何故、こんなにも紅いのだろう? 最初に思う事が出来たのは、それだった。 彼の誕生に、自分がプレゼントとして渡したシンプルな上着。 初めて作ったからちょっとだけ歪んでいて。手だって、こんなに傷だらけで……。 だがその両手にある傷は縫い針による小さな刺し傷ではなく、火によって成された火傷だった。 自慢の群青色の長い髪も、強い熱で所々ちぢんでしまっている。 照り付けられる紅い色は熱を孕み、荒々しく舞い落ちる火の粉は肌を焼いていく。 目の前に視線を向けると、そこに立つ彼は多くの傷を受けていた。 彼だけではなく、自分も。両手だけでなく、身体中に。 体に刻まれた傷跡が、鈍い痛みとなってそれを彼女に教えてくれる。 でも――いったい、何故? 理由がわからない……。 思考が混乱している。さっきまで、自分は何をしていたのだろう? ――逃げろ、と叫ぶ声がする。 いつも聞いていた、力強い男の声。 何時の間にか、両親が横に立っていた。顔が煤にまみれ、黒ずんでいる。 ――どうしてと囁かれるのは、いつも優しく微笑んでいた母の深い悲しみに染まった声。 母を慰める父の声。自分を心配する彼の声。 そこで初めて、彼女は自分が今、虚しく焼け落ち続ける街の中に佇んでいるのを理解した。 数え切れない程の思い出が詰まった、幸せな街。 ――アイツの……アイツのせいで、滅んだ。たくさんの人が死んだ。きっと。 震える彼女の手を、体をぎゅっと大きな体が包み込んでくれる。 温かい手のひら。 ――今は逃げよう、と悔しげに呟く。 目前に倒れている今はもう動かない幾多もの人影を見据え、必死になって感情を押さえて。 彼のきつく噛み締めた唇から溢れ出すのは、流れる血と誓いの言の葉。 ――『いつか』に勝つために。『今』で死ぬ訳には行かない。 彼のその強い想いを抱いた面差しに、もはや今までの少年の面影は消え去っていた。 あるのは一人の男の顔。何かを決意した、強い意志を秘めた瞳。 そして思い出す。アイツの瞳――暗い光を宿した鮮血の色を。 ![]() 第30話 友への想い 「――わああぁっ!?」 「――っととと!!」 突然何もない空間から声がしたかと思うと、そこに人が現れた。 柔らかな草木の生えた草原に、二人分の影が応じたと同時に2人の少年が絡まって落ちて来た。 僅かに辺りを柔らかく照らす光と、空間が歪むほどの大きな魔力でそれはおそらくテレポートジェムを使用したのだろう。 その辺り一体を柔らかく包んでいた魔力の余波が消え去った後に残ったのは、無残にも地面に投げ出された格好の、年若い二人の少年だった。 それぞれ丈夫そうな旅装を纏い、片方は目立たぬように2本の短剣を持ち、もう片方はシャツの中にペンダントを隠している。そして、両手にそれぞれの荷物を抱えていた。 投げ出された余波に、草と砂を頭から被ったような格好のまま二人は顔を見合わせているような恰好になってしまっていた。 しばしの硬直の後、それぞれ無言のまま身を起こしてぱたぱたと汚れを落とす。その無造作な態度には、動揺は欠片も見受けられない。手馴れた仕草が窺える。 トニーはおざなりに装備を確認し、スコットは胸に手を当てながら辺りを見回して素早い状況確認をする。旅をする者特有の、自然な仕草だ。 そこは、彼らの知らない無い場所だった。少なくとも、彼らは来た事が無い。薄暗くなりつつある夕暮れの、曖昧な時間。空が人に優しい微笑を見せている。そんな時だ。豊かな自然と満ち溢れる生命力から、滅多に旅人が訪れないのだろうと思える。 その近くには、かつて彼らも滞在していた砂漠の街に似た、小さな農村が見えている。あそこほど砂があるわけでも規模が大きい訳でもないが、どことなく雰囲気が似通っている。 それだけを見て取ると、彼らは二人共どことなく怒った顔で、顔をぎこちなく合わせる。そして、――深い深い溜息を胸の奥から吐き出した。 胸中にわだかまるのは、言葉になんて出来ない――そんな複雑な想い。 「……また、だなぁ……」 「ええ……どうやら私達はジェムとは相性が悪いようですね。――あの時と同じ様に」 スコットの口をついて出た言葉は、一見して他愛のない事だった。