第九回 「月と夢の終わりに」 この物語の出来事をなんと言おうか 運命? 奇跡? そんな陳腐で安っぽい言葉で飾るには相応しくない 語るべき言葉はここにはない 夢は始まり そしていつか終わりを迎える その『いつか』がいつ来るのか 誰一人として知らない しかしその『いつか』が誰も知らず訪れる それが今だ 「……さて、どうしたものですかね」 菅原は周りの状況を見てから、そう呟いた。 おかしなことに一緒に“バベル”に入った他の六人はそこにはいなかった。 「転送装置が置いてあったとは、ずいぶんと意地の悪い人がいたようですね」 どうやらここは通路らしく左右に壁、前後に通路。回廊と呼んだ方が妥当だろう。『鏡』を使って曲がり角の先の状態も確認したが、延々と黒い壁が続くだけで何もない。東京都庁が元になっているのだから、建物そのものの広さは変わっていないはずなのに元の数倍と言う異様な広さ。どうやら、外から見た分には変わりなく、内部は空間自体が歪んで劇的な変化をしているようだ。 「……ルナ、来ていますね」 菅原が言うと目の前で少女の輪郭がぼぅ、っと浮かび上がる。それがルナならば、いつも通り麦わら帽子と白のワンピースであるはず。 だがそれは容姿こそ同じものの、民族衣装のような服装ものを着、さらには背に十二枚の翼。色は青。 ルナの精神体。“天空の化神”本来の姿。 次第にぼやけていた輪郭がはっきりし始め、いつもの姿のルナになる。 「あなたは、どうしますか」 菅原はルナの肉体が実体化したのを確認する前にルナに問う。ルナの返答は分かっていたが。 「……アルヤの約束……マリアに…………」 ルナは元々そのためにこちらの世界に来た。それを止めるなど論外だ。 「わかっています。“バベル”は僕たちで何とかします。ルナは自分のやるべき事をやってください」 「……うん……」 ルナは応えるとさきほどと同じように精神体だけになって消えた。 「さて、ルナが彼との約束を果たすまで少し時間がかかりそうですから、それまでどうしていましょうか」 菅原は一人呟いた。 「どうなってんのかしら、まったく」 ミーリィが無機質な壁を叩きながら呟く。すぐ隣では悠里が同じその壁を指でなぞっていた。 「……変な感じ。生きているみたいで……」 悠里は壁から指を離し、その指を左手で揉みながら呟く。壁を触った感触が異質過ぎて気持ちが悪い。 無機質なのに生きているように感じられる壁。確かに変としか言いようがない。 「気にしたってしょうがないわよ。それよりこれをどうにかする方が先よ」 悠里を諭すようにミーリィは言ったが、ミーリィ自身“バベル”に入ってから妙な感じがしているのだ。 まるでずっと昔からここを知っていたような、そんな感じだ。 「……悠里、行くわよ」 「うん」 ミーリィはそれらを頭から振り払い、走り出した。 「……なんで、俺だけ取り残されてんだ?」 ただ一人だけ転送されずに一階に取り残されたアキラは腕を組みながら唸った。 確かにアキラの足下には転送装置がある。が、なぜかアキラに対してだけは装置が作動しなかったし、今から作動する気配もない。 アキラの能力が他の六人とは異なるものだからだろうか。或いは、はじめからアキラだけをここに残しておくつもりだったのだろうか。 「戻るのも難だしなぁ。しかたね、ここを一回りして……」 そこまで言って、アキラは後ろを振り返った。何かの気配。明かな敵意、害意、殺意。 気配は四方から迫ってくる。この時点でアキラは戦闘を余儀なくされている。だが、それはアキラにとっては望むところであった。 「へっ、そうこなくっちゃいけねぇぜ!」 アキラは疾風の如く無魔の群に突っ込んでいった。 戦闘、開始。 アルマは転送されたことにはさほど驚いてはいなかった。元々冷静な方だし、このような事態が起きることは十分予想していた。 しかし、この静けさは異様だ。さすがのアルマも僅かだが、動揺していた。未知の空間にあることもその要因だろう。とにかく、状況把握をしなければ。 とりあえず、敵となるような存在はない。場所は、延々と同じ風景が続く回廊。見ているだけで気分を害しそうだ。延々と続く回廊を進のは何か抵抗がある。そこでアルマはある手段に出た。 アルマは壁を指で軽く叩く。叩いた場所が扉だったりすれば、返ってくる音は壁と異なるものになる。このやたらに広い場所では気の遠くなる作業だがやらないよりはいいし、無闇に歩き回るよりこちらの方が確実だ。が、この作業はアルマでなければ不可能だ。音を操ることができるアルマは極僅かな、それこそ人間には聞き取ることができない音ですら感知することができる(正確には空気振動を感知している)それを使い、返ってくる僅かな音の違いで判断するのだ。 そんな作業を約二十分ほど続けて、アルマは一旦作業を止めた。 この壁から返ってくる音はアルマが知っている物の音とは明らかに異なっていた。その所為でアルマは少々気分が悪くなっていたのだ。それにしても、この音は何なのだろうか。初めて感じた音ではない。何か、その何かがわからない。知っているはずなのだが……これは、まるで 「人間のようだな……」 そうなのだ。これは人間から感じられてる音とあまりにも酷似しているのだ。この壁自体が人間であるかのように。 「この“バベル”は生きているのか……? いや、まさか……」 呟きながら、アルマは作業を続けた。 本郷は迷路のような回廊を迷うことなく進んでいた。まるで、ここを知っているかのように。 本郷に言葉はなかった。言葉を発する必要はない。他の六人は多少の不安があるだろうから、何も喋らないと言うことはないだろうが本郷は違う。こうなることは初めからわかっていた。そもそも本郷はこの“バベル”の中に入ることが目的だった。 この世界に来たのも、七番隊にいたのも、全てこの時のため。 