言いだな――と!」 次は二本同時に、腕がキトに向かってきた。足場の安定しない甲板を転がりながら回避し、立ち上がると同時に大剣を振り下ろしたが、やはりダメージは大して与えられない。 「おい! ちゃんと引き付けてんのかよ!?」 「そうは言っても、ダメージが与えられないと、怯ませることもできないっす。相手も、まんざらバカではないようだし、引き付けるのには限界があるっすよ」 「それなら、これで――フレイム!!」 マルソーが腕に剣を突き刺す瞬間、意識を集中させ、切っ先に炎を発生させた。極基本的な、炎を生み出す魔法である。嵐のおかげで炎はすぐに消滅したが、腕は動揺したように大きく跳ね上がり、海中へと戻っていった。 「なるほど。物理攻撃じゃなくて、魔法で攻めろってことね。じゃあ、こういうのはどうっすか?」 ゴラスは開けた片手を突き出し、念じた。すると、彼の五つの指先に小さな輝きが現れた。 「スパーク!!」 腕が上空高く振り上げられた時を見計らい、彼は五指に宿った光弾を飛ばした。腕に着弾した瞬間、それは弾け飛び、電撃を発生させた。 「それだけ濡れていれば、周りも速いっすよね」 どうやら、大ダメージを与えることに成功したようだ。電撃を喰らった腕は力を失い、大きな水飛沫を上げて海中に沈んだ。 「あっちもやっているようだな! オレ様たちも、いいとこ見せるぜ!!」 「無茶するなよ、親父」 「おうよ! こいつ、見た目通り動きは鈍いからな。タイマンなら負けねえぞ」 テラは鉄球の鎖を一本の腕に絡め、鉄球の重みと彼の腕力で、腕の動きを拘束していた。その隙をついて、ミリオの曲刀が腕を切り裂き、ダメージを与える連携を取る。 キトの叩きつけるように扱う大剣や、ゴラスの数で勝負するナイフとは違い、彼女の武器は切れ味に特化したしたモノで、充分にダメージを与えられた。 「この分だと、なんとかいけそうだな、ミリオ!」 「親父が調子に乗り過ぎなけりゃな!」 腕に食い込んだ曲刀を一気に引き抜き、ミリオは言った。心なしか、その声は若干弾んでいるようだった。 「順調順調、みんな、良い感じね」 「そういうアンタは順調なのか?」 「もう、あんまり話しかけないでよ。後、少しだから」 レアは今、目を閉じて意識を高めている最中だった。その武器にどれだけの威力が秘められているのか、キトは半信半疑ながらも、黙って彼女に従った。 ――キュゥアアーーッ!!! その時、クラーケンがなんとも言い難い、怒りの唸り声を上げた。船体に腕が絡みつき、バリバリと木が軋み、折れようとする、嫌な音が鳴り出す。 「壊す気かよ! おい! やばいぞ!!」 「く! 冗談じゃねえぞ! くそ! 止めろ!!」 「よせ! ミリオ!!」 クラーケンは船体を腕で締め付けながら、本体をぶつけて揺すっていた。 このままでは船がもたない。ミリオは止めようと無我夢中で一本の腕を引き離そうとしたが、敵はそれを待ち構えていたように、二本の触腕が彼女に伸びた。 「うわ!!」 「ミリオ! この化け物が! ミリオを放さねえかっ!!」 テラは鉄球を、彼女を掴んだ触腕目掛けて投げようとした。が、彼が行動に移る前に、別の腕がそれを妨害した。数が多い分、この状況は辛い。 「レア! まだっすか!? 雲行きが怪しくなってきたぞ!」 「わかってる! もう、ほとんどいけるわよ。でも、今、撃ったら巻き込みかねないわよ!」 レアは左手でギガ・エレメントを支え上げ、クラーケンに照準を定めていた。 「だが、もたもたしていたら、オレたちも全員船と一緒に沈んじまうぞ!!」 「うまく当てないようにするとか、なんとかできないんですか!?」 「狙えば、なんとかならないでもない。けど、それでも! 魔獣を倒せば、持ち上げられたミリオは海に落ちるわよ!!」 矢次に飛び交う声に、レアは苛立たしげに声を上げた。 「おい、レア! 構わず撃て!! ミリオのことは、オレ様が責任を持って助け出す!!」 「な!? ちょっと船長、責任って言われても、この状況じゃ……」 「手前は誰の船に乗っているんだ!? この船に居るうちは、オレ様の言うことを聞きやがれ!! ミリオ! 手前も覚悟はできてんだろ!?」 言い返そうとするレアに、有無を言わさぬ気迫を持ってテラは応じた。彼に問われたミリオは、腹部を締め付けられながらも、なんとか声を絞り出し、そして一気に叫んだ。 「あ……当たり前だ!! 俺を甘く見るんじゃないぜ!!」 