つい先日目的としていた場所から外れて、まったく別の場所に辿りついた――それだけの事だ。たった、それだけ。 こんな事も初めてではないし、彼らが憧れる英雄ARMSの一員である少女もよくやっていたから今更動揺するようなことではない。しかし、この失敗は彼らにとあることをよりリアルに思い出させていた。 「…………」 「…………」 ほんの一言話すと、彼らはすぐに押し黙った。 ほぼ同時に二人の脳裏に浮かぶのは、つい先日まで共に旅した一人の少女。初めて彼女を見つけた時は本当に驚いた。幻や幻覚ではないのかとさえ、思ってしまった。 彼らが書物の中でさえ一度も見たことのない衣装をその身に纏い、そしてその瞳は不思議な雰囲気を醸し出していた。そう、まるで――数え切れないほどの哀しみや絶望を見つめてきたような、そんな雰囲気が。 でも、それ以外はごく普通の少女だった。 彼らと共に笑い、話し、同じものを食べ、同じ事を話した。 楽しかった一時の出会いが、こんな風に突然再び絡み合う運命にあるとは考えもしなかった。 それも、重大な――それこそ世界の命運と関わるような事と関係しているらしい――彼女が。 ある日突然に始まった、彼らにとっては簡単すぎる旅。その途中で出会っただけの、一人の少女。出会い方が出会い方であっただけに最初は少し戸惑ったが、それもすぐに打ち解けられた。 時々押し黙ったり、暗い顔をする事もあった。 でもそれはきっと他人には言いたくない事があったんだろう、としか考えなかった。興味も持たなかった。人にはそれぞれの事情があるのだからと……それが、こんな形で関わる事になるなんて、思いもよらなかった。 「……ちょっと、このあたりの様子を見てきます」 「……ああ」 しばしの沈黙の後。 複雑な表情をしたままスコットは村のほうへとゆっくりと歩き出し、対するトニーは小さな呟きでもって返事を返した。 トニーはゆっくりとした動きで農村の方へと歩いていくスコットの姿を見送る事もなくもう一度溜息をつき、その場にぺたんと座り込んだ。 乱暴に足を投げ出し、荷物を隣に放り出すと手を軽く短剣に添わせ――苦々しげに、小さな舌打ちをする。その動作はいつも明るい彼には酷く似つかわしくなかった。 「……どうしろってんだよ……一体……」 片手でぐしゃ、とやや硬質の赤茶けた髪を乱暴にかきあげ、彼は知らず知らずの内に深い溜息を洩らしていた。 どうしたらいいのかが、どうしてもわからない。 やるべき事はわかっている。決意もないわけじゃない。 わからないのは、方法。最初に踏み出すべき、その小さな一歩。 つい昨日、久しぶりに連絡を付けた時にアシュレーに教えられ、尋ねられ、そして頼まれた事。 耳に残るアシュレーの声は、いつになく焦っていたようだった。それだけ重要な事を頼まれたのだと言う事は、はっきりとわかった――それでも。 どうしても、言う事が出来なかった。 ***** 耳に残るのは、小さな……けれどとても美しい歌声。 聞いた事の無い摩訶不思議な言葉で紡がれたその歌は、決まって大空が朱に染まった時に彼女の唇から零れ落ちていた。 遠い目をしながら切ない響きを持ったその歌を囁いていた少女は、大切な人を無くしたのだと言った。 彼女は深い悲しみや絶望、憤りや憎悪を知り、そしてそれらを乗り越えた人間だけが出来る表情を、ふとした瞬間に浮かべる事があった。 それでも、やりきれなくて――消えない想いへと変わったモノを抱えて。 真夜中に何度か、朝陽に消え行こうとしている星を眺めているのを知っていた。 怪我があるから会ってはいけないと言われて、でも気になって、二人でそっと夜中に屋根から様子を見に行こうとしていた時。 そんな彼女を見つけたのだった。 腕や頭だけでなく、服の合い間からも見えない部分も含めたたくさんの個所にうっすらと血に染まった包帯を巻き、薄い寝巻き姿のままベランダに佇んでいた彼女は――綺麗だった。 そして淡い月明かりと朝陽の混じった光に照らされた彼女は、そのまま溶けて消えてしまいそうに見えた。 