過ぎ行く時を想いながら、流し流され、果てのない道を歩んでいく。
 あの頃僕は何を見て、何を想っていたのだろう。
 悠久なる時間の中、全てを知ることは不可能になってしまってた。
 覆せないものがあると知った時、それは確かなものとなってしまったけれど。
 それでも僕らは何かを求め、風と共に駆けてゆく。
 過ぎ行く時と、溢れんばかりの願いを抱きしめ。
 一時の感情に流されながらも、それが正しいのだと信じて。
 それを後悔するかどうかは、全て僕ら次第なのだから。
 今はもう、遥かな『刻』の中に埋めていくだけ。
 けれど、いつだって思い出す事は出来る。
 輝くような、愛するものたちの笑顔を……




ほんの一時の出会い それは一瞬の別れを伴うもの それは確かな物となり 彼らの心を揺らす一筋の波紋となる―
第23話 旅は道連れ




 さくさく、と軽い足音を立てて細かな砂を踏み締めながら、二人は広大な砂漠を歩んでいた。
 昼をとうに過ぎ、夕暮れに近い時間になっているはずだが、それでもまだ日は充分すぎるほどに高く、痛いほどの光を放っている
 足元の砂は空から舞い降りる熱に焼かれ、半ば白く炭化している。そんな薄茶の砂に直接触れれば、最悪火傷してしまうだろう。そして、その源である太陽に直接晒されてもまた同じ。
 よって、砂漠を旅する者達は必ずと言っていい程、白い布を被る。衣服は長袖、手袋を嵌めて出来る限り露出を避けてマントを羽織る。そして頭からすっぽりと被るようにして、大きめの布を被るのだ。それが、太陽の光から彼らを守る物となる。
 四角い布を頭に被せるように乗せ、細い飾り紐で額から頭を回すようにして布を結び、固定する。それが一般的なスタイルで、砂漠の周辺にある街や村では白い布に美しい刺繍を凝らしたターバンが広く売られている。
 そんな格好をした人物が二人、背後に街の景色を背負って砂漠を進んでいた。
 一人は壮年の男。年は30代前後に見え、深緑色のマントを羽織っている。かなり砂漠には慣れているらしく、その足取りは軽い。
 もう一人は年若い少女。10代後半と見られる彼女は、男と同じ様に砂色のマントを羽織り、やや慣れない足取りで歩き続ける。時折、美しく刺繍された被り布を揺らし、暑さに耐えかねたように首を振ったりしている。
 親子ともとれるほど年齢の離れた二人だが、親子と言うには顔立ちが似ておらず、恋人同士と取るには年が離れすぎている。誰かがこの光景を見れば、一体どんな関係なのかと首を傾げるだろう。
 だが、ある種の職につく者達ならば大体は理解できるだろう。彼らは渡り鳥であり、パートナー同士であるのだと。
 ――たとえ、それがただ一度きりの旅であったとしても。


*****


「へえ、探し物かい」
 男は「まぁ、ありがちだな」と呟いてから、軽く頷きながら声を出した。
「そう、探し物」
 男の声に同意するかのように、少女もあっさりとした声音で頷く。
 広大な砂漠を歩き続ける二人――彼らは和気藹々と話しながらも、さり気ない緊張感を保ちながら、時折自分達の周辺へと視線を巡らせる。砂漠に限らず、広大な自然を渡り歩く時に警戒を怠る事は、そのまま死へと直結している。冗談でも、誇張でもなく。
 彼らは砂の街、クアトリーを背にして真っ直ぐギルドグラードへと向かい、歩き続けている。
 出会ってから間もない彼らは明朝の内に準備を終え、すぐにクアトリーを出発してから今までの時間を歩き続けながら他愛ない話をしていた。
 僅か数日前まで赤の他人同士だった彼らだが、しかしいつしか二人は互いの旅の目的を軽い調子で尋ねあうほどになっていた。
 ――本来、渡り鳥にそれを尋ねるのはタブーと言ってもいい。それは今の己を作る大切な事であり、軽軽しく話したりするような事ではないからだ。
 だが、何故か彼らはそれをあまりにもあっさりと口にしていた。
 理由はわからない。
 けれど、この相手なら――それを話してもいいのだと。そう思えたから。
「あぁ……暑っつ……」
