第七回 「彼方の幻影」 選択肢はもう決まっているのかな? 生まれたときから運命という名で…… ……違う……! そんなの間違っている! 運命なんて言葉は 全てから逃げている人間が作ったものだ!! 自分じゃどうしようもないことを 運命なんてもののせいにして逃げているんだ!! 私はそんなものに縋り付かない 私は運命を否定する 絶対に……! 2023年12月23日土曜日 PM6:39 天候・雪空。 川越某所にある七番隊本部は、外の喧噪に対して静かだった。 静まりかえっている仕事部屋には、本郷と菅原の二人がそろってコーヒーを飲んでいた。 「この時期に雪が降るのは珍しいな」 「ええ、世の恋人たちは大喜びでしょうね。明日はイブ、明後日はクリスマスですし」 「……我々には関係のないことだ」 「そうですね、相手がすでにいなかったり、どこにいるかわかりませんからね、僕たちは」 「…………ところで、他の連中はどうしている」 本郷は沈黙のあとに話題を変えた。菅原はそれを小声で笑いながら応える。 「副隊長はいつも通り支部局へ行っています。宮下くんは外で遊んでいます、イヌのように。残りの三人は部屋にいます」 「そうか」 本郷は短く応え、コーヒーカップをデスクの上に置き、腕組みをする。 月の交差まであと3ヶ月。この交差で何を起きるのか、だいたいの見当はついている。ある存在の代理人たちもそれに備え実務的な行動を開始している。 ───今度こそ、決着をつけねばならない。己のためにも、彼女のためにも。 「隊長、あなたが考えていることは理解できます。が、それを果たしたあとはどうするつもりですか」 そう言った菅原の表情は厳しいものだった。今まで彼が見せたことのないほどの。 「……ことが、全て終わったあとに考える。俺がやろうとしていることは所詮、自己満足でしかない」 「そこまでわかっているなら良しとしましょう」 菅原は表情を変えずに席から立ち上がり、ドアの方へ向かう。 本郷はひとつ、ため息をつく。 自分も器界の歯車のひとつにすぎない。それから脱するのは不可能だ。しかし、目の前にいる青年はその歯車から脱している。 <不規則な歯車>と<歯車の傍観者>との接触。 歯車を脱する、唯一の手だて。しかし、無意味なことだ。小さな器界を抜け出したとしても、巨大な器界の歯車のひとつであることに変わりはないのだから。 菅原がドアノブに手をかけようとしたとき、電話のベルが部屋に鳴り響いた。 普段ならここで叶が受話器を取るところなのだが、残念ながら今ここに彼女はいない。しかたなく、本郷が受話器を取る。 「こちら七番隊本部……ああ、辻さんお久しぶりです。それで、何の用……わかりました」 本郷はいったん受話器をデスクの上に置く。 「菅原、悪いが辻を呼んできてくれ」 「……わかりました」 菅原はドアノブをひねって扉を開き、廊下へと出ていった。 この建物の三階は居住スペースになっている。6畳部屋が5つ、10畳部屋が2つとなっている。 菅原はそのうちの10畳部屋の前に立ち、その扉をノックする。 「辻さん、電話ですよ」 反応は少し遅かった。バタバタと慌ただしい音と共に扉が開き、叶が飛び出してきた。なぜか、その衣服は少し乱れていた。菅原は何がすぐに察したが、深く考えないことにした。 「ちゃんと着た方がいいですよ」 菅原はそれだけを叶に言って、一番奥にある自室に向かって歩き出した。 「あの」 その歩みを叶の声が遮る。 「電話って……誰からですか?」 「お兄さんからですよ」 菅原は振り返らずそう言うと、再び歩き出した。 叶はそれ見送らずに階段を駆け下りる。仕事部屋にはいる前に衣服を整える。 仕事部屋にはいると本郷と目があった。本郷の威圧的な視線から逃れるために下を向く。この隊の雰囲気には慣れたが、本郷と目を合わせることは未だにできない。理由はよくわからない。 それでも彼の視線から逃げるのは失礼なのだろうか。 そんなことを考えながら、叶は下を向いたまま本郷のデスクに近づき、本郷から受話器を受け取る。本郷はデスクから立ち上がり、ソファに座り直す。