MOON RHAPSODY

第十回 「幕の終にて」



どんなものにも終わりは訪れる

始まりがあればそれは必然であろう

この物語にも終わりを告げようと思う

次の幕開けを待つまでもない

これは幾つかある結論の一つに過ぎないのだから

最後の一幕、お付き合い願いたい



2034年7月28日木曜日 AM9:02 天候・晴天。


 日本国内にある多国籍都市の一つである函館。その郊外にある墓地に辻 叶はいた。
 彼女は幾度目かの二人の友との語らいに訪れていた。


 “バベル”事件後、バベルに取り込まれていた叶は一ヶ月近く意識が戻らずにいた。これに関しては、精神にかかった負荷が肉体にも反映されたためらしく、常人ならば死亡していただろうと言われてる。幸い、叶は常人に比べ遥かに精神領域が広かったため、一ヶ月後の昏睡程度で済んだ、と言えよう。


「ん……」
 ピッ、ピッ、と言う規則的な機械音。遠くに聞こえる僅かな喧噪。白い壁に白い天井。ほんの少しだけ感じられる薬の匂い。
 叶は、目覚めた。
「お。起きたか」
 近くから聞き覚えのある声。これは、アキラだ。
「宮下さん……ここは?」
「あー、ちょっと待て」
 叶を制すとアキラはナースコールを押す。
「とりあえず、詳しいことは医者に診てもらってからだ」
 叶が事件の詳細を聞いたのはその一週間後であった。


 バベルは、本郷を除く6人が出てきた時点から霧のように消え、元の都庁ビルに戻ったらしい。
 その後、七番隊のものは報告書を書かされ、アルマは事後処理の手伝い、アキラは他隊と共に無魔の生き残りの狩りだしていた。ただ、事件から三日経たないうちにミーリィと悠里は失踪。さらにその五日後には菅原も行方を眩ました。
 事実上、七番隊に残ったのは叶、アキラ、アルマのたった三人。
「じゃあ、隊は解散なんですか?」
「正式にはまだだが、そのうちなるだろ。たぶん他の隊もだ」
 バベルの消滅後、世界各地で『遺跡』の消滅が確認され、無魔の殆どがこの一ヶ月の間に狩り出された。結果、対無魔駆逐部の存在は無意味なものとなりつつあった。もっとも、正式な解体はだいぶ先のことになるだろうが。
「まあ、俺やアルマは解体されるまでこれを続けるけど、お前はどうすんだ? 能力も殆どなくなったんだろ」
「そうですね……函館に帰りたいと思います。お兄ちゃんは宮下さんと同じでこの仕事を続けると思いますけど」
「やっぱりか。ま、星野さんにゃそう伝えおくぜ」
「……宮下さん」
「ん?」
「どうして、なんでしょう。ミーリィや悠里さん、菅原さんに本郷隊長。みんないなくなっているのに、どうして私は何も感じていないんだろうって……」
「別に気にするほどのことでもないと思うぜ。俺だってそうだったんだ。ま、あいつらのことだ、どっかでのうのうとしてるんだろ」
「だと、いいんですけど」


 2年後、駆逐部隊は正式に解体が発表され、今度は警察内にDA犯罪に対する特殊部署が設けられ元駆逐部隊の者の何割かはそのままそこの所属となった。アキラや叶の異母兄である久羅斗、楓らもその所属となった。アルマはイギリスに戻り、そちらの新設部署の所属となった。
 叶は計3ヶ月の入院生活の後函館の一般の学校に戻った。
 2028年の月の交差の際は特に何も起こらず、32年のものも何も観測されなかった。もう何も起こらない。そう結論づけられた。
 ただ、バベル事件後の新生児のDA率は100%で、能力も以前とは違い極めて弱いものばかり。全人類がDAとなるのも、そう先のことでもなさそうだ。
 ともあれ、そうして30年近く続いた二つの月の出来事は、一応の区切りがつけられた。


