BRAVERS STORY 〜交錯する時の欠片達〜 〜第二十話「終末の始まり」〜 突如として現れたデズルートと名乗る魔族。それが放つ尋常ではない気が、場を圧倒的に支配していた。ギアトの内に静かに佇むような強さとは対照的で、まるで遠慮がない、暴力的なモノだった。 「一、二、三、四……ガキと死にかけているのも含めてもそれだけかよ。ま、肩慣らし程度にはなって欲しいモンだが?」 「新手かよ……だが、負ける訳にはいかねえ!」 見ているだけで射竦められそうなデズルートの存在に、ガーディアは自身を奮い立たせるように闘気を放出した。彼の闘気にデズルートは一瞬目を見張ったが、すぐに口に笑みを戻す。 「いいねえ。敵わねえって判ってても、在りえないちっぽけな希望に縋って挑んでくる奴。好きだぜ、そういうの」 「俺の用があるのはギアトなんだよ! そこを退け!!」 ガーディアは手甲に具現させた闘気をデズルートへ向けて繰り出す。が、デズルートはそれを避けようともせず、笑みを浮かべたまま動かなかった。ガーディアの拳は、そのままデズルートの顔面へと炸裂する。 「……」 普通ならば食らえば吹き飛ぶ勢いの拳だったが、デズルートは正面からまともに当たったにも関わらず、微動だにしていなかった。ガーディアは、笑みを浮かべたままのデズルートの顔を呆然と見つめている。 「うーん、少しはやるみたいだな。少し、痺れたぜ」 いや、ガーディアの拳は当たったかに見えたが、デズルートは拳が届く寸前のところで、片手でそれを受け止めていた。ガーディアの闘気は、デズルートの片腕に完全に勢いを殺されていた。 「けど、残念だったな。それじゃあ、俺様には至らねえよ!」 「――がッ!!?」 ガーディアの拳を払い除けたデズルートは、その笑みを一層歪めてみせた。次の瞬間、ガーディアの腹部に痛烈な衝撃が走り、身体が浮いた。 「ハッハア! どうした!? ニンゲンってのは、時が経っても相変わらず弱っちい奴らばかりみてえだな!!」 ガーディアの身体の落下地点に先回りし、デズルートは落ちてくるガーディアの身体を高く蹴り上げる。そして、背に悪魔の両翼を広げて飛び上がると、ガーディアを追い越して彼の顔を見下ろした。 「オラよ!!」 組んだ両手を高く振り上げ、そのまま力任せに振り下ろす。ガーディアの身体は一気に床に叩き付けられた。全身にひびでも入るかのような衝撃が襲い、声のない苦痛を彼は叫んだ。 「おじさん!!」 「取り乱すな。お前は、シンを治すことに専念しろ」 デズルートにいい様に甚振られるガーディアの姿を見て、リールは悲壮な声を上げる。が、ラクルスはそれを制止して、彼女に厳しい口調で言った。 「でも、お兄ちゃん!」 ラクルスに縋るようにリールは言葉を発したが、すぐに言葉を呑み込んでいた。ラクルスの気配が、静かだが熱く、燃え上がるように揺らめいていたのだった。 「お兄ちゃん……?」 それは、彼の黒翼が持つ異様な気配などではない。純粋な怒り、憎しみによる感情から来るモノだった。 「お前は、お前の役割をこなすんだ。いいな……」 リールを前にしているからこそ、ラクルスは己の激情を最大限にまで殺して話していた。それでもなお、彼女にはラクルスの歪んだ感情がはっきりと判った。それ故に、何も答えることができなかった。 そして、リールの返事を待たず、彼の姿はその場から消えていた。 「どうしたあ!? これで終わりかよ!!」 倒れるガーディアの頭を踏み付け、デズルートは勝ち誇った顔で言った。気を失っているのか、喋ることが出来なくなっているのか、ガーディアは浅い息遣いをしているだけで動くことはなかった。 「デズルート!!」 「――!?」 不意に名を呼ばれて顔を上げると、目の前に大鎌の銀光が煌いていた。が、デズルートは寸でのところで身を退き、ラクルスの一振りを交わした。 「なんだぁ? いきなり物騒じゃねえか」 焦った様子もなく、デズルートは値踏みするようにラクルスに目を向けた。続け様に大鎌振るわれるが、その全てを余裕の笑みで往なしていく。 「デズルート……その姿、殺意。全てあの日のままだな」 「あん?」 