MOON RHAPSODY
Another Story


「少女と語り部」



その青き髪は空を湛え

その青き瞳は空を刻み

その青き翼は 全てを包む    

“天空の化神”

月の名を持つ少女はそう呼ばれた

全ての世界に当て嵌まることのない存在

空の生まれ変わり

少女は世界を渡り世界の空を見つめ続ける

その少女は空の象徴

空が青くあり続けるならば

それが終わることはない




 とある広場の一角で語り部の青年が歌を語っていた。その前には一人の少女がいるのみだった。
「────と、今日はここまで。どうだった?えっと、名前……」
「ルナ」
「ルナ、か。良い名前だね」
 青年は唯一の観客である青髪の少女の頭を撫でる。
「うん、良い歌だった」
 ルナは嬉しそうに言ったが、青年は曖昧な笑みを浮かべていた。
「……?どうしたの?」
「いや、君のような子にそう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、僕が探している歌にはほど遠い……」
「どうして?」
「僕が探している歌は……本当の歌には、音は必要ないんだ。耳が聞こえぬ者にも、言葉がわからぬ者にも等しく意味の分かる歌こそが本物なんだ……わかるかな?」
「ぅ〜……よくわからない」
 ルナは首を傾げながら唸る。
「はは……まぁ、そのうちわかるさ。ところで、君はいくつなんだい?」
「えっと……10、かな?……よくわかんない」
 青年はそのときその少女と子供のころの自分と重ねたのかも知れない。自分がいつ生まれたのかも知らず、親の顔も知らずに育った……そんな自分とその少女を。
「そうか……僕はアルヤだ。見ての通りの語り部……だね」
「かたりべ……?アルヤはどうして語り部になったの?」
 ルナの問いにアルヤはすぐには答えなかった。
 自分が語り部となった理由。それを他人に話すことは難しいことだ。
「……僕自身、よくわからないんだ。だけど、僕はその歌を探し続ける。それが僕が語り部である理由だ」
「ねぇ、私もなれるかな?」
「あぁ、なれるさ。誰にだってね」


 それが、少女と語り部の出会いであった。


 そのあと、ルナがアルヤについていくと言ったとき、アルヤは戸惑った。
 旅と言うものには日常生活の何倍もの危険が伴う。野盗や魔物の類と出くわさないことはない。
 アルヤには少しだが剣の覚えがあり、自分だけなら守ることができる。だが、女の子も一緒だとその自信はない。
 それに体力的に見てもルナがアルヤについていくのは無理だ。アルヤが彼女をおぶっていくわけにもいかない。
 しかしそれでもルナはついていくと言った。その様子だと、彼女が気づかないうちにここから離れたとしても間違いなく彼女はアルヤを追ってくる。そっちの方がよっぽど危険だ。
 アルヤは観念した。
 どうせ、途中で諦めるだろうと思ってのことだったが、ルナは3日経っても全く疲れた様子を見せずにきちんとアルヤの後ろをついて歩いていた。
 彼女をおいていくことなどできるわけがない。アルヤはそう思った。


 それから、2年が経った。


 時の流れは遅いようで早い。気がついたときには現在が過去となり、未来が現在となる。


 2年が経ってみて、アルヤはルナを連れていて良かったと思っている。
 今まで路銀は日雇いの仕事で稼いでいたが、今は歌だけで二人分稼ぐことができる。
 その歌を作るのはアルヤだが、それを歌うのはルナの仕事だ。本人は好きで歌っているだけなのだが、彼女が歌を歌うと必ず人が集まる。
 ルナの歌声は全ての人を惹きつけ、魅了した。いや、人間だけではない。彼女が歌を歌っているときは、いつも小鳥や小動物が寄ってきていた。彼らもまた、ルナの歌に魅了されていた。
 アルヤ自身、ルナの歌声は天使の歌声なんて目じゃないくらい美しいと思っている。彼女と一緒に旅をしているだけでその歌声を聞くことができる。それだけで充分良かったと思える。


