過去において、大きな戦があった。
 言葉では表せないほど、遠く離れた時空で。
 人が認識できないほど、遠い昔に。
 暖かな身体と心を持った者たちと、冷たい身体と心を持った者たちとの。
 ここと似ているようで、まったく違う世界で。
 全てが同じで、全てが違う場所。
 でも、その場所で生きるものたちの心は1つだった。
 どんなに違い、どんなに離れていても彼らの思いは1つだった。


 ――――生きたい


 そして、それは彼女たちも同じであった。
 だからこそ、出逢ったのかもしれない。




ほんの一時の出会い それは一瞬の別れを伴うもの それは確かな物となり 彼らの心を揺らす一筋の波紋となる―
第25話 監獄再び




「また……来る事になるとはな」
 ふと、ブラッドはそう呟いた。
 あの時は、まさか戦いの果てに、あんな結末が待っているなど――想像すら、していなかった。
 ザザ、と冷たい風が吹き付ける中、遠い眼差しで目の前に聳え立つ建物を見つめるアシュレーとブラッド、リルカ。そのときの事を話でしか知らないティムとテリィが顔を見合わせた。
 ブラッドの呟きを聞きとめたアシュレーは、やや迷うように口篭もった後、しっかりとした頷きを返す。
「ああ。あのときはそんなこと思ってもみなかったけど」
「それにここ、気味悪いから嫌いなんだけどな〜」
 先に進もうとせず、佇んだまま口々に言う3人に、カノンが剣呑な視線を投げかけた。
 どことなく、というよりもありありと苛立ちが浮かんだ表情で眉を吊り上げ、
「何を呑気な事を言っている! ただでさえここに来るまでに時間がかかっているんだぞ!?」
「あ、あのカノンさん……そんなに興奮しないでくださいよ。ね?」
「せずにいられるか!」
「まあまあ……そんなにカッカしてたら後で疲れるだけでしょ、カノンさん」
 ティムとテリィが必死になって激昂するカノンをなだめ、それを苦笑交じりに見つめたアシュレーはふっとシャトーがある方向を振り向いた。
 ここにはいない、もう一人のメンバーである人物の姿が脳裏に浮かぶ。
(マリアベル……一体、どうしたっていうんだ?)
 彼女は一人調べものがあるといって、ロンバルディアと共に何処かへ飛び去ってしった。誰にも、何も詳しいことを言おうとはしないで。
 そして、もうひとつアシュレーの頭を悩ませていることがある。
 マリアベル以外のテリィを含む6人でイルズベイル監獄島――今は「旧」だが――へ行こうとテレポートオーブを使ったところ、何故か行くことが出来なかったのだ。
 テレポートオーブ、そして通常版のテレポートジェムのどちらでも、一回行った場所ならどこへでも行くことができるはずなのに、だ。
 以前アシュレーたち3人は、確かにあそこに行った。そこではまぁいろいろとあったわけだが、とにかくそれは間違いない。なのに、何度試してみてもテレポートジェムは発動しなかった。
 正確に言えば、発動はしたが、移動することは出来なかったのだ。まるで――そう、何かに妨害されているかのように。
 結局彼らは原因もわからないまま、ケイトたちに調査を依頼したその足でホバーなどを使い、長い時間をかけてやってきたのだ。
 カノンの言い分もわからないではない、だがしかし。
 アシュレーが口を開くよりも早く、ブラッドが静かな視線を激昂しかけているカノンへと向ける。
「確かに移動に時間はかかったが、本来なら当然だろう。一般人にはジェムは高級品だからな。時間がかかるのも普通なら当然のことだ」
 淡々と正論を吐くブラッドのセリフに。カノンはぐっと拳を握り締めた。
 ふるふると震える拳を握り締めたまましばしうつむき、やがて大きなため息を吐くと多少は落ち着いた様子で顔を上げ、頷く。
