どこからか『彼』を照り付けるのは、冷たく朧げな光。
 いつも、いつでも輝いていたあの星々は……今では曇った空の合間に見え隠れするだけ。
 彼らの誇りであった美しい空も、灰色の煙で覆われたまま。
 例年なら季節の花で覆われるはずの草原も、一面焼け野原になっている。
 今そこに突き立つのは、焼け焦げた棒で作った無数の十字架。
 存在した命の数と同じだけの、悲劇の墓標であり、その記憶でもある。
 ――これは、墓標だ。
 そっと『彼』は胸中で呟き、小さく目礼を返す。
 今はもういない、かつての同胞達に彼が送る事が出来る、餞。
 だが、本当にやらなければならないことはまだ、残っている。
 それは、守ること――しかしそれは、何よりも難しい。
 けれど、成し遂げなければならない。
 そのために、彼らは走り出す。
 心の中に、たった一つの想いを抱えて。
 既に別の世界で回りだしていた歯車に、やっと彼らは飛び乗ることが出来たのだ。
 動き始めていた時から外されていた時間が、今やっと動き出す。
 いにしえの遠い過去から『3つの血』を受け継いだ『彼』は、それゆえにいくつもの使命を――義務を持っていたから。
 異なる世界、異なる時空を真の意味で知っていた『彼女』は、遠い昔に遺してきた想いを解放する必要が、あったから。
 そうして、大して長くない時の中で、彼らはもう一つの未来を選ぶことを決意した。
 過去を、変えることを。
 そして、未来を――掴むことを。




ほんの一時の出会い それは一瞬の別れを伴うもの それは確かな物となり 彼らの心を揺らす一筋の波紋となる―
第28話 過去よりの使者




 「……そうか、わかった。すぐそちらに向かう」
 パチッ……と通信機を切る音が嫌に大きく響き、リルカは顔を顰めた。
 鬱葱とした森の中。先ほど放った魔法の影響でやや焦げ臭いその場所に、3人は佇んでいた。
 彼らの前にある一体の魔物の死骸。やや焦げて切り傷があるが、ほぼ完全な状態だ。……それでも、焼け焦げた魔物の姿など見たいと思う者はそうはいないだろうが。
 ただの、モンスターの死体。ただそれだけの事だが、彼らにとってその魔物は特別な意味を持っていた。
 身体は緑色がベースになっており、鋭い爪と牙を供えたソレは、限りなく人間に近い形をしている。ソレは見かけ以上の強さを持ち、そして――アレの力の影響を持つという話だった。
 彼らは実際に、それを見たり戦ったりした事があるわけではない。アシュレーやその他の者達から話に聞いていただけだが、それでもすぐにその魔物だとわかった。
 間違え様のない、その異様な姿。溢れる邪気。
 カノンはブラッドを振り返り、眼帯をつけていない方の瞳を向け、静かな口調で問い掛けた。
「それで、アシュレーはなんと言っていた?」
「……謎の人物と未知のモンスターの死骸を発見したらしい。戦闘になりかけたと言っていた。至急、どうしてもそれを見てもらいたいので来て欲しいと言っていた」
「何なんだろうね、いろんなことが一度に起きて……」
「……それで、『これ』をどうする?」
 カノンが顎でその死骸を指し示す。あまり正視したくはないが、それでもどうしても視線がそちらを向いてしまう。
 リルカはさきほどから漂ってきていた独特の臭気に微かに眉を顰めた。それは確かに数年前に嗅ぎ慣れていたもの。思い出したくない、記憶のひとつ。
 ……どうして、今更。
 そんな想いが胸を占め付ける、リルカは知らず知らずの内に胸元をきつく握り締めていた。
「しかたあるまい。……リルカ、これに何か結界とかをはれるか?」
 突然声をかけてきたブラッドに、リルカはわずかにはっとこわばった吐息を洩らす。すぐに己を取り戻し、まっすぐにブラッドを見返した。
「……少しの間なら、できると思う。防腐処理くらいにしか、ならないと思うけど」
「それで十分だろう。これを野放しにしておくよりかはましだ」
 返事をする代わりに、魔物を中心とした一体に暫く前に覚えた少々特殊な結界を張った。結界内の時間を遅くする効果があるもので、これを使えるソーサラーは少ないのだと教えられていた。最も、その難易度に反比例するようにその需要は低く、継続時間もそう長いわけではないのだが。 「……できたよ。これなら数時間程度ならもつと思う」
「あぁ。……では行くか」
 ブラッドは後ろを振り返らずに小さく溜息をき、そして歩き出した。
 どうやら、また大きな陰謀に巻き込まれたようだ。
 しかも、前回と同じように世界の命運を賭けるくらいの……。


