あの時、彼女は求めていた。
 野を走る自由を。
 歌を歌う自由を。
 空を見つめる自由を。
 それはかつて、彼女と共にあったこと。
 彼女の持っていた小さな権利。
 今はもう決して叶う事のない、彼女の願い……。




時のきっかけ それは僅かなりしの焔のみ――
第1話 平穏な世界の終わり




 果てしない闇の中に、突然光が閃いた。
 『それ』と彼女の間に、光が現れる。
「……何?」
 あまりの眩しさに閉じていた目を開くと、今まさに彼女を焼き尽くそうとしていた焔は消え去り、彼女を葬ろうとしていた『それ』さえ動きを止めていた。
「いったい何が……」
(『ちから』が欲しいの?)
「っ! 誰!?」
『二人』しか存在しないはずの空間に、知らない声が響く。
 聞いた事のない、知っている声。
 ふわり、と温かい気配が彼女を包み込む。それはまるで、遥かな昔に忘れ去った温もりのようで……。
「誰! 誰なの!?」
(俺は『ちから』を持つもの。君がそれを望むなら、『ちから』を与えてあげることが出来る。君は、『ちから』が欲しいの?)
 本来ならあるはずのない事だったけど、その≪声≫は傷ついた少女の心にすんなりと染み込んできた。頑なに閉ざした少女の心が、少しずつ梳き解れてゆく。
「……ちから……」
(今は『俺たち』の力で時を止めているけど、長くは続かない。今、このまま時を戻したら君は死ぬしかない。けれど、君は生きることを願った。君は本当に『ちから』を、未来を欲するの?)
「わたしは……」
 少女は今だ血を流し続けている己の左手の在った所を見つめた。
 確かにこのままだとそう長い時を待たずして自分の命は尽きるだろう。でも……
「私は、死ねない……」
 ずっと長い間抱えてきた、もう叶わないと諦めてきた、願い。
 幾千、幾万も夢見てきたこと。
「私は、帰りたい。みんなのいる、あの世界へ。あいつを倒し、みんなが笑ってすごせる世界を見たい」
 とっくに枯れたと思っていた、涙が頬を伝っていく。涙がこんなに熱いなんて、忘れていた。
 たったそれだけのことが、少女の心を癒していく。
「私は帰りたい。あの世界へ。あいつを倒して! もし、あなたにあいつを倒せる『力』があるなら……私に『ちから』を頂戴。あいつを倒し、希望を……未来を掴む、『ちから』を!!」
 その言葉を待っていたかのように眩い光があたりを照らし、少女を包み込んでいく。
 そして、左の肩から流れ続けていた血が止まっていく。
「な!?」
(君は、未来を望んだ。俺はその気持ちが君の中に在りつづける限り、君に『ちから』を貸すよ。でも、気をつけて。確かにこの『ちから』はあいつを倒す『力』になる。しかしそれだけではダメなのだということを)
 大きな意思を秘めた声に、少女は何故か一瞬だけ悲しみを感じ取っていた。
 すべてを包み込む優しさと、全てを知るがゆえの悲しみを。
「あなたは、一体何者なの?」
(俺は、ファルガイアを守り、未来を司るガーディアン。ロディ)
「ロディ……」
(君はこれから、つらい目に会う。でも、きっとたくさんの人が君を助けてくれるはずだよ)
 体を包んでいた白い光が、右手のあたりに集まっていく。
(忘れないで。君は一人ではないということを)
 そして、その眩しい光が何かの形をとったとき、長い間止まっていた時は動き出した。