 そして、二人はある都市へと足を運んだ。


「アルヤ、ここ、人が多いね」
「そうだね……ここじゃ全然人が集まらないだろうね」
「どうして?」
「僕たちが今まで行った場所は比較的人が多くなかっただろ?だから、そこの人も僕たちのことに気づいて歌を聞いてくれる。だけどこういう場所だとみんな自分のことに集中しててあまり他のことに気が回らない、というわけさ」
「ふぅん……」
 今、アルヤとルナはその国の中でも有数の都市に来ていた。その都市の名は“マスコリーダ”。“闘牛場”の名を持つこの都市の中心には巨大な闘技場があり、年に一度そこで闘技大会が行われている。ここでは恒例行事であり、大きな収入源となっている。
 マスコリーダの人口は今まで二人が訪れた町や村と比較にならないほど多い。ルナにいたっては、人が多すぎて目を回しそうになっている。
「今日は宿をとって、買い出しとかは明日にしよう」
「うん……ねぇ、アルヤ」
「なんだい?」
「ここの空はどうしてこんなにくすんでいるの?」
 ルナの問いは普通の人間からすれば奇妙なものだった。
 普通の人間からすれば空はどこで見て同じだ。しかし、ルナにとって空は全てを写し出す鏡のようなものだと、アルヤは考えている。
 たかだか2年程度の付き合いでルナのことを完全に理解できるとはアルヤは思っていない。いや、10年付き合っても彼女のことを理解できるはずがない、とまで思うときがある。
 ルナは本当に不思議な人間……いや、もはや人間の範疇に入らない存在なのかも知れない。
「……人が、多いからじゃないかな」
 アルヤの答えにルナは何も言わなかった。ただそのくすんだ空を見上げているだけだった。

 「空きが……ないんですか?」
「すまないねぇ。3日後には闘技大会が開かれるからどこもいっぱいだろう。ここだって、何組も相部屋にしているぐらいだからね」
「そうですか……それじゃ、失礼します」
 これで5軒目だ、とアルヤはため息混じりに呟く。
 この時期は闘技大会あり、それ故この都市を含め周辺の村や町の宿はどこも満杯だと言うことをすっかり忘れていた。
「アルヤ、泊まるとこないの?」
 宿の外で待っていたルナが少し心配そうに尋ねる。
「うーん、最悪そうなるかもね……」
 野宿は何度もしたことがあるし、宿のない村でも村人に善意でも泊めてもらったこともある。しかし、ここでそうするわけにもいかない。
「まあ、まだ空いているとこもあるかも知れないから、もう少し頑張ろう」
 頑張ろうと言ってもルナは何もしていないが。そんなことを言っては身も蓋もない。
「アルヤ……私なにもしてない」
 やはり何もしていないという自覚はあったらしい。ここはフォローがいるところだ。
「気にしなくていいよ。ルナには別にちゃんと仕事があるからね」
「本当に?」
 ルナは不安げにアルヤの顔を見上げる。
「……本当に」
 ルナはたまに自分はアルヤにとって足手まといなんじゃないか、本当に一緒にいてもいいのか、とかしようもないことを考えることがあるらしく、よくこんな会話をする。こういったところは2年前と全く変わっていない。精神年齢が低いというか何というか……
 しかし、アルヤにとってルナは大切な存在だ。深い意味ではないにしろ、今ルナがいなくなったらその空白を埋めることはほぼ不可能だろう。
 ……事実、そういうことがあったから、痛いほどにそれを理解している。
「うーん、それにしても本当に人が多いなぁ……うわっ!?」
 アルヤは何にぶつかったのか───たぶん通行人だろうが───その反動で尻餅をついてしまった。
「いたた……」
「アルヤ、大丈夫!?」
 慌ててルナが駆け寄る。それからぶつかった相手をきっ、と睨み付ける。
「ルナ、そういうことはしなくていいから」
「でも!」
 ルナは珍しく怒っているようだ。アルヤは立ち上がり、ルナの頭を撫でて宥めながら、そのぶつかった相手の方を見る。
 相手は男性で年格好はアルヤと同じくらいで、いかにも旅の傭兵と言った風体だった。
「すみません、僕の不注意でした」
 確かにアルヤは周りへの注意を怠っていたので、素直に謝罪の意を表す。
「いや、こちらこそすまない……お互いの不注意で両成敗としよう」
 どうやら、相手は良識のある人物のようだ。傭兵の中には性格の悪い、それこそ犯罪者とほとんど変わらない奴もいる。
「……見たところ、宿に困っているようだな」
 どこをどう見ればそんなことがわかるのか、それもともただ単に彼の勘がいいだけなのか、まあどっちでもいいことなのだが。
「ええ、どこもいっぱいで……」
「……ここで会ったのも何かの巡り合わせだ。俺が使っている部屋でよければ泊まっても構わない。どうだ?」
 それはアルヤには願ってもない提案だった。しかし、そう簡単に信じて良いものか。
「どうしてそんなことを?」
「ただの気まぐれだ。あまり疑われてもお互い気分が悪い」
「……じゃあ、お願いします」
 アルヤは彼を信じることにした。アルヤ自身、他人を疑うことは好きではない。それにルナが彼を睨むのをやめているのも理由のひとつだ。
 別に彼が謝ったからやめたのではない。彼女の感情は比較的長く継続するから、謝った程度では怒りは治まらない。
 おそらく、彼を見ていて何か感じたのだろう。その“何か”が何のかはわからないが。
「ただし、条件がひとつある……たいした条件ではない、安心しろ」
「それで、何なんですか?その条件は」
「歌を聴かせてもらいたい……鳩が豆鉄砲くらったような顔をするな」
 彼はため息をついた。


