あれから、どれだけの時間が過ぎたのだろう。 何気なく耳を澄まし、そしてやっと終わったのだと、知った。 崩れる音も、燃える音も、滅んでいく音も聞こえないから。 空を見上げると、炎の色が消えて黒い煙の色だけがある。 それでも動く気になれず、立ち上がったのは夜も明け切った頃だった。 嫌がる仲間を引き連れ、ゆるゆるとでも足を進め続けて。 そして目の前に広がったのは、一面の焦土だった。 見渡す限りにあるのは焼け落ちた家屋、けれどそれすらも数えるほどで。 かつてあった、美しい緑もカケラすら見られない。 呆然としたままそれを見渡し、そしてそれを目にした。 焼け落ちたその一角に、わずか残っていた、そこ。 気付けば仲間を置いて一人、走り出していた。 村から少しだけ離れたそこは、大きな結界が展開された跡。 焼け焦げた円陣の周りには、暴発でもしたような機械の残骸。 そして、力つき、倒れ伏せた十数人の同胞たちの姿だけが残っていた。 駆け寄って彼らの手を取り、その冷たさに目を伏せる。 この場にいた者達の中で、生き残っていたのはわずか数名。 そして一番軽傷だった者の言葉で初めて、何があったのかを知った。 何があったかを知って、より深い絶望を胸に抱いた。 何故、手を離してしまったのだろうかと。 あたりを見回すまでも無く、それはわかっていた。 封印をほどこせるほどの結界を張れるものは、もはや存在せず。 また、そのための機械も全てが破損して。 それの意味するものは、ひとつ。 もう二度と、出会えないのだと。 それだけが、深く脳裏に刻まれた。 ![]() 第46話 交差する出会い(4) クアトリーに。そして、エレンシアへとリリスが足を向けてから数日が経っている。 “あの”場所へは、故意に通ることをやめていた。特別そうしなくてはならなかった理由も無く、また彼女自身もそれを望まなかったからだ。 思い出すことが辛いのでもなく。その罪も充分に理解しているけれど、それでも。 ……初めてではない離別の悲しみは、けれどいつも以上の悲しみをリリスへともたらした。その傷も、まだ生々しく残っている。触れればすぐに血を流すほどに。 けれど、その悲しみを押してでも、リリスにはやるべき事がある。 少しでも多くの悲しみを減らすために、かつての罪を精算するために。 そして、前へと進むために。リリスはその悲しみをわずかな間だけでも、と心の奥に置いた。 忘れるのではなく、捨てるのでもなく。ただ、その悲しみを口にしないよう。 そうして、リリスは一人、砂漠に足を進めていた。 ここに向かって来る時と同じ、けれど全く違うひとりの旅に更なる悲しみを覚えながらも、ただ黙々と、クアトリーへ。 何度目かの朝を迎え、軽い朝食を取った後に地図と方角を慎重に調べ、そして歩き始める。 そうして、そろそろ昼を過ぎたかという時刻。 「……あと、少しね」 小さな呟きが、もれる。 やや黄ばんできたターバンがわりの布をずらし、先へと視線を延ばす。その先で、途中で道を誤っていなければクアトリーが望めるはずだ。 そして、しばらく前から時折地面に轍(わだち)と人の足跡が見えるようになって来た。 それを見れば道を間違っている可能性は低いし、おそらく今日中といわず、後1時間程度でクアトリーに辿り着けるだろう。 あとは歩くだけ。まっすぐ前を見て。 零れた笑みは、その感情の色をうかがわせることもなく。 風に流された髪を手ではらいのけ、再び足を進めた時。 ドク……ッン 「――っ?!」 不意に、身体を流れる血潮が――“何か”がざわめいた。 リリスの奥深くに眠る、大きなもの。それが共鳴するように一度だけ、力強く鳴動した。 「これは……まさか……」 トクトクと早いペースで鼓動を繰り返す胸をぎゅっと押さえつけ、懐かしい、けれど恐れさえ抱かせるその“何か”を感じた心を、そっと研ぎ澄ます。 何が、彼女を呼んだのか。何と共鳴し、何と呼びあったのか。 かたく瞑った目の奥に、ちらちらと紅いものが瞬いた。 自分を中心とした黒い闇。そこからさらに意識を広げると、リリスの正面にあたる場所に、大きな紅い色があることに気付いた。それはまだ遠く、その光も小さく見えるけれど。 (ここから……かなり、近い。嘘みたいだけど、間違いない。間違えるはずがない。誰かが、大きな力を使ってる……この間と同じくらい、ものすごく大きな力を) つい先日も感じた、それ。 リリスは知るよしもないが、折りしもそれはちょうど、シェルジェでの異変の時の事。 その事は当然知らないけれど、その時の感覚だけはしっかりと脳裏に焼きついている。