熱き炎。甦る痛み。踊る人影。
 覚えているものは、すべて……幻のように消え去ってしまった。
 明るい闇に映るのは過ぎ去った情景のみ。遠い過去の出来事。
 ……そのはずなのに。
 ひとりの女性が、ゆっくりと振り返る。
(――何故、あなたはそんなところにいるの?)
 長い髪が舞い踊る。紫紺の花と同じ色の髪。瞳は美しいはしばみ色だった。
 可愛らしく顔を傾けるその女性の手には、不釣合いな剣が握られていた。
 果てしなく遠い未来を守るための力を持った――破壊と創生を司るガーディアンの剣。
 たおやかなその女性の腕には余りにも無骨な、力の象徴。
(――何故、あなたは泣いているの?)
 優しく微笑みかけながら、彼女は自分を気遣ってくれた。
 それは、哀しみを抱えながらも先を信じる者だけがもてるもの。強い、笑み。
 邂逅はその一度だけ。ほんのひとときの事だった。
 今、『彼』の姿を写し取っている自分を……彼女はどう思うだろう?
 あの時も、彼女は泣きそうな顔をしていた。
 でも『彼』といるときだけ、嬉しそうに微笑んでいた。心から。
 ――古い力を持った『彼』。死してなお、その存在は力を持つものとなった。
 すべてに愛されるが故に、途方も無い『愛』を与えられた存在。
 だから、自分があり続けることができる。『自分としての存在』を保っていられる。
 『彼』の姿を借りることで、初めて伝えることができる。
 世界を救済する方法を。その道標を。若い力を持った者達に。
 そして、彼らに伝えたいことがあった。
 大切なこと……たくさんの、想いを。全てへの、期待を。
 それが、それだけが自分の役目なのだから――




ほんの一時の出会い それは一瞬の別れを伴うもの それは確かな物となり 彼らの心を揺らす一筋の波紋となる―
第29話 矛盾




 礼拝堂の調査をシルヴァラントのメンバーに任せたあと、シャトーに戻るなりアシュレーはぐったりと椅子にもたれこんだ。
 会議室ではなく、しかし何度も訪れたかつての彼らの司令官の私室。
 綺麗だが華美になってはいない、落ち着いた装飾。彼の性質がよく現れているといえるだろう。
 家具の一つ一つが、職人が心を込めたであろう美しさを放っている。
 壁一面を占める、巨大な本棚。そこに収納された膨大な量の蔵書を、彼は全て読んだのだろうか?
 そんな他愛ない疑問が浮き出る、主のいない部屋。温もりの消えた部屋だった。
 あの島からの帰りは幸いにもテレポートジェムを使用できたので時間的には一瞬だったが、アシュレーにとっては何倍にも感じられていた。
 俯き、堅く両手を握り締めている彼を、リルカは痛ましそうに見つめていた。
(そうだよね……だって、きっとアイツの事で一番苦しんだのはアシュレーだもの……)
 テリィ以外の者は、みんなあの時の事を知っている。自分達自身の目で、実際に彼が苦しむ様をはっきりと目にしている。その悲しみも。全て。
 それぞれの想いを浮かべた彼らの表情を見て、テリィは僅かに顔を顰めた。
 こういう時、越えようのない疎外感を――彼らとの絶対的な距離を、感じてしまう。
 意味の無いことだとは思う。あの時の自分には戦うだけの勇気も、力もなかったのだから。
 仕方のないこと――それでも、知らなくてよかったとも、思う心がある。
 こんなに強い人が、苦しむのを見るのはいやだから。
 ……自分勝手な考えに理想を抱いたままの子供である自分を見つけ、嫌な気分になる。大人になれない、子供を嫌う矛盾した感情を抱えて。
 彼はふいっと彼に背を向け、カノンに向き直った。今、やるべきことを――彼がやらなければならないことを成すために。
「カノンさん。……プロトブレイザーとかの事を、僕にももう一度詳しく教えてくれませんか?」
 どうしても、口調が固くなるのは押さえられない。けれど、よけいな事を考えている暇はないのだ。時間は、有限なのだから。
 カノンは俯いていた顔を上げ、テリィをまっすぐに見やる。
「……そうか、お前は知らないのだったな……いいだろう」