 ようするにこういうことだった。


 彼はアルヤが語り部であることが───どういう理屈でかは知らないが───わかり、歌を聴かせてもらうかわりに彼らを自分が宿泊している宿に泊めよう、ということであった。どうってことはない、説明するほどのことでもないことだった。
「やはり、あなたも闘技大会に出場するんですか?」
「ああ、そのつもりだ」

 彼の名はグンニル・ヌァザ。年は22歳でアルヤの方が3歳ばかり年上だ。その風体通り傭兵をしており、主に有害指定の魔物の駆除を行っているらしい。
 そして、知る者は僅かしかいないが、彼は“代理人”である。

「さっきの歌はアルヤ、君が作ったものなのか?」
「ええ。でも、大したものじゃありませんよ……」
「大した、ね……それにしても彼女は君の連れ、で間違いないな。姪か?」
 姪。なぜそういう観点でくるのか。アルヤは「妹」と来ると思っていたのでまたも鳩顔になってしまう。
 曰わく、「あまり似ていない」だそうだ。確かにどこをどう見てもアルヤとルナを「似ている」とは言えない。
 そのルナは窓の外をぼーっと眺めているだけだ。やはり、ここの空が気になるらしい。
「それにしても……」
 グンニルは横目でルナを見ながら、何かを考え込むような仕草をする。
「彼女はどこかで見たことがあるような気がする」
「……どういう意味ですか」
 アルヤにはだいたい見当がついていた。ただ単に街中ですれ違った、なんてことではないことは明らかだ。
 アルヤ自身、ルナとはじめて出会ったときどこかで見たことがあるような感じがした。他人の空似にしたって、ルナのような少女に会ったことは一度もないし、あそこまで空の色に近い髪と瞳をもつ者は知らない。
「さあ、な……浴場に行って来たらどうだ?今の時間なら誰もいないだろう」
 グンニルは曖昧に答え、すぐに話題を変えてきた。考えたところで答えの出ない思考をやめたのだ。
「え、ああ……そうですね。ルナ、行こう」
「うん」
 アルヤは必要な道具をそろえ、ルナと一緒に部屋から出ていった。


 それからしばらくして、グンニルは徐に口を開く。
「ルナ……“月”の人間である可能性は高い。それにあの空への感情……アーケツラーヴ、かつて“バベル”が破壊した空は何を行ったか、情報は残っているな」
 グンニルは壁に立てかけられている剣に向かって言葉を発する。
『彼女ガ空ノ遺子デアル可能性ハ否定デキナイ。シカシ、覚醒ハマダダ。キッカケガ出デキルマデ幾バクモナイ』
「そうか……まったく、“代理人”という立場はあまりいいものではないな」
 その言葉を聞く者はいなかった。


「……これは、なんと飲み物なんですか?」
 浴場から出てきたアルヤとルナにその宿の主人はなんだかよくわからない飲み物がはいったコップを渡した。
 これはなにか、当然の疑問である。
「それはコーヒー牛乳という飲み物です、私の奢りと言うことでどうぞ」
「はぁ」
 アルヤは曖昧に応え、意を決してそれに口をつける。横でルナが不思議そうにアルヤの方を見ている。
 ……なかなかうまい。
「うん、なかなかおいしいです。ルナも飲んでみたら?」
「……うん」
 ルナは不審そうにそれをしばらく見つめた後、それを一気に飲み干す。宿の主人は味わうとしないのか、といった感じの顔をしている。
 コーヒー牛乳を飲み干したルナはうまいともまずいとも言わなかった。表情も変えなかった。結局何だったのだろうか。