たった一つの約束を果たすため。理由は、それだけ。 「リュイ……もうすぐだ」 それが、初めて本郷が口にした言葉だった。 叶はゆっくりと回廊を歩いていた。 走ることはできる。だが、どうしてもその気になれなかった。この場所の感触を感じていたい、と言う奇妙な理由で。 叶はここに何かを感じていた。少し前に感じた覚えのある、少しだけ懐かしいような、悲しいような、そんな感じがする。 「誰か、知っている人がいる……?」 知っている人間がいるはずなどない。そう思うが、否定しきれない何かがある。 叶は、何かに引き寄せられるように回廊を進んでいった。 楓は腕時計に目を落とした。 時計は五時半を少し過ぎたところを指していた。そろそろ日が昇り出す時間だ。 「突入から五時間半か……“バベル”内から連絡はない、わね?」 “バベル”と化したかつての東京都庁ビルの前に設営されたテントの中で、楓は通信士に確認する。 「はい、残念ながら。こちらからも信号を送っているのですが、応答がありません」 通信士は飽くまで事務的に答える。だがそれ故にそれが事実だと強調していた。 楓はまわりの人間に気づかれないようにため息をつく。こういう状況は十分予想していたが、いざなってみると落ち着かない物である。各地に点在している“遺跡”の方とはちゃんと連絡がつくが、肝心要の“バベル”がこうではいざというときの対応が遅れる可能性がある。楓はそれを危惧していた。 「菅原の『鏡』を通信代わりにはできないか……さすがに“バベル”の外まで範囲を広げるのは無理そうだし」 菅原の真の能力である『鏡』は情報(ただし通常の鏡と同じでそのまま写せる人の姿や音のみに限られる、らしい)を反射させることによってその情報を遠方まで伝えることが可能である。だが、“バベル”の中にいる今それが可能だとは思えない。 「俺たちは状況が動かない以上は力を温存する必要がある。落ち着くことだな、星野」 街路樹の根本で瞑想をしていた辻が呟くように楓に諭す。 「わかってるわよ、そんなこと。まあ、体力はともかく精神はすり減りそうだけど」 「緊張するなとは言わないがな」 「するなって言う方が無茶よ。この状況じゃ」 「確かにな……ところで、さっきの話を聞いた分だと“バベル”の中とは連絡が取れそうにないな」 「どーしたもんかしらね……」 楓はまた、ため息をついた。 そもそも、この“バベル”とやらは一体誰が何のために造ったモノなのだろうか。 今更ながら菅原はそう思った。 今まで“バベル”の存在は知っていた。だが、それが何なのかまでは考えが及んでいなかった。そもそも菅原が知っていることは“月”側の人間であるルナから知ったことなのだが、ルナ自身が“バベル”や無魔などのこの世界に起こっている事態に関して殆ど知らなかった。つまり、菅原はルナから得た僅かな情報から推測していただけなのだ。それに、その情報が誤ったものである可能性は十分にある。故に菅原が持っている知識はあまり当てにできないものだった、と言うわけだ。 「そう考えると、我ながら情けないですね」 零司や楓、辻の三人はかなり正確な情報を知っていたのだろう。だからこそ、ここまで迅速な準備が整えられたと言える。まあ、何処まで知っていたのかは菅原はの知るところではないが。 そんなわけで、菅原はとりあえず情報を集めることにした。 おそらくこの“バベル”も何らかの建造物なのだから、何処かに部屋の一つや二つあってもいいはずだ。 壁に手を当ててみる。ひんやりとした感触が伝わってくる。周りの壁とは違い、無機物のようだ。 「いきなり当たりが来るとは……」 ある意味、拍子抜けである。まあ、事が早く進むのは悪いことではないはずだが。 ここが扉であっても開きそうにないので、爆発系の術を使って破壊する。濛々とした空気が破壊された扉の向こうから漂ってくる。 菅原は躊躇うことなく扉の向こうに足を踏み入れる。 その時、その光景を、菅原は見た。 「な……」 床にうつ伏せになって転がっている人の形をしたもの。その傍らに立つ透き通るような金髪の女性。 その光景が現れたのは一瞬だった。次の瞬間には計器のようなものが整然と並ぶ部屋があるだけだった。 「今のは一体……?」 ……おそらく、“月”にあったころの“バベル”の記憶。それが一瞬だけ再生されたと言うことか。 「いや、或いは誰かが意図的に僕に見せている、か……ともあれ、少しでも調べなくては」 呟きながら、菅原は計器に手をつく。 その瞬間、部屋にある全ての計器が作動し始める。そのうちのひとつ、中央にある大画面に映像が映し出される。 菅原は眼鏡を外し、目を細める。 「これが……“バベル”の真相、と言うわけですか」 「なんか、気持ち悪いわね」 その言葉を何度口にしただろう。数える必要はないからそれはわからないが、とにかくミーリィは何度も気持ち悪いと言っている。 “バベル”に入ってから感じている奇妙な感覚。いくら振り払おうとしてもそれが消えることはない。 「うん……」 悠里もまた、奇妙な感覚に襲われていた。 悠里の方は壁に触れたときからそれが始まっていた。体が疼いて、今にも自分の意志に反して動いてしまいそうで、悠里はそれに耐えるのに必死でミーリィの言葉にもうまく応えることができていない。 考えてみれば悠里の体は殆どが無魔の物なのだから、ミーリィや他のメンバー達とは全く違う事態が起こることは予想できたはずだ。だが、悠里はミーリィと再会してから今まで5ヶ月間は普通の人間とそう変わらない生活を送っていた。その所為で自分が人間ではないことを忘れていた。 「ちょっと、悠里、大丈夫?」 「ん……正直、かなりきつい……」 「まいったわね……アタシもきついってほどじゃないけど、結構ね……」 ミーリィは精神的に、悠里は肉体的に異常を抱える状態になってしまっている。 