――この世界の南の果てに、大陸がある――


――『聖地』と称されし彼の地は、数多くの逸話がある――


――謎は冒険者は羨望、畏怖、様々な空想に駆り出させ――


――様々な想いを様々な形に変え、真実を不定の形へと歪めていく――


――だが、人は知る由も無い、知る術を持たない――


――彼の地は、かつて歴史が語る真実だけが遺された、悲しみの大地だということを――


BRAVERS STORY
〜交錯する時の欠片達〜


〜第八話「約束の地、遥かな過去に見た夢」〜


 南の大陸サウスタイル。大陸の周囲は高い山脈が輪を描くように連なり、その中心部にある大地の全貌は知られていない。人が知るのは大陸の呼び名と外観だけである。
 ある者は魔族の巣窟と言い、またある者は高度な文明人が住んでいるとも言われ、またある者は天上人――いわゆる天使が居るなどと飛躍的なことも言われている。それだけ、謎の多い大陸だった。

 南の大陸を取り巻く山脈の一角にある山腹、鬱蒼と生茂る木々の中に広場のように開けた場所があった。木の葉の間から木漏れ日がその場所にだけ細かく射し込み、どこか神聖な静けさを醸し出している。
「今日も、みんな元気だね」
 そこに、高い声がした。
 見た目から、まだ十歳程度の幼い少女だった。広場の中央に足を投げ出して、楽しそうにあどけない笑みを満面に浮かべている。
 キラキラと輝く大きな空色の瞳、肩の手前まであるピンとした青い髪をしており、薄紫のドレスのような服に、鳥のような模様の刺繍が施された水色のエプロンをしている。
「――リール」
 空間に水を打つような冷たい声がした。
「あ! ラクルスお兄ちゃん!!」
 不意な来訪者に少女――リールは一瞬驚きに笑みを引っ込めたが、その姿を確認するとパッと明るく一変させた。
「アタシがここに居るって、よく分かったね」
「ここだと言われただけだ。早く帰れ。ガランが待っている」
 顔の右半分が月色の仮面、左半分が銀髪で覆われており、およそこの場には不釣合いな血の香の染み付いた大鎌。どれも『死神』の名を冠するには、充分なまでの怜悧なモノをたたえている。彼の持つ雰囲気同様、冷えた声で彼はリールに言った。
「うん、わかったわ。それじゃ、みんなまたね」
 軽く手を振って挨拶をして、リールはラクルスの足元に小走りに駆け寄って来た。ラクルスは彼女の居た場所に視線を向ける。そこには誰も居なかった。否、姿こそ見えないが、複数の微かな気配がある。
「精霊か」
「そうよ。みんな、アタシの友達」

 精霊。地水火風など自然の素となる属性を司る存在。世界のあらゆる箇所に彼らは宿り、目に見えぬ実体を持たない存在だ。実体を保てる精霊は、それぞれの属性を司る長と、特異な力をもつより高位な精霊しか有り得ない。意志の弱い下級精霊と言葉を交わそうと思うなら、彼らと精神をシンクロさせなければならない。
 そして、その芸当を行い、精霊達と交渉しその力を借りる術者達は世で精霊士と呼ばれている。