「だ、そうだ! 安心しろ。絶対に助ける!! だから、さっさと撃ちやがれ!!」 「ああもう! どうなっても知らないわよ!! あとで責任取れとか言われても、逃げるわよ!!」 レアは半ばヤケクソ気味に叫び、改めて照準を合わせた。なるべくミリオから遠ざかるよう、細心の注意を払って。 「行くわよ!! ギガ・エレメント、発動!!」 その瞬間、填め込まれた宝玉が赤く輝き、熱を帯びた。その熱が彼女の周りを覆い、嵐の雨を受け付けていておらず、凄まじいエネルギーが渦巻いていることがわかった。 「属性は炎で行くわよ! バーストフォースッ!!」 膨張したエネルギーが輝き、炎をまとった閃光となり、砲口から射出される。嵐を消し去る勢いで大気を燃やしながら、閃光はクラーケンの本体に突き刺さり、内部で炎が暴れる。 「くぅ……!」 そのエネルギーを支えるレアの顔が、苦痛に歪んだ。ゴラスが後ろから彼女の肩を掴み、背中を支えた。 「頑張るっすよ。僕の力も回す」 「やっぱり、これは一人じゃ辛いわね……お願い」 レアは少し視線を後ろにずらし、面目ないといった笑みをゴラスに見せた。 「了解っす」 ゴラスの支えで気力を取り戻したレアは、ラストスパートをかけるため、更に意識を右腕に預けた。 「貫いちゃいなさい!!」 火炎の閃光は、全て砲口から噴出し、クラーケンの本体を突き破り、海を切り裂きながら彼方へと消えた。 ――キュアアアアアアア!!! そして、大量の青い血液を流出させたクラーケンは狂ったように暴れ出し、なりふりかまわず腕と触腕を振り回し始めた。同時に、ミリオを掴んだ触腕をに向かい、テラが鉄球を絡ませる。 「ちくしょう!! こいつはキツイぜ!!」 よそう以上の暴れ方に、テラは血管が切れようかというくらいまで、力を込めて鎖を引っ張った。だが、触腕の吸盤にミリオは吸いつけられており、余程の力ではない限り、逃れることは困難だった。 「ああもう! 大人しく死んでなさいよ! 無駄に大きい命してるわね!」 「魔獣がくたばるのが先か、オレたちが落とされるのが先かってか? 冗談じゃないぞ!」 激しく揺れる船体に這うようにしがみつき、キトが叫んだ。マルソーはなんとか立ち上がろうとしながら、 「ミリオさんを助けなくちゃ!」 「だが、身動きが取れないぜ……アンタ、さっきの、もう一発撃って止めをさせられないのか!?」 「この足場じゃ、ちょっと狙いがね」 「それに、あれは見た目通り派手な技でね。消耗も激しいんっすよ」 「親分!! 皆さん!!! 大変です!!!」 と、焦りながら思案する四人の間に、サウザが船内から飛び出してきた。彼は甲板で繰り広げられている光景を目の当たりに、一瞬尻込みしたようだった。 「ああ、姐御!! 親分!!!?」 「待って。この場は下手に動かないほうが良いわ。それよりも、何かあったの? 中の状況は?」 「え、ええ、へい、姐さん。船内の腕は、なんとか取り押さました……けど、そんなことより、もっとマズイ事態になっているんですよ!!」 「その、マズイ事態ってのを、詳しく言って欲しいっす」 話が見えず、ゴラスが言った。クラーケンの他にも、これ以上何か厄介事があるというのか。 「『黒衣の霧』です!! いつの間にか、私たちは!! とんでもない方向に引きずり込まれていいたんすよ!!」 サウザが発した言葉に、四人は戦慄した。『黒衣の霧』、中央大陸センタリアスを覆う、触れたモノの命を蝕む瘴気。 「待てよ。オレたちはサウスタイルに向かっているんだぞ! 方向が逆じゃねえか!!」 「化け物が現れてから、船体の維持に手一杯だったんです! おまけに、化け物に体当たりを何回か食らったせいで、軌道が随分ずらされました! おまけに、デッドカレントは潮の流れが以上に速いんです!!」 「で、でも。中央大陸まで、かなり距離はあるはずですよ。そんな、いくらなんでも早過ぎじゃ……」 「いや、瘴気は何も、センタリアスをピッタリ覆っているわけじゃないっす。当然、溢れ出してくる部分も有効範囲となる。その部分は、ゆっくりと広がっているって話も聞くっすからね」 「つまり、あたしたちは、『黒衣の霧』の端っこに着こうとしているわけね」 「そうなります。このままじゃ、突っ込んでしまいます!!」悲痛な叫びをサウザが上げた。「せめて、あの化け物が船を放してくれれば、進路修正は可能なんですが……」 「一応聞いとくが、突っ込めば……」 「まず間違いなく、お陀仏っすね」 極めて現実的に、ゴラスはキトの質問に答えた。