恐ろしい程に鮮やかな紅の炎に包まれた、彼の――彼らの故郷。
 それまでそこは空の青と自然の緑に包まれた美しい場所であったのに。
 繰り返し、何度も幻としてその鮮烈な死の色を思い返すたびに想う。
 何故、あれを綺麗だと想ったのだろう……と。
 数多くの仲間が、同胞達が死んだ。死んでいった。
 彼の両親も。同年の友達も。彼らを導いてきた『長老』と『長』も。
『長』たちは一人でも多くの同朋を守るために戦い、命を落とした。
 そして、『長』達が死んだ後に彼らを導くはずだった『若長』も、既にいない。
『若長』は――彼女はただ一人、アイツを食い止められる能力を持っていた。
 ただ、見ているだけしかできなかった彼とは違う。
 多くの仲間を守る為だけに、二人固く繋いでいたはずのその手を振り解き駆けて行った少女は ――二度と帰る事はなかった。
 "彼ら"の血を最も濃く受け継ぎながら、自分にはなんの能力もないのだ。
 それが腹立たしい。彼の受け継いだ能力は、アイツに対して何の意味もない。
 彼には、アイツに対抗する術が無かった。ただそれだけの事。
 そして、それが彼と彼女の明暗を分けたのだ。……恐らく、永遠に。
 けれど、まだ希望はあるのだ。
 彼が諦めなければきっと、己の望む未来は得られるのだから。
 そしてその一端は今、確かに『ここ』にあるのだから。
 まだ、彼女のいる"時"にはほど遠い。
 それまでの間、彼は眠り続ける。
 遠く離れた場所で、彼と同じ様に眠っている『彼ら』と共に。
 それまで、時間は充分にあるのだから……。




新たなる出会い それを目にするため 我らは往く 血塗られた果て無き道を――
第42話 出会いの序曲




「おはようございま〜す……あ」
「あ、ティム! 久しぶり〜!」
「リルカさん! 大丈夫だったんですか?」
 リルカにとって、久々のヴァレリアシャトーでの朝。
 彼女とテリィが帰還した、その日にはまだARMSのメンバーは揃っていなかった。
 昨夜は回復薬入りの簡素な食事を配られてすぐにベッドへと押し込まれたので、リルカとしては大いに不満が残っていた。
 今日の朝は美味しいものをたくさん食べてやろう、と昨夜から心に決めていたのだ。
 そして朝起きてすぐに待ちわびていた食事の為に食堂へ駆けつけたリルカは、そこで大好物の焼きそばを口に入れようとしていた。
 その時に入り口からひょっこり顔を出したティムを見て、顔一面に笑みを浮かべる。
 思わず声を上げ、フォークを下ろして立ち上がったほどだ。もちろん焼きそばは死守。
「なんか、すごく懐かしい気がしますね。ほんの数日だったけど」
「ほんとね。……あれ? ティムも怪我してるの?!」
 にっこり笑って相席を勧めたリルカは、ティムの手首に巻いてある包帯を眼にして顔色を変えた。
 ほんの数日前にテリィの大怪我――実際には大した事は無く、ただ失血が多かっただけなのだが――を目にしたリルカには、小さな怪我でもその事を思い出すには充分すぎるほどだった。
 その視線に気付き、ティムは椅子に腰掛けながら照れたように笑ってみせる。
「ああ……これ。大した事ないんです、ちょっと切っただけで。リンダさん達に偶然見せたら大げさに手当てされちゃって。でも、もう平気なんですよ」
 ガーディアンの力で回復もできましたし、と照れくさそうに笑うティムを見て、リルカもほっとしたような笑みを見せる。確かに、彼や自分ほどの力があれば、大抵の傷は直せる。余計な心配という所だろう。
 席についたティムに気を利かせて朝食を運んでくれた今日の料理当番のクルーに礼を言い、彼の好みに合わせて暖めてある新鮮なミルクを口に運んでからティムはふと首をかしげた。
 ここにリルカがいるのは、いい。食堂に来る前に聞いていたし、彼女は昨日すでに帰還していたのだから。でも、彼は?
「あの、リルカさん」
「ん、ひゃい?」
 口一杯に焼きそばをほお張っていたリルカの声に苦笑しながら、ティムはもう一度ミルクをコクンと飲み込む。程よい人肌に暖めてもらったミルクは、猫舌のティムにも味わって飲めるほどの温度だ。その心地よさに思わず目を細める。
 そしてやっと口の中の焼きそばを飲み込んだリルカに顔を向ける。
「あの、テリィさんは? 一緒に帰ってきてたんでしょう?」
「ああ……怪我してるからもう少し休まないと駄目だって、リンダ達に"監禁"されてるの。わたしも昨日の夜は薬飲まされてたしね。魔法と薬でテリィもほとんど回復してるんだけど、もう暫くは安静が必要だって言われて。だから、まだ部屋で寝てるんじゃない?」
 多少疲れたような顔をしながら、彼女は昨夜の悪夢を思い出した。
 真夜中に目を覚ますと、看護役についてきていたモモが薄明かりの中、怪しげな笑みを浮かべて変な薬をいじっていた。一緒に妖しげな匂いが漂っていて、部屋に僅かに薄い靄がかかっているかのように見えたのだ。それは錯覚だろうが……いや、錯覚だと信じたい。
 おかげでいつ、何をされるのかとビクビクしながら再び眠れるまでじっとしているしかなくて ……物凄く、怖かったのだ。たった一晩で回復するどころか憔悴したような気もする。
 その話にぱちくりとティムは目を瞬かせ、そしてくすっと笑みを洩らした。
 長い事連絡が取れずに心配していたけど、そんな心配は必要なかったようだ。もちろん実際には自分が考えているよりも大変だったのだろうが、それでもこうして元気な姿を見るとほっとする。
 テリィの怪我もそれなりに酷いのだろうが、こうして話に聞く限りは大丈夫なようだ。
「……何?」
「いえ、なんでもないです」
 口の端に笑みを留めたまま、ティムは冷めますよ、と一言リルカに告げて食事を再開した。
 たっぷりとしたシチューにスプーンを差し入れながら、ティムはポケットの中で安らかに眠り続けているプーカを落とさないように少しだけ、体を傾けた。
 昨日の夜から煮込んでいたと言っていたシチューは、じゃがいももにんじんも、とっても具が柔らかくなっていて美味しかった。
 それを見て、リルカも思い出したように焼きそばを再び食べ始めた。