「俺は、お前を斬り捨てるために今日まで生きてきた!」 急速にラクルスの気が膨れ上がる。彼の背の翼が大きく広がり、スピードが一気に増した。 「おおおおお!!」 閃光のような鋭い一閃がデズルートの頬を掠めた。自分の血を見たことで一瞬唖然としたが、デズルートはすぐに我を取り戻し、続けて振るわれるラクルスの鎌を素手で受け止めた。 彼は刃には触れず、指先の力だけで大鎌を掴んで止められていた。勢いを一気に殺されたことで、ラクルスはバランスを崩して前傾になる。そこにデズルートの膝蹴りが突き刺さった。 「ぐ……!!」 「やるじゃねえか。少しビビッたぜ?」 ニヤリと口端を不敵に持ち上げ、デズルートは続けて鎌を受けていない左拳をラクルスに放つ。が、ラクルスは拳に意識がいったことで僅かに緩んだ鎌を掴む力を見逃さず、力任せに鎌を薙ぎ、デズルートを振り払った。 「ああ……やっと思い出したぜ。テメエ、あの時の天使ちゃんかよ」 舞い散る黒い羽根の向こうに見えるラクルスの姿に、デズルートは呟くように言った。 「思い出したか」 「懐かしいじゃねえかよ。ニンゲンの感覚で言ったら、何十年? それとも何百年前か? ま、どうでもいいけどよ」 しかし、彼は思い出したことにすぐに興味をなくしたように、肩を竦めて言った。 「で? テメエは俺様を殺すために今日まで生き延びて来たっていうのかよ。おめでたい奴だな!」 次の瞬間、ラクルスの視界は変わる。痛み、感覚は後から付いて来ていた。デズルートの拳が当てられたことに気付いたのは、彼の高笑いが耳に聞こえた時だった。 「ハアッハハハハハ!! 生憎だが、その程度じゃ俺様には及ばねえなあ!!」 急速な勢いで彼の気が迫ってくる。ラクルスは翼を広げて吹き飛ぶ勢いを殺し、態勢を立て直そうとしたが、既に目の前にデズルートの姿はなかった。 「そんなんで、この俺様に勝てると思ってんのかよッ!! てんで――」 背後から聞こえる声に振り返る。そして、デズルートの笑みを見た瞬間、全身の毛が逆立つような重圧を感じた。それに耐えかねた感覚が警報を鳴らしている。 「弱ぇぜえッ!!」 襲い来る衝撃に為す術もなく、ラクルスは伏していた。立ち上がろうとするが、背中をデズルートに踏み付けられ、床に磔にされたような状態になる。 「そんで俺様にてんで歯が立たないなんて、笑っちまうぜェ! ほんと、バカじゃねえかあ!?」 無数の魔族をも大鎌の一振りで一掃してしまうラクスルであったが、デズルートの前では、まるで子供扱いであった。 「ま、残念だったな。ニンゲンにしちゃ強いんだろうが、俺様の強さには届かないってことだ。なあ、兄弟?」 デズルートは、今まで黙して成り行きを傍観していたギアトに振り返って言った。しかし、ギアトは何も答えることはなかった。 「ち、愛想のねえヤロウだな。まあいいぜ。じゃあ、そろそろ終わりにしようかねェ」 「く、まだだッ!!」 ギアトに気を逸らした一瞬を突き、ラクルスは身を捻ってデズルートから逃れると、翼を広げて宙へと舞った。 「ちっ、往生際の悪い奴だな。ま、そういうのは嫌いじゃないけどよ」 無駄な抵抗と言わんばかりに、デズルートは跳躍してラクルスとの距離を瞬時に縮めた。しかし、彼がラクルスに攻撃を仕掛けようとしたところで、大きな旋風が二人の間に割って入った。 「……テメエ、どいうつもりだ?」 デズルートは、その旋風を向けた張本人、ギアトを睨み、声を落とした。 「待て。消す前に、『聖杯』を取り出さなくてはならない」 「『聖杯』だぁ!? ……ちっ、ああそうか、『親父』を復活させるためかよ」 頭を掻き、面倒そうにデズルートは言葉を吐き捨てた。 「まあいいぜ。どっちにしたって、結果は同じだからな」 眼前まで迫っていたラクルスに視線を戻した彼は、大鎌の切っ先を無造作に受け止めた。 「わかんねえ奴だなぁ。テメエじゃ、俺様を超えられねえんだよ」 余裕の笑みを浮かべながら彼はラクルスに言う。刹那、彼の瞳が残虐に光った。 「古い玩具に興味はねえ!! とっとと壊れちまいなッ!!」 デズルートは上半身を反転させ、そのまま鎌ごとラクルスを勢いで投げ飛ばした。続けざまに、彼の掌に魔力の光が収束する。 