何故、戦ったのだろう。
 何故、武器を手にしたのだろう。
 何故、『あそこ』へ赴いたのだろう。
 自分の誇りのために。
 自分が自分であるために。
 戦うことだけを生きる証とした。
 それだけが、この作り物の身体を支えていた。
 傷ついたまま隠してきた、心を。
 幼い日、全てのものに絶望し、そして戦っていくことを選んだ。
 間違っていたとは思わない。
 でも、それだけではなかった。
 あいつらはこの冷たい身体に心を取り戻してくれた。
 人を、信じさせてくれた。
 いつ死んでも構わなかった命が、とても大切なものと思えてきたから。
 もうしばらくは、見ていたいと思った。
 あいつらと、私と、この世界の行く末を。
 そのために、あの時失っては困るから。
 一つ間違えば、守りたいものも壊してしまうほど、大きな力。
 何故、私たちはこんな力を手にしたのだろう?
 何故、何かを傷つけて生きていくことを己に許したのだろう?
 何故――――?




邂逅という名の出会い それは運命により導かれたもの 偶然と必然の産物――
第19話 再会の約束




 ――カタッ
「おや? 何してるんだい、ジラ?」
 ちいさな写真立てを手にとった中年の女に、偶然その家を訪れていた男が不思議そうに尋ねる。
 じっとその写真を見つめていた女は、はっと気付いたように目を大きく瞬いた。
 それは、見ようによっては涙を堪えるような仕草にも似ていた。
「……ん、ああ……。ちょっと、この子の事を思い出していてね……」
 溢れんばかりの慈愛に満ち満ちた表情で見つめる先にある写真に、男はああ、と頷きを返す。
 ずっと昔に、それを尋ねたのは自分だったから。
「たしか、何年も前に死んだって言う、息子さんかい?」
「そうさ……かわいい、やんちゃな子だったよ。あの腕白ボウズに少し似ていたかね。そりゃぁ頭が良くてねえ、いつか絶対に医者になってあたしを助けるなんて言っておいて、あたしよりも先にさっさと死んじまいやがってさ」
 そう言う声は微かな哀しみに染まっているものの、その瞳には慈しみが溢れている。
 男は優しげな笑みを見せる女を見て、自身もまた、そっと笑みを浮かべた。
「……そりゃぁ、一度見てみたかったよ。あんたには似てなかったんだろうねぇ」
「余計なお世話だよっ!」
 怒ったような言葉の中には、しかし楽しげなものがしっかりと混ざっている。笑いながら交わす会話。
 ここでは、過去は悲しむべき事ではないのだから。過去を振り返り、未来のために同じ過ちを繰り返さないことが大切なのだから。
 歩いて家から出て行く馴染みの隣人に軽く手を振り、女はもう一度古ぼけた写真を見つめた。
 古い写真。端は擦り切れ、色も大分褪せてしまっている。そこには若き日のジラと明るく笑う男の子、そして顔の部分が黒く塗られた男が並んで立っている。
 写真立ての裏をひっくりかえすと、ペンで小さな文字が入れてあった。
 『クアトリーにて ジラ/ウルト/ケヴィン』
 脳裏に浮かぶ、昔の楽しい記憶。もう今では思い出にしか過ぎない、大切なモノ。
 どうして今になって思い出したのか、その理由もわかっている。
 先日、突然にして現れたかと想うと嵐のように過ぎ去っていった少年達。彼らのどこかにに、昔の息子の面影を見出していたのだろう。
 自分にそんな弱い部分があるなど、想っても見なかった女は小さく苦笑を浮かべていた。
 ほんの数日。あっという間だったけれど、どれほど彼らに救われた事か。
「もう一度……いや、あの子達が無事ならいいさ」
 小さく呟く女の声は、砂漠特有の乾いた風にかき消されていった。
 願わくば、彼らの旅に幸多からんことを――。


