長い時の果て。果てない時空の遥か彼方。 吐息は凍れる色なき空虚なものとなり、鼓動は灼熱を醸し出す虚ろなものへとかわる。 全てが存在し、全てが消滅した空間を漂いながら彼女は深い眠りについた。 常人である自分の自我を守るため、本能が彼女を意識化の眠りへと誘っていた。 この時の止まった空間なら、彼女は永遠に老いることもなく眠り続けるだろう。 いつか、遥かかなたよりの希望で彼女が救われる、その日まで。 ほんのりと朱に染まった頬も、軽く閉ざされた瞼さえも、動くことはない。 時が留まり、流れ行く摩訶不思議な場所。 そこは恐らく、ヒトのいるべき場所ではない。 ここには命あるものが存在してはいけない。 そう、遥かな時の果てに神々が決めた場所であるはずなのだ。 昏々と夢さえ見る事のない眠りの世界を漂う彼女は、まだその運命を手にしていない。 この先で彼女自身がが担うべき定めを、見つけなければならない。 すべての為に。自分の為に。 やがて大きな渦となるその運命と、出遭わなければならない。 彼女が新たなる世界へと辿り着くまで――今少しの時間がかかる。 そこではまた新たな出会いがあり、彼女の運命の始まりがあった……。 ![]() 第36話 シェルジェ攻防戦(4) シェルジェでの災害、その開始からやっと半日――深夜にさしかかろうという時間。 朝までは時間があるが、真の闇も姿を消し始めた中途半端な時間だ。 そんな、いかなる方法でかきちんと夜の帳の降りた、暗いハズの街なかで。 街のあちこちでは未だモンスターが徘徊し、絶える事のない炎と煙が上がっている。 そんな中、幾人かの者達は忙しそうに危険な場所となった町中を走り回っていた。 ある者は血を流し、必死の形相で。 ある者は身軽な服装で、いく枚かのカードを掲げて。 ある者は物々しい装備をし、それぞれの武器を持って。 そしてある者は、今この街を襲っているモンスターを戦っていた。 そして、街の一角でとある小さな戦いが終わりを迎えていた ***** 「これで最後にしてよね……ハイ・スパークッ!」 高いソプラノの声で勇ましく叫んだ少女の持つクレストグラフから電撃が繰り出され、その目前にいたモンスターを白光の電撃で包み込み、絶命に陥らせる。 それは上級魔法で、しかも通常の魔法使いよりも明らかに強い威力を持っていた。 だがそれも当然で、あたりまえ過ぎる事なのだ。彼女はかつて世界を『救わなければならなくなった英雄』の一人なのだから。 結果として英雄と呼ばれただけの事。望まぬモノ。決して、彼女たちはそれを望んではいなかった。 だからこそ、彼女は親しい友人に決して『英雄』という言葉を使わないように頼んだ。 それを聞くたびに、胸の奥に痛みが走るから――。 消費した魔力と共に荒くなった呼吸を聞きながら、ふっとリルカは胸に鋭い痛みが走った気がした。 未だ消えない、過去の傷跡。それは全ての人類が背負うべき罪であったはずのもの。 きゅっと胸元を掴み、一度瞼を閉じる。それらを振り払うために。 「あ、いた――リルカ先輩!」 男の声、にしてはやや高いそれが聞こえたのはリルカが戦闘の余韻の呼吸を整えて、クレストグラフを片付けていたときだった。 振り返ると、リルカやテリィよりもやや歳若い少年たちが4,5人連なってやってくるところだった。 魔法学校の標準制服を着ている。恐らく、彼女の後輩に当たるの者たちだろう。ちなみに、リルカたちケテル階級の者は制服を着なくてもいいことになっている。 なので、今ではリルカはかつて着ていた服に似た、一風変わったデザインの服を好んで来ている。 テリイは学校では前と同じ様に制服を着、ARMSとして活動するようになってからはラフなデザインの服を多用するようになっていた。 大き目の制服に、頬を緊張にこわばらせた少年たち。それは恐怖からか、それとも尊敬の念からかはわからない。ただ、懐かしいと感じた。昔の、何も知らない無知な頃の自分たち。 (そういえば、そういう時期もあったのよね……) ふと、寒さに赤くなった頬を緩める。それから立ち止まって息を整えている少年たちに声をかけた。 「えっと、あなたたち、何の用?」 