叶に気をつかっているのだろうか。叶はそれを横目で見たあと、電話の先にいる人物との会話に専念することにした。 「もしもし」 『叶、俺だ』 「お兄ちゃん……どうしたの?」 『……悪い知らせがある』 その言葉を聞いた途端、叶の心臓の鼓動が急に速くなり始めた。 いったん深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。 「……何が……あったの?」 『単刀直入に言う。藤森 美砂兎が、昨日交通事故で死亡したそうだ』 「美砂兎ちゃんが……?」 叶はそれを聞いたとき、意外にも冷静でいられた。速くなっていた心臓の鼓動も今は落ち着きを取り戻している。 『明日、葬式が行われる。行くか?』 「うん……行く」 『そうか』 彼は終始事務的な態度で喋っているが、叶にはその言葉だけ少し嬉しそうに感じられた。あまり感情を表に出さない兄だが、電話越しでも叶にはその感情が感じられた。 彼は空港のどこで落ち合うとか、時間は何時とか、準備する物とかを告げ、最後に 『お前も成長したと言うことか』 とだけ言って電話を切った。 深夜までに支度を済ませ、叶は隊のメンバーに挨拶をしていた。 「あの……しばらく函館に戻ります、だから、えっと……」 「食事のことなら私がやるから、心配しないで。一応、一通りはできるから」 うまく言えずに詰まっている叶をフォローするように、悠里が言う。 「そういう心配事はしなくていいのよ。だいいち、この隊が出来てからあなたが来るまでどれだけあったと思ってるの?」 「そうだぜ、そりゃもう大船に乗ったつもりで行って来い」 「用法が間違っているぞ」 無駄に大きい声で喋っているアキラにアルマがツッコミをいれる。が、アキラには聞こえていないようだ。 「とにかく、こちらのことは気にするな」 本郷がそう言ったとき、叶は始めて本郷の目を見ることが出来た。どことなく、優しげな目。 それでも威圧的で挑戦的な感じがする───なぜだろう? 「辻さん、そろそろ出ましょう」 菅原の声が叶の思考を遮った。右手に車のキーを持っている。 叶の荷物はすでに菅原が運び終えており、叶は殆ど手ぶらだ。 菅原の方へ行こうとして、いつもつけているペンダントがないことに気付いた。 叶は自分のデスクを開け、その中を探る。しかし、どこにもない。 「あれ……?ない……」 叶の操武、ラプラス。青い輝きを持つ、そのペンダントはいつから持っていたか定かではない。 しかし、あれは叶にとって大切なものだ。あれがなくては同調能力の制御もままならないし、違和感が激しい。それにあれは──── 一番大切な時があった証明でもある。 「叶、探し物はこれ?」 ミーリィがそう言って胸ポケットからそれを取り出す。それはまぎれもなくラプラスであった。 「あ……!ど、どうして?」 「どうして、って……さっき部屋に落ちてたわよ。気づかなかったの?」 そういえば、落とした気がする。顔を赤くしてミーリィからラプラスを受け取る。 そしてそれを首にかける。やはりこれがあると落ち着く。 「それじゃあ、行って来ます」 「うん、行ってらっしゃい」「道中、気をつけることだな」「土産は気にしなくてもいいぜ」「自己管理は怠るな」 叶が挨拶をすると四人が同時にそれに応じる。叶にはミーリィの言葉しか届いていない、というかミーリィのしか聞き取れなかったのだ。 叶が本部の外に出ると、すでに菅原が車のエンジンをかけて待っていた。どうやら、叶がラプラスを探しているときに外に出ていたらしい。 「あの、その車は?」 この七番隊本部には自転車はあっても車は一台もないはずなのだから、当然の疑問だ。 「レンタカーですよ。専用機を使うわけにもいきませんからね」 菅原はその白い軽自動車の運転席に乗り込み、叶も助手席に座る。 「では、行きましょうか」 しばらく行ったところで、菅原がふと助手席に目をやると叶がうとうととしていた。その姿は実に可愛らしい。 菅原の視線に気づいたのか、叶が重たそうな瞼を上げる。 