 カノンの様子を見て、どこかビクビクしていたテリィたちはほっとしたように胸をなでおろす。
 それを苦笑交じりに見やり、ずり落ちてきた銃剣を担ぎなおしたアシュレーはふと、袖口を軽く引っ張られる感覚を憶えて振り返った。
 そこには、予想通りリルカがいた。いつもの様子とは裏腹に、どこか遠慮がちな上目遣いでアシュレーをじっと見上げている。
「どうかしたかい?」
「うん……あのね」
 そう言ったきりなかなか口を開かないリルカに、アシュレーは不思議そうに顔をかしげた。
 リルカらしくない。
 いつもの彼女なら、何か言いたいことがあれば思った瞬間にそれを口に出すのが当然のような少女なのに……。
 どうしたものか、と船から装備を取り出したり無線で連絡を取っているブラッド達に視線を向けた時、ぐいっと腕を直接引っ張られてアシュレーは体をふらつかせた。
「……っと、リルカ?」
「ねぇ、なんか変じゃない? 何かおかしくない?」
「おかしいって……何が? テレポートオーブの事かい?」
「そうじゃなくて! ……ううん、それもなんだけど」
 どこか必死の様子を呈しているリルカに、アシュレーは眉をしかめる。
 らしくない様子のリルカ。その姿が、何も語ろうとせずに一人で行動しているマリアベルと重なって見える。
 何か――何かが、おかしい?
「どうして、こんな時に突然テレポートできなくなるの? 今まで、ううん、あの時だって今以上に大変だったけど、でもテレポートオーブが使えなくなるなんてなかったじゃない!?」
「それはそうだけど……まだ原因もわからないんだし、」
「それに、どうしてこんなに時間がかかるの!?」
 困惑顔のアシュレーの言葉を遮り、焦った様子の早口でまくし立てるリルカ。
 自分でも心で感じている不安が彼女に乗り移ったかのように見えて、アシュレーは軽く手を握り締めた。
 イヤな予感が、胸を満たしている気がする。
「今まで何度もホバーを使ったけど、この程度の距離で出発してからこんなに時間かかるなんて、異常じゃないの? やっぱり、おかしいよ……」
 混乱した様子のリルカに、アシュレーはしばし迷ってから彼女の肩をぽん、と軽く叩いた。
 ゆらゆらと揺れる瞳に、そっと語りかけるようにして、……誤魔化しの言葉を、紡ぐ。
「今は考えてもしかたないよ。潮が荒れていたんだって、カノンも言っていただろう?」
「違ッ、……」
 反射的に勢いをつけて顔を上げたリルカは、けれど何も言えないまま口篭もり、やがて悔しそうに唇を噛み締めて顔をうつむかせた。
 すべての準備を終え、二人の様子を不思議そうに見ていた他のメンバーにしぐさだけでなんでもないと伝え、アシュレーはリルカの頭に手をやった。柔らかい、マリナのそれと似た感触のする髪を軽く撫でる。
「……そうじゃないの。そういう意味じゃなくて、なんか、こう……」
「わかってるよ。でも、今は他にやることがあるだろう?」
「うん……」
 どこか納得しきれていないリルカに、もう一度頭を軽く撫でてアシュレーは歩き出した。
 彼女の言いたいことが、わからないわけではない。彼もまた、言葉に出来ない違和感を感じているもののひとりだから。――言うことの出来ない、ひみつを持っているのだから。
 けれど、今はそれについて悩むべき時ではない。
 今は、目の前にあることを片付けなければならないのだから。
 少し離れた場所に立っていたブラッドたちになんでもないよ、と軽く声をかけ、アシュレーは監獄を見上げた。高くそびえる、壁。
 それを見上げてわずかに目を細め、胸中に湧いた種類のわからない感情を押し殺すと今度こそ、はっきりとした意志をもってみんなへと視線を向けた。
「……ここは今はもう無人だけど、モンスターはいるはずだ。決して油断はするなよ」
「はい!」