「は、はい……テリィ先輩からの伝言です。『一度休憩がてら帰ってきてくれ。少し話す事ができた』 ……だそうです。この辺りは大体魔物もいなくなりましたし、僕ら今まで休ませて頂いたので交替します。だから、一度学校まで行ってください」 (モンスターがいない? 何言ってるのよ。夜だからこそ、弱いモンスターが身を隠して強いモンスターから身を隠してるんじゃない。夜のほうが危ないに決まってるのに!) 思わずそう怒鳴りかけ、なんとか言葉を飲み込む。彼らに言ってもしょうがない事だろう。彼らはモンスターとの戦闘も初めての筈なのだから。外ではそんな当たり前の事でも、彼らにとっては当たり前ではないのだから。 ふぅ、と重いため息をついて彼らを真っ直ぐに見つめる。 「……その話って、大事な事なの?」 「さ、さぁ……あ、でもなんか先生やテリィ先輩は凄く怖い顔をしてました。何かあったのかも」 「……そう。じゃ、しょうがないわね。わたしは一旦帰るから、この辺りを任せるわね」 「「「はい!」」」 「それと、まだ強いモンスターがいるはずだから気を付けてね。何かあったら、大声で叫べばきっと近くにいる誰かが助けに来てくれると思うから」 「わかりました!」 「まかせてください! 僕ら、実技は得意なんですよ」 「助けなんて必要ありませんよ」 にこ、と自信を溢れさせて笑う彼らを見て、リルカは微かな息を洩らす。 (……それだけじゃ、駄目なのに。みんな戦う事の意味を知らな過ぎるもの) 普段の彼女からは信じられないような台詞と思考だ。この場にテリィやアシュレーがいたらきっと酷く驚いていただろう。だが、彼女も彼女なりに緊張して、責任を感じているのだ。 ARMSの一員である――それだけで、多くの人が頼ってくる。その重みを、改めて知ることになったのだし、いつもなら頼れるアシュレーやブラッドがいない。 そう、この場にはリルカとテリィしかいないのだ。自分たちで何とかしないと、いけない。 それをしみじみと感じながら、リルカは無理に不安を押し殺して笑って見せる。 「……本当に、気を付けてね」 いくつかの注意を言った後、リルカはそういい残して学校のある街の中心へと駆けて行った。 もちろん、途中で頼りになりそうな、旅の途中に巻き込まれたらしい渡り鳥の一人に声をかけておく。できるだけ彼らをサポートしてくれないか、と。 他人の心配ができるほどには、リルカも成長していたのだ。 ***** ぱたぱた、ぱたぱた……。 狭い室内を、何人もの者たちが行き来していく。それは大きな剣を背負った男だったり、包帯を巻いた主婦だったり、学生たちだったりした。 それは学校内の物資の状態や救助した人々や避難してきた人々の様子、そして現在の街の状況を知らせてくるものであった。 それをテリィと学校長を中心とし、長と名の付くものたちが集まって指示を出していく。 「……では、マリーさんの店にあるはずの食料を取ってきましょう」 「モンスター用の結界を強化してください。そろそろ危ないですし」 「入り口の瓦礫の撤去状況は? 被害が酷いようだったら、修理も考えなくては」 テキパキと指示を出す彼らは一様に疲れた表情をし、汗を流している。 市街地に出て戦っているものたち同様、ここでもある種の戦闘があったのだから、当然だろう。 時間で言えば深夜の4時過ぎ。普段ならとっくに寝ているはずの時間だが、ここでは大抵の者が忙しく働いている。 テリィも、当然その一人だった。 「……テリィ君、一旦休んだ方がいい。ここは私たちがやっておく」 ふう、と重い息を洩らして椅子に座り込んだ少年に、壮年の男性が声をかける。 ロマンスグレーの髪は汗でしっとりとぬれ、服も随分とくたびれている。だが、それはここにいるものなら誰もがそうなっている。彼の目の前にいる少年もまた、そうだった。 テリィは学長の言葉にそっと静かなかぶりをふってみせる。 「そういうわけには、行きません。さっきの事もあるし……そろそろリルカも帰ってくるハズですし」 「だが……」 「大丈夫です。徹夜は、勉強で慣れてますから」 それは本当に事だった。ケテル階級に行く為、リルカと必死になって毎日勉強した。