BRAVERS STORY
〜交錯する時の欠片達〜


〜第七話「過去の遺産、束の間の接触」〜


 マインドの持つ光の剣は、見ていると吸い寄せられてしまいそうな輝きを放っていた。ホールが暗がりの中のため、光はより一層目立ち、演出が効いる。
「なんですかそれ!?」
 レアが眩しそうに目を細めて叫んだ。
「私の魔力で形成した剣、一種の魔法剣だ。まだ、これはノーマル形態(フォーム)だがな」
「ノーマルってことは、まだ何かあるってことっすよね?」
 マインドは頷くと、肩越しに振り返って二人を見た。
「下手に動かないでくれ。巻き込まれかねないのでな」
 そう言って向き直り、彼は静かな瞳で骸達を見据え、精神を集中させる。時が止まったような静寂が両者の間に降りた。
「フォース・フレイム転化…」
 両目を閉じ、研ぎ澄ました精神を持ってそれをイメージする。全ては彼の意志のままに、無数の意識の粒子が構築していく。やがて光は赤みを帯び、そこには燃え立つ炎の剣が紅く、激しく煌いていた。
 その瞬間、戒めを解かれた空気は静から動へ移り変わった。
 『紅の屍』が吼えると、骸はマインドを標的に搾り、真正面から一斉に襲いかかる。レアの叫び声、ゴラスの呼び声、彼にはどれも耳に入っていなかった。否、耳には入って来る言葉は理解出来るが、それを音として認識していなかった。
 無音の世界、彼の周りの空気は、まだ静のままだった。
 彼はイメージする、全てを砕く炎の嵐、狂わんばかりに猛る炎の胎動を……彼の瞳に、一条の光が宿った。
「――バーニングサラウンドッ!!」
 骸達の左端から右端まで直線を引くように、炎剣を横薙ぎに一閃。瞬間的に刀身を伸ばした剣は凄まじい炸裂音を轟かせ、骸の全てを瞬時に爆炎の中へと消した。その勢いは、灰すら残すことを許さない。
「す、すご〜…」
 爆風に髪をなびかせながら目を丸くしたレアが呟く。ゴラスは「ひゅう♪」と一つ口笛を吹いた。
「魔力(Magic)の引き起こす反応(React)によって、様々な属性の力(Force)を創ることができる魔法剣。これが私の武器『FORM』だ」
「魔法剣士だったんですか?」
「少し違うな。剣は扱えないわけではないが、私は魔法専門だ。ただ、剣が私のイメージと相性が良いんだけだ」
「どっちでも良いっすよ。これで雑魚は、だいたい片付いたみたいっすね」
「そうだな。だが――」
 マインドは油断の無い視線を二人に送った。彼の視線に気付き、二人は表情を変える。まだ終わってはいないと。
「大物は、簡単にはいかないらしい」
 それを合図にしたかのように、爆煙の中から白く巨大な前足が振り降ろされる。すかさず三人は、思い思いの方向に跳んでそれを交わす。後から床の砕ける音が聞こえた。まともに一撃を食らえば命取りになる事が容易に想像できた。
「『赤の光』とはこいつのことで間違いないらしいな。まあ、倒せば賞金にはなることには変わりない。首を頂くぞ!」
「で、でも、どうやって首を持って帰るって言うんですかぁ!? アンデッドって首をはねた程度じゃ死なないですよね!!?」
「もう死んでるっすッ!」
 煙の中、互いに声を張り上げながら会話を交わす。相手はがたいが大きいため、煙の中でも居場所を簡単に捉えることができた。状況は、まだこちらが有利。ただし、この砂塵が晴れればどうなるかは判らないが。
