どうして、戦ったのだろう。
 どうして、武器を手にしたのだろう。
 どうして、『あそこ』へ赴いたのだろう。
 守りたいものがあった。
 ずっと昔の、僕らが幼い頃にした約束。
 君はもう、忘れてしまっているかもしれないけれど。
 ずっと覚えていたよ。
 だから、戦った。
 自分を守る力の無いもの達を、守りたかったから。
 大切なものを失う辛さは……よく、知っていたから。
 そうすれば、守れると思っていた。
 あんなことになるとは思ってなかったんだ。
 力は何かを守るためにあると、ずっと信じていた。
 何かを得るには、犠牲が必要だなんて知らなかった。
 何かを守るのは、何かを傷つけることと同じことだった。
 一つ間違えば、守りたいものも壊してしまうほど、大きな力。
 どうして、ぼくらはこんな力を手にしたのだろう?
 どうして、何かを傷つけて生きていくことを己に許したのだろう?
 どうして――――?




時のきっかけ それは僅かなりしの焔のみ――
第10話 目覚めゆく力




 チチチ、チ……。
 若い小鳥達の歌う声が聞こえてくる。それらは耳に優しい旋律となり、動揺し荒れ立った彼の心をもそっと包み、癒そうかとしてくれているかのように思える。
 気が付けば、備え付けの厚い赤に金の縁取りのあるカーテンの内側にある、白の細かなレースで作られたカーテンの間から微かな光が漏れ出している。
 どうやら一睡もしないうちに朝になっていたらしい。そんな事にも気付かなかったようだ。
 ――それだけ周りが見えなかったという事か。それだけ、自分の内に篭っていたのか。
 眩しい朝日が太陽が昇ると同時に溢れ出し、だんだんと明るくなっていく空に薄い膜のような雲がかかっている。
 暗い表情をしていた男――アシュレーは頭の後ろで組んでいた腕を外し、ベッドから起き上がった。
 窓の隣に置いてある重厚な作りのテーブルの横まで足を進め、窓を無造作に大きく開け放つ。
 まだ暗さの残る空から冷たい空気がどっと流れ込み、彼の内に篭る熱を冷まそうと襲い掛かる。しかしそれは寒さを与えるよりもよほど彼の何よりの助けとなる。
 強く熱せられた体が冷えると共に、彼に巣食う力が弱まるのがわかる。
 そしてそれを安堵し、また心のどこかが残念そうに感じているのに気付き、そんな自分に再び苛立ちを感じる。
「あれから……もう2日、か……」
 謎の地震が起きてから、既に2日が過ぎ去っていた。
 あれから全く何の異常もなく、各地に依頼した調査の結果もまだ届いてはいない。
 昔のようにヴァレリアシャトーが飛べればこんな苦労もしないのだが、今ではモンスター対策本部になっている事が意外と公になっているので、動くことが出来ない。
 もしここが動いたら、それこそ多くの人々が世界危機だと錯覚して大騒ぎになってしまう。
 彼らを快く思っていないものたちの恰好の餌食となってしまうだろう。
 それなら彼ら自身が動けばいいのだが、確かなことがわかっていない今、うかつに動くことは出来ない。そう言ったのは他の誰でもない、自分自身だ。
 『彼』ならばそう言うだろうと……そう、信じてはいるけれど。でも、それでも苦痛は変わらずに彼を攻め立てる。ブラッド達の肯定の視線と、リルカたちの否定の視線という形で。
 言い出したからには、自分がここを飛び出す訳にはいかない。
 結局彼らはここでただ待つことしか出来ないのだ。焦がれる思いを押しとどめて。
 それだけならまだいい。だが、異変はそれだけでは収まらなかった。
 それはアシュレーだけが知っている、アシュレーだけに現れた変化だった。
 一見しただけでは感じられず、また例え知っていてもそうとは信じられないような事。
「……くそっ……」
 夜が明け朝を迎えた事で随分と楽になったが、未だ彼の体の奥、深い場所は凄まじく強烈な炎の気配が色濃く残っている。内側から彼の肉体を打ち破り、世界を燃やし尽くそうとしているのかと思えてしまうほど。
 それは熱くたぎり、ほんの少し油断しただけですぐさま弾け飛んでしまいそうなほどだった。幸いな事に今はもう収まってはいるが。
 それは、3年前のあの戦いからずっと彼の中に残っていたものだ。