*****


 たっぷりの食事をとり、午前いっぱいをこの数日に何があったのか話すのに使った二人は休憩とばかりに食堂へ向かっていた。
 確か、さきほどエイミーが美味しい紅茶とお菓子を手に入れた、と言っていた事をリルカが思い出したのだ。本人にしてみれば軽い自慢だったのだろうが、リルカに聞かれたのは不幸としかいいようがない。直に彼女の胃袋に消化されてしまうのだろう。
 そうして3時でもないのにおやつだとはりきるリルカに呆れながらも共に廊下を歩いていたティムの二人に、丁度そこを通りがかったクルーが突然声をかけた。
「ああ、二人とも! もう大丈夫かい?」
「あ、はい」
「あの、何か?」
 にこにこと笑うリルカとは反対に、ティムは多少不安げな表情を見せる。
 だがそのクルーはそんな二人に照れくさそうな笑みを見せ、軽く手を負って見せた。
「ああ、別に変な事があったわけじゃないよ。ただ、二人ともアシュレーさんとマリアベルさんが帰ってきてることを知ってるかな、と思って」
「え!? あの二人、もう帰ってるの?」
「ええ。確か、昨日の遅くに。ティム君も遅かったけどあの二人も遅くてね。確か、ほとんど明け方近くに帰ったんじゃないかな? だからさっきまで寝ていたんだよ。……そういえば、話したい事があるから出来ればすぐに会議室に来て欲しいって言ってたなぁ」
「うん、わかったわ! じゃあね。ほら、ティム、行くわよ!」
「え、あ、ちょ――」
 うろたえるティムを強引にひっぱり、リルカは呆気にとられるクルーに別れを告げて走っていった。


