最初に目を覚ましたのは、リルカだった。
彼女は少しの間状況を思い出せずぼんやりとしていたが、頭が覚醒すると同時に周囲を見渡した。
その時立てた音に反応したのか、次にティムが目を覚ます。自分達以外に誰の姿もない事を確認すると、二人は傍で意識を失っている三人を介抱し始めた。
――マリアベルの姿がない事に気付いたのは、その時だった。
丁度その時に目覚めたブラッドと共にティムは周囲を捜索する。
しかし彼女の姿を見つけられず、リルカの下に戻った時にはカノンも目覚めていた。
リルカから目覚めた時の状況を聞いたブラッドは、五人が応急処置を施されていた事からマリアベルは無事であり、彼女が彼等を置いてどこかに行ってしまったのも何か事情があったのだろう、と推測した。
全員が『災厄』を前に意識を失いながら、なお生き残っている今の状況が不可解ではあったが、このままここにいても仕方がないのでブラッド達は地上に戻る結論を下す。
アシュレーが目を覚ましたのは、背塔螺旋の最上部……地上までほんの僅かな距離まで戻った時だった。
ブラッドに肩を借りながら、アシュレー達は地上へと向かう。
扉の奥から光が差し込んでいた。
地上へと至り、五人は眩しさに目を細める。
そこにあったのは、蒼穹の空。
どこまでも透き通る青色と、降り注ぐ柔らかな日差し。
共にあった時には意識する事もなかったが、なくなって始めて気付いた大切なモノ。
――そして、アシュレー達はようやく思い出した。
自分達が世界に空を取り戻した事を。
クリムゾンナイト
Abysmal Vermilion
――4――
「ヴァレリア卿に関する報告は既に受けている。そして諸君等の取った行動とその結果は――聞くまでもなく、我々の見上げる空が物語ってくれている」
メリアブール城、玉座の間。
背塔螺旋を出たアシュレー達は重い身体を引き摺りつつ、まず今回の顛末を報告するためにそこに赴いていた。
メリアブール王は玉座に座し、瞑目したままアシュレーの報告を聞くと、そんな言葉を返したのである。
「手段はどうあれ、異世界の脅威が去ったのは間違いなかろう。……だが、このファルガイアが晒されている脅威はまだ存在する、と。そういう事だな?」
「……、……はい」
アシュレーは顔を俯けて答える。
実の所、アシュレー自身は未だに『脅威』を敵として捉える事ができずにいた。しかし現実として、その『脅威』――『剣の聖女』は世界を滅ぼさんとする者に囚われているのだ。
「伝承から蘇った災厄か……各国には伝達しておこう。ただし、『聖女』の事は一般には伏せておく。言った所で無用な混乱を招くだけだからな」
「…………」
「カイバーベルトから引き続きですまないが、君達は『災厄』に立ち向かって欲しい。無論、バックアップはシャトーと共に我々も全力で行う。ARMSの全権はヴァレリア卿に代わり君達が――」
「……それだけ、ですか」
「―――」
アシュレーは堪えきれず、唸るように声を出した。
周りにいた四人は思わずアシュレーに目を向け、メリアブール王は少しだけ目を細めて、俯いたアシュレーを見やった。
「……それだけ、とは」
「ヴァレリア――アーヴィング達に対する言葉は、それだけなのですか」
「………」
アシュレーは拳を握り締める。
世界に対する災厄が去った訳ではない。それはわかっている。
けれど彼には納得できなかった。
目の前に危機があるからといって、それまで一緒に戦ってきた仲間に対して、危機を退けるために命を捧げた仲間に対して、まるでそんな彼等の存在がなかった事のように話す目の前の王。
犠牲のない世界を目指して歩いてきた。
そのために戦ってきたはずだった。
