楽しかった、楽しみだったあの日。 ひさしぶりに実験を見せてもらえると聞いて、嬉しかった。 前の日は胸がドキドキして、なかなか寝付けなかった。 確かに、嫉妬……してた、と思う。 ぐるぐるまわる、汚くて、すごく醜い感情。 でも、大好きだったから、憧れていた。 一緒だから、安心していたよ。 絶対に大丈夫になるおまじないをおしえてもらった。 信じて疑わなかった。 そして、裏切られた期待と――信頼。 最初から、決めてたのかもしれない。 わたしひとり助かったって、嬉しくなかったのに。 最後に、なんて言ったのかわからなかった。 それが悲しくて、寂しかった。 だから、ひとりでやっていこうとした。 でも、それじゃ駄目なんだってわかったから。 今は、今なら笑えるようになったよ。 そして最近……夢をみるようになったの。 ふたりで、花畑で笑っている夢。 昔のわたしたちじゃない、今のわたしたち。 そんな未来があれば良かったのに。 ね、お姉ちゃん……。 ![]() 第34話 シェルジェ攻防戦(2) リルカと分かれたテリィは、街の入り口とは正反対の方向へと走っていた。 目的は彼女と同じ。しかし、その前にどうしてもやっておかねがならない事があるのだ。 今、おろらく戦闘が始まっているのだろう。さっきの破壊音は、どこかで魔法が使われた音だ。 それが数回……おそらく移動している。とすれば、それはリルカの可能性が高い。 ならばなおさら、『アレ』が必要になるはずなのだ。 「くそっ! 急がないと……!!」 再び聞こえる音と衝撃に、彼は足を速める。幸い、クイックを自分にかけたお陰でモンスターとの戦闘には至っていない。 ところどころで出会う人々をかわす事だけに気をつけ、ただひたすらにテリィは走った。 「アレが、アレがあれば!!」 そんな彼の前に、ひときわ大きな建物が現れる。街のほぼ中心に位置するその建物こそ、シェルジェ唯一の、世界で唯一の魔法学校。 そこにこそ、彼の求める物――彼女の必要とする物があるのだ。 ***** 「くそっ! 出口が閉まってやがる! 何処にも逃げ場はねぇのかよ!?」 「そんな……ここまできて!?」 「どこか、他にも逃げられる場所は無いの!?」 「どうか、この子だけでも……!」 リルカと同じ様に出入り口まで辿り着いた人々が、彼女同様崩れ落ちた瓦礫に埋まったその場所を見て、それぞれ絶望の、怒りの声をあげる。 無駄と知りつつ、安全な場所を探しに走る者。呆然とその場に座り込む者。ただひたすらに瓦礫をどけようと足掻く者。怒りの声をあげる者。 ここはまだ何故か、訪れる人が少ないおかげで大きな混乱は起きていない。 しかし、いまも街のあちこちで火災が起き、モンスターの声と人々の悲鳴が聞こえている。 逃げ場が無い――その事を全ての人が知るのも時間の問題だった。そして、そうなった時こそシェルジェの街は真の混乱が訪れ、壊滅を余儀なくされるだろう。 そんな事を真っ白な頭で見ながら、リルカは必死になってこの状況をどうにかしようとしていた。 (ええと、とにかく火事を止めなきゃ) (なんでテリィはいないの?) (怪我をしてる人たちがいる……早く手当てしないと) (どうやって逃げたらいい? もう逃げ場なんてないのに) (みんなは無事なの? 先生や、みんなは?) (なんでここにプロトブレイザーがいるの? それに結界だってあるのに) (助けてよ、アシュレー……わたしだけじゃ何も出来ない) (誰か――) (わたしは何も出来ないよ。お姉ちゃんのように強くないもの) (助けて。わたしを――) (ダレカ――) 混乱した思考に耐え切れず、リルカはぎゅっと硬く両目を閉じ、身体を抱きしめる。 そのとき。 「こんなときに、ARMSがいてくれれば良いのに……」 ぽそっとした、小さな呟き。ばっとその声の主に顔を向けると、そこには小さな子供を抱いた若い女性が佇んでいた。 