BRAVERS STORY
〜交錯する時の欠片達〜


〜第十八話「再会、そして対峙」〜


 鬱蒼と木々が生い茂る森の中を進行する一団がいた。顔を上げれば、雲の先に頂上が霞んで消えている塔が見える。
 監獄塔『バベル』。西の大陸ウェンブレイスに聳え立つ巨塔は世界を監視するかのように、雄大にその姿を見せていた。
「改めて見ると、でかいな」
「そう、だね……」
 険しい顔つきでキトが呟く。彼の隣を歩くマルソーも同様にバベルを見上げ、硬い声で答えた。
「あれ程の高さを誇って、何をしようというのだろうな」
「天に昇って神様にでも挑戦する気なのかも?」
「非現実的な意見はおいておくとして……実際、どう思うっすか? 精霊さんの意見としては?」
 マインドの疑問に対するレアの意見を軽く流して、ゴラスがスパイルに話を振った。スパイルは不機嫌そうに彼の顔を一瞥し、小さく溜息をついた後で口を開いた。
「そうやな。ギアトが享楽家でもない限り、バベル建設は何らかの意味がある。その答えが、ヤツの目的と絡んどることは確かやろうな」
「……ギアトの目論見がなんであれ、未然に阻止すれば脅威にはならない。そのための私たちだ」
「――そう、だよね。うん、わたし、頑張るよ」
 シンの声の中にある静かな威厳に、場の空気は一気に引き締まる。マルソーの頷きに、全員が思い思いに頷いた。
「けどよ、本当に良かったのか? コイツを連れてきて」
 釈然としない様子で、キトはシンの背で穏やかな寝息を立てているリールを見て言った。出発の間際、ガランからバベル攻略にあたり、この子を連れて行って欲しいと頼まれ、彼女はこの作戦に同行することになった。
「ガランも本意ではなかっただろうが、危険を伴ってもリールの力が必要だということだ」
「それって、精霊干渉能力のことっすか?」
「そうだ。先に情報が入っていてな。バベルの周囲には、どうやら侵入者を阻む結界が張られているらしい。それは、センタリアスを覆う『黒衣の霧』のような瘴気のようだと」
「なるほど。精霊により、穢れを払うというわけか」
「瘴気は、精霊が悪しき心に毒されて発現した負の集合体やからな。実践することは可能やろう。リールにとっては、キツイ作業やろうけどな」
「だから、私たちが出来るだけサポートしてやらなければならん。そのために、レア。お前に一つ言っておかなければならないことがある」
「あたし?」
 急に話の矛先を向けられ、レアは意外そうに自身を指して言った。
「重要なことだ。お前は今後、リールの前で精霊魔導を使うな」
 シンの言葉に、彼女は一瞬目を丸くし、思わず自分の持つ金属棒を見た。
「あちゃ……取って置きだと思って黙っていたんだけど、バレてたのね」
「その武器に付けられた精霊石を見れば判る。それに、お前たちがサウスタイルに来る前、リールが言っていた。精霊の元気がなくなっていると」
「でも、なんで使っちゃいけないの? あたしが言うのもアレだけど、これって、けっこう戦力になると思うんだけど」
「アンタがそれを使えば、コイツが上手く動けなくなるからじゃないのか? それって確か、精霊を燃料にしているんだろ? 別にオレが何か感じるわけじゃないけどよ」
「あ……」
 キトの指摘に、レアは初めてその事実に気が付いた。リールは常に精霊を感じている。精霊魔導を使うことで、彼女に与える影響は明白だった。
「そういうことだ。リールは精霊を感じ、共に過ごす友人として慕っている。それだけではない。精霊が多く現存するサウスタイルで暮らしてきたリールにとって、精霊が枯渇している外界での行動は負担になる。今、寝ているのは疲労からだからな」
「私たちは、生まれたときからこの世界で暮らしてきていたが、彼女は違う……環境の違いということか」
「そっか……あんまり、これに頼ってられないってことよね。判ったわ。この子の前で、精霊魔導は使わない。でも、本当にヤバイって状況なら使うわよ。あたしも命が惜しいからね」
「良いだろう」
 シンは頷き、了承した。
「連れて行くのは判ったけどよ、もう一つ良いか? 誰が面倒を見るんだ? まさか、シンが背負って戦うわけじゃないだろ?」
 キトが言い難そうにシンに訊ねた。相手はギアトを始め、場所が場所だけに、おそらく今までよりも強大な敵が現れるだろう。そんな中、リールを守りながら戦うことができるというのだろうか。
「それに関しては適任者を用意している。心配無用だ」
「適任者?」
「言っただろう。バベルに結界の情報は、先に入手しておいたモノだと。先行して、既にバベルに向かっている者が一人いる」
「こんな魔族が大勢居そうな場所に一人なんて……どんな人、なの?」
「私も親しくはしてもらっていないからな。正直、まだ判らない部分が多い。だが、単純な戦闘力だけならば私よりも信頼できるぞ」
 マルソーの問いに、シンは自嘲気味に微かに笑みを漏らしたかのように見えた。
「――!? オイ! 魔族の気配がするぞッ!」
「何!?」
 と、そのとき、不意にスパイルが翼を湧き立たせ、声高に叫んだ。途端に一同に動揺と緊張が走る。
「いや、待て! 魔族ではない! この気配は、あいつだ」
 が、すぐにシンが声を上げ、それを制止した。すると、森の奥から一人分の人影がこちらに向かっているのが見えた。
「魔族とは、随分とご挨拶だな」
 一同の前に現れた青年は、どう捕らえても好意的ではない声で、冷ややかに全員を見下ろすような目で言い放った。
「久しいな。ラクルス」
「感慨に耽る気はないがな」
 左目を覆う白金の髪と、顔半分を覆う月色の仮面。その風貌から明らかに異質の気を纏っているラクルスに、誰もが注目していた。
「バベルを攻略すると聞いていたが、この面子で勤まるのか? 子供まで混じっているようだが」
「な……!」
「この子らの面倒は私が見る。お前の手を煩わせることはない」
 反論しようと口を開きかけたキトの前に割って入り、シンはラクルスに言った。
「なら、いいのだがな。これ以上、お守りが増えては面倒だ」
 キトを一瞥することもなく、ラクルスはシンに背に負ぶさっているリールを見て言った。
「適任者、なの? 本当に」
「僕に訊かれてもね……」
 小声で囁くレアに、ゴラスは我関せずと言った感じで肩を竦めた。


