焼け焦げた果てしない大地。 どこまでも続く空は、かつての色を失った。 冴え渡るようだった蒼い空は、今では暗い灰色に染まっている。 まるで、力なく俯いた人々の心を映したかのように。 ほんの僅かな人々。 以前の数分の1にも満たないが、それでも多い、と感じるのは何故なのだろう。 あれほどの事態に遭って、これほどの人々が生き延びられたのは奇跡でしかない。 だが、生き残った誰もが、今は呆然と座り込んでいる。 住み慣れた場所、家族、恋人、友達……そして、思い出。 みなそれぞれの大切な物を失った。 その瞳に浮かべるのは、負の感情。 しかし怒りよりも悲しみを、すべてを諦めの中に閉じ込めている。 彼らが持つのは、絶望と虚無のみ。 なにもかも、失って。 しかし、そのなかにあって彼らだけが、希望を失っていなかった。 彼女が、いるのだから。 ![]() 第26話 小さな嘘 目の前を遮る細長い体躯のモンスターを、短剣の一振りで切り裂いたままその横を駆け抜ける。 決して一ヶ所に留まらずにひたすらに走り続ける少女の横を、同じように立ち塞がるモンスターに数々の銃弾を打ち込みながら年齢を伺わせない男が駆けてゆく。 ガィン!と鈍い音が背後へと抜けていく中、陽光に煌く白銀を空に残しながらリリスは大きく回り込むようにして、翼を広げて襲い掛かってきた新たなモンスターに深い一撃を刻み込む。 それが熱く焼けた地面へと甲高い悲鳴を上げながら落ちるのを見ることなく、ただまっすぐに前へと走るケヴィンは視界の端を掠めるオレンジのモンスターへと新しく詰め直した銃弾を容赦なく叩き込む。 どちらも互いが相手したモンスターに止めを刺したか確認することもないまま、少しでもモンスターの姿が見えない方へと出来る限りのスピードで走りつつ、二人は久しぶりに口を開いた。 「ちょっとッ!」 「なんだッ?!」 「どういうこと、これっ?」 「知らんッ! 聞くなッ」 怒ったかのような短い声に返ってくるのは、叫ぶようなこれもまた短い言葉。 会話を繋ぐ途中でリリスは短剣を振るい、ケヴィンはアームの銃弾を射ち込み、隙を見てはカプセルに込められた魔法を解き放っていく。 自然、どうしても話しが途切れ途切れになってしまうのはしかたがない。 腕を掠めていったキバの主の目を潰しつつ、ハッと鋭い呼気をしつつリリスは再び口を開いた。視線は決して前から逸らされないまま。 「どこがッ! モンスターがッ! 少ないって!?」 「昨日までは、だ! それに、いつもはこんなに出てこない!」 ドンッ、と耳鳴りを起こすかのような大きな音が間近に聞こえて、それで初めてリリスはケヴィンが近くにいることを知った。そうしなければ気付けないほど、自分に余裕がなくなっていたことに改めて気付く。 (何故? この程度の戦闘で、こんなにも余裕をなくすなんて……) 久方ぶりの戦闘に、体と感覚とが萎えてしまったのだろうか。 それとも、――こうして考え事に捕われているから、あたりに気を配ることさえできなくなっているのだろうか。そのどちらであるとしても、気をつけなければ。 改めて周囲の気配とケヴィンの位置とを把握しつつ、リリスは荒くなった呼吸を整えつつも足を進め続ける。 だいぶ息も荒くなり、体力の残量も心配になってきている。 ――もうあまり、もたない。それは予測ではなく、明らかな事実。 チッ、と鋭い舌打ちを発し、苛立ちを振るい続ける刃に込めて唇を噛み締める。 「じゃあなんで、こんなにたくさんいるのよ!?」 「俺が知るか! ……く、キリがないッ! ここままでは……」 言葉尻に消えたセリフを、リリスは敏感に察知した。 最初にモンスターに遭遇してからずっと連戦続きで、もうかれこれ一時間近く走り通しなのだ。 たとえ体力が続いたとしても、この状態が続けばどちらにしても、二人の死は確実となる。何か確実な決め手がない限り。 モンスターは今も変わらず増え続け、少しでも走る速度を落せばたちまちに囲まれてしまうだろう。 