全てのものが、闘っていた。
 あるものは、平穏な日常と。
 あるものは、敵うはずのない強大な敵と。
 またあるものは、絶望と共にある不治の病と。
 またあるものは、途方もない死の恐怖と。
 決して敵わないものから、なんでもない小さなものまで。
 いつも、どこでも、数え切れないほどの生きとし生きるものが闘っている。
 今も、今までも、そしてこれからも。
 一瞬のものから永遠に続くものまで。
 たった一つの命も、数え切れないほどの命も。
 小さな惑星も、万の銀河も、億の次元でも。
 そして彼らもまた、闘っている。
 得体の知れない、全てのものと。




ほんの一時の出会い それは一瞬の別れを伴うもの それは確かな物となり 彼らの心を揺らす一筋の波紋となる―
第21話 新たな渡り鳥




 何故か、一人で部屋にいるのに耐え切れなかった。
 アシュレーは静寂に支配され、僅かな照明に照らされた廊下をそっと足音を忍ばせて歩いていた。分厚い絨毯の敷き詰められた廊下。それが足音をそっと消し去ってくれているのだ。
 昼の太陽の輝きが、何故か思い出される。そして、それを思うたびに胸の奥深くに眠る『何か』が動く出しそうな不安に苛まれ、アシュレーはいつしか横たわっていたベッドから飛び出し、こうして歩いていたのだった。
 当てもなくさ迷い歩いてから、アシュレーはふと思い立つとそっと階段を下り、とある場所へと歩みを進めていった。
 中央のバルコニーの辺りへと赴くと、それに凭れてそっと天井を見上げる。
「……ああ……月が出てるんだ、今日は」
 浮かぶのは、小さな笑み。
 目を細めてそっと手すりを握りながら、じっと、ただそれだけを見つめる。
 天井にある、大きな窓。薄い色ガラスで出来たそれは、ステンドグラスにも似た細工になっている。開閉が出来ない代わりに、いくつかのパーツに仕切られたそれは一枚一枚のガラズが巧妙に色分けされており、床に落ちる影に微妙な色を与えている。
 以前、それにまっさきに気付いたリルカは目を輝かせて「夜に見たら、もっと綺麗よね!」等と言っていた。それを、なんとはなしに思い出す。
「そうだな……夜の方が、綺麗なのかもしれない……でも」
 ガラスの上に輝く月と。
 壊れそうなほどに美しい、星々の煌きとが。
「昼の輝きに憧れるから……夜は、決して昼とは交わらない……だから」

 夜ニ住マウモノハ、昼ノ輝キニ憧レル。

 声ではなく、唇のみの動きでそう呟いた途端に、ドクン、と『何か』が強く鼓動する。
「くっ……!?」
 あまりの強さに思わず胸元を強く掴み、よろけそうになる身体を大理石で作られた手すりを強く握り締める事で、咄嗟に押さえこむ。
(ダメだ……ダメだ、ダメなんだ……! 消えてくれ……!)
 大きな鼓動は、千切れるほどに強く堅く抱いた痛みにそっと押しつぶされていく。
 やがて、胸を貫くほどにざわめいた痛みが消えた時。アシュレーの頭上で月がそっと輝いていた。


*****


 どうして、想い、願う通りにいかないのだろう。
 そうすれば、きっと願う全てを救う事が出来るのに。
 どうして、自分さえもこうまで思う通りにいかないのか。
 何故……?