けれど現実には、アーヴィングとアルテイシアという犠牲を作ってしか、世界を救う事はできなかった。
それを悼む事もなく、まるで犠牲の上に成り立つ世界を受け入れるかのようなその口振りに、アシュレーは歯噛みする。
――まるで、自分をみているようだ。
「アシュレー・ウィンチェスター」
「………」
メリアブール王は静かに言葉を紡いだ。
顔を上げないアシュレーに対して怒りを見せるでもなく、王を言葉を繋げる。
「亡くなった者を悼んでいれば、今そこにある災厄が消えてなくなってくれるのかね?」
「……!」
「そうであるならいくらでも悼みの言葉を紡ぎ、悔恨の涙も流そう。だが、そんな事をしても災厄は消えはしない」
「――ッ。それは……」
「卿の取った手段は確かに褒められる事ではない。むしろある意味では非道とも言えよう。だが、卿の抱いていた想いは誰よりも純粋で、美しいものだ」
――皆が生きるこの世界。ファルガイアを守りたい。
眩しすぎる夢を盲目なまでに抱きしめた彼は、例え世界に生きる者達に疎まれたとしても、その夢を果たそうとしていた。
「卿の願いはファルガイアの平和なのだ。なればこそ、今は彼を悼む時ではない。災厄の暗雲を振り払う事こそが卿の捧げた命に対する最大の弔いとなろう」
「―――申し訳ありません。ぼ……私の浅慮がすぎました」
「よい。こんな賢しらな口が叩けるのも、君達のように直接彼の最期を体験してないからこそだからな」
ようやく顔を上げたアシュレーに、王は自嘲じみた笑みを浮かべてそう言った。
王はすぐに表情を引き締め、玉座から立ち上がる。
そしてアシュレー達の目の前まで歩み寄ると、彼の手を取って静かに頭を垂れた。
王、と血相を変えて叫ぶ側近に耳を傾ける事もなく、王は静かに口を開いた。
「我々には君達を頼る他にできる術がない。この世界に生きる者達の力として――総ての人々の『腕 』として、世界を救って欲しい」
「……僕達は『英雄』ではありません。けれど、僕達には力がある。力のない皆を守る力が。みんながそう望むなら、僕たちはそのために力を振るいます。僕達は、そのための『ARMS』です」
… … …
城を辞した五人は次いでヴァレリアシャトーに帰還した。
主だったクルーを集めて、会議室で顛末を報告する。
集められた時に見た五人の表情でおおよその事情は察したのだろう、クルー達の反応は一様に沈んでいたが、見た目には取り乱す事はなかった。
「……ここからいなくなっちまった時点で、こうなるのはなんとなくわかってたんだ。あの人は、誰にも止められない想いをいつも抱えてた人だからな」
沈黙の中で、そんな言葉を漏らしたのはシャトーの操舵士のエルウィンである。彼は口の中で何事かを呟いてから、小さく頭を振ってからアシュレー達を見やった。
「それで、まだその復活した『焔の災厄』がどこかに潜んでるんだろ? これからはその『焔の災厄』への対策を練るって事でいいのか?」
「あ、ああ……そうなる、んだけど」
意外なほどにあっさりとした反応にアシュレーは一瞬狼狽し、言葉を詰まらせる。そんな彼の様子を見たエルウィンは苦笑を浮かばせて、
「司令が命を張ってまで守ってくれた世界なんだ。まだエンドマークもついてないのに、ここでヘコんでちゃ顔向けできないからな」
「………。エルウィンは強いんだな……いや、僕がダメなのか」
「……?」
「王も君と同じ事を言っていた……僕は結局、アーヴィングの事を、彼の思いを理解しちゃいなかったんだ」
「………」
沈み込むアシュレーにエルウィンは一つ息をつき、軽く頭をかいた。
