BRAVERS STORY 〜交錯する時の欠片達〜 〜第十六話「必然の邂逅」〜 南の大陸サウスタイルは、外周を覆うように巨大な山脈が連なっている。そこは精霊が棲む、霊峰『スピリチュアル』と呼ばれ、過去、精霊国家エレメンタルによって祀られていた。 その一角にある森の中、木漏れ日の下で、一人の男が冥想でもするように静かに佇んでいた。 全身を覆う薄紫色のマントと、何より目を引くのが、同色の顔を覆う覆面であった。顔で露になっている部分は、目、鼻、口だけで、見る者を不審がらせるには充分な効果が期待できる。 実際に、彼は今も不審そうな視線を、背後の木の陰から感じていた。 「……隠れていないで、出て来たらどうだ?」 振り返って近付こうとしても、相手は慌てて別の木の陰に隠れ、まともに顔を合わせることもできなかった。彼は諦めの息をついて、立っていた場所に戻ろうとした。その時、 「きゃぁっ!」 甲高い悲鳴と合わせて、ガサガサと茂みが揺れる音がした。もう一度振り向いてみると、ようやく視線の正体を見ることができた。 「あ……」 まだ、年端もいかない幼い少女だった。大きな空色の瞳と視線がぶつかる。そして、少女の肩に乗っている黒い物体が、ギロリと金色の瞳をこちらに向けた。 「おう、マインド。なんや、コイツは。さっきからオマエのこと、見とったみたいやが」 「スパイルか……怯えているぞ。降りてやったどうだ?」 どうやら、さっきの少女の悲鳴は、突然この全身黒ずくめの烏のような鳥と出くわしたため、発したものだろう。男――マインドは、おっかなびっくりで肩のスパイルを横目で見ている少女に気付き、彼に言った。 「なんや? ワイは別に、取って食おうなんて思っとらんで。……まあ、ええわい」 硬直している少女の様子にスパイルは首を傾げた。そして、黒い両翼を広げ、彼はマインドの左肩に移った。 「すまないな。驚かせてしまった」 少女は、もう逃げる様子はなく、マインドの瞳をじっと見つめていた。やがて、決心したように彼女は口を開いた。 「おじさん……誰?」 「おじさんか……」 マインド・シルス。今はもう三十歳の身の上だった。 「どうでもエエことで感傷に浸るなや。ワイはスパイル。高尚な精霊様や、覚えとけ。こっちはマインド。ワイの弟子にして下僕や」 「いつから下僕なんて役職が付いたんだ?」 「細かいことを気にするんやない。で、オマエは何モンなんや?」 「アタシは……リールよ」 スパイルに促され、少女――リールはそう名乗った。 「ん? リール……ってことは、オマエはガランの……」 「え、ドーク様を知っているの?」 スパイルの口からその名を聞いて、リールの警戒心が一瞬和らいだような感じがした。どうやら、彼女の興味を惹いたようである。 「私たちは、ガラン・ドークと言う女性に逢うために、この大陸に来たのだが」 マインドはスパイルを横目で伺いつつ言った。スパイルは頷き、 「ああそうや。シンの手引きで来たのはエエんやが、ワイらを送り届けたら、さっさと消えてしまいよったもんやからな。どこに行けばいいのか迷っとったんや」 「おじさんたち、シンの知り合いなの!?」 「ん、まあな。長いこと生きとると、色々あるモンや」 リールは、もう一度マインドとスパイルの顔を神妙な面持ちで見上げ、不意に表情を崩して微笑んだ。 「よかった。おじさんたち、悪い人じゃないみたい。安心したわ」 そのリールの心底安心した様子に、マインドは怪訝に首を傾げた。 「キミも、シンのことを知っているのか?」 シン、最高の賞金首として知られている魔獣王の名を、世界では知らぬ者はそういない。その名を聞いて畏怖するものはいても、このように安堵する者はいないだろう。しかし、リールはそんなことは露知らず、 「うん、友達よ。