「僕等は勝ったのでも、負けたのでもない」
 彼はそう言った。
 大地の奥深く、世界の中心で。
 辿り着いた六人は世界を喰う暴威を屠った。
 守るべきモノを守るために。かけがえのないモノを取り戻すために。
 長い長い戦いの果てに、彼等は平和を勝ち取った。

 ――誰よりもそれを願った、兄妹の未来を閉ざして。

「ただ――終わったんだ」
 彼はそう言った。
 俯く五人は何も答えなかった。
 きっとそれは、誰もが気付いていた事。
 けれど、受け入れたくなかった事実。
 本来ここにいるはずだった二人の兄妹を幻視する。
 二人を掴むはずだったその手を不意に伸ばしかけ、彼は顔を歪めた。
(僕のこの手は……何も掴む事ができなかった)
 いつか、近くて遠い世界で交わした約束があった。
 この身に宿したこの力は、けれどその約束を果たす事無く。
 二人の未来を閉ざす焔となって焼き尽くしただけだった。
(この力は――大切なモノを滅ぼす事しかできないのか)
『当然だろう。何故なら我等の力はそのためのモノなのだから』
「――ッ!?」

 声が響く。
 彼は周りを見渡すが、共に歩く五人は声に気付いた様子もない。
『終わった、と言ったか? いいや、お前は気付いているはずだ。それを受け入れようとしていないだけだ』
 一番近くにいた巨躯の男が、彼の仕草に気付いて声をかけようとしたが、それよりも早く。
『これからが始まり――否、それは遥かな過去より始まっている』
 光が弾ける。力が弾ける。
 導かれるように彼の身体が光に包まれ、やがて光は世界を灼く緋色に変貌する――


『そう、何一つとして、終わってなどいない――!!』







クリムゾンナイト
Abysmal Vermilion

――1――





「う……こ…ここは………?」
 気が付くとアシュレーは見知らぬ場所にいた。
 荒れた大地、周りに広がる星々。どこか遠いようでいて、どこか懐かしさを覚えるような感覚。
「星の…海……? ――――!?」
 辺りを見回しながらアシュレーは呟き、そして大きな存在感を感じ後ろを振り向いた。
 そこには、大地に突き立った一振りの剣。彼はそれに見覚えがあった。
「アガート…ラーム? という事はここは……」
―――そう、ここはアシュレー・ウィンチェスターの内的宇宙。…つまりお前の中だよ』
「!! 誰だッ!!」
 剣を挟んで反対側から声が響く。
 鮮やかな輝きを保つ白銀の剣の向こう、何もないはずの空間に、小さな焔が揺らめいた。
『誰だ、とはひどいな……今までずっと共にいた仲ではないか』
 焔がゆらりと揺れる。
 掌に収まる程度だったその焔は次第に勢いを増し、人型大にまで大きく膨れ上がった。
 焔の人型から発せられる例えようもない気配と、身体の裡に湧き上がる嫌悪感にアシュレーは顔を歪め、"ソレ"に応える。
 ――震える唇で、"ソレ"の名を絞り出した。
「ロード、ブレイザー……!!」
 戦いの中で自然と身についた癖か、知らず彼の手は腰に伸びていた。指に感じるのは扱いなれた銃剣の手触り。内的宇宙であっても、長い戦いを共にしてきた銃剣はイメージとして彼自身と共に現出しているらしかった。
 しかし目の前の焔はアシュレーの戦意に反応する事はしない。それどころか――何故か、アシュレーが感じていた不快感も僅かに薄れていた。
『まあそう構えるな。今日は挨拶をしにきただけだからな』
「なん…だと!? どういう事だッ!!」
 唸るようなアシュレーの声に、しかしロードブレイザーは動ずる事もなくその場に佇んでいる。
『これまでの戦いで使い続け、我そのものに近付いていったお前の力。このままお前の中で降臨するのも良いかと思っていたが……その必要がなくなった』
 そう言いながらロードブレイザーはゆらりと動く。腕を象った焔がアシュレーとロードブレイザーに挟まれた剣――アガートラームに伸びる。
「どういう、事だ……」
 ロードブレイザーの意図が掴めない――いや、意図というより、ロードブレイザーそのものが、掴めない。
 これまでアシュレーが感じていた『焔の災厄』と、目の前にいる『ロードブレイザー』に形容できない違和感があるのだ。
 目の前にいるモノは間違いなく古の魔神、かつて世界を焔に染め星を滅ぼさんとした災厄だ。それは彼の力を継いだアシュレー自身が一番わかっている。
 しかし、何かが"違う"。
「ロードブレイザー……お前は――」
『どういう事、もあるまい』
「―――ッ!?」
 アシュレーが問いかけようとした刹那、焔が燃え上がる。これまでの静謐な揺らめきであった焔は激しさを増し、アシュレーの身体を灼かんばかりに燃え上がる。
『我は復活を果たす。そして世界を再び焔に染め、世界を滅ぼす。それ以外に何か意味があるのか?』
 嗤い声が聞こえる。収まっていた不快感が胸を抉る。目の前にいるのは、紛う事無く『焔の災厄』そのものなのだ。
 ならばここにおいてアシュレーの取る行動は、一つだけだった。
「――だったら、僕がここにいる意味も、一つだ。復活などさせはしない。今、ここで、お前を倒してみせるッ!」
 灼熱の威圧感の中、アシュレーは一歩足を進める。更に苛烈になる熱気を、それでも足を止めず彼は前に踏み出し、そして目の前にある白銀の剣――アガートラームへと手を伸ばした。
 ガーディアンブレードを挟んで互いに手を伸ばした二人。
 それはまるで鏡像のようだった。
『抜けるのか、お前に? 我と聖女の力を借りてようやく抜く事ができたこの剣を、今のお前が抜く事ができるのか?』
「―――」