「まあ、俺等は後方支援でいつも司令と一緒にいたし。シャトーでの付き合いもそっちよりほんの少し長かったからな。ちょっとした役得さ」
髪をかき上げると彼は手を下ろし、表情を引き締めてからアシュレー達を見つめた。
「俺の立場で言うのもなんだが、今後の方策に提案がある」
「……? 何か策が……?」
これこそ意外な発言に、アシュレーは思わず身を乗り出してエルウィンを見返した。
彼は一度だけ瞑目すると、表情を変えないまま、
「――休暇が欲しい」
「――え?」
そんな事を言った。
呆気にとられたアシュレーにエルウィンは腕を組みながら口を開く。
「カイバーベルト戦が終わったばかりで、そっちもかなり疲れてるだろ? それに、単純に比較はできないが俺等だって下準備やら何やらでトラペゾヘドロンの作戦からこっちまともに休んでないんだ。何より――」
言ってエルウィンは僅かに視線をアシュレー達から外した。何気ない仕草であったが、それに気付いたアシュレーは彼の視線を追い――息を詰まらせた。
エルウィンの見やった先にはケイトとエイミーの姿がある。
彼女達は普段の姿からは想像も出来ないほどに、消沈している。殊にケイトは今にも倒れてしまいそうなほど、顔を青くしていた。
「――俺みたいに軽い奴はいいが、色々整理しなきゃ何もできない。……時間、くれないか」
「……わかった。皆、すまない……」
アシュレーは搾り出すように言葉を紡いだ。
先程のエルウィンの言葉を思い出す。後方支援であるが故に、実働部隊として各地を回っていたアシュレー達よりもアーヴィングと接していた時間が長いクルー達。
メリアブール王とは逆に、彼等はアーヴィング達の最期を看とれなかったからこそアシュレー達よりも深い悲しみを持っているはずなのだ。
そこに思い至らなかったアシュレーは後悔に唇を噛む。
それまで背後に控えていたブラッドはアシュレーの代わりに前に進み出て、周囲を見渡しながら口を開いた。
「……では、今日はこれで解散しよう。明日――いや、明後日までは休養だ。『災厄』の件に関しては考えなくていい」
その言葉を待っていたのか、あるいは耐えられなくなったのか――ブラッドが言葉を切る前にケイトが走り出し、会議室から出て行った。エイミーは一瞬だけ迷うような仕草を見せたが、ブラッドが彼女に向かって頷くのを見て取ると軽く会釈だけして会議室を後にした。
通信士の二人が姿を消した後、ブラッドは低い声で言葉を繋いだ。
「――もしこのまま続ける事ができないようなら、シャトーを下りても構わない。闘えない者が不要な訳ではない。闘う事ができなくとも――共に想いを紡ぐ事はできるのだから」
ブラッドが言葉を締めると、集められたクルー達は散り散りに会議室を後にしていく。俯いたまま口を開かず去っていく者、周りの人間と何事かを囁きながら歩いていく者、事実を把握したくないのか、どこか呆然として立ち去る者……それは先に立って導く者を失った事実を、端的に表しているようだった。
最後にエルウィンが軽く手を掲げて会議室を後にすると、残ったのは実働部隊の五人だけになった。
それを見計らってか、入り口近くで壁に背を預けていたカノンがゆっくりと動き、椅子に座って沈黙を保ったままのリルカとティムの肩に軽く手を添えた。
「……お前達ももう休め」
「……ッ!?」
びくん、とリルカの体が大きく震え、慌てた様子でカノンを振り返った。戻って来た事で糸が切れたのだろう、疲労をありありと見せた顔で、それでも彼女は無理をしたような声で言った。
「わ、私はへいき、へっちゃらだよ」
「そういう台詞はせめて顔だけも平静を装って言う事だな」
「あ、う……」
