あのときは、確か珍しく雪が降っていなかった日だと思う。
 何かの実験だったのだと、後で聞いた。
 彼女なら大丈夫だと、先生や教授たちが笑っていたのを覚えてる。
 大丈夫、彼女なら絶対に。絶対に大丈夫。
 そう、誰もが言っていた。信じていた。
 そして、――最悪の形で裏切られた。
 彼女は、俺たちの憧れの的だったんだ。
 まだガキだった俺が、自分を『僕』と呼んでいた頃。
 アイツは、今よりももっと――リラックスしていた、と思う。
 なんて言っていいのかな……とにかく、今とは全然違ったんだ。
 無理に力もうとしないで、自然にしていた。
 彼女の側にいるのが羨ましくて、よく陰口なんかも言われてた。
 でも、我慢しないで泣いたり怒ったりしてた。
 あのときから3年前まで、アイツはずっといつも無理してた。
 全部自分で抱え込んでさ。
 辛いのも、ひとりで我慢して、ひとりで泣いて……。
 あの時から、アイツは変わった。
 そして、彼らに会ってアイツはまた変わった。
 今のアイツは、いつも嬉しそうに笑っている。
 だからこそ、できる事なら、守ってやりたい。
 アイツ自身を。アイツの笑顔を。
 あの時のアイツに戻ってしまわないように。




そして始まるは戦 全ての先駆けなりし事 これより始まるは絶望 その色濃い日々――
第33話 シェルジェ攻防戦(1)




 絶対的な平和の世界のだったはずのシェルジェ自治領。
 そこは結界に守られ、強固な地盤の地下に作られた都市。なかなか実感はできないが、その大きさはギルドグラードなどにも勝るとも劣らない、と噂されているほどの規模である――城がないことを前提として、だが。
 雪原地帯にある所為か、理由は未だにはっきりしていないが結界内でありながら常にその地下都市の中にも雪が降り積もる。そのかわりに寒さは極限まで押さえられているので、その不思議な雪がこの都市の名を広めるのに一役をかっている。
 しかし、本当に有名なのはその都市の中に存在する魔法学校。
 世界で唯一、魔法使いを養成し、魔法研究所などが存在する地下都市。
 ここがあるからこそ、世界に魔法が広まっているといっても過言ではない。それほどに重要な場所でもある。
 メリアブール、シルヴァラント、ギルドグラードに次ぐ地位を持つ都市、そのひとつがこのシェルジェ学園都市。権力をとらず、ただ絶対的な独立権を所持してきた場所。
 それゆえに、平和に慣れきった人々が暮らしている。
 彼らは戦うという行為をあまりに軽く感じ、そして危険という物になれてしまっていた――。


