MOON RHAPSODY
Another Story Two


A−part 「深きに刻まれし記憶」




これは物語の根幹にして始まりである

全ての始まりではなく 物語の始まり

天に向かいそびえる塔

塔の創造に関わる六人の男女

彼らの記憶を紐解こう

空が壊された日

六人が引き裂かれた日

世界が運命を下した日





 もう、隣の部屋も炎に包まれてしまっていて出ることはできないようだ。
 疲れ果てていた彼女は床に座り込んで、小さくため息をついた。
「みんな、無事に逃げられたかしら……? いえ……逃げ切れるわけなんてない……あの包囲網を抜けるには……相当な戦力が必要だし……今の私達にはそんなものは……ない……」
 こんな状況になる原因を作ったのが自分達だとすれば、尚更だ。
 当初は鎮圧戦だと聞いていた。それが一年が経ち、二年が経った頃には形勢は革命派側に傾いていった。そして、三年目には多くの皇国兵が革命派の軍に降った。もうこうなってしまっては打つ手はもうない。そして今、革命派は首都に雪崩れ込み、皇国の城に攻め入った。防ぐ者もなく、城はあっという間に制圧され、火を放たれた。
 もう間もなく、この国は滅ぶ。
 だが、それが自然の摂理と言う物だ。栄えあれば滅びあり。この国は充分すぎるほど栄えた。歴史の幕を閉じるには、少し遅すぎたぐらいかも知れない。
 それに彼女の父はやりすぎた。民を虐げ、私服を肥やし、国を衰退させた。そんな中に革命が起こるのも、歴史の流れ。
 革命派の連中が良い国を作るかどうかはわからない。最初の五年かそこらはうまく行くだろうけど、問題はそのあとだ。革命時の中心メンバーがいなくなれば、新しい国自体がぐらつくかも知れない。
 ……しかし、それを彼女は知ることはできない。
「……死、か……こんなに早く来るとは思っても見なかったけど……これも、報いか……」
 火がこの部屋にも入ってきた。この部屋が火の海と化すのも時間の問題だ。
 自らの死を確信した彼女が静かに目を閉じようとした、そのとき。
 それは、現れた。
『そんなことで、死を選ぶのかしら? あなたは』
「誰……!?」
 その声に、彼女は辺りを見回した。しかし、そこには炎ばかりで何もない。
『死を選ぶなんて、人間らしい考え。でも、綺麗な躰ね……気に入ったわ』
「何を……ぐっ!?」
 突然、彼女の体を激痛が襲った。息が詰まり、血液が逆流しているようだ。
『あなたを、もらうわ』
「ぐが……あ、ああ……あが……あ、あ、あ、あああああああああああああああああああ!!!!」
 絶叫が口から迸った。長い長い絶叫のあと、彼女の体は人形の様にがくりと項垂れる。
 しばらくすると『彼女』はひどく緩慢な動作で立ち上がる。
「……やっぱり良い躯……さあ、今度はどうしようかしら?」
 クスクスと笑いながら、『彼女』は霞の様に姿を消した。




 それは、百年も昔の話だった。




 その巨大な塔の建設が始まったのは七百年も前からだと言う。
 建設当初は事故やら管理体制やら何やらでずいぶん苦労したそうだが、内装工事と仕上げの段階に入っている現在ではそう言った苦労とは無縁に近くなっている。まあ、それで楽な作業かどうか別問題、である。
「……OK。第十八階層までの工事終了確認。それでは、担当班は上がって下さい……あれ、ここの班って今日で最後でしたっけ?」
『そうですそうです。いやー、これで郷里に帰れますわ』
「はは、それはよかったです。それじゃ、お疲れさま」
 最後の挨拶をして、ミーリィ・クローカはマイクの原電を切った。
「……あ、直接会って挨拶した方が良かったか」
 そう思ったが、わざわざそこまでする必要もないと決めつけて、システムの音声認識用のマイクに向かう。
「認識コード・3003510。本日の作業終了。システムをスリープモードへ移行……スタンドモードへの移行権をヴェイバー・クローカに設定。以降は同者の指示を仰げ……以上!」
 必要最低限の電源のみを残してミーリィは部屋を出た。今彼女がいる階層は十二。『塔』全体のシステムの六割がここに集中しており、ここに立ち入ることができるのはシステムの開発や制御に携わっている一部の人間だけだ。
 ミーリィは『塔』建造開始から技術提供を行っている“詠緑の民”の一つであるクローカ家の長女で、優れた技術者でもある。元々クローカやアーチェイレは技術者の家系であるから、自然とシステム面に関わるのはこの二家が中心となる。
「さってと、定例まで時間あるし、マリアでもからかってくるかな」
 んっ、と伸びをするとミーリィは意気揚々と下の階層へと降りていった。


 そもそも『塔』の建造はミュルヘル家を中心としてクローカ、コルセット、アーチェイレ、デュレイマの“詠緑の民”の四家が始めたものである。
 『塔』は大陸の中心的都市として、また空に存在する浮遊空間『天上都市』との接続のための軌道エレベーターとして、多くの資材や人材が投入された。当初は建造に千年はかかると見られていたが、“詠緑の民”の技術提供によりその行程が半分にも縮められた。建造の間にも『塔』を中心に街が広がり技術も向上していった。それもまた工期縮小の一因であろう。
 現在『塔』は一八階層内装までの建造が終了し、一九・二十の工事を含めて全行程が終了するのにあと数年と見られている。
 完成まであと僅か、なのだ。