思わず顔に手を添えてリルカは呻く。彼女は顔を俯かせて、先程とはうってかわって暗澹とした調子で口を開いた。
「でも、マリアベルがいないのに……」
「無理をして調子を崩せば、探す事もできなくなるだろう。そもそも、シャトーの援護がなければ、あたし達だけでどう動いてもたかが知れている」
「………」
何も言い返す事ができずにリルカが黙り込むと、ティムの肩で止まっていたプーカも彼を見やり口を開いた。
「ティムも休んだ方がいいのダ。地核のグラブ・ル・ガブルとロードブレイザーの力にあてられて相当疲弊しているはずだから」
「う、うん……」
力なくティムはうなだれる。彼はリルカよりも更に疲労の色が濃く、顔色が真っ青になっていた。地核での道中はどうにか顔には出さなかったものの、この世界の力を直接感じやすいティムにとって、その世界の中心へ向かう行為は他の者よりも負担が大きかったのである。
「リルカさん、行きましょう」
「……うん」
ふらふらと立ち上がったティムに続く形でリルカが椅子から立ち上がる。と、
「あ、あれ?」
膝が唐突に折れて、彼女は大きく体勢を崩した。
床に倒れこみそうになった所でカノンに支えられて、リルカは彼女にしがみ付くような形でその場に尻餅をつく。
「変だな……力、入んない……」
「………」
カノンが一つ溜息をつく。しかしそれはどこか穏やかな表情で、彼女は手を引く形でリルカを立ち上がらせた。
「……行くぞ」
「え……あ、うん……」
カノンに付き添われてリルカが会議室を後にする。二人に続いてティムも部屋を辞し、そして会議室に残ったのはブラッドとアシュレーだけになった。
「――お前はどうする?」
「え?」
「タウンメリアに戻るか? 彼女も待っているだろう」
「―――」
不意にかけられたブラッドの声に、アシュレーは思わず言葉を呑みこんだ。
彼は答えを探すかのように視線を彷徨わせた後、最後に自らの手――僅かに震えていた――を見やってから、改めてブラッドに向き直った。
「いや、今日はここで休むよ。ここだけの話、僕もかなり参ってるから」
「……そうか」
アシュレーは珍しく弱音を吐いて見せた。周りに誰かがいる時は口にする事などないのだが、気の置けない仲間の中でもブラッドだけはアシュレーにとっては特別なのだ。
元英雄や仲間などの事情とは別として、一人の人間として年長である彼に、アシュレーは他の者たちにはない憧憬と信頼を置いている。
「さっきのカノンじゃないけど、調子を取り戻しておかなきゃ何もできない。何も――できなかった」
ブラッドに向けてではなく、自分に向けてアシュレーは言う。
彼は再び自分の手に視線を落とし、そしてその手を握り締めた。
「……じゃあ、行くよ。ブラッドもちゃんと休んでおいてくれ」
「………ああ」
そう言い残して足早に去っていくアシュレーの後姿を、ブラッドは深い目で見続けていた。
… … …
アシュレー達に割り当てられた私室はシャトーの二階にある。
エレベーターから降りて真っ直ぐに進めば、そのすぐ両脇には六人の部屋の扉が一望できる。
アシュレーはエレベーターを降りると――周りに誰もいない事を確認し、脇の廊下を歩いていった。
彼が進んだ先とその反対方向には、客分用の部屋がある。
一時期は密航同然で乗り込んだトニーや、オデッサの襲撃の際に保護されたバスカーの民、マリナなどが利用していた事もあったが、今は誰にも使われておらず、空き部屋になっていた。
音を立てないように扉を開くと、アシュレーは部屋の中に身体を滑り込ませる。当然ながら誰もいないという事に彼は安堵の息をつくと、不意に顔を歪めて近くの壁に身を寄せた。
「……く、ぅ」
小さく声を漏らして、自分の腕を掴む。