と、そこに。 「……って、なんて言ってるとこうなるか」 ミーリィはため息混じりに呟く。 ミーリィと悠里が歩いて来た回廊から何かの影が見える。おそらく、無魔であろう。 「行くよ、悠里」 「うん」 二人は同時に走り出す。こんな状態では無魔との戦闘はつらい。 そして、二人を追うように無魔達も走り出す。数があるのか、足音が多い。 四百メートルほど走ったところで、回廊が二つに分かれていた。 悠里は分かれている場所の中央で立ち止まり、後ろを振り向く。 「悠里?」 「ミーリィ、またあとで会おうよ」 「……わかった。じゃね」 「うん」 悠里はミーリィを見送ると、迫ってくる無魔達を睨む。 紅い髪を掻き上げ、右目につけた眼帯を外す。あるはずのない眼が、あった。 「何なんだろう、この感覚」 立ち止まり、叶は手を胸の前でぎゅっと握り締める。 叶が持つ同調は他人の感情や思考を取り込んでしまう。生まれつきそれを持っていた叶にとっては、それが当たり前で今では微妙な違和感を感じることはたまにあるが、もう慣れてしまっている。 だが、今感じているものは、それとは違う感じがする。懐かしいような、悲しいような、そんな感じがする。 「あれ……?」 ついさっきまで回廊があったはずなのに目の前には壁があった。そして、それには。 「ぁ……………」 突き出ていた。ルネサンスの精巧な彫刻のように。女性の上半身が。 「この人は……」 聞こえてくる。声が。悲しい声が。 『お願いだから……私は、あなたが消えるところなんて見たくない!』 知っている。この人のことを。前にも感じたことがある。 悲しい別れをした。優しい人。幸せな時間は訪れなかった。 「マリア……」 叶は、彼女の名を呟いた。 「星野顧問!」 時刻はすでに正午を四時間も過ぎ、日はすでに傾きつつあった。 そんな中、差し入れのおにぎりを食べていた楓に通信士が叫ぶ。 「京都から伝達……『遺跡』から無魔が出現。これより撃退を開始する……とのことです」 「来たか……あっちは京都の隊に任せれば大丈夫でしょ。他には何かない?」 「待ってください……な……無魔が出現……それもかなりの数だそうです……」 通信士の顔が青ざめている。 「続けて」 こうなることは楓は予想済みだ。辻に目配せしつつ、冷静に指示する。 「はい……無魔は各地から出現、全てこちらに向かっているそうです」 「到着予想時刻は?」 「出現ポイントからの報告では……約四十分ほどかと」 「四十分か……全隊戦闘配置! 各部隊は所定の位置へ装備を調え移動! 本部はジープ内に移すわ、急ぎなさい」 楓が拡声器を使って指示を下すと、三百人近くいる人間が一斉に動き出す。 「ついに来た、って感じね……辻くんは東側にまわって。たぶんあそこが一番多いと思うから」 「ああ」 「零司は本部にいて負傷の処置ね」 「わかっている。俺達はここで耐えるだけか。なかなかつらい役目だ」 「“遺跡”が開いたならそのうちノイエやクライムも来るわ。それまでの辛抱よ」 「ったく……さっきので最後か?」 手をはたきながらアキラは辺りを見渡す。 前を見ても後ろを見ても、右を見ても左を見てもあるのは地に伏す無魔だけ。まさに、死屍累々。 “バベル”に入ってから今まで無魔と戦い続けて、流石のアキラも息を切らしている。これ以上出てこられると少しきつい。 「さってと、時間は……ぁ?」 ズボンのポケットの中にいれていた腕時計を取り出しそれを見たアキラは思わず眼を疑った。 アナログ時計の針は、“バベル”に入った時間から全く動いていなかった。いや、正確には秒針が僅かに進んでいるだけだった。 アキラは腕時計を振ったり小突いたりしてみたが、動く気配はない。戦闘中に壊れたのかも知れないが、耐ショックには強くできているはずだ。少なくとも今まで派手に立ち回っても壊れることはなかったし、二日前に時計屋で調整もしてもらったので、たぶん壊れてはいないはず。 「時計が壊れてないとすると……時間の進みが遅いのか?」 そこまで考えたが、それ以上は「“バベル”にいる所為」ぐらいにしか考えられない。 「ま、こういうことを考えるのは菅原とかの仕事だからな。とりあえず最初のところまで戻るか」 アキラは最初の場所で仁王立ちのように動かずに戦っていたわけではなく、激しく動き回りながら戦っていた。なので、気づかないうちにかなりの距離を移動したかも知れない。戦闘中は戦うことに集中していたためどれだけ動いたかはわからない。 「しっかし、落ち着いてみると気持ちの悪いところだな。人の気配みたいのもありやがるし、なんか、文字が書いてあるしよ」 今アキラがいる回廊の壁には、アルマやミーリィがいる回廊の壁にはない無数の文字が刻まれている。それはアキラにとって見覚えのないもので、紋様の羅列にしか見えない。 「……わからんからパス」 あっさりと解読を諦めたアキラは、しばらく歩き最初の場所に戻ってきた。 「さてと、どうするかな……………ん?」 アキラはそれに気づいた。 チッチッチッ、と言う音に。 「時計が動いてるぞ……」 アキラにはその音が何かの秒読みの様に聞こえた。 “バベル”の上に立つ影があった。 それは透き通る髪を持ち、光を写さない漆黒の瞳を持った女性。 人が、生物が、この世に存在するものが持つモノとは思えない美しさを持った女性。 彼女は『赤の月』を見上げると細く微笑んだ。 「オードブルは楽しんで頂けたかしら?」 右手に持った一枚のカードを『赤の月』に向かって投げる。 「さあ、いよいよお待ちかねのメインディッシュよ」 落ちてきたカードを取り、そこに刻まれている紋様を読み解く。 「『光よ、全てを闇に帰せ。