原因は、些細なこと。 たったひとつの、とある『因子』が不意に現れた――ただ、それだけ。 その事により、少しずつ……起こるはずだった事柄が変化していった。 しかしそれは『彼女』のせいではない事を、誰もが知っていた。 それは、運命に選ばれた必然であったのだから。 経過は、思い通りにはならなくて。 どれだけ努力しても、どうにもならなくて。 その力の差は、絶望的なまでに大きいものだった。 だからこそ、『それら』を糧として『ソレ』は大きな力を得ていった。 その『本当の理由』を『正しく』知るものが誰一人として存在しないが故に。 結果は、神でさえ想像しなかった程、悲惨なもの。 彼らの犠牲は大きく、失った物こそあれ、得たものは何もなかった。 少なくとも、ほとんどの者がそう思っていた。 彼らを導いてきた者は既に亡く、ただ悲しみと絶望だけを抱く。 遥か昔から伝わってきた『伝承』も、今には意味のなさないものであって。 彼らがそのままの状態であったのなら、『彼ら』は滅んでいただろう。 でも、若き命は滅びの道の中に生への希望を見出し、自ら動き出した。 全ての『未来』を、そして一つの『過去』を救うために。 そして、彼らは果てしない次元を飛び越えた。 1人の青年は、己の血の持つ義務を果たし、愛する幼馴染の少女を助け、再び出逢うため。 1人の女性は、あの惨劇に隠された真実を知るため、そして大切な親友を助けるために。 その出会いが、何を生むのかも知ることがないまま……。 『3人』が再び逢うことができるのは、一体いつの時なのか―― ![]() 第40話 終戦、そして始まり ぼそぼそ、という聞こえるか聞こえないかという微妙な音量の声が耳を掠めて行く。 声は、二人分。耳に馴染む、優しい低い声。静かに、しかし強い感情を込めて囁かれる言葉。 それと一緒に、いくつかの視線を感じる。これは、何人分だかわからない。少なくとも、聞こえてくる声よりも多いのは確かだけど……。 人間の性質上、聞こえるか聞こえないかの音がいちばん気になる――と書いてあったのはどの本だっただろう? (確か、ずっと前にリルカが書庫から見つけてきた本に書いてあって――リルカ、が?) その名前が頭に浮かぶと、暖かな気持ちが胸一杯に溢れてきた。 自分にとって、一番大事なものになりつつある少女。思いが通じるようにまでずいぶんと長い時間がかかった。彼女に追いつこうと、無駄なこともした。 たくさんの回り道。それは今でも、完全に彼女へと繋がったとは思えないのだけれど。 (でも、無駄でもなかった。だって、あいつを――みんなを守れたし) そこで、ふと疑問が湧いてきた。 何から、守ったのだろう? 何を? そして、どうやって? ひとつの言葉がキーワードとなり、いくつもの出来事と連動していく。ぼやけた頭に次々と甦る、たくさんの情景。多くの情報たち。 風と、炎の爆発。空から降って来た氷柱。吹き上げる血潮。振り翳される巨大な爪。 重く開こうとしない瞼に苛立ちを感じ、辛うじて耳に飛び込む声に神経を集中し、意識が遠のきそうになるのを必死に堪え、聞き耳を立てる。 そうして辛うじて聞き得たのは、いくつもの言葉の断片のみ。 気がつけばいつしか声は次第に増えていた。高い少女の声。 「――で、戦って。プロト――」 「被害者は? 死者は少ないと――」 「――食料は問題ありません。しかし――」 「……全治にはどれくらい――」 「――命に別状は――」 一体、この声の主たちはなんの話をしているのだろう? それが判らなくて、焦燥が胸を焦がす。そして心地よい眠りが再び彼を誘おうとしている。 強い睡魔に必死になって抵抗し……そして突然にして、クリアになる思考。 「テリィ、本当に大丈夫なの?」 (……リルカ?) 泣きそうな声だ。気丈な彼女にしては珍しい。そして、切なげに響いた自分の名前。 それを耳にしたとき、一気に頭が冴える。彼ははっきりと目を開いた。 眩しい光が射すように目に飛び込んでくる。次第にその明るさになれ、見えたのは淡い色の天井と数人の人々。 彼らはすぐに目を開いた彼に気付き、すぐに彼らは喜色を顔いっぱいに浮かべた。 「――テリィ!」 「テリィ先輩!」 「おお、ガーウェルン君」 「……目が覚めたか……」 一度に聞こえてきたいくつもの声に、テリィは驚いたようにきょとんと目を瞬いた。 起きたての頭はまだ混乱していて、一度に全ての情報を整理しきれない。しかし、なんとか頭を抱えながら彼らの名前を記憶からひねり出す。 「……リルカ……ア、レフ……校長……ブラッド、さん……?」 目覚めた彼の視界には、4人の姿が映っていた。始めの3人はともかく、最後に視界に入った巨漢の男がいたことに驚いてまだ夢を見ているのかと思ってしまった。 