*****


 ゆっくりと、重たい足取りが1つのドアの前で立ち止まった。
 鍵をかけずにいたそのドアを音をたてないようにして開き、重い身体を辛うじて中へと押し入れる。持たれかかるようにした背中で、ドアが小さな音をたてて閉じる。
「はぁ……」
 どうしようもない不安が、胸を焦がしていく。焦りばかりが生まれ、判断を鈍らせている。みんなの前ではなんとか取り繕っているが、いつまでもつかはわからない。
 あの地震から、表面上何も起こっていない。表面上は、だ。
 しかし確実にガーディアンの力は弱まり、彼の内を焦がす焔は成長している。
 リルカたちは帰って来て早々に寝込んでしまい、結局今日は動くことが出来なかった。久しぶりに連絡の取れたトニー達が持っていたらしい情報を聞き出そうとしてもすぐに切られ、今はもう移動してしまっている。
 トニー達に再度連絡を取ろうにも彼らは通信機など持っていないし、それが出来るであろうマリアベルに頼んでも「それどころではないのじゃっ!」とにべも無く断られてしまった。
 彼女は何かいつもと様子が違い、連絡の事を聞きにきた彼に何かを言いかけ、やがて力なく押し黙ってしまった。
(マリアベル……何か、解ったの、か……?)
 あの血塊を持ち帰ってから、ずっと地下室にこもって何かを必死に調べているようだった。手伝おうにも、「邪魔じゃ!」の一言で追い出されてしまう。彼らにしても専門的な知識を持っているわけではないので、そう言われると何も出来ない。
 だが、どこか――いつもの彼女らしくないと、どこかで感じた。
(何も……動くことが出来ない。確実に何かが起こっているのに……先手に回ることが出来ない)
 それが、アシュレーを――彼らを急き立てている。
 時折思い出したように急き立てるこの痛みにも。記憶の中で声を上げる、あの叫びにも。
 堅く握り締めた両手を、強く額へと押し当てる。
「次は……次こそ、動かないといけないんだ。そして、被害が出る前に、何とかしないといけないんだ……」
 夜が、更けていく。
 明日はいよいよ、ARMSの活動が開始される日。
 何かが、変わるはずの、日。