*****


「ちょ、ちょっと、どいてっ!」
「先に行きたいんだ、どいてくれよっ!」
 混乱する人々をかき分けながら、リルカとテリィは煙のなびく個所へと向かっていた。
 もっとも、街の各所で煙が立ち、悲鳴が響いているので何処へ向かうか迷うところではある。なので、とりあえず二人は一番最初に見た、街の入り口へと走っている。
 人々は突然の悲鳴に混乱し、何が起きたのかもわからないままとにかく駆け出している。
 野次馬になる者、手荷物を持って逃げ出そうとする者、この隙に泥棒行為に走る者、その混乱で怪我をした人々……そんな人々で通りはごった返し、いたるところでケンカが起きていた。
「ああもう! 落ち着いてよ! 邪魔だってば!」
「押すなよ、危ないな!」
 この騒ぎでも不思議な事に、入り口の方に走っていくものは少ない。
 それが何か良くない事を暗示しているようで、若きARMSの隊員である二人は一瞬目を交わす。
 ――あそこで落ち合おう。また、後で。
 メッセージを送り合い、それぞれが違うわき道へと入る。この街に住む彼らはどんな小さな路地でも知っているし、何処が何処に繋がっているかなど目を瞑っていてもわかる自信がある。 ――もちろん目を瞑って、というのは冗談だが。
 リルカは一見魔法学校へ向かう道を通り、途中でまた別の道を曲がる。そのまま直線を走り抜け入り口まで後もう少し、というところでそれと出会った。
 背後に感じた気配に本能的な動きで横に飛び、仕掛けられた一撃をギリギリでかわす。そのまま止まらずに一挙動で振り返り、パラソルを開いて戦闘態勢を整える。
 何処からともなく(実際にはポケットと後ろのポシェットから)クレストグラフを数枚取り出し、構えたところで目を大きく見開いた。
 緑色の体躯。異様に細長い手、頑強そうな爪の付いた足。二本の手足を一つの頭を持つそれは以前の話に聞き、そしてつい先日も自分自身の目で見、実際に戦った。
「なんで……こんなところに……」
「ギュィイイイィィ……」
 それはプロトブレイザーと呼ばれた、人工の魔物。降魔儀式によってのみ生まれ、人に異界の魔物が憑依するという形で生まれる。現在ではありえない、過去の遺物。
 ギラッと目に当たる部分が光を放ち、心持ち身体を低くする。両の手の爪がやや鋭さを増し、鈍い光を反射させる。キバの生えた口の辺りから、白い息が吐き出される。くひゅう、くひゅうと鳴っているのはそれの呼吸音だろうか。
 ぐぐ、と鉤爪が長さを増すのを見て、こちらも怯えた態度をとれないことを悟る。もう、逃げるには遅すぎるのだ。
 鋭さを増していく目を睨み返し、脳裏では目まぐるしい思考を繰り広げる。
(ここで逃げる……のは無理かな。それに、ほっといたら被害がでちゃう。ここで、なんとかしないといけない。じゃあ、どうするの? 周囲に効果が及ばない、威力の高い魔法……ちょうどいい魔法のストック、あったっけ……?)
 3年前のの戦いの後、「必要ない」という理由で大半の魔法を手放した。平穏な世界に、身を守る以上の力はいらないだろう、というのがリルカの理由だ。
 念のためにクレストグラフ自体は保存してあるものの、それも寮の自分の部屋の引き出しにしまっている。今からとりに戻るのは不可能だ。
「……ああもうっ! やってやろうじゃないの!」
 そう一言叫び、目の前のモンスターに向かって駆け出す。その声と同時にプロトブレイザーも「ギュアアアァァァァ!!」と叫んでリルカより一瞬遅れて動き出す。
 動きは同じか――やや、プロトブレイザーが有利か。幸い『モト』が動きの鈍い人間だったのかもしれない。
 手に持ったカードのうち、水のエレメンタルの描かれたカードに精神を集中する。
 爪を振りかざして彼女を引き裂こうとするプロトブレイザーの攻撃をまたもギリギリで―― 服の腕の部分が少し引き裂かれ、血がにじんだ――かわす。
 そしてぱっと立ち位置を入れ替え、それがふりむいた瞬間に魔法を解き放つ。
(これで……決める!)
「ハイ・フリーズ!」
 手にしたカードを翳すと、それが刹那の瞬間に光を放つ。ぎゅおぉっとつむじ風が起こり、そして次の瞬間巨大な氷の柱が出現する。
 それが今まさに振り向こうとしていたプロトブレイザーの身体を貫き、氷で覆う。
「ギュォォアアアアアアァァァァ!!!!」
 それは断末魔の叫びをあげ、そして砂が崩れるように消えていった。
 はぁ、と緊張の溜息をついて手にしたカードを引っ込める。
「よかった……一撃ですんで。そんなに強くなかったのかな? あ、わたしが強かったのかも♪」
 口では明るい口調で呟きながらも、その眼差しは鋭いまま。持っているだけのカードをとりだして種類を確認し、それを再びもとあった場所へときっちりと仕舞い込んだ。
 魔法で作られた氷が消滅し、何の残骸も残らないのを微かに疑問に感じながらも再び道を辿り始めた。
「テリィ……もうついてるだろうけど。もしかしたら、プロトブレイザーがたくさん出現しているのかもしれない……急がなきゃ!」


*****


 しばしの後、何度かモンスターに遭遇はしたが、どれも一撃で倒れるような魔物であったのでさほど時間は取られなかった。プロトブレイザーも、あれ以来見かけない。
 しかし、結界に作られたこの街にこれだけの数のモンスターがいる――それだけでもう、この以上自体を物語っているようでもあった。
 それから走り続け、何度かモンスターを倒してやっとリルカは街の入り口の辿り着いた。
「テリィは……まだ、みたいね。じゃあ、とにかく逃げ道を――」
 そこで突然、彼女は言葉を失う。
 リルカの目線の先にあるもの……それは、瓦礫の山に埋もれた移動用の結界。
「そんな……これじゃ、どこにも逃げられない……」
 蒼白な顔をしながら、リルカはそこに立ちすくんだ。




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