***


 森を進むにつれて、空気の中に含まれる違和感が濃密になっていく様子が、肌に敏感に伝わってきた。バベルへの進入と脱出を阻む瘴気の壁。遠目にそれを臨む一同を振り返り、シンが口を開く。
「作戦の最終確認をするぞ。レア、ゴラス、マインドは囮となり、バベルの魔族を引きつける。手薄になったところで私、マルソー、キトはバベルに潜入し、ガーディアの身柄を確保。ラクルスにも囮として敵を引きつけてもらうが、リールの安全を最優先にする。各々の役目は以上だ」
「囮ね……一応、魔族の拠点なんでしょ? わんさか集まってきても、全部対処できる自身ないわよ」
「安心しろ。本物の囮役は俺だ。この瘴気が破られることを敵は想定していないはず。それが破られたとなれば、敵は躍起になって破った者……リールを探し、始末しようとするだろう。リールを守るのは俺の役目だ。雑魚は全て俺が引き受ける」
「僕らは、気楽に外野で戦っとけってことっすね」
 まるであてにされていないラクルスの言葉に、ゴラスは苦笑しながら言った。
「そう言えるほど、楽な仕事だと良いのだがな。いずれにせよ、一番に敵の的になるのは私たちだ。相応の覚悟はしておかなければならないだろう」
 気を引き締めたマインドの言葉に、レアとゴラスは頷く。彼の肩にとまるスパイルは、何を言うでもなく、成り行きを見守っていた。
「オレたちは、具体的に何をすればいいんだ?」
「細かいことは考えなくて良い。ただ、私に付いてくるだけだ」
「それだけなの……?」
「もちろん、敵と遭遇すれば戦ってもらうぞ。それに、この役目は、おそらく一番厄介だ。塔の内部には、敵の頭目……ギアトがいるだろうからな。ガーディアがいるとするならば、おそらくそこだろう」
 ギアトという名に、マルソーとキトは互いの顔を見合わせていた。はっきりと姿形は覚えていないが、その存在が持つ力を強大な影として覚えている。
「ともかく、これまでに見たこともない魔族にも出会うだろう。各々、命を落とさないよう、十分に気を付けることだな」
「作戦決行か。リール、起きろ。いつまで寝ている」
 ラクルスがシンの背で眠るリールの肩を揺すった。すると、リールは若干身じろぎし、うっすらと瞳を開き始めた。
 「う……ん、あれ……お兄、ちゃん……?」
 彼女の意識は徐々にはっきりとなり、目の焦点がラクルスに合わさった。
「目が覚めたか?」
「うん。ここは、何処? なんだか、イヤな感じがする。気分が悪いわ……精霊が泣いているの……」
「それを助けるために、お前の力が必要なんだ。ついて来い」
 そう言うと、ラクルスは片腕にリールを抱き上げた。一瞬驚いた顔をしたが、リールはその状況をすんなりと受け入れた様子で、大人しく彼に従っていた。
「大丈夫なのか? あれで」
「言っただろう。適任者だと。それよりも、始まるぞ」
 キトの疑問を軽く流し、シンはラクルスとリールの後へ続いて歩き出した。

