――祈りを。 失ってしまった、全てのものに捧げよう。 ――もう二度と、出会えないのだとしても。 それは悠久の別れにはなりえないのだと、知っているから。 ――自分達の絆が消えることはない。 たとえ、それがどれほどに儚いものなのだとしても。 ――それぞれの場所で、生きていくことこそ。 命がある限り、望みは繋がり続けるもの。 ――二人が共に望み、願うちいさな幸せとなる。 それが叶えられる事を、心の奥底で想い続ける。 ――生きて。そして、もう一度……取り戻してほしい。 なくしたはずの、失ったはずの想いを。 ――甦るカケラさえ、愛しい想いを感じられるなら。 すべてを手に入れるのに必要な時が、わかるはず。 ――つながる輪廻は永遠ではないけれど。 たしかに、感じられる絆があるのだから。 ――忘れずに、信じていよう。 それは、決して夢でも幻でもないのだから。 次に、出会えるのなら。 それは、自分が捜し求める少女と出会えた時なのだと、わかっているから。 ![]() 第45話 交差する出会い(3) 「ねえっ! あと、どのぐらいなのっ?!」 ガタン、と大きく揺れ動くジープ。その後ろの、座席と呼べるギリギリの所にしがみついたリルカが舌を噛みそうになりつつ、運転しているブラッドへと声を向ける。 それに答えを返すのは、その隣に座っている着ぐるみの少女。 「もうすぐじゃ、静かにせんかっ!」 「だって、随分前にも同じ事いったでしょっ?!」 苛立った口調に、同じ様な声が返される。けど、それをなだめる声もなく、みなまっすぐに前をきついまなざしで見つめている。 それを見やり、リルカもまたしぶしぶといった様子で口を閉ざす。けれど、また少し経てば再び同じ様に苛立ちを口にするだろう。先ほどまでと同じに。 あの町でこんなジープを見つける事ができたのは、ほとんど奇蹟に近いだろう。 聞けば、数年前にギルドグラードから寄贈されたものらしい。乗るものもおらずにほとんど埃をかぶったままだったのが、マリアベルが軽くいじっただけですぐに動けたのも僥倖だと言える。 『彼』が示した場所がすぐに判ったのも、運がいいとしかいえない。 以前、姿のない不思議な少女の行方を探した時。地図にも載らない密やかな集落を数多く調べ、偶然、『彼』に示されたその方角で、クアトリーの近く――歩いてすぐ、といったような距離ではないが――にかなりの広さを持った廃墟を発見し。 そしてそれをカノンが覚えていたのだ。……そのすぐ近い場所に、ひとつの小さな、村とも呼べぬ集落があることも。 おおよその方角しかわからない今、彼らにできるのはこうして急ぐことだけ。 ロンバルディアで行く事も考えたが、何故か通信が届かず呼ぶことができなかった。テレポートジェムも上手く起動せず、これ以上の時間のロスは避けねばならなかった。 だから、一番時間がかかる事を承知で。こうしてジープで走っている。 遥かな距離を、この広大な砂漠を。 狭い座席に無理矢理のりこんだジープは狭く、運転しているブラッドと助手席に座っているマリアベルを除いた4人は後部座席にほとんどしがみ付くだけのような格好になっている。 まして、まともな道などない砂漠の事。荒れた大地を走るよりなお悪く、常に振り落とされそうになったままかれこれ数時間が経過している。 リルカが問い掛けるのも、これで始めてのはずもなく。何度目かなど数えるものもいない。 アシュレーはゆっくりと下がってゆく太陽を眺め、焦りに胸を焦がす。 これ以上を望むことはできない。それを知ってもなお、焦りはますます増して行くばかり。 カノンもティムも、言葉を発しない変わりにその表情は言葉よりもなお、その心情を語っていて。 だからこそ。何も言うことができなくなる。何かを言えば、それが壊れてしまいそうで。 ただ、前を見据える。それしか、できないから。 「……アシュレー」 静かなブラッドの声。ジープの走るうるさい音にもかきけされることなくアシュレーの耳へと届いたその声は、まっすぐで。かすれることなく、響く。 彼の言いたいことは、わかる。わかっていると思う。だから。 「覚悟を。……しておいた方が、いいのかもしれない」 言い切ることも出来ず、アシュレーは曖昧に言葉を紡ぐ。けれど、その口調はあまりにもはっきりとしていて。あまりにも、強くて。 そう、言うことしかできないけれど。 それを聞いて、リルカは再び開こうとしていた口を閉ざす。ティムもカノンも、ちらっとアシュレーに視線を向け、また前へと顔を向ける。 何も言わず、何も言えず。 マリアベルはまだ黙ったままだ。