長く、そして冷たく苦しい夢の中で。 彼は不可思議な夢――夢ではないかもしれないが、彼はそれを『夢』以外の言葉で表す事はできなかった――を見るようになっていた。 それは意味の無いものであったり、またとある物語の一端であったりもした。 知っている物が出てくることもあれば、全く知らない物も出てきた。 それは空想の産物であったり、また現実のものであったりもした。 その中で、彼はいくつか印象深いものを目にしていた。 その一つは故郷での、過去の自分たち。 まだ何も知らず、無垢なまま『幼馴染みだった』仲間と遊び、日々を過ごし――そして数年が過ぎ、あの星最大の『禁忌』を犯す……。 またある物は、知るはずのない、けれど確たる彼の同胞たち。 記録にしか残っていない彼らの民族衣装を着て、『彼と同様』にその長い耳を毛に覆われた傷だらけの者たちが遠い空を見上げている。 まるで、無くしてしまった何かを求めるかのように、ひたむきに。 そして、たくさんの戦う人々。その数は計り知れない。 群青色の長い髪を靡かせた女性は、大きな剣を振り翳してかつて彼らを苦しめたモノとよく似たモノと、命を賭した戦いを繰り広げていた。 ダークグリーンの髪の青年は、大きなモノを内に抱えながら多くの仲間と共に戦い、多くの悲しみを見つめ、最後には群青色の髪の女性とよく似た衣装を纏って世界を救った。 その仲間の中に、自分のよく知る者"たち"によく似た少女も、いた。 それは、きっと自分が目を覚ました時には覚えていないだろう事。 ここにいる間だけ、自分は知ることができること。 でも、これは紛れも無い真実たち。その欠片、その断片。 なら――いつか、自分はそれを現実として知ることができるのだろうか……。 ![]() 第41話 帰還 「本当に、お世話になりました」 「こちらこそ。……二人とも、体には気をつけるようにして下さいね。また二人揃って復学してくれる日を楽しみにしていましょう」 ぺこり、と頭を下げたテリィと彼を支えるように立つリルカに、マーゼル――シェルジェ魔法学園長はにっこりと笑って付け足した。 その笑みにちらり、と楽しげな光がのぞく。いたずらっこのような、年不相応な笑み。 「この騒ぎで中止になった、二人が受けるはずだった試験の追試もその時にすることにしましょう」 「ええ〜!? そんな、無しにはなんないんですかぁ!?」 「……諦めろ、リルカ。いくらなんでもそれはないだろ。……そうだよな。全てが終わった後、一体いくつの追試があるんだろうな……」 ちょっと遠い目をして、テリィ。それにあうぅ、と切なげな呻き声をあげるリルカにブラッドは苦笑気味の顔を向け、ついで折角だから、とその場に集まったその他の生徒たちも笑みを零す。 テリィ達に是非に、と呼ばれて前に出てたアレフも、くすくすと楽しげな笑い声を上げる。 帰ってきた時。それがいつになるかはわからない。帰って来れるか――何が起こっているかもわかっていない今では、きちんとした約束をすることも出来ない。 それでも、それを想像する事はできる。 だって、いつかは訪れるのだ。その、未来は。 彼らがそう信じ、そのために生き続ける限り――それは確たる未来へと進化する。 だから。 「絶対、帰ってくるもの! 追試はいやだけど……でも、まだまだやりたい事がたくさんあるしね。だから、あとの事お願いね」 それは、約束ではないけれど、誓いではある。 『いつか』の『未来』に、それを遂げるための誓い。だから、きっと――。 「俺たち、帰って来るから。絶対に、ここに」 二人の若者たちは晴れやかな笑顔を浮かべる。ぼろぼろの格好をして、怪我だって満足に手当てしてなくて、治ってもいなくて。 それでも、彼らは笑う事ができるから。――未来を信じることができるから。 「気を付けて、行ってきてください!」 「リルカ、お土産よろしくね〜ッ!」 「先ぱぁ〜い! また、勉強教えてくださいね〜!」 「お前が帰ってくる頃には絶対にお前を追い越してやるからな、テリィ!」 仲間たちの声を聞き、軽く手を振りながらながら笑顔のまま歩き出す彼らに付いて行きながら、ブラッドは一人、後ろを振り返って3人を見送る人々に軽く会釈する。 