美しく、煌いていた蒼穹の空。
『あの事態』の寸前まで、空は美しい青をしていた。
 なんの前兆もなかったという。
 決して見えることの無いシェルジェの空。
 その遥か頭上、本物の空で。
 観測所にいた者たち全てが、そして近隣にいたもの全てがそれを見ていた。
 その瞬間、空は微かに『輝いた』という。
 僅かな時空の歪みが広大な空に姿を現し、一瞬で消え去った。
 それは確かに、刹那の幻のようで。
 その歪みが現れた瞬間に、一人の幼い少女が姿を現した。
 それからまもなくして、再び空は大きく歪んだ。
 長い間、まるで別れを告げるかのように……ずっと。
 そして、また突然にそれは消え去った。
 後には何も残らなかった。
 一緒にいたはずの、もう一人の姿も。
 彼女はその瞬間から、忽然とこの世界から姿を消した。
 この星、この世界、この次元全てに、彼女の存在はありえないものとなった。
 彼女は時空の渦へと巻き込まれたのだった。
 遥かな永遠の――あるいは僅かな刹那の旅へと。
 永遠に――遠い時空の果てへ。




そして始まるは戦 全ての先駆けなりし事 これより始まるは絶望 その色濃い日々――
第35話 シェルジェ攻防戦(3)