何も言葉を言うことなく、けれど、静かに何かを促すようで。 それに勇気付けられるようにして、アシュレーは再びゆっくりと口を開く。 どうにかして、このもどかしいほどの想いを伝えられるように。この、伝えられない想いを悟られないように。 「何があるかはわからない。けど……」 一度口をつぐんだのは、どう言っていいのかわからなかったから。 己のうちにひそむものが、ちいさく身動きする。トクン、と小さくはない鼓動を放ち、ともすれば溢れだそうとするかのようなそれに、わずかな焦りを感じさせ。 けれど、あるのは確信めいた曖昧な想いだけ。そして、揺れ動き続ける熱い焔。 「戦う覚悟を、ですか?」 「……知る、覚悟を。何を知るのかもわからないけれど、きっと、何かを僕らは知るだろうから」 短く問うティムの言葉に返すことができたのは、そんな曖昧なことだけだった。 暗に戦うのかと問うティムの言葉を否定しないのは、すでにそうなることを理解しているからなのだろうか。 代りに口から出たのもわかりきっているような、そんな言葉だけだった。 そしてそれに問いかける言葉もないのは、彼らもまた、同じ様な想いを心のどこかに抱えていたからに他ならない。 しばらく、誰の口からも言葉は洩れなかった。 ――それからどれだけの時がたったのか。タイヤが砂の合間に硬い石を踏むようになり、その感覚が増え。やがて、やせ細った雑草が時折姿を見せるようになる。 そして。 「……見えたぞ」 やがて、ぽつりとカノンが言う。 彼女の言葉にすぐさま全員がカノンの方へと顔を向け、彼女の見つめるその先へと視線を転ずる。 その先には、かなりの広さを持つ平らな地面と朽ちた巨石。砂漠と言うよりも荒野と言った方が近い、彼果てた平原のような場所。おそらく彼が指し示しただろうところ。 そこからそう遠くない距離には、小さな家屋がぽつりぽつりと姿を見せている。村ともいえないような集落だが、色鮮やかな緑のあるそこは明らかに人の住む場所なのだとわかる。 そして――再び視線を向けた先、朽ちた空間の中央にある一つの人影を目にして。 アシュレーはかたく手を握り締めた。 ***** 『彼』の立つ、その広場のような空間の少し手前でジープを降りる。下ろした足の感触は今までの砂の頼りないものと違い、硬くしっかりとしている。それを、ゆっくりと踏み締めていく。 アシュレーを先頭にしてゆっくりと足を進める中、カノンとブラッドは素早く視線を周囲へと走らせていた。 所々に見える、装飾の施された柱の残骸のようなもの。よくよく見れば、彼の立つ場所を中心とした広場のようにも見える。彼の傍には、完全に崩れ落ちた噴水らしきもののカケラ。 おそらく、ここは遥かな昔に残された遺跡の一つであったのだろう。ここはその広場にでも当たる場所だったのではないか。 たしかに、それなりの広さがある。戦うにはちょうどいい空間。だが……。 (なぜ、ここを使う必要がある? 邪魔が入らないという意味でなら、もっと相応しい場所が他にいくらでもあるだろうに) そんな疑問が脳裏を霞め、そっとカノンに目をやれば同じ様にしていたカノンと目をあわせる格好となる。その表情、その瞳に浮かんだ色にお互い同じ疑問を抱えているのだと言うことが、わかる。 そのまま何もせず、すっと視線をはずす。ここでそんなことを言っても無意味だろうから。 ブラッドはただ、黙々と足を進めているアシュレーの背中に目をやった。 彼らを率いる形で足を進めているため、彼の表情を伺うことは出来ない。けれど、 (おそらく、アシュレーは俺たちの知らない何かを感じている……) けれど、その背中は答えを拒絶しているようにも思える。緊張をみなぎらせるその背に、どこか隠しきれない何かのあとを見つけてしまう。 そこまで考え、ブラッドはうっすらと苦笑いを浮かべた。 ここで考えても意味のないことだ。今までの自分なら、そんなことを考えることなどなかったろうに……。 歩くたびに、少しずつ『彼』との距離が近くなっていく。そのたびにリルカやティムの緊張が強まっていのがはっきりと見て取れる。 リルカなど、シェルジェで一度対峙しているためかバリバリに警戒している。それだけ、リルカが『彼』を脅威だとして感じているのだろう。 『彼』まであと十数メートルというところで、アシュレーは足を止めた。 それに従い、リルカやティム、ブラッドたちもすっと歩みを止めてすぐに戦闘にうつれるように広がる。手はさりげなく、それぞれの武器へと手を伸ばされている。 それを見て、『彼』――イルダーナフは、笑った。 