ちょっとした不注意だったの。
 軽い気持ちでいて――そして、取り返しのつかない事になってしまった。
 あの子を、巻き込んでしまった。
 いつも私の後をついてきて、そして懐いてくれた。
 それが可愛くて、嬉しくて。一緒にいるのが楽しかった。
 歳を重ね、私がみんなにもてはやされるようになるとあの子は私から離れていった。
 それが、少し悲しかった……昔には、戻れないから。
 何も気にすることは無いのだと、あなたはあなたなのだと。
 そう、言ってあげたかった――でも、間に合わなかった。
 雪の降る天文台で見た冷たい色の空。いつまでも覚えている。
 あの頃のあの子にとって、あれが唯一の空だったでしょう?
 だから、私にとっての空もあの雪の降る空なのよ。
 もう、二度と見る事が出来ない――故郷の空。忘れる事は無いわ。
 歪んだ時空を越えて、そしてやってきた新しい世界。
 新しい友人も出来たわ。あなたに良く、似ている……可愛い女の子。
 そしてまた、あの時のように別れてしまった。どうしようもない大きな力によって。
 だから今度は、私が自分で探しに行くわ。
 それに――もしかしたら、あなたに出会えるかもしれないのですって。
 きっと、最後にあなたを見たときよりも大きくなっているでしょうね。
 母さんに似て、綺麗な女の子になっていると思うわ。
 もし、再び私達の時が交わり――あなたと出会えたのなら。
 あなたは約束を守ってくれているかしら?
 そして、笑ってくれる? 私に。
 ねえ、あなたは今、笑っていられている?
 私の大切な――たった、ひとりきりの妹。




そして始まるは戦 全ての先駆けなりし事 これより始まるは絶望 その色濃い日々――
第31話 垣間見えた夢




 のどかな日差しの照りつける街。
 タウンメリアと名づけられたその街で、人々は活気付いた生活を営んでいる。
 朝には露店が準備され、午後には旅人をもてなす大きな祭りが開かれる。
 焼き菓子や色水の売り子が声を張り上げて道を通れば、その後ろを腕白な子供達がついていく。熟れた瓜などの果物は、この暑さならきっと大盛況になるだろう。果物屋は大盛況間違い無しだ。
 町の中心にある噴水で遊ぶ幼児に、微笑を浮かべる大人たち。奥には荘厳でいて質素なメリアブール城へと続く道があり、そこからそびえる城を見つめられる。小鳥は爽やかな鳴き声をあげ、一日を祝福しようと声を張り上げている。
 荒野を旅してきた疲れきった旅人達に優しい、そんな街。その一角。
 小さいながらも人気のあるパン屋で、アシュレーは休暇を楽しんでいた。
 無理に取らされた休暇に反対もしたのだが、きっぱりとブラッドに却下され、3日過ぎるまで何もするなと厳命を下されてしまった。
 リルカたちは密やかに喜んだものの、アシュレーに遠慮して騒げない。カノンはどうでもいいという思いを態度で示し、マリアベルはさっさと研究室へと潜ってしまう。
 そんなメンバー達を見ても、強硬に活動しようと言い張るわけにも行かない。
 そうしてしかたなしに、アシュレーは休暇を承諾したのだった。
 彼らは3日後にシャトーに戻ることを約束し、それぞれの好きな場所へと移動した。
 リルカとテリィは故郷に戻って学校に休学の届を正式に提出し、再び古い文献などをを漁るそうだ。ティムはバスカーに戻り、ガーディアンと意志の疎通を図るという。
 カノンはいつの間にか、人知れずに姿を消した。ブラッドはセボック村に帰ると言い結局シャトーにはクルーしか残らないので、しかたなしにアシュレーも帰ることにしたのだ。
 もちろんみんなからしっかり休んでおけと忠告されたからでもあるが。
 そして、2日目――何事もなく、こうしてくつろいでいられる自分がいる。
 シャトーにいるときにあった酷い胸騒ぎも、今はもう静まっている。
 やはり、ブラッドの言うことは正しい――いつも。今の自分に必要なのは、冷静さだったのだから。
「僕もまだまだだな……」
 こうして平和な町を見、そして愛する家族と共にいるというだけでこんなにも違うのだということ。
 コーヒーを持った手を下に置き、再び窓の外を振り返る。
 明るい空と白い雲。時々空を横切る鳥達の群れ。そんな、何気ない風景。でも、それが何よりも大切だとわかっている自分もいる。
 『あの時』の暗い空を甦らせてはいけないと――そうすることは『彼ら』に対する一番の侮辱になるのだから。
 ふわっと微笑が生まれる。何故かそうしたいと、そんな気分にさせる。
「アシュレー? どうかしたの?」
「いや……僕はよっぽど余裕がなかったんだと思ってね」
「あら。そんなのいつものことでしょ?」
 いたずらっぽく微笑み、先ほどベビーベッドに寝かしつけた双子を見て優しげな微笑を浮かべる。
 栗色と、藍色の髪の双子達。まだきちんと自我を持っているわけではないけど、どちらも二人によく似ていると何度も言われた。それがどうしようもないほど嬉しいと感じることが、できる。
 やっと生えそろってきた柔らかい髪をなで、歌うように微笑みながら言葉を紡ぐマリナ。
 そんな姿も、きっと前までは想像も出来なかっただろう。慈愛を持つ、そんな表情をする彼女も、こんなことを考えている自分も。
「また何かが起きているんだとしても……この子達が外の世界を見つめるとき、辛い世界にならないように――なっていないようにしたいわ。それが、わたしたちの義務でしょう?」
 母親の微笑を浮かべ、そう言葉を紡ぐ彼女はまっすぐにアシュレーを見上げた。
 そこには、もうかつての彼女はいない。寂しさに怯え、変化を恐れた少女は消えたのだ。
 今いるのは彼が最も愛し、そして守りたいと願う人。そして彼の子供達を産んでくれたひと。側にいるだけで満ちたりた気分にさせてくれる。それが嬉しく、同時になんと誇らしいことか――。
「ああ……そうだね。そのために、僕らができることをしないとね」
「無茶は困るけど……頑張ってもらわなきゃ。ね、お父さん?」
 くすくす、と小さな笑をもらして二人一緒に眠る子供達を見下ろす。
 小さな手を繋いだ、たった二つの小さな命を。仲良く眠るその姿に、僕らは救われるのだから。
 そんな未来に繋がる、希望の欠片たちを――。