 ところで。
 『塔』の構造について簡単に触れておこう。
 『塔』は全二十階層から成り、第十階層までは居住区、第十一階層から第十四階層まで中枢区、第十五階層から第十八階層までが軌道エレベータ。第十九、第二十階層は『天空都市』との折衝区となっている。


「やほー、マリアと少年少女達」
 ミーリィがやって来たのは彼女の友人の一人であるマリア・コルセットが担当している孤児院だ。
 長い『塔』の建造には事故が付き物だ。それによって親を亡くす子供は少なくない。今現在孤児院にいる子供は三十人ばかり。マリアはその子らの面倒を見る保母の一人、というわけだ。マリア自身はコルセット家の長女なのだが、あまり『塔』建造には関わらずに育ったため、こういう仕事に就いている。
「ミーリィ。今日の作業はもう良いの?」 
「そだね。プログラム面でも大きな作業は上の代で終わってるからアタシはもうちっと細かい奴だけだし。おーし、体力まだ余ってるからちびっこ達に手品でも見せてやるかー」
 ミーリィがわざとらしく大きな声で言うと、子供達がわっと寄ってくる。たまにこういうことをしているので、ミーリィは人気がある。
「うーん、今日はどうするかなー。そだね……マリア、ちょっとここに立ってくれない?」
 ちょいちょいで指で手招きしてマリアを隣に立たせる。スタンダップ・マジックをやるつもりらしい。
「ここでいいの?」
「こほん。では……」
 軽く咳払いしてミーリィはマリアの肩を軽く叩く。するとマリアの髪がぱらりと広がる。 
「あ、私の髪留め……」
 さっきまでマリアがしていた髪留めがミーリィの手にあるのを見ると、子供達がわっと歓声を上げる。ミーリィはそれを制止してチッチッ、と指を振る。
「驚くにはまだ早いわよ。とこでー……これは誰のかな?」
 今度は何やら手紙のような物を持っている。それを見た瞬間、マリアの顔がぼっと沸騰した。
「そ、それ私のっ!? 服の中に入れたのに!!」
「はっはっはっ、服の中ぐらいで隠し通せるのかなー?」
 意地悪にも身長差を利用してマリアが手紙を奪い返せないように手を高くやる。
「ああああああ、かか、返して!」
 なおも顔を赤くして必死に手紙を取り返そうとするマリア。しかし、どっとわき上がる笑い声に気づき恥ずかしさのあまり俯いてしまう。 
「それではマリア先生に拍手ー。それからアタシにも」
 盛大な拍手に見送られミーリィは颯爽と部屋から出ていく。そのあとをマリアがすごすごと追う。
「ひどいよミーリィ、私をだしに使うなんて!」
 孤児院から少し離れたあたりでやっと手紙を返してもらったマリアがぷりぷりと怒る。しかし怒っていても大した迫力が無く、むしろ可愛いくらいだ。
「ごめんごめん。マリアが可愛かったんでつい」
 まったく悪びれた様子もなくミーリィはひらひらと手を振る。いつもこんな調子なので、いくら言っても全く止めてくれない。マリアとしてはちょっと止めて欲しいので、困ったことである。
「もう……」
「いいじゃない別に。子供達がああやって笑ってくれるんだから。恥ずかしい思いでも良いことあるじゃん」
 確かにその通りなのだが……
「でも恥ずかしいものは恥ずかしいよ……」
 いつも子供達の面倒を見ているマリアから見ても、ミーリィはすごいと思う。たったあれだけのことで、普段笑わない子も笑わせてしまうのだ。本当に、羨ましく思える。
「まあまあ、旅の恥は掻き捨てって言うじゃない?」
「旅じゃないし……」
 いや、子供達を笑わせることより自分をからかって遊ぶのが目的だ。絶対そうだ。
「はぁ……」
「ため息なんかつかなーい。でさ、あの手紙アルヤからでしょ? そろそろ帰れるんじゃないの?」
「うん……次の月のうちには戻れるって」
 マリアの思い人であるアルヤ・ルーチンは、現在半年前に突如消滅した第四大陸・キュルンの調査隊として派遣されている。キュルンには『塔』がもっとも近い位置にあったため、各国からの要請で『塔』から十八名の調査隊が組まれた次第である。マリアが受け取った手紙の内容から調査はほぼ終了したと見ていいだろう。
「待ち遠しいでしょ?」
「うん」
 マリアは嬉しそうに手紙をきゅっと抱きしめる。
「いいわねー、恋する乙女ってのは」
「……たまにミーリィの年齢が怪しくなるんだけど……」
「気のせい気のせい。んじゃ、孤児院のお仕事に戻りましょうか」
「うん」


「ええ、わかりました。調査終了とコルセットの当主殿に伝えておきます。各国への調査報告はこちらでまとめでからで? わかりました……私用なのですが、こちらに到着するのは今月中には無理ですか? いえ、あなたの誕生日が今月末なので……はい、ではそのように」
 最後に簡単な挨拶をして、リュイ・デュレイマは通信を終えた。
 リュイはデュレイマ家の長女で、特に通信の仕事を担っている。彼女の父であるワヴィク・デュレイマ調査隊の隊長でさきほどの通信はその調査が終わったことを報告をしたものである。
「原因調査と言ってもたった三ヶ月では大した収穫があるとは思えないが……無駄足に終わるかもな」
 何の成果もないと言うことは流石にないだろうが、今回の調査ははっきり言えば様子見だ。これから何度か調査隊が派遣されることになるだろう。しかし、それでも大陸消滅の原因が解明されることはないだろうとリュイは思っている。何故か、わからないが。
「……通信を繋げ。第十二階層管制室、ミーリィ・クローカへ」 
 時計を確認し、作業終了時間からしばらく経っているのに気づいて、管制担当のミーリィに繋げる。
「リュイだ。作業員はもう引き上げたか?」
『ええ。にしてもここまで作業が進むと作業員も減るものね。父さんの時代の半分ぐらいだっけ、今?』
「そのぐらいだったかな。何事もなければ、五年以内に全作業完了だ」
『となると三十路前に完成式に臨めるわけね。そのころにはリュイやマリアにも子供がいるかもね』
「……お前は、含まれないのか?」
『アタシ相手いないじゃん』
 身も蓋もないことを。
「まあいい。私達も終えよう。いつものところで少し飲もう」
『りょーかい』