夢も希望も、あったモノではない。 「そんな!」 マルソーは青ざめたか顔で声を上げた。 「……わかったわ。あたしが、もう一発撃って、仕留めるわ。そうすれば、進路の修正ができる」 「待つっす。それじゃあ、お前の身体が……」 「大丈夫だって。人間、限界を超えて成長するものよ。やってみなくちゃ、結果は出ないんじゃないの?」 「それでも……」 「ごちゃごちゃ言っている場合じゃない!」 ゴラスの反対を押し切り、レアは彼に向かって叫ぶように訴えた。 「こんなところで死ぬなんて、あたしは嫌よ!! 今やれるだけのことは、やらないと、後悔する! それも嫌!!」 彼女は両足でしっかりと身体を支え、ギガ・エレメントを再び構えた。 「ハンド! あなたは手の空きそうな船員たちを呼んできなさい!! 船長の手助けをするのよ!!」 「は、はい! 承知しました!!」 レアに言われ、ハンドは援軍を呼ぶため、転がるように船内に戻っていった。 「姐さんが板についてきたんじゃないっすか? 仕方ない……こうなったら、腹をくくるよ」 レアの両肩に手を添え、ゴラスは彼女を支えた。 「殊勝な心がけね」 「……オレたちは、邪魔な腕を追い払うぞ。立てるな?」 「うん、大丈夫だよ」 二人に触発され、キトとマルソーは自分たちのするべきことを見つけ、動き出した。これで外せば、後がない。そんな緊張感に場は包まれた。 「……向こうは、もう一発何かやらかしそうな気配だな。ミリオ、堪えろよ!!」 テラは鎖を握り締めながら、ミリオを励ました。しかし、そういう彼の腕が、そろそろ限界近くまで来ているようだった。 「親父、限界だろ。俺は、別に離したって構わないんだぜ」 「バカ言ってんじゃねえぞ!! 腑抜けか手前はッ!!!」 強がったミリオの言葉に、テラは激昂した。 「危険な橋を渡るにはリスクが必要だ! あいつを失う前は、オレ様が全部リスクを背負って、守ってやるって思っていた! その自信があった! だが、あいつを失ってから、リスクにすることが怖くなっちまったのさ。何よりミリオ、お前をだ!!」 二度と失いたくないモノがある。過去の日は帰ってこないが、未来はある。ここで手を離すことは、未来を手放すことと同じだ。 「オレ様は、負け組みに入るつもりはねえんだよ! 手前を失くしたら、オレ様はお終いだ!!」 「そうですぜ! 姐御!!」 「――!? ハンドか!?」 甲板をよろめきながら走り、こちらに駆け付けてくるハンドに、テラは声を上げた。 「私もいますよ。皆も!」 ハンドに続き、船員たちを呼びに行っていたサウザも姿を見せていた。そして、船内からは続々と船員たちが甲板に出てきていた。 「誰一人欠けては、いけないのでしょう? 私たちは、仲間であり、家族です!」 「……へ、手前ら判っているじゃねえか。全員手を貸せ!! 副船長を助けるぜ!!」 「「おお!!」」と、その場に集まった全員が、声をあらん限りに叫び、鎖を持つ。持つ箇所がなくなれば、持つ仲間を支え、力を貸す。全員の力が集まることで、形勢はこちらが有利になったようだ。クラーケンの触腕が、わずかに傾き始めた。 「やるモンね。あたしも、うかうかとしてられないわ」 「そろそろ、いくっすか?」 ゴラスの問いに、レアは力強く頷いた。 「やってやろうじゃないの。いくわよ! ギガ・エレメント発動!!」 砲身に内在するエネルギーが、レアの力によって覚醒する。身体を蝕む極度の疲労感に抗いながら、レアはエネルギーを砲口に充填させていった。 「くたばりなさい! バーストフォースッ!!」 火炎をまとった閃光が、クラーケンに向かって牙を剥く。それはミリオを掴む触腕を分断し、本体に直撃した。 「やりぃ! 狙い通り!!」 レアは計算どおりの軌道に笑みを浮かべた。テラたちが押さえつけているおかげで、固定標的となった触腕を打ち抜くことは、容易にだった。 空中に投げ出されたミリオは、鎖を引くことで、無事テラのもとに引き寄せられ、受け止められた。これで、後はクラーケンを倒すだけだ。 「いっけえええ!!!」 レアの叫びに、閃光は最後の輝きを放ち、砲口より吐き出された。同時に、その衝撃にレアの右腕が大きく弾け、ゴラスと一緒に転がるように倒れた。 「ど、どうよ……やったわよ」 力を完全に使い果たしたことで、ギガ・エレメントは普段の棒状に戻っていた。