*****


「アシュレー! 早く早く!」
 あの戦いから3年の月日がたった。
 まだ多少の後は残るものの随分と復興し、人々の行き来も盛んになっていた。
 そしてARMSたちやあの戦いにかかわった人々もそれなりに穏やかな日々を取り戻しつつあった。
 そんなある日の、早朝のタウンメリアで。
「あーっ、ほら、焦げちゃうわよ!」
「ええっ!? 今行く!」
 この街の人気のパン屋から慌ただしい声があがる。
 なかなか大きな声だが誰も起きて来ない所を見ると、いつもの事らしい。
 その声の持ち主は、言わずと知れた英雄のアシュレー・ウィンチスターとその愛妻、マリナだった。
「ああ、よかった。間に合ったよ、マリナ!」
 彼はにこやかな笑顔で妻を振り返る。が。
「間に合った、じゃないでしょ! もう少しで焦げるところだったじゃない」
「あ、いや……その」
 マリナはため息をひとつすると、腕の中の息子を慈愛のまなざしで見やった。
「しょうがないパパね。ねぇ、アーヴィ」
「マリナぁ〜」
「ふふっ。冗談よ、冗談」
 二人は顔を見合わせるとくすくすと笑い出してしまう。
「こらこら、二人とも。仲良いのはいいことだけど、程々にしてそろそろ仕事をしておくれよ」
 そこに夫婦のもう一人の子供、アルティシアを抱えた中年の女性が2階から降りてきた。
「あっ、は〜い、わかりました」
 そう言ってその婦人に子供を任せ、あたふたと働き出した。
「マリナ、このパン店に出すよ」
「あ、あとそこのパンも一緒に出しておいて頂戴」
「あれ、これは」
「かまど、あけるわよー」
「これ、そこにおいとくよ」
「……やれやれ、お前たちのお父さんたちはあいかわらずだねぇ。でも、それが平和ってもんだからね」
 そう言って婦人は表へと出て行く。
 流れる風が、層雲を連れ去っていくのが見える。外は清々しい空気が流れていて、少々肌寒いくらいだった。
「おお寒い。さっさと中に入って暖かくしようねぇ」
 軽く体をゆすり、子供たちを抱えなおす。
 そして中に入りかけたとき、誰かの呼び声に後ろを振り返った。
「すみませーん。あの、アシュレーさん、いらっしゃいますか?」
 見知らぬそばかす顔の青年がやってきたところだった。
「あの、至急届けたい手紙があるんですが」
「ああ、わかったよ、ちょっとまっておくれ」
 そう言うと婦人は後ろを振り返った。
「アシュレー、あんたに客がきてるよー」
「ああ、いま行きます」
 なにやらどたばたした後青い髪の青年が顔を出し、相手の顔を見て目を大きく見開いた。
「君は確か……」
「おひさしぶりです、アシュレーさん。カイルです。ヴァレリアシャトーでのお別れして以来ですね」
「ああ、久しぶりだなあ! でも、こんな時間から……まさか、また何かあったんじゃ!?」
「いえ、そんな事じゃないんです。手紙を届けにきただけなんですよ」
「手紙?」
「はい。ケイトさんたちからです」
 そう言って手紙を渡しながらちょっと笑って言う。
 やや乱れ気味の赤毛が、彼を幼く見せていた。
「何でも、相談したいことがあるそうで。そこに詳細が書いてあるので、できれば早く来てほしいそうです。皆さんもお呼びしているので、同窓会とでも思って、是非いらしてください」
 では、と言って去っていく青年におざなりな返事を返し、いつになく厳しい表情で手紙を睨む。
「アシュレー、ちょっとこれ……アシュレー?」
「ん……何、マリナ」
 麺棒を持って出て来た女性が、不意に心配そうな表情で近寄ってきた。
 優しく微笑む夫を、複雑な表情で見上げる。
「……また、何かあるの?」
「いや、そうじゃないよ。久しぶりにみんなが集まるから、パーティーをしないかって言うお誘い。ついでに相談があるんだって。それだけだよ」
「ほんとに?」
「ああ、本当だよ」
「そう、よかった。じゃあ、残りの片付けをして、お店を開きましょう」
「ああ」
 そう言って微笑みながら中に入っていくマリナを見送り、手紙に視線を戻して小さく顔を顰める。何か、嫌な事を思い出した――感じたかのような表情。
「本当に……何もなければいいんだけど……な」
 頬をなでていく風を追って空を見上げ、その眩しさに眼を細める。
 たくさんの犠牲と共に手に入れた、平和な世界。
「何もないさ。もう、戦う必要なんてどこにもないんだから」
 そう呟きながら、彼はそっと胸の中で自問した。
 もし、本当に何もないのならこの胸騒ぎは一体何なのだろう、と。


*****


 微風が流れる草原の真ん中に寝転がっていた女性のもとへ、一人の少年が駆け寄ってきた。
「はあ、はあ……カ、カノンさん、やっと見つけた……」
 そう言うなりその場にへたり込む少年の顔を、さらさらの明るい茶色の髪が滑り落ちる。
 15才にしては随分と可愛らしい顔をしている。
 それは彼の悩みの1つで、小柄な体も合わさってよく初対面の人に女の子扱いされる。
 それは今では立派なコンプレックスとなってしなっているが。
(ふむ。だが3年前よりは多少逞しくなったな)
 そんな事を目の前の相手が考えているとは露知らず、彼はここへ来た要件を思い出した。
「これ、さっき届いた手紙なんですけど。ARMSのみんなで集まらないかって!」
「……あたしにも、か?」
「はい。昨日、カノンさんが来たってシャトーに連絡してたから……」
「そうか」
 久しぶりに仲間に会える喜びにはしゃいでいるティムとは反対に、カノンはじっと押し黙ったままだ。そんな様子に気付いたティムは、軽く顔を傾げた。
「あの、カノンさん? どうしたんですか?」
「……いや」
 何かひどく言いにくそうに、それでも彼女は口を開いた。
「ティム」
「はい?」
「この知らせだが……何か、感じないか?」
「えっ? 何かって?」
「いや、いい。気にするな。それよりも、そろそろ戻ったほうがいいのではないか?」
「あっ! コレットにお使い頼まれてたんだ! じゃあカノンさん、また後で!」
 そう言ってまた駆けて行く少年を見ながら、カノンは誰に聞かせるともなくそっと呟く。
「不吉な予感がする……」
 その言葉を待っていたかのように、ざあっと風か横を流れていく。



*****


 ドンドンッ!

「おい、リルカ、いないのかっ!」

 ドンドンッ!

「ったく、どこいったんだよ。せっかく手紙を持ってきてやったってのに」
 そう言ってテリィは少し考えてから、扉の間にそっと手紙をはさんだ。
「まったく、いつもいつも。少しはこっちの身にもなれよなー」
 そう言って彼はドアの前から立ち去っていく。
 そして、そのドアにはさんだ手紙には、アシュレーたちと一緒の内容が書かれていた。




 そして、彼らは再び大きな渦に巻き込まれていくことになる。
 大きな、熾烈な戦いへと……。






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