 彼女はそんな彼の内心を知り、僅かに苦笑しながらもかつての彼らの体験と知識とを簡単に語り始めた。辛い記憶。しかし確実に『今』に繋がる出来事の断片を。
「……始めは、偶然だった……そう、恐らくな」
 部屋の片隅で昔話を始めた彼らには気付かずに、アシュレーは椅子に腰掛けたまま深い深い溜息をついていた。そして、唐突にブラッドに問いかける。
 苦悩の滲み出た、そんな辛そうな想いを隠した声で。
「……どう思う?」
「どう、とは?」
「あの……モンスターの死骸。あれは間違いなくプロトブレイザーだ」
 彼が見間違えるはずが無い。かつての、自分自身の姿なのだから。
 醜い姿。人に近いながらも、人とは全く違うからだ。その体の持つ破壊力は凄まじい…… そして、あのモンスターを見ると思い出す。アイツを。
「……ロードブレイザーかもしれない。でも、間違いなく僕が倒したんだ。なら、何故プロトブレイザーがいたんだ? どうして……」
「あれがいたからといって、必ずしもロードブレイザーが復活したとは言えんだろう」
 そのブラッドのきっぱりとした口調にアシュレーが僅かに反応し、リルカたちは目を見開いた。
 それでは、まるで……。
「それって……ロードブレイザーじゃないってこと?」
「その可能性もあるが、そうでない可能性の方が高いという意味だ」
「???」
 頭にクエスチョンマークを浮かべたティムとリルカに、ブラッドは苦笑してみせる。話終えたテリィとカノンも、彼らの方に向き直っていた。アシュレーもゆっくりと顔を上げる。
「確かに以前と同じように、ロードブレイザーが再び出現した可能性もある。だが、それと同時に全く違う可能性もある、ということだ。アシュレーがアイツを倒したのは事実だからな。だとしたら、他の誰かが再び降魔儀式でもしたと考えた方が可能性がより高いだろう」
 歳不相応な迷子のような顔をしいているアシュレーに、力強い笑みを見せてやる。
 やや老けた感は諌めないが、それでも十分に頼りに出来る笑みだった。前と、何も変わっていない。
「おそらく、あれは別の何かの影響だろう。もちろん、だからといって決して油断して良いわけではないがな」
「まぁ、当然であろうな」
「マリアベル!」
 ブラッドの言葉を肯定した幼い声の主――最後のノーブルレッドであるマリアベルが、彼らの後ろに佇んでいた。その声に一番喜色を浮かべたのはリルカだ。
 日が沈むのを待っていたのか、彼女は重い着ぐるみを脱ぎ捨てて身軽な姿になっていた。
 ただ、わずかにその表情が翳っていたことに気付いたのは、ブラッドだけだっただろう。
 疲れたようにドアに身体をもたれかけ、唇をゆがめる。
「本当に忙しいことじゃの。……大体のことは聞いておいた。わざわざ言う必要は無いぞ。ところで、そのモンスターの死骸とやらは一体どうしたのじゃ?」
 開口一番に、それを聞き出す彼女にカノンがわずかに苦笑していた。
 やっと元気を取り戻してきたアシュレーが、それに答える。モンスターの死骸を思い出したのか、わずかに眉を顰めてはいたけれど。
「ああ、いっしょに持ってきたよ。さっき研究班に任せたから、今頃は研究室に運んでいると思う」
「うむ。あとで見ておこう。何かわかるやもしれぬからの。……それで、これからどうするのじゃ?」
「――え?」
 やや厳しい顔をした彼女を、今度は全員が振り返る。
 いぶかしげな表情に囲まれながらも、彼女は毅然とした眼差しでアシュレーを見つめた。
 ファルガイアの真の支配者と豪語する、それと同じ強さを秘めた表情。長い年月を生き、そしていくつもの悲しみを持った瞳が、彼らを見返した。
「このままでは、我らは後手に回るばかりじゃ。それでは遅いのではないのかぇ?」
「……でも、どうしようもない! 闇雲に動き回っても、何もならないんだ……!」
 ぐっと握り締めた拳を抱え、搾り出すかのように声を出す彼を見つめ、マリアベルは静かな口調で問い掛ける。
 冴え冴えとした瞳が、痛いくらいに凝視してくる。
「本当に、そう思っておるのか?」
 ドクン、と胸に響く音。心臓の鼓動。いつもより大きく聞こえる。……何故?
