何故、戦ったのだろう。 何故、武器を手にしたのだろう。 何故、「あそこ」へ赴いたのだろう。 『あの』戦いの時、この世界の生きとし生きる全てのモノが、戦った。 生きるため――護る、ため。 そうしてたったひとつの命と引き換えにして、世界は平和を取り戻した。 たった一人の、ごく普通の少女の命を犠牲にして。 ただ一人の、英雄たる者の命を犠牲にして。 何故そうまでして戦うのか、わからなかった。 理解も出来なかった。したくないと、思った。 愛したものを守るために、愛するものを救うために。 見た事もない人々のために、自らを犠牲にして。 自分はいいのだからと、そう言っていた。 彼との思い出があるこの世界を、失いたくないから。 もう、こんな思いをする人がいなくなるように、と。 ひとり、血に濡れながらも美しく微笑んで。 彼女は逝ってしまった――自分を残して。 ならば自分は彼女の守った世界を見守っていこうと思った。 そのために一人、生き延びてきたのだから。 自分にとって二度目の戦いの時。 彼女の守った世界を失いたくなかった。 何より、もっと彼らと生きてみたいと思った。 そう、願ったから。 一つ間違えば、守りたいものも壊してしまうほど、大きな力。 何故、われらはこんな力を手にしたのだろう? 何故、何かを傷つけて生きていくことを己に許したのだろう? 何故――――? ![]() 第18話 怠惰な日 ぐぐっと大きく伸びをした少女が、ふぅと溜息をつき悲しげに呟く。 「あ〜あ……暇だよ〜……」 その声を聞きつけた少年が、そんな少女をむっとした眼差しで見やる。 苛立ちを含んだ視線。不愉快そうに歪んだ表情。 「……それを言うなよ。俺たちだって我慢してるんだぞ」 「そうですよ、リルカさん。……何か、僕らにも出来ることがあればいいんですけど」 少年の声に同意した2つめの声は、彼らよりも若干若いであろう、少年の物。その声は、微かな苛立ちを含んでいるようにも聞こえた。 あの『島』から丸々1日かけてシャトーまで戻ってきたARMS達は今、暇を持て余していた。 ――いや、それは正しくない。 正確には、彼らの一部は目も回る忙しさに見舞われているのだが、それを手伝えない――手伝いを許されなかった少年たち3人は、時間を持て余して暇になっているのだ。 彼らには「戦闘の訓練でもするか、身体を休めるかしておけ」とは言われているのだが……昼を過ぎ、日ざしも気候もちょうどよい具合になってついつい昼寝でもしたくなってくるような時刻に訓練をする気にもなれず。 もう一つの忠告に従ってリルカ達3人は中庭の木陰にてんでばらばらの格好で座り込んでいた。 さわさわと静かな音を立てて、穏やかな風に彼らの頭上の木々が静かに揺れる。いくらかの木の葉が、そっと静かな音をたてながら大地へと舞い落ちてゆく。 彼女からすれば一抱えほどもある太さの幹に背中を寄りかからせ、そんな情景をぼぅっと見ながらリルカはふと、ぽつりと言葉を零す。 「アシュレーはどうしてるんだっけ?」 「奥さんに伝言と、メリアブール王に協力要請しに行ってる。早いほうがいいから、だって」 それを聞き、地面に大の字に転がっていたテリィが陽光に晒され出した右手を木陰に入れながら答えた。だが面倒そうな、気だるげな視線は上を向いたまま。 彼の視線の先には、青く晴れた空と風に揺られる濃い緑の葉っぱたちが半分ずつ写っている。青と緑の、自然が織り成すコントラスト。 ふぅん、と自分から尋ねておきながら興味なさそうに頷き、リルカは自分の手のひらを見詰める。 爪がちょっと伸びすぎているのを見て、ぼんやりと(そろそろ切らないと)と頭の隅っこでどうでもいいことのように思う。 最近はやりのマニキュアを塗るのも楽しそうなんだけど。でも戦闘になったら絶対すぐに欠けちゃうからダメだよねぇ、やっぱり。 「ブラッドとカノンは?」 眩しさに耐えかねたようにごろりと体を反転させているテリィを見ながら、地面に足を投げ出して座り込んでいるティムがゆっくりと口を開く。 「シルヴァラントの女王さまの所らしいです。あと、ギルドグラートにも」 片手でそっとぐーすか眠り続けているプーカを撫でながら(最近ずっと寝っぱなしだな大丈夫かな頭腐ったりしないかな)なんてこっそりと思っていたりもする。誰にも言ってないけれど。 ふと、リルカは戯れのように目をつぶってみた。 なんだか、昔が無償に懐かしい。今と同じで、微妙に違った、あの時。 あの時はただひたすらに走り、ただがむしゃらに戦って――そして。 (最後まで、止まらないで走って。