(やはり、俺には見えんな)
 それなりの修練を積まねば精神をすり減らす業なのだが、この少女は幼くしてそれをやってのけている。それも、実体を持てない下級精霊の姿でさえ見えるというのだ。
 最初に彼女の姿を見た時は、独り言を言っているだけにしか見えずに目を疑ったが、嘘をついているようにも思えないので、ラクルスはとりあえず信じることにしてた。と言うよりも、それ以上の関心を彼は持ち合わせていなかった。
 と、そこで服の裾を引かれているのに気が付き視線を落とす。リールが怪訝に眉を顰めてこちらを見上げていた。
「どうしたの?」
「気にするな。早く行け、一人で帰れるだろう」
「…お兄ちゃんは来ないの?」
「もう用は済んだ。これ以上、ここにいる理由は無い」
「えー! お兄ちゃんも行こうよ。アタシ、外の話が聞きたいなぁ」
 途端にリールは不満顔になり、おねだりする子供その甘えた声で彼の足元に擦り寄った。
「俺に構うな。煩わしい」
 だが、ラクルスはスッパリと彼女を切り捨てた。また途端にリールは表情を変える。今度は拗ねた顔、だ。感情の波が激しい。
「やだ! お兄ちゃんが来てくれなきゃ、アタシも帰らないわ!」
「だったら好きにしろ。ガランに叱られるのはお前だ。俺には関係のない話だ」
「うー…」
 それ以上彼を繋ぎ止める言葉を思い付けず、リールは思案顔で俯いた。
「ふん…仕方のない奴だ。行くぞ。次は、もう少し言葉を用意しておくことだ」
 それだけ言うと、サッと踵を返してラクルスは歩き出した。「え?」と彼の言動に頓狂な声を上げたが、その意味を理解したリールはパッと笑って駆け出した。
「待ってよお兄ちゃん! 」
(これが…『鍵』なのか。判らんものだな)
 仔猫のように纏わり付いて来る少女を見ながら、ラクルスはそんな思いを抱きつつ歩いていた。


「ドーク様!」
 山から下りると、そこは地平線の見える大平原だった。見渡す限り、緩やかな風に身を揺らす瑞々しい短い緑の草が広がっている。そこに佇む一人の女性を見つけ、リールは一目散に駆けて行った。
「お帰りなさい、リール。ラクルスも」
「そいつにせがまれたのでな。すぐに帰る」
 背まで伸ばされた、リールよりやや濃い目の蒼髪は先端を朱の珠で纏めている。上着を一枚胸元で紐で締め、足首を隠す程のロングスカート。胸に飛びこんできたリールを見つめる女性――ガランの薄紫の瞳は慈愛に満ちていた。
「リール、ラクルスを困らせてはいけませんよ」
「ごめんなさい。でも、最近シンも来てくれないし…」
 リールは声を落として呟いた。南の地は隔離された巨大な孤島と言っても過言ではないほど、人の足では到達出来ぬ秘境。彼女の話し相手と言えば、精霊くらいのものなのだろう。
「シンですか。彼にも事情があるのですよ。でも、貴女には淋しい思いをさせていますね…」
 ガランの表情が翳ったことに気付き、リールは慌てて首を横に振った。
「ううん、そんなこと無い! ドーク様とラクルスお兄ちゃんとシンと、あとみんなが居れば淋しくなんかないわ!」
 リールの言う『みんな』とは、もちろん『精霊』のことだろう。何故自分も数のうちに入っているのかと思ったが、ラクルスは口を挟まなかった。
「そうだといいのだけれど。…リール、悪いけれど少し先に帰っていてくれないかしら?」
「え、どうして?」