アタシ、シンのこと大好き」 「……光栄だな」 茂みの揺れる音に、全員が向き直った。気が付けば、そこには噂のシンがいた。大人二人分はありそうな薄紫色の肢体に紅蓮の鬣が揺れ、湾曲した鋭い二本の角。金の双眸に睨まれれば、たちどころに他の魔獣は動くことを忘れてしまうだろう。 「シン!」 その姿を見ると、リールは満面の笑みを浮かべて、彼の身体に飛び込むように抱き付いた。抱き付かれた本人は、大して気にはしていないようで、そのままマインドとスパイルに顔を向け、口を開いた。 「すまなかった。緊急の事が起こったのでな」 「まあええわい。面白いヤツにも逢えたことやしな。しかし、緊急ってなんや?」 「何か問題でも?」 マインドとスパイルの問いに、シンは頷いた。 「お前たちにも、協力を仰ぎたい。どうやら、招かれざる客が来たようなのでな」 「……ねえ、シン。それって、精霊を消した人と関係があるの?」 シンの言葉に逸早く反応を示したのは、リールだった。彼女は不安そうに瞳を揺らして、シンを見上げていた。 「無関係ではないだろうな。しかし、心配するな」 「精霊? なんのことを話しているんだ?」 怪訝に伺うマインドに、シンは口を開いた。 「数日前、死の魔海域の方面で大量の精霊が消えた……というよりは、消されたと言った方が正しいな。それを、リールが感じとったのだ」 「この子は、精霊が判るのか?」 「ガランの……っていうんやったら、ありえんこともない話やな。しかし、大量の精霊か。ワイの勘が嫌な方へ疼いとる感じやな」 スパイルは微かに身震いすると、シンへ向き直り、 「で、その大量の精霊を消し去ったってヤツが、招かれざる客ってとこなんか?」 「私が感じる限りでは、そうなる」 「つまるところ、私たちが協力することは、その犯人退治ということでいいのだな?」 話の全貌はおぼろげではあったが、マインドは自分たちがやるべきことを察して言った。 「――!! シン……精霊が、騒いでいるわ!」 その時、リールが身体を一瞬ビクリさせ、まるで我が事のように震える声で、シンに訴えた。 「そうか。ガランに引き合わせることを先にしようと思っていたが、予定を変更する。頼めるだろうか?」 「私は、依存はない」 「ワイも、問題ないで。いっちょ、不届き者をドツくのも悪くないで」 「話が早いな。助かる。では、相手が通る場所についてだが――」 シンは早急に手筈を伝え、それぞれの持ち場につくために一時解散をした。 マルソー、キト、レア、ゴラスの四人は、小型のボートに乗り換え、サウスタイルに接岸していた。そこは丁度山脈の麓といったところで、前方には深い森がそびえるように広がり、かなりの高さであることが見て取れた。 「俺たちが送れるのは、ここまでだ。後は、自分たちでなんとかするんだぜ」 舵手のミリオに見送られ、いよいよ四人は、この大陸に上陸する。 「はい。色々、ありがとうございました」 丁寧にお辞儀をするマルソーに、ミリオは微かに苦笑した。 「こちらこそ、礼を言わせてもらうぜ。それで、本当に迎えはいらないんだな?」 「ああ、こっちはこっちで何とかする」 再三の確認のに、キトは頷いた。この大陸は四方を海に囲まれ、他の大陸とは何の接点もない場所である。誰も通り掛かることはないだろうし、人もいるとは限らない。 しかし、シンに来いと言われた場所だ。何の用意もないとは考え難いし、ここから先は、なるべく他人を関わらせない方がいいという、彼なりの判断だった。 「そういうんだったら、別に良いんだがな……お節介なんて、柄じゃないし」 「それじゃ、お別れっすね」 「船長さんに、今度会うときは、再戦希望って伝えといてね」 「判った。