我は光の吟遊詩人なり』」 「……? なんだ、音が変わった……」 音を辿る作業をしていたアルマは突然起きた異変に耳を疑った。突然、返ってくる音が変わったのだ。音の差はわずかなものだが、確かに違っている。無機質の音から有機質の音に変わったように感じられる。 「どういうことだ? こんな突然変わるとは……………ッ!?」 突然、回廊全体が激しく波打ちだした。立っているどころか、殆どまともに身動きを取ることができない。 「なんだ、これは!?」 黒い波にアルマは飲み込まれていく。 「くっ……………うわ!?」 「うおっ!? ……って副隊長?」 「む……宮下か……」 気がつくと傍らに宮下がいた。どうやら、あの波に飲まれて宮下がいたところまで飛ばされたのだろう。 「いや、驚いたぜ。いきなり出てくるんだもんなぁ」 「宮下、ここが“バベル”のどのあたりかわかるか?」 「え、ああ。一階だぜ。俺は階段とか上に行くのには乗ってないし」 「そうか」 他の隊員がいないところを見ると、アルマと同様に“バベル”の何処かに転送されたようだ。アキラだけがここにいると言うことは、アキラだけは転送されずに済んだらしい。 「あ、そうだ」 驚いていたアキラが何かを思いだしたように手を叩く。 「さっきまで進むのが遅かった時計が急に動き出したんだ。どういうことだと思う?」 「何?」 「いやだから、進むのが遅かった……」 「順をおって詳しく説明してくれ。私もなぜ1階に戻されたわからない」 「あ、ああ」 自分以外の六人がいなくなって、無魔が現れて、それを全部倒したら時計が全然進んでなくて、時計が突然まともに動き出した…… アキラが話した内容はそんな感じだった。 「何が起きても不思議はないと思っていたが、私と宮下のことだけでも何者かが意図的にそうした、と考えた方が自然に思える」 「すると、意思があるってことか?」 「ああ。分散させた者をわざわざ合流させたのはおかしい。おそらく“バベル”は私達に何かをさせようとしている」 「何か、ねぇ……時計が動いたのと関係があるのか?」 「さあ……む」 「ん? なんだ、この音は」 二人は同時にその音を関知した。 「これは……」 『宮下君、聞こえますか』 菅原の声だった。 「!」 全ての映像がいきなり暗転する。 「“バベル”が動き始めましたか……しかし、引き金は誰が?」 可能性としては、アキラや悠里は除外される。この二人は元々“バベル”とは何の関わりも持っていない。アルマは以前に“月”の人間と接触したことがあったようだが、“バベル”については触れられていないだろう。本郷は“バベル”との関わりが深いが、わざわざこんな事態を起こす必要はない。ミーリィも同様だ。となると…… 「辻さんが引き金と考えるのが妥当ですが……」 そもそも“バベル”の目的は何か。未だにそれは不明のままだ。だが、“遺跡”を開き無魔をこちらの世界に大量に流出させるのが目的だとすれば、現在孤立状態にある“バベル”が“遺跡”を開かせるためには回線が必要だ。 「同調能力を使う、と言うことですか。よく考えたものですね。となると、辻さんが取り込まれましたか……既に“バベル”は“遺跡”との接続を完了させているはず。そうすると外がつらくなりますか。少し、急ぐ必要がありますね」 “バベル”と“遺跡”との接続を断つためには、接続の元となっている叶を“バベル”から引きずりだす必要がある。叶さえ助け出せれば、とりあえず“遺跡”が流出する無魔の方は何とかできる。だが、“バベル”をどうにかできるわけではない。こちらは別の方法を考える必要がある。 しかし、今はそれは後回しだ。今は、叶のことを優先する必要がある。 「それにしても、あの映像はこの“バベル”とはずいぶんとかけ離れたものでしたね」 菅原は先程の映像のことを思い出す。 あの映像には、“バベル”が作られた理由、それに関わった人々のことが描かれていた。それが何故今のような“バベル”になったかまでは見ることができなかった。 「まあ、今は関係のないことですね」 菅原はそう呟きながら部屋から回廊に出る。 「!」 回廊に出た瞬間、目の前に獣の顔が現れた。 菅原はとっさに自らが持つ操武である七星宝剣をその獣の眉間に突き刺し、その一撃で獣を倒す。 周りを見ると、回廊には大量の無魔が、ラッシュアワーの電車内の如く充満していた。 「“バベル”の機動の影響の一つがこれと言うわけですか。全く……」 菅原は眼鏡を投げ捨て、右手で顔を覆う。 「鬱陶しいことこの上ない!!」 菅原が叫ぶと同時に、全ての無魔の目の前に『鏡』が現れる。無魔の全てがその『鏡』に写し出された己の姿に釘付けになる。 「反鏡」 叫んだときとはうって変わって菅原は厳かに呟き、自分の目の前にある『鏡』を叩き割る。 その瞬間、『鏡』に釘付けになったいた無魔と『鏡』が一斉に割れる。ガラスを叩き割ったときような音を立て、無魔の体が砕け散る。 そして回廊には無数の砕け散った『鏡』と無魔の破片が散るだけとなった。 その光景を一瞥した菅原は大きく息を吐き、その場に膝を付いた。 「流石にこれだけの数の『鏡』を使うと反動が大きいようですね……しかし、この階の無魔は一掃できた。それだけでも良しとしますか……さて」 さきほどの『反鏡』を使ったダメージは大きいが、こんなところでへばっているわけにもいかない。やるべきことが山ほど、とは言わないが多くあることには変わりない。 ちなみに、『反鏡』は菅原が持つ“鏡”の能力によるもので、対象を『鏡』に写し出し『鏡』との同調状態を作り、自分の『鏡』を割るのを引き金として一気に『鏡』と対象を割る、と言うものである。もっとも、当然だが使う『鏡』の数が多ければ多いほど菅原の消耗も激しくなる。相手に次があると考えた場合、かなりリスクの高い技と言える。 