「……ふぅ……」
 アルヤはルナの寝顔を見ながら、ため息をつく。
 ルナが何者なのか考えると非常に疲れる。なんというか、出口のない迷宮をさまような感覚だ。
「アルヤ」
 ソファーの座っているグンニルが急に話しかけてきた。アルヤはルナから視線を外し、グンニルの方を向く。
「なんですか、グンニルさん」
「お前、長生きしそうにないな」
「……いきなり何を……」
「いや、ただの戯れ言だ。気にしないでくれ。じゃ、俺は寝る」
 そう言ってグンニルは目を閉じ、ソファーに座ったままの体勢で眠りに入る。
「器用な人だなぁ……」
 少し感心したように呟くとアルヤは再びルナの寝顔を見る。
 とても穏やかで、無邪気で、少しだけ“彼女”のことを思い出す。どこにいるのかわからない、“彼女”のことを。
「どうも……考え過ぎなんだろうな」


 二人で旅をはじめてしばらくしたとき、気づいたことがあった。
 ルナの背中には、そこに翼があったかのような痕がある。それは痣ではなく、何か無数の細かい紋様が刻まれていた。
 それを見て、アルヤはあることに思い当たった。

 かつて“月”には天使がいた───と。

 ルナが天使?翼を失った天使様だとでも?そんなことがあるはずはない、天使がいるはずはない。
 しかし、名前が月を意味する「ルナ」である以上、“月”とまったく無関係ではないと思う。
 だからと言って何だと言うんだ?そんなことどうでもいいじゃないか。


 数日後、グンニルと別れたアルヤとルナは一路その国の首都へと向かっていた。まあ、特に理由はないのだが。


「うーん、最近物騒な連中が多いと言われても……避けようがないような気がするなぁ……」
 アルヤは空を見上げながら呟く。
 グンニルと別れるとき、彼がそう言ったのだ。
 そう言った連中はどんなところにいても必ずいるものだ、どうやっても避けられない、と思う。
「アルヤ」
 ルナがアルヤの袖を引っぱる。こういうことをするときは必ず質問があるときだ。
「なんだい?」
「次に行くところは人が多いの?」
「多い、だろうね……」
「……空も同じなの?」
「わからないよ……そんなことまでは」
「………………」
ルナはただ黙っていた。空を見ながら。


 誰かが言った
 悲劇はどこにでもあって、そしていきなりおとずれる、と


「……ッ!?」
 衝撃。痛覚が反応する前にそれが全身を叩く。続いて痛覚が反応をはじめた、左胸が痛む……どうやら、左胸を撃ち抜かれたようだ。
 アルヤは加害者の姿を見た。見覚えのある鎧に身を包み、馬に騎乗しその手にはライフルがある。
「メドゥーの竜騎兵……?なぜ……こんなところに……?」
「ぁ……ぁぁ…………」
 アルヤは仰向けに倒れ、穴の空いた左胸を押さえる。
 その傍らでルナは呆然と立ちつくしていた。目の前で起きていることを理解しきれていない様子だ。
「なぜ……僕を狙う……」
「語り部を装うとは考えたものだな、アルヤ・ルーチン」
 アルヤを撃った男の声はマスクにせいでこもった音だった。威圧的な、死刑執行人のような雰囲気がある。
 アルヤは、ふっ、と薄く笑った。いつくるかと思っていたが、ずいぶんいきなり来たものだ。
「……やはり、追手だったか……ずいぶんと手こずったみたいだね?」
「減らず口を……」
 男は苦々しく言うと、ライフルの銃口をアルヤに向ける。
「脱走者はすべて消せ、それが王の命だ。王に背く者を一人として生かすわけにはいかない」
 見えはしないがその瞳には一種の狂信者的な光があった。
「消す、か……あんなところに縛られるくらいならそっちのほうがよっぽどましだ」
「………………」
 返ってきたのは言葉ではなく、銃声だった。銃弾は狙い違わずアルヤの心臓を貫いた。
 そして、心臓の鼓動が途切れるまで時間は必要なかった。
「アルヤ……アルヤ……?アルヤぁ……!!」
 ようやく事態に気づいたルナがすでに事切れたアルヤの体を揺さぶり、何度も名前を呼ぶ。
 無論、返事はない。
「あ……ぁぁ……うわぁぁぁあぁあああああああ!!!」
 少女の慟哭があたりに響き渡った。
 男はその姿を無感動に見ながら、無言で銃口をルナに向ける。


 しかし、そのとき異変が始まった。


「な、なんだ!?体が、体が消えていく!?」
 男の体は徐々に、霧のように消えていく。痛みもなくただ消えていく。
「なんだ、なんなんだこれはぁぁぁぁぁ!!?」
 男は完全に消える寸前にそれを見た。幻想的で夢のような、現実的な悪夢のような、信じがたい光景だった。