静かに涙を流しながら遥か遠い空を眺め、次の瞬間にはその背に大きな翼を広げて遠い遠い大空へと羽ばたいて行きそうだと、ぼんやりとした頭で考えていた。 楽しげに笑うときも、どこか孤独と悲しみの風を纏っていた少女。 ***** アシュレー達に協力したいという思いは本当だった。 でも、だからこそ言えない――言いたくなかった。 彼らが知りたい事のいくらかを自分達が知っているという事を。そして、彼らが探している人物が彼女であろうという事を。 彼女が何かに関わっているなどと、信じたくなかったから。 楽しそうに笑っていたあの少女を、信じたかったから。 彼の胸にあるその感情は、決して恋ではありえない。彼が心に秘める想いの主は、別にいる。 しかし強いて言うならば、そう――生死を共にした友への思いにでも、似ているのかもしれない。特に何があったわけでもない。共に過ごしたのもほんの数日だった。けれど、その数日でそれだけの想いが彼らの心には確かな物として宿っていたのだ。 だから――自分達自身の手で、確かめようと決めたのだ。 この事をアシュレー達には伝えない。 もう一度彼女に会い、確かめなくてはいけないのだ。 だが――……。 煌く星々の浮かんだ空を見上げていると、この胸にある思いも多少は安らぐような気がした。 ふと、慣れた様子で警戒もなく近寄ってくる気配に目を向けると、彼の親友がこちらに向かってゆっくりと歩いてくる所だった。 「ああ、トニー君」 地図を手にしながら、農村に向かった時よりは幾分元気を取り戻した声で話し出すスコット。 彼も以前よりも身長が伸び、自分同様より大人に近い体格になってきている。 「ここも、地図に載らない村です。大体の場所も聞いてきました。それで――」 「なぁ、スコット。……これでいいのかなぁ」 突然トニーから発せられたその声に、彼は話そうとしていた言葉を飲み込む。 唐突な、そして抽象的な言葉に問い返す事も無くごく自然にその言葉の意味をスコットが理解できたのは、つい先ほどまで彼もまったく同じ事を考えていたからだった。 地べたに座り込んだままスコットから視線を逸らし、意味もなく動かしている手をじっと見つめているトニーをスコットは静かな眼差しで見ていた。 そして――彼は静かに微笑んだ。 トニーが口にした言葉。それは彼がたった今、同じ事を目の前に座り込んでいる親友に今正に問いかけようとしていた事だったのだから。 彼が自分と同じ事を考えていた事で、すっと気が楽になるのをスコットは感じていた。 自然と、笑顔が浮かぶ。そして、その一瞬で答えは生まれた。 「……トニー君は、それでいいと決めたんでしょう?」 「……わかんねぇ。だから、確かめたいんだ……」 「私も同じですよ。だから、今は動きましょう。そして――確かめましょう」 すっと、対照的な二人の視線が絡まる。微かな迷いの色を浮かべた瞳と、はっきりと迷いを断ち切った瞳が。 トニーの、普段には強い意志を秘めているはずの瞳に浮かんでいたその微かな迷いの光は、スコット瞳を見たその瞬間に泡のように消え去っていた。 自分は、それを知っていたのだ。 そしてどうしても動き出せずにいた、最後の一歩。 それを今、やっと手に入れた。 動き出すために必要なその鍵は、『二人』が持っていたのだから。――二人で一つの鍵を、自分たちは手にしていたのだから。 わからないなら、わかるようにすればいい。 その方法が無くとも、彼らは動く事ができる。そして、探す事だってできるのだ。それだけの事を、することができるのだから。 何年も前からの親友。二人なら、きっとどんなことでも出来る。そう信じられる。 歪んでいた表情が元に戻り、普段どおりのトニーらしい明るい笑みが浮かび上がる。そしてまたスコットもトニーと同じく、心底嬉しそうで、楽しそうな表情を浮かべて見せる。 「……そう、だよな。もう決めた事だし――悩むのは俺のガラじゃないしな!」 「ええ。だから、――行きましょう!」 再び堅く頷きあい、彼らはそして暗くなった道を村へと向かって力強く進み出した。 もう一度、彼女の歩む道と彼らの歩む道が交わる事だけを祈って。 |