「雑魚が!」 光弾は鋭い稲光のような一閃を描き、ラクルスに被弾して爆砕する。そして、ラクルスは声も無く、その場に崩れ落ちた。 「お兄ちゃん!」 「へっ、まだくたばっちゃあいないだろうが、ここまでだな。残ってるのは、テメエだけだよ」 倒れるラクルスを目の当たりにし、悲壮な声でリールは叫んだ。しかし、その呼び掛けに彼は答えることはなく、デズルートの姿が彼女の視界の前に立ちふさがった。 「あ……」 「さて、さっきから気にはしていたんだけどよ。テメエは何者だ?」 腰を落とし、リールを覗き込むように睨みながら、デズルートは言った。リールは質問の意味が判らず、ただ恐怖に身を引かせていた。 「何も知らないって面だな。いっとくが、テメエはただのガキって感じじゃねえ。むしろ、俺様たちに近い感じがしやがる……俺様は『親父』の一部だからな。テメエが持ってる『親父』と同じ力が判るんだよ! 気に食わねえ!!」 不意に彼は片腕でを突き出してリールの首を締め上げ、頭上に掲げるように持ち上げた。 「あ……か……っ!」 苦しげにリールは声を漏らし、デズルートの手を解こうと両腕で掴む。が、彼女の力で抗えるはずも無く、熱い指先は彼女の細い首に食い込んでいった。 「ま、テメエが何であろうと俺様にとっちゃどうでもいいんだがよ。『聖杯』としちゃ上出来だ。汲み取らせてもらおうか」 空いた手に力を込め、デズルートはリールを見据えた。何をされるのか分からないが、それが、死と繋がる行為であることは容易に感じ取れた。リールは懸命に抵抗するが、圧倒的な力に抑えつけられ、どうすることもできない。 ――焦るな、デズルート。 「――ッ!!?」 突如、デズルートの頭に不快感を伴う重圧が押し寄せた。そのショックで力が緩まり、リールは滑るように彼の手から落ちた。 目尻に涙を溜め、リールは激しく咳き込みながら荒い呼吸を繰り返した。 「その声は……アルゴル! テメエも出て来たってわけかよ」 途端に周りへの興味は失せたようで、デズルートは忌々しげに、その感じる存在に対して歯噛みしていた。 『全てはこれからだ。貴様も来い、父の眠る暗き大地の底へ』 「俺様に指図してんじゃねえ! これからが面白いとこなんだ! 邪魔すんじゃねえよ!!」 声を振り払うように頭を振り、彼は空を仰いで叫んでいた。そこに存在するわけではないが、それは高見から見物しているに違いない。 『ならば、強制送還してやろう』 「なんだと?」 ――ドオォォォンッッ!!! その瞬間、大きな震動が起こった。バベルが軋むように揺れている。というよりも、この空間そのものが揺さぶられているような感覚だった。 「アルゴルのヤロウ、本気みてぇだな……仕方ねえ。テメエら、命拾いしたな!」 倒れた者たちを見渡し、デズルートは軽く口端を歪めると、踵を返してギアトへ歩み寄った。 「テメエも招待するぜ。来いよ」 彼と一瞬目を合わせ、ギアとは無言で頷いた。 「じゃあな、今度逢ったときには、間違いなくブッ潰してやるぜ。生きてここから抜け出せたらの話だがな」 二人の身体が一瞬光の中に取り込まれ、そして消える。去り際に残されたデズルートの高笑いだけが、揺れる空間に響いた。 マインドは方膝をつき、額に滲む汗を拭った。全身に鉛のように重い疲労感が蓄積され、立ち上がることさえ容易ではなかった。 「この程度で、へこたれとる場合か!」 肩で翼を怒らせて広げるスパイルに、マインドは満身創痍といった引きつった笑みを見せた。言葉を発するにも、気力が足りない。 魔族の姿も、現れる気配も、もはやない。しかし、突如として起こった揺れに、スパイルはただならぬ危機感を覚えているようだった。 「マインドさん、ここから離れないと」 レアはマインドに肩を貸そうとしたが、彼は努めてやわらかくそれを拒んだ。 「大丈夫だ。隠せば、消耗は避けられる」 今のマインドは覆面をしていない。切り揃えられた深い新緑の髪に、左頬に浮かび上がった紋章が目立つ。が、素顔を見せるのもこれまでで、彼は覆面を着け、それを隠した。 「しかしまあ、派手にやったっすね。