「……アタシは、何をすればいいの?」
「お前は、ただ精霊に呼び掛ければいい。後は、俺がうまくやる」
「泣いている精霊に、話しかければいいの?」
「お前風に言えば、そうなるな」
「わかったわ。やってみる」
 リールは胸の前で手を組み、祈るように目を閉じた。すると、彼女の周囲の空気に微かな揺らぎが生まれ、重力に反するように、微かに髪や衣服がフワリと持ち上がった。
「う……!」
 一瞬、リールが苦しげな声を上げる。精神に黒い波が流れ込み、意識が浸食されていくような感覚が襲った。
「気をしっかり持つんだ。少しの間堪えてくれ」
 リールの肩を掴み、ラクルスが言う。彼の言葉に励まされ、彼女は頷いた。

「一体全体、何が始まろうっていうわけ?」
 二人を、少し距離を置いたところで見守る中、レアが一番に疑問を呟いていた。
「瘴気の壁を、リールの精霊干渉能力を使って打ち消すんや。正確には、中和するってことやがな」
「瘴気は言わば、負の力を帯びた精霊だ。正反対の力をぶつければ、それを緩和し、無害にすることができる。意志を持った生命に侵食したモノなら難しいが、このような意志を持たない集合で構成された障壁ならば、幾分崩れ易い」
「淀んだ空気を正常に戻すようなモノか……」
「例え話やと、妥当なところやな」
 スパイルとシンの解説を聞き、得心したように呟くマインドだったが、疑問を呟いた本人であるレアは、今ひとつ釈然としていない様子だった。
「そろそろ始まるぞ」
 が、それ以上彼女には構わず、シンは再びラクルスとリールの方へ向き直った。

「お兄、ちゃ……ん!」
 堰を切ったように光が弾け、リールの周りの空気が元に戻った。目の前の瘴気は僅かに渦を巻くように歪が生まれ、やがてそれは波紋を生むように広がっていった。
「よし、後は俺に任せておけ」
 ふらつくリールの身体を支え直した後、ラクルスは大鎌を構え、歪む瘴気の壁の前に立った。そして、彼が息を吸って呼吸を整えると、大鎌を覆うように、青白い光が集束していった。
「消滅しろ! デリートッ!!」
 精霊の気を帯びたラクルスの大鎌が、人間離れの巨大な一線を描き、瘴気の壁に亀裂を生む。暗い底から漏れ出す光のように亀裂は輝き、瘴気の壁は霧散して道を開けた。
「急げ。壁が崩れれば、魔族もおのずとこの地点に集まってくるぞ」
 まだ息の上がっているリールを抱え、ラクルスが壁の先へ走る。
「私たちも行くぞ。遅れるな」
 彼に続き、シンも後続を先導して走り出した。マインドとゴラスが一番にそれに応えて動き出したが、二人は不意に立ち止まって振り返ると、半ば呆然としている残りの三人に向かって口を開いた。
「ボヤボヤしている暇は与えられていないみたいだが?」
「仕方ないっすね。ほら、さっさと走る」
「うわっ! ちょ、判ってるってば!!」
 ゴラスに手を引かれ、レアはバランスを崩してつんのめる。危ういところで持ち直した彼女は、それを誤魔化すようにゴラスの顔を睨むように見上げた。
「危ないわね。言われなくても行くわよ。ほら、君たちも。はぐれないように、ちゃんと付いて来るのよ!」
「な! バカにするなよ!」
「ご、ごめんなさい……」
「謝ってんじゃねえよ。オレたちも行くぞ!」
 レアの言葉に反発し、キトはマルソーの手を握ると、そのまま彼女を引っ張ってレアの横をすり抜けて走って行った。
「さ、置いていかれない内に、僕たちも行くっすよ」
 マインドに軽く目で挨拶し、ゴラスはレアと先に走って行った。それからやや遅れて、マインドも続いた。
「口が減らん連中やな……ま、これからのことを考えれば、その程度が丁度ええか」
「ふ……そうかもな」
 肩の上でぼやくスパイルに、マインドは苦笑気味に応じた。