「いやにしてもさ」
「なんだ?」
 昔と違って酒が容易く手に入るようになったとは言え、未だにちと高く感じられる。元々大して飲めないミーリィはアルコールの少ない物を、リュイはかなり強いものをちびちびとなめるように飲んでいる。なので、こうやって呑めるのは月に一度あるかないかなのだ。
「なんでマリアってこうも飲むのかしらね?」
「コルセットの当主殿が酒好きだとは聞いたことはないがな」
「おじさーん、ダグルもういっぱいー♪」
 上機嫌な調子で、頬を桜色に染めたマリアがお代わりを注文する。これで三杯目か。
 そうなのだ。マリアはこう見えてかなりの酒好きだ。まあ、酒に対してはそう強くないし、酒癖も悪くはない。酒を飲むと言う行為をかなり楽しんでいる、と思う。問題なのはペースを考えないと言うか、自分の酒に対する強さを正確に認識してないと言うか。
「ある意味この三人で呑むのって正解かもね。ほぼ素面が二人と酔っぱらいが一人」
「んー? だれがよっぱらいー?」
 三杯目の酒に口を付けだしているマリアがミーリィに猫のようにすり寄ってくる。ちなみに彼女が飲んでいるダグルと言う酒は『塔』の近くにある村の名産品だ。味も口当たりも良く値段も手頃、とマリアに限らず多くの者に好まれている酒である。ちなみに名前は村名から。
「あんたよ、あんた」
「わたし、よっぱらってなんかないもん」
 酔っぱらいの「酔っぱらってない」と言う台詞ほど怪しいものはない。本人はどう思ってるか知らないが、これはもう誰がどう見ても完璧な酔っぱらいだ。つまみのピーナッツを落としたり、目の焦点が合ってないとか。
「酒は分量を考えて飲むべきだと思うのだがな」
 リュイが飲んでいる酒はこの店でもっとも強い酒である。一気に飲もうものなら一撃で昏倒するので、なめるようにしか飲めない。普通、水割りにするなりして飲むのだが、リュイに限ってはストレートで飲む。なんでも、下が痺れるような感じが良いらしいのだが。それを理解する者は……たぶんいない。
「らって、これまだにはいめだよ?」
 三杯目だ。今日はいつもに増して酒の周りが早いようだ。ついでにその三杯目も殆どなくなっている。
「マリア、そのへんにしておけ。明日二日酔いで苦しむのはお前だぞ」
「むー、まだのむー」
 ここまで来ると駄々っ子だ。普段大人しく従順なイメージが強い分、酒を飲むと本性が出ると言うか、ストレスを発散し出すと言うか。よって、この駄々っ子をあやす役を担うのがミーリィとリュイになるわけである。いつも二人で飲みに行こうとするといつの間にかマリアが寄ってくるので、この構図は永遠に崩されないだろう。たぶん。
「いっそのことリュイのぶち込んで眠らせる?」
「物騒なことを言うな。これを飲んだら明日中使い物にならなくなるぞ。下手すると急性アルコール中毒に陥るぞ」
「……て言うかそんな危ないのストレートで飲んでるリュイが信じられない」
「ああ、お前は酒に弱いからな」
「弱くない人間から見てもおかしいって」
「そうか?」
「そうだって」
 などと言い合っていると近くでゴン、と良い音が聞こえてきた。そちらを見るとマリアが机に突っ伏していた。
「今日は三杯目で落ちたか」
 やれやれと残っていた酒を片付けようとしたとき、店に十二、三歳程度の少女と長身の青年が入ってきた。
「ウォルター。それにアレラもか」
「ん? ウォルターはともかくなんでアレラが酒場になんか来るわけ?」
 長身の青年──ウォルター・ダグラスは交易階層の治安維持を担当している。治安維持と言っても、基本的に治安が良い『塔』においては喧嘩などの仲裁が主な仕事だ。
「これを迎えに、だそうだ」
 これとはもちろん既に眠りの世界に没入しているマリアのことだ。
「なるほど。ウォルターは護衛役か」
「すみません、無理を言ってしまって」
 その迎えと言うのが、ウォルターの隣で恐縮しているつもりなのか肩をすくめているアレラである。彼女はマリアの妹で、普段は『塔』の最上階層にいるのだがたまに下に降りてくる。
「気にするな。それより災難だな、下に来ている日に姉のお守りとは」
「スキンシップだと思って諦めます」
 ため息混じりに苦笑するアレラ。本気で諦めているようだ。 
「んじゃ、連れて帰りますか。リュイ、支払いよろしくね」
 ミーリィは残っていた酒を全部飲むとマリアを肩に担ぐ。
「それじゃお二人さんごゆっくり〜♪」
 意地悪そうな笑みを浮かべてミーリィは店を出ていった。そのあとをアレラがぱたぱたと追う。
 リュイは苦笑する。ミーリィにしては珍しく気をつかっているらしい。
「どうする、飲み直すか?」
「それより今日は部屋でゆっくりした気分。いいか?」
「ああ……俺もそういう気分だ」