 ラクルスの時と同様、リールはガランに眉を顰めて疑問を投げ掛ける。ガランは少し考えるような顔をしたあと、何か面白いことを思いついた子供の笑みを浮かべた。
「そうね…今日はラクルスに夕飯を食べていってもらいましょう」
「本当!?」
「ええ、本当よ。今夜は御馳走にするから、先に準備を頼むわ。ね?」
 片目を瞑ってそう促すと、リールは年相応の笑顔を満面に浮かべてはしゃぎ出した。
「わかったわ! お兄ちゃん、また後でね!」
 振り返りラクルスに手を大きく振りつつ、彼女は勇んで大平原の中を駆け抜けて行った。単純な娘だと、率直に彼は思った。
「俺を口実に使うな」
「すみません。でも、良いではありませんか。あの子も喜んでいます」
 苦笑いを浮かべ、ガランは口実にしたことを詫びた。
「ふん、あいつを喜ばせても俺の得にはならん」
「…まあいい」と彼は息を吐き、彼女を見据える。二人きりになったところで、彼女は顔付きを変えて口調を正した。
「先程の貴方の報告、間違い無いのですね?」
「間違いない。知恵の足りてそうな魔族を一匹締め上げたところ、アッサリと教えてくれた。BRAVERSガーディアはまだ生きている、ガーディアがお前たちとリンクしていることを利用し、ギアトは『エサ』として奴を生かしている。…仲間意識に駆られて、お前たちが奴を助け出そうと姿を見せるのを待っているのだろうな」
 最後の部分を取って付けた様にラクルスは言った。彼はさらに言う。
「ギアトにとって、お前たちなどは動かなければそれで良い存在だ。降りかかる火の粉は払うまで、無理に潰そうなどと考えているわけではない。今、奴を助けに行くという事は、相手の罠の懐に飛び込むことに他ならない。それは言うまでもないことだがな」
「そうですね…そうと判りながらも火中へ飛びこむのは愚かなことです。ですが、彼の能力は類稀なモノです。今は開花せずとも、生き残れば可能性はいくらでも出るモノです。今は一つでも戦力が欲しい。魔族の力を知る貴方なら、判るでしょう」
「ふん、ギアトに歯が立たんような奴が、戦力になるとは俺には思えないがな。それに俺は、お前の目的に同調しているわけではない」
「それは、最初に承知しています。貴方の目的は…」
「デズルートは、俺が殺す。俺にはお前たちに協力する義務はないが、契約の範囲での義理は持つ。それだけは譲る気は無いからな」
 滅多なことでは感情を出さないラクルスだが、これを口にする時だけは隠れた素顔にハッキリと感情が見て取れる。いま、怒りと憎悪の感情だけで彼の体は動いている。
「それでは、行きましょうか。リールも待っているでしょうし」
 ふっと表情を和らげ、ガランは微笑で言った。
「本気だったのか」
「ええ。すみませんが、少し相手をしてあげてくれませんか? ここに来る人間は、貴方くらいですから。少しでも、外の事を聞かせて上げてやって下さい」
「…まあ、良いだろう」
「ありがとうございます、あの子も喜びます」
 リールの向かった方向に歩くガランの後にラクルスは続いた。この大平原には緑以外何もない。それ故に、誤れば方向感覚が奪われ迷う可能性もあるからだ。
 そして、その中心に簡素な作りの家屋が一つある。そこがガランとリールの住まいであり、この大陸唯一の生活の営みがある場所だった。
(――いつまで、この永遠は続くのでしょうね…)
 たった一人の娘と暮らしを続け、どれほどの時が経ったであろうか。誰にともなく、ガランは遠い過去に呟いた。