それでなくとも、「戦う」という行為は体力だけでなく、精神力をも消費する。いつか、その集中が途切れたときを狙われればひとたまりもない。 むしろ、この二人がこれまで持ったことだけでも賞賛に値するのだ。 「ええい、邪魔よッ!」 新たに飛び掛ってきたモンスターの小さな体躯を切り裂き、ふっと視線を先へと延ばし――リリスの唇がわずかに歪む。皮肉気な、笑みの形へと。 モンスターを切りつける手はそのままに、リリスはさり気なくケヴィンの方へと身を寄せた。 「……? おい、リリスッ! どうし――」 目に見えるほどにスピードを落し始めたリリスに気付き、問いかけようとしたケヴィンもまたそれに気付き、手にしたクレストカプセルから風を解き放っていくらかのモンスターを仕留めてから立ち止まった。 ざん、と強く焼けた砂に足跡を残し、ふわりと舞う砂塵を纏いながら立つ。 二人の視線の先、向っていた方向からは背後から追いかけてくるのと同じほどの数のモンスターの姿があった。もう、逃げ場は――ない。 「まさか……もう、囲まれてた、なんて、な」 「あれだけの大群が押し寄せてきたら、もう先へも進めない……。戻るなんて、論外だし」 途切れ途切れの言葉の合間に、忙しない呼吸音が入る。肩を大きく揺らしているケヴィンは、けれど見かけとは裏腹にしっかりとした足取りをしている。リリスも同様だった。 二人とも武器を手にして警戒を解かぬまま、驚くべきスピードで呼吸を整えながら背中合わせに立ち尽くしていた。 数え切れぬほどのモンスターに囲まれながら、塩の砂漠のど真中で。 「奇跡を期待するしかないかな? たとえば、ウワサのARMSが助けに来てくれるかも、とか」 「それよりも、どこまで――いつまで生き延びれるか、だな」 視線を合わすことのないまま、他愛ない言葉を交わし――二人は再び、襲い掛かってきたモンスターに立ち向かっていった。 ***** 「そろそろ……やばい、かな」 「そう、かもな……流石に、堪える」 シニカルな苦笑と共に呟かれた言葉に、リリスは肩を大きく上下させながらも頷き返した。 モンスター達に退路を完全に絶たれてから、どれほど経ったのか。それを考える余裕もない。 あたりを囲むモンスターも、若干恐れを為したように少しばかり二人から距離をおいている。警戒を休めぬまま、その短いときを必死に体力の回復へと勤める。――それももう、幾度目の事なのか。 昨日までは何事もなかった。 旅も順調に続き、今日中にはアークハイムへと辿り着くだろうという話をしていて突然、モンスターの気配を感じたのだ。 人気のない場所を旅しているのだから、珍しくもないことだ。だが、その数が多そうだということで適当にそれらを相手し、そして逃げ出そうとして――ふと、モンスターが増えていることに気付いたのだ。 理由はわからなかったけれど、とにかくここままでは危ない、と全力で逃げ――そして、冒頭へと話は戻る。 モンスターを切り裂きつつ逃げ惑い、結局は囲まれ。それでも諦めきれずに戦い続け、今では背中合わせに立つ二人とそれを囲むモンスターとの間の距離には、途方もないモンスターの残骸が残されている。 通常、モンスターは倒されればその体のほとんどが消滅する。なのに、これほどの残骸が残っているとなれば、どれだけの数のモンスターを相手したことになるのだろう。もしかすれば、この砂漠に生息するモンスターのほとんどがここに集まっているのではないか、と思うほどだ。 (少し前に感じた気配……やっぱり、『アレ』が……) ずくん、と恐れにも似た何かがリリスの内部を駆け巡る。 死に対する恐怖とは違う。もっと大きく、そして強い感情。かつて、抱いていたもの。 違えようのない確信が、彼女の仲に芽生えた。もう、始まっているのだと。 「どうする……? 最後まで、抗ってみるか?」 「……そう、だね……」 あくまでも自分を崩さないケヴィンに、リリスは曖昧に言葉を返す。 