周りの人々――先ほどの呟きが聞こえた者たちが、リルカと同じように彼女を見つめている。 「……今、何て言ったんだ?」 「だから、ARMSがいてくれたら、って言ったのよ」 その視線に怯えたように見をすくませる女性。しかし、周りの人々はそれに気付かずに顔を見合わせた。その眼差しには、先ほどまでの絶望の影は薄れている。 「そうだよな。ARMSが再建したって、噂で聞いたぞ」 「たしか、シェルジェの子も参加してるって」 「もしかしたら、助けてくれるんじゃないかしら」 「彼らなら、きっと助けてくれるわ」 希望に満ちた声が、徐々に広まりつつあった。少しずつこの場に集まった者にもその言葉は伝わり、あたり一面がそのことで持ちきりになった。 そんな彼らを見て、リルカは冷水を被せられたような気がした。急に、目の前のもやが晴れたようだ。 (そうだ。わたしはARMSの一員なんだ。みんなはこんなにわたしたちの助けを待っているんだ。 わたしは戦える力があるもの。だから、みんなを守らなきゃいけない――) 震える足に活を入れ、ぎゅっと拳を握る。彼らの期待の眼差しを一人で受けるのは辛い。彼らの希望を――彼らを守るという責任全てを受け取る自身なんてない。 でも、やらなければならない。自分には、それだけの力があるのだから。 (へいき、へっちゃら。絶対に大丈夫だもの!) きっと顔を上げ、彼らに声をかけようとしたとき――突然、出入り口の真正面にある建物の屋上に目がいった。何か、黒いシルエットが見えたような――。 「あれは……!!」 ぐら、とそのシルエットが動く。丸い屋根をあきらかに人間外の動きで渡りながら、こちらのようすを伺っている。 リルカはそっとパラソルの柄の部分を握り締める。まだ、向こうは気がついていない。迂闊に動けば、被害がでてしまう。 そう思った時。それははっきりとした動きで下を――たくさんの人々を見た。そして、リルカを。 ぞわっと鳥肌が立つ。こんな所で戦闘なんて起きたら……!! 「みんな、逃げて!! モンスターよッ!」 その声と同時にその影――プロトブレイザーが高く飛び上がる。そして、そのまま人々の頭上に舞い降りようとする。リルカの声に反応した人々はつられて頭上を見て目を見開いた。 すさまじい絶叫。逃げ惑う人々。モンスターが降り立つであろう場所を避けるようにして人々が走る。 長い滞空時間の末、それは開いた場所に降り立つ。そして、ふらっと立ち上がり――突然にしてその横手に飛び掛っていった。 「きゃあああああぁぁぁぁ!!!!」 「この――ハイ・スパーク!」 押し倒され、今にも喉を噛み切られようとしていた女性を救うため、リルカは一瞬で魔法を放つ。 その展開速度、呪文の選択など、どれをとっても一流の腕。だが、それを認識できた者はこの場にはいない。みな、自分の身を守るので精一杯なのだ。 「グギュウウウウッッッッッッ!!!」 異様な声をあげながら、集中した電撃にやられ焼け爛れたわき腹を押さえながらさっと飛びのくプロトブレイザー。 その隙にさっと地面に倒れた女性をかばうようにしてリルカが立ち塞がる。 「逃げて! ここはわたしがなんとかするから――とにかく遠くへ!」 「で、でもあなたは……」 「いいから、早く!」 その強い口調に押されたように、彼女はおずおずと――だが全力で走り去る。それを振り返る事無く、リルカはプロトブレイザーを見据えていた。 ***** 『手負いの獣ほどやっかいなものはいない』と、かつてブラッドは教えてくれた。『一撃で仕留められなかった場合、その戦いは長引くと思え』とも。 理性のない魔物ほど、その傾向は高いのだと。そして、今の一撃でわかったこともある。 このプロトブレイザーは、さきほどのものと違う。スピードも、頑強さも。 なにより、その気配――感じるプレッシャーがまったく別の物だ。