 どこまでも続く青と緑に包まれた大陸。美しい大陸、だが、決して幸せではない大陸。
 かつて、ここには国があった。青と緑、心を広く羽ばたかせる壮大な青空と、生きる活力に漲る色に染まった緑、いつものように人々は暮らし、多くの喜び、幸せがあった。そんな国を、自分もいつまでも見て行きたいと願ってやまなかった。
 だが、『いつも』という永遠は有り得なかった。この世に普遍の存在など在りはしない。多かれ少なかれ、絶えず変化し続けている。
 それでも変わらないと言うのは、その微小な変化に気付いていないだけ。時には、それが美徳と思えることもある。
 滅び去ったこの国は、その日幸福の絶頂で賑わっていた。『奴ら』が現れ、『わたし』が生まれるその時までは――


 精霊の棲む霊峰に囲まれ、精霊の庇護の下に育まれてきた精霊国家エレメンタル王国。
 様々な恩恵を精霊から受け、彼らに感謝の心を忘れずに、人々は活気ある日々の営みを送っている。
 この国は平和だった。その地理条件から、半ば世界からは閉鎖的なところはあったものの、民の顔からは笑顔が絶えない。この国は、そんな国だった。

「はいはい、ちょっとゴメンよお! どいてくれないと怪我しちまうぜ!!」
 慌しい叫び声と、その声を聞いて続く悲鳴に似た声が街道を騒がせていた。いままさに、白い影が街道を突っ切っている。その正体は、王家の中でも由緒ある白馬のモノだった。
 その上に跨るのは、黒い短髪に褐色の肌をした剣士風の青年だった。青年が着る左胸に勲章を付けた服は国の剣士隊の制服。それも、団長にしか着ることが許されない由緒ある物だった。
「カイン団長! 何事ですかッ!?」
「兄ちゃん何処行くの!?」
 馬の上の人物が誰だか判ると、悲鳴はいつものことと苦笑する大人や、子供の好奇の声に変わった。
 エレメンタル王国剣士隊総団長、それが彼――カインの肩書きであった。剣士隊と言っても、平和が続く今の世の中では、せいぜい警備が役割の大半を占める。
「エクスの野郎が外に出やがってなッ! ちょいと、トッ捕まえに行くのさッ!!」
 馬上の上で一瞬振り向いて叫ぶと態勢を低くし、彼は鞭打って馬の脚を速めた。のんびりとはしていられない。今日は特別な日だった。彼にはもちろんのこと、この国にとって特別な日であった。


 城下町の門を抜けてしばらく走ると、国の外れに位置する小高い丘が見える。そこは、休暇に子連れで来る家族の憩の場であったり、恋人たちの語らいの場であったり、夜の虫たちの演奏会場であったりする。
 それも、この丘の頂上から拝める景色があるからだ。国と城下を一望出来るこの場所は、いまやこの国には無くてはならないシンボルの一つとなっている。
「エクスティム! こんな所で油を売ってる場合か? 今日の主役は君なんだぜ」
 緑の薫りを運ぶ微風が優しく撫でる丘の上で、組んだ腕を枕にして寝そべっている青年がいた。
 端正な顔立ち、ピンとした硬質の金髪に明るい空色の瞳。腰ほどまである丈の長さのマントで身を包む術士風の男。名をエクスティムという。
「カインか。まだ時間はあるだろう? もう少し待ってくれないか」
 息を切らしながら丘を登って来たカインに、彼は苦笑して応じた。
「待てるもんかよ! 陛下も、大臣連中も、民達も、ガラン様もお待ちであらせられる。さっさと行って差し上げろ!」
「はは…お前に畏まった言葉使いは似合わないな。勉強がいるな。それに、様付けなんてしたら、また文句を言われるぞ?」
 余裕たっぷりな調子で言う彼に、散々焦っていた自分が次第にバカらしくなってきた。カインは肩を竦めて、
「ああそうだな。オレもそう思うよ。ったく…国王様も、きっと怒ってるぜ」
 目を細めて責めるようにエクスティムを見据え、カインが言う。そこで、彼はようやく重い腰を上げた。
「そうか。それはマズイな。よし、それでは行くとしようか。我が愛しの姫君の元へ!」
「ゴタクはいいから早く行け。下に馬を繋いであるから」
 呆れた溜め息をついて、カインが顎で促す。エクスティムは向き直って、
「と言うことは、お前は歩きか?」
「しゃあねえだろ。主役が遅刻じゃ洒落にならんからな」
 そこで初めて彼は口元を緩めた。それにつられたのか、エクスティムの口元も自然と緩んだ。
「すまないカイン。借りていくぞ」
 親友の好意を有り難くいただく事にしたエクスティムは一言礼を言うと、マントに尾を引かせながら丘を駆け下りて行った。
「ふぅ、アレが次期国王じゃ、先が思いやられるぜ」
 やれやれと、カインは額を抑えて天を仰いだ。視界には気持ちの良いほど抜けた青空が広がっている。式には支障はないだろう。絶好の空模様だ。
「と…こうしちゃいられねえな。オレも急がないといけねえわ」
 呼吸を整えるのもそこそこに、彼も丘を駆け下り始めた。今日は記念すべき新国王戴冠式の日。式典まで、もう時間が無いのだ。