***


「ギアト様! 障壁が突破されたようですが……!」
 バベルの頂上で、地上の様子を監視していたギアトに、怪鳥ノスフェラが言葉をかけた。
「人間ども……なかなかやるじゃねえか。これは、少しは楽しめるか?」
 驚きを顔に出すノスフェラに対し、銀狼ドゥ―ムが牙を剥き出しにして口を歪める。ギアトは動じることはなく、静かに彼らを振り返った。
「あれは『聖杯』の力で作り上げたモノだ。それを打ち破る力は、同じく『聖杯』の力に他ならない」
「まさか、人間たちが『聖杯』を持っていると?」
「『聖杯』を持っているのなら、人間とは限らないがな。このまま立ち往生してくれる程度の力なら楽だったが、まあいい」
 ギアトが背に携えた大剣ブラストを抜き放ち、上空に掲げる。刀身に秘められた力より荒ぶる旋風が巻き起こり、それは周囲の雲を散らして美しい青空を視界に晒した。そして、空間が歪にゆがみ、そこから黒い瘴気の塊が溢れ出してくる。それは次第に人や獣に近しい姿を象っていった。
「これだけいれば十分だろう。行け……私たちに牙を剥く人間を消してこい」
 ギアトが開戦の合図を送ると、彼の生み出した魔族たちは雄叫びのような声を上げ、地上へと降下していった。
「ノスフェラ、ドゥ―ム。お前たちにも予定通り出てもらうぞ。ただし、狙いは『聖杯』だ。『聖杯』を持つ者を優先して探せ。そして、排除だ」
「承りました」
「仰る通りに……八つ裂きにしてやりますよ!」