確かに、伝えておくぜ」 ミリオは四人と別れの握手を交わし、ボートをアトランテに向けて走らせた。相手側では、うだうだと別れの挨拶は必要ないらしく、随分とあっさりとした別れ方だった。 「さて、とりあえず着いたが、アンタたちはどうするんだ? 共通の目的は、これで果たしたぜ」 遠ざかる船を見送った後、キトがレアとゴラスに向き直って言った。 「あー、そういえばそうね。でも、あたしたちのヤマは、この大陸っていう情報しかないから、これから先は手探り状態なのよねぇ」 何かを期待するような眼差しで、レアは後半をワザと間延びさせるように言った。 「手伝う気はないぞ。オレたちには、オレたちでやることがあるんだからな」 「やっぱり、連れないわね。じゃあさ、マルソーはどう。彼を捨てて、あたしたちに乗り換えない?」 「軽い乗りで物凄いことを言うんじゃねえよ!」 誘惑でもしているつもりか、ウインクをしてマルソーに言うレアに、キトは言った。 「え、ええと……」 「そこは迷うところなのか?」 返答に詰まるマルソーに、彼は少し不安を感じた。 「オレたちの目的はなんだ? 忘れたわけじゃないだろ」 「あ……」 キトの言葉に、マルソーは彼の言わんとするところに気付いた。自分たちの目的は、魔族に捕まっているガーディアを助けること。そのためには、幼い頃に彼と出逢った監獄塔『バベル』に行かねばならない。 「敵は、半端じゃないんだ。判るだろ」 そして、戦うことになるであろう、魔族統括者『ギアト』。地上における、魔族の中で最強と謳われる存在。シンによく聞かされていた。ガーディアを救うならば、必ず立ちはだかる壁だと。 「この二人とは、もともと目的が違うんだ。一緒に旅するなんて、無理な話なんだよ」 「でも……やっぱり、いきなりお別れなんて、寂しいよ」 「理由は詮索しないけど、目指すものが違うなら、遅かれ早かれお別れはするっすよ」 目を伏せて、名残惜しそうに言うマルソーに、ゴラスは言った。 「うーん、難しいわね。私情を言うと、別れは惜しいんだけど」 マルソーの気持ちも汲んでやりたい。だが、それでは後々問題になることも判っている。レアは割り切った判断ができずに困った顔をしていた。 「そういうことだ。あとは、オマエ次第だぜ。途中まで一緒にとか言うなよ。引きずるくらいなら、ここで決めた方がいい」 「その通りだ」 キトがい言い終わるとほぼ同時に、凛とした声が山道から聞こえた。高みから見下ろされているような威圧感を覚える、その声にマルソーとキトの顔つきが変わった。 「何、誰かいるの!?」 レアが声を上げた瞬間、それは木の上から飛び出し、マルソーとキトの前に降り立った。 「シン……」 やはり、間違いない。二人は想像した通りの声の主の姿に、驚きと同時に懐かしさを感じていた。 「久し振りだな。少しは成長したか?」 「シン? シンって、あのシン? 魔獣違い……じゃないわよね?」 「月の眼光は見る者を惹き込み、巨大な二本の角は全てを貫く。牙と爪は常に血を欲し、獲物を絶えず求め彷徨い続ける。気高き紅蓮の鬣、獣王の熱き魂に触れんとする者、灰塵と帰し現世に還ること叶わず……っすか? あながち、間違いないかもしれないっすね」 世に噂される伝承と、姿形は合致している。ゴラスはシンの姿を見て、息を呑んでいた。 「っていうか、君たち、シンと知り合いなの……?」 レアは、シンの姿に全く恐れておらず、むしろ親しげに接するマルソーとキトに怪訝に訊ねた。 「は、はい……そうです」 「な、なんで言ってくれなかったのよ!!」 「そんなこと、気軽に言えるわけねえだろ」 もはや開き直った感じで、キトは息を吐いて呟くように言った。 「しかしまた、意外な知り合いをお持ちなことっすね。一応、確認したいんすけど、魔獣王さんっすよね?」 