「酒は飲んでも飲まれるな、ってね。アレラ、こういう大人になっちゃ駄目よ」
「はぁ」
「こういうってどう言う意味よ、ミーリィ」
「言葉通りの意味だけど?」
 例によってミーリィがマリアをからかっている。
「ミーリィ、気持ちはわかるけどたまにはマリアのことからかうの止めたら? 下手な誤解も生みそうだし」
 ミーリィを窘めたのはフェクィヴ・アーチェイレである。アーチェイレ家の次男で、手先が器用なため武器の手入れなどを主に取り扱っている。ミーリィとは気が合うらしく、昔から良く連んでいる。
「んー、そうね。まあ今日くらいしんみりする日ぐらいはこの辺にしときますか」
 しんみりなどと口では言っているがミーリィには湿り気の「し」の字も感じられない。
「ふむ。ミュルヘルの御老体の葬儀と言われても顔すら知らないのでは実感以前の問題だな」
「同感。だいたいミュルヘルの人間とすら会ったことないんだからそんなのに出席したってねぇ」
 ミュルヘル家の前当主であった通称・御老体は齢百を越えていたという話だから、まあ大往生と言ったところだろうか。今は御老体の葬儀のあとで、ミーリィを始めとする若者達は既に用を済ませて食事をしているところだ。
「でもこれでミュルヘルの血族って次の当主の人しかいなくなるんでしょ?」
「確かもう一人いたと思ったけど……なんだっけ名前」
「まあ、その人の代で『塔』は完成しそうだから良いんじゃない、別に。なんで『塔』を作ろうなんて考えた知らないけど」
 ミュルヘルの一族は謎が多い。その一族の者と面識があるのは“詠緑の民”の各家の当主ぐらいのものだ。ミーリィあたりに言わせれば、「謎が多すぎて具体的な謎がない」と言う感じだ。
「それより来週には調査隊が帰ってくる。そうなったら持ち帰ってきたデータの整理が待ってるぞ、ミーリィ」
「うげっ、やなこと思い出させないでよ」
「リュイ、そのままもっとへこませてやって。ミーリィはへこんでるぐらいが一番静かだ」
「言えてるかも……」
「何よマリア。前言撤回してあげようか?」
「ふぅ……アレラは明日には上に戻るのか?」
「え? ええ、まあ」
「そういや上にはミュルヘルの子が一人いるって聞いてるけど」
「はい。ルナって子です。顔は何度か見ましたけど……話をしたことはありません」
「ふぅん。でも縁のない話だからねぇ」
「ま、何はともあれ明日から仕事だ。酒は飲むなよ、マリア」
「リュイまでその話を振らないで!」


 さて、次の週。
「んふふふふふふ」
「ミーリィ、人の作業見ながら不気味な笑いしないでくれる?」
「フェクィヴの作業見て笑ってるんじゃないの。マリアの姿を想像して笑ってるの」
「気持ちはよぉくわかるけど、笑うのはストップしてもらうよ。まさか自分で頼んだこと忘れてるわけじゃないだろうね」 
「ないない。と言うわけでフェクィヴは作業にどうぞ集中してくださいませ」 
 と言いつつミーリィの笑いは止まらない。
 今日はアルヤを含めた調査隊が帰還する予定だ。そんなものだからマリアは朝からそわそわしている。ミーリィに限らず孤児院の子供達にもからかわれていることだろう。時間的にもそろそろ到着するはずだ。
「ああ、そっと目を閉じるとからかわれて慌てふためくマリアの姿が浮かぶようだわ〜」
 この際だから設定書に『趣味:マリアをからかうこと』と書いた方が良い、と意味不明なことをフェクィヴは思う。既にフェクィヴの作業は止まっている。この調子では作業も進まないだろう。なので止め。
「……ところでミーリィ。たぶん今日明日は調査隊もお休みだろうけど、その次にはデータ処理とかあるの、覚えてる?」
 瞬間、ミーリィが停止する。このことに関してミーリィは忘れようと努めていた。データ処理と言う奴は地味でしかも疲れる作業だ。ミーリィとしてはそういう仕事は後免被るところだ。なので、現実逃避していたわけだ。
「わ、わすれてないですじょ?」
 語尾が怪しい。
「ま、僕の方は器材のメンテとかあるだろうし、さしあたって暇にはならないんだよ」
「う゛〜……」
「唸らないでよ」