***


 一旦ラクルスとは別れてバベルの正面までたどり着いたところで、レア、ゴラス、マインドの三人は一旦立ち止まった。
「瘴気の外とは空気の重みが違うな」
「ある意味、真っ只中なわけっすからね。あまり、いい気分はしないっすね」
「とかなんとか言ってるうちに、なんか団体さんが来たみたいなんだけど……」
 空気に違和感を覚えたレアが上空を仰ぐ。そこには降下してくる魔族の群生がいた。その光景は、空を覆う黒い雲のようにも見えた。
「これを全部相手に? 難儀な話っすね」
「引き受けた以上、やるしかないだろう」
「うわちゃ……マインドさん、やる気満々ですか?」
「そう言う訳でもないのだが……これだけの相手、気を昂ぶらせなければ戦えないだろう」
 マインドは腰に下げたFORMを抜き、その柄から輝く魔力の刀身を生み出した。一番オーソドックスな無属性のノーマルフォームだった。彼は後ろで構えるシン、マルソー、キトを振り返り、控えめな笑みを見せた。
「ここは任せてもらって構わない。キミたちは、自分の役割に専念してくれ」
「……良いのか? 予定より数は多いぞ」
「少々予定外のことが起こったくらいで変更がきくほど、安い計画ではないのだろう? 自分の身くらい、自分で守るさ」
 シンの言葉に心外そうに答えると、マインドは改めて上空を仰いだ。
「さあ、話している内に敵が近付いてきたようだ」
「うわ、本当ですね……って、何を悠長な!」
 思わず同意の呟きを洩らし、レアはすかさずマインドを振り返って言った。魔族の群生は、目視でその姿が判る程度まで近付いていた。
「慌てる必要はないさ。……フォース・ウィング転化!」
 マインドがFORMに意志を注ぐと、剣を象る魔力が淡い緑に輝き、旋風を巻き起こした。更にそれを地面に突き立てると、旋風に乗って彼の身体が宙へと浮かんだ。
「これはまた……飛ぶとは、器用な真似をするものっすね」
「ラッシングゲイル!!」
 魔物の只中に突っ込んだマインドは、FORMに込めた魔力を解放する。風の刃が彼を中心に広がり、次々に魔物の群れを疾駆して斬り裂いていった。
「まだ終わらないぞ。フォース・プラズマ転化!」
 予期せぬ奇襲にあって動揺する魔物たちに対し、マインドは続けてFORMに魔力を注いだ。風を帯びた雷へと形を連ね、それは広がる。
「フォールブライト!!」
 FORMが輝き魔力を上空へ散らすと、無数の雷が降り注ぎ始め、魔物たちをことごとく大地に叩きつけ、消滅させていく。
「うっわぁ……本気を出したマインドさんが、こんなに凄いとは……」
「絶景かな……っすか」
 開いた口が塞がらないとは、こういう状況を言うのだろうか。地上からマインドの戦いを見守るレアとゴラスの口からは、呟きのような声が漏れていた。
「なるほど、これならば、この場は任せても良さそうだな」
 シンが感心したように言ったその時、マインドの上空から巨大な黒い影が見えた。
「――マインドさん!! 上っ!!」
「――! なんだ!?」
 レアの声に反射的にマインドは上空を見上げた。その瞬間、マインドに向かって暴風と共にそれは落ちてきた。反応が一瞬でも送れていれば、おそらく直撃していたに違いない。
「な! なんだってんだよ!!」
「と、飛ばされるよ!」
「二人とも下がれ! 私の後ろにいろ!!」
 シンは庇うようにキトとマルソーの前に立ち、彼自身も暴風から身を守るために伏せた。
 影が大地に降り、その衝撃で風は更に強く吹き荒れた。巻き起こる砂塵にレアとゴラスは膝を付きながら耐え、影を見るように態勢を保つ。
「キサマらか。我らが為さんとする目的を邪魔だてする人間というのは」
 やがて風が収まり、視界が晴れると、影はその姿を露にする。人の何十倍はあろうかという巨大な大鷲が悠然とそこに構えていた。
「魔族? なんか、雰囲気がずいぶん偉そうね」
「我の名はノスフェラ。ギアト様の腹心……キサマらの排除の命を受け、ここに来た」
「ギアト……やはりギアトはいるのだな」
「ん? 中には人間ではいない者も混じっているようだな。いずれにせよ、敵であるならば排除するまでだが」
 呟くように言葉を漏らすシンの姿を見て、ノスフェラは余裕のある態度で言った。
「この場は任せた。私たちも行くぞ」
「え? でも……」
「それぞれがそれぞれの役目を果たさなければ、この作戦は成り立たない。余計な気を回すな」
 戸惑うマルソーに、シンは厳しい口調で諭した。キトはレアとゴラスを一瞥しただけで、黙ってシンに従っていた。
「逃がすと思うのか?」
 ノスフェラが翼を翻すと、再び暴風が吹き荒れ、シンたちを襲おうとした。が、その刹那、上空に飛んでいたマインドが急降下し、FORMを大地に突き立てた。
「フォース・アース転化……バウンディンググラウンド!!」
 FORMに魔力を注ぎ、力を解き放った瞬間、地響きを上げて隆起する大地が巨大な壁となり風を防いだ。
「私たちに気遣いはいらない。早く行くんだ」
「――は、はい!」
 マインドは振り返り、マルソーと目を合わせると深く頷いた。彼の目に宿る決意と自信、そして強さを感じ、マルソーは強く頷き返した。
「突っ切るぞ。捕まれ」
 悪魔を彷彿とさせるような硬質な翼を背に広げたシンが、マルソーとキトに呼びかける。二人が捕まると、翼を羽ばたかせた彼の身体は急上昇し、まだ上空に残る魔族の群れの中を駆け抜けていった。
「……さて、ひとまず私の役目は果たせたみたいだな」
 シンたちを見送り、マインドは少し気を解した。が、すぐに目の前まで迫ってくる巨大な気配を感じた。
 ビシッ、鈍い音を立てて大地の壁に亀裂が走る。マインドが後ろに飛び退いたと同時に壁は崩れ落ち、舞い上がる砂塵の中からノスフェラが姿を現した。
「人間にしては、少しはやる。だが、この代償は高くつくぞ」
「なら、利息を付けて返してやろうか」
 ノスフェラが放つ重圧を跳ね返すように言葉を返し、マインドはFORMを構えた。
「そうそう! すっかり出そびれたって言うか、出番取られちゃった気もするけど、あたしたちもいるわよ!」
「微妙に腰が引けている気がするけど、どうする気っすか?」
 ノスフェラの背後で言うレアに、ゴラスが若干呆れたように息をついた。
「う、うるわいわね! そんなの決まってるわよ! 気持ちで引き下がらない! 戦って、勝つ!!」
「ま、結局それしかないっすね」
 頑として足を地に付けて声を大にするレア。ゴラスも彼女に応じ、ナイフを抜いて臨戦態勢に入った。
「人間どもが小賢しい……ギアト様より受けた『聖杯』の力、とくと刮目するがいい!」
 ノスフェラの両翼が大きく広がり、嵐の如き強圧な旋風が巻き起こる。それを合図に三人は同時に地を蹴り、嵐の中へ踏み込んでいった。