*****


 ざわめく人が溢れる街角。数々の品が売られる市場で。
 じっと難しい表情で品物を眺めていた少女が、最近市場に出回ったばかりの詳しい世界地図を指差して、声を上げた。
「おじさ〜ん、そこの地図くれる?」
「ああ、これかい? これなら……これくらい、だな」
「え、うっそ!? 地図にそんなにするの!?」
「ここまで詳しいとね。簡素版ならその4分の1ってトコだ」
「ええ〜」
 悲しげに眉を寄せた少女は、同じ露台に並ぶ品をじっと見定め、そのいくつかを手にとってぐいっと店の亭主へと差し出した。
「じゃあ、これとこれも買う。それでさっきの2倍でどう?」
 二本の指を立てて見せる少女に、老年に達しかけた男は苦々しげな笑みを浮かべて見せた。
 彼女の提示した金額は、間違いなく相場と同程度。馬鹿な客ならごまかしは聞くが、この少女の目は確か。これ以上のぼったくりは不可能だと判断し、彼はしぶしぶ頷きを返した。
「う〜ん……上手いなあ。よし、それで手を打とう」
「やった〜! ありがと♪ んでさ、これを換金したらいくらになるかな?」
 金を出す代わりに少女がごそごそと懐から取り出した2,3のアクセサリーに、店主は驚きの表情を浮かべる。
 美しい光沢を放つのは、金と銀、そして決して小粒ではない宝石達。それに施された装飾も精緻で隙がなく、間違いなく高価なものであると知れる。
 久しく見る事のなかった高価な品に、男はごくりとツバを飲み込んだ。
「こりゃぁ……見慣れない装飾だな。しかも、質もいいものばかりだ。一体どうしたんだ?」
「うん、まあいろいろと……で、いくら位になるの?」
 身を乗り出す男に苦笑を返し、誤魔化すように問い返した少女。
 その様子に何を尋ねてもムダだと悟った男は、少女からそれを受け取って小さなルーペで仔細に目を通していく。
 暫くの沈黙の後、男は感嘆の溜息と友に声を零した。
「信じられん……まさか、こんないい物をお目にかけられるとはな。だが、ここの相場は安いぞ? そうだな……これがこのくらいだと……こっちは……」
 真剣な眼差しで鑑定する男を、少女は緊張した表情で見つめる。パチパチ、と小さな計算機を弾き、やがて顔を上げた男は無言でそれを少女に見えるようにかざした。
「……ここじゃ、これが限度だ。これ以上の値で買いとって欲しいなら、もっと別の街へ行く必要があるぜ」
「……ううん、それでいいや。その値段でさっきのチャラにしてくれるでしょ?」
 正確な値段からは随分離れた値段であろうそれにあっさりと頷きを返した少女は、ちゃっかりとでもいうような口調でにっこりと笑いかけた。
 しょうがない、と小さく呟き、最初よりも随分と好意的な笑みを浮かべ、同意の声を上げた。 「ああ。それでいいかい?」
「うん。じゃあお願い」
「はいよ」
 買い取った品を紙袋に入れてもらい、売った装飾品の代金として渡された常人が持つにはいささか多すぎる金を、さらに近くの店で宝石類に換金する。それを大事に仕舞いこみ、別の店でさらにいくつかの物を買い、少女――リリスは旅の準備を整えていった。
「う〜ん……あとは食料、かな。これ以上は必要ないだろうし……お金は充分にあるから、いいけど。でも、さっきのはちょっと勿体なかったかな?」
 小さく苦笑を浮かべ、しかし微塵も後悔していないような口調で呟き、歩き続ける。
 手元のカバンは、すでにパンパンに膨らんでしまっている。回復アイテムなど、砂漠の隠れた村では用意できなかったものを中心に補充した結果だ。
 先ほど売り払った装飾品は、彼女が故郷から持ち出せた数少ない品だった。しかし、特に未練があるわけでもない。本当に大事なものは、今も身につけているものと故郷に置き去りにしてしまったものだけなのだから。
 街の外れまで来ると、さあっと砂漠特有の乾燥した風があたりをさらってゆく。するとリリスの片耳を飾るイヤリングが、涼やかな音を立てた。
 片方だけのそれは、約束の証。
 今はもう、果たすことの出来ない――――遠い、約束。
『遥かなる、遠い世界を目指し――』
 口をついて出るのは、故郷の子守唄だ。
 何よりも平和を疎み、戦いを求めた祖先を称え、その愚かしい行いを忘れないために、ずっと歌い続けた、唄。
「おや、あんた何を歌ってるんだい?」
 ゆっくりと歩を進めていたリリスに、街外れに店を構えた渡り鳥相手の商売人が声をかける。その言葉にリリスは慌てて口ずさんでいた歌を止める。
「あ、これは……故郷の歌なの。田舎だから、珍しいみたい」
「へえ〜。そうだ、あんたこのあたり初めてだろう? このマント、どうだい? 砂漠だけでなく、極寒の地でもある程度は持つよ」
「マントねえ……たしかに、あった方がいいよねえ……」