「……テリィ……」
「おい?……もしかして怪我、あるのか? 大丈夫か、リルカ?」
 リルカは呆然とし、硬くなった表情のままテリィを見上げた。
 それを見たテリィは、今まで余裕の表情だった顔を心配そうな表情で覆い、近寄ってきた。
 怪我は無いかって。そんなかっこいいこと言っちゃって。『大丈夫か』なんて、テリィが言えるような事じゃないくせに。怪我なんか、どこにもなさそうで。服も綺麗なまんまで、
 余裕綽々で登場して、かっこよく助けてくれたりして。……ずるい。
 テリィが、すっごくかっこよく見えてしまった。それが、何故か少しだけ悔しい。
 なんとなく顔が見れなくて、視線を外してわざとつっけんどんな口調をしてみせる。
「今まで何してたのよ? こっちは大変だったのよ? こんなに遅れて……」
 何かしたわけじゃないけど。モンスターだって、テリィが倒しちゃったし。
 照れと悔しさで顔を背けたリルカを不思議そうに見やってから、彼は思い出したような顔をして手をポン、と打ちつけた。
「そうそう。忘れてた……ほら、これ」
 そう言って見覚えのある、厚めの布袋を上着のポケットから取り出してそれをリルカに差し出した。
 思っていたよりも重みはない。その袋をそっと開けると、中にはたくさんのクレストグラフがぎっしりとつまっていた。
 全て、リルカが引出しの中に仕舞っておいたものだ。今のような事態に使えるように整理しようとして、中途半端に終わってしまった入れ方。
 全種類の魔法が込められ、貴重な材質で出来たクレストグラフも入っている。
 それを目にして、リルカは驚きで目を見張った。
「テリィ……これ!?」
「ほら、前に引き出しに仕舞ったって言ってただろ? 必要になると思って。それを取りに行ってたんだ。俺の分もね」
「だって……ここから寮まで、結構あるのに……」
「まぁ、俺だっていくつかのクレストは常備してるからな。クイック自分にかけて行けば簡単さ」
 自慢気味にそういうが、それでも全力疾走して来たに違いない。
 よくよくみると、呼吸も荒く頬にも赤みがさしていた。それをみてかえって安心し、リルカはやっと小さな笑みを見せた。
「……ありがと」
「どーいたしまして」
 にこっと嬉しそうに笑う彼を見ながら、リルカは受け取ったカードを袋から取り出して丁寧に仕舞いむ。よく使うカードを手前に、そうじゃないカードはやや奥の方へと。
 そして改めて、テリィの顔をねめつけた。
「で、取ってきてきれたのは嬉しいけど。女の子の部屋に勝手に入らないでよね!」
「な、そういうこと言うかぁ? それに、そういう場合じゃないだろ!?」
「……あのぅ」
 ケンカ越しの声に紛れるように小さな声がかけられたが、二人ともそれに気付く事無くお互いの顔を睨みつけ、声を荒げていた。
「だってそうでしょ? だーれもいない部屋に勝手にはいるなんて!」
「ばっ!? それは、仕方なかったから……!」
「二人とも……」
 またも声がかかるが、それは当然の如く無視される。
 その声は結構大きな声で、普通の状態なら聞き逃したりはしないほどのものなのだが……今の状態の二人では、無理と言う物だろう。
 完全に顔を真っ赤にし、今が大変な事態だという事さえ忘れている可能性もある。
「だからって……!」
「だから……!」
「……お止めなさい!!!」
 思い切った――というよりは怒ったような、大きな声に二人は言葉を飲み込んで後ろを振り返った。
 そこにいたのは、一人の中年の男性。高級品らしいスーツを身に纏いってはいるが、それも泥やなんやらで汚れている。
 そして、その顔。すらっとした体型からわかるとおり、なかなか整った顔をしている。口周りを覆う豊かなひげとその髪は見事なロマンスグレー。マリアベルがいたらすぐさま餌食になっていたかもしれない。その優しげな表情は、今は困惑と期待で埋まっている。
 それはつい先ほどあった、魔法学校の学長のものだった。
「やっと終わりましたか?」
「あ、学長! すみません……!」
「リルカがしつこいからだぞ」
「あ、そういうこと――」
「落ち着いて!」
 びしっとした威厳のある声に、二人は思わず姿勢を正す。
 今代の魔法学校の学長は、この街の市長も兼任している。その声はまさしくこの街をすべる物にふさわしいものだ。
「リルカ君、テリィ君。君たちに頼みたい事があるのです」
 頼み、というよりも哀願に近いようなその口調に、二人は顔を見合わせた。
 その改まった台詞にやや緊張しながら、テリィが乾いた口を開く。
「頼みって……何なんですか?」
「……今、この街は危機に瀕している。街のあちこちでモンスターが出現し、それによる火災などが起きている。今までこの街はそんな危険にさらされた事が無かった。それにより、こういう事態に備えるべきことが何もない状態だ。人々は混乱し、さらに被害が広まってしまっている。唯一の出入り口もこうして塞がれてしまった……。我々にはどうする事もできず、また戦う術がない」
 そこで口を閉じ、ふっと悲しげな光を瞳に浮かべる。彼はとても優しく、温厚な性質がこの街の人々に好かれて市長をしていると聞いた。
 この街を愛していると、そう、いつも言っていた。
 徐々に、人々が見詰め合う3人を囲むようにして集まりだした。
 モンスターの被害を免れ、命からがらに逃げた出してきた者達。怪我をしたものも多い。彼女たちの同級生の姿もちらほらと見かける。