快く見送ってくれる彼らに、感謝の意を表して。 そして、魔方陣が輝きを浮かべて彼らを飲み込み、雪原へと通じる場所へと送り出す。 しばしして――白く輝く雪原に、美しい魔力の残滓が煌いていた。 ***** ふわっと、既に身に慣れたテレポートジェムを使用した後独特の浮遊感が身体を覆い、そして先ほどまで希薄になっていた現実感が甦ってくる。 身体が空気に溶け込み、一瞬にして空間を渡った後刹那の間にその存在を再構成・再構築して目的の場所に送り出す、奇跡の産物――テレポートジェム。 これはいったいいつからあるのか、誰が発明したのか――それはいつしか、長い時間に埋もれそれに関する一切の記録が消え去っている。 さる偉大なソーサラーが発明したとも、伝説のドラゴンがこの世界にやってきた時に生まれたものだとも、現在では名前さえも消えかけている古の種、ノーブルレッドという種族――マリアベルという少女の存在を知っている者は意外と少ないのだ――が生み出したものだとも数々の諸説があるが、明確な事は定かではない。 現在ではその製造法と使用法だけが知られている、一定以上の所得を持つ者と渡り鳥のようなチャンスと宝を手にした者だけが、手にできる貴重品だ。 何故こんな物があるのか……いつから存在していたのか……消えることの無い、それはこの世界にいくつかだけ存在している不思議たち。 それについての疑問をなんとか頭の片隅に押しやり、テリィはふっと目を開いた。 なんとなく、ジェムを使用して移動した後は目を閉じてしまう。癖のようなものだろう。 見慣れた――とは言ってもつい最近からここにいるようになったのだが――ヴァレリア・シャトーの中庭だ。戦闘訓練などもできる広いスペースと、美しい自然の欠片が混在する場所。 テリィはリルカに支えられている事を微かに意識しながらそれを目にし、ふぅっと小さな溜息をもらし――ズキ、と身体を走った鈍痛に小さな呻き声を洩らした。 「ッつう……」 「――テリィ! ちょっと、大丈夫?」 ぐっと強く白いシャツの胸元を手で握り締め、軽く唇を噛む。情けないような惨めさが微かに彼の心を揺さぶる。そして、……不可思議な安堵も。 慌てるリルカを尻目にすっとブラッドが動き、額に薄い汗をかいた少年をさっと抱え上げる。 ――俗に言うお姫様抱き、というやつだ。 青年になりかけた年頃の少年がされる事としては、恥ずかしい事この上ない。はっきり言って悪夢とも言えるかもしれない……例え、その本人が苦痛に苛まれていたとしても。 「な、ちょ、ちょ――あぅッ!」 「動くな。……先ほどまで随分無理をしていただろう」 いきなりの事に驚いたテリィは一瞬の後に身を固くした後すぐに降りようを身体を捩り、当然ながら身体中を走った痛みに身体を固くして硬直する。 そして、同様に目を見開いていたリルカはブラッドの言葉に更に大きく目を開いた。 ……無理を、していた? 「テリィ……」 「……別に、大した事無いよ。だからそんな顔するなって」 歩き出したブラッドの腕の中で、いやそうな顔をしながら痛みをぐっと堪えてテリィは複雑な表情をしたリルカに告げた。 ***** 医務室のベッドにそっとテリィをのせる。すると、すかさずモモとリンダ―― ちょっと怖いナースのお姉さんたちだ――がてきぱきと動いて痛みに脂汗を浮かべていた彼に鎮静剤を注射した。 「怪我の話は伺ってますわ。すぐに私たちでもう一度治療をしたいところですけど……。とりあえず今は大事なお話しがあるようですから、手当ては後でやらせてもらいます。それと! 絶対安静ですからね。これだけは譲れません。リルカちゃんも、後できちんと手当てしなきゃ……」 きっぱりとした口調でテリィに向かって言いたい事を言い、ブラッドに軽く一礼すると彼女達はせかせかと移動する。その彼女らにブラッドはなにやら一声掛け、そしてベッドに座っている2人を振り返った。 ジェムの移動は一瞬で副作用もないというが、怪我をしている時などの場合には稀に著しい疲労を感じる事があるという。彼らの状態は、まさにそれだろう。 