「遅いではありませんか、エクス…こんな日だけは、心配をかけさせないで下さい」
 城門を駆け抜け馬から降りるやいなや、エクスティムの背に非難の声が投げ掛けられた。振り返ると、困惑と怒りが混じった表情でこちらを見据えているガランの姿があった。
 彼女は控えめに飾られたドレスを見事に着こなしており、派手に着飾られてこそはいないが、それは彼女の静かな魅力を充分に引き立たせる役割を担っていた。
「今日は一段と綺麗だな。俺も、つくづく果報者だ」
「はぐらかさないで下さい!」
「はは、すまない。やはり、堅苦しい空気は俺の性に合わんようだ。おそらく、これが最後になるだろうからな。外の空気を十分に満喫しておきたかったのだ」
「まったく…それでよく大神官が務まったものですね」
 そこで怒りは収まったのか、彼女はふっと呆れたように口を綻ばせて肩を下げた。
「さあ、早く着替えて下さい。貴方以外は、準備は整っているんですから」
「了解した。それじゃあ、また後で」
 口端を軽く持ち上げて、彼は城内へと走っていった。何気なく彼の背中を見送る彼女の肩に、ポンと何かが乗った。振り返ると、息を切らしたカインのがいた。
「ハァ…、よお…、ハァ…、ガラン。あいつは…、ハァ…、着いたか…」
「カイン兄さん。ええ、おかげさまで。大丈夫ですか、顔が赤いですよ」
「ああ…大丈夫だよ…クソ…ッ! あぁ、情けねえよなぁ…体力つけ直すか…」
 天を仰いでグッと伸びをする彼に、彼女は微笑んで、
「エクスと大差はありませでしたよ。兄さんは今のままで充分ですよ」
 彼は顔を顰めて、あしらうように彼女に向かって片手を振った。
「その『兄さん』はよせよ。もうそんな風に呼ぶ年じゃねえだろ。『ガラン様』」
「ふふ…慣れ親しんだことは、そう簡単には止められませんよ。それに、様付けは禁止です。これは命令ですからね。背くと大変ですよ」
「き、汚ねぇなぁ… そりゃ立場を利用した横暴だぞ! おい!?」
 両手を広げ、彼は大袈裟に言って見せた。
「参ったねぇ…この調子じゃ、この国も先行き不安だな。王妃様に兄さん呼ばわりとはね」
「普段では、今まで通りガランで良いのですよ…かしこまった態度は、兄さんには似合いませんから」
「エクスと同じこと言ってら。かなわねえな、まったく」
 ぼやきながら頭を掻きつつ、苦笑混じりの息をつく。平和が為せることなのか、どちらにしても、彼の心配の種は尽きずに増える一方なのだろう。それもまた、悪くないかもしれないが。

 その後、式は厳粛に、そして盛大に執り行なわれた。
 始まる前までは、窮屈そうにしていたエクスティムであったが、さすがに始まると顔付きは違った。その二面性が、また彼のステータスの一つなのだろう。

 剣士隊同様、王国を守護する精霊士団を束ねる大神官、それが彼――エクスティムの肩書きであった。
 カインが剣を、エクスティムが魔を。昔馴染みの二人は、この国を支える二つの柱のような存在だった。誰より愛国心の強い彼らは国民からの信頼も厚く、この国にとってなくてはならない人物だった。
 だが、大神官という地位は別の意味でも特別だった。精霊の国というだけあって、代々国の王は最高の精霊士である大神官であるケースが多い。エクスティムは、その類稀な能力と人格から将来を期待されていた。誰もが認める、この国の王となる人物として。
 そして、その日が今日訪れたのだった。
 彼は新たな王として、この国を繁栄の道へ導いてくれる希望の標として、大きな期待を注がれながら民の前に、この国の先頭に立つのだった。 