*****


 流れては涙を零し 流離う風
 決して交わることのない兄弟たちよ
 願わくば 彼らが――――


「ほら、キミ達。見えたよ」
「え、ほんと!?」
「嘘うそッ! もう?」
 軽やかに、けれどどことなくぎこちなさの残る稚拙な音が途切れ、変りに元気の良い声があがる。
 青年の指差す先に、我先にと3人の少年達がさっと身を乗り出して目を凝らす。
 ずっと遠く、幌の外一面に広がる砂漠の先に、微かにそれまでとは違う『街』の姿が見え隠れしているのが目に入った。砂漠にはない色。それらは屋根の色であり、また人のいる証でもある。
 額に手を当てて目を凝らしていた少年が、嬉しそうな声を上げる。
「お、ほんとだ! やったぜ、これで久々に新鮮な水が飲める!」
「トニー君……その前にやる事があったでしょう?」
「だーいじょうぶ、分かってるって! でもそれくらいいいだろー?」
「私、買い物したーい! あとお風呂も!」
 確かな目的地が目の前に現れた事により、嬉しさの溢れた明るい声が辺りに響きだす。
 隠された小さな町から馬車に乗って2.3日ほどの距離に、クアトリーがあった。
 もちろん、安全なルートを通ったために多少時間はかかり、彼らが思っていた程砂漠の旅は優しくはなかったが、若いだけあって大してこたえはしなかった。
 それでもやはり、乾燥した砂漠の旅に疲れが出始めたのは確かで。
 これでやっとこの短いたびも終わるのかと思うと、複雑な思いが胸中を占める。
 幌馬車に乗っている間は曲の練習やら砂漠のルールやらを教わったりで楽しかったが、今日にはこの短い旅はあっという間に終わりを告げるのだ。
 僅かに目を細めたリリスは、ふと、小さな声を唇から滑り落とした。
「……ここで、お別れかぁ……」
「そうですね……」
 その呟きに、思った以上に静かな声がスコットから伝わる。
 それを耳にして、トニーは一人、不満げな表情を浮かべていた。
 自分達にはしなくてはいけない事があるのだからしょうがないけれど、でも、この楽しい旅がもう終わってしまうのかと想うと……。
「なんか、ちょっとつまんないな」
 この数日の道程ですっかり仲の良くなった御者の青年は、その声を耳にしてふっと小さな笑みを浮かべた。この少年らしい、率直な言葉がすっと胸に染み渡ってきて。
 彼は昔、彼自身も同じ様にして教わった事を思い出し、ゆっくりと口を開いた。
「なあ。……砂漠と海の旅は再会を約束せず、別れを言わないって、知ってるか?」
「え?」
「そんなのあんの? おっさん」
 いつものように御者の『青年』はその言葉に眉を寄せながらも、声に笑いを滲ませている。もう既に何度も言い合い、とっくに『おっさん』を『お兄さん』に直すのを諦めているのだ。
 だが一応言っておかなくては、と思いどうでもいいような口調で言いなおす。
「お兄さん、だろ。……海ではいつも無事に帰ってくるとは限らない。そして、一度きりの出会いも数え切れないほどたくさんある。だから海の旅人は再会を決して約束しないんだと。そして砂漠は昔から『砂の海』と呼ばれている。だからかな、同じ様にここでも再会の約束をしないんだ。別れの時は決まって「また」と言うだけでさ。そうすると、不思議と何度も出会うんだとさ。海のどこかで」
 だから別れの挨拶で「さよなら」は禁物だよ、と笑って言う青年に、3人はふぅんと不思議そうな表情を浮かべながらあいまいに頷く。
 今まで、そんな話は聞いたこともなかったリリスは、そんな事もあるのかな、と思ってゆっくりと口を開く。
「そんなのあるんだね。知らなかったな」
「俺も」
 リリスの言葉に頷くトニーに、スコットもまた同じ様にコクリと頷きを返した。
「私も知りませんでした。砂の海とは随分と詩的な言葉を使うんですね」
「だから、だろ。昔から旅をする奴らはロマンをもってないとやってけない、って親父も言ってたからな……っと、ほらついたぜ」
 そんな話をしているうつに、いつの間にかたどり着いていたらしい。
 ゆっくりとしたスピードで、たくさんの荷を積んだ馬車は町の入り口で止まった。途端にさっと飛び降りた青年は手綱を引きながら馬車専用の停留所へと足を向け、そこに手綱を結びつける。
 馬車が止まる前にトニーは飛び降り、残る2人は馬車がきちんと止まってからゆっくりと幌から降りると、トニー同様あたりをきょろきょろと物珍しそうに見回した。
「なんだ、そんなにこの街が珍しいか? メリアブールとかの方が都会だろうが」
「都会じゃないから、珍しいんじゃんか」
 御者の青年がそんな3人に歩み寄りながら言った言葉に、トニーが楽しそうな口調で言い返す。
 それで彼がきたことに気付いた彼らは青年に顔を向けると、彼はすっと手を差し出した。
「ここでお別れだ。あとは大丈夫だろ?」
「あ……」
 そう、彼は頼まれた荷物を運んできただけ。ただそれだけで。
 当然、街に着いた以上はもうお別れで――。
「……ああ、あんがとな!」
 にか、と笑みを浮かべたトニーはその手を握り、大きく言い放つ。その後を変わるようにスコットとリリスも同じ様に手を握り合う。
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
「砂漠では助け合いが当然だからな。お前も怪我してるんだったらもっと身体を大切にしろよ?」
「……ええ」
 小さく苦笑を浮かべながら、純粋に心配してくれている青年の言葉に頷きを返すリリス。
(でも、もうそんな余裕もなくなるかもしれないけれど)