そして、ガッツポーズを取るレアの右腕は、軽度の火傷に見舞われていた。 クラーケンは追い討ちを掛けられたことで、完全に絶命し、巨体を海に沈めた。一つの危機は去った。が、まだ危険な状況を脱したわけではないことを、誰もが自覚していた。 「おおっし! あとはオレ様たちの腕の見せ所だ!! ミリオ!! 舵は取れるだろうな!?」 「当たり前だ。俺がやらなきゃ、誰がやるってんだよ」 触腕の吸盤を引き離し、ようやく自由となったミリオは、強気に言った。サウザからある程度の情報を聞いていたため、二人の行動は早かった。 「オレたちの役目は終わったな。中に戻ろうぜ」 「そうっすね」 大剣を鞘に収めて、キトは言った。あとのことは、信頼して託すしかない。ゴラスも同意して頷き、レアに肩を貸して立ち上がった。 「ねえ、キト……」 「どうした、マルソー?」 不意にマルソーに呼び止められ、キトは振り返った。すると、彼女は「あれ……」と静かに指を船尾の方向へ向けた。 その先にある光景、それは、漆黒の闇だった。水平線に重なるように、黒い瘴気が空をも覆うように、高い壁となっているのが目視で判った。 「あれが、『黒衣の霧』なん、だよね」 マルソーは見ているだけでも、身体の中で何かが疼くような衝動を感じていた。酷く不快な気分だった。あの中に、いったい何があるというのだろう。 「まだ、距離はあるみたいっすね。大丈夫、あの人たちなら、なんとかするっすよ」 「そうだな。行こうぜ、マルソー」 「うん……」 それでも、その光景から目を離すことができなかった。最終的に、彼女はキトに手を引かれることで正気付き、船内へと戻っていったのだった。 進路修正に成功してからの作業は、船体の維持に努めるだけで、デッドカレントの嵐はあったが、工程そのものは順調に進んだ。 クラーケン戦の後は、レアは腕に軽い治療を施し、そのまま眠りについた。マルソーとキトは、気を張って起きていたが、やがてマルソー、キトと順に、いつの間にか眠ってしまう結果になっていた。ゴラスはそんな仲間の様子を見つつ、最後にようやく就寝することにしたのだった。 「おい! 朝だぜ! 起きな!!」 そして数日の後、レアとマルソーの眠る部屋に、ミリオが怒鳴り込むように入ってきた。 「う……ん、なんですか?」 マルソーは眠そうに目を擦りながら、のろのろと起き上がった。彼女の様子に、ミリオは苦笑しつつ言った。 「そんな顔している場合じゃないぜ。サウスタイルが見えてきたぞ」 「え……本当ですか!!?」 一瞬の間の後、マルソーは目を丸くして叫んでいた。その声に、しつこく寝ていたレアも、ようやく目を覚ました。 「ああぁ、なんだか、騒々しいわね。あら、二人とも。おはよう」 話に入っていなかったレアは、どこかズレタ調子で朝の挨拶をした。 「とりあえず、準備ができたら甲板にきな。お前たちの連れも待ってるぜ」 「……何かあったわけ?」 ミリオが部屋を出て行ったあと、不思議そうにレアはマルソーに訊ねた。 「はい。やっと、着いたんですよ! サウスタイルに!」 マルソーは満面の笑みでレアに答えた。ようやく、課題が終わろうとしている。とても充実した気分の朝だった。 「お、やっと起きやがったな」 甲板では、既にキトが余裕の態度でマルソーを待ち受けていた。 「おはよう。サウスタイルは?」 挨拶もそこそこに、マルソーは彼に訊ねた。彼は少し呆れたように息をつき、 「いちいち訊くことか? 目の前に見えるだろ」 彼は笑い、正面に顔を向けた。朝日に黄金色に染まる海の向こう、水平線に大陸が見えた。 「あれが、サウスタイル……」 人々の中には、聖地とも呼ばれている禁断の地。朝日を一身に受け、雄大に広がるその地に、今から足を踏み入れようとしているのだ。 「さあて、果たして何が待ち受けているのやら――ってとこっすかね」 「わくわくするわね。こういう気持ちって、けっこう久々かも」 サウスタイルを見つめながら、レアは好奇満面の笑みを浮かべていた。 「いよいよだね。キト」 「ああ、そうだな」 嬉しそうに微笑むマルソーに、キトは軽く笑って答えた。しかし、彼は心の内では、素直に喜べずにいた。彼にとって一つ気掛かりなのこと、ゴラスの言っていた【聖杯】の件である。 「何が待っているにせよ、やってやるさ……」 決意を新たに、キトは誰にも聞き取れない声で呟いた。ようやく、これから始まるのだ。 |