少しずつ小さくなっていくモンスターの輪に目をやりながら、相反する想いが胸を押しつぶさんとするのが感じられる。 どうしよう、と口から言葉にならない呟きが零れ落ちた。 手にしている短剣の煌きは血と何かのカスに塗れ、刃こぼれこそしてないものの大分切れ味が劣っている。それを振るう腕も、疲れが蓄積している。ケヴィンの扱うアームの残弾数も残りわずかとなり、クレストカプセルは大分前に尽きた。 もう、打つ手はほとんど残されていない。――けれど。 リリスがその気になれば、この場にいるモンスターの全てを消滅させることも容易い。本来ならば、これほど消耗する理由もなかったはずなのだ。 だが、リリスはその「力」を使うことを躊躇った。 この世界ではありえないほどの、人の身には有り余る力を彼女は有している。その全力をただ破壊へと向けたなら、――世界を死で覆うことは充分に可能だ。「アレ」が動くまでもなく。 その力を使えば、この窮地も簡単に抜け出すことだって……出来る。 (でも、ここで「力」を使えば『アレ』に気付かれてしまうかもしれない。それに――) もし、自分がこの力を使ったら――この気さくな渡り鳥は自分を恐れるのではないか、と。それが何よりも恐ろしく、リリスに力を使うことを躊躇わせている。 命にはかえられない。けれど、それを引き換えにしてこの男から畏怖の眼差しで見られることにも耐えられない。そんな自分がいることを、知っているから。 戦うことを決意したとはいえ、そのために全てを捨て去ることができない自分の弱さに、途方もない悔しさを感じる。どうして、もっと強くいられないのかと。 「……どうして……」 揺らぎ続ける心に、リリスは視界が揺らめくのを感じた。悔しさに、そして曖昧でしかいられない自分に対して湧き上がる怒りに、リリスから現実を奪う。 思えば、リリスは長すぎる空虚な時間を知るがために、「切迫した時」というものを忘れかけていたのかもしれない。 ほんのわずかな、一瞬にも満たない時間が時に生死を分けることがあるのだ、ということを。 その、刹那の時が。 「――リリスッ! 」 突如かけられた声にはっと目を上げる。気付いたときには、もう目の前には巨大な爪を振りかざすモンスターがいた。 弾かれたように短剣を持つ手を上げ、それと同時に右足を一歩、後ろへと下げる。 重い一撃を短剣で受け流すと、ガギィッと派手な音が火花と共に弾ける。ギリギリで避けられた一撃だが、気を削がれていた一瞬は大きい。 「ッ……このぉッ!」 背後から迫っていた別のモンスターの持つ刃が、リリスの背を切り裂く。深い。その痛みに思わずよろめきながらもそれを短剣で仕留め、体勢を整えようと前を向いて――。 「あ……」 さっきの巨大な爪を持つモンスターが、再び迫っていた。先ほどよりも近く、確実に一撃を加えられる位置で。今の体勢では逃げることも叶わず、それを見上げて。 「――ッ!」 大きな腕が振り下ろされる直前、リリスの視界を何かが塞いだ。 ザンッ!という音が、あたりに響く。 視界いっぱいに飛び散る赤いもの。視界が暗く見える。周囲から一切の音が消える。 何かの叫び声。視線を遮る影。空を舞う赤いもの。ゆっくりと倒れかける、大きな背中。 零れ落ちるのは、紅い命の滴。 それが血なのだと、そしてゆっくりと自分へ向って倒れてくるのがケヴィンの体なのだと気付き、リリスは言葉にならない悲鳴を上げた。 「――――――――――!!!!!!」 シンデ、シマウ マタ、タスケラレナイ タスケテ、モラッタノニ チカラガ、アルノニ ワタシナラ、タスケルコトガデキルノニ―― 何も考えられなかった。 ただ、倒れた体をかき抱くようにして、意識するよりも早くに口から言葉が零れだす。誰も知らない、古く異質な言葉。 「誰か」に縋るのではなく、自分の内にあるモノに語りかける言葉。 