奈落の底よりも深く、永遠のように続く果てしない世界。
 遥かな昔、人が人として生き始めた時代と時を同じくする時。
 誰もいない、外へ出ることの叶わないこの世界へ、2つのモノがやって来た。
 一つはその体に並外れて大きい力を持ち、遥かな未来に希望をもたらす事になる少女。
 もう一つは強大な力と恐ろしい姿を持ち、遥かな未来に絶望をもたらす事になる魔人。
 そして二人がここを訪れて、長い、長い時が過ぎた。
 『時』という概念すら、忘れてしまうほどの……。




時のきっかけ それは僅かなりしの焔のみ――
第2話 少女の心




 絶え間なく続くまどろみの中、少女は目を開いてみた。
 それまで脳裏に浮かんでいた情景は消え去り、変わらないものだけが現れる。
 いつもと同じ、闇。何も動かない、何も変わることの無い空間。これまでと、そしてこれからも変わるはずのない場所。
 何も変わってなどいないのに、でも確かに何かが違っている。
 いつかも感じたことのある『予感』が、焦りを生み出す。それは今ではなく、これから―― いつかに起こる事の前触れ。
「何……?」
 虚ろな瞳の少女は、そっと呟いて瞬いた。
 自分の言葉が、たった今感じたことがわからなくて。知っているはずなのに、それを思い出すのを心の何処かが拒絶している。頑なに施された封に、自分を跳ね返されることを知っているから。
「何が起こるの?」
 それは、彼女の罪。彼女の未熟さが生み出した、償うことのできない、罪。
 刹那、鋭い叫びが少女を貫く。
(誰か――誰か助けて!!!!!)
 びくっと身体を震わせ、無駄と知りながらも叫びの主を探してみる。
 儀式的な動作で辺りを見回し、誰もいないことに安堵する自分を嘲る。
 かつてあれほどまでにぬくもりを求めたのに、今のこの自分はどうだろう?
 守るために、自分の全てを犠牲にして。何も恨むまい、と決めた。自分の選んだことだから。自分で招いた結果だから。
 でも――でも、今は?
「後悔、してる……」
 暗い闇の中で、死ぬことすら許されず。ただ一人、永遠の闇と主に存在する事を誰が求めた?助けたかった。救いたかった。
 でも、それ以上に自分が生きていたかった。だから戦った。でも、こんなこと求めていなかった。決して。
 誰かが傷ついて欲しくない……でも、自分が傷ついても良かったわけじゃない。
 誰かを守りたかった……でも、自分を守りたくないわけじゃなかった。
 流れることの無い時間の中で、幾度問い掛けたのだろう。

 何故――と。

 だから、心に封じた。
 これ以上、苦しみたくないから。
 これ以上、心を壊したくないから。
「わかっているはずなのに……」
 長い闇の中で壊れ、ひび割れた心にそれは余りにも辛いことだから。
 たくさんの人が死んだ。小さな弱い人の心を踏み躙った。
 それは、彼女の所為。彼女の過失。罪。彼女とその同胞の犯した罪だから。
 しかたなかったなんて言葉では、済ませられない。
 自分達が助かるために封じて、でもそれは新たな悲劇を生み出してしまった。
 誰もが考えていた可能性。知っていたはずの過去と未来。あえて目を塞いだのは、何のためだった?
「何かをしなきゃいけないはずなのに……」
 癒されず、傷ついたままの心を見つめようとはしないでただ、厚いヴェールに包みこんだ。
 見たくなかったから――何を?
 信じたくなかったから――どんなことを?
 心の奥にしまいこんだ――何のために?
「『今度』こそ、何とかしないといけないはずなのに……」
 頑なに目を背けた真実に、きつく結んだ手を伸ばす。
 心の中に埋め込まれた鎖が、その手を阻もうとするのが感じられる。胸の何処かが駄目、と叫ぶたびに痛む心。
 辛い記憶の欠片を拾い集めるたび、心の何処かが砕けそうになる。
 しかし――。
「見つめなきゃいけないの」
 それは、想い。
 それは、誓い。
 一瞬にしてよみがえる思い出に、胸の痛みがいっそう増して行く。


(約束、だよね?)
(うん、約束だ。俺の命ある限り守ろう)
(じゃあ、僕も! 守るよ、絶対に!)