徹夜も週に3,4回はしていただろう。それ自体はもう平気だった。 だが、それと今は違う。現に、彼の顔色は極度の疲労によりやや青くなっていた。 立ち上がるたびに、ふらつく身体を支えようとするのを見ている。限界が近いのだ。 「……まだ、明日もある。無理は禁物だ……頼んだ私が言うのもなんだがね」 「ええ、わかっています。だから、もう少ししたら休むつもりですよ」 それは随分前にも言った台詞だ。そのときも同じ事を言ったが、彼は結局休もうとしなかった。 学長――シェルジェ市長を務める男、マーゼルは眉を顰めた。 確かに、何か異常な自体が起きたときには最初の一日で気を抜く訳には行かない。 だが、この異常さ――この違和感はなんなのだろう。若い日は渡り鳥としても多少経験をつんだ彼は、明らかにこの事態が異常すぎると感じ取っていた。それは本能に近いものだった。 モンスターが現れた。入り口が閉ざされた。――明らかな異常事態。 だが、それにしてはそのあと動きがなさ過ぎるのだ。展開が変わらなさ過ぎる。 と、そんな事を考えていた時、急にドアが大きな音を立てて開く。 「しっつれいしまぁ〜す! テリィ、来たわよ!」 「リルカ……遅いぞ! いつまで待たせるんだよ!」 大きな声を出して入ってきた少女は、開口一番に目の前の少年を罵倒して見せた。 しかし口調は明るく元気だが、その格好は随分な物だった。 服はところどころが破け赤や青、緑のモンスターの血に染まり、火に炙られて悲惨な状態だった。 怪我自体は対して無いようだが、それでもテリィ同様、顔色は真っ白になっている。 連続の戦闘で体力、魔力はもとより気力さえ使い果たしたようだった。 「呼ばれてから急いできたわよ! 時間なんかそんなに――っと」 「危ない!……大丈夫かね、リルカ君」 「あ、はい。どうもすみません」 突然膝の力が抜けたようによろめいた少女を支えたマーゼルは、一瞬腕を強く握りしめた。 (テリィ君もそうだが……リルカ君も、疲労がたまりすぎている。慣れぬ指揮をとり、一晩中戦い続けていれば当然なのだろうが……) その痛々しさに顔を苦々しく歪めるマーゼルに気付く事無く、二人は会話を交わしていた。 疲れているだろうに、そんな様子は微塵にも出さない若者たちが頼もしく、痛ましかった。 「それで、一体何の用? まだ回ってない地区があったし、モンスターだってまだいたのよ?後輩の子が代わってくれるって言ってたけど、頼りにならなそうだったし……」 「用があったから呼んだんだろ! まったく、なんだかな……」 「何よ、その言い方!……まぁ、それは後にして。それで、一体何があったの?」 急に真面目な口調になったリルカにあわせ、テリィも口調を改める。――まだ、早い。 それから何かを話そうとした所に、不意にマーゼルが近寄って来た。力強い口調で声を出した。 「二人とも。少し休みなさい」 「え……学長?」 「でも、あの報告を聞いたでしょう!? 今しか――」 「一日程度なら、我々でもなんとかなるだろう。少し休むんだ」 「そんな、駄目よ! まだやならきゃいけないことがあるんだもの」 驚いてマーゼルの提案を退けようとする二人に、マーゼルは無言のまま小さなスプレーを出した。魔法をつめておく事のできる、それはには――。 「――君たちにはまず、休む事が必要だよ」 「……ぁ……」 「が……くちょ……」 スリープの力に包まれた二人は、その疲労も相まって瞬時にして深い眠りへと誘われた。 歳相応の寝顔の二人を見下ろしたマーゼルは深い溜息を洩らした。 こんな、若者たちに頼らねばならない自分たちの不甲斐なさが、恨めしい。 「……二人を、どこか空いている場所へ。休ませて上げましょう」 「ええ……そうですね」 担がれ、運ばれていく二人にを見送る彼は、これから仕事がまっている。 さっき以上の激務となるだろう。日が昇れば、また新たな仕事ができるはずだ。 だが、彼らは。 「……これから、彼らは戦っていくのだろうな……」 ここだけではなく、世界全部を守るために。 必死で戦った二人に、一日だけの安らぎを――。 小さく囁き、彼は振り返る。街を守るために、支えるために。 |