 こっそりと想う言葉は、決して外には出す事はないのだけれど。
 腕や足どころか、服の下にも見え隠れする包帯。だが、その下の肌にはもうほとんど傷など残ってはいない事を知っているのは、リリスだけだったから。
 青年は荷を運び出しながら、くるりと振り返るとトニーに向かって大袈裟に眉を顰めて見せた。
 貴金属の入った箱をトン、と荷台に置くとトニーの頭にポンッと片手を置き、
「他の2人はまだいいとして……おまえはそそっかしそうだからなぁ。心配なんだよな」
「なんだよ、それっ!」
「そうそう。ほっといたらこう、何かしでかすんじゃないかと……」
「まぁまぁ」
 わざとらしくため息をついて見せた青年とリリスの2人にトニーが食って掛かるが、その前にスコットの合いの手が入る。
 にこりと笑い、トンと胸を叩いて、
「大丈夫です。私がついていますから」
「あははははは! そうだな!」
 そんな様子に青年は大笑いし、リリスもまたつられるように小さく噴出した。
 肩を震わせて笑う二人を恨みがましく見つめ、トニーはじ〜っとスコットを見つめる。
「……スコットぉ」
「伊達に長い間一緒にいるわけではありませんから。ご心配なく」
 そんなトニーに構う事無く青年に向けて言うスコットに、彼は目じりに浮かんできた涙を拭いながらコクコクと頷きを返した。
「な、なら大丈夫だな……」
 ふう、と息を整えて3人の顔を順に見つめる。そして、再び笑みを浮かべると彼は再び箱と紙束を手にすると、さっと歩き出す。
「じゃあ、な! 元気でいろよ!」
 鮮やかな笑みを残し、さっと歩いていく青年。
 そんなあまりにあっけない別れに苦笑を浮かべながら、トニー達もまた思いっきり大きく手を振り回した。
「さよな――じゃない、ありがとう!」
「おっさん、さんきゅー! 『また』な!」
「どうもありがとうございました!」
「お兄さんだろ!」
 そう言うと、もう後ろを振り返らずに人込みに紛れる青年に3人は微かな寂しさを胸に、そっと笑みを浮かべていた。
 笑顔での別れは、きっと再会できることを知っているから。だから、この淋しさは一時のもの。
 手を振り、青年を見送った後トニーはリリスを振り返った。
「俺たちはこれから連絡して、すぐに別の所に行くと思うけど。リリスはどうすんだ?」
 まっすぐな眼差しで、直接瞳の中を覗き込んで来るかのような唐突なトニーの言葉に、リリスは一瞬目を瞬き、考えるように首をかしげる。
「ん〜? ええと、2,3日はここにいるよ。必要なものを買い集めて、それから」
「前に言ってらした探し物、ですか? 失礼ですが、何を探しているんですか?」
 曖昧に誤魔化した最後の言葉に、スコットは不思議そうに問い返す。そんなスコットに答えもせず、リリスは困ったように微笑みを浮かべる。
 そんな彼女の様子にトニーは微かに苛立ったように言い募る。
「知り合いか? 何か大切な物なのか? 大変そうだったら俺たちが手伝っても……」
「トニーとスコットにはやることがあるんでしょ? それに、私自身で探したいんだ。『アイツ』は、あたしが……」
 笑顔で言葉を繋いでいたリリスは不意に、言葉を途切れさせる。ふっと口を継ぐみ、ほんの僅かに顔を俯ける。しかしすぐに顔を上げて明るく笑って見せた。
 一瞬前の表情はすでに拭い去られ、楽しげな笑みを顔一面に浮かべて。
「大丈夫、絶対に逢えるよ。しなきゃいけない事をしてからでも逢えるもの!」
 何かを隠すようにした言葉と笑顔に、二人は言葉をぐっと飲み込む。
 きっと彼女は、これ以上内に踏み込まれることを許してはくれないだろうから。この数日間の間に、彼らはそれをはっきりと理解していたから。
「……そう、だよな」
「もちろん!」
「きっと……ですよ?」
 だから、問いかけるのではなく2人は笑顔を浮かべて手を差し伸べる。
 きょとんとしてそれを見つめたリリスは、笑みを深くして交互にそれを握り返した。硬く。
「……では、そろそろ失礼します」
「何かあったらシャトーに連絡しろよ! 俺たちの名前を言えば大丈夫だからさ!」
「うん! じゃあ、『また』ね!」
 そう言うと、彼らはさっと走り出していった。彼らもまた、後ろを振り返ることはしなかった。
 そんな少年たちを、リリスはいつしか年不相応の表情で見つめていた。
 苦しみを知り、悲しみを堪えるような、そんな表情で――。
 そっと、唇から言葉が刻まれる。
「きっと……また、逢うよ。逢えるよ。貴方達が『貴方達』である限り。でも、その時にはもしかしたら、もう今までのように私に接してくれないかもしれないけれど……」
 深い哀しみを込めたその言葉は、乾いた風に流されて彼らの背に届く事はない。
 少女が浮かべたその微笑みも、また。

   ィンッ……

 片耳にだけつけられた金のイヤリングが、煌きを残しながら風に揺られて涼やかな音を立てる。しかしそれは、少女には違うように聞こえていた。
 彼らと、そして置いてきた者たちとの間に出来た、消えない亀裂のように。
「……ごめん。ごめんね……トニーもスコットも、きっと巻き込んでしまう。もう、巻き込んでしまったのかもしれない。でも……今度こそ、止めて見せるから。絶対に」
 小さな掌を握り締めた拳は、少女の決意を表していた。
 かつて2度も止められずに犠牲を出した分、これで最後にしないといけない。
 たとえ、自分の命が消えようと――。


 砂漠の町に、太陽がゆっくりと沈んでいった。




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