 遥かな昔に交わした、小さな思い出。
 彼と会えたのはあのときで最後になった――彼自身に会えたのは。後に出会った親友と、再び交わした約束。
 今の自分は、それを守っているのだろうか。
 たったひとつ。命と血を賭けた誓い。
 もう彼らは生きてはいないだろう。もしかしたら、死んでしまっていたかもしれない―― それでも。
「もう、あんな想いをする人がいないようにしたい」
 心の奥に暖かいものが満ちてくる。しないといけなかったことを、見つめないといけない。
 それは、勇気。
「大切な人を失う人がいなくなるように……」
 それは、希望。あのときの自分の持っていた、大切なもの。
「約束を果たすために」
 果てのない、未来のために必要なたったひとつのもの。
 それだけで生きてはいけないけれど、それがあれば人は生きていける。それを、知っていたから。
「わたしは――」


*****


―――何ガ起コッタノ?


 あの時は、気付けなかった。
 何が起こったのかもわからなかった。
 そのせいで、たくさんの人が死んで。
 彼女に犠牲を強いてしまった。
 あの時の、自分のように。


―――ヤメテ! ソンナ事シタラソノ人ハ……!?
     ドウシテ! 私はココニイルノニ!
     ワタシニハ、アイツヲ止メル力ガアッタノニ! 


 あの時は、止められなかった。
 機会はあった。
 でも、見逃してしまった。
 彼を、苦しめてしまった。


―――ワタシノ所為。
     ワタシガアイツヲ止メテイタラ、アノヒトタチハ死ナナカッタノニ。
     ワタシガアイツヲ止メテイタラ、アノヒトハ戦ワナクテヨカッタノニ。


*****


 あれから、たくさん後悔した。
 たくさん苦しんで、たくさん悲しんで。
 償わなければならない罪を忘れて。事実から目を背けるしか、出来なかったから。そうして昔の夢だけを見れば、いいと思っていた。暖かい思い出だけが、自分を癒してくれるから。
 でも、罪悪感は消せない。一度覚えた痛みは消せない。知っていたことだから。
 だったら――。
「止めなくちゃ、いけない」
 今まで、わざと気付かない振りをしていた気配に向き直る。
 暗く、強く輝く波動。彼女と共にあった、懐かしい血を持つモノ。
「今までのは、あいつの一部だけだった。でも、今度はあいつ自身が行くはず……」
 その気配の主は、とっくにこっちの考えていることなどお見通しだろう。『彼』は、自分をよく知っていたから。
 彼女のできる事などたかが知れている。それでも、やめる訳にはいかない。約束したのだから。
「もしそうなったら、あの世界は滅んでしまう。その前に」
 彼女自身の罪を、見つめ続けると決めたのだから。
 罪は決して消えない。成された刻印は鮮やかに刻まれ続けるだろう。
 この命続く限り……永遠に。
 それでも、償い続けなくてはいけない。彼女自身が、望んだことなのだから。
「まだ、決着はついていない。あの人達はまだ諦めていない。もう、彼女のような犠牲は出しちゃいけない。あいつが出て行ったら、大変なことになる……!!!!」
 瞼の裏には、たった今戦っている彼らが映っている。その誰にも、絶望の影は見られない。
 彼らのような人間がいるのなら、もしかしたらどうにかなるのかもしれない。
 一瞬、忘れかけた故郷が甦る。
 燃え盛る炎、崩れ落ちた建物、横たわる人々の死体。
 輝く草原、冴え渡る空、微笑を交わす人々。
 そのどちらも、彼女の知る故郷の姿。
「そんなこと、させない」
 今、アイツは扉を無理に作ろうとしている。
 螺旋に絡まった空間の中で、壁をこじ開けようとしているのだ。そのために力の一部を分けている今なら、何とかなるかもしれない。
「今度こそ、今度こそアイツを止めて見せる!」
 体に残っている力の全てをかき集める。たった一滴も残さないように、全ての力をかき集め。
「もう、あんなこと、絶対に繰り返させない!」
 すべての力をあいつへと向ける。
 少しの間だけでいい。倒さなくても構わない。ここに留める事ができれば、いいのだから。
 少女の瞳が淡く光を放つ。それは、限界を打ち破ったことの証。
 彼女に眠る力の一端の、解放の印。
 そして彼女は両の手を硬く握り締め、飛び立っていった。何もかもが閉ざされたが故に決して途切れる事の無い命で、アレに立ち向かうために。
「絶対に―――――――――!!」


*****


 それは今からちょうど3年前、焔の魔人と剣の英雄の戦いと同じ日にまったく別の世界で起こった、一人の少女の長い戦いの始まりを告げる出来事だった。
 そして彼らは何かに導かれ、時空を越えて出会うことになる。
 長い時を超えてやって来た少女と、彼らの敵と、大いなるものに。
 それはそう遠くない時にやって来るだろう。
 そして、彼らは再び戦うことになる。
 未来を掴むために――――。




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