***


「あちらでも始まっているようだな」
 リールを肩に抱いたまま魔族の群れの中を駆けるラクルスは、ノスフェラの気配を感じて一瞬立ち止まった。彼の振るう大鎌に触れたモノは瞬く間に両断され、肉体を構成する瘴気へと変わり霧散していく。既に彼の進行を阻もうとする魔族はいなかった。
「このまま事が終わるまで、雑魚どもの相手をしていれば楽なのだがな。少しは骨のある雑魚もいたか……あいつらで事足りるか……」
「お兄ちゃん、どうしたの?」
 閉じていた目を恐る恐る開け、リールはラクルスに尋ねた。
「いや、なんでもない」
 彼女の問いに言葉を返し、彼はマインドたちの場所へ向かうべきか思案する。が、程なくして彼は別の大きな気配が自分の元へ向っていることに気がついた。
「リール、すまない!」
「え? ――きゃあ!」
 ラクルスは咄嗟にリールを投げ出すように地面に下ろし、前へ飛び出して大鎌を構えた。そこへ空を切り裂く轟音を上げながら、巨大な爪が振り下ろされた。
「ちっ、ここにもマシな雑魚がいたか」
 大鎌に響く衝撃にラクルスは舌打ちし、攻撃を仕掛けてきた本体を睨んだ。
「オレを雑魚と言ったか!? ラクルス・バルス!!」
 地響きを上げながら歩く銀狼ドゥームが立ち塞がる。ラクルスは後ろのリールを気遣うように一瞥し、ドゥームと向き合った。
「そいつが気になるか? すぐ一緒に始末してやる」
「雑魚が吼えるな。かかってこい」
 大鎌を構えて冷徹に言い放つラクルスに、ドゥームは嘲笑のような声を漏らした。
「そう言っていられるのも後少しだ。十年前の屈辱、ここで晴らす!」
「十年前だと?」
「そうだ! オレは一度お前に殺されているのだよ! 十年前、同じバベルの下でな……あの時の屈辱は忘れん!!」
「ふん、生憎だが、今まで斬り捨ててきた雑魚のことなど覚えてはいない。御託はいい、来るなら来い」
「その態度、高くつくぞ……キサマだけは許さんッ!」
 ドゥームは吼え、ラクルスに牙を剥く。鋭利な殺気を纏ったラクルスは、その銀狼に手にした大鎌の切っ先を向けた。