明らかにほっとしたような安堵の息を持たしたリルカに、テリィは再び不思議そうな顔をした。 彼女がこういった顔をするのは珍しい。いつも、自分に素直なようでいてそういった感情を隠そうとするところがあるからだ。 そんな彼女を視界に入れながら、テリィはゆっくりと身を起こそうと体に力を入れる。 「みんな、どうし――ッ!」 「あ、テリィ! 動いちゃ駄目よ!」 「ダメです、テリィ先輩!」 身を起こしかけ、突然身体に走った痛みに悲鳴を押し殺す。そんな彼にリルカとアレフは顔を真っ青にして彼をベッドへと押さえつけようとした。 それを片手で押し止め、ゆっくりと身を起こした彼は自分の身体を見下ろした。 生成りの白いシャツを身に着けている、その下の胸の部分に包帯が見え隠れしている。胸だけではなく、腕などにも包帯がいくらか巻かれているようだ。 自分のものではないそれは若干サイズが大きく、汗で湿っていた。随分と長い時間、自分は眠っていたのだろう。 「ああ……そうか。怪我をしたんだっけ」 ロードブレイザーに良く似たモンスターと戦って、怪我をしたのだった。左の肩から右の胸下まで、ばっさりと切り付けられて。結構な血が出ていたように思う。 傷自体は自分が見たところではそんなに深くは無かったように思ったのだが……。 そうしてやっと自分は気を失っていたのだと思い出す。その直前まで何があったのかも。 「そうか、って……テリィ先輩、酷い怪我だったんですよ!? リルカ先輩も心配して――」 「ちょ、ちょっと!」 アレフの言葉にリルカが照れたような顔をして慌てている。その表情が変な具合になっているのは、恐らく自分と同じ様に、先輩と呼ばれる事に慣れていない所為だろう。 普段同級の者としか殆ど話さない自分達には、直接の後輩と呼べる物はいない。こういう風に年下の者と接するのはやはり違和感があるものだ。 テリィはそんな彼女と後輩に小さな笑みを浮かべ、口を出さずに彼らを見ていた二人を顧みた。 「校長、どうもご迷惑をお掛けしたようですみませんでした」 「いや。迷惑をかけたのはこちらの方だろう。怪我までさせてしまって申し訳ないくらいだ。本当に無事で何よりだよ」 「ありがとうございます。……そして、ブラッドさん。どうしてここへ?」 テリィはじっと口を閉ざしていたブラッドへと視線を向ける。 彼がそこにいるだけで、不思議な安堵感が浮かんでくる。彼がいれば、なんとかなるのではないか――と。そしてそれはアシュレーも同様だった。 ああ、と厳しげな顔の中で瞳に優しい光を浮かべていたスレイハイムの英雄――その一人はゆっくりと重い口を開く。 「約束の日になってもお前達から連絡が無く、今日になってやっと連絡がきたかと思えばシェルジェが襲撃に有ったというからな。ちょうど時間が空き、すぐに動けた俺がきたのだ」 「今日になって?」 「ああ……テリィ君は、あの日から3日、寝つづけていたんですよ」 「3日も!?」 驚いたように目を見張るテリィに、リルカは怒ったような表情で続けた。 その瞳には、ありありと心配の色と照れ隠しの色がはっきりと浮かんでいた。 「そうよ。ずっと寝たままだったんだから! 変な心配させないでよね!」 「そう……か。そんなに……」 今は昼をだいぶ過ぎた頃のようだ。彼らがモンスターを倒した後、それ以来モンスターが新たに出現する事は無くなり渡り鳥たちと協力してほとんどのモンスターを倒し、入り口の魔方陣を修復していたらしい。通信も今日になってやっと復旧し、どこよりも先にシャトーに連絡をとってくれたそうだ。それを聞いて、すぐに動けたブラッドがこちらにやってきたらしい。 ちなみに、ここでの顛末は校長とリルカが二人で既に話してあるそうだ。 アレフはなんとなく居づらいように身動ぎしている。普段ならそういうものにはきちんとフォローするのだが、今回はそれを無視してテリィはブラッドを見上げる。先程の言葉に、何か不思議と引っ掛かるものを感じたのだ。 「ブラッドさん。俺たちがここにいる間、何があったんですか?」 「…………」 ふと、押し黙ったように彼は口を閉ざした。誰もがそれを見て、彼が再び口を開くのを待ちわびた。 今何よりも知りたいのは、外の情報。何故なら、ここにいる誰もが、外で何があったのかを知らないのだ。当然だろう。 しかし、彼はそんな彼らの期待の眼差しを無視してその質問とは違う内容を口にした。 「確か、まだここには怪我人は多かったな?」 それを尋ねられたマーゼルは困惑したように、しかし質問にはきっちりと答えた。 手元に大切に抱えていた書類に目を落として、彼は少々困惑気味に口を開いた。 「え、ええ。