「このォッ!!」
 勢い良く飛び出して来たレアが、渾身の力をこめて金属棒を魔物の前足目掛けて抜くように打ちつける。が、ガツンと高い音を立て一部が欠けた程度で、相手はまったく堪えていないようだ。逆にこちらの手に痺れが伝導してきた。
「硬すぎますよぉ! こいつ、カルシウムをたくさん摂っていたに違いありませんッ!」
 痺れる手を振りながら、泣きそうな声でレアが叫んだ。ゴラスの溜め息が聞こえる。
「健康的で結構なことっすね…よっと!!」
 ゴラスはホルダーからサバイバルナイフを抜き取り、魔物の懐に素早く潜り込むと思い切り突き立てた。だが、文字は違うがまるで刃が立たない。
「健康なのは良いことなんすけどね…」
 鬱陶しいモノを払い除けるように魔物の前足が動く。ゴラスは持ち前の反射神経で飛び退いてそれを交わし、ついでに何本かの小型の投げナイフを放ったが、どれも虚しく弾かれてしまった。
 体格、痛覚の有無、死んでいると疲れがあるかどうかは判断がつかないが、とにかく多くの点で差が有り過ぎる相手だ。気のせいか、魔物の目の部位にある赤い輝きが不敵に笑っているように見えた。
「…マインドさん、何か良い知恵ないんですかぁ!?」
「ピンチになったら、そう都合良く出てくるモノではないからな。残念ながら、私には無い」
「そんな悠長なこと言ってる場合っすか!?」
 幾分煙も晴れて来たため、魔物の手数も増えてきた。攻撃手段を失った三人はそれを交わすことしかできない。体の大きさと動作は一致していたため、それ程苦になる作業ではなかったのが幸いだった。しかし、生き物である以上疲れは必ず来る。このような持久戦は明らかに不利だ。
「……仕方ありません。ちょっと足止めしてくれれば、あたしがなんとかします!」
 重大な決断を迫られてようやく決意したと言った感じの、思い詰めたような顔をしてレアが言った。思わぬ彼女の言葉に、マインドは声を上げた。
「本気かッ!?」
「やる気っすか…? まあ、こうなったらアレしか無いっすか…」
 どうやら、ゴラスは彼女が何をしようとしているのか分かっているようだ。まだ逢って間もないが、彼女はそう見せることは無いだろう真剣な顔付きをしていた。
「大丈夫です…絶対上手くやりますから、信じてください」
 マインドは躊躇した。まだ幼さの抜けきらない少女一人に、この魔物を任せて良いものか。
「…わかった。足止めで良いんだな…」
 どの道避けてばかりでは切りが無い。少し考えた後、マインドは彼女に託すことにした。元々誘ったのはこっちだ。信用してみよう。そうするのが礼儀というモノだ。
「――フォース・フリーズ転化…」
 FORMに魔力を注ぎ込むと、彼の炎の刃が冷気にを帯びていく。紅蓮から白銀へ、見る間に、光り輝く銀色に彩られた氷の刃がそこに代わって出来上がっていた。
 鮮明にイメージする。全てを凍てつかせる冷気、決して解けることの無い氷縛を与える白銀の世界を……
「では、こいつでどうだ? ――フローズンフロアッ!!」
 大振りされた魔物の一撃を上空に飛んでかわし、着地と動じに両手に構えた冷気の刃を床に突き刺す。すると、一気に冷気は床を疾り抜け、壁を伝い、ホールに銀色の根を張った。
「グ…ガアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