「宮下君は一階にいるでしょうから、何とかなりそうですね……」 菅原は小さめの『鏡』を作り、それに向かって呼びかける。 「宮下君、聞こえますか」 菅原は“バベル”に入る際、密かにアキラに『鏡』を一つ付けておいていたのだ。 この『鏡』は通信用で音声程度しか伝えることができないが、今はそれだけで十分だ。 『これは……』 『鏡』から、聞き慣れた声が聞こえてきた。 「『相方を行かせるために自らを犠牲とするか』」 少し離れた場所に立つ無魔から低い声が響く。 「違うよ」 悠里は、その無魔の言葉を否定する。 悠里の体は無魔に近いため、無魔の言葉がわかっても何の不思議もない。 「『ではなんだ。貴様のやっていることは自己犠牲としか取れない』」 「私はミーリィにまた会おう、って言った。私はミーリィのことを信じていて、ミーリィも私のことを信じている。私がここで犠牲になるのはミーリィの信頼を裏切ることに他ならない」 「『なるほど。だが、貴様はそれで何を得る』」 「何もないよ。でも、何かを得るためには何かを失わないといけない。私は、欲しくもないモノを得て、持ち続けていたかったモノを失った。でも……変わらないモノもあった」 「『くだらんな』」 「そうだね。くだらないことかも知れない。でも、私にとっては大切なことだよ」 悠里がそう言うと、無魔は完全に沈黙した。もう語ることなどないという意思表示なのだろう。 「……でもね、私は悔やんでいるのかも知れない。人間であることを諦めたことを」 返事がないとわかっていても、悠里は言葉を続けた。自分に言い聞かせるかのように。 「だけど、それでも構わないと思う。私にはミーリィさえいればいいの。それだけで、私はいいの」 悠里は少しずつ体勢を低くしていく。右目が、疼いている。 「だから、あなた達は、邪魔なの」 その言葉を言い終わった瞬間、悠里は弾かれたように走り出す。そのスピードは銃弾さながらで、刹那のうちに先程まで話していた無魔の目の前まで接近、右ストレートの一撃でその無魔の頭を吹っ飛ばす。 右目が見ている。生命の気配を。それが悠里に戦場の全てを伝えている。肉体が、その情報に応えるかのように動く。人間としての悠里の意思、人外の者としての悠里の意思。全てが、意の如くとなる。 無魔の数は、十八。回廊がそれほど広くないため無魔達は一カ所に密集している状態にある。全てを倒すのに時間はかからないだろう。 悠里は一瞬の思考の後、再び走る。一瞬ごとに無魔の体が裂かれ、砕かれ、壊され、紅い体液が飛び散る。 一秒も経たないうちに、その場にいた無魔が全てが、決して動かぬ肉塊と化していた。 「……まだ、いる」 そう呟き、悠里は動き出す。 戦いと言うには一方的過ぎる、殺戮としか言いようがない戦いの幕が開けた。 「これは……菅原か?」 『副隊長? 宮下君と一緒だったんですか』 二人に聞こえてきた声の主は菅原だった。 「ああ。さきほど合流したところだ……今お前とこうして交信していることに関しては事が片づいてから聞く」 『そうして頂けると幸いです』 「それよりどうなってんだ、菅原。さっきと感じが何か違うぞ」 『でしょうね。単刀直入に言います。先程、辻さんが“バベル”に取り込まれました』 「何だと……?」 流石のアルマもその言葉には動揺を隠せなかった。隣にいるアキラも驚きの表情をしている。 『その影響で各地の“遺跡”が開いて無魔が大量に出現しているはずです。この“バベル”にもかなりの数の無魔が向かってきているはずです』 「それじゃあ外の連中が大変なんじゃないか?」 「いや、外にも他の隊員もいるから対応は可能だろう。だが、数が多いとなれば長く耐えるのは難しいだろうな」 『ええ。しかも、この“バベル”内にも無魔が大量に出現しています。おそらく、上の階から順に出現しているものと思われますが、そろそろ一階にも出現する頃でしょう』 「げっ、まだくんのかよ……」 アキラが露骨に嫌そうな顔をする。 『おそらくそこに出現する無魔は外に向かおうとするはずです。なので』 「ここで私達二人でそれを防げ、と言うことだな。全く、酷な仕事をさせてくれる」 『ええ、お願いします。僕は急ぎ辻さんを救出します。それができれば、無魔の出現は食い止められるはずです』 「はずばっかだな。まあ、不確定要素が多いってことか」 『では、また会いましょう』 そこで菅原からの通信は途絶えた。 「さて……」 アルマは回廊の奥に目をやる。そこには無魔と思しき気配がに満ちていた。 「宮下、どれくらい保つ?」 「知らん!」 アキラは堂々と言い切る。アルマはそれに少し吹き出しそうになったが、何とか堪えた。 アルマとアキラは背中合わせになり、アルマは槍を、アキラは拳を構える。 「行くぞ!」 「おお!」 「うおおお!!」 本郷はただ一人で無数の無魔と戦っていた。 大剣で叩き切り、切り伏せ、叩き潰す。本郷の足下には数え切れない程の肉塊が転がっている。 一方的な戦いではなかった。本郷も傷を負い、既にかなりの血を流している。立っているのがやっとの状態にも関わらず、本郷は戦い続けていた。 それは執念だった。ただ一つの目的のために、本郷は戦い続けていた。 既に意識など無いに等しい。本郷はただ本能のみで戦っていた。 そのとき。 「ウォルター!」 聞き覚えのある声が、本郷の耳に聞こえてきた。 その声が本郷の意識を取り戻させる。同時に本郷の周りにいた無魔達が一発の銃声と共に爆散する。 「……フェクィヴか」 「久しぶりだね、ウォルター。見つけるのに手間取ったよ」 それは以前にアルマが出会ったグングニル−13の持ち主、フェクィヴ・アーチェイレだった。しかしその姿は、アルマが会ったときの少年の姿ではなく、二十歳前後の青年の姿であった。 「お前も“バベル”に取り込まれたはずだろう。