 ――抜ける。
 アシュレーはそう確信している。
 『アガートラーム』は想いを束ねる剣。
 それは『英雄』一人で振るわれるものではない。
 この星に生きる多くの命、それと同じ数だけ行き交う様々な想い。
 世界を支える力は、生きる総ての命の力。
 誰もが心を一つにして立ち上がる事ができたなら、
 『英雄』に縋らなくても世界を支えていける。
 白銀に輝く『想いの聖剣』。
 『アガートラーム』は英雄一人の力で抜くものではない――!

 力を込める。
 想いを込める。
 これまでの道のり。出会った人々。
 彼等総ての思いを込めて――



「―――ッッ」



 ―――その聖剣は、まるで彼の思いを拒むかのように微動だにしなかった。
「………な、んで」
『――わからぬか』
「!」
 身体に激痛が走る。
 呆然としていた事もあったのだろう、アシュレーは吹き飛んで大地に倒れこむまでロードブレイザーの焔を受けた事に気付かなかった。
「ぐ、がっ……!」
 心までも灼かれる一撃に、しかしそれ以上に剣を抜けなかった事実にアシュレーは拳を握る。
 自分が間違っているとは思っていない。それこそが真実だと信じている。
 なのに何故――!
『……ここはお前の内的宇宙、そして我はお前自身。お前の信じたモノ、お前の『想い』は我にも響いた』
「…………ッ」
 歯を食いしばって顔を上げる。動かない身体を引き摺って、身を起こす。
 視線の先には、ゆらゆらと焔を纏う魔神の姿。
『だが、"お前"にはこの剣は抜けない。他の誰であっても抜く事は適わない。
 何故なら"この剣"は。『このアガートラーム』は――『聖女のための剣』だからだ』
「聖女のための……ッ!?」
 アシュレーの呻きにも似た声に応える事無く、ロードブレイザーはゆっくりと剣を取った。
 奇しくも彼が己をアシュレー自身と言ったように、彼と同じく。
「ロード、ブレイザー……」
『この剣に込められている"想い"は、お前達のものではない』
「……な」

 力を込める。
 想いを込める。
 魔神が宿す想いとは如何なるモノか。
 それは彼自身でもあるアシュレーすらわからない。

『――この剣を抜けるのは世界で唯一人』

 ロードブレイザーが纏っていた焔が光に包まれ消えていく。
 朧だった姿が次第に明確な形となる。
 それは流れるような青色の髪と、燃えるような紅玉の瞳。
 それは清浄な気配を漂わせながらも、まるで死装束を思わせる衣服。
「な……ッ!!!」

『このアガートラームを抜けるのは、世界に選ばれた唯一人の『聖女』――」

 アシュレーはその『聖女』をよく知っていた。一時だが供に行動し、自分にその素顔を少しみせてくれた『英雄』。
 動けないアシュレーが凝視する"彼女"の瞳は、以前と変わらない意思の光が見える。
 けれどその輝きは、強く、強く――何よりも哀しい。
「そんな…どう、してッ!!」
 アシュレーが訴えるように声を漏らす。
 "彼女"は一瞬だけアシュレーを見やると、すぐに視線を外し瞑目した。
 そして"彼女"は目を開き、手にした『アガートラーム』に力を込める。



「……これを抜く事ができるのは――"私"だけ」



 赤い光が"彼女"から迸る。
 世界が赤に染め上げられ、アシュレーの視界から総てが消えていく。
 彼女の姿が、消えていく。
「待ってくれ…!! なんで、どうして――ッ!! どういう事なんだ! ロードブレイザーッ!! ア――」
 彼の叫びが。彼の呼ぶその名が。
 形になるよりも早く、彼の世界は消え去った。



 

 

… … …



 

 