傍目で見てもそれと判るほどに震えている腕を、押さえつける。
(なんなんだ、これは……)
――始めはほんの小さな違和感だった。
ロードブレイザーとの戦いで意識を失い、そして次に目覚めた時から、身体の奥に感じた得体の知れないモノ。
――彼は、それが何なのか、直感で理解していた。
「ぐ……ッ」
全身を強張らせ、壁に身体を押し付けたままずるずると崩れ落ちる。
――身体が熱い。まるで灼けているようだ。
それは彼がよく知る力だった。
かつて彼が手にし、そして振るってきた力。
――それは災厄の力。総てを灼きつくす焔の力。
身体の裡にある焔が全身を覆っている。
目に見えない力は、まるで血液のように彼の身体を駆け巡り、そして出口を求め彷徨い渦巻いている。
(アガートラームがなくなって、暴走しているのか――)
いつかアーヴィングやカノンが言っていた。
自分の裡に宿った力は、アシュレー・ウィンチェスターの意思と災厄の力、そしてアガートラームの力のせめぎ合いの中で成立している、と。
ならばアナスタシアと共にアガートラームが彼の身体から抜け出た今、その拮抗状態は崩壊した事になる。
大本であるロードブレイザーもいなくなっているとはいえ、そもそもの話災厄の力はヒトの身にあまる代物なのだ。
「は―――」
ごつり、と壁に頭を打ち付ける。
しかし身体を駆け巡る灼熱はなお勢いを増し、アシュレーの頭の中、脳髄に突き刺さるような痛みを与えてくる。
もう一度頭を打ち付ける。最初よりも強く。
けれど頭の中の痛みは消えない。身体の灼熱も消えない。
悲鳴を上げそうになる唇を懸命に結びつけ、アシュレーは歯を食いしばる。
(く、そ……ッ)
身体が震える。駆け巡る熱さは灼熱を通り越して寒さにさえ感じる。
震えているのは熱さからか、寒さからか。
耐えているのは苦痛からか、裡より湧き上がる破壊の衝動からか。
「違う――僕は……ッッ!?」
堪えきれずに叫びそうになった途端、アシュレーの身体が誰かに持ち上げられた。
驚いて後ろを振り返ると――そこには、鋭い目つきでアシュレーを見据える巨躯の男の姿があった。
「ブラ、ッド」
「あまり一人で抱え込むな。ロードブレイザーの事で一番影響を受けてるのはお前なんだからな」
「………」
ブラッドの言葉に、アシュレーは急に力が抜けたような気がしてその場に崩れ落ちた。意識を失ったわけでもなく、身体の痛みが納まったわけでもなかったが、アシュレーの心の中に小さな安堵感が生まれていた。
「医務室に行くぞ。いいな」
「………」
アシュレーに肩を貸しながらブラッドが言うと、アシュレーは口にはせずに小さく頷いた。
医務室につくとアシュレーはすぐにベッドに寝かされる事になった。
身に渦巻く力が落ち着いた訳ではないが、ベッドに横になるとほんの少しだけ楽になったような気がする。
奥まった場所にある机の傍で、ブラッドが衛生士のリンダやモモと何事かを話しているのが見えたが、何を話しているのか聞く気にもなれなかった。
モモが眉を怪訝そうに寄せてアシュレーを見やり、そして棚の中から薬と注射を取り出してアシュレーに歩み寄った。
「鎮静剤と栄養剤です。あんまり無理しないで、今度は早めに来てね」
腕に針を刺しながらモモは言った。注射の針の痛みは全く感じなかったが、錠剤と共に手渡された水は驚くほど冷たかった。
薬と一緒に水を飲み込むと、アシュレーは大きな息をついてベッドに深く沈みこむ。鎮痛剤が効いてきたのか、身体の痛みと熱がほんの少しだけ収まったような気がした。
「落ち着いたか」
様子を見守っていたブラッドが隣の空きベッドに腰を下ろして口を開く。