あの数の魔族を一瞬で……」 マインドが覆面を取り払った瞬間、白い光が視界全体を塞いでいた。そして、次に視覚が戻ったときには、空を覆うほどに溢れていた魔族は、その片鱗すら残さず、全て消えてなくなっていたのだった。 「ゴラス、オマエは大丈夫なんか」 スパイルの問いに、ゴラスは軽く額を押さえて苦笑した。 「ああ、少し落ち着いたっす。それよりも、この震動は、アレか?」 「おそらく、次元崩壊のモノやろうな」 不意に真剣になる彼の口調に、スパイルは深刻な面持ちで答えた。聞きなれない言葉に、マインドとレアが怪訝にスパイルを見る。 「次元崩壊?」 「なんとなく、ただごとじゃないって感じね」 「説明は後や。マインド、走れるな?」 「問題ない」 覆面を着けたことで、紋章からの消耗を防いだマインドは、若干動きは鈍るが立ち上がった。 「よし、全員さっさとバベルの前から退散や!」 「え!?」 「『え!?』やない!! 四の五の言わずに走れッ!!」 スパイルの気迫に押され、レアを始めに三人は走り出した。揺れは一向に引く気配はなく、足は動かしにくかったが、この際、気にはしていられない。 「スパイル。バベルに残してきた彼らは大丈夫なのか?」 「わからん……が、シンがおる。下手なことが無い限り、大丈夫やろう。ラクルスとリールの気配は感じられんが、信じる他ない」 「ねえ、次元崩壊って……結局どうなることなの?」 恐る恐る訊ねるレアに、スパイルは若干考えた後、彼女に答えた。 「理屈を説明するのは難しいモンやな……概念的に言えば、世界の一部を切り離すことにあたる」 「切り離す?」 「世界を一個の生命体と見立てたとき、そうやな、もし、人間の腕を切り離せば、腕はどうなる?」 「そ、そりゃ、切れたものは元に戻らないでしょ……」 「そうやな。切った腕は元通り繋げることは不可能や。存在していた身体から、繋がりを断ち切られた腕は、身体の一部ではなく、腕という個体に切り分けられる。次元崩壊は。それが世界という次元単位で行われるんや」 「つまり……結論を言うとどうなると……」 「身体という一つの存在の中に存在していた腕は、切り離されたことによって身体に留まることを許されんようになった。腕は、身体には存在しなくなる。世界の一部もまた、切り離されれば世界の一部として存在することはできん。結論を言うと、綺麗サッパリなくなるということや」 「じゃ、じゃあ、その切り離された世界の一部っていうのは何処にいくわけ!?」 「知らん。ワイらが世界に存在するように、ワイらが存在する世界が存在する世界があるのなら、そこに残骸として残されるのか……いずれにせよ、知ることのできん領域や」 「深く考えるな。今、バベルに居れば、確実に私たちは生きて戻ることができないということだ」 「じゃあ、マルソーやキトたちは!? まだ塔に居るんでしょ!?」 「話を聞いとらんかったんか。ガキ共にはシンが付いとる。どの道アイツらはバベルの頂上や。助けにいくことはできん」 ――ビシッ! 「――わっ!?」 不意にガラスが砕けるような高音が響いたかと思うと、レアの足下に亀裂が走り、地面が崩れた。体勢を崩して落ちかけたレアの手を咄嗟にマインドが掴み、引き寄せて辛うじて最悪の事態を免れる。 「あ、ありがとうございます」 レアは振り返り、亀裂の入った地面を見た。底がないかと思えるほどの、暗い闇が続いている。落ちれば、確実に命はなかっただろう。 「揺れが治まっている……どうやら、ここが境界のようっすね。もう少し離れた方がいい。余波に飲み込まれかないっすよ」 ゴラスの言葉に、皆、はじめて震動がなくなっていることに気が付いた。そして、亀裂の先の大地が、まだ震動していることを見て知る。世界の一部が、言葉の通り切り離されようとしていた。 ぎこちなく白い翼を動かしながら、マルソーはなんとか空中で姿勢を保っていた。勝手が分からないせいか、不安定な状態でバランスを崩せば再び落下しそうだった。 「お、おい、大丈夫なのか? しっかりしろよ」 彼女の手に捕まり、ぶら下がるキトが気が気でない風に口を聞く。 「し、仕方ないじゃない。それに、キトが重いんだよ。