「……人間の間では、そう言われているようだが、昔の話だ」 「ま、まあ、ちょっとビックリしちゃったけど、二人の知り合いってことは、あたしたちにとっても……」 「そういうわけにも、いかないみたいっすよ」 決して気を許した様子はなく、威嚇するようにこちらを睨むシンを見て、ゴラスは言った。 「お前たちの目的はなんだ? 命の危険を冒してまで、何故この地にきた?」 言わなければ、タダでは済まない。そんな脅しを帯びた言葉に、レアはマルソーとキトを一瞥し、ゆっくりと口を開いた。 「じゃあ、訊くけど、【聖杯】って、ここにあるのかしら?」 「……なるほど、それが、お前たちの目的か?」 【聖杯】という言葉に、シンはどこか納得した風に言うと、 「止めておけ。アレは、それほど気安く触れられるモノではない」 「やっぱり、あるのね」 「【聖杯】を求めて、何をする?」 「別に、考えてないわ。強いて言うなら、知的好奇心よ。世の中広いって言うし、色々見て回りたいのよ。で、あるのね?」 「あると答えなくても、進むつもりのようだな。どうしても行くというのなら、戦いは避けられないと思え」 「シン!?」 体勢を低くして構えるシンに、マルソーが驚きの声を上げた。 「やめてよ! あの人たちは、悪い人じゃ……」 「マルソー、お前がこの二人と、どんな関係を築いていたのかは知らん。だが、この二人は私にとって敵だ」 「そんな……キトもなんとか言ってよ!」 「シンの言う通りなんじゃないのか? オレたちと、こいつらの共通の目的がなくなった。今のオレたちは、どっち側に立っているんだ?」 すがるように言うマルソーに、キトは冷たく突き放すように言った。 「ま、そういうこともあるわよ」 困惑し切った表情の彼女に、レアは肩をすくめて見せた。 「お互いに、譲れないときは仲間でも対立し合うし、敵になることだってあるってことね」 「引く気はなしか。そっちのお前は、どうなんだ?」 口を開けず、傍観しているゴラスに向き直り、シンは訊ねた。ゴラスは軽く微苦笑して、 「レアがやるっていうんなら、付いて行くしかないっすかね?」 「そうか……世の中に酔狂な人間がいることは知っているが、ここまでの者を見るのは初めてかもしれんな」 「や、やっぱりやるわけね」 シンの周りの空気が、静かに熱を帯び始めていた。まだ何もされていないにも関わらず、レアはその存在感に押され、一歩退いていた。 「え、ええい! シンだろうがなんだろうが、やってやるわよ! こっちは、デッドカレントでデカイ奴とやりあって来たんだから!!」 そんな自分に気付き、彼女は自身を叱咤するように叫び、金属棒を構えた。 「なかなか強気だな。デッドカレントを越えただけのことはあるようだ。しかし――」 「――!? 消えた!?」 レアの目の前から、不意にシンの姿が消えた。慌てて周囲を見回すが、移動した痕跡や気配はなかった。 「レア! 上!!」 ゴラスの声に、レアは反射的に顔を上げた。そこには、悪魔を彷彿とさせる翼を展開し、飛翔するシンの姿があった。 「ちょ、飛ぶなんて聞いてないわよ!!」 「未知のモノを相手にするときは、あらゆる場合を想定しておくことだな」 急降下するシンの爪が、レアの髪を一房散らした。ゴラスの声がなかったら、想像したくない事態に陥っていたに違いない。レアの顔からは、血の気が失せていた。 「まだ、やるか?」 余裕を含んではいるが、隙のない声でシンはレアに訊ねた。 「あ、当たり前じゃない!! ……と、言いたいところだけど、さすがに分が悪いわね」 「――!」 そのとき、レアは一瞬ゴラスに目配せをした。ゴラスもそれを見逃さず、目で頷きのサインを返す。 「こういうときは、逃げるが勝ちよ!!」 