「眠たいのなら、寝ていても構いませんよ」 菅原が微笑みながらそう言うと、叶は眠気を払うのと拒否を表すために頭を横に振る。 「そうですか……では、せっかくですから何かか話でもしましょうか。眠気覚ましにもなるでしょう」 叶は菅原の提案に頷いたあと、ふと疑問を口にする。 「あの……せっかく、って何がですか」 「こうして二人きり、ということです。話をする機会は今までにも幾度かありましたが、ちゃんとしたことはなかったでしょう?」 「言われてみればそうですね」 叶の菅原の第一印象はよく分からない人、だった。同調もほとんど役に立たなかったし、叶にしてみれば菅原はあまりにも謎が多すぎる人物だった。こうやっていろいろ聞けるのはいい機会だ。 「菅原さんはどうして七番隊に?」 「京都で少し問題を起こしてしまいましてね。店先を壊してしまって、貯金をごっそり持っていかれました」 菅原が小声で笑う。それを見た叶が曖昧な笑みを浮かべる。 「それって……笑い事なんですか」 「笑い事ですよ。過ぎたことですし、数少ない失敗談ですからね」 「数少ないって、やっぱり忘れているんですか」 「ええ、人間は都合の悪いこととつらいことはは忘れるものですからね」 「……えっと、その……眼鏡はどうして?」 色々聞こう、とは思う。だがどうにもうまく聞くことができずにどうでもいいことが口からでてしまう。 「これですか?一応、度は入ってますよ。まあ、ないのとあまり変わりませんが」 「じゃあ、なんでかけているんですか?」 「ミーリィが季節に関係なくコートを着ているのと同じですよ」 あっさりと答が返ってきた。しかし、理由が非常にわかりにくい。ミーリィには以前コートを着ている理由は聞いたが、さっぱり意味がわからなかった。 「ところで、辻さんはいつ能力が開花したんですか?先天性とは聞いていますが」 「……よくわからないんです。ほら、私の能力って見た目じゃわからないものだから、あるかどうかは他人にはわからないんです」 「それで、あなたはどう思っているんですか」 「たぶん、生まれたときからあったと思います。小さいときから人の感情や考えていることが見えることがあったから……」 「なるほど……僕は8年前でしたよ。後天性の場合外的要因なしでは覚醒は有り得ない、とある学者が言っていましたが、ある意味では本当のことでした」 そのとき菅原の顔から笑みが消える。その表情に叶はぎくりとした。それはあまりにも冷たく、全てを凍てつかせるような感じがした。 「その要因はいいものではありません。そのほとんどが陰惨で、決して気持ちのいいものではない。それがトラウマになった者も少なくはないと聞きます。それで性根が曲がった者が犯罪者となり、無関係のDAに多大な迷惑をかける。まあ、報道機関の問題でもありますね、これは。そして、それ故に無意味な迫害にあう……人間の本質、それが変わることなどありません。人間も獣も植物も全ての本質は共通のものです。人間は余計な知恵を持っている分、質が悪い……」 ふと、菅原が助手席の方へ目をやると叶が息苦しそうにうつむいていた。 「すみません、こんな話をしてしまって」 「……私……」 叶は膝の上に置いている手を強く握りしめる。 「……私、小学校のころ、いじめにあってました。私がみんなと違うとか、気にくわないとか、どうでもいいような理由で……だったら放っておいてくれればよかったに……いつも思ってました、どうして人が痛がったり苦しんでいるのをおもしろがるだろう、って……私、いつかこの人たちに殺されちゃう、って思ったことがあって、何人か動けなくしたことがあります」 「能力の暴走ですね。特に辻さんの能力は精神に係わるものですからね。そのとき、自身にも負荷が来たのでは?」 「はい……私も何日か眠っていたって、お母さんが言ってました……ずっと、他人と一緒にいるのがつらかったです……誰にも助けて、って言えないから……」 叶の言葉は最後になるほど小さくなっていった。 菅原はなぜ叶が自分から他人に近づこうとしなかったか、分かった気がする。七番隊に来たときからどこかよそよそしかったのは、叶だけなのだ。 (やはり過去のトラウマ、というわけですか……) 自分から近づかなくても、近づいてくる人間はいる。たぶん、彼女はそう言った人間を待っていたのかも知れない。 そういえば、ミーリィやアキラは初対面の相手でも何の抵抗もなく話をしていた覚えがある。彼らのような人間がいたことは彼女にとって幸いだったのだろう。 「辻さん、その話をしたのは僕が始めてなんじゃないですか?」 「え……」 「親しい人に心配をかけてしまっては悪い、そう思って今まで誰にも言えなかった。違いますか?」 「そう……かも知れません」 叶はうつむきながら、ラプラスを握りしめる。 あのときのことは記憶の奥底に残っている。消えることなど、ない。 叶はクラスメートたちのいじめを受けていた。 彼らはいつも「いい子」のふりをしている、叶が知る限り最も愚かな人間。 半年以上にも及ぶ執拗ないじめ。 その間、叶は誰にも助けを求めなかった。 叶は知っていた。 助けを求めたところで意味がないことを。 自分が何をしようと無駄だと知っていて、全てを受け入れていた。 その日も叶は8人組にいじめを受けていた。 内容がワンパターンでないという点に、いつも首を傾げていた。 そんなに頭が回るならもっと別のことに有効利用すればいいのに、と。 こういう状況だと変なこと考えちゃうのかな……やっぱり。 ……なんか、体が痛いや、どうしてだっけ? ああ、そっか、蹴られてるんだっけ。 誰に、だっけ……加藤くん、だったかな……サッカークラブの。 ……やっぱり痛いな……すごく痛い…… …………もう、どうでもいいや………… ……?何だろう、この感覚…… まるで、何かが心の中に入ってくるような…… …………!? イヤぁ……やめて……やめて……やめて…… 『もういいよ……私はそれだけで十分だから……』 意識が途切れる前にそんな声が聞こえた。 恋人が別れるときのような、そんな声だった。 「───さん、辻さん、しっかりしてください……まさか、過去と同調している……?意識だけが時空跳躍を起こしか。チッ……仕方ない、少々手荒ですが……!」 菅原は叶の頭に手を当て、叶の精神に“鏡”を出現させる。 鏡───菅原の真の能力。物理的にも精神的にも作用可能という特異な能力。 普段菅原が使用していた術と呼ばれるものは彼本来の能力とは別のものである。そもそも術というものは異能力に含まれないものだ。 術とは、魔術とか法術など呼ばれるものの類である時期から裏の歴史で事実存在していて、菅原が使用しているのはそう言ったものと異世界のものを合わせたものである。 叶の精神に出現した“鏡”は叶の同調の「線」を反射させ、同調状態を無理矢理変更させる。 菅原の狙いは「自身への同調」を引き起こし、無理矢理意識を取り戻すことにある。 かなりの荒療治であることは分かっている。だが、こうでもしない限り、叶は過去と同調したまま自閉状態に陥ってしまう。 そもそも他人の精神に入り込むことは容易な業ではない。彼が“イレギュラー”との接触を果たしているからこそ成せる業だ。 その“イレギュラー”が精神に入り込むことを得手としていたためか、或いは彼本来の資質なのかは別として。 入られる方も「精神の侵食状態」になるため、かなりきついはずだ。しかし、叶の場合は度重なる同調───或いは生まれ持っての力によって精神領域が一般人より圧倒的に広くなっているので、その心配はない。 菅原はそれを承知の上でやっているのだ。これが常人だったら精神崩壊を起こしているところだ。 「……くぅ……あぐ………クぁあ……ぁあ……!!……はぁ…はぁ……はぁ…ぁ……?あれ?」 叶はあたりをきょろきょろと見回している。どうやら、状況をうまく理解できていないようだ。 「ふぅ……何とかなりましたね」 菅原が安堵のため息をつき、叶の頭が手を離す。 「あの、菅原さん、私……一体?」 不安そうな表情で叶は菅原に尋ねた。 「何かに魘されているようでしてね……それで、起こしたんですよ」 一応嘘はついていない、はずだ。とにかくまずい状況であったことには変わりはない。