 見事な黒髪を持つ少女、リリスは滴り落ちる汗を拭い、軽く手をそよがせて風を顔に送った。そんな様子に男は苦笑を浮かべ、「日焼けが火傷になるぞ」と注意を促す。
 ――彼らは今、広大な大陸を二分する砂漠を渡ろうとしていた。
 自らの目的の為に砂漠を渡ろうとしていたリリスは現在、偶然に出会った男と共に旅をしている。
 昨夜クアトリーにある小さな宿で変わった出会い方をした二人は、夕食を共にする内に意気投合して次の目的地についても語り合い、そしてその方角が同じなのを――お互いが共に砂漠を渡ろうとしているのを――知ると、共にパーティーとして今回の旅に挑む事にした。
 砂漠は元々、人を寄せ付けない自然の作り出した一種の聖域。過酷な環境が取り巻き、少なからぬモンスターが彷徨う場所
 そんな場所を旅するのは渡り鳥、もしくは商業を目的とした一部の者達だけ。だから、そんな者達が同じ様に砂漠を渡るのを知れば、人数が少なければ少ないだけ、共にパーティーを組むのはある意味当たり前でもある。
 それに――リリスは一目であった時から今は相方となったこの男にどこか引かれるものを感じていた。また、話してみると彼が見かけ以上に経験を摘み、そして信頼できる人物だと言う事がわかった。共に旅をするのに、不足は無いと言うものだ。
 また、彼もリリスには借りがあるといい、自ら進んで共に行く事を承諾してくれた。彼自身が今回の砂漠の一人旅に多少の不安を感じていた事も有るし、何よりリリスが理由を尋ねれば、彼は笑って「信頼できると思ったからな」と答えた。
「君のような若い子が一人で砂漠を行くのを放って置けないだろう?」とも。
 その翌朝、男はリリスに砂漠装備を改めて整えてくれ、必要な物資を教え、そして朝の内に二人はクアトリーを後にしていた。
 肩越しに背後を振り返り、随分と小さくなった街並みを目にしたリリスは当然のように少し前を歩く男に改めて問い掛けた。
「そういうあなたは? なんで旅をしているの?」
「俺は……まぁ、なくしたものを探す旅、ってやつかな」
 隣を歩く渡り鳥――ケヴィンと名乗った男ははどこか照れたような、悲しんでいるかのような表情を浮かべながら、気取った口調で継げる。その眼差しは、どこか遠くを見据えているようにも思える。
 若々しい話し方。声だけを聞けば、ともすれば20代の若者とも思える。顔を見れば30代とも40代とも思えるが、その動作に機敏さは欠けておらず、見かけだけでは年齢を判断する事が出来ない。
 そんな不思議な男を見て、リリスもまたふっと表情を翳らせた。
「"なくしたもの"……か。あたしはまだ、"なくして"はいないと思うけど。……ねぇ、そういえば昨日は何を狙われてたの?」
 切なげな口調で小さく呟いたリリスは、すぐに気分を切り替えるように明るい口調で尋ねた。その言葉に、ケヴィンははっとしたように目を瞬く。
 刹那、目の前に確固たる存在としてあったはずなのに、突如として消え去った幻。美しい思い出と紙一重の存在だったもの。それが、脳裏を過り、目に止まるよりも早くに消滅する。
「――あ、ああ。これさ。綺麗だろう?」
 そう言ってケヴィンはゆっくりと胸元の奥から、小さなものを取りだしてみせた。
 パカッと蓋を開くと、そこには東西南北を現す小さな記号、そして中央には先の尖った針が揺れている。見れば一瞬でわかる。旅をする者や商人など、いくつもの町や村を渡り歩く者には欠かせない方位磁針――コンパスだ。
 銀で装飾された小さいそれは、アンティークだろうか。年代を重ね、遠い年月を辿った趣を持っていた。要所要所には目立たぬように美しく細かな装飾が掘り込んであり、素人目にもわかるほど、それは高価な一品。煌く輝きこそないものの、柔らかな光を反射するそれは例えようもなく、見るものに素直に美しいと感じさせる。
「わぁっ……!」
「もちろん、これ自体にも相当な価値があるが……俺にとっては大切な思い出の品なんだ。だから、どうしても手放せなかった……」 
 目を輝かせる少女にそれを手渡してやり、嬉しそうに微笑みながらケヴィンはそっと吐息を洩らすようにして言葉を紡ぐ。
 その眼差しは、注意しても判らないほど微かな、けれど酷く暖かいものをいっぱいに湛えていた。