現在もまだこの学校内に多くの怪我人を収容しています。食料は問題ないのですが、医薬品が多少不足していて……先程、近隣の街に物資の補給を要請したばかりです」 「そうか。……なら、我々は一旦シャトーに帰ったほうが良いな。あそこなら治療もできる。最も物資を分けられるほどには備蓄は無いが……」 「いえいえ、あなた方には他に大切な役目があるのですから、その必要はありません!」 テリィもリルカもブラッドの意見には賛成だった。彼らはARMSとしてシャトーに身を寄せている。ここに要れば優先的に治療を施されるが、それは彼らには必要が無い事だ。 シャトーに行けば、同じだけか、それ以上の治療を受けられるのだ。 「では、明日にでも我々はシャトーに戻らせてもらう。……復旧には協力できないが――」 「いいえ。それは私達がすべき事ですから。それに、今タウンメリアから救援隊が立ったとの連絡もありましたし、なんとななるでしょう」 ちょっと遠いですがね、と苦笑するように言葉を紡ぐマーゼルに、ブラッドは浅く頭を下げた。仕事があるので、とマーゼルは言って出て行くとブラッドは改めてアレフを振り帰った。とたんに全身を緊張させるアレフ。当然だろう。 リルカは英雄だし、テリィもARMSになりはしたが、彼の先輩でもあるのだから、身近に感じている。しかし、ブラッドは彼にしてみれば生粋の英雄というところだろう。 「アレフ」 「は、はいっ!」 びしっと敬礼するかのように身体を硬くするアレフに、ブラッドは少し苦笑したようだった。それから真摯な表情になって、彼を見つめる。 「仲間を助けてくれた事、感謝する。ありがとう」 「い、いえ! 俺なんか……あれは、運がよかっただけですし」 「そんなことないわよ」 照れて身体を小さくしている少年に、リルカがひょっこりと顔を上げる。 「アレフがあの『モドキ』に攻撃してくれたから隙が出来て、倒す事が出来たんだもの」 「ああ……俺たちだけじゃ、倒せたかどうか。本当にありがとな」 「あ……はい」 照れたような顔に、隠し切れない喜びを浮かべる年下の少年に二人は優しげな笑みを浮かべた。 その脳裏にはいつしか、同じ情景が浮かんでいた。在りし日の思い出――彼女も、昔の自分たちを見てこんな暖かな感情を抱いていたのだろうか。 「それにしても、凄いな! もう上級魔法を使えるなんて……俺だってもっと時間がかかったのに」 「わたしはもっと早く使えたわよ!」 自身有り気に胸を張る少女に、テリィは冷たい視線を投げかけた。 「確かに、同級生の中で一番最初に上級魔法が使えてたけどな。理論のテストでは最下位だったよな」 「な、何よ!」 「……二人とも。ケンカは後にしたらどうだ?」 「……は〜い」 ブラッドの落ち着いた指摘に、二人して肩を落としてみせる。そんな英雄である先輩の姿を見て、アレフは小さく笑みを浮かべた。 雲の上のような存在だと思っていた彼ら。でも、それは違っていた。自分と同じ、ごく普通の人間で、同じ学生なのだ。 友達と笑いあい、勉強を教え合って……そんな姿が似合うはずの者たちなのだ。 「それじゃあ、僕も失礼します。みんなと後片付けをしないといけないし、まだ街にはモンスターもいるから……」 「そうか。それでは、気を付けていけ」 「無理をしちゃだめよ? 魔法だって、頼りすぎると痛い目見るし」 「それはお前だろ。……じゃあ、頑張ってな」 「はい!」 慌しく駆けていく少年を見やり、ブラッドは優しい笑みを浮かべる。 思えば、最初に出会ったときはもっと厳つい表情をしていたとリルカは思う。あの戦いを経て、彼は自然な表情を浮かべるようになっていった。 そんなことを考えていたリルカは、テリィとブラッドの会話を聞いてはっとした。 「あのような者がいるんだ、ここはもう大丈夫だろう」 「ええ、後輩たちはみんな頼りになりそうだし……先輩たちも協力してくれたし」 「あ、この街にいた渡り鳥たち、しばらくここに留まって復旧を手伝ってくれるって言ってたわよ。だから、……もう大丈夫ね」 「ああ」 決して長くは無い時間。それでも、新たな動きが現れだしていた。 まだ頼りないけれど、それでも彼らは確実に未来を形作ってくれる――そんな、予感がした。楽しげに会話している二人を見て、ブラッドは目を痛ましげに細める。 まだ、知る必要はない。少なくとも、今はただ自分たちの手で作り上げた一時の平和を味あわせてやりたいと、彼は切に願っていた。 だから、――彼は知らせるべき事を自らの胸にそっとしまいこんだ。 ***** 次の日、彼らは故郷を後にした。 再び戦いの場に赴いて。そこで、彼らは知ることになる。 シェルジェで起こった悲劇は、そこだけの出来事ではなかったという事に――。 |