 男が差し出した淡い茶色のそれを、手にとってじっくりと眺めていく。
 手触りは悪くなく、軽いわりには生地もそれなりに丈夫そうだ。色も目立たないように、薄い砂色をしている。砂漠ではなりよりの迷彩代わりになる。
 主人に断って纏ったマントに満足げな頷きをし、にっこりと笑顔を浮かべてそれを脱ぎつつ、店の主人へと声をかける。サイフを片手に持つ事も忘れない。こうする事で、相手に買う意思があるという事を暗に伝えているのだ。同時に、相場では買う気がない、とも。
「……うん、いいねこれいくら?」
「そうこなくっちゃ! これは特製だから……」
「うっ!……もう少しまけてくれない?」
 浮かべる笑みは、随分と意識して作ってある。出来る限り可愛らしく。
 しかし、相手もそういった輩には慣れているのか、あっさりと首を振って見せた。
「駄目ダメ! こっちも商売なんでね。そうだなあ……武器なんかも買ってくれたら多少は勉強させてもらうよ」
「武器?」
 その言葉に、リリスはきょとんとした表情を浮かべる。思ってもいなかった言葉を聞かされたかのような表情を浮かべ、そうして苦味の混じった笑みを頬に浮かべて見せる。
(『本当の戦い』の時には……そんなもの、必要ない……なんて言えないし、ね)
 リリスは先ほどまでの表情をやや好意的な苦笑にすり変えると、すっと片手を腰の後ろに回し、そこに目立たぬように下げてあった短剣をちらつかせて見せた。
「これがあるから、もういいよ。それに使い慣れてない武器だと不安でしょ?」
「そうかい? ならしょうがないけど。お嬢ちゃんは渡り鳥なのかい? それにしては若い――というか、なんだか慣れてないような雰囲気があるが」
「そう……だね。なり立て、ってトコかな?」
 鋭い目利きをしてみせる男にリリスはもう一度苦笑を浮かべ、すっと背を伸ばす。
 浮かんだ表情は、困惑した笑み。けれど、それは見る者が見ればどこか人を拒絶する曖昧なものである事がわかったであろう。
 男もそれ以上は尋ねず、しばらくの交渉の後に双方同意の上で決着をつける。リリスは懐より幾らかの通貨を取り出し、それと引き換えに軽いマントを受け取って別れる。
 リリスはマントを羽織り、補充物資として最後に食料を手に入れるため、さらに街を巡り歩いていった。
 数件の店を尋ね、そこそこと見切りをつけた店で纏めて購入する。欲しいのは主に日持ちのするパンや数種の干物、小さ目の缶詰に塩などの香辛料、そして少々の果物。
「これと、これ。あとそっちの干肉もいっぱいちょうだい。それから、干した果物もある? あったら適当に包んどいて。量は適当でいいけど、多めに」
「はいよ。……毎度あり! ほら、オマケだよ!」
「ありがとう!」
「あら。ツイてるわね、お嬢ちゃん」
「うん、まぁね♪」
 店先で見知らぬ女と声を交わし、投げ渡されたこぶし大の赤い果実を手にしたリリスは大きな紙袋を片手で抱え直す。かぶりついた真っ赤な果実は、ほんの少しだけすっぱかった。なんとなく、故郷を思い出す味だった。
 両手いっぱいになった物資を容れる新しい袋も必要か、と眉を寄せつつ頭のどこかで考えながらも、リリスは懐かしさに目を細めていた。こんな些細な事からでも思い出せるほど、かの場所の思い出は薄れてはいなかったのだと。それを知る事が出来たのだ、と。
 少しだけ切ない気持ちを抱えながら、年若い渡り鳥の雛はなんとはなしに辺りをそっと見回した。
 大勢の人々がひしめく街。そこには、子供連れの女がいた。働いている男がいた。元気に走り回る、幼い子供達。微笑みを交わす若い男女。――数え切れないほどの人々。

 そして、渡り鳥。

 いかつい武器を手に、それぞれの持つ『理由』の為に、広大な世界を旅する人々。その想いは違えど、帰る場所を持たない、そして帰ろうとしない彼ら。
 彼女もある意味では、渡り鳥であるのかもしれない。
 帰る場所を失い、帰る術さえも持たない自分。彼女は今、広い世界を旅する旅人であり、そして時間を、時空さえも渡ってただ1つのモノを探し、『鳥』のように自由を求める。
 心のどこかで、帰る場所を探し求めながら――
「渡り鳥……か。ここの人たちは随分と上手い『名』をつけるんだね」
 リリスは聞こえないとはわかっていながらも、誰にも聞こえないような小さな声で呟く。
 万物に於いて、『真実の名前』には意味があり、そして『力』が宿る……だからこそ、彼ら『渡り鳥』は『渡り鳥』たる事を義務付けられているのかも知れない。


 ふわっと、遥か彼方の次元からやってきた焔の末裔の少女は微笑んだ。
 蒼天を、一羽の渡り鳥が舞っていた。




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