*****


「ちょっとアシュレー!」
「あ、リルカとティム。元気そうで何よりだよ」
「うむ。その様子では大事なさそうじゃの」
 吼えるようにかけてきたリルカに、アシュレーとマリアベルは全く動じずににこやかに声をかける。その調子に肩を怒らせてドアを蹴り明けたリルカは、思わずがくっと前のめりに倒れかけた。 「わあ、リルカさん!?」
「おいおい……何やってるんだよ、リルカ」
 慌てるティムの声に被さり聞きなれた声を聞きつけ、リルカは再びがばっと顔を上げた。  そこに予想通りの顔を見つけ、彼女は目を大きく見開いた。だって。
「テリィ! なんでここにいんのよ!?」
「ああ、リンダさんたちに頼んで。大事なミーティングだからって押し切ってさ。怪我だってもう大したこと無いし」
「……あ〜……う〜……」
「まぁまぁ、落ち着きなよ、リルカ」
 あまりにあっさりとしたテリィの台詞に、むすっとしたリルカに苦笑交じりに言うアシュレー。疲れからか寝不足からか――その顔色は若干青くなり、元気もないようだった。よく見ればマリアベルとて同じだ。元気そうなリルカ達を見、マリアベルはふんと鼻を鳴らす。
「そんな事より、今せねばならぬ事があるじゃろうが」
「あ、ああ……そうだった。とりあえず二人とも、席についてくれ」
 彼の台詞に、しぶしぶながらリルカは近くの椅子――因みにテリィの隣だ――に腰掛け、その隣にティムも腰を下ろした。
 中心の椅子を避け、ARMSの全メンバーがこれで席についた。それを見渡し、アシュレーはマリアベルと一つ頷くと口を開いた。
「みんなも――リルカ達ももう聞いたと思うけど、数日前から世界各地でモンスターが現れている。それも人の多い、町や村に何時の間にか。そしてその大半はその地域には存在しないはずのモンスター達だ。それらはすぐに僕らが駆けつけてモンスターを倒したし、中には渡り鳥達が協力して倒した場所もある。シェルジェはリルカ達がいたようにね。そして……ギルドグラードやシルヴァラントも襲撃があった」
 その一言は初耳だったらしく、テリィもリルカ同様驚いた顔をする。ティムやブラッド、カノンは聞いていたようで、苦い表情を顔に浮かべていた。
「そんな……ギルドグラードも? あそこって、兵士達がたくさんいたんでしょう?」
「ああ。だから騒ぎはすぐに収まったし、モンスターも僕らが来る前に退治されてたよ。シルヴァラントもだ。ただ、人々の混乱が巻き起こっている……メリアブールは幸いな事にその騒ぎを免れたけどね。ただ、僕らは……その事について、何もわかっていない。何故、そんな事が起きたのかも、ね。それについての手がかりも全く無い状態だ。ただ、気になることがある」
 ただ淡々と言葉を紡ぐ彼はなんの表情も浮かべていない。いつもカノンに次いで激情家なアシュレーにしては、酷く珍しい事だ。
 彼の話す内容に驚き、リルカとテリィはただひたすら目を見開いている。この数日にそんなにまで自体が広がっているなど、考えもつかなかった……。
「……以前、俺たちの前に現れたイルダーナフと名乗る男。そうだな?」
「ああ。……リルカたちにあった話は、さっきブラッドから聞いたんだけど……そこでも彼の影があった。どうしても、彼とこの事件を切り離して考える事が出来ないんだ。これは僕の勘かもしれないけどね」
 そう苦く呟くアシュレーに、ブラッドも微かに口を歪ませる。
 勘で物事を進めるのはあまりにも軽率だ。だが、それでもいいのだろう。自分達には自分達のやり方があるのだから。あの時も、そうしてきたのだから。
「だから、この事態を突き止める事の為に動くと同時に、出来るだけ彼の情報を集めたいんだ。もしかしたら関係無いのかもしれないけど、彼が何かに関わっているだろうことは確かだからね」
「……もし、この事件と関わってたらどうするのだ?」
「……そうだね……彼を説得できれば一番いいんだけど」
 カノンの言葉にほろ苦い笑みを浮かべ、アシュレーは呟くように言う。
 その言葉がただの理想論だという事は、彼自身もよく身にしみてわかっていることだ。理想を語るだけでは意味が無い。そして、理想はほとんどの場合、敗れ去る。
