豊かな自然、生き生きとした動植物たち。
 それらの一部は見覚えのある物ばかりだが、中には見たことの無いものたちや、とうの昔に絶滅したはずの者たちが時折姿を見せている。
 明らかに、ここはファルガイアではありえない。
 そう、認めたくは無いけれど――ここは、どこか違う世界なのだ。
 ――でも、物凄い確率でわたしは今、生きている。
 それは、それこそ正に奇跡とでも言うべき事。
 神がいるなら神に、そしてここにはいないガーディアンたちに、心からの感謝の言葉を伝えたいと心から思った。
 ゆっくりと、当ても無く歩き続ける。
 さきほど自分の姿を見て、驚いた事がある。
 予想はしていたが、恐らく何万年ともいえる時間を漂う中、彼女は全く成長していなかった。
 それだけではなく、彼女の持っていた服なども少しも腐食していない。
 ――これを幸運と取るか、迷う所よね……。
 やや皮肉気に、それを言葉として唇から放ったとき。
 がさ、と側にあった茂みから人影がふたつ、姿を現した。
 彼女の知る世界の者たちと全く変わらないヒトの容姿をした彼らは、彼女と同じ様に驚きに目を大きく見張っている。
 だが、彼女はそれ以上の驚きを感じていた。
 驚きに目をみはる少女と少年。そのうちの、少女をみつめて。
 その顔立ち、その眼差しが彼女のよく知っているものだと言うことに気付いて。
 ――まさ、か。
 そんな言葉が唇から、自然と零れ落ちる。
 それが、『彼女』たちの絡み合った運命の始まりだった。




そして始まるは戦 全ての先駆けなりし事 これより始まるは絶望 その色濃い日々――
第38話 シェルジェ攻防戦(6)




 一段一段階段を上がる毎に、何かの強い気配が湧きあがってくる。それは瘴気とでも呼べるようなものだと、リルカは経験から知っていた。
 色彩や、重ささえも伴うような気配。強い、モノ……。
 カツン、と二人の靴が交互に段を踏みしめる度、心臓が強く鼓動を放つ。それが数年前の戦いの中で覚えた術をリルカにひとつひとつ克明に思い返させる。
 一方テリィは、初めての大掛かりな戦闘を感じて、リルカ以上に緊張していた。
 いくら戦闘が初めてではないとはいえ、それは他の人と比べての話だ。実技も理論も判っている。
 だが、そこらにいるモンスターたちとは比べ物にならないものが、恐らくこの先にはいるのだ。
 それは今まで以上の確率で、己の命を捨てる事になるかもしれない。
 でも――絶対に、死ねない。死にたくないから。
 それは二人に共通した願い。『あの時』の事を知るからこそ、より強くそれを願う。
 最後の一歩を、二人が踏みしめる。その先には。
 黒い大きな穴と、二人の人の形をしたモノが背中を向けて佇んでいた。