……止まれ、なくて) こんなところでぐずっているのはなんか違うような気がする――と、リルカは思う。あの時と今は違うし、大体そんなに前の話でもないけれど。 他のメンバーはどうしたのだろう。リルカは口を開いた。 「マリアベルは?」 「あの血痕の調査だってさ」 「エイミーさん達は?」 「また世界各国に異常がないか、念入りに調査するって言ってました。他のクルーのみんなも、それぞれ手伝いや食料とか燃料とかの補給に忙しいらしいですし」 さらさらと、澱みなく答える二人。 彼らの視線は共にリルカを見るわけでもなく、テリィは相変わらず空と葉っぱを半分ずつ見ているし、ティムはプーカをぼんやりと見つめていたりする。 そんな「心ここに有らず」といった二人をゆっくりと見て、リルカは深い溜息を洩らした。 わかりきってはいた事だけど、つまり、それは。 「……みんな、忙しいってわけ?」 「そ」 「僕たちだけが、暇なんです……」 適当な態度で頷くテリィと、悄然としながらどこか魂の抜けた声で答えるティム。 リルカももう視線を上げず、ただちょっとだけ座りなおしてお尻の位置を変え、樹の幹に背を持たせかける。ひんやりとした感触が、背から伝わってくる。 それっきり、会話が途切れた。 流れるのは雲と、沈黙と、少し変わった亜聖霊の小さな寝息。そして、溜息。 思い思いの格好で座り込んでいた3人は、それぞれの想いにかられ、何も言えなくなっていた。それぞれが想うが故に。 それからどれだけぼんやりしていたのだろう――やがて、リルカがぽつんと呟いた。 「――なんか、やだね」 リルカの洩らした小さな呟きに、ゆっくりと2人が顔を上げる。 ティムはゆっくりとプーカから視線を離してリルカを見つめ、テリィはゆっくりと身体を起こして。 魔力の媒体である小さな金属のアクセサリーを片手で触りながら、彼女は顔を俯けている。カチャカチャと涼やかに鳴る金属音が、彼らの心の琴線をそっと愛撫していく。 口を結んだまま俯いているテリィを見て彼が何も言わないのを悟り、ティムは自分から口を開いた。 「……何が、ですか?」 唇から零れるのは、既にわかりきっている事。ありふれた、回答の出された質問。 だから。帰ってこない、還ってくるだろう言葉も、知っている。 もう少しで、自分も同じ言葉を落とす所だったのだから。……もう少しで、自分だって。 ふと、見つめたリルカが――随分と近く見える空を見上げ、木の葉の間から差し込んできた光に目を細めているリルカが、昔よりも――あの時よりも随分大人びているという事に、ティムは今始めて気がついた。 あの時は、年上だとわかっていてもそんな雰囲気はなく、ただ元気な人だなと想っていたけれど。 それだけの時間が過ぎていると、そんな事実が否応なしに胸の中へと飛び込んでくる。 それがどんな想いを生むのかもわからず。 ただ、彼女は言葉を紡ぎ続ける。 「わたしたちだけ、何もないなんてイヤじゃない?」 「…………」 何かを言いかけ、口を閉ざす。 見つからない。こんな時、どうすればいいのか――何を、言ったら良いのか。何をしたら、いいのか。 答えになりかけた言葉は、確かなものとなってはくれず、ただもやもやした物となって彼の胸中を当ても無く彷徨い続ける。言い様のない、悔しさと共に。 そんな事さえ、そんな答えさえ見つけられないから……だから自分達は、いつま経っても足手纏いにしかならないのだろうか――? 足手纏いになりたくなくて足掻いたのは、あの時でもう終わった筈なのに――。 ぎゅっと、胸を鷲掴みにされたような感覚がティムを襲う。 突然、 「……なあ。一回シェルジェに行かないか?」 「え?」 テリィがやけにはっきりとした口調で話し始めた。 俯いていたはずの顔はまっすぐに前へと向けられ。 その眼差しは遠いどこかへと向かい、きらきらと強い意思の光に煌いている。さっきまでの表情とはうって変り、力強い眼差しが二人を射抜く。 「どうせ、ここにいたって暇なんだ。だったら無駄な時間を過ごしているよりも、一回シェルジェに帰って資料でも漁るとか、何か……ここじゃ出来ない事とか、あるだろ?」 彼の言葉に、少しずつ、ティムとリルカの顔も輝きを取り戻し出す。 はっきりとした目的が、姿を現しだす。曖昧なものたちが、不意に確たる形を持って目の前に現れてくれた――そんな感じがする。 テリィの言葉にティムも意気込みこんで頷いた。 「それなら、バスカーにも! もしかしたらコレットが何かを『視た』かもしれないし、それにガーディアンについて、もっと調べられるかもしれない」 考えても見なかった事。