自分が何をしようとしているのか、どうしたいのか、そんなことは何も浮かばない。 まっすぐに前を見つめ、襲いかかろうとしているモンスターたちを視界に入れながら、リリスは虚ろな瞳でそれではない「何か」を見つめていた。 遥かなる刻の彼方で失った、そして今も失おうとしている、何かを。 自分の口から流れ出す言葉をどこか遠いところで奏でられた音色のように感じながら、リリスは一筋の涙を零した。怒りとも哀しみともつかない、不思議な涙。 数え切れないほどのモンスターが二人を覆い尽くそうとした、その時。 灼熱の砂漠を、そしてリリスの視界を紅の炎が包み込んだ。 ***** 「ねぇ、やだよ。死なないで……ケヴィン!」 血のような夕暮れに染まる砂漠の真中で、リリスはかすれた叫びを上げ続けていた。 あたりを取り囲んでいたモンスターの影は、どこにもない。唯一それを感じさせるのは、あたり一面真っ黒に焼けた砂の色だけ。残骸のひとつすら、見つけることは出来ない。 そんな中で、リリスはぽろぽろと涙を零しながら必死に倒れ付したケヴィンの体をゆすり続けていた。 「起きてよ……お願いだから! ねぇ、ケヴィン!」 「……、……ぅ」 何度目の呼びかけだろうか。震える手でケヴィンの手を握り締めていたリリスは、ほんのわずかに揺れた手の動きを敏感に感じ取り、はっとしてケヴィンの顔を見つめた。 飛び散った血に汚れた、ケヴィンの顔。苦しげに寄せられた眉がぴくりと動き、ゆるゆると瞼が開かれていく。鳶色の瞳が、姿を現した。 「ケヴィン!」 「……リ……ス……?」 かすれたような声で囁く男に、リリスは必死になって頷く。ケヴィンの右手をきつく握り締め、零れ落ちる涙もそのままになんとか笑みらしきものを浮かべてみせる。 「よかった……」 「俺は……いったい……」 「憶えてない? 私をかばって怪我をしたの。でも、大丈夫だよ。たいしたことないから」 嘘だ。今も、包帯代わりの布の下からどす黒い血が溢れ出している。濃い色をした血はそれだけ傷が深いことを意味し、止まらない出血が彼の残る命の短さを知らせている。 それを、彼もまた理解したのだろう。リリスの頬に残る涙の後をじっと見詰めた後、不思議と深い笑みを浮かべ、そっと瞼を閉ざす。 「リリス……怪我は、ないか……?」 「ちょっとは。でも、大丈夫。もう、平気だから」 「……そう、か……きちんと、手当て、しないと……後で、キツイ、ぞ……?」 「うん、分かってる。大丈夫。それよりもケヴィンだよ。もう少しきちんとした手当てをしないと」 「いや……いい、よ」 乱暴な仕草で濡れた頬を拭ったリリスは、そのケヴィンの言葉にはっと表情を強張らせた。 相変わらず目を閉じたまま、ケヴィンはゆっくりと吐息を吐き出した。 「あまり、無駄に物資を使うものじゃない……それは、後でリリスが使えばいいさ……」 「何……言ってるの。なんで、無駄、なの?」 硬くなったリリスの口調に、ケヴィンはそっと目を開けた。 その瞳に浮かんだ色を見て、リリスはすっと背筋を冷たいものが流れるのを感じた。決して揺らぐことのない、強い眼差しを認めて。 死相さえ浮かぶ土気色の顔で、しかしそれに似合わぬ力強さを感じさせる表情を浮かべ、ケヴィンはリリスをまっすぐに見据えた。 「リリス。よく聞くんだ。……これから先、しばらく行ったところが廃都アークハイムだ。そこから――」 「やだ……やだよ、そんなの。いっしょに、一緒に行くんでしょう!?」 「リリス……」 ぽろぽろと堪えきれなくなったかのように涙を零すリリスを見て、ケヴィンは困ったように微笑し、震える手をゆっくりと持ち上げようと動かした。 リリスはすぐにそれを両手で握り締める。それがすでにひんやりしていることに気付いて、また、新しい涙が零れた。 「……泣くんじゃない」 「だって……もう、イヤだよ……もう、大切な人が死ぬのなんて、見たくないのに……っ!!」 