「ああ……どうにか。すまない、迷惑をかけて」
「それは構わないが……やはりロードブレイザーがお前から抜け出た影響なのか?」
「――多分」
ここでようやくアシュレーは、ブラッドが気を失ってからの戦いについて詳しく説明をし始めた。
その後なす術もなくカノン・リルカ・ティムが倒されてしまった事。
リルカの魔法でかろうじて回復したが、それでもロードブレイザーには敵わなかった事。
そして――力を総て失ったはずのアシュレーが、アクセスを果たしナイトブレイザーに転変した事。
「……奴が言うには、僕はこれまでの戦いの中で、ロードブレイザーの力を幾分か取り込んでいたらしい。だけど――」
言ってアシュレーは顔を俯かせた。
ロードブレイザーを失い、アガートラームを失ったその身体。
いくら力を取り込んだといっても、それは所詮燃え滓のようなもののはずだ。
けれど――あの姿は明らかに以前と異なっていた。
灼熱を顕現したかのような、真紅の身体。
迸るように強く、弾けるように溢れ出す焔の力。
それは以前暴走しかけたオーバーナイトブレイザーの力に匹敵――否、あるいはそれ以上の暴威を感じさせた。
激情のままに放たれた焔は、まるで彼の身体の延長のごとく意のままに舞い、本来の力を宿し聖女の力をも得た災厄と渡り合ったほど。
「――暴走、だったのか?」
「……わからない。けど、グラウスヴァインの時みたいな、自分が消えていく感触はなかった。むしろ僕が僕のまま――その力を振るう事を愉しんでいるようだった……」
その時の感触を思い出したのか、アシュレーは瞑目して自らの身体を抱き竦める。
「何もわからない。でも、確実に言える事は、僕の身体には災厄の力が残っていて、それは抑えられない所まで来ているのかもしれないって事だ」
「………」
ブラッドはアシュレーの話を聞き、顎に手を添えて何事かを思案するかのように沈黙していた。
アシュレーは僅かに顔を傾けると、そんなブラッドに対して物怖じしたような声を出した。
「……僕はロードブレイザーを……いや、"アナスタシア"を助けたいんだ。そのためなら何だってする。だけど……このまま皆と一緒にいると」
「それ以上は言うな」
「―――」
鋭い声に気圧されてアシュレーは言葉を呑みこんだ。
「その先の言葉は口にするべきではない。それは俺達――仲間達の信頼を疑う台詞だ」
「……すまない」
「"何だってする"というなら、その力をどうにか抑えるんだ。一人でやれとは言わない。そのために俺達がいるのだから」
「……わかった。ありがとう」
こみ上げる感情を口にして、アシュレーはようやく表情を和らげた。それにつられたのか、ブラッドも少しだけ口元を緩めてゆっくりとベッドから立ち上がった。
「確か、アーヴィングがロードブレイザーに関して調べると言っていたはずだ。それでなくとも彼は災厄と因縁浅からぬ仲だ、何か資料が残っているかもしれない」
「だったら僕も――」
「――そう言うと思っていた」
「え? ……あ?」
ブラッドに次いで身を起そうとしたアシュレーは、自分の身体が傾いでいる事に倒れこんだ後で気がついた。
何故か、力が入らない。何時の間にか意識がぼんやりとし始めていて、ブラッドの姿が霞んで見えた。
「これ、は」
「……悪いが一服漏らせて貰った。こうでもしないとお前は休もうとしないだろうからな」
「な――」
さっき飲まされた錠剤の事か。
言葉を吐こうとしたが、舌が上手く回らなかった。
胡乱とした意識の中でどうにか動こうとするが、既にもう自分が起きているのか寝ているのかすらも曖昧になってきている。
「ぶ……」