特に、その剣」 身の丈に不相応なキトの大剣を恨めしげに見て、マルソーは言った。彼女の力では、その重さはかなりの負担で、腕も痺れてきていた。 そのため、上昇して頂上へ戻ることはできず、地上へ向かって降下するにしても、少し力を抜けば一気に落ちてしまいそうで、その場から動けずにいた。 「俺のせいかよ……とにかく、良くわかんねえが、この場はオマエに掛かってるんだよ。なんとかしてくれ!」 「そんなこと言ったって……」 どうするにも、非常識な事態に彼女自身も混乱が醒めないでいた。この翼のおかげでなんとか助かっていることは判るが、自分の身体の一部として納得できず、少なからず恐怖心もあった。 ――ドオォォォンッッ!!! 「え!? な、何っ!!?」 突然起こった地響きのような震動音に、動揺したマルソーの身体が弾かれたように動いた。 「バカ! 落ち着け!! 落ちるだろッ!!」 それに連動して彼女の手で支えられているキトの身体も大きく揺れた。手が離れれば一気に落ちてしまう彼にとっては、冗談で済む問題ではない。 「ご、ごめん……でも、なんだか変じゃない? これ……」 マルソーは周囲を見渡して、怪訝に口を開いた。 バベルも、それを取り巻く森も、全て視界の中で揺れている。そして、宙に浮いているはずの自分の身体も、その揺れを感じていた。あたかも、見えない力に掴まれて揺さぶられているかのように。 「どうなってんだよ……クソッ、限界近いぜ……」 キトもその異質さに気付いていた。そして、マルソーを掴む手が、微かに緩む。 「ダメよキト!! 絶対に離しちゃダメだからねッ!!」 それを感じたマルソーが、キトの手を強く握って叱咤するように叫んだ。彼女の声にキトは目が覚めたように目を見開き、自らの弱気を恥じて俯いた。 「あ、ああ。悪い……けど、これは確実にヤバイぜ」 耐えるだけならできるが、打開策が見つからない以上、いつか二人とも体力が尽きて落ちてしまう。二人が考えあぐねていた、その時だった。 「――何をしているッ!!」 頭上高くから怒声が響き、顔を上げると黒い影が目を見張るスピードで降下してきていた。その影がすれ違うと思った瞬間、二人の身体に強い衝撃が走り、気が付けばその影に捕まっていた。 「あ、あなたは!?」 月色の仮面をした横顔に、マルソーは声を上げた。彼女と同じタイプ、しかし色は黒い翼を翻し、マルソーとキトを両腕に抱えて宙を疾走するのはラクルスだった。 「ラクルスっていったよな、確か――」 「話は後だ。ここに居れば命はない。早急に離脱する」 二人が喋る余裕を失くすほどの速度で、ラクルスは急速にバベルから遠ざかっていく。そのとき、稲光のような白い閃光が輝き、眼下のバベル周辺の大地が切り取られるように割れ始めた。 「分断され始めたか……境界が閉じる!」 引き裂かれた大地を境に不意に景色がぶれ始め、ノイズが走るかのように不鮮明になっていく。やがて広がる森の情景は斑に揺れる、無の空間だった。 「な、何が一体どうなってんだよ!?」 「森が……世界が消えた?」 「く!! 間に合わなかったのか!! 『――ラクルス! こっちや!!』 「――!! その声は、あの精霊か」 『スパイル様や! ワイの声が聞こえるんやったら早くしろ! 今から道をこじ開けたる!!』 「できるのか?」 声を頼りに、ラクルスは大地と異質な空間との境界の前まで来た。 『完全に分断されたら干渉は不可能やが、まだ完全やない。ワイの力をぶつければ、一瞬やが穴くらい空けられる』 「……こちら側からでは、どうしようもない。策があるのなら、信じるぞ」 「ああ、任せとけ。小娘、準備はエエか!?」 「いいけど、どうするの?」 スパイルの指示で、レアはギガ・エレメントを持ち、いつでも展開できるように準備していた。 「ワイの力を使って、そいつを起動させる。ワイも精霊の端くれやからな」 「白の力を使う? ちょっと待つっす。それをやって、大丈夫なのか?」 スパイルの提案を聞き、ゴラスが不審げに口を開いた。 「精霊魔導の仕組み上、例外クサイが精霊のワイが力を供給しても動作はするはずや。小娘に掛かる負荷は安心しろ。ワイが受け持つ」 「なるほど……だが、それをしてお前自信は大丈夫なんっすか?」 