テリィはもともとの怪我があったわけだが、リルカも先日までの戦闘で消費した魔力がまだ完全に回復していない。 酷く疲れたように座り込んでいる二人を見て、ブラッドはかすかに眉を顰める。 ……やはり、彼らはすぐに戦えない。これでは――。 「ブラッドさん。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか? 俺たちがいない間、何があったのかを」 直向なテリィの視線を真っ直ぐに受けて、ブラッドは軽く嘆息してから「そうだな…」呟いた。 大した事ではないかもしれない。でも、彼らに教えたくはないと思ってしまうのは自分が甘い証拠なのだろうか。こればかりは、自分では判断できない所だ。 「別に、大した事ではない。お前達が考えているほど最悪の事態ではないはずだ」 そう、一言告げるとちょっと考えるような顔をして俯く。しかし彼はすぐに何かに気付いたように顔をドアの方へ向ける。 二人もつられてドアを見た。ちょうどいいタイミングで、そこが開く。そこから顔を出したのは――ARMSメンバーの一人、カノン。 「カノン!」 「カノン、さん……?」 「ほう……連絡は聞いていたが、満身創痍といったところだな」 苦笑するように声を洩らし、心なしか疲れたような足取りで部屋に入ってきた彼女は――体の数箇所に包帯などを巻いていた。 しかし痛みなどを感じさせない足取りでやってきた彼女は、二人の視線に気付くとああ、と頷いてこともなげに告げる。 「たいした事は無い。……少々血が出てな。あの二人に先ほど大げさに手当てされた。ほっといても数日で治る傷だ、気にするな」 説明不足だとでも思ったのか、少し押し黙った後彼女は言葉を続けた。思えば、カノンもよく話すようになったと思う。昔は必要最低限の事しか――それさえも話さなかったのに。 テリィたちの正面の壁に寄りかかった彼女に、ブラッドは顔を向ける。 「……カノンは確かハルメッツだったか。どうだった?」 「他と同じだ。死傷者こそ少ないが、被害は甚大、というところだ」 「……ねえ、何が? 詳しく教えてよッ!」 じれたように二人の会話に割って入ったリルカの言葉に、テリィもこくりと頷く。 カノンはブラッドに無言の眼差しを向ける。ブラッドはそれに軽く首を振り、何も告げていない事を言外に伝えた。 彼女はそれを受けて、ブラッドと同じ様にしばし考えるような間を持たせた後、静かな…… 彼女にしては珍しいと感じるような口調で、ゆっくりと口を開く。 「お前達が帰ってくるはずだった日から、世界中で連絡が取れなくなった市や町があった。何事かと思って調査を進め……そして、わかったのが」 ふ、とその瞳に微かではあるが、鮮烈な怒りの色が浮かぶ。 苛立ちを隠し切れない……そんな感じだった。 「シェルジェ同様、いくつもの市町村が突如大量のモンスターの襲撃にあっていた、という事だ。あたしたちは現在、その市町村などの救命と調査をしている。あまりにも数が多く、全員では回れない……それに、お前達も帰っていなかったからな。だから一人ずつ、各地に向かっていた。ARMSのメンバーで今現在シャトーにいるのはあたし達だけだ。アシュレーもティムも、マリアベルさえ、まだ帰っていない」 その言葉に、二人は呆然としていた。 シェルジェと同じ――だが、シェルジェは彼らがいた。だから人々は絶望しなかったし、被害の多くもほとんどが拡大する前に防ぐ事が出来たのだ。 しかし、他の場所では? 「幸いな事に、シェルジェ以外の場所では強いモンスターほとんど現われなかったようだ。既存のモンスターが突如凶暴化して現われ、暴れだしたという程度。負傷者は多いが、死者は百人程度……これを少ないといっていいのかはわからないがな。ただ……わからないのが現れたモンスターの多くが、元々その場所にいるはずのないものだった、ということだが」 否応なしに脳裏に浮かぶのは、あの時の事。 3年前も、同じ様になった。でも、それとは明らかに違う。 「どう……して……」 「わからん。だが、確実に『何か』が始まった事だけは確かだ」 その言葉が、この事態の全てを表しているだろうことだけが、彼らにわかる唯一の事だった。 |