レアは地を蹴り、全速力で大陸中央に続く森の中へと駆け出した。 「逃がすと思っているのか」 彼女を追うため、シンも駆け出そうとした。が、その瞬間、彼の前の地面にナイフが数本突き刺さり、その進行を阻んだ。 「僕を忘れてもらっちゃ、困るっす」 振り向くシンと正面から向き合い、ゴラスは堂々と笑った。 「足止め完了。それでは、僕もこれにて退散するっす」 さあ、どちらを追う? とでも言いたげな挑発的な笑みを残し、彼も瞬時に踵を返してレアとは別方向に走り出した。 「おいおい、逃げられたぞ。いいのか?」 森の中に消えていった二人の背中を見送るシンに、キトが訊ねた。しかし、シンは全く慌てておらず、むしろ、こうなることは予想できたような顔をしていた。 「案ずるな。助っ人を用意している」 「助っ人?」 怪訝な表情をするマルソーに、彼は頷いた。 「直に会うことになる。私たちは、女の方を追うぞ。はぐれるなよ」 「バカにするなよ――っておい!」 「シン! 待ってよ!!」 言うやいなや、シンは既に駆け出しており、マルソーとキトを引き離し始めていた。慌てて後を追う二人の姿を尻目に、彼は微かに苦笑していた。 「お! どうやら、敵が動き出したようやな」 一方で、シンたちからは見えない切り立った崖になった場所から、マインドとスパイルは彼らの様子を見ていた。今、例の招かれざる者たちが逃げ出したところだった。 「では、行くか。私は先に逃げた方を追うことにしよう。お前は、後から逃げた方。それでいいな?」 「ああ、ワイはどっちでも構わんで。決まったら、さっさと出発や!」 二人はそれぞれの担当する者が逃げた方角へ散って行った。 マインドは崖の上からまず相手の大まかな位置を確認し、森の中へと入った。そして、迷うことなく相手の逃げている方向へ向かい、走り出す。 というのも、このとき相手の身体には、シンの魔力が付着させられていたのだ。強い魔力を帯びシンのモノと、魔術士である彼の、魔力の扱いに長けた者ならではの感覚の成せることであった。スパイルは精霊だが、自称高尚と言っているだけあって、そういった素養は備えている。 「そろそろか……」 この山道は険しく、かなり進み辛いモノがあったが、相手もそれは同じのようだ。体力ではこちらが勝っていると見える。彼は互いの距離が、どんどん狭くなっていることを感じていた。相手も追っ手の存在に気付いたようで、若干走る速度が上がった。 「なかなか頑張るな。しかし、遅いな」 やがてマインドは追いつき、茂みを挟んで相手と並走するところまで追いついた。 「止まれ!」 効果は期待できないだろうが、牽制として彼は相手に呼び掛けた。予想通り、止まる気配は感じられない。 「ならば……止まってもらうまでだ」 彼は掌に魔力を収束させ、一陣の風を生み出した。小さいが強い風を、相手の足下を狙って放つ。 「わぁッ!!?」 突風に足下をさらわれ、素っ頓狂な叫びと共に、相手が倒れる音がした。すかさず彼は茂みを越えて、相手側へ乗り出した。 「く……負けないわよ!!」 思わぬ攻撃に面食らっていたようだが、相手も負けてはおらず、躍り掛かるマインドに抵抗し、揉み合いの形となった。しかし、やはり体勢が悪かったため、その甲斐も空しく、相手はマインドに乗りかかられて自由を奪われてしまった。 「観念してくれたか?」 「は、離しなさいよ!」 「手荒な真似は、なるべくしたくないのだがな」 マインドは暴れる相手の両腕を掴んで押し倒し、無理やり地面に捻じ伏せた。そこで、初めてお互いの顔を睨み合う形となった。 「あ、あれ……?」 まだ幼さの残る顔立ちをした相手の女は、朱色の瞳を瞬かせ、マインドの顔を食い入るように見つめた。マインドはその様子を怪訝に思い、 「私の覆面が、珍しいのか?」 