精霊魔導を使うことでレアに掛かる肉体的な負荷は、出力に足りない精霊を彼女自身の活力から吸い取ることによって引き起こされている。スパイルは、エネルギーを全て自分で負担すると言っているのだ。 「死ぬことはないやろ。ワイは、その精霊魔導が嫌いやが、ここで四の五の言うても始まらん。一回きりや。ワイの力を与え、それを増幅して一点にぶち当てる。それができるのは、小娘の武器だけや」 「……マインドさんは、いいんですか? 相棒をお借りしても」 「ワイがエエと言っとるんや。コイツの意見を聞く必要はない」 「そうだな。だが、ほどほどにしておけよ」 マインドは苦笑し、それだけスパイルに伝えた。 「ワイに忠告できる立場か。行くぞ、小娘!」 レアの左肩にとまり、スパイルが気合と共に声を上げる。 「わかったわ。ギガ・エレメント――展開!!」 金属棒が一瞬鋭い光を放ち、レアの意志に連動して糸状に散開し、彼女の右腕に蔓のように巻きついて形を成していく。 「精霊魔導と、こんな形で関わるとはな……まったく、胸クソ悪い話やで」 その様子を見て、ボヤくようにスパイルが呟く。やがて彼の身体は、展開されたギガ・エレメントに吸い寄せられるような引力を感じ始めた。 「く……割合キツそうな作業やな。ある程度は覚悟しとったが……!!」 「大丈夫……なの?」 「ちぃ! 小娘に心配されるほど落ちぶれとらん! 構わず続けろッ!」 「む……心配してあげてるのに。わかったわよ。どうなっても知らないから!」 開き直ったように、レアは武器に意識を集中させた。いつも感じる脱力感はない分、よりスムーズに行える。 「そろそろ行けるわ!」 「よし、ぶちかませッ!!」 スパイルの合図と共に、レアは充填されたエネルギーを出力へ転換させた。砲口で膨れ上がる白い閃光が、何もかもを白く塗りつぶし、視界を塞ぐ。 「ギガ・エレメント――イレイズッ!!」 「――! 来る!!」 ラクルスは境界の先から迫る気配を感じ、場所を離れた。捩れ込むように境界が渦を巻き、網膜を射抜く鋭い閃光が迸る。 「これは!?」 「『白の紋章』の力か。時間はない、行くぞ!」 閃光が消え、境界に巨大な穴が空けられた。その先には、緑の広がる森の景色が見える。 そして、翼を翻してラクルスはその穴に向かう。 「早くしろッ! 長いことはもたん! もう一発打ってる時間も、力もないんやぞ!」 その先からスパイルの声が聞こえた。ラクルスは抱えたマルソーとキトを振り落とさぬよう掴み直し、更にスピードを上げた。 穴は徐々に塞がり、ノイズが走り景色が霞み始めた。その中を突っ切るようにラクルスは抜けた。 「た、助かったのか……?」 「まだ、終わってはいない」 ノイズの中に霞むバベルを振り向いて呟くキトを他所に、ラクルスは一気に森の中に降下した。 ガクリと重力に身体が引っ張られる感覚も一瞬の出来事で、激突するかの勢いで地面に降りたラクルスは、乱暴に二人を投げ捨てるように解放した。 「シンッ! 来いッ!!」 ラクルスが叫び、一つの魔石を投げ上げる。魔石は強い光を迸らせ、それに導かれるように、凄まじい勢いで流星のような光がぶつかり、弾け飛んだ。 「……どうやら、間に合った、ようだな」 光が消え、そこにはシンと、リールを抱えたガーディアの姿があった。魔石を使ったマーキングで、バベルから移動してきたのだった。 「二人は、無事だったな。ラクルス……感謝するぞ……」 マルソーとキトの姿を見届けたシンは、気を失ってその場に倒れた。 「シン!」 「……そっとしておいてやれって。お前たちのことで気ぃ張ってたんだ。傷も深いしな」 シンに駆け寄るマルソーとキトに、ガーディアが言う。彼自身も傷を負い、疲労から座り込んでいた。 「良かった! みんな、無事ね!」 と、そこへレア、ゴラス、マインド、そしてスパイルが姿を見せた。 「マーキングの光が見えたのでな。事は上手くいったのか?」 「今回の目的は果たされたが、問題は、更に増えたのだろうな」 マインドの問いに、ラクルスがガーディアを一瞥して答えた。 ――ザアアアアァァ……ッ!!! ノイズが激しくなり、空間が斑に混ざり合うように歪みを見せた。