それに、起こした理由はもう一つあった。 「それと、もう空港についてますよ」 「え?」 叶は車の窓の外に目を向ける。空港がどんな感じかは見たことがないが、たぶん、こんな感じだったろうか。 「いつの間に……」 こんなに早くついてしまって、叶は少し残念に思えた。菅原にいろいろ聞こうと思っていたのに、ほとんど聞けなかったからだ。 「はぁ……」 思わずため息。 「話す機会がもうないというわけではありませんから、そう悲観することはないと思いますよ」 「……はい」 30分後、叶と菅原は空港のロビーで叶の兄を待っていた。が、一向にその姿は見あたらない。 「少し、来るのが早すぎたようですね」 「そう……みたいですね」 空港のロビーはこの時期にしては人が疎らだった。まあ、時刻が時刻、夜明け前だけはある。 しかし、こんな時間だとこの二人はなんとなく浮いている気がする。見方によっては兄妹に見えなくはないが、どちらかといえば教師とその教え子と言った感じだ。 「辻さんは、人見知りするタイプじゃありませんか?」 「え……あ、はい。たぶん、そうだと思います」 叶の場合、人見知りというより軽度の対人恐怖症と言った方が正確だろう。その原因が先にも言っていたいじめであることは明白である。 その所為でろくに友達は殆ど出来なかった。異母兄にやけに懐いていたのはその反動なのだろうか。 「俺もそれには同意見だ」 後ろから二人に向けられた声がした。叶が後ろを向くと、そこには─── 「お兄ちゃん」 叶の兄である辻 久羅斗が立っていた。身長190cm弱という長身の上、筋肉質のため威圧感は結構なものだ。そのため、「立っていた」というより「仁王立ちしていた」と表現した方がしっくりくるほどだ。そんな彼に睨まれたら気の弱くない者でも竦みあがることだろう。事実、叶にちょっかい出して来た奴を一睨みで追い散らしたことがあるほどだ。 彼もまた対無魔駆逐部隊に所属しているDAで、九州方面二番隊の隊長でもある。 九州は京都、奈良に次いで無魔の出現が多いことで有名である。特に北部と西部は。九州の隊員は、多くが地元出身であるため、標準語圏出身の久羅斗には何を言っているかさっぱり分からないときがある、らしい。 そんなわけで七番隊に比べれば忙しいはずの彼がこうして休暇を持っている理由は、駆逐部隊は一応公務員扱いだから、というわけである。つまり、年次休暇を消化している、ということだ。 「菅原、ご苦労だったな」 久羅斗は叶の頭を撫でながら、菅原に労いの言葉をかける。 「いえ……では、お二人ともお気をつけて」 菅原は二人に向かって軽く一礼し、二人の前から去っていった。 「よし、手続きを済ませるか」 「うん」 辻兄妹が飛行機に搭乗しているころ、菅原は車に乗り込み来た道を戻っていた。 「で、どう思いますか。彼女は」 誰もいないはずの助手席に菅原は声をかける。 その助手席には青髪の少女───ルナが座っていた。相変わらず麦わら帽子をかぶり、白のワンピースを着ている。 車の中は暖房が利いているが、さすがに寒いのではないのだろうか。しかし、当のルナは相変わらず無表情でそんなことはまったく気にしていないようであった。 「……距離を取っていないと、おかしくなってしまう。だから、人と距離を取る。心を許さない。誰よりも頑なで……」 ルナはそこで言葉を切って、車の外の流れる風景を見る。 「……誰よりも誰かを求めている……あの人が言っていた人と似ている……」 あの人とは、以前聞いた「語り部」のことだろう。しかし、その語り部が言っていた人物とは誰のことだろうか。 菅原があれこれ考えているといつの間にかルナが彼の顔を覗き込んでいた。頭の上に?マークが飛んでいる。 「……?……」 「いえ、何でもありません……そろそろ休憩しましょうか」 菅原は適当なところで車を止め、近くにある自販機へ向かう。 ブラックコーヒーをひとつ買い、プルトップに手をかけようとしたとき、ふと横に目をやるとルナがコーヒーの缶をじーっと見ていた。 そういえば、ルナはこちらの世界の文化についてはさっぱりだった。