「───それじゃあ、ね。美砂兎ちゃん。また、来るから」
 もう一度手を合わせ、親友との語らいを終えた叶は墓地から離れた。
「おう、終わったか」
 霊園の入り口でラフな格好をした青年と、4歳ほどの少女が待っていた。
「すみません、宮下さん……待たせたばかりか結の面倒まで見させてしまって……」
「待つのは構わないし、この子も手かからんしな。て言うかマジでお前の旦那を見てみたいな」
「まあ、そのうち、ですね」
 マジマジと叶とその娘である結を見比べるアキラを見て、叶は思わず笑ってしまった。対して結は涼しい顔をして麦わら帽子を被り直していた。
「まあいいか。いくら北海道でも夏はちと暑いな。適当な店にでも入るか。茶代くらいは奢るぜ」
「はい、頂きます」
 三人は霊園近くの喫茶店に入り、アイスコーヒーとリンゴジュースを頼み、窓際の席に座った。
「にしても6年ぶりか……下手すると、一生会わなかったかもな」
 ちなみに。アキラが函館を訪れたのは叶に会うためだけでなく、こちらの同僚の様子を見に来ている。現在アキラは都心部の広域捜査課に属しており、有休を取って函館に来ている次第である。
「それはちょっと……でも、アルマさんは難しいって聞いてます。今、あちらの管理職についているんですよね」
「ああ。まあ、聞いたときは似合い過ぎだと思ったけどな……あー、そうだ、悪かったな、結婚式出られなくて」
「構いませんよ。祝辞はもらいましたし」
「……にしてもよ」
 アキラは視線をリンゴジュースをちびちび飲んでいる結に向ける。顔立ちは叶の面影があるが、性格は明らかに異なる。
「旦那似か、この子は。て言うか旦那はどんな奴だよ」
「優しい人ですよ」
 笑顔で答える叶。結も、僅かに頷く。
「いや、お前が旦那にするぐらいだからそれはわかるが……」
 この結は、4歳児には冷静過ぎる。ついでに無口だし。何を考えているかいまいち掴みにくい。まあ、叶にはわかるようだが。
「私に似て人見知りなんです。家の中ではよくはしゃいでます。ちょっと想像しにくいかも知れませんけどね」
 そう言って苦笑する叶。もっとも、叶の人見知りはトラウマから来ていたもので子供のそれとは異なる。いずれにしても、子育てとやらは大変らしい。
「あ、子供と言えば。刃神 ちよりちゃん、覚えてますよね?」
「刃神先生の娘さんだろ? どうしたよ」
「4月の頭に男の子産んだそうです」
「!?」
 危うくコーヒーを吹き出すところだった。いや確か法律上結婚できる歳だった気もするが、て言うかもう出産って。
「……マジか?」
「嘘ついてどうするんですか」
 それもそうか。
「てことはできちゃった婚ってわけか。まあ、刃神先生がわざわざ反対しそうにないしな」
「私も驚きました。人生何があるかわかりませんね」
 まあ、それはそうだが。
 それから二人で互いの近況とか、昔の思い出話などで盛り上がった。アキラが叶の植木鉢を蹴り割っただとか、叶が驚いた拍子にアキラにスプーンを投げつけたとかしょうもない話が出てげんなりしたりしたが。
「そろそろ12時だな。んじゃ、悪いが別件の予定があるからまた今度な」
「あ……もう、そんな時間ですか」
「ま、暇があったらまた来るかも知れないけどな。昼飯はここで食べるのか?」
「いえ、別の店で取るつもりですけど」
「よし。んじゃ出るか」
 アキラが勘定を済ませるのを店の外で待って、そこで別れることとなった。
「じゃ、元気でな」
「宮下さんも」
 結も小さく手を振る。アキラは手を振り返し、そのまま振り返らずに行ってしまった。
「……結、行きましょうか」
「うん」
 叶と結は、家や店が殆どない田舎道をゆっくりと歩き始めた。こんなところで喫茶店があったのは奇跡的と言えるだろう。今日は、意外と日差しが強い。叶は帽子を忘れてきたので仕方なくハンカチを頭に乗せて帽子代わりにした。
 ふと結を見て、そう言えば、あの麦わら帽子はいつ買ったのだろう。とそんなことに思いついた。帽子を買ってあげたことは確かにあったが、麦わら帽子とは別のもののはずだ。この麦わら帽子だって、気づいたら結が被っていた、と言う印象が強い。それに……何処かで見たような気がする。
「おかーさん」
 結がブラウスの袖を引っ張る。結が指さした先には、
「菅原さん……」
 10年前に姿を消した彼がそこにいた。その傍らには白いワンピースを着た青い髪の少女。
「お久しぶりです、叶さん」
「……お久しぶりです……」
 挨拶を済ませると、叶は適当な木陰に入った。菅原もそれに続く。
「すみません、突然いなくなって」
「今更、ですけどね」
「確かに」
 沈黙。叶と菅原は向き合ったまま、お互い何も喋ろうとはしなかった。交わす言葉が、ないのかも知れない。
「……また、いなくなるんですよね? ミーリィたちみたいに……」
「彼女たちには、もう会っていましたか」
「あの事件のあと、入院しているときに」