嬉しそうに。楽しそうに。 それはあまりにも朗らかなもので。裏もみえないその笑みに、ティムは小さな違和感を覚えた。もどかしい、言葉にもできないような小さなそれ。 明るい笑みを口元に留めたまま、イルダーナフはアシュレーをまっすぐに見やった。 「ずいぶんと警戒されているようだな」 「……君は、いったい『何』だ?」 アシュレーの口から流れ出た問いかけの言葉は、以前初めて対峙した時と同じ様で、全く違う。 前置きもなく、そしてイルダーナフの言葉に返さずに。 強い意志を秘めた眼差しで自分を見やる青年に、イルダーナフは笑みを深めた。 「そう、急ぐこともないだろう? せっかくこうして“再び”出会えたんだ、少しはゆっくりと話そうとは思わないのか?」 「脅して呼び付けておいて、そう言うのか?」 久しぶりに会った友人に対するようなくだけたイルダーナフの言葉に、アシュレーは鋭いナイフの切っ先のような言葉をつきつける。 その、責めるような口調にけれど動じることはなく、ただ少しだけ、浮かんだ笑みの色を変えて。 「そうでもしなければ、こうした場に来てはくれないと思ったんだが?」 「何が言いたいんじゃ?」 アシュレーに代わり、その隣に立つマリアベルが口を開いた。 そうして初めて、イルダーナフはアシュレーから視線を外し、マリアベルへと目を向ける。 「言っただろう? 少し話したかったんだと」 「なら、お前の正体と目的について話してもらいたいものだがな」 苛立ちを隠そうともしない、カノン。 それに答えるようにイルダーナフは視線をカノンへと向け、それからティムやブラッドへと視線をめぐらす。最後にリルカへと視線を向けた時、彼はまた笑みを浮かべた。 (この人は……こんな風に笑う人なんだ……) 以前に彼を見た時を思い出し、ティムは若干不思議な思いに捕われる。あの時は理解できない恐怖にかられ、とてもそんなことを思う余裕は無かったのだが。 「リルカ=エレニアック。君にはそれほどの才能がないように見受けられたが……まさか、あの少年と二人ががりでとはいえアレを倒せるとはな。さすが、というべきなのかな?」 「な……才能が、ない、ですって……!?」 楽しそうなイルダーナフの言葉にリルカはキッと目じりを吊り上げる。 才能がない。それは昔から囁かれつづけたこと。非凡な姉と常に比較され、自分でもずっとそう思い続けてきていたこと。 今では自分に自信をもち、そして生まれ持ったものとそれ以上の努力により、より強い力を持てるようになって。けれど、だからといって決しておごっているわけでもなくて。 実際、彼女はソーサラーとしての才能は大した事ないのだ。決して口には出さないけれど、魔力の量で言えばテリィの方がずっと多い。けれど、そうではないのは彼女がそれを上回る努力を重ね、生まれ持った才能をいつでもほぼ完全に扱えるようになったからに他ならない。 純粋に魔力だけに頼らず、常に効果的に魔法を扱うことによってそれは可能になった。それは的確な属性を選ぶことであり、必要最低限の魔力だけで魔術を扱うことでもある。 それをリルカは誰よりも良く知っている。自分が決して強くないことも。そして、確かに『才能』と呼ばれるものがないことも。 けれど、だからと言って、それを理由にして侮られるのは彼女にとって最大の屈辱に他ならない。 怒りに震える手を押さえ、リルカはまっすぐにイルダーナフを睨みつける。できることなら、その眼差しだけで相手をも殺せるほどに。 「……才能なんて関係無い。わたしは、そんなものの力になんて頼らない! わたしは、この『想い』だけで戦えるもの!」 強い声。強い意志を秘めた言葉に、イルダーナフは目を細めた。 それはいかなる感情を秘めているのかもわからなかった。けれど、ほんの一瞬――羨ましそうな色がかすったように見えたのは、気のせいなのだろうか? ティムは再び、例え様の無い違和感を覚えた。言葉に出来ない、もどかしいほどに感じるそれの正体を知りたい。けれど、どうすることもできない。 「……なら、その『想い』とやらをみせてもらおうか」 戦いを予感させるようなセリフをさらり、と言って、けれど彼は自然体のまますっと身体をひるがえし、アシュレー達に背を向ける。そのまま数歩、前へと足を進める。 彼の纏う黒の衣服の裾が、風に舞う。見たこともないその刺繍は深い紅で施され、ともすればその黒に交じり、朱の色をも見失ってしまう。そのまま、闇に溶けるのではないかと。 緊張が高まる中、警戒するようすをカケラも見せずにいるその態度は、いったいどういう思惑なのだろう。 