「たぶん、無理なんだと思う。彼と会ったのは一度だけだけど、それでも彼の目には強い意志が浮かんでるように見えたから」
 例えそれがどんな事であれ、どんな結果が待っているとしても自分を貫き通すと決めた―― そんな意志の浮かぶ光だったと、そう思う。
 そういう相手に説得は無理だろう。まして、彼について何もわかっていない今の状態では。
「だから、とりあえず今は体調が整った者からすぐに調査に――」
「アシュレーさんッ! 大変です、クアトリーがッ!」
 言いかけたアシュレーを遮り、クルーが真っ青になって走りこんできた。大きな音を立てて扉を開き、肩で息をしながら縋るような眼差しを彼に向ける。
 酷く興奮している彼にティムが素早くに駆け寄ってよろける体を支え、リルカは水の入ったコップを手渡すがそんな彼らを手で遮り、彼はアシュレーやマリアベルたちを見つめ、再び酷く興奮した口調で話だす。
「っく、はぁ、……い、今、最新情報が届いて……」
「何があった?」
 ただ一言、簡潔に問うたブラッドに冷静さを取り戻した彼はブラッドに顔を向け、ゆっくりと口を開いた。荒くなった呼吸を無理やり落ち着け、喉を大きく上下させる。
「――クアトリーが謎のモンスターの集団に襲撃されているそう、です。至急、ARMSに救援を請うと。そして、曖昧な証言ではあるのですが……」
 クアトリー襲撃との知らせに色をなして立ち上がる彼らに、そのクルーは青ざめた顔色のまま顔を俯ける。その両手は強く握られていた。
「数人の住人が、黒い髪の青年がモンスターと共にいるのを目撃したそうです。そして未確認ではありますが、すでに死者は15名にも登ると……」
「みんな、すぐに装備を整えて中庭へッ! すぐにクアトリーへ飛ぶぞ!」
「うんッ!」
「はいッ!」
「あ、テリィ! 君はここで待機だ」
 頷き、先に飛び出したマリアベルとブラッドに続いて外に歩き出したテリィはその言葉に愕然とした眼差しを向ける。
 そんな彼を横目で見ながら、年長の二人はさっと駆け出す。リルカとテリィはどうしたらいいかわからず、その場で戸惑ったように足を止めた。
 それを見やり、アシュレーは彼らに向かって軽く手を降って見せる。
「リルカ、ティム。君達は先に行っててくれ。……テリィ、君の怪我はまだ治りきっていないんだ。向こうに行けば必ず戦闘になる。君は――足手纏いになる可能性がある。悪いけど、まだ何もわかっていない今は中途半端な戦力よりもとにかく情報が欲しい。酷い言い方だとは思うけどね。それに、今回の戦闘で最後と言うわけじゃないんだ。もっと別の機会にもっと君の力が必要になる。だから今はここに残って情報を集めてくれないか?」
 アシュレーの言葉をゆっくりと頭の中で吟味し、その正しさに唇を噛締める。
 今の自分が足手纏いであろう事も、そして情報が必要であろう事も、充分に理解できる。ただそれに感情がついていかないだけだ。
 そして、彼はしばしの沈黙の後に顔を上げてアシュレーの瞳を見つめた。
「それは、……命令なんですか?」
 思いつめたように拳を握り締めたテリィに、アシュレーは辛そうな眼差しを向けた。
 以前の自分なら、絶対にこういうことは認めなかっただろう。
 しかし、あの戦いを越えてきた今なら、ただ闇雲に動く事よりも情報を集める事の方が遥かに大切だと言う事がわかっている。
 そして、恐らくこれからもっと長い期間に数多くの戦いが待っているのだろう。
 ならば、貴重な戦力を減らすよりも、今、辛い思いをしても先に待つ未来を少しでもマシなものにするために。
 アシュレーは、テリィの瞳をまっすぐに見つめながらはっきりと頷いた。
「――それが、必要であるのなら」
「……わかりました。気を付けて」
「ああ。すまないけど、後は頼む」
 そして、アシュレーは走り出した。テリィの視線を背中に充分に感じながら。




 十数分後、シャトーの中庭でジェムの光が瞬いた。テリィは一人、それを見つめていた。
 在る意味それは一つの運命の欠片だったのかもしれない――。




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