顔を覆面で覆った男など、そうそう居ないだろうが、彼女の様子はそれとはまた違っていたように思えた。実際そうなのだろう、彼女は首を横に振ると、何かを確認するような、緊張した面持ちで彼女は口を開いた。 「あ、あの……つかぬ事をお訊ねしますけど、マインドさん、ですか?」 「そうだが、何処かで会ったか?」 記憶を辿ってみるが、いまひとつ思い当たる節がなかった。彼の答えに、彼女は少し残念そうに笑った。 「五年、ですからね。あたしも、少しは成長したということですか」 「五年前……まさか、キミは」 桜色の髪をポニーテールにまとめた、元気だけが取り柄のような少女。束の間の出来事であったが、マインドは思い出していた。 「レアか……ずいぶん、強気に育ったモノだな」 「女は変わるモノですよ。お久し振りですね。偶然って、意外と素敵かも」 「泥棒に鞍替えでもしたのか? 何故キミが」 「マインドさんこそ、どうやってこの大陸まで来たんですか? なんだか、怪しいですね」 「それは、お互い様だろう。今は、こちらの質問に答えてもらおうか」 再会の会話もそこそこに、マインドは厳しい目で彼女を見据えた。 「……わかりました……でも、そろそろどいてくれませんか? この形、他人が見たらどう思うかなぁ、なんて」 仰向けに倒れるレアの手首をマインドは掴み、覆い被さるように彼女を押さえていた。今は、目と鼻の先にお互いの顔を突き合わせている。 「いらない心配は無用だ。生憎と仕事でな。手を抜くわけにはいかないんだ」 「ほ、本気ですか? 昔の誼じゃないですか。ね、ここは一つ穏便に」 「再会に関しては、私も嬉しく思う。だが、その場においての優先次項というモノがあるだろう? 昔の誼だというのなら、協力してくれると助かるんだがな」 身をよじろうとするレアを制し、マインドは譲らぬ口調で言った。 「厳しいですね。なら、力ずくでいきますよ!!」 その瞬間、マインドは一瞬、浮遊感を覚えた。レアが折り曲げた膝をマインドの腹部に当て、一気に押し上げたのだった。力が弱まったところで彼女は腕を振り解き、倒された時に飛ばされた金属棒を素早く手にした。 「甘いですね。あたしも、けっこう腕を上げたんですよ」 「そのようだな……」 己の過失を悔いるように、マインドは目を伏せた。そして、次に開けた彼の目は、いつになく本気だった。 「なら、次は遠慮なくいかせてもらおうか」 腰に手をやり、刃の無い剣の柄のようなモノを取り出して構えた。 「フォース、フリーズ転化……」 柄に魔力を注ぐと、冷気で構成された刀身が生み出された。彼の使う魔法剣『FORM』が発動する。 「い、いきなり必殺技ですか!?」 「本気だと言っただろう。――フローズンフロアッ!!」 刀身を大地に突き刺すと、大地を蝕むように氷が広がっていった。やがてそれはレアの足下にまで伸び、彼女の足を大地に固定させた。 「悪いな」 レアが動けなくなったところを一気に詰め寄り、マインドは魔力を収束させた掌を彼女の腹部に押し当てた。それは単に魔力を放出するだけの衝撃波だったが、外傷を付けずに倒すには最適の手段だった。 「運命の出逢いかもしれないのに……こんな形なんて……ちょっと、ショックですね……」 「軽々しく運命なんて言うつもりはないが、数奇なモノだとは思うさ」 気絶するレアを受け止めて、ふとマインドはもう一人の方を追ったスパイルのことを思った。一人が彼女なら、おそらくもう一人はゴラスとみて間違いはないだろう。何事もなければ良いのだが…… 「待てェッ! 待たんかいコラァッ!!」 敵の背中を見つけたスパイルは、大声で怒鳴りながら追っていた。飛んでいるだけあって、走るのとは速さが違い、距離はすぐに縮まっていた。 