どうやって出てきた」 「ちょっと裏技を使ってね……まあ、ここらにいる化け物が出ているのと原理は一緒だからそう長くはいられないよ」 「そうか」 「じゃあ、ここは僕が防ぐから、君は早くリュイのところに行ってあげなよ。彼女、待ってるよ」 「ああ」 本郷は短く応え、無魔を叩き切りながら回廊を進むために走る出す。 「フェクィヴ」 「ん?」 「感謝するぞ、友よ」 「うん」 フェクィヴは走っていく本郷を見送り、白い拳銃を無魔達に向ける。 「さて、僕は時間稼ぎと行きますか」 「……気持ち悪い……」 ミーリィはまだ同じことを言っていた。 悠里と別れてからだいぶ経つが、ミーリィは無魔とも他の隊員とも出会っていない。回廊の方も黒い壁が延々と続くだけで何もない。 「て言うか、今何時よ……時計持ってくるの忘れたから全然わかんないし」 「気持ち悪い」以外はこんな愚痴じみたことを呟きながら、ミーリィは回廊を進んでいく。 しばらく進むと、回廊は行き止まりになっていた。 「っと、なんだこっちははずれかぁ……ふぅ」 ミーリィがため息をついてもと来た道を引き返そうとした、そのとき。 「うそ……」 ミーリィは見た。 「何よ、これ……」 一つの巨石から作られた彫刻のように壁から突き出しているそれ。 「アタシ……?」 その姿はミーリィそのものであった。 「どういうこと……どうして、アタシが……」 ミーリィは緩慢な動作でそれに触れる。 「ぐっ!?」 そのとき、ミーリィは激しい頭痛に襲われた。頭が引き裂かれるような痛みにミーリィは叫んだ。 「ああああああああああああああああああああ!!!!」 『どうして死ぬのよ!? どうして、アタシを守るために死ぬのよ!』 『死ぬわけにいかなくなっちゃったじゃない……』 『アタシは、死ぬわけにはいかない……生きなくちゃ、いけない』 『生きなきゃ……どんなことをしても……』 その痛みが治まり、床に倒れていたミーリィは壁に左手を付きながら立ち上がる。 ミーリィは右手で頭を押さえながら、呟く。 「なるほど……そういうわけか……」 ミーリィは、全てを理解した。 “バベル”の存在、自分の存在、“月”の存在。 「さてと、叶が取り込まれたんじゃ急がないとね」 先ほどまで感じていた不快感はもう無くなっていた。 ミーリィは軽やかに走り出した。 「負傷者は本部の方に運んで! まだ動ける奴は無魔の相手を! ったく、陸自を呼んでおいてのは正解だったわね。連中の装備がなかったら持ちこたえることはできない。でも、それも弾薬が続く限りか」 楓は各所に支持を飛ばしながら小声で呟いた。 “バベル”の外ではさながら戦争の激戦区であった。 「くそ、これほど自分が何人もいればいいと思ったことはないぞ!」 次々と運ばれてくる負傷者の治療を続けながら、零司がぼやく。 今のところ命が危険になるほどの負傷者はいないが次から次えと途切れることなく運ばれてくるため、零司を始めとする医療班はまさに激戦のただ中にあった。 「戦闘開始から一時間……こっちは有限なのにあっちは無限に近いと来た。全く、割に合わないな」 最前線で戦う辻も『糸』を繰り出しながらぼやいた。 “バベル”と化した東京都庁へ向かう道を車などを使ってバリケードを作り、その内側から迫り来る無数の無魔に攻撃をしているのだが、道はいくつもあるため三百人近くいる人員を分散させなければならず、実質的には二十人前後で一つの道を守る状態になっていた。 「これで“バベル”の中からも来られたら終いね。ただでさえ包囲されててきついってのに挟撃は最悪」 ぼやきながら空を見上げたとき、楓はそれに気づいた。 「通信士! 全体下がらせなさい!」 「え? ……あ、はい!」 いきなりそんな命令をされて反応が遅れたが、通信士は各隊に下がるように連絡する。 「あの、星野顧問、一体何が」 「来るわよ! 頭下げな!」 通信士の声を無視して楓が周りに向かって怒鳴る。 そのとき、何かが彼らの頭上を通り過ぎる。それが過ぎ去っていった方向で爆発が起きる。 「な、何だ!?」 その場にいた自衛隊員の一人がその光景に、思わず己の目を疑い、目をこする。 そこには竜がいた。赤い鱗を纏い、その巨体をくねらす、竜の姿を。 「赤き炎にて渦巻く者、青き大地にて眠る者、白き風にて漂う者、黒き水にてたゆたう者、我が命によりその誇り高き姿を見せよ。赤き甲を纏いて出よ。青き鎧を纏いて出よ。白き羽衣を纏いて出よ。黒き法衣を纏いて出よ。我の元に集いて我と征くがいい。我は、竜の巫女姫なり。いざ、参れ!」 その赤竜に呼応するように、青、白、黒の竜が現れ、天空に向かって咆哮をあげる。 「炎の剣を取れ。大地の鉾を取れ。風の弓を取れ。水の槍を取れ。汝ら、我と共に孤高の戦場に立ちて、我らを阻む敵を討とうぞ」 四匹の竜達が一斉に無魔への攻撃を開始する。 その光景を見た楓が安堵のため息をつく。 「やっと来たか……しっかし、ここまで派手にやるとはね。ここらの引っ越しをさせといたのは大正解だったってことか」 ちなみに東京都庁を含め、周辺の建物は全てが一年前から引っ越しが行われ、現在では完全に無人になっている。なので、いくら壊れても被害を受けるのは建物や道路だけなのだ。まあ、後で直すのが大変なのだが。 そんな楓の隣に薄緑色のローブを着た少女が降りてきた。 「ノイエ、ね。久しぶりと言うか初めましてと言うか」 「クス、そうですね。でもこっちにいられる時間は限られてますから、こうしていられるのも少しの間だけです」 「そっか……ま、重なっているとは言え、文字通り住んでいる世界が違うんだからしかたないか。ところで、クライムは?」 「クライムさんならもう来てますよ。ほら」 ノイエは空を指差す。そこには、黒い影が一つ。 「いざ開けや黄泉の門。死者の箱船にて光を運べ。天を舞うは黒き鳥。