 伸びた冷気は魔獣の足元を固め、突き出した氷柱は全身を絡め取り自由を奪い身動きをとれなくしていた。いくら力を込めてもびくともしない。だが、傷を付けたわけでは無く、それから砕くことは出来ない。マインドは『足止め』の役割を完璧にこなしていた。
「ひゃあ…カッチカチですねぇ…」
「感心してる場合じゃないっすよ。次は、お前の番!」
 心ここにあらず、といった様子で張り巡らされた銀世界を見つめるレアに、ゴラスが注意するような目つきで睨む。レアは「わかってる」と彼を睨み返した。
「んじゃま、お披露目といくっすか。『精霊魔導』ってやつをね…」
「精霊…魔導?」
「かつて、インダストリアル王国が研究していた兵器の総称です… この世で、過去を見ることがあるとすればまさにこれ…古代遺産です…」
 重い口調でレアがマインドの疑問の声に答える。彼女の右手には、さっきまで威勢良く振り回していた金属棒が握られていた。
「『これ』が…あたしの武器です。あんまり…好きにはなれないんですけどね…」
 その時見せたレアの苦笑には、ふっと暗い寂しさがよぎったように見えた。
「行きますよ!!」
 その憂いを何処かヘ吹き飛ばすよう叫ぶと、彼女は右腕に意識を集中させた。すると、途端に金属棒は細い糸のように散開した。何本もの鋼糸は激しく彼女の右腕に幾重も絡み付いていく。
「く…ぅ…」
 微かにレアの表情が苦痛に歪む。どうやら、それを使うにはそれなりの代償が必要らしい。だが、彼女を止める事はできない。今は、彼女に賭けるしか手はないのだ。
「久々っすね… レアがギガ・エレメントを使うのを見るのは」
「ギガ・エレメント? それも『精霊魔導』だというのか…」
「精霊魔導が一つ『ギガ・エレメント』。精霊の力を使う、一種のエネルギー転換装置みたいなモンっす。ただ…精霊の力を借りると言っても、意識の弱い下級精霊の力を無理矢理吸収してるんっすけどね」
 ゴラスは皮肉交じりの笑みを浮かべて言った。
 そうしている内に、レアの腕に絡み付く金属の糸は銀色の砲身を創り上げた。頭上のサングラスを鼻に掛けると、彼女は重たそうに、左腕で支えながらそれを持ち上げた。
 標的は氷の結界に閉ざされており、しかも大きい。照準を合わせ、狙いをつければ外すことはまずない。
「少し、力を借りるね…」
 砲身に組み込まれた、赤い宝石が鈍く輝く。転換されるエネルギーが少しずつ蓄積され、巨大に膨れ上がっていく。
「まさか…あの石は精霊石!?」
 そこでマインドは初めて気付き、彼女の握る棒の両端に赤い珠が取り付けられていたことを思い出した。単なる装飾品だと、何気なく見過ごしていた。
「あれ、今頃気付いたっすか? 大きいっしょ。ま、アレくらいでかく無いとこの兵器は使えないんっすよ」
 噂で聞いた事がある。『精霊石』と呼ばれる、闘石、魔石とも異なる精霊の力を封印する第三の『石』。本来なら精霊との意志疎通をしてはじめて行使できるその力を、石に蓄積する事によって誓約無しに行使するというモノだ。しかし、『精霊石』その物は希少価値が高く、限りなくゼロに近い数しか無い為それは歴史の裏に姿を消したはずだ。
 まさか、こんなところで幻――と言えば大仰かもしれないが――の力にお目にかかれるとは思いもしなかった。精霊石と精霊魔導、彼女は一体何者なのか。そんな疑問が頭を過る。