*****


  カランッ……
 小さく鳴り響く音。割れたガラスだろうか……それとも、何かの破片だろうか。
 完全な沈黙さえ訪れない、中途半端な静けさ。
 アシュレーは教壇に持たれかけるように座り込んでいた。
 ティムは杖を抱えて立ちすくみ、プーカは彼を心配してその肩に寄り添っている。テリィはそれを見渡して小さく溜息をついた。
 ……何も出来ない自分が歯がゆい。
 何かができると思っていたのに。けれど、実際はそうではなかった。
『彼』の鮮血色の瞳に見つめられた瞬間、心臓が縮み上がったのを覚えている。胸中に溢れた不可思議な感情に、心が竦むのも。
 テリィはきゅっと彼の魔法の媒体を強く握り締め、再び強い感情を隠した息を漏らした。
 ……彼女のように、力になりたいのに。
 朝日なのだろうか。崩れ落ちた壁から少しずつ日が射し、明るく眩しい光が微かに見える。ここはの壁は絶壁に面している。どうやったって壁の穴から逃げられるはずも無い。しかし、さっきの青年はそこから姿を消した。ほんの一瞬のうちに。
 彼ら魔法使いにはまだいくつかの障壁が存在している。『空を飛ぶ』『テレポートをする』などがそれだ。
 後者などは遥か昔に存在したとの話もあるがそれは確認されていないし、何より――今の技術では到底無理だろう、との話だった。
 数多くの理由の中で、一番の問題は昔と今では人の持つ絶対魔法量が違うから、らしい。
 つまり、もし彼が空を飛んで姿を消したのならば、それは彼が人間ではないということにも繋がるという事だ。
 ――決して人ではありえない、あの生々しい瞳の色。
「あ、いたいた! やっほ〜、みんな元気〜?」
 はっと、明るい声に顔を勢いよく上げると媒体である傘を振り回した少女がこちらに歩いてきていた。……ちなみに、あんな変な媒体を使うのは彼女だけだ。
 その後ろには不思議と安心感を漂わせる2人がついてきていた。自信に満ちた足取り。
「ブラッド、カノン、リルカ……来てくれたか」
 アシュレーが明らかに安堵したような吐息を漏らして立ち上がった。その様子にティムはおや、と不思議そうに彼を見つめた。
 彼がこんな明白に安堵するのは何故か――あの青年について、なにか思い当たる事でもあるのか。
「一体何があった? この有様……ただ事ではないようだな」
「ああ……とにかく、これを見れくれ。事情を説明する」
 崩れ落ちた瓦礫、そして巨大なモンスターの死骸を刺し示すアシュレーに、恐る恐ると行った様子で近付いたリルカが、ぐっと眉を寄せて見せたブラッドやカノンでさえ、訝しげな表情を浮かべる。
「どれどれ? ……うっわぁ〜、瓦礫の山! で、アレ……モンスター?」
「……ああ」
 後から来た3人に事情を話し終えると、彼は疲れたような吐息を再び漏らした。
「……どういう事だと思う?」
「その男……イルダーナフと名乗ったのか?」
「ああ。それが?」
「いや……どこかで聞いた事があったと思ったが……」
 不思議そうに問い返したアシュレーは、ひとり呟くカノンを振り返った。しかしカノンはそうか、と小さく呟くと、不思議そうな表情でカノン達をを見ていたティムに声をかけた。
「ティム、覚えが無いか? この名前……いや、『イルダーナフ』という言葉に」
「……え?」
「この前に言っていなかったか? バスカーで……」
「あ! どうして気付かなかったんだろう……あの古代語ですよね? 確か――」
「ちょ、ちょっとなによその古代語って? わたし知らないわよ? テリィは?」
 言いかけたティムの言葉を遮り、リルカが慌てた声でテリィに問い掛ける。テリィは不満そうな表情を浮かべながら、むすっとした声で反論し、ティムに向き直る。