 『塔』の第十一階層。リュイはコルセット家当主執務室前にいた。彼女以外にも何人かいる。皆調査隊の帰還報告が終わるのを待っているのだ。その中にマリアはいない。
(ウォルターがうまく足を止めてくれたか)
 マリアが来ないように仕向けたのはリュイだ。それは考えがあってのことなので、マリアも納得してくれるだろう。しなかったら実力行使に及ぶまでだが。などとリュイがちと物騒なことを考えていると、執務の扉が開き調査隊の面々が出てきた。リュイ以外の者は彼らに近寄り、再会を喜びながらその場から離れていった。最後にリュイと青年が一人残った。
「久しぶり、リュイ。他のみんなは?」
 アルヤ・ルーチンである。
「私が来ないように仕向けておいた。それより、お疲れさまだな」
「うん。デュレイマ殿ならもうしばらくかかるけど?」
 アルヤはリュイがここにいるのは父親を待っているのだと思ったらしい。
「いや。父さんと話す機会はいつでもある。今日はお前を待っていた」
「僕を? どうしてまた」
 立ち話も何なので、と言うわけで二人はアルヤの部屋に向かいながら話す。
「今回の調査結果。それを貸してもらおうと思ってな。いずれにせよ資料整理やデータ処理をやることになる。どうせやるなら早い方が良い。幸い今日明日は非番なんでな」
「……ふぅん。主立った資料はデュレイマ殿が持ってるから、そっちに頼んだ方が良いよ」
「そうか」
「ところではマリアは孤児院にいるのかな?」
 アルヤがマリアの名を口にすると、リュイが皮肉っぽく口を歪ませる。
「お前は、わざわざ疲れに行くつもりか? なんのためにマリアを来させなかったと思ってるんだ?」
「あー……はは。そうだね」
 確かに、よく考えたら今マリアに会いに行けば大変なことになるだろう。そこにミーリィが乱入したら状況はさらに悪化する……リュイの言う通り、会いに行かない方が賢明だ。
「どうせ明日は休みなんだ、そのとき会えば良い。ミーリィの足止めは私がしておこう」
「ふぅ、悪いね、気を使わせて」
「なに、大したことじゃない。それに、いつものことだろう」
「そうだね」
 いろいろ話しているうちにアルヤの部屋に着き、アルヤはそのまま寝ることになった。
「それじゃ、おやすみ」
「ああ」
 扉が閉まると、リュイは一人ごちる。
「主立った資料は父さんが持っている、か。なんだ、お前も私に気を使ってるじゃないか」
 父との会話の機会をくれたアルヤに心の中で感謝しながら、リュイはその場を離れた。


 翌日、アルヤは私物の整理をしていた。調査に持っていた物だけだったので割と早く片づいた。部屋が綺麗なのは、マリアが掃除してくれていたのだろう。彼女らしい。ふと、時計を見るとそろそろマリアが来る時間になっていた。片付けを切り上げて、アルヤはお茶の用意をしておく。
 しばらくすると、扉が控えめに叩かれた。
「どうぞ」
 返事をするとまた控えめに扉が開かれる。そこにいるのはマリアだ。
「あ、あの……」
 久しぶりの再会の所為か、マリアは緊張してしまっている。アルヤは気づかれないようにため息をつくと、彼女を抱き寄せた。
「久しぶり、マリア」
「う、うん……」
 それからマリアを手頃な椅子に座らせ、紅茶を渡す。一息入れて落ち着いたところで。
「さて。特に変わったことはなかった?」
「うん。みんないつも通り。あ、最近ミーリィが子供たちの前で手品するようになった」
「手品ぁ?」
 思わず聞き返してしまう。ミーリィは特に手先が器用と言うわけではない。むしろそう言ったことはフェクィヴの領分だ。察するに、文字通り子供騙しの手品に派手なパフォーマンスをつけたものだろう。
「私もミーリィが最初にやるって言ったのには驚いた。でも、意外とちゃんとしてたし……あと……」
「あと?」
「いつも私のことを笑いのだしに使うし……」
 今にも部屋に隅に蹲って床に「の」の字を書きそうな雰囲気だ。ミーリィがマリアをからかうのは毎度のこととは言え、恥ずかしいものは恥ずかしいわけか。
「どうせだから本格的なフェクィヴに頼んでみる?」
「手品をやるのを? それともミーリィを止めるのを?」
 そう来たか。
「うーん、よくよく考える難問だ」
「……でも、それで子供たちがみんな笑ってくれてるのは、事実」
 マリアは小さくため息をつく。
 マリアは周囲に人間に劣等感を持っている。友人であるミーリィやリュイ、フェクィヴは既に要職についているし、アルヤにしても調査隊に加わるなど功績をあげている。彼女の兄妹にしても、妹のアレラは『天空都市』との折衝役だし、二人の兄も友人達と同様だ。それにひきかえ、何か突出して才があるわけではないマリアは、取り残されていく言い知れない感覚におそわれていた。だから、こうして落ち込むこともしばしばだ。
「いつも言うけどさ、他人と自分を比べる必要はないんだ。マリアにはマリアにしかできないことがある。マリアは、僕にとって唯一安らげる場所なんだから」
「アルヤ……それ、恥ずかしいよ……」
 マリアが顔を赤くして唸る。実のところこんな浮いた台詞を言っているアルヤも恥ずかしいから、おあいこだろう。
「こんなことが言えるのも、マリアにだけだよ」
「……うん」