「追っ手を用意しているとは、計算外っすね」 言葉とは裏腹に、ゴラスに慌てた様子は見られなかった。どちらかというと開き直っているようで、逃げても無駄だと悟ったのか、彼は足を止めて振り返り、スパイルと正面から出迎えた。 「いやぁ、参ったっすね。飛んでこられちゃ、敵わないっすよ」 「どうやら観念したようやな。エエ心がけしとるやないか」 「無駄な体力は、使わないに限るっすからね」 肩を竦めて笑うゴラスに、スパイルは訝しげに彼を睨んだ。 「ふん、掴みにくいヤツやな。まあエエ、観念したんやったら大人しくついてくるんや」 グルリとゴラスの周りを旋回し、スパイルは彼の頭の上に降り、爪先に力を込めた。 「逃げようなんて考えとったら、締め上げたるからな。覚悟しとけよ」 「穏やかじゃないな。逃げないっすよ。それにしても君、変わった姿をしているっすね。雰囲気からして、魔物って感じじゃないし、何者?」 「フン、オマエに教えたる義理はないが、魔物やない。高尚な精霊様や」 「精霊? 精霊が実体を持つなんて、大精霊くらいしか聞いたことがないけどな」 一般に知られる精霊は、空気のような存在で、肉眼では捕らえることができない、エネルギーのような存在として認知されている。そして、自らの意思を持つ精霊とは、精霊を統括する数体の大精霊だけなのだ。 「常識では推し量れんことが、世の中にはあるっちゅうことや。ま、信じる信じないは勝手やがな」 「いや、信じるっすよ。だって、僕もそんな精霊の一人だし」 「……あ? 今、オマエなんて言った?」 あまりにも自然に口にされた言葉に、スパイルは不可解な顔をしてゴラスに訊ねた。ゴラスは面白そうに含み笑いをしながら、もう一度言った。 「僕も、精霊だから判るっすよ。それに、僕は君をよく知っている。『白』っすよね」 スパイルは警戒するようにゴラスから離れ、距離を置いた。 「久し振りかな? 奇遇っすね」 「オマエ……まさか、『黒』か……!!」 「ああ、そうだ。気付くの、遅いっすよ」 殺意にも似た怒気が、スパイルの瞳に宿っていた。しかし、ゴラスは全く気にせず、その様子を見て笑っていた。 「何を怒っているんだい? 僕が、お前に何かしたっけ?」 「ふ……ふざけるなああぁッ!!!」 スパイルは、怒りに任せて叫んでいた。ゴラスの人を食ったような態度に、彼の怒りは頂点に達していた。 「忘れたとは言わさへんぞ!! 昔、この地で何があったのか!! オマエが敵に寝返ったせいで、どれだけの犠牲ができたのかッ!!」 「寝返った? ずいぶんと感情的になったモンっすね。主となった相手に全てを委ね、その力を行使する。矛先の対象は僕たちの意志に関わらない。解っているはずだ。あの時だってね、お前が完全に力を振るえていればあるいは……」 「黙れッ!!」 「神の誕生。アレは見ものだったっすね。彼女はまだ、【聖杯】に縛られているようじゃないか。邪神の子も、元気そうにしている」 「黙れッ!!! ワイは……オマエを許さん!! オマエだけは絶対に――!!」 そこまで言ったところで、不意にゴラスの手がスパイルの顔に被せられた。指の間から見えるゴラスの漆黒の瞳が、スパイルの心理の奥底を見透かすように、深く輝く。 「安い挑発に乗るなよ。記憶をなくすはずのお前が、何故、主の記憶を持っている? 【白の紋章】が持つ記憶は、主を得る都度構築される人格と、自身の存在意義のみのはずだ」 行動そのものを支配されたかのように、スパイルはゴラスに顔を捕まれ、身動きすることができなかった。 「お前の底には、何が眠っている・・・・・・?」 「や、ヤメロ……!!」 心を掻き乱され、底に溜まっていたモノが舞い上がり、様々な情景が脳裏に映し出されていく。ゴラスは、スパイルの記憶の一部を掌握していた。