 少女の背には6対12本の翼の骨格が出現していた。
 背から生えているのではない。あの背中にあった紋様から具現化されていた。
 続いてその骨格に青い、空と同じ色の羽根が具現化される。


───そして、その青い翼が空に向けて広げられた


「!空が塗り替えられていく……アーケツラーヴ、状況は!」
 アルヤたちとは違うルートで首都へと向かっていたグンニルはその異変に気づき、空を見据える。
『…………状況解析終了。間違イナイ、空ガ感情ヲ取リ戻シハジメテイル。ドウヤラ空ハ壊サレル寸前ニ、後二感情ヲ取リ戻ス彼女ヲ生ミ出シタヨウダ』
「感情、か。ルナは偽物の空をあるべき姿に戻すために生み出された……しかし、世界はこの後をどうするつもりだ?」
『場合ニヨッテハ彼女自身ガ空ソノモノニナルカ、或イハ感情ダケヲ失ッタ状態ニナルカ……』
「どちらにせよ、事後処理をしなければならない……行くぞ」


数刻後


 とても頼りない枯れ木の傍らで蹲っている少女がいた。
 青い髪、青い瞳……ルナであった。
 その瞳には光がなく、虚ろであった。表情も、悲しみとも怒りとも、まして喜びとも取れるものはなかった。
 それはまるで、感情のない人形のようであった。もともと顔の造りが美しかったのと、微動だにしていないことがそれを余計に引き立てていた。
「……アルヤ……」
 呟きが、耳をよく澄まさねば聞こえないほど小さな声がルナの口から漏れた。


 約束があった。
 少女には語り部との約束があった。約束と言えるかわからない、一方的な頼み事であった。

『ルナ、最後に頼みたいことがある』
「最後……嫌!ずっと、ずっと一緒にいたよ!!」
『大丈夫、君が僕のことを覚えていてくれれば、僕は生き続ける。君と共にね』
「……本当に?」
『ああ、本当だ……君に僕の言葉を伝えて欲しい人がいる』
「……うん……」
『その人の名は、マリア。彼女にこう、伝えてくれ』




───愛している、と




「お前はここでずっとそうしているつもりか?」
 ルナに声がかけられた。だが、それにもルナは反応を示さなかった。
「約束を果たさずにここで果てるつもりか」
 今度は語気が強められ、ルナを問いただすような感じだ。
「……約束……」
 ルナは呟きながら少しだけ顔を上げる。
 そこにいたのは見覚えのある男だった。確か、グンニルと名乗っていた。
「立てるか」
 グンニルが言いながら手を差し出す。
 ルナはその手をしばらく見つめ、それから枯れ木を支えにして立ち上がる。
 そして、まっすぐ空をその青い瞳で見据える。
「……行こう……」
 その声は弱々しかった。だが、呟きではなくはっきりとした意思があった。
「ふっ、それでいい」

 空は永久の青を湛えていた。



 その後、二つの世界が重なり合った時を境に“天空の化神”ルナはその世界での消息を絶っている。



2015年8月某日 天候・快晴

 京都某所にて

 一人の少年が自転車を転がしながら歩いていた。
 乗ればいいのだが、残念ながら自転車のタイヤがパンクしているために乗ることができない。さしあたって、自転車を転がしていくしかない。
「安物はすぐにこうなってしまうのが常ですね……」
 年齢不相応な口調で少年は呟く。
 その少年は中学生であることを感じさせないほど大人びた雰囲気を持っていた。その敬語使いもそうなのだが、世を達観したような部分があることや、その理知的な面立ちがそうさせている。
 それなのに少年と表現されるのは背がまだそれほど高くないからだ。
「……ん?」
 そのとき、少年は彼女の存在に気づいた。
 少年が行こうとしている道の先に一人の少女が立っていた。
 麦わら帽子をかぶり、白のワンピースを着た、青い髪の少女。
「あなたは……?」
 少年は思わずたずねた。彼女の名を、彼女の存在を。
「ルナ」
 少女ははっきりとした口調で答えた。


それは 夏の幻想と共に舞い降りた始まりのひとつであった───


平凡な日々は終わり 運命の歯車はゆっくりと だが確実に回り始める


これを二つの月の物語の始まりのひとつとして記そう








あとがき
番外編、いかがだったでしょうか!?
相当妄想大爆発、って感じだったんですけど……(爆)
ルナの正体が中途半端に判明しましたが……だめですか。
で、本編は一気に終幕まで駆け足です。なので、本編共々よろしくです!
では、また。


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