「う゛〜……」
「だから……」
「う゛〜……」
「唸るのやめてくれないか、って昨日から言ってるだろうが!」
 バン、とフェクィヴが恐ろしい声で怒鳴って机を殴る。ミーリィはびくりと椅子から腰を浮かせる。
「だってさー、リュイからはデータ処理やれ言われるし、今はこうやってフェクィヴに拘束されてるし。唸りたくもなるわよ」
 もう一つあるだろう。アルヤとマリアをからかいに行けない、と言うのが抜けている。
「あのね、ミーリィ。データ処理はどうせやらなきゃいけないんだから一応暇な時間を使ってやった方が早く終わるし、僕がこうやってミーリィを足止めしてるのはアルヤ達のところに行かせないためなの。その辺わかってる?」
「……それって殆どリュイの差し金じゃん」
「特に否定はしないけどね」
「て言うかリュイの世話焼きっていつから始まったんだっけ?」
 嫌な話題から逃れるためか、そんな話を振ってきた。
「んー、確かリュイのお兄さんが亡くなったあたりからかな。もしくはアルヤとマリアが付き合いだしてから」
「あとは本人がウォルターと付き合いだしてから」
「厳密にはわからないってことで」
「そうね」
 沈黙。
 この二人の場合、会話が軽快な割に結論に至るのがいやに早い。なので会話中に沈黙することしばしば。
「そういや、前に頼んでたあれ、できた?」
「今やってるとこだから、早くしたいなら黙っておくことをお勧めするよ」
「はーい」
 再び沈黙。
 フェクィヴの手元でカチャカチャと鳴る作業音だけが室内に響く。ただ何もしないでいるのも難なので、ミーリィはリュイに言われてたデータ処理とやらをやることにした。フェクィヴが言うとおり、どうせやるのだからちゃっちゃと済ませる方が確かに良い。面倒だけど。
 で、三時間後。
「ミーリィ、できたよ。おっ、ずいぶん進んでるじゃない」
「そりゃやることないんだもん。進みもするわよ。で、物は?」
「この通り」
 フェクィヴが手渡した物は、黒い拳銃。ミーリィはそれを受け取るとしげしげと眺める。
「ちなみに僕のと揃いね」
 そう言ってテーブルにおいたは形状こそ同じだが色が対象の拳銃。
「外見は殆ど一緒だけど、僕のは実弾式でミーリィのは無弾式。ほぼ無限にぶっ放せる。あとで射撃場にでも行って撃ってくれば?」
「うん、そうするわ。ところでこれの名前はどうするの?」
「名前? ……ああ、考えてなかった。適当につけといてよ」
「ふぅん。じゃ、時間も適当だから休憩しにいきましょか」
「そうだね」
「あー、今日アルヤ捕まえられなかったらもう捕まえられないじゃない」
「だからやめとけっての」


「ふぅ……」
 傍らに置いてあったコーヒーがなくなっているのに気づいて、リュイは席を立つ。替えのインスタントコーヒーがない。軽くため息をついて、コンピュータの前に座り直す。データ処理はほぼ終わっている。我ながらよくやったものだ。
「今日はこれぐらいで終わりにしておくか……」
 コンピュータの電源を切ってベッドに座る。喉が乾いている気がする。何か飲み物が欲しい。しかしわざわざ何か探しに行くのも億劫だ。都合良く誰か差し入れを持ってきてくれたりしないだろうか。
「……………」
 ないか。いっそこのまま寝てしまうか。そういえば昨夜はろくに寝ていなかった。これぐらいの時間に寝ても構わないだろう。そのまま仰向けにベッドに倒れ込む。
……疲れはあるのだが、どうも眠れそうにない。少し酔ったくらいなら眠りに落ちそうだが。
「そう都合は……」
 そのときドアがノックされ、リュイが応える前にウォルターが部屋に入ってきた。手に持っているのはおそらく酒の類だろう。それにリュイが思わず苦笑する。
「なんだ、いきなり」
「いや……都合の良いことと言うのは案外あるものだな。今日は昼番?」
「ああ。だからこうやって酒も持ってきた。で、お前はお前で酒が欲しかったところか。なるほど、都合が良い」
 ウォルターは酒瓶とグラスをベッドの隣にある机に置くと、リュイの隣に座る。大柄な彼が座ったことでベッドが少しきしむ。リュイが酒瓶の蓋を開け、自分のグラスに注いでそれを一気にあおる。
「……あまり強い酒ではないな」
「ダグルだからな。悪いがお前が好きな酒は手に入らなかった」
「見ればわかる。寝酒にするならこれぐらいが丁度良い」
 もう一杯いれるついでにウォルターの分も注いでグラスを渡す。
「……で、どうなんだ、大陸の一件は」
「私が渡されたデータは全体の何割かに過ぎないからはっきりとは言えないが……状況から見て前世界の遺物によるものと見るのが妥当だろうな」
「腑に落ちない点は?」
「地面が派手に抉られていない。むしろ丘を海より少し低く、平らに切り取った感じで……不自然極まりない」
 前世界の遺物、しかも爆弾系の兵器だとしても地面が平らに抉られると言うことは理論上有り得ない。爆心点を中心に放射線状にエネルギーが放たれるわけだから、地面はほぼ円状に抉られることになる。岩盤の強弱の関係もあるだろうが、ほぼそうだと言っていい。
「となると調査結果は『原因不明』か?」
「『さらなる調査が必要』、だろうな。元々たかだか三ヶ月で全てがわかるとは父さんも思っていない。次は海底調査用の器材を持って、と言ったところだろう」
「会議は調査報告より別の案件の方を優先する、か」
「そうなる」
「ふむ。それはともかく……」
 いつの間にか空になっているリュイのグラスに新たな酒をつぎ足しながら、ウォルターは何故かため息混じりにリュイの顔を指さす。
「その口調、どうにかならないのか」
「む……すまない、ずいぶん長く使っている所為でくせになってる……」
「ヒルクさんの穴を埋めようとするのは構わないが、何も口調まで真似ることはないだろ」
「……その台詞、今更ね……」
 ヒルクと言うのは、リュイの兄のことだ。彼は五年前に病で亡くなっている。それ以来のリュイは、まるでヒルクのように振る舞うようになった。自身の仕事もこなしながら、兄の仕事を引き継いだ彼女はかなりの無理をしている。それは昔も今も変わっていない。それをおくびにも出さずにいるのは大したものだが、彼女の友人達には隠しきれなかった。
 ミーリィはことあるごとに自分は飲めないくせに酒に誘い、フェクィヴやアルヤはさりげなく仕事を手伝い、マリアはよく差し入れをしてくれる。彼らのわざとらしくもさりげない気遣いに感謝していた。良い友を持ったと。
「でも、兄さんの代わりをし続けるのもあと少し。我慢して」
「そう言われてもな……」
 そして恋人であるウォルター。リュイがここまで保ったのは彼の存在あってこそ、と思う。こうやって面と向かって言葉を交わすことは少ないが、いつも影ながら支えてくれる掛け替えのない存在だ。
 ちなみに。ウォルターはヒルクのことが苦手だったらしく、リュイの口調をことあるごとに注意するがリュイは軽く流してしまう。まあ、そのときだけは口調を改めるが。
「『塔』が完成したら元に戻るわ。それまでには肩の荷も降りるでしょうし」
「だといいがな」
 まったく信用してないと言う顔で酒を飲み干す。それがおかしくて思わず笑ってしまう。
「……まったく、さっさと完成してもらいたいものだ」


