幼い頃は、何も知らなかった。知ろうともしなかった。
 みんなと違う姿ゆえに、同じ年頃の子供達は自然と彼を犬猿するようになって。
 淋しかった日々だけど、自分の半身と二人、一緒にいたから平気でいられた。
 でもそれも彼の半身が――双子の妹が遠くへ行かなくてはならなくなった時、終わった。
 悲しくて、切なくて。でも、そうする事が彼女のためだと知っていたから。
 わかっていたから、手を振って笑顔で別れて。
 母親に連れられたその姿が見えなくなって初めて、目から涙が零れた。
 驚く父親の手を振り切り、どこまでも泣きながら走って。
 転んで、ひとりぽっちで小さく震えていた時。
 ――どうしたの? どこか、いたいの?
 初めて、彼女に出会った。
 彼女の事はよく知っていたけど、話した事はなかった。
 自分よりも年下の癖に、やたらとしっかりしていて。
 彼女は何も聞かないまま、ただ涙を零す自分の頭をずっと撫でていてくれて。
 後になって恥ずかしくなり、顔を上げられなくなった自分に彼女はこう言ったのだ。
 ――もう、だいじょうぶ?
 うん、と頷いた後になんと言ったのかは覚えていない。
 でも、それは大切な思い出のひとつで。
 二人はその時初めて言葉を交わし、いつしか友と呼び合うようになり。
 いつしか一緒に遊び、過ごすようになり。
 ――いつしか、彼の心にその感情が芽生えたのはある意味当然ですらあった。
 大切な少女。いつも一緒に居てくれた、大切な親友。
 ずっと、その姿を見つめていられたらと……そう、願っていた。
 それだけが彼の願いだった。




新たなる出会い それを目にするため 我らは往く 血塗られた果て無き道を――
第43話 交差する出会い(1)




「――よし、ついた!」
 アシュレーは確かな手ごたえを感じ、光となった姿のまま思わずといったように声を上げた。
 それを耳にして、リルカは思わずほっとしたように吐息を洩らしていた。
(よかった……無事について)
 テリィを置いてクアトリーまで行くとアシュレーに告げられ、とりあえずの装備を整えて。
 そして中庭に集まってすぐ、いつものようにリルカがテレポートオーブを使用したけれどそれは何故かいつものように上手く作動しなかった。
 体を包むはずの淡い緑色の魔力の残粒子は現れた途端に溶けゆく雪のように消えていってしまい、どうしても目的の場所であるクアトリーまで飛ぶことができない。それどころか、オーブ自体が上手く起動しないのだ。
 こんなの、ありえない事なのに。
 使用していたリルカが悪いのかとアシュレーと交替しても、それは代わらず。
 結局5度目の挑戦で、やっとジェムは起動して。
 それでも無事にクアトリーまで着くかと内心ひやひやしていたが、どうやら無事につけたらしい。
 ふわ、と甦る現実感。確かな空気の感触を確かめ、彼らはさっと町のあるはずの方向へと体を向ける。そして、彼らは驚愕に目を見開いた。
 唇を戦慄かせながら、ティムは小さく呟いていた。
「……そんな!? クアトリーが……燃えてる……?」
 巨大な橋の上とその周辺を囲むようにして成り立っていた砂漠の街、クアトリー。
 いくら大きく、そして丈夫だとはいえ橋の上に家や店が並ぶのだ。この辺りに住むものだけでなく、この街を一度でも見た者なら誰もが一度はその橋の上に立つとひんやりとした思いを味わう。
 もし、大きな地震でもあったら――何か強い衝撃でもあれば、この橋はこのまま簡単に落ちてしまうのではないだろうか、と。
 実際、この橋の上では喧嘩はご法度。火も家庭で使う物以外は使用してはいけないという事になっている程だ。
 以前聞いた所によれば、この橋は丈夫で地震にもほぼ耐え切れるだろうが、高い温度の熱を長時間浴びせ続ければ危ないという話を聞いた事がある。
 それを思い出し、ブラッドは険しかった顔を更に引き締めた。
 憤るカノンは、拳をきつく握り締めた。
「なん……て事を!」
「まさか……ここを落としたら、砂漠を横断できなくなっちゃうのに!?」
「……だから、だろう。何のためかはわからんが、恐らく敵はそれを狙っているはず――」
「ブラッド!」
 リルカの叫びに答えていたブラッドの声に被せるようにした緊迫したアシュレーの一声に、彼はすぐさま反応して動いていた。
 一挙動で体を向き直し、さっと片手につけた大仰な武器――マイトグローブを構える。そして、それを重そうな様子を欠片も見せずにそれを彼方へと向けると、素早く弾丸を打つ!