そして、吸い上げられるようにして、ノイズと共に、その中にあった世界は、いとも簡単に消えた。 小さな島ほどはある巨大な大穴だけが、そこに残された。底は見えず、闇というよりも、無という言葉が似つかわしい、虚無がそこに広がっている。完全に切り離された、異質な感覚が、そこにあった。 「バベルが、消えた……」 その光景に、誰もが茫然自失としていた。そして、大きな流れが生まれ、その中に巻き込まれてしまったのだと、漠然とした不安を感じ始めていた。 「ま、ガーディアさんへの自己紹介、その他諸々の話は後にして、ここから離れた方が無難っすね。次元崩壊の影響で、何が起こるかわからない」 ゴラスは沈黙を破り、全員を順に見て提案した。 「得策だな。シンが回復すれば、早々に発つぞ」 ラクルスは、ガーディアからリールを受け取り、肩に持ち上げるように抱いた。彼女に対する彼なりの労いであった。 デズルートたちが去ったあと、リールがラクルスを動けるまでに回復しなければ、彼はマルソーとキトを助けることも、バベルから脱出することもできなかった。シンもガーディアも、バベルと共に次元の塵となっていたはずだ。事実上、一番の功労者は、彼女だろう。 「ところで、さっきから気になって仕方なかったんだけど、マルソーちゃんのそれ、何?」 気持ちも落ち着いてきたせいもあってか、ふと思い出したように、奇異の目でレアがマルソーに訊ねた。彼女の言うそれとは、マルソーの背に生えた翼のことである。 「え、あ……」 レアに指摘され、マルソーもようやく自分に羽が生えている事実が、いかに特異であるかに気が付いたようだった。 「わたしにも、よく判らなくて……わたしとキト、バベルから落ちたんです。それで、夢中で助かりたい、生きたいって思って……気が付いたら」 「そうそう、オレにも、何がなんだか判らねぇ。助かったからいいんだけどよ」 キトは思い出したように溜息を付いて、何気なくマルソーの翼を掴んだ。 「きゃあ! 触らないでよ!!」 その瞬間、マルソーは弾かれたように背を逸らし、慌ててキトの手を振り払った。 「そ、そういうモンなのか……?」 顔を赤くして叫ぶマルソーに、キトは自分が酷く悪いことをした気分になってしまった。 「悪かったな」 「いいよ。いきなりだったから、少し驚いただけだし……でも、あんまり触って欲しくないかな」 「じゃあ、せめて閉じとけよ」 「だ、だって、どうやって閉じたらいいのか判らないんだもん」 「しまえないのかよ。事あるごとに叫ばれたらたまらねえぞ……」 「――魔法を使う感覚で意識してみろ。お前の自然の姿を想像すればいい」 「え?」 困惑する中、マルソーに声を掛けたのはラクルスだった。そこで彼女は、彼が翼を持っている姿を見たことを思い出した。 「そういえば、ラクルスさんも、翼を持っていましたよね? これが何なのか、知っているんですか?」 「……魔法の一つの形だ。必死で気付かぬ内に、お前が自分で創り上げたんだろう」 「でも、わたし、翼なんて……それに、こんなにハッキリと実体ができるなんて」 「なんでもいいだろ。今は、さっさとそいつを片付けてくれ」 納得のいかない風のマルソーに、キトが言う。彼の言葉に渋々ながら頷き、彼女は一度深呼吸をして気持ちを落ち着け、ゆっくりと自分の姿をイメージした。 「どう、かな?」 背中にあった違和感はなくなり、自分でも振り返って確かめてみる。いつも通りの彼女の姿だった。 「なんだか良く判らないけど、元通りに戻ったみたいね。羽も可愛らしくて捨て難かったんだけど」 「お前の趣味はどうでもいいっす。……マインドさん、彼女の翼、本当に魔法と思いますか?」 悪戯っぽく笑うレアに軽く溜息をついた後、ゴラスは声を忍ばせ、意味ありげにマインドに訊ねた。 「……何故、そのようなことを?」 「興味本位、じゃあダメっすかね?」 「魔法にも幾つか種類がある。私のFORMのように剣の型をなすモノ、身体能力を活性化させるモノ。その中に一つ、物体の具象化というモノがあるが……魔力を一定の物質に変換し、固定することは、容易なことではない。