***


「おい、いったい何処まで行くんだ!?」
 シンに捕まりながら、風圧に負けぬようにキトが叫ぶ。マルソーは振り落とされないようにシンにしがみ付くのが精一杯のようで、目をきつく閉じて耐えていた。
「もう少しだ。大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
 シンは若干スピードを緩め、マルソーに尋ねた。それで喋る余裕ができたことで、彼女は微かに頷いて答えた。
「しっかし、懐かしいんだか何だか、妙な気分だな」
「そう、だね……」
 感慨深げに呟くキトに同意するようにマルソーは頷いた。
「そろそろ着くぞ。用意はいいな」
 シンは更に減速し、バベルの側面へと近づいていった。ここから上空へ伸びる箇所には、大人一人分はあろうかという輝く宝石のようなモノが等間隔に配置されていた。
「これは、魔石か?」
「そうだ。覚えがないか?」
 キトの問いにシンが答え、問い返す。二人は十年前にここにいた時の記憶を思い返した。
「うん。そういえば、記憶があるかな」
「だが、いったい何に使うんだ。こんな大量の魔石を」
 バベルはまだ先を見せず、空へと伸びている。その壁全てに魔石が配置されているとするならば、かなりの量と共に魔力を蓄積していることになる。
「それだけ大掛かりなことが起こるということだろう。なんにせよ、これを利用しない手はない」
「利用って、どうするつもりだよ?」
「お前たちを背負って移動するのも疲れる。ここからは『マーキング』を使うぞ」
「え? でも、『マーキング』は予め自分の魔力を移動先に置いておかないといけないんじゃ?」
「魔石は魔力を吸収する石だ。これだけ魔石同士の距離が近ければ、連続して魔力の転送を行えば可能になる。行くぞ」
 そう言うや否や、シンは自身の魔力をバベルの上層部に見える魔石へと撃ち込んだ。そして、魔力が魔石に届いたところで『マーキング』を発動させる。魔石を飛び石のように利用し、彼は瞬く間にバベルを駆け上がって行った。
「ちょ、ちょっと待て! さっきよりも勢いが強いぞ!!」
「堪えろ。直に着く。喋ると舌を噛むぞ」
 シンの魔力に守られて風圧はなくなったモノの、移動の勢いと揺れに、キトとマルソーは振り落とされそうになっていた。それでもなんとかシンにしがみ付いて耐え続ける。
 そのまま雲を突き抜けるように通過し、やがてバベルの頂上部が見え始めたその時だった。
「――う!?」
「な……っ!!?」
「きゃあ!!」
 突然衝撃がシンの身体を揺さぶり、仰け反らせた。その勢いでキトとマルソーが宙に投げ出される。シンは瞬時に体勢を立て直してマルソーを背に受け止め、キトの衣服を牙に引っ掛けて無事回収したが、その表情には若干の焦りが見られた。
「無事だな?」
「し、死ぬかと思ったぞ……」
「ほ、本当だよ」
 キトは血の気の引いた顔で、マルソーは恐怖から引きつった笑みを浮かべていた。シンは衝撃を受けたポイントを仰ぎ、厄介そうに舌打ちをした。
「結界が張られているな。用心深いことだ。仕方ない、中から攻めるぞ」
「中って、どうやって?」
「こうする。多少骨が折れるがな」
 そう言うと、シンは品定めでもするようにバベルの魔石を見渡し、一つの魔石に視線を止めた。そして、彼が念じるように意識を集中させる。
 ドオオォッ!!!
 程なくして魔石に大きな亀裂が走り、内部から爆発するかのようにそれは砕け散った。そして、魔石のあった一角が崩れ、バベルへ進入するための入口が出来上がっていた。
「シン、いったい何をしたの!?」
「魔石に蓄積できる魔力の許容量を超え、砕けさせただけだ。道は開けた、ここからは自分の足で歩けよ」
 内部へ進んだシンは床に降り、翼を消して普段の状態へと戻った。彼から離れた二人は軽く伸びをして身体を解し、周囲を見渡す。あるのは床と天井、そして部屋の中央に作られた上の階へ行くための階段のみと、余計な装飾などはほとんどない殺風景なモノだった。
「で、中に入ったのはいいが、結界があるんだろ?」
「結界がバベル内部までに張られていないのなら、それに越したことはないが、もしそこまで及んでいるならば壊すまでだ。今は重荷を背負っていない分、存分に力を使える」
「わ、わたしたちって、やっぱり足手まといかな……?」
 シンの言葉に気落ちしたように言うマルソー。彼は苦笑気味に笑うと、彼女の側に寄って言った。
「そうは言っていない。むしろ、私はお前たちに期待しているぞ。さあ、行こう」
「う、うん……」
「言葉のアヤってヤツだろ。そんなに気にするなって」
 マルソーを励ますようにキトは言葉を掛け、上層へ向かう階段へ向かったシンの後を追った。少し気持ちが和らいだ彼女も、それに続いた。
「……しかし、妙だな」
「ん、何がだ?」
 上層へ上がったところで立ち止まり、シンが怪訝な様子で呟きを漏らす。それにキトが反応して問うと、シンは周囲に気を配って覗いながら口を開いた。
「人の気配がまるでしない。十年前、バベル建造は人の手で行なわれていたはずだ。完成したとしても、生き残りがいてもおかしくはないはずだ」
「確かに……完成したのは随分前で、用無しになった人間は始末したとか、そういう話か?」
「そんな、酷いよ……」
「そうと決まったわけではない。真偽は定かではないが……今、私たちができることは、先へ進むことだけだ」
 シンは気を取り直して再び歩き出そうとする。が、すぐに足を止めた。
「おい、今度は何だよ?」
「今、強い気が膨れ上がるのを感じた。何かの罠が発動でもしたかのような……」
 ドオオオオン!!
 突如、バベルを震撼させるような振動が襲った。同時に、急速に広がる重圧感。シンでなくても、肌にそれが伝わって来る。
「な、何が起こったの?」
「上だな。結界の代わりに、侵入者を撃退する罠が仕掛けられていたようだ」
「上!? ちょっと待てよ! オレたちに対して罠が発動したんじゃないってことは……」
 キトの疑惑に、シンは頷いた。
「私たちではない誰かが、頂上を目指しているということだろうな」