――ドクンッ!!

(――ッ!? 左頬が、疼く…?)
 その時、急に感じた覆面の下の違和感に、マインドは一瞬彼女から気が反れた。それは、どこか相容れない、嫌悪、敵意、憎悪に近い感情……不快なモノだった。
「ほら、来るっすよッ!」
 ゴラスに声を掛けられ、その意識は飛び、我に帰ったマインドは視線を戻した。膨張したエネルギーは、今にも飛び出しそうだ。
「いっけぇッ!!」
 レアの掛け声と共に、網膜を射抜かれるような鋭い輝きが発生する。一条の太い閃光が空を切り裂く。
 盛大な爆撃音が鳴り響き、魔物の頭から体内を一直線に貫いた。巨大な風穴を開けられた魔物の身体は横倒しになり、地響きを上げて崩れ落ちた。
「や…やった…」
 張り詰めた緊張が解け、レアはその場にへたり込んだ。右腕の機械は解除され、元の金属棒に戻って彼女の横に転がっている。
「大丈夫っすか?」
「ま…なんとかね」
 歩み寄るゴラスに、彼女は引きつった笑みを浮かべて答えた。
(――気のせいか…)
 レアに対してさっき感じたような嫌悪感は、すでに無かった。納得しかねながらも、マインドはそう言う事にしておくことにした。
「まったく、凄いモノだな…」
 改めて倒れた魔物を見て、マインドは呟いた。
 頭から尾まで射貫かれた魔物は、目の奥の赤い輝きもなく、静かに横たわっていた。たったの一撃で、ここまでの威力、正直マインドは恐れを払拭しきれなかった。
「あれ…何か、変じゃないですか?」
 ふと、気付いたようにレアが言う。倒れた魔物の骨が、微かに動いている。
 何事かと構えたが、次にそれは粉々に砂よりも細かい粒子と崩れ、中心から爆発するように飛び散ってしまった。
「あちゃぁ…こりゃまた派手な演出なことで…」
「って、これじゃあ首を持って帰れないじゃないの!!」
「…命があるだけ、まだましか…」
 マインドは、落胆こそしたがそれほど気落ちしているわけではなく、どちらかと言えばすっきりとした顔をして口元を緩めていた。
 薄暗いホールに散布され、キラキラと輝く骨と氷の粒子は星のように見え、なかなか幻想的なモノだった。
「さて、どうするべきかな…奥の扉は開かれたままだ。一旦退くか?」
 魔物によって開かれた巨大な門に目をやり、マインドは二人に尋ねた。それは、レアを気遣っての事だったが、彼女はそれに気付いた様子で、
「何言ってるんですか! ここまで来たら進むしかないでしょう!」
「無理しない方が良いっすよ?」
「無理じゃないわよ! まだまだ行け…あ――」
 勇んで立ち上がったものの、レアは虚ろな目をしたかと思うと、途端に崩れるように倒れた。ゴラスは手馴れた様子で彼女を受け止め、そのまま床に寝かせてやった。
「どうしたんだ!?」
「心配しなくて良いっすよ。アレを使った後は、いつもこうっすから」
「いつも?」
 怪訝に思ったマインドはレアの顔を見た。彼女は静かな寝息を立てており、まったく起きる気配がない。ある種の昏睡状態に陥っているようだった。
「…大丈夫っすよ。少し休めば、回復しますから」
 このようなことを繰り返していて平気なのか。マインドの視線を感じたか、ゴラスは苦笑して付け足した。
「…仕方ない。では、私が先の様子を見てこよう。キミは、彼女を看ていてくれ」
 マインドは彼女の意志を優先することにした。「了解っす」とゴラスもそれを了承した。


 それから先は、さしたるトラップも魔物も見当たらず、案外楽な道のりだった。相変わらず、淡い光球が照らす壁には奇妙な黒い紋様が描かれていたが、その意味はやはり判断がつかない。
 しばらく進んで突き当たったところで、幾重もの錠が施された物々しい鉄製の扉があった。いかにも、といった具合だ。この先に、この遺跡の終着点がある。マインドは確信した。
「少々手荒だが…悪く思うな」
 FORMをノーマル形態にし、縦に一閃。それで、錠は壊されるかに見えた。が、
 バチッ!
「――ッ!?」
 錠に刃が届く前に、静電気が弾けたような音がしたかと思うと、凄まじい衝撃が彼を襲った。思いもしない反撃に、抗う術もなく彼は数メートル後方に吹き飛ばされた。
『無駄じゃ。ここは、お前さんの手にはおえん』
「――く…誰だッ!!」
 ふいに、しゃがれた老人の声が耳に入ってきた。マインドは頭を振って起き上がり周囲を見回すが、薄暗いせいもあってか、声の主と思われる姿は見えない。
『いくら探しても見つからんよ。どれ、ちょっと待っておれ…』
 そう声が告げると、彼の前にうっすらと青白い光が集まった。それは、次第に一人の魔導師風の老人を作り出していく。
「幽体…? それにこの気配…まさか、あなたが…」
 その老人の気配は、さっきまで感じていた。あの魔物と酷似していたのだ。
『いかにも、お前さんたちが戦っていた死霊どもを操っていたネクロマンサーはワシだ。正確には、ワシも操られていたのじゃがな』
「操られていた? 私たちを襲ったのは、あなたの意志ではないと?」
『うむ…十数年前の事でのぅ。ワシは、あるきっかけでこの遺跡を訪れたのじゃが、そこで、今ワシとお前さんがいるこの場所で、あの竜と対峙したのじゃ。ただし、まだ肉の付いた状態でな。熾烈なモノだったが、なんとかワシは勝利した。じゃがな、その竜は死ぬ間際に、あろうことかワシを取り込んだのじゃ。呪術とは、迂闊であった』
「呪術…ですか」
 強い思念を用いて対象の肉体、精神を侵す術――呪いと言えば非現実的な響きではあるが、術者の能力があれば、それも可能となる。
『そういうことじゃ。もともと、竜はこの遺跡の奥にあるモノを守るための守護竜だったようで、その手の呪いの能力を備えておってな…… さっきのような無様な姿になったというわけじゃよ』
「…ずいぶんと、良く話してくれますね」
『なに…ちょっとしたお節介じゃよ。お前さんは、なかなか見所がありそうじゃからな。現世に留まれる時間はもう少ない。聞いてくれるかな』
 自嘲気味に笑うと、老人は続けて語り出した。