 手の中でそっとコンパスを動かして見つめていたりリスは、ふっと浮かんできた小さな疑問をそのまま口に出した。
「理由はわかったけど……なんで最初から反撃しなかったの?」
 そうすれば余計な怪我をしなくてもすんだのに、と言わんばかりの不思議そうな表情のリリスに、ケヴィンはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
 コンパスを受け取り、それを仕舞いこみながら、
「そうしてもよかったんだけど、初めから手の内を見せたら次が面倒になるだろう? それに、俺が使ったあの魔法はまだ試作段階のものらしくてね。スリープという眠りを誘う魔法で、シェルジェに勤める知り合いから譲ってもらったんだが……確実性がなかったからね」
 あっさりと言うが、もしそれが失敗していたら間違いなくコンパスは奪われ、彼自身もまた無事ではすまなかっただろう。文字通り、彼は博打を打ったのだ。
 そんなケヴィンの様子にリリスはあきれ返った。昨夜はあんなに自信有り気だったが、実はそんな事だったなんて。
「信じられない……そんな、適当な……。せめて、攻撃魔法をカプセルに詰めてもらえば良かったのに。でなければ、シールドとか。もちろん、お金は嵩むけど」
「ははは、まぁそうなんだけどね。だけど、渡り鳥家業ってのは結構金がかかるんだぞ?」
 冗談交じりに言ってみせるその男の顔は、経験豊富な渡り鳥というよりもよっぽどごく普通に働いている良き夫、良き父親であるかのような雰囲気を漂わせていた。
 20前後の若者と同じ様な話し方をするせいで、リリスは時折、彼が最低でも30後半の年月を生きた男なのだと言う事を忘れてしまう。
 そんなケヴィンに苦笑を浮かべ、「ケチだなぁ」と笑みを含んだ口調で呟きいてつっと足を速める。ケヴィンを追い抜き、僅か先へと進んで行く。
 砂漠仕様に細工された頑丈なブーツが、砂に浅い足跡を刻んでゆく。ひとつ、ふたつ、と。
 さくさくっという足音と共に、この命の見えない無機質な砂色の平原だけの世界で、確かに人がいる事を、そして人が暮らしていると言う事を教えるかのように。
「それはそうと、ギルドグラードってどんな所なのかな。行った事ある?」
「ああ、一度だけな。大きな都市だよ。ありとあらゆる技術が集まった都市で……何かを探すなら格好の場所だろうな」
 リリスの言葉に頷きを返し、考えるように言葉を紡ぐケヴィン。
 彼らはこれから砂漠を北西に進み、ウラルトゥステーションを経由してギルドグラードへと向かう予定だった。
 ギルドグラードならばいろんな技術が揃っているし、そこから各地に船も出ている。移動にも便利だし、何より彼らのいたクアトリーから一番行きやすい大都市でもある。
 そこに行く方法はそんなに多くはなく、またクアトリーから行くとなればその方法は僅かしかない。陸路か海路か、そのどちらかだ。
 空路などはまず論外だし、海路は金がかかる。だから一般の者達は多少の金がかかったとしても陸路――つまり、ウラルトゥステーションから行く方法を選ぶ。しかし、そのためには砂漠を横断しなければならない。自警団モドキの傭兵達が作るツアーなどで連れて行ってもらうか、もしくは個人で渡り鳥を雇うか。
 どちらにしろ、クアトリーから行くには酷く不便な場所にあるとしか言い様がない。一度でも行った事がある者がいればテレポートジェムを使うという方法もあるが、それは貴重品で価格も馬鹿にならない。
 時間もかからず、安全だが――一般人には手の届かない嗜好品である事には変わりはない。渡り鳥でさえ、それを常備しているものは少ない。
 事前に説明しておいたそれらをもう一度口にし、ふと思い出したようにケヴィンは前をゆく少女に問いかける。
「でも、金はあるのかい? 鉄道は大陸を渡れる便利な手段だが、その分それなりの金がかかる。ちょっとくらいの手持ちじゃ足りないかもしれないが……」
「それは大丈夫。オジサンよりも持ってる自信はあるよ♪」