「正体と目的、だったか? それは以前にも言ったと思うが、正体は見ての通りとしか言えない」 「魔物と共に動き、未だかつて誰も見たことのない力を操り、世界に戦乱をもたらす者だと?」 切り付けるかのようなブラッドのセリフに何も言わず、先程いた場所から数メートルほど先で立ち止まり、相変わらず背を向けたまま。 彼はすっと空を見上げた。 青く輝く空。流れる雲は白く、天高く行く鳥は力強く羽ばたいている。 少しだけ故郷を想わせるそんな空に、イルダーナフはわずかに目を細めた。けれど、それはアシュレーたちには微塵も気取られることはない。 「見たことの無い力、というのは若干違うと思うが? 確かに少し“違う”が、よく考えればわかるんじゃないか?」 「何?」 訝しげな声を上げるカノンを肩越しにちらり、と振り返り、小さな笑みを見せるイルダーナフ。 わからないならそれまでなのだと、その眼差しが雄弁に語っていた。 「自分でもよくわからないものを、他人に説明できるとは思えないからな」 「……まるで、他人事のように言うんですね」 「そうか?」 思わず、といったように洩らしたティムの言葉にイルダーナフはごく自然に答えた。ティムは思ってもみなかった言葉に驚き、目を瞬いていたけれど。 そんなティムの様子にイルダーナフはまた、小さな笑みを浮かべた。 あの少年は気付いているのだろうか。ふと洩らしたその小さな呟きが、何よりも真実を捉えていると言うことに。他のどんなものよりも正確に、彼の想いを捉えたということに。 「まぁ、これについては想像してもらうしかないけどな」 「じゃあ、君の目的はいったい何なんだ? 世界を滅ぼすことか?」 苛立ったようなアシュレーの言葉に、彼は心外だ、とでも言うかのように眉を跳ね上げる。それからふと何かに思い当たったかのような表情を見せ、そして―― 「俺は、世界に興味は無い。ただ……」 「ただ?」 「……そう。探しているんだ」 胸をつく、その呟きに誰もが一瞬言葉を失った。 敵なのだと。そう思っていた相手の、これほどまでに胸に響く言葉。 それをいったい誰が想像できただろう? こんなにも切ない想いを抱えているのだと、誰が知っていたのいうのだろう? 「……『誰』を、探してるんじゃ?」 『何』ではなく『誰』と言い切ったマリアベルの言葉に、イルダーナフはふっと表情を消した。 禁忌に触れたかのように。 あまりにも突然に、それまで彼の纏っていたものが激変する。 寂しげだった空気が一瞬にして拭い去られ、かわりに現れたのは――恐ろしいほどの、殺気。 「なっ……!」 「少し、言いすぎたか……。おしゃべりはここまでだな」 「……本気になったと、そう言うことか?」 ブラッドが静かに、だがわずかに気圧されたように言う。 淡々としたその口調が、先ほどまでのものとは違うものになったと、全員が気付いた。 どこか、何かを思い出させるその口調は冷たく、そして熱い。先ほどまではごく普通の人間と話しているのと同じ様なものだったというのに。 ピリピリとした空気が流れる中、イルダーナフはゆっくりと身体ごと振り返った。その眼差しは、冷たく空虚なものを含んでいる。途切れることの無いような業火の如く、紅い色を纏って。 「もう、いい加減にしたほうがよさそうだからな。……そのつもりで、来たんだろう?」 「違う!」 楽しそうなその口調に、けれどアシュレーははっきりと叫び返した。その手には、硬く銃剣の柄が握られてはいたものの、決して抜かれてはいない。 アシュレーにならうわけでもなく、誰もが戦いを意識しながらも武器を構えることはしない。 それを目にし、イルダーナフの目が小さく細められた。 「僕らは戦いを望んでいるんじゃない!」 「ふむ……それなら致し方ない」 「……何?」 どことなく、愉しそうに聞こえる口調。けれど、その眼差しはどこか寂しげにも見えて。 誰にも視線を向けることなく、彼はそのまますっと手を伸ばした。――その、先には。 「――っ!!」 言葉を投げかけるよりも先に、その手のひらに焔が生まれ。そして、それは刹那に純化したかたまりとなって空へと飛んで行く。 誰一人として、それを止められるすべを持つ訳もなく。 そして、止めることも出来ぬまま。 ちいさなオアシスの村は、あまりにも突然に終焉を迎えていた。 「おまえ達が望んでいなくとも、私はそれを望んでいるのだよ」 誰もがその一瞬の驚愕に目を見開き、言葉を奪われている中。 彼は――鮮血の色を瞳に持つ男は、楽しそうな笑みを浮かべ、焔をまとって佇んでいた。 |