『アタシたちはこの世界に留まっていられないの』



「僕がここから離れるのは、彼女たちと同じような理由です」



『叶ももう知ってるでしょ? あの月にある世界のこと。アタシは元々そこの人間だったわけ』



「事情はわかってます。ルナと一緒にいるって言う契約なんでしょう?」



『向こうでのアタシはもう死んでるから戻るわけにもいかない。かと言ってこっちにいるにも齟齬が生じてしまう』



「ええ。彼女もこの世界でやるべきことを全て済ませていま。よって、ここに留まる理由がない」



『本来いない者がいるってことは世界にとって異物でしかない。だから齟齬が生じる。悠里も一緒。悠里ももう死んでる存在だから』



「ミーリィ、菅原さん、悠里さん、本郷さん……みんな、ここからいなくなるんですね」



『本郷隊長もその一人だった。アタシの友達の一人だったらしいけど、全然気づかなかった。ま、彼も目的を果たしたからバベルから戻ってこなかったわけだけど』



「残念ながら。長くいられないだけで少しならいられますがね」



『ま、気が向いたら会いに来るからさ。落ち込まないで。ね、叶』



「それもわかってます」



『じゃ、またね』





「そうですか……では我々も」
「待って」
 そこから去ろうとする菅原を、結が止めた。被っていた麦わら帽子を脱いで、それをルナに差し出す。
「忘れ物。なくしちゃ、ダメだよ?」
 ルナは、それを受け取ると穏やかな笑みを結に見せた。結も笑い返す。
「ふぅ……ところで叶さん。ついでに聞いておきたいことなんですが、あなたが二人の親友とした約束とやらは、なんだったんです?」
 何故知っているのかとか、なんで聞くのかとか、そういうことをわざわざ返す気はない。
「自分の子供自慢です」
 あっさりと叶は答えた。
「それはなんとも……のどかな約束ですね」
「ああ、最終的には孫自慢とも言ってました」
 今度こそ菅原は呆れた様子で頭を振った。
「今度こそ、行かせてもらいます。ルナの忘れ物も届けてもらったことですし」
「ええ」
「末永く、お幸せに」
「はい」



『と言うわけで将来的に子供自慢しよう!』
『千佳。できもしないことを約束しない方がいいわよ』
『どういう意味よ!? あたしはいい男捕まえる自信あるものっ』
『……なんか、美砂兎ちゃんが一番早く結婚しそうだよね……』
『それもどういう意味……?』
『美砂兎はクソ真面目だから就職してもすぐに寿退社ーって感じなのよねー』
『そ。じゃ、この競争は私に優勢ってことかしら?』
『うっ、しまった!』
『まあまあ……でも、その約束ができるんだったら、私たちずっと仲良しじゃないと』
『そうね……ま、どんな縁でも続く方が良いかも知れないし』
『またどういう意味よ?』
『言葉のままだけど?』
『腐れ縁でも、一緒にいられるのはいいことだよ』
『……あーもー! うだうだ言ってないで約束するっ! はいっ!』
『はいはいわかったわよ。ほら、叶も』
『うん』



 菅原とルナが去っていった道を、二人の姿が見えなくなっても結は見つめ続けていた。
 そんな娘の姿を叶は微笑ましく思った。千佳と美砂兎。二人との約束は、叶の中では果たされている。
 空を、見上げる。




青と赤の月が浮かぶ、青い空
とても綺麗で、吸い込まれそうだった
ずっと、こんな風景が続けばいいと叶は願った





二つの月の物語は、ここからまた、始まる



  Fin



あとがき

 というわけで、エピローグでした。
 ここまで来るのに途中で停滞してた所為も2年以上かかってますよ。ぐはっ。
 今までの話をまとめる役目を担ったのがエピローグなわけですが。いきなり10年も時間飛んでたり叶に子供がいたりと。ええ。いや、前からそうしようとしていたからいいんですけど。
 ちなみに謎の解明は番外編で……っていつ書けるのやら(爆)
 さて。この物語にも一応の終幕にたどり着けました。
 では、今までお付き合いただきありがとうございました。  


←前に戻る
小説トップへ
Copyright(C) KASIMU/はにわ all rights reserved.