『魔族と一体化することによって、面白い事が解ってな。その竜の中の最も奥底にある根源的な記憶の中に、『邪神の記憶』というモノがあったのだ』
「邪神とは…御伽噺の『悪しき心』の源…」
 かつて、この世に悪しき心が溢れていたという…そのような文句で始まる一つの逸話がある。その悪しき心の源を、人は『邪神』と呼んでいるのだ。
『魔族は、言わばその『邪神』の欠片に過ぎんのじゃ。一つの巨大な存在が、気の遠くなるほど凄まじい数に分裂し、固有の存在となったと言ったところか。邪神の血一滴で、どれほどの魔族が生み出される? 邪神とは、魔族共通の前世みたいなモノじゃな。その魔族の中に共通して存在する、『記憶』によって魔族は動いておるらしいのじゃ。そして、記憶の底にお前さんの持つ力のこともあった』
 老人はニヤニヤと笑みを隠さず、意味ありげな口調で言った。マインドの表情が強張る。
『そう驚くな。今は、うまく隠しておるようじゃが、いずれ魔族に狙われかねんぞ。あの娘も同様じゃ』
「…精霊魔導ですか?」
『それだけではない。あの娘も、お前さんと同様、巧く隠しておるようじゃぞ』
 訪れた最期の時を満喫したような満ち足りた顔で、老人は笑った。
『さて、そろそろ逝くとするか。縛鎖からの解放、感謝するよ…』
 老人の姿は、青白い無数の粒子に分解され空気に溶け込むようにして消えて行った。マインドは、彼が消えた後も遺された言葉の意味を考え続けていた。
「私の『力』が…魔族の標的…?」
 彼の疑問に答える声は、もはやここには無かった。