 そうして夜、城内で宴が催される最中、ガランはテラスで一人、夜空を見上げていた。エクスティムを言うわけではないが、元来彼女も騒々しい場はあまり好まない方だった。
「――ガラン…ここに居たか」
「エクス…」
「息が詰まる…とも言ってられないか。まあ、そのうち慣れるだろう」
 着飾ったエクスティムのぎこちなさが残る動きに、彼女は笑みを零した。
「このテラスからは、昼間は街並みと民の姿が、夜はこうして星が見れます。わたしの一番の場所です」
 手すりに腕を乗せ、夜空を見上げながら彼女は静かに、夜の静寂を乱さぬように呟いた。彼女の隣に歩み寄り、彼もまた同様に、月と星たちを見上げた。
「…それじゃあ、俺は何番目なのかな? 参考までに訊いておきたいな」
「あら、貴方に順番を着けるのはオカシイですね。貴方は、もうわたしと一つなのですから。一番も二番もありません」
 澄ました顔と声で答える彼女に「悪かった」と彼は笑いながら言った。どうやら、冗談は容易に見透かされているようだ。
「――っと! いたいた。新国王さん、ちょいと伝言が…と。あらら、宴の主役が、このような所で御戯れですかな?」
 忙しい声が二人の背後に飛びこんできた。振り返ると、昼間と変わらぬ格好をしたカインがそこにバツの悪そうな顔をしてこちらを見ていた。
「カイン。参ったな、とんだ邪魔が入ったようだ」
 肩を竦めるエクスティムに、彼は呆れながらも、口端を軽く持ち上げて言った。
「いえいえ、お邪魔虫になるつもりは一切合財ございません。用が済めばすぐに退散しますよ。オレは君に伝言を賜って来たんだ。国王様、おっと、王さんはもう君か。とにかくお呼びだから、早いとこ行った方が良いぜ。それだけだ」
「せっかちだな、もう行くのか?」
「カーッ! 嫌味なやつだねまったく。この国は人選間違えたな。オレはこれから警備なんだよ、頭がサボってちゃ示しがつかん。因果なモンだね、まったく…」
 からかいを含めたエクスティムの問いに、彼はおどけた調子で言って二人に意味ありげな視線を送った。
「ま、そういうわけだからな、あとは二人でヨロシクやってな」
「それじゃあ」と片手を軽く持ち上げてつつ、彼はさっさと退散してしまった。
「はは…相変わらずだな。あいつなりの祝福してくれているんだろうな」
「ええ、ああいう人ですから。昔から性格は少しも変わっていないんですもの」
「…何も変わっちゃいないか…そうだな。変わらない、俺たちも、この国の平穏も…いや、それは違うか」

 灯火が夜の静かな闇に浮かび上がり、美しい自然の夜景を創り出している。心地よい冷たさの夜風は緑の薫りを運ぶ。広大な自然と青空、これから俺が彼女と共に歴史を築いていく国。

「この国は美しく、平和だな…。ガラン、俺はこの国を守りたい。今は未熟だが、いつか万人が誇れる王となろう。現在(いま)と変わらぬ、いや…もっと立派なモノへこの国を導いて行くんだ」
「……はい」

 彼の横顔は、まだ夢見ることを忘れていない幼さが若干残る青年のモノ。自分の胸中を語る彼は、とても楽しそうだった。そして、そんな彼の傍でわたしも彼と同じ夢を見ていたい。彼の熱い眼差しを見つめていたいと思えた。

「ガラン、俺を支えて欲しい。この国を、より良きモノへとするために、共に守り、生きて行こう」
「…一つ、訊いてもいいかしら?」
 悪戯っぽく微笑み、ガランは言った。
「わたしのことも、お腹の子も…守って下さいね」
 一度目を瞬せて彼女を見た後、エクスティムはすぐに優しく微笑んでそれに答えた。
「…ああ、もちろんだ」
「ついて行きます。ずっと、貴方と共に――」
 愛しい、それ以上言葉に出来ぬ感情を瞳に秘め、抱き合った二人は互いの唇を重ねた。今この時だけ、月と星は二人のためだけに、微かな優しさで瞬いていた。