*****


 瑞々しい緑溢れる草原に、一人の少年が横たわっている。
 美しい容姿に、薄茶色の髪の小柄な身体。少女と言ってもまだ違和感無く通用するだろう。
 人里離れた僻地にあるここは、バスカーという古代民族の隠れ里。古い伝統を守り、保守的なやり方でその誇りを守り続けてきた愚かな一族。
 自分もその血を引くのだと思うと、なんともいえない思いが広がってくる。
 悪いとは思わない。彼らはそうしてしか生きていけなかったのだから。
 でも――何故、他の道を探そうとしなかったのか。
「…………」
 さあっと流れる風に身を任せ、空を行く雲を眺めるといろんな思いが去来する。
 過去、今までにどれだけの血が流れ、涙が零れたのだろう……どうしたら、もっと違う考えを持つ事ができるようになるんだろう、と。
「……また、戦いになったら……どうなるんだろう……」
 つい最近、バスカーはやっと未来へと歩き出した。閉鎖的な掟を捨て、少しずつ外へと手を伸ばし始めたのだ。
 それはこの3年間ティムとARMSのみんな、そしてコレットという少女の努力によってやっと実った事。それが、すべて無駄になってしまう。
 彼女が見たという未来の情景。夢見<コンタクティー>の力。
 それら全てがこの世界に現れたら、一体どうなってしまうのだろう。
 刹那の間に現れた二つの力。それらは一体何を意味しているのだろう。
「……わかんないよ……」
「……ティム君?」
「あ。コレット」
 振り向けば、何時の間にかそこには一人の少女が立っていた。
 子供の少ないバスカーの中で、彼女だけが彼を<柱>としてではなく一人の人間として見てくれた。
 彼女は太いおさげの髪を2本、後ろに流したいつもの姿で立っていた。
 少し怯えたようなはにかんだ口調で少年の名を呼んだ少女は、振り返ったティムに笑顔を見せる。
「よかった……なんだか恐い顔をしてたから」
「え……そうだった? ごめん。ちょっと考え事をしてたから。それで、何かあったの?」
 やや厳しげな顔をしたティムに、コレットは慌てて首を振った。
「ううん、違うの。ちょっと、お話したかっただけだから……」
「……そう」
 困ったように呟き、顔を俯けたままティムの隣に膝を抱えて座り込む。そんな少女の様子に戸惑いながらも声をかけれず、しばし沈黙が流れる。
 やがて、ぷちっと草を引き抜く音が聞こえ出した。ティムが無意識のうちにやっているのだ。彼自身はそれに気づいていない。
 それに気がついたコレットはそっとため息をついた。
 こちらに戻ってから、ずっとそうだった。いらつきを押さえられず、不機嫌な顔で。
 ――ガーディアンとコンタクトがとれなかったから。
 どれだけ呼びかけても、答えが返ってこれなかったという。亜精霊であるプーカも何が起きているのかわからないらしく、しかも少しずつ元気を無くしていくので少しでも力のある場所へ、とティムはプーカをガイアの元へと置いてきたらしい。
 いつも一緒にいた二人なのだから、珍しく分かれたことでティムのいらつきもさらに煽られる結果になっている。
 それをどうにかしたいとも思ったけれど、何もできない自分がもどかしい――自分が情けないと、心から思う。
「ねえ、コレット……」
「……え、何? ティム君」
 慌てて顔を上げると、相変わらず前をぼんやりと見たままのティムが語りかけてくる。
「君の見た夢……一体、何を表しているんだろうね」
「……わからない。でも、とっても恐いことが起きるの……」