 楽しそうな表情を浮かべるリリスにしかし、ケヴィンは『オジサン』という言葉に彼は不満そうな表情を浮かべ、「オジサンじゃなく、ケヴィンって呼んでくれないか?」と言ってから、改めて目の前を行く少女に感心したような眼差しを向ける。
「意外だな。見かけによらず……なかなか稼いでいるようだね」
「稼いだんじゃないって。これは準備金みたいなものだし」
 気楽な口調で言ったその言葉にケヴィンはぐっと眉をひそめ、じっとリリスの顔を見つめた。
 準備金。もしもそれが本当なら、
「リリス……もしかして君、新米なのか? まさか、戦闘の経験もないなんて言うんじゃないだろうな……?」
 やや生真面目な顔になった男に、リリスは苦笑して見せた。
 確かに、自分が新米の渡り鳥である事にかわりはないし、『荒野の旅』に不慣れなのも確かだ。
 焚き火の作り方を知ってはいても、砂漠や荒野で夜の過ごし方を知らねばなんの意味もない。リリスは渡り鳥として、旅をするものとして知っていなくてはならない事の多くを知らない。……だが、戦闘の経験がないわけでは、決してない。
 だが、理由が理由だけにそれを詳しく言うのは流石に躊躇ってしまう。仕方なく、リリスは曖昧な表情で笑って見せた。
 ――できるなら、一生言う必要がなければいいのだが。
「へへ……渡り鳥になりたてだって、言ってなかった?」
「おいおい、本当か!? 冗談じゃない、旅の仕方も知らないような素人に砂漠は危険過ぎる! 今すぐ引き帰して――」
「ちょ、ちょっと! 誰も戦えないなんて言ってないよ!」
 真剣な表情を浮かべて今にも引き返そうとするケヴィンに慌て、リリスはその言葉を言い終わる前に遮り、すらっと手馴れた仕草で腰にさした短剣を抜き放ってみせる。
 鋭い輝きを宿し、陽光をはっきりと反射する刃。それは、きちんと定期的に適切な手入れが成された証拠であり、そしてこれが飾りではありえない証拠でも有る。
 リリスはケヴィンから一歩だけ離れ、それを軽い動作で構えて見せた。見かけは一本の短剣をかざしているだけ。だが、それは確かに戦うものの動きであり、戦いを知るものの動作でもあった。
 どこか不敵な表情を浮かべ、立ち止まったケヴィンを真っ直ぐな眼差しで見つめるリリス。
「確かに、あたしには旅の知識も経験もない。でも、戦闘は並以上に出来る自信があるよ」
「……モンスター相手に、か?」
 警戒するかのように問い返す疑り深いケヴィンの言葉に、リリスははっきりとした苦笑を浮かべた。
 彼の言っていることは、正しい。今のこの時代、普通の村などに住んでいる村人であっても武器の扱い等を習っているものは少なくない。そうしなければ、生きていけないからだ。
 だが、戦闘の"知識"を持っているものは、少ない。
 武器の扱い方を知っている者達の中で、実際に魔物相手に戦ったことのある者と言えばその3割もいればいい方だ。実際には、それ以下だろう。
 だからこそ、渡り鳥は忌み嫌われ、そして重宝されるのだ。モンスターと戦う術を知り、力を持つが故に。
 リリスはさっと短剣を鞘にしまい、歩み出しながら、
「大丈夫。ちゃんと魔物相手に闘ったこともあるから。それも、バルーンとか、そういうレベルじゃないからね?」
 この世界のモンスターと戦った事はないが。更に言えば、まともな『戦闘』をしたのは数えるほどで、最も最近のものは亜空間で数千数万年にも渡ってこの世界を蹂躙したモノの本体だ、とは流石に言えないけれど。
 まぁ、嘘は言ってないし。
 そんなリリスの自身たっぷりの言葉に、ケヴィンもやっと眉間の力を緩め、溜息をつきつつ少女の後を追うように歩き出す。
「ならいいけどな……でも、それだけの腕があるなら何故俺と一緒に行く気になったんだ? こんな、見ず知らずのオジサンと?」
 オジサン、という単語に微妙に力を込めたケヴィンに思わず笑みを洩らし、冷たくなり出した風にマントを揺らす。
「そんなの今更でしょ。それに言ったじゃない、『旅の知識はない』って。道を知ってるわけじゃないし、何より旅は道連れ。一人は淋しいし、ケヴィン……さん、は、いい人そうに見えたし♪」