 ギュゥアアアアアァァァァァ!!!!

 恐ろしげな叫びと共に、モンスターが塵と化して消滅する。
 それを静かな眼差しで見たブラッドは、何事もなかったかのようにアシュレー達を振り返った。
「……あれは、確かこの辺りにはいないモンスターだったな?」
「うむ。少なくとも、砂漠にはいないはずじゃ。……それで、どうするんじゃ?」
 マリアベルの声にアシュレーはきっとした眼差しを空に向ける。その空はまだ昼間だというのに炎に照らされてまるで夕暮れのような色合いを帯びていた。そして、立ち込める煙で分厚い幕が張られてしまっていた。
 少しずつ増える、悲鳴。
 おそらくモンスターがいることに気付いた住民達の声だろう。今までは炎の方に気を取られて辺りを徘徊しているモンスターには気付かなかったに違いない。
 場所柄からかこの街には渡り鳥が多く、また住人にも昔旅をしていたという者が多い。そうでなくとも、ほとんどの者が武器の扱い方を知っている町ではあるが、それでもそのほとんどがシロートである事に変わりはなく、そしてこの状況下でモンスターと冷静に渡り合える者は少ないだろう。いたとしても、炎と突然襲いくるモンスターの両方を相手に出来はしない。
「すぐにバラバラになろう。モンスターは見つけ次第、撃破してくれ。住民達の救助を最優先に。それと、何かあった時には連絡をする事。決して一人では対処しようとしないで欲しい」
 コクン、と頷く彼らにきびきびと告げたアシュレーは、それから少々躊躇うような仕草を見せた後、再び口を開いた。今度はやや緊張した面持ちで。
「……それと、怪しい人物を見つけたら、出来るだけ接触前にみんなに連絡してくれ」
 アシュレーが言いたいのが誰の事なのかを理解しながらも、あえてそれを口にしないままブラッドは彼のその言葉にはっきりと頷いた。
「わかった。それでは、俺は向こうへと行こう。ティムは俺と。マリアベルはカノンと共に行ってくれ。リルカはアシュレーと、頼む」
「わかった!」
「うむ。さっさとせねば、こんな街すぐに燃えきってしまうからの」
 マリアベルの口調はいつもと変わらず飄々としているが、その表情は真剣そのもの。そして強い怒りに瞳の色は紅々と燃えていた。
(マリアベルは、僕らよりもずっと長く生きているんだ。きっとマリアベルだっていろいろあったんだろう)
 そう、アシュレーは思った。そうとしか思わなかった。普段から激情を表す事など滅多にない彼女だったからこそ、そうでない彼女など、想像も出来なかった。
 だが、それは違った。
 炎に包まれた街。それは彼女にとっては最も根強い、そして最も辛い記憶の一つであるなど、決して誰も知ることはなかった。
 それが、今彼女がここにいる事の理由の一端であるなど……一体誰が知るというのだろう。  それを知るのは、彼女の親友達だけ。
 今はもういない、遠い時の中に埋もれて消えた者たちだけだった。
(決して……決して、繰り返させはせぬ……)
 堅く握り締めた両手に決意を秘めながら、マリアベルはさっさと足を進めながら肩越しに後ろを振り返り、ブラッド達に強い声を浴びせる。
「早く行くぞ! ほれ、遅れるでない!」
「ああ」
「はい。じゃあ、アシュレーさんも気を付けて!」
 ブラッド・ティムが橋の向こうへ。マリアベル・カノンは橋の上。アシュレー・リルカが現在彼らがいた周辺を見て回るように無言の内に取り決めると、彼らは軽く頷くとさっさと走り出した。