 そんな幸せがあることを知ってか知らずか、南の地を取り囲む山の一つの頂きで、この国を見下ろす三つの影があった。
「ここかよ? 『オヤジ』がいる国ってのは…」
 両サイドに分けた黄緑色の髪の中からは歪に曲がった角が突き出し、金色の瞳はギラギラと殺意ばかりが漲っている。一種の鬼を彷彿とさせるが、顔立ちは端正で体型もスマートな魔族だ。左腕に細工が施された腕輪をしている。
「そうだ。『聖杯』…我らの『父』が囚われている国だ…」
 それに答えたのは、漆黒のガウンのような物を纏った長身の魔族。目深にフードを被っているため顔はよく見えないが、声は深淵の更なる奥底から響くようで底冷えするほど冷たい。
「ったく面倒臭ぇなぁ。なんなら、俺様一人でブッ殺してやってもいいんだぜ」
「アンタは暴れたいだけだろう?」
 鬼のような魔族にそう言ったのは、女の魔族だった。赤味の強い茶髪のストレートロングは腰まで流れており、鋭い眼差しに紅の唇には妖艶な美しさがあった。
「ヘッ! 目的が達成できりゃ、何も変わらねえよ」
「あくまで目的は『聖杯』だ。手段は選ばぬし、他はどうしようと構わん。デズルート、貴様の好きにしろ」
 漆黒のローブを纏った魔族は、さして興味は無いように言った。彼にとって重要なのは目的の達成、その過程は問題ではない。口振りからして、彼がこの中のリーダー格のようだった。
「言われなくても…全員ブッ殺してやるぜ」
 鬼の風貌を持つ魔族――デズルートはこれから始まる宴を心の底から喜んでいる子供のような、だが明確な悪意のある笑みを浮かべて言った。
「アルゴル。ソドスも暴れたいと言ってるわ」
「ケッ! イアルト、テメエも暴れてえだけだろうが」
 女の魔族――イアルトはクスリと微笑み、とぼけた様にデズルートに返した。
「あら、ワタシはソドスの運動をさせたいだけよ」
「好きにするといい。イアルト、ソドス、デズルート… 存分に暴れて来い。そして、我らが父、『邪神の心臓』を奪取するのだ。精霊国家エレメンタル……消してこい」
 ローブを纏った魔族――アルゴルは静かにそう言い放つと、その姿を闇に溶け込ませるように消した。
「行きましょう。ソドス」
 イアルトが夜空にそう呼びかけると、空間全てを揺るがすような重く低い、大地の奥底から轟かせるような唸り声がした。夜の帳を切り裂き現れたのは、背に巨大な蝙蝠を彷彿とさせる翼を六枚有した紅蓮の双眼を輝かせる龍だった。小山一つ分はあろうかという大きさの身体をくねらせながら、龍――ソドスはイアルトの目に届く上空に留まった。
「あんまり殺し過ぎんじゃねえぞ。俺様の楽しみが減るからな」
「そんなの知らないわ。みんな、この子の気分次第さ」
「はん、そんじゃ…ま、行くとするか。楽しくなりそうだぜ…」
 その時、夜の闇を纏った冷たい漆黒の風が吹き荒れた。月はその輝きにより闇を色濃く強調し、星の微かな輝きは闇に呑まれる。
 闇は嘲笑うかのごとく、その身を蠢かせ、そこから生まれ出る破滅の胎動を轟かせていた。

――それは、気の遠くなる程に永く、記憶の底に埋没した時代――


――その地には人が居た。それぞれの暮らし、幸せがあった――


――その幸せが、永く続くことを信じていた――


――だが、そこにあるべき普遍な幸福の形は、ある日を境に幻と消える――


――望んでも、二度と手に入れることの出来ぬ過去の中へ――


――その日、『神』は彼の地に生まれ堕ちた――




〜後書き〜
どうも、第八話のひ魔人です。
エピソード其の三は、過去物語です。
謎の大陸だった南の地にあったかつての王国、この長い長い物語の本当の『始まり』となる、ケッコー重要っぽいエピソードです。
これからの話の『鍵』を握るキャラ、台詞、色々出てるんじゃないかなと。
次終えれば、よーやっと『本編』へ行けそうな予感です。前振り長ッ!煤i ̄□ ̄;;)←マテ
それでは、また次回にお会いしましょう(座礼)。


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