 斬りつけるような口調で、彼女の口から鋭い言葉が流れ出てくる。
「何故、その手立てを探そうとしない? 出来ると思わなければすべては終わりじゃ。我らが最後の砦だと、そう信じる者もいるのじゃぞ?」
 ドクン、ドクン……少しだけ早まる鼓動。大丈夫。まだ押さえていられる。
 信じたくない心が、それを胸のうちに押し戻す――孤独を、抱え込む。
 せっかく手に入れた平和。それを、無意味なものにしたくない。
 そんな無意識の心が力を押さえ込み、そしてそれを打ち明ける勇気をかき消していく。
 まだ、大丈夫だと。これはきっと違うのだと。そう、彼自身が信じていたいから。
「……なら、方法はあるのか? 今、何が起こっているのかがわかり、僕らが先手を取る事の出来る方法が!」
 きつい声に、わずかに痛みを紛れ込ませた口調でアシュレーはそう、言い返す。
 マリアベルはきつい眼差しのまま、アシュレーを――みんなを見回した。
「まだ、死んではおらぬようだの。まったく……方法など、あるわけがなかろう?」
「……は?」
 きょとんと瞬いた彼らを珍しくも微笑を浮かべながら見回し、それから懐より何かのレポートをとりだした。分厚い紙に、地図といくつものメモが貼り付けてある。
「安心せい。あまりにも情けなかったからちょっとからかっただけじゃ」
「マ……マリアベル……」
「期待させておいて……それはないじゃないですかぁ……」
「ふふっ。たまには良いじゃろ。……それで、おんしらはいない間にエイミーがこれを持ってきた」
 指で示す紙束。膨大な量があるらしく、結構な厚さになっている。それを無造作にアシュレーに放る。
 ドサッという重い音をたてて、紙の束がアシュレーの手に渡る。
「わっ!?」
「あの事件の後、おぬしに頼まれて探しておった血の主の居場所を調べた資料じゃ」
 めくってみろ、と言われて見ると、世界各国の医者などから送られてきたものだとわかる。
 彼らは驚きを持ってソレを見つめた。優に数百枚はある紙束だ。細かな文字で記されたその内容は、優に数万の単位の調査報告書。途方も無い労力を必要としたはずだ。
「こんなにたくさん……。それで、見つけたのか?」
「いいや」
 やけにきっぱりとした口調に何かを感じ、年長者3人は顔を上げた。リルカたちはまだレポートを見ていたが……やがて顔を上げる。
 マリアベルの顔に浮かぶのは、悔しそうな表情。不機嫌な様子が、声にも現れている。
「わからなかったのじゃ。世界の医者、医療品を大量に購入した者、都市など全てに連絡をとったが……どこにもそんな怪我をした少女は運び込まれていないそうじゃ」
「え? それってどういうこと? 大怪我をした子がいないんだったら、あの血は何だったの?」
「……正式に確認されていない町や、個人の医療知識がある者の場所にいればわからない場合もあるだろうな。寧ろ、その可能性のほうが高いだろう」
「そんな……。それじゃ、僕達には動き様が無い……」
 悔しそうに俯くアシュレーを、今度は呆れたような表情でマリアベルが見上げた。
 不可解なものを見る目で、彼を見上げる。その声は心底不思議そうだ。
「何故動きようないと思うのじゃ? 本当におぬしは駄目じゃのぅ……あれから少しは見直してやろうとも思うたが、勘違いだったかの」
「な――!?」
「いきり立つでない。落ち着け」
 思わず声を荒げたアシュレーに辛辣に言い捨て、溜息を零す。