 少女の浮かべた明るい笑顔が、ふいに男の目に懐かしい誰かの微笑と重なって見えた。
 今はもういない、会う事の出来ない懐かしい人――。
「呼び捨てでいいよ。……まぁ、いい人かどうかはわからないが、薄情者のつもりもないからな。嬉しい事を言ってくれたお礼に、特別に俺が色々と教えてやろう! 素人を放っておいたら夢見が悪いしな」
「ほんと!? ありがとー♪」
 冗談混じりの声にリリスもまた楽しげな声を上げて飛び上がる。はやく、と急かす少女の後を微笑みを浮かべてながらゆっくりと追いかけた。
 元気よく歩き出したリリスに、空を見上げたケヴィンはそろそろか、と呟きをもらした。
「あまり急ぎすぎるなよ。もうすぐ日も暮れる……休める場所を探しながら歩くんだ」
「わかってますって。どこかいい場所があったら言うから。――それで、この先には街はないのよね? 最後まで、ずっと野宿?」
 はきはきと言い返すリリスの言葉に、男は軽く眉をしかめた。
 迷うような沈黙の後、その問いに答えずに少しずつ沈み始めた太陽を見つめる。
 困ったような表情を浮かべた後、被り布に手をやってわずかに表情を隠すようにしながら、
「……いや、あることはあるし、地図にのってないような小さな町もいくらか知っているが、そういうところは他人が入るのは嫌うからな」
 あいまいな言葉を口にした後、それきり口を噤んで黙々と歩く男を見上げ、リリスは自分の豊富すぎる知識をゆっくりと思い返した。
 長い、長すぎるあいだ時間の止まった亜空間の中で彼女が出来た事といえばこの美しいファルガイアを見つめることだけ。ゆえに、彼女はそうして狂いそうになるほどの長い時の中、かろうじて自らを繋いでいったのだ。
 リリスと鮮明に映る人々や景色の間には決して繋がることのない壁が立ち塞がっていたが、だからこそ、リリスは常に「傍観者」として、この星で起きた歴史の殆どを知ることが出来たのだ。
 ある樹木や石ころの一生を見つめた事もある。ある少女が生まれて死ぬまでの事を、ずっと眺めた事も。小さな国が生まれ、栄え、滅びるまでも。そして、――ありとあらゆる戦乱までも。
 リリスはこの星にあるどんなに古い書物や、数多くの事を知る人物よりもよほど詳しい歴史を――「星の思い出」を知っている。
 ――まぁ、それもリリスがファルガイアに程近い亜空間に封じられてからの出来事しか知り得ないのだけれど。
 しかしあまりに長い時間だったため、その大抵のものは記憶の片隅に追いやられてしまったが、それでもここ数百年位のものなら苦もなく思い出せる。色鮮やかな思い出として。
 それらの知識を少しずつ辿り、やがて――リリスはとあるモノにたどり着いた。それを思い出し、リリスははっとしたように顔を上げ、自分の数歩先を歩くケヴィンを見つめた。
 悲しみと、そして小さな裏切りの上に成り立った、小さな争い。その痕跡。
「もしかして……」
 思わず上げたその声に、ケヴィンはちら、とリリスを振り返った。
 リリスの瞳に深い理解の色を認め、そして今度こそはっきりとした頷きを返した。
「知っていたのか。……砂漠を延々と進むのは無謀だし、このままいくとどうやっても塩の原野に行き当たる。建物がある場所は貴重だからな。本当は良くないんだが、そこに寄る。あと……7日ほどで着くはずだ」
 それだけを告げると、ここで待っているようにと少女に言い渡して暗くなり始めた荒地を、今夜の野宿の場所を見つけるために歩いていった。
 それを見送りながらリリスはひとりぽつんと立ちすくみ、やがてその顔に深い悲しみの表情を浮かべた。
 それを見つめたからこそ、あの時の彼らの悲しみと苦しみをわかるからこそ。
 リリスはそっとまぶたを伏せ、そしてゆっくりと星の浮かんだ北の空を見上げた。
「向こうに……あの都市があるのね。まさか、行くことになるなんて思っても見なかったけど……」
 静かに沈み行く太陽は、砂漠と荒地を血の色に染めていった。
 向かうは滅びの都、廃都アークハイム――――。




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