ぎゅっと握り締めた手に額を押し付け、流れる涙もそのままに押し出すようにして叫んだリリスに、ケヴィンはそっと目を細めた。 渾身の力で指を動かし、リリスの注意を引いてからケヴィンは目線で胸元を示した。 「リリス……頼みが、あるんだ。……これ、を……」 「これは……」 そこにあったのは、つい先日見せてもらった金のコンパス。美しい装飾に、こびり付くように血が点々と付着していた。 震える手でその蓋をそっと開くと、そこには小さな写真がはめ込まれていた。 幸せそうに微笑む男女と、幼い少年とが映った古ぼけた写真。その男女の両方に見知った面影があり、そして幼い少年はその二人にとても良く似た面差しをしている。 リリスは思わず叫びだしそうになる口元を片手で強く抑えた。 写真に写っている男は、今リリスの目の前で息を引き取ろうとしている。そして、その隣にいる女は、つい先日、リリスを救ってくれた人。砂漠の町に住む、ジラ。 (ああ……!!) 「俺の、家族だ……随分前に、別れてしまったが……な……」 どこか寂しげに言うケヴィンに、リリスはひゅっと息を飲み込んだ。 それに気付かず、どこか虚ろになりつつある眼差しを必死に保ちながら、大きく震える手でそのコンパスの蓋にそっと触れる。 「……これを、受け取って……俺が生きた証を、どこかに残して置いて欲しい……。そして、もしできたなら……妻と息子に、渡し……ッ!」 ゴフッ、と血の塊を吐き出すケヴィン。リリスは慌ててケヴィンに縋りつき、その体をさする。 そうしながらリリスは振るえるくちびるで、 「大丈夫だよ、ちゃんと、ジラに渡すから!」 「……ッ、……ッぐ……」 荒い呼吸のまま、驚きと問いかけの視線を向けたケヴィンにリリスは涙を零しながら、なんとか微笑らしきものを浮かべてみせた。 写真をそっとケヴィンの手で握らせる。 「砂漠の小さな町でね、会ったの。医者をやってた。とっても腕がよくて、信頼されてた」 そして、そして。 ああ、許して。私は嘘をつく。 死に向かい、荒野を行く翼を折ったひとりの渡り鳥に。 「元気だったよ、『二人』とも! いなくなった旦那さんのこと、すごく心配してた」 「……そう、か……」 涙を零しながら告げたリリスの言葉に、ケヴィンは心から嬉しそうに微笑んだ。――リリスのついた、小さな嘘に気付かぬままに。 急に、リリスの握っていた手の力が消えた。 「ッ……ケヴィン!」 「あり、がとう……。ずっと、愛していると、伝えて――」 「うん……! ちゃんと、伝える! だから……ッ!」 声が、震えるのを止めることができない。 『あの時』もっとたくさんの人の死を、間近に見つめてきたのに。 『あれから』数えることのできないほどの死を、感じてきたのに。 決して、慣れることのない感情と、想い。 「……やっぱり、それは……リリスが、持っ……。頼りない、お前に……お守り……」 「ケヴィンッ!!!」 かすれた言葉を途切らしたケヴィンに、リリスは叫び声を上げる。 声を出すことも出来なくなった男は、かわりにそっと優しい微笑みを浮かべて見せた。涙でぐしょぐしょになった顔のリリスに、「しかたないな」とでもいうかのような視線を向ける。 リリスは何度もくちびるを震わし、荒い呼吸をくり返し。 そうしてやっと、硬くくちびるを引き結ぶとゆるゆると笑みらしきものを浮かべた。 死に逝こうとする男を送るのに、泣き顔は相応しくないのだから。 「……ッ、ケ、ヴィ……ッ……ケヴィ、ン………あり、がと……」 ひゅっと息を飲み込み、もう一度、リリスは微笑んだ。 「……ありがとう……、ケヴィン……」 ケヴィンはその言葉に優しく目を細め、そして。 力なく、その手に包まれていたコンパスが大地に落ちた。 酷くうるさい静寂の中、動かなくなった男の体を前に、リリスは俯いたまま肩を震わせる。 「……――――ッ!!!」 砂にまみれたコンパスを拾い上げ、それを強く抱き――やがて、広大な塩の原野に言葉にならない叫びが響き渡った。 |