「そうですね。気をつけて行かないと……リルカ?」
「わかってるわよ、もう」
 軽く頭をふり、それまでの様子を払拭したようなリルカにわずかに安堵しつつ、アシュレーは意見をもとめ、ブラッドとカノンを振り返った。
「一応、分かれたほうがいいかな?」
「ああ……」
 頷いた後、視線を向けられたカノンはふいっとそっぽを向く。
 彼女がこういうことに向かないのはわかっているので、ブラッドはそれを気にせずに顎に軽く手を当て、そして再び重々しく口を開いた。
「そうだな……アシュレーとテリィ、ティムは中へ。俺とカノン、リルカが外……というのがベストだろう」
「理由は?」
「俺やカノンは広い場所での戦いのほうが有利だし、室内はあまり向かん。それに魔法が使える者が一人ずついたほうが回復がしやすい。何かあった場合にも、対処しやすいだろう」
 短く問うたアシュレーに、ブラッドは淡々とした口調で応えを返す。
 まったく澱みのない口調に、それを聞いた全員が同意の意味をこめて頷きを返す。
(やっぱり、こういうときにはブラッドの方が頼りになるよな)
 そう思い、アシュレーはふと苦笑を浮かべた。
 以前なら、こんなコトを思うたびに複雑な感情を抱いていた。チームを纏めるのは、彼であるべきではないのかと。自分では相応しくないのではないか、と。
 だが今はそうではないことをきちんと理解できている、と思う。少なくとも、以前のような感情を抱き、迷うようなことはなくなった。
 アシュレーにはアシュレーの、そしてブラッドにはブラッドの役目がある。そして、ブラッドではリーダーに向かないし、そしてアシュレーこそがARMSのリーダーであるべきなのだと。
 ブラッドの大きな背中を見つめて、かつての感傷を思い出してわずかに唇を笑みの形に歪めるとアシュレーはしっかりと銃剣を握り締めた。
 迷いや躊躇いを断ち切るように、きつく。
「行こう。一応通信機はオンにしておいたほうがいい。何があるかまったく解らないから、みんな気をつけて。どんな些細なことでも、必ず連絡すること」
「じゃあ、行きましょう!」
「連絡は……そうだな、1時間ごとに取ろう。集合は今から5時間後、ここでだ。そんなに狭くはないけれど、それだけあればだいたいは見て取れるだろうからね」
 と、以前ここへと訪れたアシュレーの言葉に頷きを返すリルカとブラッド。その二人へと視線を向けながら、他のメンバーもそれぞれ通信機を確かめるようにしたりする。
 言葉を切ったアシュレーに、テリィが少し考えつつ口を開く。
 確かめるというよりも念のため、のような口調で、
「何かあった場合は言わずもがな、ですけど、何もなかった場合は?」
「一度集合した後、もう一度少しでも怪しいと感じた場所を見て回ろう。それでも異常がなければ、とりあえず今回は帰還する。それでいいかい?」
 尋ねる口調のアシュレーに、テリィは頷きつつ笑みを浮かべた。
「はい。じゃあ、お気をつけて」
「また後で!」
「ああ」
「……ふん」
 それぞれに言いながら、彼らは互いに宛がわれた場所へと足を進めていった。
 アシュレー達はかつても訪れた施設の内部へと。ブラッド達はそれを取り囲む小さな森へと。
 頼りがいのある背中を見せるブラッドとカノンの背中を追いながら、早足になりかけたリルカはピタ、と動きを止めた。
 後ろを振り返り、そこに聳え立つ古めかしい、そしてどことなく不吉なものを感じさせるそれにリルカはわずかに身を震わせる。
 彼らが向かう森と、古い建物。
 前にもみたそれが、どうしてか今はイヤに無気味で恐ろしいものであるかのように感じられた。
(きっと、なんでもない……よね)
 そう言葉にしないままで呟いて、やがてリルカはまた少し離れた場所に見える二つの背中を追いかけていった。