 ロードブレイザーの置き土産。
 そんな言葉が一番適切だが、その『力』はそんな可愛らしい物ではすまない程の力を秘めていた。
 現に、彼はあの後から炎に対してのみ、異常なほどの耐性を備えていた。
 自然の力により現れた炎では彼を簡単に傷付ける事は敵わず、火を使ったモンスターの攻撃なども彼にとってはほとんど脅威とはなりえないほどだ。
 そして、もちろん以前とは比べ物にもならないが確かに、自分は意のままに炎を操ることが出来た。
 ある程度の力を持つ者にとっては対した事はないが、普通の人間にとっては明らかに脅威となりうる力だ。人を殺す事など赤子の首を捻るよりも簡単な、造作も無いほどの力。恐怖を生む、力。
 アシュレーはその力を恐れ、打疎い――今までずっとひた隠しにしてきた。誰にも知られぬように、ひっそりと自らの内にその秘密を留めて。
 その事は親しい友人にも、かつての仲間にも、マリナにさえも打ち明けていない。
 出来る事ならこのまま一生、自分が死ぬまで隠していこうと思っていた。それが叶うのなら。
 だが――…。

「何で……どうして、今になって……!!」
 ドン、と重い音を立てて窓枠に拳を叩きつける。
 強く握り締めた両の拳には、数え切れないほどの傷跡が血の後も鮮やかに現れていた。青黒い痣になった物や、赤く腫れたりした物、切り傷なども浮かんでいる。
 中にははっきりと血が流れ出ている物さえも、あった。
 それに気付いてから初めて微かな痛みを感じ、彼はゆっくりと顔をしかめた。
 痛みを感じる――その事に微かな違和感を感じた。まだ、自分がヒトであるのが信じられないような感覚。
「ああ……そっか……夕べ、やったのかな?」
 思いもよらず、苦笑いが零れる。自分が昨夜いかに我を忘れていたかわかるというものだ。
 アシュレーに宿った――宿っていた力は2日前を境にして、どんどん大きくなっていた。
 始めはそうとは気づかなかったが、昨日の夕暮れにははっきりと感じることが出来た。
 己を食い破り、姿を現そうとする欲望を。醜い感情を。
 昨日に比べたら随分と大人しくなったが、まだ身体の奥では熱を帯びた焔が少しずつ成長していっているのが感じられる。
 何故急にあれほどにまで力が荒れ狂ったのはわからないが、確実にソレは息を潜め、じっと解放される時を待ち望んでいるのだろう。
 アイツが復活したのかもしれないという不安に夕べはらしくもなく動揺し、いつのまにか自分で自分の体を傷つけていたらしい。
 自分で自分を傷付けるほど、愚かな事はないというのに。
「このままだと、リルカ達が心配するな。……傷の手当てをしとかないと……」
 リルカやティムが慌て、顔色を変えたテリィが魔法で手当てをしようとあたふたする。
 そんな姿が目に浮かぶようだ。彼らは間違いなく、顔を真っ青にして心配してくれる事だろう。ブラッドたちも顔には出さないだろうが、心配してくれるはずだ。
 そう、ならないようにしなければ。
 ほろ苦い笑みを浮かべながらそう呟いて身を翻した時、ふと何かが聞こえたような気がしてアシュレーは後ろを振り返った。
 少しずつ明るくなっていく空に、幾羽もの鳥たちが羽ばたいている。これから飛び立つのか、それとも元いた場所へと帰るのか。
 白い色を朝焼けの赤と空の青に溶け込ませ、翼を悠々と広げる鳥達。
 平和をそっくりそのまま表したかのような穏やかな空に、しかしなぜかアシュレー微かな不安を感じた。底知れぬ何かが、どこかで眠っているような気がする。
 胸の奥の炎が、一瞬だけ大きく脈打つ。どくん、と。強く、激しく。
 本当ならば、皆にも打ち明けないといけないのかもしれない。
 この力の事や、アイツが再び現れたかもしれないこと。それをはっきと感じる事が出来るのはまだ、彼だけなのかもしれないのだから。
 しかし、それを打ち明けるのに心の何処かがためらいを感じている。不安ともいえないような、小さすぎて見逃してしまいそうな――そんな感情。
「今は、まだ……言えそうに無いな……」
 そう言って臆病な自分を微かに笑うと、今度こそ薬箱を取りに部屋の奥へと歩んでいった。
 真新しい包帯を手にしながら、息を細く吐き出す。
 まだ、大丈夫だろう……そんな気持ちが微かな罪悪感を伴って胸を掠めていく。
 しかし、アシュレーはその後しばらく皆にそのことを打ち明けることが出来なかった。忘れていたこともあるが、きっと彼の心がアイツの復活を信じたくなかったからだろう。
 そして、そのことが後々になって彼らに大きな波紋を呼ぶことになるとは思っても見なかった。
 静まり返っていた屋敷から、音が生まれ始めていた。
 もう少ししたら皆が起きだすだろう。料理当番の者はもう起きているはずだ。皆のための食事を用意してくれているのだろう……"彼女"のように。
 それまでにこの手の傷を何とかしなくてはいけない。少なくとも、目立たないようにしなければ。
 彼らに余計な心配をさせてはいけない。
「今日も忙しくなりそうだな……」
 それに答えるように、日の光が一段と強い輝きを放ち始めた。




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