*****


「カノン、そっちじゃ!」
「パイクスラスター!」
 カノンの放った槍のようにも見える鋭い飛び蹴りが、モンスターを貫いてその歪んだ生を一瞬にして終わらせる。
 ざっとマントを翻し、つま先で地面をトントンと軽く叩き、足の調子を見ながら前方をじっと見つめるカノンに気付き、近くの家屋に燃え移ろうとしていた炎を水属性の力を持つレッドパワーで消したマリアベルが振り返る。
「なんじゃ? 何かあったのか?」
「……いや。だが、気になる」
 それきに黙り込み、黙々と足を進めるカノンにマリアベルは不思議そうな表情を向けた。
「気になる、とは一体何が気になるのじゃ?」
 その言葉に答えず、カノンは近寄ってきたモンスターを腕に内蔵されているブレードで一刀両断すると、それの消滅を確認もせずに歩を進める。
 広いとはいえ、橋の上では場所が限られる。民家などの中はもう確認したから、もう二手に別れて他の2組の手伝いに行った方がいいかもしれない。
 そんな事を考えながらも、カノンの口から付いて出た言葉はそれとは全く違う事だった。
 完全に足を止め、堅いグローブに包まれた手をゆっくりと開き、再び握り締める。
「……モンスターの姿は多い。あたしたちも随分と倒したし、この街の住人ももうほとんど避難した。だが……何故だ? 黒い髪の男。確かにいたはずなのに、どこにもいない」
 二人で助けた人々に話を聞いた時、何人かの人々は『黒い髪の男が、モンスターを引き連れていた』と、言っていた。
 時間と場所での差異があるため、若干の違いはあるがその証言内容はほぼ同じ。
 そして彼らの言う事が本当ならば、その人物はモンスターと共にまだこの街にいてもいいはずなのだ。少なくとも、その痕跡はあっていいはず。
 なのに、全くなんの手がかりもつかめない――。
「……そうじゃな。だが、いないのだからしかたがないじゃろう。むしろ、いない方がかえって――」
「待て!」
 言いかけたマリアベルの言葉を遮り、カノンは一瞬でブレードを出して構える。
 その反応の意味を問う事もなく、マリアベルもまたカノンと同じ様に己の武器を構えながら、周辺を厳しい表情で警戒する。
 例え自分に感じられない物があったとしても、マリアベルではわからない何かをカノンが感じ取った可能性がある。そして、それは大抵の場合正しいのだ、が……。
 マリアベルは人間よりもやや長い耳をピクリと動かし、そっと耳を澄ました。
 炎の燃える音、家屋の崩れる音や誰かが離れた場所で戦う音――おそらくアシュレー達だろう――などが聞こえるが、それ意外はこれといって何も感じられない。
「…………」
「……なんじゃ。何もないでは――」
「そこかッ!」
 何も感じられなかったマリアベルの言葉を再び遮ると、カノンは突然にして前方の空間に向けて拳のギミックを鋭いスピードで解き放つ!
 コォウッ!と鋭い音が空気を切り裂き、そしてある場所を貫こうとした、その瞬間――。
 それは突然意思を持ったかのように空中で動きを止めた。
「なッ……!?」
「ほう……まさか、見破られるとはな。まぁ、まだ本調子ではないから仕方がないのかもしれんが……やはりさすが、と言うべきかな?」
 じんわりと空中に色が滲むように漆黒が生まれ、そして黒い髪をした一人の青年が姿を現した。
 空中に浮かび、片手でカノンの繰り出した攻撃を素手で受け止める――とてもではないが、常人には決して出来ない芸当だ。
 そして、その容貌――彼は、恐らく。