*****


「明日には着くだろう。予想外に早く進めたからな」
「明日? もう?」
「ああ。君が意外と頑張ったからな。モンスターもあまり出なかったし、今回はついてるのかもしれないな。こうも順調に旅が進むことはあまりないしね」
 嬉しそうな笑みを浮かべてみせる、見かけ上は年上の男にリリスはふーんと相槌を打ってみせた。
 乾燥した空気の流れる星の下、リリスとケヴィンは小さな薪を囲っていた。
 クアトリーを出てからというもの予想していたモンスターの襲撃も少なく、道程は順調だった。悪天候に見舞われることもなく、最初の予定通りに事が進んでいる。
 しかし、それが余計に彼女の心を乱していた。
 今のこの世界で、これほどまでに何の異常もないなどということがあるのだろうか?
 眠っていたものが目覚めた今、とっくに動き出していてもおかしくないのに。
(どうして……だって、アイツはもう目覚めたはずなのに。まさか、わざと影響をおさえて……?)
 風除けに被ったマントの胸元をぎゅっと握り締める。不安とも呼べない不思議な感情が心の中で揺らめいているようで。
 アレが今、どういう状態なのか……ある程度はわかっていた。予想がつくというよりも、それを最初から知っている、とでもいうかのように。
 彼女とアレは、同じ力を持っているのだから。
 この世界において、何よりも近しいものなのだから。
 ただ二人、この地へと訪れた同胞だから――。
(何を、企んでいるのだとしても……止めてみせるから。絶対に)
 まだ完全ではないにしろ、もう目覚めて活動していてもおかしくはない。それだけの力など、とうの昔に取り戻していているのが当然だろう。
 けれど、それがないというならば。それは一体何を意味しているのだろう。
 思考の海に沈みかけたリリスに、何の反応もないことをいぶかしんだケヴィンが軽く眉を寄せ、声をかけた。
「リリス? どうかしたか?」
「あ、ううん、なんでもないよ!」
 心配そうなケヴィンの声に、リリスは慌てて思い切り首を振って持っていたカップに口をつけた。
 暖かいコーヒーが、塩の砂漠の風で乾燥した身体を癒してくれる。優しい暖かさが、心を満たしていく。
(……どっちにしろ、まだわからない。動いてないのなら、その方がいいもの。ARMSも動きだしたみたいだし……)
 それなら自分は、今、やるべきことをやり、成すべきことを成すだけだから。
 カップを湿らせた布で拭って始末した後、火を調節してケヴィンは背もたれにしていた岩に寄りかかった。量産品だがほどよく整備されているアームを肩に立てかけ、見張りの体勢に入る。
「そろそろ寝たほうがいい。燃料も限りがあるからな……途中で起こすよ」
「うん。おやすみなさい」
 そう言ってリリスがマントに包まり、横になると火が小さくされる。ぱちぱち、という何かが弾ける音を背に、ゆっくりと目を閉ざす。
 ――明日には、あそこへ辿り着く。
 その場所に意味があるわけでも、リリスに何か思い入れがあるわけでもない。でも、何の意味ももたないと言い切ることも出来ない、たくさんの想いの残された場所。
 その時の事を知り、その全てを見届けた一人として――何もかもが終わったその場所で、自分は一体どうするというのだろう。どうしたいというのだろう。
(かける言葉のひとつだって、ないのに)
 どこか、感傷めいた気分になるのは……それが予想した故郷の姿と重なって感じられるからだろうか。
 懐かしさだけがこみ上げる故郷の姿を思い浮かべ、リリスはふと、苦笑めいた笑みを湛えた。
 まさか、こんなにも穏やかな気分で故郷の姿を思い描ける日が来るなど思ってもみなかった。いつも、張り裂けそうな痛みを感じていたそれが、今はない。
 それは、一体何故なのだろう……。
 暖かな、けれどどこかそわそわするような、そんな感覚の正体がわからない。不安なようで、どこか安堵するようなそれが。
 いつか、それがわかればいい。今それができなくても、時間がたとえ有限でなくても、それでもすぐ次の瞬間に終わりが来るわけではないのだから。そう思う。
 けれど、一度感じたそれが、今まで抱いた覚えのないその感情の名がわからない。それだけのことが何故か不安になってしまい、リリスはしきりに身動ぎを繰り返した。
 それに気付いたのだろう。そっと肩越しに、ケヴィンが声を寄せた。
「……眠れないのか?」
「うん……」
 静かな、気遣うようなそれにリリスは見栄を張るよりも先に、素直に頷きを返していた。
 そんな反応にひそかに驚いているリリスに気付かず、ケヴィンは「そうか」と小さく呟いただけで、何も言ってこようとはしなかった。
 淡白なようにも感じるその対応に、けれどやはりリリスはどこかほっとするような、暖かなものを感じた。
(なんだろう……このキモチ……?)
 知らないものだったのか、忘れてしかったものなのか。それすらも、わからない。
 いつか、その正体もわかるだろう。――けれど、近い未来、それに気付く前にもっと大切なものをなくすなど、リリスは欠片も知ることはない。
 そう。何も知らず、そして知ることもない。
 正体のわからぬ暖かなモノを感じながら、リリスはようやっと襲ってきた睡魔にそっと体を明け渡した。
 全ては、明日。
 明日には、あの場所へ……アークハイムへと辿り着く。
 そこに、いくらかの「答え」があると信じて、今は眠りにつこう。
(まだ……ここれからなんだ。全てが)
 そして、リリスは満点の星空の下、穏やかな眠りへと落ちていった。




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