 調査隊帰還から一週間経ったその日。久々に六人揃って飲みに来ているわけだが。
「えうぅ〜……」
 珍しく泣き上戸なマリア。いつもなら陽気に酒を飲むのだが。
「まあ流石に帰ってきてから一週間でまた離れ離れじゃあ泣きたくもなるか。君も大変だね、アルヤ」
「はは……いや、僕ももう少しゆっくりしてたかったんだけどね……」
 この日は報告会議が行われたのだが、それが終わった後にアルヤに「天空都市との折衝役」と言う仕事が来た。しかもマリアの父親であるオルト・コルセット直々の依頼であった。依頼と言っても相手が『詠緑の民』代表家のコルセットとなれば、それは命令に等しい。当然アルヤが断れるはずもなく、決定となってしまった。そして、当然アルヤは上の階層に行くことになる。
「まるで単身赴任……同情するよ、アルヤ。いろいろな意味で」
「その同情が余計に痛いね」
 遠い目のアルヤ。このことについて、アルヤはフェクィヴを介してマリアに伝えた。直に伝えたらえらいことになると思ったからだ。ちなみにこれについてリュイは「良い判断だ」と言った。
「アルヤぁ……」
 テーブルの向こう側から、つまみやらを押しのけてマリアがアルヤにしがみつこうとするのをリュイが止める。相手が酔っぱらいと言っても流石に恥ずかしい。
「アレラと仲良くならないでね」
 妹に嫉妬してどうするよ。
「ダメよマリア。そんなこと言っちゃ」
「でもミーリィ……」
「アレラはアルヤの将来の義妹でしょうがぁ! それなりに仲良くなってないとダメでしょ!」
 フォローしてんだかしてないんだか、むしろマリアを励ましているのか……?
「酒が入っていないくせに酔っぱらってやがる……」
「……もしものときは頼むよ、ウォルター。今酒が入っていないのは君だけだ」
「俺に押しつけるな……チッ、どいつもこいつも酔っぱらいか……」
 飲み始めて既に一時間と三十分。人一人ができあがるには十分の時間かも知れない。
「アルヤ……」
 いつの間にやらフェクィヴとマリアの座っている場所が入れ替わっている。つまり、アルヤの隣。
「これ……持っていって……」
 そう言って差し出したのはロケット。中身は……絶対マリアの写真だ。
「ありがとう、マリア。大事にするよ」
「うん……」
 一言二言ですっかり二人の世界。
「あー、いつまでも初々しいわねー、まったく」
「……そう言えばアルヤ。これのことでも同情するよ。まあ、こっちは静かになって助かるんだけどね」
 これ、とはミーリィのことである。
「だいたいなんでアタシまで行かなきゃならないのよ。今更アタシの手伝いがいるとは思えないわ」
 そう。ミーリィも最上階層責任者である彼女の父の手伝いのために上に行くことになっている。まあ、ミーリィとアルヤとでは仕事内容が異なるので毎日顔を会わせるわけではないだろうが。
「ああ、確かに静かになるな」
「なによリュイまで! あんたの昔の恥ずか──」
 言いかけて、ミーリィが固まる。リュイの、前髪で隠れた瞳が暗く光る。
「その場合、お前の方が出血が激しいぞ……? 刺し違えることすらできない……」
「くっ……!」
 ミーリィが意味もなく怯む。リュイはくくくと怪しい笑い声を出している。
「あー、平和だねー」
「おじさーん、追加ー」
「ま、マリア、それ何杯目!?」
「んー……わかんない」
「……五杯目だろ」
「今日はよく保つもんねー。いつのも倍?」
「うふふふふふー♪」
 そして夜は更けていく……