 全身を薄い赤色の体毛で覆われた大猿のような魔族。瞳からは知性が抜け落ち、獰猛さだけが深く輝いている。目の前に突如現れた巨大な魔族に、男は咄嗟に距離を取って身構えていた。長身で、鍛えられた無駄のない肉体は歴戦の戦士を彷彿とさせる男だった。
「ちっ、そう簡単には行かせてくれないってか。上等だ」
 額に巻いたバンダナを目深に下げ、魔族を見据える。次の瞬間、両の二の腕に装備された腕輪から青い輝きが爆発した。
「悟られないように抑えて来たが、ここまで来れば同じだろ。いっちょ、派手にやろうじゃねえか!!」
 青い光は、具現化された彼の闘気だった。それは次第に彼の手から腕を覆うように集束し、硬質化して手甲となっていた。
「さあ! 行くぜえええッ!!」
 勇んで魔族に向かって男は駆け出す。が、彼が魔族に攻撃を仕掛ける前に、事態は急転していた。
 ヒュォッ!!
 風のように彼の背後から黒い影がすり抜け、一瞬の内に魔族を切り裂き地に倒していた。まさに瞬殺と言える技だろう。刹那の出来事に男はしばし呆然としていたが、その影の正体を見てハッとして声を上げた。
「シンか!」
「久し振りと言うべきか……ガーディア。予想外のところで出会ったな」
 男――ガーディアとシンは、互いに意外そうな顔を見合わせて、しばらく言葉を失っていた。
「ガーディア、なの?」
「――?」
 不意に背後から聞こえた声に振り返り、ガーディアはその先にいる二人の子供の姿を見た。
 そして、二人は何も言えず、ただ彼の姿を見ることしかできずにいた。言いたかった言葉もたくさんあったはずなのに、それを全部忘れていた。
「お前ら……そうか、あの時のガキが、帰ってきたってわけか」
 二人の姿を見てしばらく思案顔になったガーディアだったが、やがて直ぐに思い当たったように表情を変えた。
「約束……したから」
「そうだったな。『いつか』って約束したが、その『いつか』が今ってわけか」
 懐かしそうむように言うと、彼は少し俯き二人へと歩み寄った。
「成長したモンだな。ちっこいのは変わりないみたいだけどよ」
 ポンと掌を二人の頭に乗せ、軽く笑う。が、いきなりキトはその手を払いのけ、思い切り彼の顔を睨み付けた。
 ――ガッ!!
 キトは気が付けば、ガーディアの顔を握り締めた拳で殴りつけていた。倒れるには至らなかったが、思わぬ不意打ちに多少面食らったようで、ガーディアの口からは少し血が滲んでいた。
「キト!?」
「ふぅ……これで、少し気が晴れた。お涙頂戴の展開なんて、オレは期待してないぜ」
「くぁ、可愛げのないところまで変わってないな……仕方ない、一発は貸しにしといてやる」
 驚くマルソーに構わず何処かすっきりとした顔をして言うキトに、ガーディアは顔をしかめつつも笑った。
「ま、積もる話は後にするとして、行くぜ。急がないと、ヤバイことになりそうだ」
「細かい経過はバベルを攻略してから聞くとしよう。今回ばかりは、私たちもサポートに回るぞ。文句は言わさん」
「ああ、了解だ」
 この先に待っているモノを見越して釘を刺すように言うシンに頷くと、ガーディアは頂上へ向かう階段へ向かって駆け出した。
「私たちも続くぞ。放って置くと碌なことが起こらん」
 呆れたように吐息をし、シンはマルソーとキトを促してガーディアの後を追った。二人も遅れてそれに続く。
「キト、なんでガーディアを殴ったの?」
 キトの後ろに付いて走るマルソーが、戸惑った様子で訊ねた。キトは彼女を少しだけ振り返り、しばらく思案顔だったが、最後には首を横に振った。
「さあな。久し振りに顔を見たら、色々思い出して……なんとなくだ」
「なんとなくって!」
「言いたい文句は山ほどあったんだけどな。結局一発ブン殴るだけで終わっちまった。それだけだよ」
 マルソーはキトの心情がいまいち掴めず、彼の返答を聞いても釈然としない様子だった。
「もうすぐ外へ出るぞ。気持ちだけは準備しておけ」
 シンが階段を駆け上がりながら二人に言葉をかける。そういった矢先、視界が遠い空色に開けた。
「準備って、いきなりかよ。ガーディアは何処だ!?」
 バベルの頂上は円状の平らな床が広がり、外周を覆うモノは何もない。一歩足を踏み外せば地上へ真っ逆様という具合だった。
「あそこだよ!」
 日の光を遮るように片手を頭上にかざしながら、マルソーは前方を指した。彼女の指先をたどると、確かにガーディアの後姿を確認できた。同時に、その先にある人影も。

「ルイーザを退けたか……『聖杯』に耐え切れず忘我したとはいえ、力はあったはずなのだがな」
「生憎だったな。猿に負けるような俺じゃないんでね。正確には倒したのは俺じゃなかったが……まあそれはいい。とにかく次は、あんたの番だぜ」
 ガーディアは拳を突き出し、その先に立つ一人の魔族を強く見据えた。
「私が直接手を下さねばならないようだな。真なる魔族が目覚めるまでの間、しばし相手をしてやろう」
 向けられた新緑の双眸が生気ある輝きを見せ、常軌を逸した力を感じさせる。統括者ギアト、魔族を指揮し、支配する知る限りでは最強と謳われる存在が、目の前にいる。
「悪いが、そう上手い具合に事は運ばないえ。俺があんたを止めるんだからな!」
 十年前を再現するかのように相対する二人。ガーディアは、ギアトと同じ新緑の瞳で彼を見据え、自身の闘気を最大限に高めた――


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