でも、それを知る事で何かが変わるかもしれない。 あきらめてしまった事。でも、諦めるない事で何かが変わろうとするなら。 「……じゃあ、じゃあ! レイポイントに行ってマナの変化を探すっていうのは!?」 リルカも嬉しそうな声音で高らかに告げる。大きな期待に、胸が膨らんでいくのがわかる。 自分達にだって、出来ることはあるのだから。 彼らはすっくと立ち上がると、力強く頷きあった。 「わたしたちも、自分でやること探さなきゃ」 「まずは、動いてみないとわからない事もあります。やってみないとわからない事も」 「体調なんか、最初っからいいんだし。無茶でもしないと、何にもわからない」 アヤマチヲ クリカエサナイ タメニ。 「じゃあ、行こう!」 彼らは再び、頷きあった。 そして嬉しそうな笑みを空へと零しながら、風の舞う地を駆けていった。 彼らが駆けていった地に。微かな微笑みが残された事を知る者は、いない。 ***** 「ううむ、何故かのう……妾にもわからんとは……」 シャトーの地下に密かに作っておいた実験室で、マリアベルは一人唸っていた。 ふざけた着ぐるみは脱ぎ捨て、本来の姿を晒している。美しい金の髪がさらっと首をかしげると同時に流れ落ち、紅い瞳は微かな困惑と苛立ちの色に染まっている。 それだけを見れば誰もが一度は目を奪われるだろう美貌の少女だが、見かけに惑わされたその本性を知らない者たちは、総じて痛い目に会うだろう。そして、彼女が本当は見かけ通りの人物では無いという事をよりはっきりと思い知る事だろう。 目の前にある数枚のレポートと、たくさんのプレートや試験管が所狭しと並んだ薄暗いその部屋には、ほんの微かな――それこそ言われても気付かないほど微かな、血の匂いがしていた。 一本の試験管を目の前に持ってきて、ヘッドライトごしに覗き込む。 その中には、紅色のどろっとした液体が容れられている。一見しただけでは、それがなんなのか理解する事はできない。だが、彼女にとってみれば見る間もなくわかる、それは。 「わからぬ……これは、本来ならばありえないものじゃ。なのに……――ん?」 不意に、人の物よりもやや長い形をした耳が小さな音を聞きつけてピクン、と動く。 ヒトのものよりも数倍性能のいい彼女の耳が、外から何かが走ってくる音を聞きつけたのだ。それは次第に大きくなり、やがてはっきりとした音として聞こえ出した。 「一体なん――」 「マリアベルッ!」 どかん、という大きな音をたてて研究室の扉が少女の声と共に開かれる。外からの光に照らされているのは、頬をうっすらと薄紅色に高潮させている少女。 それを見やり、マリアベルはうんざりしたように眉を顰めて見せた。 「リルカか。全くうるさいのぅ、わらわは今……」 「わたしたち、これからちょっと出かけてくるから! 2,3日したら帰るから! じゃあね!」 いい加減に降られた青白く見える手を無視し、リルカは部屋の中に入らずに戸口で大きな声を出す。その口調は嬉しくてたまらない、といったような感じだ。 それだけ言うと、リルカは用は済んだとばかりにさっと駆け出してしまう。 マリアベルは驚きに言葉も無い。 「……は?」 慌てて振り返っても、もう彼女は走り去った後だった。 マリアベルは一人、呆然と今までリルカがただずんでいた場所を見つめていた。 「……一体なんなのじゃ……」 手にしていた試験管が、テーブルに触れてキン、と軽い音をたてた。 ***** 「よーし、じゃあこれから個人行動だな」 「はい! あさって、シェルジェに連絡をとればいいんですね?」 「ああ」 確認するように言ったティムの言葉に頷いたテリィは、曰く有り気にリルカを見やった。いかにも、な感じの視線だ。 「……リルカ、お前が一番危険なんだから気をつけろよ? 奥まで行ったらさっさとシェルジェまで戻って来るんだぞ。ま〜た迷子とかやってるなよな」 「わかってるわよッ! 何度も何度も言わなくたってね。……じゃあ、頑張ろうね!」 リルカのその言葉に、テリィとティムは顔を見合わせてくすっと笑みを洩らす。そして、3人はそろって手を打ち鳴らす。 不安はあるけれど。でも、大丈夫だから。 3人は中庭の中央に立つと、テレポートジェムをそれぞれかざした。それぞれの行き先を脳裏にイメージし、それと同時にジェムが淡い緑の光を放ちだす。 「きちんとやってこいよ!」 「当然!」 「じゃあ、また!」 淡い光とともに、彼らの姿が光に包まれていく。 そして、一瞬の後には彼らは思い思いの場所にたどり着いていた。 小さな決意を持ったまま。 |