*****


 一瞬、人間がいるのかと思い、テリィは口を開きかけ――リルカの静かな目配せに思い留まる。しかたなしに口を閉ざしたままで二つの背中と穴を見つめ、ふと違和感を感じる。
(あれ? こんなこと、どこかで――)
 脳裏を過って行った記憶に、テリィは眉を顰め、そして大きく目を見開いた。
 あの黒いシルエットの片方に見覚えがあった。それも、つい最近に……!
「――イルダーナフ!」
 小さく、けれど鋭い声を放つテリィにリルカは緊張を解かぬまま小さく表情を動かし、その背中を向けた影の一つが身動きし、ゆっくりと振り返った。
 暗い、闇を写し取った漆黒の髪。そして、それなりに整った顔立ちの中でひときわ人目を引く、美しく輝く深紅の血の瞳。
 それは、しばらく前にアシュレーやティムと共に礼拝堂で遭遇した青年だった。
 彼は面白そうに目を瞬き、そして――残虐さを秘めた笑顔で娯しげに笑った。
「ほう……誰がくるかと思ったら、英雄のお一人とあの時の少年か。意外ではあったな」
 声をかけるというよりは独り言のようなそれをリルカは完全に無視し、テリィに囁く。
 危険を知るからこそ、彼女は緊張を解かないままに厳しい眼差しを向け続ける。
「……もしかして、アシュレーたちが会ったって言ってた、あの?」
「……ああ」
 リルカの押し殺した声に、テリィもまた慎重に答えを返す。緊張を解くことが出来ないためだ。
 目の前の相手からは、酷く奇妙な感覚が伝わってくる。目の前にいるのに、それが幻であるかのような気がするのだ。一瞬ののちに、霞みとなって消えてしまいそうだ。
(やっぱり……この人は、『敵』だったのか……?)
 そんな不思議な思考が、自然と零れ出して来ていた。たとえようのない、懐かしさとともに。
 リルカは更に、背後の穴を見つめて不快感にぎゅっと眉を寄せる。
 そして、未だ背を向けているモノと、その背後に見える大きな穴。それは黒いと思っていたが、よく見れば紅い色を纏っている。リルカはそれを覚えていた。――乾いて固まった血の色そのもの。
 人の血と、よく似ている色だ。数年前に、幾度となく目にしてきた。味方の、そして敵の血。
「リルカ・エレニアックとは会うと思っていたが、まさか君とも会うとはな」
 今度浮かべた笑みは、裏の無い明るく嬉しそうな笑顔だった。二人はそのギャップに戸惑う。
 そんな二人を見た『彼』の表情に悲しげなものが一瞬だけよぎり、消える。二人はそれに気付かない。
 複雑な彼の懐中で通り過ぎる想いは誰にも伝わらない――彼女以外には、決して。
「よろしければ全力でお相手を……といいたい所だが、まだ完全ではないからな。それに、他にやることもある。申し訳ないが、お二人の相手はコヤツに任せよう」
「な……ちょっと、何を言ってるのよ!?」
「よせ、リルカ!」
 憤るリルカに、テリィは慌てた声をあげる。そんな若者達を見て眼を細めた<イルダーナフ>は、軽く手をそよがした。
 それにより、刹那の間に背後に存在した巨大な穴がほんの少しだけ縮小し、蠢きを止める。
 その奥に、ちらりっと蠢く何かが姿を現し、消える。それが何かなど――考えたくもない。
「折角だから、余興を用意した。この穴は、コヤツを倒せば消滅する。そうすれば魔物の出現も収まり魔方陣に影響を与えていた力も消えるだろう」
 ふっと、より一層<イルダーナフ>の存在感が消滅し……更に、その身体は次第に色を失い、透き通っていく。――それは恐らく、高度な力で具現化していた幻だったのだろう。
 リルカたちの知らない、未知の理論が存在するのだろう。それを知りたいとは思わなかったが。
「ただし、……この星の時間で1時間経つ前に倒さねばコイツは自爆する。この街もろとも……な」
 この星、と言ったことを二人は理解したのだろうか。その言葉に隠された、数多くの意味を。
『自爆する』といった時に、彼の瞳に刹那だけ宿った悲痛な意味を。
 脳裏を掠めていった、数々の悲劇の残像を。
「戦いたいのはやまやまだが、流石に今戦って同じ愚を冒すわけにはいかぬ。『私』は残念で仕方がないが……そうではないかもしれないな、『俺』は」
 最後は、言葉にならないように唇だけの動きで囁く。わずかに口調が変わった事に、誰も気付かない。
 風に乗った言葉が、地上へ届かない事を知って『彼』はそれを言葉にしたのだろう。
 その言葉を受けて二人はざっと体勢を整え、武器を構える。同時にもう一つの影が、ゆっくりと動く。
「コレは、降魔儀式を私なりに応用して作った物。力は弱いが、ある程度の思考ができるようになっている面白いシロモノだ。ここで終わってしまうには勿体無い。願わくば、諸君らがここで死なぬ事を……」
 慇懃な礼をし、唇をゆがめるだけの笑みを浮かべて『彼』は消えた。
 それをしっかりと確認し、リルカは緊張の対象を未だ背後を見せつづける相手へと代える。
 テリィは魔法の媒体の一つである装身具をちら、と見下ろし、懐からクレストグラフを数枚取り出す。
「あいつの言った事、本当だと思う?」
「さぁ? でも、この場合戦うしかないんじゃないか。今更逃げれないし」
「それは、賛成。でも強かったら……嫌よね!」
 最後の言葉と一緒に、ばっと二人同時に動き出す。戦いが、始まった。


*****


 ソレが振り返る前にリルカとテリィは強力な魔法を放つ。彼らは戦いに喜び見出そうとは思わない。
 無駄に戦いを伸ばそうとは思えない。願うは、ただ生き残る事のみ。
「ハイ・フレイム!」
「ゼーバー!!」
 手にした札から強い輝きが生まれ、すぐさまそれは二人の意志を汲んで素早く目標へと向かって飛ぶ。
 ぶつかるかに見えた寸前に、ソレはさっと身をかわした。
 そこで始めて、二人はソレの姿を見ることになった。……それは人間の姿をしていた。
 ヒトと変わらない体……それに鍵爪が生え、目は虚ろな赤を湛えている。まったく構える事無く手を下げた姿から、戦おうという意志は見られない。
 しかしそれに戸惑ったのはテリィで、リルカは嫌な顔をしつつも攻撃を止めないよう、必死の努力をした。しかし、彼女とてまた歳若い少女。完全に心を殺せずにいた為、僅かに魔法を打つ手が止まる。
 その一瞬に、ソレは驚くほどの変化を遂げる。
 二撃目の魔法が届く前に、ソレの身体は一回り大きくなる。筋肉が膨張し、目はギラギラとした輝きを持って見開かれる。口からはするどい牙のようなものが顔を出す。
「ちょっと、なんで変身するのよ!? これ、プロトレイザーなの?!」
「俺が知るか! リルカのほうが詳しいはずだろ!」
 ぐるる、と一転した凶暴さを剥き出しにするソレに、テリィはぎゅっと手を握り締めた。
 ここで逃げることは許されない。そう、決めたのだから……自分自身で。




前に戻る  『焔の末裔』トップへ  次に進む
Copyright(C) 2001- KASIMU all rights reserved.