「アシュレー…目を―――目をさましてよ……アシュレーッ!!」
 リルカが必死に呼びかけるが、アシュレーは目覚めない。
 今、彼はブラッドに抱えられていた。この状態のアシュレーを守るには彼が最適だった。
 予断を許さぬこの状況から…。
「やはり…間違いなさそうだな……」
 カノンが硬い声色で呟いた。鞘から抜き去られた短剣を握り締める拳が、場の緊張がありありと示している。
「…たとえ何百年経とうともあの凶々しい気は忘れられぬ…!」
 舌打ちと共にマリアベルは同調し、忌々しげな表情で"ソレ"を睨み付けた。
 ブラッドに支えられたアシュレー、そしてその回りを囲う四人の前に――巨大な炎がゆらめいていた。
 カイバーベルトを討ち果たした後、帰途についたその最中で――唐突にアシュレーから放たれた赤い光は、間をおかず周囲に炎を吐き散らした。
 炎は一瞬アシュレーの身体を包み込んだかと思うと、すぐに彼を弾き出して収縮を始めた。
 人型を思わせるその焔の揺らめきは、何者かを育む胎動に似ている。
「しかし……あれから変化がないとはどういうことだ?」
「分からぬ……じゃが……」
「う…あッ」
 ブラッドの腕の中でアシュレーが呻く。どうやら気がついたらしい。
「アシュレーさん!」
「アシュレー! しっかりしてッ!」
 駆け寄ろうとしたリルカとティムを手で制し、ブラッドはアシュレーの顔を覗き込んだ。まだ意識が完全に覚醒していないのか、その瞳はどこか胡乱気で視線が泳いでいる。
「……無事か? 今の状況がわかるか?」
 ブラッドが緊張した面持ちでアシュレーに言う。
 アシュレーは数瞬思考を彷徨わせる様に沈黙した後、不意に大きく目を見開いて身を起こした。
 アシュレーのそれよりも幾回りも大きいブラッドの腕を掴み、彼に詰め寄る。
「ヤツはッ!? ロードブレイザーはッ!?」
「落ち着け! アシュレー!」
「アイツは復活を果たすと言っていた! でも、なんで――!」
「落ち着くんだ! 状況を――」
 ブラッドが呼びかけた、その時。


―――――ドクンッ―――――



「何ッ!?」
 大気が震える。
 炎が震える。
 大気が灼ける。
 焔が灼ける。
 六人の前に漂う焔が存在感と威圧感を増大させる。
 それはまるで世界総てを焼き尽くさんとするように。
「力が顕在化する……昏き焔が形と成って現出する……ッ!」
「アシュレーが目覚めるのを待っていた、のか……!?」

 

 焔の中から白き光が漏れる。
 その内側から切り裂くように――その裡側から産まれるように、白銀の切っ先が焔から伸びる。

 

「なん……だと…?」
 ブラッドは警戒を解かず、しかし動揺を隠し切れない声を漏らした。
「……あれは……?」
「どういう、こと…?」
 ティムとリルカは状況がのみこめない。武器を構える事さえせず、ただ呆然と産まれる『剣』を見やっている。

 

 白銀の剣がその全容を現す。ひと一人とほぼ同等の大きさを持つ大剣。
 燐光を放つその気配は、焔の破壊の相とはまるで対照的。

 

「そんな…バカな……ッ!! あの剣……何故!?」
 震える身体を押さえ付け、うめくカノン。彼女の右目に写るのは、彼女を縛る鎖に他なからなかった。

 

 白銀の剣は白磁の腕によって支えられていた。
 おおよそその大剣を所持するには相応しくない細腕。けれど剣は重みをなくしているかのようにその腕に収まり、振るわれるべき主に従っている。
 大剣の放つ燐光が焔を祓う。
 いや――祓うのではない。燐光が紅く変色しているのだ。
 紅に染まっていく光の粒子の中心、まるで焔に守られるように浮かぶ女性の姿。

 

「なぜじゃ……? なぜ…お主が……?」
 ただ呆然として少女は呟く。
 数百年の時を経て再会を果たした友の姿は、最期に見た時と些かも変わりなく。
 それが故に。
 少女にとって"彼女"の姿はあまりにも残酷だった。

 

 流れる髪の青色と、身に纏う聖衣の白色と、彼女を守る燐光の焔色。
 その姿はあまりにも幻想的だった。

 

 アシュレーは歯を食いしばり、ブラッドの手から離れ立ち上がった。
 傍に置かれていた銃剣を構え、握り締める。
 そこに現れた『事実』を知るのは彼唯一人であり、そして彼はそれを理解しながら、それを受け入れられないでいる。

 

 ――そうして、『聖女』は永き時の果てにこの世界に降り立った。

 

 


―――かつて、ファルガイアを焔の朱に染めた災厄があったという

地より伸びた焔は、天を焦がし

星の未来すら焼き尽くさんと渦を巻く



存亡の危機にさらされる人々がすがった

たったひとつの可能性、『剣の聖女』



名も無き下級貴族の娘として生まれた彼女は

ガーディアンブレード『アガートラーム』の呼び声に導かれ


立ち上がるすべもなかった人々は

聖女の剣のひとふりに希望を託し、未来を信じる



剣を手にして7日目の夜――――

光の奔流にのみこまれ、すべての焔の災厄とともに

聖女はファルガイアから消滅する

大地に深く突き立った

『アガートラーム』を残して……





その剣を掲げ、己が身を賭して災厄を退け世界を救った聖女

その名を――――


 

「アナスタシア……!!」

 ―――名を、アナスタシアと云った。






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