「思うんだけど、僕が閑職に異動するのって後で重い仕事が来る前兆なんじゃないのかな」
 『天空都市』との折衝役と言っても、相手との話し合いは殆ど終わってるし、やることなんて無いに等しい。そのわりに『塔』内きっての閑職と言う内事情が知れてないのは何故だろうか。まあ、実際のところはアルヤが言う通り、重要な仕事の前後の準備職なのだ。
「私なんかずっといますけど、親善大使か何かのつもりなんでしょうかね」
 苦笑しながら応えるアレラは今年で十七歳になるそうだが、七歳からずっと二十階層で生活している。彼女が折衝役をやっているのは、都市の住人たちの受けがいいから、などと噂になっているがその真偽は……定かではない。
「しかし……今日で三日になるとは言え、仕事らしい仕事がないとはね……」
「そんなものですよ。もっとも、私はともかくアルヤさんほど有能ならここでも引く手数多のはず……なんですけどね」
 揃って苦笑する二人。
 ミーリィなんかは父の助手とかで忙殺されている最中だ。なのにこちらはのんびりとお茶をしている。おかしな話だ。アルヤとしては、少し仕事が恋しくなってきた感じだが……
「まあ、僕は調査とかが専門だからね。何か問題が起きない限り呼び出されないと思うよ。少なくともここでは」
「ここを歩き回るのも気が引けるでしょうし……とりあえずお呼びがかかるまで読書でもしていたらどうです? 私の部屋がこの階層の図書室みたいなものですし。でも実際のところはクローカさんのものが半分なんですけどね。て言うか元々クローカさんの書庫だった部屋を私が使わせてもらっているような感じですし。私が使うスペースが広くなかった関係でついでといわんばかりにここに本が集中しちゃったりしたんですけどね。あ、ここの本って都市の方の本もいくつかあるんですよ。あちらの言語で書かれているから何書いてあるかわかりにくいって言うのはありますけど、これでも会話はできるんですよ。まあ、会話ができなかったら折衝役なんて務まりませんから当然と言えば当然ですね」
 興奮気味に話すアレラを見ていると、会って間もないころのマリアの姿を思い出す。彼女も自分の好きなこととなると興奮して相手の返事を待たずによく喋ったものだ。まあ、すぐにリュイに止められていたが。
「ともかく、読みたい本があったら遠慮なく持っていってください。今日のところは……えーと……」
 アルヤが苦笑しているように見えたのか、アレラはすぐに話を止める。姉と比べるとやはり冷静らしい。そして、自分の寝床へ向かうとその周りに積まれた本の山を二つばかり崩しながら一冊の本を持って戻ってきた。
「これをどうぞ」
 アレラが机に置いた本は、白い革製で装丁されており表紙にあるのは『英雄譚』と簡素にあるだけだ。厚みはあまりないようで、英雄譚と言っても複数名のものではなく一人のもののようだ。頁を何枚かめくってみて、アルヤはふと指を止める。
「これは……誰の話なんだ?」
 普通この手の物語は主役となる英雄の名が出るものだ。しかしこの本にはそれらしい名前はない。『彼』と言う代名詞だけだ。
「あ、それクローカさんに聞いたんですけど誰かさっぱりわからないそうです」
「創作かも知れない……でも存在しない英雄譚か。面白そうだ」
「存在しないって、何か酷くないですか。でもそれ、気に入ってるです。あとで感想下さいね」 「わかった」
 本を受け取ると、それをポケットにしまう。サイズも携帯向けらしい。
「……ん、そろそろ戻るよ。読書の途中だったんだろ?」
「ええまあ。でも楽しかったからいいです。人と話したのって久しぶりでしたから」
 確かにここでは彼女と同年代の人間はいない。どうやらさっき興奮していたのはそういう理由でもあるらしい。
「僕で良ければいつでも」
「それを読み終わったらお願いします。さすがに姉さんに妬かれたくないですから」
 冗談めかして、アレラは微笑んだ。


 それから数日後。読み終わった本をアレラに返そうと彼女の部屋へ向かっている途中、アルヤの耳にそれが止まった。
「歌……?」
 聞き覚えのない曲だ。しかし心の奥底に響く音色。それに惹かれ、その歌い手に会ってみたいと思った。
 辺りを歩いてみると、上へ繋がっている梯子があった。どうやら屋上に出るためのものらしい。それを昇ってみると、はたして。


 吹き抜ける風。
 全面に広がる空。
 宙に漂う無数の建築物。
 そこに響き渡る美しき音色。
 幽世より生還した王の物語。
 風に揺れる青く長い髪。
 それに傅くようにある鳥たち。


「…………」
 声が出ない。その幻想的で懐かしい光景に、ただ圧倒されてアルヤはそこに立ち尽くす。
 やがて。歌が終わると後ろから拍手が聞こえてきた。振り返ると。
「ミーリィ?」
「あんたもそーとーあの子の歌に魅入られちゃってたわね。アタシ、声かけてたんだけど」
 気怠そうに言うと、ミーリィは二人から離れたところにいる歌い手に手招きする。ほどなく歌い手はアルヤの前まで来ると丁寧な動作でお辞儀をする。
「彼女無口な質だからアタシが紹介するわよ。ミュルヘル現当主の妹の、ルナ・ミュルヘル」
「……アルヤ・ルーチンと言います。よろしく、ルナ」
 そう言って握手を求めると、ルナは僅かに微笑んだようにしてアルヤの手を握り返した。
「いきなり呼び捨てなんて慣れ慣れしいわね。マリアのときはそんなんじゃなかったと思うけど? そういやアレラとも仲いいそうじゃない。なに、三股?」
「違うって……」
 否定はしたが、確かにアルヤとしてはおかしな行動だ。彼はそれなりに親しくなるか本人の許可が得られない限り呼び捨てでは名前を呼ばない。なのにルナにはそうしてしまった。何故、だろうか。
「あー……ところでミーリィ、君は休憩?」
「そうだけど、話を逸らそうとしないの。アタシがつまらないじゃないの」
 なんともらしい台詞だがそれは無視することにして、ルナに話しかけることにした。
「君はいつもここで歌を?」
 こくり、と頷く。
「今日は、もう一つだけ歌うから」
 そう言うと、ルナはさっきと同じ場所へ小走りに向かう。どうやら、聞いて行けと言うことらしい。アルヤはその辺に座ると、ルナが歌い始めた。




 背中合わせの、決して互いの顔を見ることのない恋人の物語を。






あとがき
 というわけで……またも間が空きましたが番外編第二回、Aパートでした。
 読んでる方はAパートってなんやねんとか思ってることでしょうが、途中まで書いてたらえらく長くなりそうだったんで日常編と崩壊編を分けたわけです。
 何故か多い第三回と良い勝負の量でまだ五合目っていったい……
 えー、というわけでBパートの『バベル事件』へ続きます。
 ……あ、これでも謎が全部出ない!(オイ)


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