「僕が知るわけない。ティム、それはバスカーに伝わる言語なんだろう?」
「はい。この間コレットや長老に教えてもらって……カノンさんにも見てもらったんです」
 へぇ、とアシュレーは意外な思いでカノンを見た。
 彼女は一見興味なさそうにそっぽを向いているが、全神経をこちらに向けているのがわかる。 かつての不器用さは、未だ改善できてはいないらしい。――彼女らしい。
「で、その意味って?」
「『偶像』……だったと思います。古いバスカーの民の言葉で、もう今は使われてないけど。『うつろい行く、幻と共にあるもの』とも」
「ふぅん……? そんな意味があったんだ」
 なにやら感心しているリルカの横で、アシュレーもまた考えていた。
 ――偶像。そして、彼の言葉。いったい、何を意味している……?
 そこに一人モンスターの死骸を調べていたブラッドの静かな声がかかった。
「……アシュレー」
「あ、ああ、どうかしたのか?」
「……ここを見てみろ」
 彼が指差した場所を覗き込む――全員が興味を持って覗き込んだので、なかなかに狭かったが。
 モンスターの胴体部分にある傷。一見それは酷い火傷のように見えた。一直線に貫かれたように、大きなくぼみが生じている。直径30センチほどの穴。
「これが……どうかしたんですか?」
「肉が焦げたのではなく、融けている。恐らく火力でやられたんだろう。アームではなく、魔法のようなものに、だ。しかし、ありえない……よく見てみろ。ここまで一箇所に集中して、肉が溶けるまでの威力を持たせる魔法を操れる自信があるか? もしくは、そんな使い手を知っているか?」
 テリィとリルカに向けられた視線に、2人は気まずげに顔を見合わせた。言われてみれば……といった感情がありありと伺える。
「……少なくとも、わたしは無理。テリィも駄目だと思う」
「悪かったな! ……でも、たしかに無理です。そして、現存するソーサラーの誰にもこんな真似は不可能でしょう……そんな魔法も存在しないと思います」
 リルカとテリィの力なく呟いたその言葉に頷き、ブラッドは立ち上がった。
「お、おいブラッド?」
「……アシュレー。お前に見てもらいたいものがある」
 そう言って彼は外へ向けて歩きだした。
 アシュレーら3人は顔を見あわせ、リルカは顔を曇らせた。カノンはひとり、不満そうな表情で小さく溜息を洩らした。


*****


「……この辺りにはモンスターがいたんだな」
「ああ。それほど少なくはなかった。……たしか、この辺りだったな?」
 微かに残る、獣の気配。所々に威嚇として放ったであろう、リルカの魔法のあとを見てアシュレーが呟く。それに答えるようにしてブラッドが頷く。後半はリルカに向けての台詞だ。
 彼女はその声に慌てて頷き、きょときょととあたりを見回した。
「ええっと……あ、あそこ! あの気の根元の辺りよ!」
 そう言って彼女が示した根元には、あのモンスターの死骸が寝転んでいた。
 テリィやティムはその死骸に微かに顔を顰めたが、アシュレーはそうではなかった。真っ青な顔をし、それを呆然と見つめている。
「これは……?」
「……アシュレー。どうだ?」
 今にも倒れそうなほど蒼白なお顔をしたまま、彼は半ば無意識的に呟いた。
 忌まわしい言葉を口にするように。
「これは……プロトレイザー……」
「え!?」
 彼はかつての自分の姿を見つめ、真っ白になりかける意識の中で再び呟いた。
「どうして……あいつはいないのに……何故……?」




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