「災厄の力は負の力と言う。ならば今のお前に一番大切なのは平静にしておく事だ。余計な事は考えずに眠っていろ」
「……、……」
何かを言いたかったが、何を言おうとしたのかさえも思い浮かばない。
まるで泥の中に沈むように、アシュレーの意識は闇の中に消えていった。
アシュレーが寝入った事を確認してブラッドは溜息をつく。
些か強引な手段ではあったが、こうでもしなければアシュレーを休ませる手がなかったのである。
ブラッドが口で言っても聞く事はなかったろうし(事実聞かなかった)、仮に彼が最も信頼を置いている相手――マリナがそれを言ったとしても、今回だけは意味がなかっただろう。
なぜなら今回の『焔の災厄』ロードブレイザー、そして『剣の聖女』アナスタシアの一件はARMS隊員であるアシュレーではなく、アシュレー・ウィンチェスター個人に近すぎるからだ。
ブラッドの脳裏に苦い記憶が蘇る。
あれはそう、ARMSとして活動を始めてから少しして、スレイハイム領を訪れた時だ。
かつての故郷に辿り着き反乱軍として生きていた時の想いが蘇ったのか、アシュレー達には何も語らずに個人で動いてしまった結果、一時的に仲間との間に不和を招いてしまったのだ。
「……さて」
「――次はあたしに一服盛る算段でも立てるか?」
「―――!」
記憶を振り払うように呟いた声に応える者があったので、普段は沈着に見える彼にしては珍しく、驚いた表情で声の主を振り返った。
ブラッドの送った視線の先――医務室の入り口に背を持たれるようにして、カノンが佇んでいた。
「物騒な佇まいのワリには搦め手も上手く用いるようだ。それとも案外世話好き、とでも言うべきか」
「カノン……」
「世話は子供に焼いておけ。心配は無用だ」
「わかっているさ。ただ、アシュレーよりもお前の方が平常心を保っている事が意外ではあるが」
言われて気付いたのか、カノンは少しだけ視線を彷徨わせた後小さな息を吐いた。
「正直、あたしも意外だ」
カノンは壁から身体を離すと顎でブラッドを促した。無言の意を汲んだブラッドはやはり彼女に無言で返すと、二人は静かに医務室を後にした。
… … …
「つまるところ、あたしの抱いていた執着は逃避でしかなかったという事なんだろう」
酒が入ったグラスを傾けてカノンは呟いた。
アシュレー達の部屋と同じ階にある食堂。そこは彼等だけでなく、シャトーで働くクルー達の安らぎの場でもあった。
アーヴィングは公務の方で忙しく、そういった場に関しては妹のアルテイシアとクルー達の趣向を尊重――別の言い方をすれば放任だが――しており、そしてアルテイシアも身分の割に寛容な人物であったので、クルーの誰かが持ち込んだ酒が食堂に保管されてあっても意外という事はなかった。
「お前達と行動を共にするまでは、ただ盲目的に『聖女の末裔』である事を示し、その名が背負う宿命を果たそうとしていた」
しかし、成り行きとはいえアシュレー達と行動を共にする事になり。
その戦いの中で彼女は気付いた。
自分は『英雄』を求めていたのではない。
誰とも知れぬ男から生まれた自分、誰からも必要とされなかった自分は。
誰かに必要とされたかっただけなのだと。
「あれほど追い求めていたはずの『災厄』を目の前にしても、あたしはすぐに切りかかる事ができなかった」
なぜなら、目の前にあった『災厄』は、彼女の終着地点だったから。
『災厄』を打ち滅ぼせばそれで総てが終わる。
総てが終わった後――自分に何が残るだろうか?
『英雄』とは倒すべき『災厄』があってこそ必要とされるもの。
ならば、その『災厄』が消えてしまっても、"誰か"は『英雄』となった『自分』を必要としてくれるのだろうか?