地を駆けるは黒き獣。我、黒壁の死神が命ずる。理無き者共に死の祝福と滅びの祝詞を捧げよ……逝け!」 黒い影から無数の黒い獣が溢れ出る。獣達は竜が討ち漏らした無魔を容赦なく襲う。 「あー、こっちもずいぶん派手ね」 「あはは……」 ノイエは乾いた笑いで、楓の呆れたような言葉に応える。 「これだけ数が多いんだ、派手にならない方がむしろおかしいだろ」 そこに楓とノイエの間に入るような形で辻が現れる。その隣には黒尽くめの青年───クライムの姿もある。 「ふん……ところで、クレシェントは? あれとは、一緒ではないの?」 「ええ……あの人の素性は実は私達も知らなくて……」 「どういうこと?」 「わからないんだ。俺達が以前こちらに介入した時には確かにいた。だが、それ以降は影も形も、痕跡の一つも残さずに消えた」 「まあ、こみ入った話はあとだ。と言っても、アレの御陰でこちらは難なく終わりそうだがな」 「そうね。私達はこっちで待つとしますか」 アキラとアルマとの連絡を終えた菅原は上へ向かって進んでいた。 “バベル”が叶の同調能力を利用するならば上階の方が理想的だろう、と考えたからだ。 しかし、菅原自身、自分が“バベル”のどの辺りにいるのかさえわからない状態だ。とりあえず叶は自分より上にいると判断したのだが、それが当たっているかどうかもわからない。せめて本郷のように“バベル”について知っている人間がいれば話は別なのだが、本郷はここにはいない。 手探りと同じ状況で、菅原は叶を助け出さなければならなかった。 「はぁ、はぁ、まったく、これほど体を動かしたのは学生時代以来でしょうか。少しなまっているようですね」 菅原は肩で息をしながらぼやく。 既に十数階を上り、その途中で何度も無魔と戦ったため、菅原の疲労はかなりのものだった。だが、だからと言ってへばっている場合ではない。菅原に比べればアキラやアルマ、外で無魔と交戦している人達の方が厳しい状況にあるのだ。急いで叶を助けなければ被害が広がる一方だ。 「しかし、この階は無魔が全て倒されていましたね……誰かが既にここを通過したのか……」 今まで菅原が通った階には無魔が何体かいたが、この階には生きている無魔は一体もいなかった。それも全て何か強い力で吹き飛ばされたかのような傷跡だ。原形を止めていないものも多く、“バベル”に入ったメンバーでこんな真似ができるのはアキラぐらいのものだろう。 菅原がそんなことを考えていた、そのとき。 「!?」 何かが菅原に向かって突っ込んできた。菅原はとっさに風の壁を作りそれを防ぐ。 「あ、菅原さん」 それは如月 悠里であった。服に所々血が付いているが、本人のものではなさそうだ。 「ということは、この階の無魔を倒したのはあなたの仕業ですか」 「仕業って……何だか人聞きが悪い気がするんですけど……」 「意味は通っています。それで、これはあなたがやったことですか」 「そうですけど……なんでそんなに聞きたがるんですか?」 「ただの確認です。それよりミーリィと一緒だとばかり思っていたのですが……」 「ミーリィとは途中で分かれたんです。でももうここにはいないみたいで……でも、階段とか全然見つからなかったし……」 喋っているうちに悠里の声は段々小さくなっていった。この階の無魔を全滅させた者と同一人物とは思えない。 「まあ、ミーリィのことですから平気だと思いますが……それより、辻さんが“バベル”に取り込まれました」 「あの子が……!? どうして?」 悠里の驚きようは、菅原の予想以上のものだった。 悠里と叶の付き合いは半年足らずのものだったが、悠里は叶とは特に親しくしていた。それだからだろう。 「“バベル”が彼女の同調能力を利用するためでしょう。無魔が出現し始めたのは全て彼女が取り込まれた影響ですよ」 「……とにかく、早く助けないと」 「待ちなさい、如月さん」 そう言って走り出そうとする悠里を菅原が制止する。 「あなた一人でどうやって彼女を助けるつもりです? それ以前にどうやって彼女がいる場所を探し当てるつもりです」 「……でも……」 「急がば回れ、ですよ。おそらく彼女は上の階にいるはずです。ここの階段の場所は見当がついています」 「見当って……どこに」 「ここですよ」 菅原はそう言いながら、すぐ近くにあった壁を軽く叩く。 すると、その壁が消え階段が現れたのだ。 「こんなところに……!」 「術的な知識がない如月さんが気づかないのも無理はありませんよ。指紋を判別する型の鍵があるでしょう? これもそれと同じで術を扱える人間や物に反応するんですよ」 「はぁ……でも、ミーリィは何処を通って別の階に行ったんでしょうか?」 「ここ以外にも階段か何かがあったんでしょう。それを使ったと考えるのが妥当ですよ」 「……そうですね」 「では、行きましょうか」 「鬱陶しいのよあんたらはぁ!!」 ミーリィが月読の引き金を引くごとに無魔の体が弾ける。 ミーリィは銃撃を繰り返しながら、回廊を進んでいた。 「確かさっきいたのが第十一階層の第三区だから、ここは第十二階層の第九区……てことは、ここ!」 ミーリィは壁を撃ち壊し、その向かう側に入る。 そこは何かの司令室のようになっており、壁一面にモニターらしきものが並んでいた。 「認識コード・3003510! 全システム再起動開始! これより全権限をヴェイバー・クローカからミーリィ・クローカへ移行! 全階層の現作業員情報を三番モニターに表示。UNKNOUWの情報はカット、それ以外の者を表示」 ミーリィの指示が行われる度にモニターに表示される図面に映る点が次々に変化していく。 「アルマとアキラは第一階層、悠里と菅原くんは第十一階層の第五区、本郷隊長は第十七階層の第一区か。さてと、肝心の叶は……第十三階層!? 