こういったものに興味を示すのは当然、なのだろうか。 「……何か飲みますか?」 その問いにルナはこくんと頷く。 菅原は自販機に小銭をいくらか入れたあと、一瞬何を買うか迷った。 (……ミルクティーあたりが妥当ですかね……) そんなわけで、未だに根強い人気を誇る「午後の紅茶」を買い、プルトップを開けてやってからそれをルナに手渡す。 ルナは缶を両手で受け取り、一口飲んでみる。が。 「……!?……」 思いっきり眉を顰めてしまっている。 そんなにまずかったのか……? ルナは缶の飲み口をしばし睨んだあと、一気に中身を飲み干し、空になった缶を菅原に手渡す。 菅原がルナの顔を除くと、やはり思いっきり不味そうな顔をしている。 「……こんなのよく飲める……」 ルナは本音をぼそりと言う。彼女が言わんとしていることは、変なものが入ってるのによく飲める、ということである。 「否定はしませんよ。今度、ちゃんとしたミルクティーをごちそうしますよ」 菅原は微笑みながらルナがかぶっている麦わら帽子を取ると、その青い髪に指を絡ませ頭を撫でてやる。 「……うん……」 ルナは少し恥ずかしそうに応える。それから、何かを思いついたのか菅原の手をどけさせた。 夜が明け始めた空を仰ぎ、歌を歌い始めた。 そこがまるで彼女だけの舞台のように見えた。 その歌は異世界の言葉だった 耳で聞くことはできなかった だが 心で聞くことができた これが 本当の歌というものなのだろう 「……その歌は?」 「……語り部の人が聞かせてくれた歌……」 ルナは幼い日の記憶を思い出すように、瞳を閉じる。 「……そうですか」 陽が一日の始まりを告げていた。 12月24日 AM10:02。 叶と久羅斗は藤森 美砂兎の葬儀場に来ていた。 藤森 美砂兎。叶の唯一と言っていい、親友の一人。どこか落ち着いた雰囲気で、他の同級生と比べてとても大人っぽく見えたのを覚えている。そういえば、学級委員長もやっていた覚えがある。 その彼女が交通事故で死亡───人の脆さを改めて実感した。 久羅斗の話によれば、大型のトラックの運転手が心臓発作を起こし、そのトラックが彼女に突っ込んだ、らしい。美砂兎は即死、その運転手も間もなく死亡したそうだ。 まさか、こんな形で再会することになるとは思ってもみなかった。 しかし、叶は泣くことはなかった。悲しい、とは思う。なのに、どうしてなのだろうか。 叶は葬儀での一通りのことを済ませ、だいたい1時間ぐらいで葬儀場を辞した。 どうしてだろう、こんなに死に対して無感動なのは。どうして───? あれは、そう、一昨年の10月の上旬だった。 「ねぇねぇ、叶、美砂兎、今日はあそこの公園に行ってみない?」 「公園、ってあの東の?」 「そ♪あそこだけ3人で行ってないから丁度良いかなー、って。他に行くとこもないし」 「いつものことだけど、行き当たりばったりって感じがするわね」 「い、いいじゃないのよぉ」 学校の授業が終わった土曜日の放課後、私は仲良しの藤森 美砂兎ちゃんと伊川 千佳ちゃんと一緒に帰り道を歩いていた。 千佳ちゃんはみんなムードメーカーで、いつも明るくて行動派。いつもみんなの先頭に立って引っ張っていた。でも、ちょっと暴走気味、だったかな。 美砂兎ちゃんはクラスの学級委員長をやっていて、私から見てもすごく大人っぽかった。いつも暴走気味の千佳ちゃんを止めていたのは美砂兎ちゃんだった。あと、ちょっとだけきつい性格だったっけ。 この二人は私にとって唯一の親友、いつも一緒にいてくれる人たち…… それまで、いじめ以外で私に近づいて来た人はこの二人以外いなかったと思う。 二人が声をかけてきたとき、嬉しかった。でも、少し怖かった。またいじめられるんじゃないか、って。 でも、そんな心配は無意味なものだった。 この二人に会えて本当に良かった、って思えた。千佳ちゃんが私をちょっとからかって、それを美砂兎ちゃんが止めるっていうのがいつもの感じだった。 「それにしても、叶の髪ってすごい綺麗だよねー。ほら……こうして、こう……」 「あ……ぇ…ちょ、ちょっと……」 「こら、千佳。