 彼らは一様に、不安を抱えた表情で3人を――リルカとテリィを見つめていた。
「君たちのような若者に、こういうことを頼むのははっきりいって辛い。しかし、あえてその罪を被ろう――君達を戦場に送り出すという罪を」
 彼はそれを罪と感じているようだった。そこまで来て、二人にも彼の言いたい事がわかった。
 リルカはみなまで言わす前に、と声をかけようとしたが、テリィに無言で止められる。 ――必要な事だから、と。
 彼はシェルジェ市長として、若い二人に深々と頭を下げた。
「頼む。我々に力を貸して欲しい――ARMSの隊員である、君達に。戦うための、そして生き延びるための力を」
 僅かな話し声も途絶え、しん、とした静寂が広がる。
 もちろん、街のあちこちではまだ破壊音や悲鳴が起きている。しかし、この場所だけは確かな静寂の中にあった。
 期待と希望の表情で、年若い二人の少年と少女を息を潜めて見つめていた。
 リルカはテリィを見た。彼はちらっとリルカを見、口の動きだけで問い掛けた。
 ――どうする、と。
 リルカはそれに笑みを浮かべ、やや緊張しながらも今だ頭を下げ続けている男へと歩み寄る。それにテリィが当然のようについて行く。
「学長、あの、頭を上げてください」
 少し戸惑ったような口調で声をかけると、学長はゆっくりと顔を上げた。その表情は複雑な悲しみで埋め尽くされている。しかし、確かにその中に彼らに希望を見出そうとする光もあった。
「えっと、わたしたちに何が出来るかわからないけど――」
「――任せてください。ARMSの隊員として、俺たちでなんとかします! 他のみんなも、きっと来てくれます。だからそれまで、みんなで出来る限りのことをしよう!」
 リルカの言葉を受け継ぐように、言いよどんだ台詞をテリィが続ける。そして最後の一言を、見守っていた人々に向ける。
 すると、人々は希望に顔を輝かせ始めた。
「そうだよな、ARMSが付いてるんだ。それに、俺たちだって何かできるはずだ!」
「瓦礫をどかすくらいなら、わたしだって出来るでしょうし」
「怪我の手当て、できるわ!」
 そんな彼らを見回しながら、リルカはこっそりとテリィに囁いた。
「さっきのあれ、学長の話を黙って聞いてたの――これを狙ってたの?」
「まぁね。俺たちだけじゃ出来る事にも限界がある。出口が復旧するか、通信が可能になるまで持ちこたえればいいんだ。それくらいなら、みんなで協力すればできるさ」
 そう自身ありげに言う少年に小さく称賛の笑みを向け、前を向く。
 さっきまで怯えていた人々が、今は元気を取り戻している。それだけでいいのではないかと思う。
「それで、これからどうするの?」
 視線は相変わらず人々に向けたまま、テリィに問い掛ける。
 テリィはそれを聞いてわずかに考え、そして彼らの後ろに立っていた男を振り返った。
「あの、すみませんが協力をお願いできますか? 俺たちだけじゃ……」
「ええ、わかっています。私たちで出来る事なら、どんなことでも」
 そういう学長に感謝の意を込めて軽く頭を下げ、リルカも含めて作戦を練る。
「とりあえず……モンスターを俺たちで倒しますけど、それじゃ人数が少ない……この街にいて、戦える人と、上級魔法の使えるソーサラーに協力して欲しいんです」
「あ、それわたしが行く。戦い方ならテリィよりも経験があるもの。他にはあまり出来ないし……」
「じゃあ、リルカが中心となってくれ。ソーサラーは見つけ次第、声をかけよう。それと、他に必要なのは安全な場所だけど、それは――ここと、学校がいいな。二箇所にわけよう。ここで結界を復旧させる人たちと、学校で怪我人の手当てや非難した人たちを受け入れる事は」
「充分可能です。学校の地下に部屋もある。物資は多少不足するでしょうが、下級ソーサラーの学生達にも手伝ってもらいますし、結界を張れる者たちにも心当たりがある」
「ありがとうございます。――じゃあ、ここに力仕事の出来る人と、何人か防御結界の張れるソーサラーが何人か。後の人はみんな、学校に移動してもらいましょう。先生、今怪我がない人で動ける人に、『とにかく学校へ集合しろ』と伝えてもらえますか? それを、出来るだけ街をさまよっている人たちに伝えてください。それと、学生には火災の食い止めや負傷者の救出や手当てをさせてください。絶対に、5人くらいで行動するように。必ず上級ソーサラーをメンバーに一人は入れるようにして。攻撃魔法の使える人や実戦経験のある人は、リルカのところまで行くか、じゃなきゃ、とにかくモンスターを倒すように」
「わかった」
「リルカ、早速だけどあっちの――さっきの店のあるほうへ行ってくれるか? あっちはモンスターがわりと多いみたいだ。俺はここにいる人たちを学校まで送って指示を出す」
「わかった。――気を付けてね」
「そっちこそ。……じゃあな」
 そういって二人は走り出した。


*****


 愛する街を、友人を、たくさんの人々を守るために。
 リルカは出来る限りのスピードでモンスターたちを倒していった。
 テリィは、知る限りの知識を総動員して人々に指示を出していった。
 これ以上、被害が出ないように。死者がでないように。
 長いシェルジェの夜が、幕を明けようとしていた。




前に戻る  『焔の末裔』トップへ  次に進む
Copyright(C) 2001- KASIMU all rights reserved.