閉鎖階層なのにどうやって叶をいれたってのよ……確かマリアがいたのも……まさか……」 ミーリィは手を口に当てながらその可能性を考える。 「……第十三階層の封鎖を解除、第十二階層、第十四階層の第十三階層と繋ぐ通路を解放、以降はこれを続行。システムを休眠状態へ移行。以降の指示は追って告げる」 ミーリィがそう告げると全てのモニターが消える。 「ま、その可能性はあとでゆっくり考えるとしましょうか。有り得るとは言え、ね」 部屋を出て、先程現れた階段を素早く見つけ、上っていく。 「……それより、アタシ閉鎖階層に入ったことないのよね。どうしよ」 「……ここは、あなたのいる場所じゃない……」 “バベル”に取り込まれた叶を前にルナは告げる。 「……帰ろう、みんなのいる場所に……」 ルナは叶に両手をかざし、青い翼を広げる。 「……帰ろう……」 光が、世界を包んだ。 「……マリア、アルヤとの約束だから……ずっと、一緒に……」 「……ルナ、いるんでしょ」 深緑色の瞳と金髪を持つ少女が、一糸纏わぬ姿で倒れている叶の傍らでルナの名を呼んでいた。 「……アレラ……アレラ・コルセット……」 「やっぱり、知っていたんだ……でも、あたしのことはいいよ。今更何を言っても変わらないしね」 アレラは今までの零美の姿ではなく、彼女の本来の姿でいる。その姿の特徴はミーリィと酷似している。 「姉さんとアルヤさんはちゃんと会えたの?」 「……うん、ここに……」 ルナは両手を胸に当てて、微笑みながら言う。 「そう……よかった。あとはウォルターさんとリュイさんがちゃんと会えれば、一応一件落着ね」 「……この子も助けた……」 ルナが倒れている叶の髪を撫でる。 「何となく、姉さんに似てるね、この子」 「……うん……」 「……………さっきので最後か?」 「だと、いいがな……」 「不吉なことを言うなよ……」 「戯れ言だ。忘れてくれ」 アキラとアルマは壁にもたれかかりながら座っていた。 あたりには無数の無魔の死骸が転がり、かなり気分の悪い光景が広がっている。 「……で、そっちはどれくらいの怪我したよ?」 「左腕は……ダメだな。しばらくは使えそうにない。あとは肋や足にもヒビがいくつか出てきているようだ……まあ、これだけで済んだのは不幸中の幸いだな。それ以外には……力の使い過ぎでかなりきついな」 「俺もなんか右手首がいかれてるみたいだな。しかも、あちこち痛ぇし。ったく、飯食って寝たいぜ」 「ふっ、同意見だな」 「にしても、叶の奴大丈夫なのか? これに取り込まれたんだろ?」 「ああ。だが、我々は菅原に任せる他あるまい」 「そだな」 本郷の意識は既に朦朧としていて、いつ消えてしまうかもわからない状態だった。 体の方もまだ動いているのが不思議な程で、痛みすら感じられなくなってしまっていた。 「ぐっ……ここ、か……?」 本郷は目の前にある扉を開け、体を引きずって中に入る。 「リュイ……やっと、会えたな……」 本郷の視線の先には、女性の彫像があった。否、かつて生きていた女性がいた。 「約束だったからな……迎えに……行く……と……」 本郷はその女性に寄り添うように、事切れた。 「ここが第十三階層かぁ……ずいぶん殺風景な所ね。まあ、こんな感じだろうとは思ってたけど」 ミーリィは第十三階層の回廊を見渡しながら呟く。 他の階層と同じで無機質な壁が延々と続いているのは変わらない。だが、他の階層との違いは、人間のような感触が全くしないのだ。 ミーリィにはその理由がわかっていた。この階層で犠牲になったのは…… 「確か叶がいたのは……こっちか」 ミーリィは回廊をあのモニターに映し出されていた叶がいる場所に向かって進んでいく。 しばらく進むと、黒色のローブを纏った人影があった。ミーリィはそれに見覚えがあった。 「アレラ……?」 「ミーリィさん。お久しぶりです」 アレラはミーリィの顔を見ると朗らかに微笑んだ。 「なんで真っ先に死んだはずのあなたが生きてるわけ? て言うか、その格好……」 「あたしのことは、もういいんです。姉さんとアルヤさんもちゃんと会えたみたいですし」 「そう……それより」 「ミーリィさんが探している子なら……ここに」 アレラが一歩下がるとそこには、叶がその幼い裸身をさらしていた。 ミーリィはコートを脱いで、それを叶にかけてやる。それから、叶の頬をペチペチと叩く。 「かーなーいー、気を失っているのはわかるけど生きてるー」 「大丈夫ですよ。“バベル”に力を使われ過ぎて当分は眠ったままだと思いますけど、大事には至りません」 「……そ、ならいいけど」 愛想無く応えて、ミーリィは叶を背におぶる。 「で、あんたはどうするつもりなの? アタシはともかく、あんたはこっちじゃ……」 「だからいいんですよ、あたしのことは。あたしは、もう死んでいますし……」 「そう……それじゃ、アタシは叶を連れてかないといけないから」 「はい。ミーリィさん。みんなの分まで頑張ってくださいね」 そう言うと、アレラは姿を消した。 「じゃあね……アレラ」 ミーリィはその悲しき少女との別れを告げた。 「このようにして、この物語は終幕へと向かうのでした」 “バベル”の上に立つ彼女は左手に開いた本を持ちながら、その本に記すように言った。 「でも、あの子達の物語はこれから……ふふ、今から楽しみ……」 彼女は闇色のカードに口づけながら、嬉しそうに微笑んだ。 あとがき 第九回、やっとお届けしました! えーと、今回がラストなんですが……えーと……余計謎が増えてますね(汗) とりあえず、これで物語自体の決着は付きました。 でも、彼らの物語は始まったばかりなのです。その先の物語はどうなるかは……誰も知らなくても、いいかなと。 あ、あと、エピローグがありますんで。そっちもね。 では、また。 |