止めなさい、って」 「ッ痛……ちょっとぉ……美砂兎ぉ、手加減ぐらいしなさいよ」 「手加減?そんなことしたら止めないでしょうに」 「美砂兎ちゃん、そんなことないと思うよ。別に嫌じゃないし」 「ほらぁ、叶はちゃーんとわかってるわよ?」 「叶、そうやって煽てるとつけあがるから止めておいたほうがいいわよ」 「ちょっと、それどういう意味よ」 「千佳は調子に乗りやすい、ってことよ。ね、叶?」 「うん、私もそう思う」 「う゛……」 そう、他愛もない日常。 「それじゃ、いつものとこに2時ね」 「うん、またあとでね」 「千佳、遅れてくるんじゃないわよ」 「な、なによ、それ。遅れた事なんて一度もないわよ」 「いつもギリギリでしょうが。叶なんていつも10分早く来ているのよ?」 「え……そんなことないよ」 「謙遜しなくてもいいのよ、こういう場合は」 「そうかなぁ……」 いつもと変わらない会話。 いつもと同じ、幸せな時間。 もう二度と戻らない、時間。 「時刻は2時5秒前。ほら、間に合ったじゃない」 「ギリギリには変わりはないわよ」 「いいじゃない、別に。遅れてきてるわけじゃないんだから」 「早くくればその分早く動けるでしょ?」 「くっ……!」 「二人とも、そんなことやってないで早く行こうよ」 「ぅん、それもそうね。それじゃ、レッツゴー!」 誰もそれを予期する事なんてできなかった。 「全っ然人がいないわね」 「あ、そういえばそうだね」 「普通この時間なら私たちの他にも誰かいてもおかしくなのに……」 「そんなに気にする事じゃないと思うよ。静かだからゆっくりできるし」 「それもそうね」 「日向ぼっこかぁ……どっか、適当な場所ないかな」 「どうしてそうなるのよ……」 「えぇ?だって、こういう場所ですることと言ったら日向ぼっこでしょ?」 「……違う気もするけど、肯定させてもらうわ」 「美砂兎ちゃんが千佳ちゃんの意見に肯定するなんて珍しいね」 「雨が降らなきゃいいけど」 「何言ってるのよ、この晴れ女」 「それって、ほめ言葉?」 「持久走が嫌いな人には恨まれるかもね」 「そんなの普段から体を動かしてない方が悪いんじゃない」 「そうだね」 嵐の前の静けさ。 たぶん、そんな感じだった。 惨劇の幕開け、そんなものを予期する事なんて出来ない。 もし、それができたなら私は……今、あそこにはいなかったと思う…… あの惨劇がどうして始まったのか、私は覚えていない。 ただ、惨劇の光景だけは脳裏に焼き付いて離れない。 千佳ちゃんの右胸に、ナイフが刺されているのが見えた。 右胸当たりが血の赤が広がっている。 千佳ちゃんの口が微かに動いていた。 「逃げ……て……おねが……い……」 それが、千佳ちゃんの最後の言葉になってしまった。 右胸に刺されていたナイフが引き抜かれ、次は鳩尾あたりにナイフが突き立てられる。 私はただ、その光景を呆然と見ていた。 千佳ちゃんが───友達が切り刻まれていく様を…… 『いやだよ……まだ、死にたくないよ……まだ、もっと叶や美砂兎と一緒にいたいよ……約束も守れないなんて……最低、だよね……ごめんね……本当にごめん……』 そのとき私は千佳ちゃんと同調していた。 彼女の最後の言葉を聞けたことに、私は安堵していた。 彼女が、死んで、いなくなると言うのに。 私はそのあと、走っていた。 千佳ちゃんに「逃げて」と言われたから。 千佳ちゃんを刺した人は、美砂兎ちゃんを追っていた。 私と美砂兎ちゃんはバラバラに逃げていた。 あ、そういえば、美砂兎ちゃんって運動音痴だったっけ。 こんな状況でそんなことが考えられる自分が、おかしくなったような気がした。 ……ダメ!あれじゃ、美砂兎ちゃんまで殺されちゃう……! なんとか、何とかしないと……! そう思った瞬間、私はあの人に向かって走り出していた。 自分でも信じられないくらいの速さで走っていた。 美砂兎ちゃんとあの人の距離はもう、ほとんどなかった。 あの人は血に染まったナイフを振り上げて美砂兎ちゃんを切りつけようとしていた。 「美砂兎ちゃん!」 