――そして彼女は、終着地点を前にようやく気付く。
今まで歩いてきた道が、レイポイントにて明かした自分の想いと乖離していた事に。
母が落ちぶれた血から男に逃避したように、アイシャ・ベルナデッドは自分の想いから英雄に逃避していただけだという事に。
「――もうあたしに『災厄』や『聖女』への思い入れはなくなった。今まで様々なモノを棄ててきたが……遂に何もなくなってしまったな」
「……何もなくなった訳でもないだろう。お前は『カノン』――俺達の仲間だ。それだけは今も、そしてこれからもずっと変わらない」
テーブルの対面でグラスを揺らしていたブラッドが静かに呟く。彼女は一瞬だけ呆然として、苦笑を漏らした。頬が僅かに紅潮しているのは、酒のせいだと言い聞かせる事にした。
「――真顔でよくもそんな事が言える」
「? 何だ?」
「いや、何でもない」
つい口走ってしまった言葉を誤魔化すように、カノンは表情を引き締めてブラッドに顔を向けた。
「……アシュレーは大丈夫なのか?」
「正直に言えば全くわからない。あいつの件に関してはアーヴィングとマリアベルしか把握していないし、その二人も今は――いないからな」
「現状ではアーヴィングの遺した資料を調べるしかないか」
「そうなるな。……リルカとティムの方はどうなんだ?」
「ベリーと魔法で癒してあるから、肉体的な部分は問題ない。精神的な疲労だな。休んで気持ちを整えればこれからも闘えるはずだ」
グラブ・ル・ガブルでの闘いでは状況の変化についていけなかったが、彼女等とてオデッサの戦いを乗り越えてきたのである。
例えそれが人の姿をしていたとしても――闘うべき理由があるのなら、彼女達は闘っていけるはずだ。
「……問題はやはりアシュレーとマリアベルか」
「だな。あの二人は『災厄』と――何より『聖女』に直接的な因縁がありすぎる」
ブラッドとリルカ、ティム、そして今の話を聞く限りカノンも、端的に言ってしまえば部外者なのである。
四人は『聖女』――アナスタシアの事を伝承でしか知らない。その姿を目にしたのも中心核域での邂逅が初めてであり、因縁と呼べる因縁も存在しない。
ロードブレイザーに取り込まれているというのであるなら、当然助けるべきだと思っている。しかし、踏み込んでいける最終的なラインが二人とは決定的に異なっていた。
その結果が中心核域での戦闘であり、今のアシュレーの現状であり、そしてマリアベルの失踪である。
ロードブレイザーが世界を滅ぼすものである以上、必ず倒さなければならない。
新たな犠牲を出さぬよう、アナスタシアは救うべきである。
だが、この二つがどうしても両立する事ができないものだとしたら、二人は一体どういう決断をするのだろうか。
「カイバーベルトに身を捧げた兄妹。そしてロードブレイザーに囚われた剣の聖女。つくづくヴァレリアは呪われた家系だな――正に『英雄』という名の呪縛か」
グラスの酒を飲み干したカノンが、残っていた氷をからんと鳴らした。
その響きは小さく、弱く。まるで鐘の音を思わせた。
「ならばそれを解き放つのが俺達――いや、アシュレー達の役目だろう。俺のような過去の英雄ではなく、お前のような英雄の末裔でもないあいつが世界を纏め、そして平穏を齎す。その時砕かれた縛鎖の音が、彼等への鎮魂の鐘になる」
同じくグラスを空にしたブラッドがそう呟いて、ゆっくりと席をたった。
彼は瞑目してメッシュの前髪を軽く掻き揚げる。
「ともあれ、総てはこれからだ。疲れの溜まった今の頭では、考えが沈鬱にしか動かない」
「……そうだな。あたしも疲れているようだ、らしくもない身の上話を語ってしまうとは」
テーブルに置いたグラスをそのままにカノンも立ち上がる。
と、ブラッドがそんな自分を凝視している事に気付き、彼女は怪訝そうに眉を顰めた。
「……どうした?」
「……いや、そういえばそうだったな。お前の本名はアイシャ・ベルナデッドと言うのか」
「………ッ」
不意に予想もしなかった事を言われ、カノンは急に顔を赤くする。
そして彼女は足早に食堂の出口に歩を進め、立ち去る間際に掃き棄てるように言った。
「棄てた名だ、忘れろ。というか、さっさと寝ろ」
なんて間抜けな棄て台詞だ、と彼女は自分の心に愚痴を零しながら、ブラッドがそれに反応する前に姿を消した。
そして残されたブラッドは、苦笑を浮かべながら溜息をついた。
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