 結局その後それ以上の成果は得られず、眠り続けるレアを背負いながら下山し、日の沈むギリギリの時間で街に着いた。一応、老人の霊との接触は話さないでおいた。
 意識せずとも顔は沈んでいたのだろうか、戻ってきた彼らの顔を見た酒場のマスターは同情してくれたのか、深くは尋ねず「泊まっていけ」と勧めてくれた。
 だが、こちらも無償でそこまでしてもらうわけにもいかず、一宿一飯の礼として、その夜は疲れもあったが彼の手伝いをする事にした。聞けば、彼は一人でこの酒場を切り盛りしているとか。
「マスター! オーダーがあっちとこっちとそっちやらから…とにかく入ってます!!」
 ウェイトレスとして、レアは客席とカウンターを忙しく往復していた。ゴラスも彼女と同様の役割のはずだったが、客はすっかり彼女の方に取られている。
 一人の中年男が営業する酒場に、突然若い娘が入るとなると、嫌でも目立つ。男客が多いのも、また一つの要因だろうが、ともかく彼女の存在はウケが良く、客もいつもより多いとマスターも愉快そうに笑っていた。ちなみにマインドは、彼とカウンターの中で料理担当をしている。
「盛況っすね。昼間と夜じゃ段違いっす」
 手持ち無沙汰なゴラスがカウンターの中の二人に話し掛けてきた。マスターは笑って、
「そりゃあそうだ。酒場ってのは、夜に本気の顔になるモンだからな」
 顔馴染の常連、今日たまたまこの街に立ち寄った冒険者、ただ飲みに来ただけであったり、情報を交換し合ったり、客とその目的は十人十色だ。その騒がしい中に、レアの姿も確認出来る。冗談でも言っているのか、彼女は客相手に楽しそうに笑っていた。
「…それにしても、立派だね。俺のみたな奴が経営してるから、何かとガサツな奴らが多いんだがなぁ」
 そんな彼女の様子を見て、マスターは苦笑しつつ言った。
「ま、あいつはこんくらいどうってこと無いっすよ」
「良い子じゃないか、親とか…家族はいないのか?」
「あぁ…そこは…悟ってやって欲しいっす。普通、あの年頃の娘が世の中渡り歩くなんて、そうそうないっしょ? 初めて逢ったのはレアが7歳くらいの時。それから、今の今まで一緒に旅してるってわけっす」
 ゴラスは困ったような曖昧な笑みを浮かべた。つまり、彼女の家族はもう『いない』ということだ。今の世ではそれほど珍しいことではない。相手が話す以外は、それ以上深いことは訊かない。それが流儀であり、尊厳でもある。
「あー! やっと解放されました!! 大変ですね……あれ? どうかしました?」
 そこでレアの疲れを知らない元気な声が飛び込んで来る。三人の雰囲気に気付き、彼女は小首を傾げた。
「なんでもないっす。さてと、もう一踏ん張りといきますか!」
「あんたは特に何もしてないでしょうが」
 それは言わないお約束と、ゴラスは大袈裟に肩を竦めて見せた。どういう経緯で出逢ったのかは判らないが、幼少の時から連れ添ったパートナー……マインドには、少なからず二人に共感できるモノがあった。どんなモノにせよ、自分の一部に近い存在が居ないのは不思議と落ちつかず、右肩の空席が寂しさを訴えているようだった。
「あのぉ…焦げてますよ、それ」
 とりとめもなく昔のことを思い出していると、レアが彼の持つフライパンを指して言う声が聞こえた。マインドは視線を落とす。なるほど、確かに良い案配に一切れの肉は黒くなりつつあった。
「やれやれ…どうも私は、トホホに恵まれているらしいな…」
 溜め息を一つ吐く。彼が自身の人生に対する感想を述べよと問われるなら、答えはまさにそれだった。

 そして翌朝、まず三人はマスターが用意してくれた朝食を頂いた。何故良くしてくれるのかと尋ねた所、「あんたたちが気に入った」と笑って答えてくれた。彼はとても良い人だ。
 そうして、彼らはそれぞれあての無い旅へと戻る。準備中の酒場は、人気がまるでなく、静かなものだった。
「じゃあ、ここでお別れっすね」
「やっぱり一緒に来てくれないんですね?」
 さっぱりとした態度をとるゴラスに対し、名残惜しそうにレアはマインドを見ている。彼は苦笑しつつ、彼女に手を差し出した。
「ああ、縁があったらまた逢おう」
「大勢の方が旅は楽しいと思ったのにな〜…」
 渋々と差し出された彼の手を握る彼女の頭に、ゴラスはポンと手を置いて、
「我侭は程々にしとく。誰だって、色々と事情を抱えてるんっすよ」
「…そういうことだな」
 物分かりの良い彼女の相棒とも握手を交わしながら、マインドはバツの悪い笑みを浮かべた。
「二十歳になったらまた来な。それまで覚えていたら、今度こそ奢ってやるよ」
「男に二言は無しだからね。マスターこそ、忘れないようにメモとっとくんだよ!」、
「OK。交渉成立だな」
 最後にとレアはマスターとたわいない――彼女にとっては重要そうだったが――約束を交わす。
「あんたら二人も、気が向いたらまた寄ってくれ。酒場『FRIENDSHIP』マスター兼料理長ラウルは、変わらぬ友情を持って、あんたらを迎え入れます」
「いつか、必ず」
「絶対約束果たさせに来ますからね!」
「しかと覚えておくっす」
 ラウル…そう言えば、まだ彼の名を聞いていなかったことにマインドは気付いて少し驚いた。出逢いと別れ。旅を続けるうちに、すっかり慣れ親しんだ言葉だった。旅先にある束の間の出逢いには、さして名前は重要ではないのかもしれない。