「……良いか、確かにこの世界にはまだいくつかの存在が確認されてない町や村がある。あの戦いの影響で故郷を失った者たちが作った村が、今では一番多いかの。その他にも、少数の一族だけで暮すバスカーのような場所、はぐれ者の集まる場所……そういった村が、この世界には数多く存在しておる。それら全てを確認したものはおらぬし、できる者もいないじゃろうて。だから、『そういう場所にいるかどうかもわからない人物』を探すのはほぼ不可能に近い。そもそも、どこにそんな村があるのかさえわからんからな。しかし、それとて場所は限られておる。人が住める場所など、どうしたって限られておるんじゃ。そこを探していけばいいことじゃろう? 人がいれば、物のやりとりがあって当然。流れの商人などに『つて』をとればそんなもの簡単じゃ」
 胸を張るようにして怒涛の勢いでそう言い張るマリアベルに、彼ら自身も知らなかったような事をさらさらと言うのに呆れながらも、堂々とした態度と言葉になんとなくれはあるが、勇気付けられる。
 何もしないで悩むのではなく、行動すればかならず何かに行き当たる。
 考えるまでも無いことだ。初心に帰れば良いだけなのだから。
「よし、じゃあ早速――」
「休息だな」
 いきこんだアシュレーのセリフに被せるように、あっさりと言ってのけるブラッド。
 肩透かしを食らったように勢いそがれたアシュレーは、腕を組んだまま目を閉じている男を恨みがましげな顔で振り返った。
「……ブラッド」
「お前には休息が必要だ。まず、全員が頭を冷やすことから始めるのがいいだろう」
 反論を許さないような断定的な口調で切り捨てるように言い、「違うか?」と短く尋ねる。
 ぐ、と一瞬言葉に詰まるアシュレー。
 そしてすぐさま反論しようと口を開きかけ――その前にテリィがそうか、と小さく洩らした。
「……たしか、トニー君たちが情報収集してるはずです。連絡をとって、そういう町とかを探してもらっていればいいんじゃないですか? それに……」
「それにって?」
「いえ……」
 訝しげなテリィに頭を振り、喉元まででかかった言葉を必死に飲み込む。
(それにもしロードブレイザーが生きていたら、きっと今の僕らじゃ勝てない)
 重なり合った偶然。それこそが奇蹟だったのだと、今でも思う。
 かつて恐怖を体験し、今の平和を生きている人々にあのときと同じ様な協力は求められないだろう。
 それになにより、今はアガートラームが――ロードブレイザーに対抗する唯一にして最大の武器であるガーディアンブレードが、彼らの手にはないのだから。
 あの時はたくさんの奇跡が、数え切れないほどの偶然が彼らに味方した。
 でも、今は?
(……絶対に、勝てるとは言い切れないから……)
 不意に黙り込んだティムをかすかに眉を顰めながら見たブラッドは皆を振り返った。
 アシュレー以外の全員に異論が無い事を表情から読み取り、小さく頷いてみせる。
「……よし。ではとりあえず3日。そのあいだ俺達は休息を取ろう。すべてはそれからだ」
「ああ……わかったよ」
 苦笑するようなアシュレー。
 今の状態では、彼の言い分こそがもっとも正しいとわかっているからだ。ただ、理解しても感情が納得するとは限らないだけだから。
 堂々とした態度を取る、パーティーで最も冷静なこの男に、今まで幾度と無く助けられてきたのだから。


*****


 なんとかしてトニーに連絡をつけた後(この前の地震の事や、無人島の事を聞き忘れたといって大騒ぎにもなったが結局聞けなかった)、彼らは思い思いの休暇を取ることにした。
 ……かすかな焦りを、胸に。




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