「そなた……アシュレーの言っていた、イルダーナフとかいう者かえ?」
 マリアベルのその言葉に、ゆっくりと地面に足をつけたその青年――イルダーナフは笑みを浮かべた。どこか歪んだ、禍々しい笑みを。
「いかにも。ファルガイア最後のイモータルであらせられる、マリアベル・アーミティッジ殿。そしてカノン殿。お会い出来、真に恐悦至極にございます」
「……くだらぬ」
 仰々しい仕草で古風な礼をしてみせるイルダーナフに、マリアベルは冷え冷えとした眼差しを向ける。その瞳は爛々と輝いている。
 カノンは何も言わないが、その瞳はマリアベル同様厳しい色を浮かべていた。
 そんな二人の様子に状態を起こした青年はくすっと笑みを洩らすと片手に持っていたカノンの拳を無造作に離す。
 すぐさまそれを引き戻したカノンはしかし、激情に身を震わせながらも再び攻撃を仕掛けずに、じっと目の前に立つ相手を見据えていた。
「……お前は何者だ? 一体何をたくらんでいる?」
「一気に核心を話してはつまらぬであろう? わざわざARMSにお越し頂いたのだから、何か持て成しを用意しようかと思ってな……だが」
 唇の端をゆがめるだけの笑みを浮かべ、彼は軽く右手をそよがした。
 そこに、闇が集まる。暗く、禍々しい色を秘めた闇が。
「ここは戦うには少々狭いようだ。心優しい諸君らも思い切り戦えないだろう? 折角だからな。どうせなら、全力の方が楽しいのでな。……そう。この向こう、いくらか離れた所に私が戦場を用意しよう」
 砂漠の彼方をすっと指差すイルダーナフ。
 ここからではそこに何があるのか、見る事は出来ない
「…………」
「……もし、行かなければどうなるのいうんじゃ?」
 何も言わないカノンに代わり、ゆっくりとマリアベルが口を開く。
 マリアベルの言葉に、イルダーナフは楽しげと感じるような口調で微笑みながら、告げる。
「別に。何も」
「何も?」
 反芻し、訝しげに眉をひそめるマリアベルを見ながらイルダーナフはすっと再び身体を宙へと軽やかに舞い上がらせる。
 熱を孕んだ風が彼の漆黒の髪を揺らし、衣服の裾をはためかせる。
 それを目にしてやっと、マリアベルは彼が着ている服が彼女が今まで見た事のない服装だという事に気がついた。そんな事、あるはずがないのに。
(永い時を生き、世界を見続けたわらわが知らぬだと?)
 そんなマリアベルの思考を知ってか知らずか、イルダーナフは地面から数メートルの場所で低空し、どこか遠くを見ながら口を開く。
「お前達が来るならば、私を倒すチャンスが与えられる。だが、来なければ……そうだな。この世の終りに一歩近付く――と言った所ではどうかな?」
 冗談のようなセリフを笑いながら言う彼は、しかしその瞳ではっきりと違う事を告げていた。
『もし来なければ、大勢の者が死ぬ事になる』……と。
 二人の瞳を満足げに見やり、イルダーナフは再び姿をすっと薄れさせる。
「急いだ方がいいぞ? 私はあまり気が長くはない……では、楽しみにしているとしよう」
「ま、待て……ッ!」
 カノンの声を聞く事無く、イルダーナフは空気に溶け込ませた。
 悔しさと驚きに動きを止めた二人は、すぐに顔を見合わせて頷き合うとさっと二手に別れて走り出した。
 それぞれ、残りのメンバーに今の出来事を伝え、そしてすぐにその場所へと向かうために。




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