「それじゃあ、色々とお世話様でした。先、行きますね」
 レアはペコリとマインドに頭を下げた。「ああ」と彼は頷く。
 タッと小気味良く一歩を踏み出したレアは、結い上げたポニーテールを揺らしながら元気良く酒場を出て行った。
「あ、そうそう。一つ聞きたいんっすけど、マインドさんの相棒さんの名前、なんていうんすか?」
「…? スパイルと言うが、それがどうかしたか?」
 不意なゴラスの質問に、怪訝に思いながらもマインドは答えた。それを聞いた彼の顔は満足そうだった。
「いえ、どうも有難うございます。参考になったっす」
 何の参考になったのかはいまいち不明だが、マインドはそれ以上の追求はしなかった。あいつの事だ、人に一つや二つの恨みくらい買っていてもおかしくは無いかもしれない。関わると、碌な事にならないような気がした。
「さて…そろそろ僕も行くとするっす。あいつ、元気が有り余ってる感じっしょ? こっちも、アレで苦労するんっすよね」
 冗談っぽく笑うと、彼女の跡を追うべくゴラスも歩き出した。と、マインドとすれ違う時、彼の耳元で囁くようにゴラスは言った。
「――その相棒…スパイルさんに伝えといてくれませんか? 『『黒』がよろしく言っていた…』ってね」
「なんだって? それはいったい――」
「頼んだっすよ。それじゃあ、『また』逢う日まで♪」
 マインドがその真意を質す前に、ゴラスは背を向け走り去ってしまった。それ以上言葉を掛ける事は叶わず、マインドはいくつかの疑問を残したまま青年の背中をただ見送るしかなかった。