昔戦った強敵とほぼ同等の強さを持っているのではないか――そんな推測までしてしまう。 (駄目駄目! わたしが弱気になっちゃいけない) 「ギュルルウウゥゥゥ……」 焼け爛れ、煙をあげる傷口から手を離し、明らかな敵意をもってリルカを意識している。 その爪が大きく尖り、鋭さを増している。大きさも違う所から、さきほどのプロとブレイザ―よりも苦戦するだろう。それが『モト』の差だとしたら――と考えて、嫌な想像に顔を顰める。 しかし、リルカはそれとは別に、何かの違和感を感じていた。 本能とでもいうべき所が、『違う』とうるさく警報を鳴らしているのだ。違う、違う、と。何が違うのかもわからないが、確かに『違う』のはわかる。 だが、いまはそんなものに構ってはいられない。 「次で、天国へいってもらうわよっ!」 口でそう挑発しながらも、リルカはこめかみを冷たい汗が伝うのを感じていた。 手持ちのクレストグラフで上級魔法が書かれているカードは2つ、フリーズとスパークのみ。 他はみな下級魔法。それではおそらく、このモンスターには通用しない。あくまで一撃を狙うのならやはり上級魔法では無いといけない。 しかし、今使った魔法はもう警戒され、同じ攻撃は受けてはくれないだろう。ハイ・フリーズでも構わないが、これはやや攻撃力が劣る。それに、スパーク系よりも若干コントロールに不安がある。 さっき倒したものは、本当に偶然としか言いようが無いのかもしれない。まさか、本当に一撃で倒せるとは考えていなかったのだ。 だが、今度はそうもいかない。まだ怪我をして逃げ延びた人々や、これから向かってきている人々がいる。彼らを巻き込む前に、なんとか倒さなければ。 (なら……これにかけるしか、ない) フリーズの上級の魔法が描かれたカードを握り締め、小さく息を吐く。 と、その一瞬――僅かな隙を狙い、プロトブレイザーが飛び掛る! (そんな――早い!) 「きゃああっ!」 避けきれず、肩に傷を負ってしまう。血がどんどん流れ出し、傷もそう浅くは無い事が伝わってくる痛みから感じ取れる。明るい赤の服が、どす黒い血で染まっていく。 しかし、悠長に止血をしている時間など無い。そう考え、プロトブレイザーを睨みつけた時、初めてリルカはその口のあたりが赤く汚れているのに気がついた。 (何、あれ……赤い……――血!?) 一瞬の怒りで一切の痛みを忘れる。ここにくるまで、誰が犠牲になったのか、生きているのか―― そんなことも思考に登らない。あるのはただ、純粋な怒りのみ。 「こ、っのぉ――ハイ・フリーズ!」 再び襲い掛かろうとしていたプロトブレイザーに、必殺の魔法を仕掛ける。狙いもばっちりだ。 しかし――。 「そんな、外れた!?」 「ギュァァアアアアアアッ!!」 魔法の効果が及ぶ寸前で走り寄る軌道を変え、氷の柱を避ける。そしてそのまま目で追うのがやっと、というスピードで爪を翳して飛び掛った。 きら、と僅かな光を反射する鋭利な凶器。その顔がわずかな歓喜に輝いたような気がした。 目を見開き、それを目にしながらリルカはただ呆然と佇んでいるしかなかった。 (死にたくないよ――!!!!) 「――ハイ・ヴォルテック!!」 若い男の声。それと同時に突風が目の前に生み出され、今にもリルカを殺そうとしていたプロトブレイザーの身体を、巨大な風で包んで切り裂く!! 「グルゥァアアアアアアア!!!」 ひときわ大きな絶叫を上げた後、ドサッという音を立てて重い物が落ちる音がした。そして、さあっという風の音。そして何かが流れるような音も。 「良かった、間に合って……」 軽い足音。シェルジェの入り口であった場所の前にある広場に、一人の少年――青年には多少早い ――がこちらにあるいてきた。 「――テリィ!」 「やっぱり、思ったとおりだったな。遅くなって悪かったよ」 にこりと微笑むテリィの笑顔が、いつになく頼もしく見えた。 |