それが、彼の能力の一端だった。 「そうっすか。ガラン……神に御執心のようだね。エクスティム・ドーク」 ゴラスは手を離し、スパイルを解放した。精神にかなり負担を負ったスパイルは、息を荒く吐きながら、彼を睨んだ。 「ワイは……エクスやない」 「けれど、お前の記憶が語っている。精霊国家エレメンタル、大神官エクスティム・ドーク。王女ガランの婚約者にして、次期国王となるはずだった男、ガランを愛した男の記憶がね」 「ワイは、白の紋章の化身、白の精霊スパイルや! それ以外の何者でもない!! エクスの記憶は、あいつが勝手に残して言っただけのモンや……!」 「まあ、どっちでもいいっすけどね」 頑なに否定をするスパイルに、ゴラスは苦笑して話を終わらせることにした。 「じゃあ、そろそろ行こうか。どうやら、レアが捕まったみたいだし」 「待て……まだ、オマエの目的を聞いとらへん。何故、今になってオマエが復活し、この地へ来た……?」 「復活したのは、僕を呼び出した主がいるから。この地へ来たのは、主の意向っすよ。冒険心の強い奴でね。嘘じゃないっすよ」 肩を竦めて笑い、ゴラスは続けた。 「目的は、【聖杯】。これも、主の意向っす」 「な、なんやと!! そんなモン無理に決まっとるやろうが!! 【聖杯】は、あの時からガランが……」 「そんなこと、僕だって判っているさ。レア……僕の主が望んだんだ。主に従うのは、僕の役目でもあるっすからね」 「そうムキになるな」と、ゴラスは宥めるようにスパイルに言った。「無理は承知。問題なのは、事実を知ったレアがどうするかってことっす。まあ、諦めるだろうけど」 「く……オマエは、やっぱり最低のクソッタレやな」 スパイルは悪態をついたが、その声は消え入りそうなほど小さく、疲れているように聞こえた。 「そう思ってくれて結構。お前が何故、この地にいるのかも、おいおい聞かせてもらうことにするっすよ」 そう言うと、ゴラスはレアが向かっていった方角に向かって、まるで何事も無かったかのように歩き出した。 「待て、もう一つだけ答えろ。今のオマエの主は、オマエが『黒の精霊』ってことを知っとるんか?」 「……いや、言っていないっすよ。あいつに僕は、荷が重いからね」 「なら、オマエはいずれ、そいつを食らうんやな……」 「それは、あいつ次第っす。と、もう一つって言ったのに、二つ目の質問になっているっすよ。まあ、僕たちを扱う力に達しなかったときは、お前が一番良く判っているだろう? エクスティムが、そうであったように、ね……」 ゴラスは踵を返し、今度こそレアを出迎えるために足を勧め始めた。 『白の精霊』であるスパイルと対を成す存在、『黒の精霊』。それがゴラスの正体であり、スパイルにとって、最も憎むべき存在であった。 自分とゴラスは特別な存在、行使される主を選ばぬ代わりに、行使するに不適格な力の持ち主は、即刻排除される。 昔、エクスティムがガランを助けるために、宿した『白の紋章』の力を全開にした結果、彼は命を落とした。 エクスティムの記憶は、嘆いていた。ガランの命を救うことはできた。だが、結果として、彼女を永遠の苦しみの中へ連れて行ってしまったのではないのかと。 だから、ここまできた。再び彼女に会うために。その姿を見るために。愛した者の側へ戻るために。 しかし、『白の紋章』の化身として実体化するには、主の存在が必要となる。 そこで現れたのが、マインドだった。結果として、自分は彼を利用する形を取っていることになるのだが、それでも約束を果たさなければならないのだった。 ――死んでも守ってやる。 それが、エクスティムに託された言葉、想いであり、記憶の全てだった。 行かなければならなかったのだ。託されたこの想いを、彼女に届けるために。 |