「マインドーーーーーーーーッ!!!」
 街の外へ一歩出たところで突如自分の名を呼ぶ怒鳴り声が聞こえた。ハッとして上空を見上げると、青い空の一点に黒い影があった。影はどんどん迫って来ており、最後には視界が黒に覆われた。
 ドガッ、急降下して来たその物体にしたたかに頭を殴られ…否、蹴り飛ばされた。衝撃によろめき、痛みに耐えかね頭を抱えて蹲る。
「スパイル…」
「このボケ! ワイをほったらかして何しとったんじゃッ! 最後の締めに間に合ったからええようなモノの、このまま終わっとったら横暴にも程があるでッ!!」
 かなり御立腹なマインドの相棒は、一部よく分からないことを喚き散らしながら翼で彼をはたき回した。一頻り喚いた後、いつもの低位置――彼の右肩に落ち着き尊大に鼻を鳴らした。
「お前…一体どうして?」
「ああん? まあアレや。ワイの気高さっちゅうモンが伝わったんか知らんが、オッサン泣きついてきおってな。あっさり放してくれおったんや」
 間違いない。暴力に訴えたのだ。気の毒なことをしたと、マインドは心の中で詫びた。誰に対してかは、もちろん言うまでもない。
「それはともかくやな…オマエ、なんや変な匂いするで…」
「匂い?」
 マントを鼻先に持ち上げてみたが、特に異常はない。旅をしている都合上風呂などには毎日入れるはずは無いが、それなりに身体は洗うように心がけているのつもりなのだが……
「なんちゅーか…アイツに似とる…そや、この匂いは『黒』のヤツに…」
「黒?」
 今しがた聞いたその言葉を聞き、彼は少なからず驚いた。
「そうだ、お前がいない少しの間一緒になったブレイバーがいたのだが…妙な事を頼まれたんだ」
「なにぃ!? オマエはワイの知らんとこで何勝手なコトをしとるんやッ!!」
「聞け。男女二人のコンビだった。そして、その男の方が私の相棒に伝えてくれと頼まれただけだ。黒がよろしく言っていた、と――」
「なんやとぉッ!? 『黒』…ホンマに『黒』やと言いおったんかッ!!?」
 マインドの言葉が言い終わらないうちに、スパイルの顔からは血の気が引いていった。取り乱して叫ぶ様子は、彼にとってそれがただ事ではないことを物語っている。
「落ち着け! 知り合い…なのか?」
 相棒を落ち着かせ、ゆっくりと尋ねるマインド。苦い物でも噛み潰したような顔をしている相棒は、忌々しげに言葉を吐いた。
「ああそうや。『黒』は…ワイがこの世で一番嫌っとる…最低のクソッタレや…」
 スパイルは、それっきり言葉を紡ごうとはせずに押し黙ってしまった。色々と訊きたい事はあったが、あえてマインドは何も言わなかった。こういう時は何も訊ねないのが良策ということは、スパイルと過ごす数年の内に彼が学習した事の一つだった。
 (目覚めたんか。よりによってワイのおらん時に…まあええ、次に姿晒す時は覚悟しとけよ…『黒』…)
 マインド・シルス、相棒の精霊スパイルと共に、あても無く世界を旅するブレイバー。今回の旅、通称『死者の遺跡』に潜入した結果得たモノは一体なんだったのだろうか。それが、後に彼の旅路に重要な関わりを持つ事など、この時の彼は知る由もない――

「あ〜あ、マインドさん、一緒に来れば良かったのに。楽しくなりそうだったのにな〜」
 遠くの空を見上げながら、レアはまだ諦めがついていない風に呟いていた。彼女の後ろで、ゴラスは意味ありげな薄い笑いを浮かべて口を開いた。
「そう未練がましくしなくても。多分、また逢えるんじゃないっすかね?」
「なんでそう思うわけ?」
 振り返って訊ねるレア。彼は「さあ?」と無責任なことを言って悪戯っぽい笑みを作った。
「巡り合わせってとこっすか? 僕たちは、出逢うべくして出逢った。とかね」
「なにそれ? ガラにもないセリフ…」
 真面目に聞いて損をしたと、レアは胡散臭そうに目を細めて彼を睨むと前に向き直り、再び歩き始めた。
「でも…ま、世界は広いようで狭いって言うし、意外な所で逢えちゃうかもね」
 あくまで楽観的に、まだ見ぬ己の未来に思いを馳せながら、少女は今日の一歩を足取り確かに進んでゆく。パートナーの青年はそんな彼女に振り回されながらも、その背中を楽しそうに笑いながら見つめていた。


――己に課した時の審判は、己の力によってのみ動かされる――


――『白』き光は、未来を照らす灯火となるか?――


――孤独の『黒』は、失われた絆を求め、さらなる闇へ身を投じるか?――


――告げられた『真実』は『裏切り』へ変わるのか?――


――全ては『白』と『黒』の歯車が再び交錯する、その時まで――




〜後書き〜
第二章終幕、どうも、ひ魔人です。
FORM、精霊魔導、彼らの能力をお見せできましたな。ゴラスはあまり目立ってなかったですが、まあ、こいつはアレなので(謎笑)。
亡霊の爺さんが登場しましたが、魔族に関して何か重要な事を掴んでいたようです。遺跡に眠る厳重に封印を施された扉。もちろん、これも伏線です。
さて、次、知ってる人は知っているであろう、『聖杯』に関するお話をやります。。
次章でプロローグ話はお終いです。最後のエピソードの舞台は、『聖地』南の大陸へ移行します。時は、本筋開始と同時期、そして過去の話へ移ります。
それでは、また次回にお会いしましょう(座礼)。


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