 呟くように、囁くようにつむいだ言葉に彼は顔を上げ、不安を顔いっぱいに広げた少女を見つめる。
「……恐いこと?」
「うん……。いつか……そう遠くない時に、起きるわ。たくさんの恐いことが。そして、一緒にきれいな光が現れるの。たくさんのものを守ってくれる、小さな小さな光が……」
 少しずつ脳裏によみがえる、一瞬の夢を思い出しつつ言葉にしていく。
 慎重に、言葉を選ぶようにして。目を閉じながらその情景を再び記憶の底から取り出していく。  初めて聞いたことに、ティムはわずかに身を乗り出した。それが何か、役に立つのかもしれない――。
「その光って?」
「……わからない。ただ、とてもきれいだった。そして、一つだけじゃなくて、たくさん見えたの。そして、その一つ一つの光の中に人が見えた。大きな光も、小さな光もあるの。それがたくさん集まっていたの。そして、その中に一つだけ小さくて弱々しい光があった。それが一番きれいな色をしていて、……その全部が炎に包まれていた」
 炎。それがキーワードになっているのだろうか。……あの、焔の魔神を思い出す言葉。
 不吉な予感。それは胸を焦がす、痛みを伴った感情だった。
「でも、でもね? その炎は悪いだけじゃないの。確かに邪悪な力も感じたわ。すべてを滅ぼす力。――でもそれだけじゃなくて、何かを守ろうとする力もあったの。二つの相反する力を秘めたとっても大きな力を持った炎――恐かったけど、とても暖かい気もした……」
 彼女が見たというものは、一体何を表していたのだろう?
 コレットは何かに魅せられたように言葉を紡ぎ続ける。
 閉じられた瞼は柔らかく伏せられ、夢見るような表情でただ『何か』の意志を伝える。
「二つの力を繋ぐのは、強大な力を持った炎。そして邪悪な意志と、何かを守りたいという意志。破壊の意志は暗く澱んだ闇を纏い、守ることを望む意志はたくさんの小さな光。そして我らは彼らに力を貸す――」
「……コレット?」
 不意に口調の変わった少女に、ティムは言い知れぬ不安を感じる。
 でも、決して恐れは抱かない。なぜなら、それは少し前に彼がよく身近に感じていた力だから――。
「まさか、ガーディアン!?」
「『もうすぐ奴が真の姿を現す。心せよ。自分を信じ、仲間を信じよ。そして見つけ出せ、彼らを。彼らと――そして彼女こそ、すべての出来事の鍵となりうる者。鍵であり切り札となる者達。我らは汝らに力を貸そう。そして導こう。すべての望む未来へと。――ファルガイアを守るために』」
 神々しい神聖な雰囲気を纏っていた少女はそれだけを告げると、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
 慌ててティムはコレットを支え、彼女の無事を確認するとほっとため息をついた。
「それにしても……今の言葉はいったい……」
 ガーディアンの言葉が彼の胸中に木霊する。
 何を言いたかったのか――そして切り札とは、彼らとは一体――?


*****


 それぞれの休暇を過ごし、新たな思いを胸にARMSがシャトーへと戻った。
 しかし、なぜかリルカとテリィはその日姿を現さなかった。
 おそらくテレポートジェムの失敗だろうと楽観視していた彼らだったが、さすがに約束の日から2日も立つと心配になってきていた。
 そしてシェルジェ襲撃の知らせが届いたのは、約束の日から3日目の事だった。




前に戻る  『焔の末裔』トップへ  次に進む
Copyright(C) 2001- KASIMU all rights reserved.