私は力一杯叫んだ。 そして、あの人に足に向かって飛びついた。 私が飛びついた勢いで、あの人が倒れる。 「美砂兎ちゃん!はやく、誰かに……!はやく!」 私が美砂兎ちゃんの方をみたとき、彼女の左腕から血が滴り落ちているのが見えた。 切りつけられそうになって咄嗟に左腕でかばったみたいだった。 美砂兎ちゃんは私の声に、悔しそうな表情を浮かべて走っていった。 良かった……これで美砂兎ちゃんは大丈夫だよね……? そう思ったとき、右腕に激痛が走った。 見ると、右腕をナイフが貫いていた。 そうだ、まだ、あの人はいるんだ……! あの人は私の右腕を貫いているナイフを引き抜き、私にナイフを向ける。 私はちゃんと動く左腕でそれを払い、何とか立ち上がって走り出す。 しかし、今度は背中に激痛が走った。 背中の右肩の方から斜めに、切りつけられている。 あまりの痛みに意識が遠のきそうになった。 それでも走ろうとした、だけど、足が動かない。 私は木に背中をつけて、そのまま木を支えにして座り込んでしまった。 あの人はもう動けない私にナイフを刺した。 何度も、何度も…… あ……私もダメなのかな……? そう思ったとき、声が聞こえてきた。 前にも、似たようなことがあったような気がする。 『お願いだから、行って。あなたは私の大切な人だから……』 そのあとのことは、記憶にない。 「……っん……眩しい……ここ……は?」 「気がついたか」 「お兄……ちゃん?」 叶が目を覚ましたとき、目の前には兄が佇んでいた。 「ここは病院だ……お前は1週間眠っていたんだ」 「1週間も……?」 まあ、当然だろうな。久羅斗はそう心の中で呟いた。 彼女が眠り続けていたのは外傷のせいではなく、同調能力のせいであることを久羅斗は知っている。 同調能力の反動。何があったかは知らないが、叶は明らかに“月”の人間と同調している。“結界”を通り抜けて同調を行っているのだ、反動が小さいはずはなく、1週間眠り続けるのは無理もない。いや、或いはあちら側の人間の影響か。 しかし、疑問は残る。なぜ、あれほどの傷がこんな僅かな期間でここまで治るのは有り得ない。 やはりこれも同調能力によるものなのか……? 「……お兄ちゃん、千佳ちゃんは、美砂兎ちゃんはどうなったの」 久羅斗はその問いにしばし沈黙した後、口を開いた。 「残念だが、伊川 千佳はすでに死亡していた。藤森 美砂兎は無事だが、左腕の筋が切断されてしまっている。もう左腕は使い物にならないだろう」 叶はその答を予想していた。しかし、確認せずにはいられなかった。 「そう……なんだ……」 叶は悲しげな表情を作ろうとした、だがうまくいかずただの無表情になってしまった。 「無理はするな」 久羅斗は叶の頭を宥めるように撫でてやる。 「もう少し休んでいろ」 「うん……」 「ねぇ、お兄ちゃん」 「ん?」 叶は藤森 美砂兎の葬儀場から実家に向かう道でなんとなく、兄に話しかけてみた。 「私ね、千佳ちゃんと美砂兎ちゃんと約束してるんだ」 「約束か……」 「こんな形でしか、再会することが出来なかった……だから、私は必ずその約束を果たそうと思うの」 叶は立ち止まり、東京都違いよく晴れている空を仰ぐ。 「約束……二人の分まで、がんばって生きる」 叶は笑った。作り笑いじゃない、本当の笑顔だった。 どんな過去でもなくなっていい過去はない それは現在と未来への道のひとつなのだから 『ねぇ、3人で約束しない?競争とも言えるかな。何だと思う?それはね───』 あとがき 第七回、いかがだったでしょうか! ああ、最後の部分が苦しい……よく起こる現象ですね、これは。 書きたいことがうまく表現できないとは……痛いところです。 てか、焦らないようにしませんとね、ホント。精進せよ、自分。 えーと、次は番外編を書きたいと思います。 内容自体は本編とは切り離されているんで、大丈夫、だと思います……(なにが) では、また。 キャラ設定 辻 久羅斗(つじ くらと) 生年月日:1990年7月11日 身長:189cm 特殊能力:糸 九州方面二番隊隊長。叶の異母兄。 |