しかもそれを、自身の身体の一部にするとはな。正直、私にも判らないな」 「具象化ね……あの子が、それをやってのけるとは、思えないと」 「極限下で資質が目覚めたのかもしれない。可能性は考えれば出てくるさ。ハッキリとしたことは、私には言えないな」 「そうっすか」 ゴラスはそれ以上マインドに答えは求めず、考え込むように遠目にマルソーを見つめた。 「しかし、なんだかエライことに巻き込まれたというか、巻き込まれにいったというか。今回ばかりは、驚き具合が違うわね」 「これに懲りて、少しは大人しくなる気になったっすか?」 「冗談! 巻き込まれたからには、最後まで付き合うわよ。見て見ぬ振りなんて、できそうにないし、する気もないから」 「ま……そうなるっすね」 やれやれと片手で額を押さえ、ゴラスは溜息混じりに苦笑した。 「私も、微力ながら力を貸すつもりだ。ここで傍観者になっても、自身に脅威が降りかかるのは、時間の問題になりそうだしな……」 「オマエが相手にした魔族よりも、遥かに強いヤツら、『原初の意志』が相手でもか?」 「ならば、尚のこと。ここで退いては、私自身が見つけた、魔族の答えに決着もつけられそうにないからな」 スパイルの問いに、マインドは淀みなく答え、頷いた。 「……そうか。やったら、ワイが口を挟む余地はないな」 「結局、勝てなかったのか……」 ガーディアは悔しげに呟き、全身に負った傷を恥じるように俯いた。ギアトは愚か、突如現れた、デズルートと名乗る魔族にも、まるで歯が立たなかった。違い過ぎる力の差が、心に暗い影を落とす。 「らしくねぇな」 「あ?」 顔を上げると、キトが見下ろすように立っていた。 「腑抜けるなよ。らしくないって」 「俺が腑抜けだと?」 「オレたちは、アンタに会うために強くなったし、ここまで来れた。届かないと思ったら、もう一つ強くなればいいんだ。そうやってれば、目指せない場所なんてない」 「……ガキが生意気言ってんじゃねえよ」 キトの真摯な眼差しから、ガーディアは顔を背けた。キトは、そんな彼の前に拳を突き出した。 「約束を果たせば、オレたちの旅は終わると思ってたんだけどな。このままじゃ、終われないんだろ。こうなったら、とことん付き合うぜ」bb 「わたしも、同じ気持ちだよ。頑張ろう、ガーディア」 視線を移すガーディアに、マルソーも頷いて答えた。二人の言葉は真っ直ぐで、偽りは感じられなかった。 「そうかい。だったら、付き合ってもらうか」 キトの拳に自分の拳を突き当て、ガーディアは不敵に笑う。それにつられるように、キトも笑った。 バベルが崩壊した時を同じくして、サウスタイルに残るガランは、自らの身体に異変を感じていた。 「『原初の意志』が目覚めた……? う――!!」 弾けるような動悸に胸を押さえ、膝を付く。息が思うようにできず、全身から汗が滲む。少しでも気を緩めれば身体が裂けてしまいそうだった。 (『聖杯』が呼応しているのですか……バベルで何が……) 内側から揺さぶられる衝動を必死で抑え込み、彼女は虚ろな瞳で自身の身体がそこに在ることを確認するように、両手を見た。 「この身も……長くは持たないということなのですか……」 荒い呼吸を落ち着けながら、そう遠くない未来を杞憂する。彼女の身体に封印された『聖杯』と、『原初の意志』。二つの存在の関係が、彼女を事の渦中より離すことはないのだ。 ――終末を告げるモノたちが目覚める。 ――残されたのは、その力を誇示するような、抜き取られた大地と空。 ――戦いを終え、誰もが傷を負い、力を使い果たし、満身創痍だった。 ――しかし、新たに芽生え始めた繋がりも感じていた。 ――開かれた時の連鎖。 ――明かされる真相の影たち。 ――影を照らす光が導く先に、欠片たちが見るモノは…… 了 これにて、ひ魔人さんの「BRAVERS STORY」は一先ず終演となります。 長らくのご連載、お疲れ様でした&ありがとうございました。 今後はご本人のHPにて、続きを連載なされる予定だそうです。 みなさまもどうぞ、是非ともご覧になってくださいませ♪ それでは、本当に長らくの間、どうもありがとうございました! |