間違いようもないほど、今感じたものと全く同じ力を。 そして、それの意味する事は。 彼女の持つ力と共鳴するほど大きく、そして“それ”を感じられる力を持つ者。 青ざめた表情のままリリスはさっと顔を上げ、遠くを見つめた。 「そんな……それとも……そう、なの……?」 くちびるが小さく震えている。 アレが、近くにいるのだろうか。もう、目覚めて動き出したというのだろうか。 予想していたよりもずっと早い。完全な回復にはもっと時間がかかると思っていたのに。それとも、まだ完全には回復していないのだろうか? ならば、何故今動くのだろう? ふっと。そこまで考えて、リリスは目を見開いた。 ここから近い場所、そして――今、力を使うことに意味があるところがあるとすれば。 アレが好むもの。不足している力。その、望んでいる事。 「クアトリーが、危ない……っ?!」 すっかり血の気の引いた表情で小さく呟き、リリスはすぐに表情を引き締めるとすぐさま駆け出して行った。 確かに感じたものを、追うようにして。 ***** 「やっぱり……!」 走り出してから、有に小一時間。 リリスは道中ずっと走り通してきていた。 テレポートジェムを持っていないわけでもないが、あえて使わなかった。 クアトリーを鮮明にイメージできる自信が無かった事もあるが、一番彼女が懸念したのは移動後の『場』が乱れているだろう事を思っての事だ。 あまり一般には知られていないようだが、移動した後の場所が火事や地震、戦いなどのあった所だとテレポートが失敗する可能性がひどく高くなるのだ。そして失敗すれば、どこに飛ばされるか想像も出来ない。 知らない場所というだけならまだいいが、海や火の中ならどうしようもなく、果ては土や建造物と転送場所が重なれば、待っているのは――運が良くて、死。大抵はその辺り一帯を巻き込んだ大爆発となる。 必ずしもクアトリーに“何か”が起きているとは限らない。けれど、リリスは自身の予感を疑わなかった。 走り通した分時間は浪費してしまったが、テレポートに賭けるよりもマシ、とリリスは判断した。 クアトリーの街並みが見え出すと同時に、街からたちのぼる煙も目に入るようになって来た。 ここを出る時にあった街並みは、けれど今は燃え上がる炎と煙とで覆われている。 街から馬車などにのって逃れてくる人々も、多くなって来た。 遅れたか、という思い。 まだ始まってない、という予感。 どちらを信じていいのかもわからないまま、リリスはスピードをゆるめずにそのまま街へと駆け込んで行った。 「ああ……!」 街での様子は、ある意味予想通りといえるものだった。 壊された家屋、炭化した馬車、倒れた人や馬の死体……意識せずとも、かつての故郷の姿を思い出させる情景。 ただ幸いだったのは、それらのほとんどが終わっている事だった。 街を焼いた炎のほとんどが沈静化され、モンスターの姿もほとんど見られない。倒れた人の姿も少なくは無いが、無事だった人々がそれを悼み、怪我人を労わっている。 自身を襲った恐怖より、今ある悲しみを感じられるなら、それは自体が収まり冷静さが戻ってきた証だから。 「よかった……ううん、よくはないけど……でも、アイツはどこへ――」 「うわああぁぁっ!」 ほっと安堵の吐息をもらし、訝しげに辺りを見回したリリスの声にかぶせるようにして、突然そんな悲鳴が響き渡った。 驚いて振り返れば、真っ青な顔をした男がこちらに走ってくるところだった。 何かに襲われたのか、その二の腕は鮮やかな鮮血で濡れている。それを見て、近くにいた人々が小さな悲鳴を洩らしたのが聞こえた。 「たす、助けてくれ……」 「大丈夫!?」 倒れこむようにして座りこんだその男にかけよって、リリスはそっとその肩に手を置いた。 怪我はしているようだったが、命に別状は無いだろう。それにわずかにほっとしつつも、すぐに厳しい表情を取り戻し、顔を覗きこむ。 男はまだ恐怖にかられ、ひきつった表情を浮かべている。リリスはその肩に手を置き、やや乱暴なしぐさで男をゆさぶった。 「何があったの? どこにモンスターが出たの?」 「あ、ああ……」 静かな口調で問い掛けるリリスに、男はわずかに落ち着きを取り戻したらしい。 しきりにツバを飲み込みながら、 「モンスターが……橋の向こう側だ。まだ、残ってやがったッ!」 「わかった! なんとかするから、絶対に向こうに人を来させないでよ!」 「な、なんとかするって……おい、ちょっと!?」 そう言いきるとリリスは立ち上がり、近くに寄って来た人々に男を託すと後ろからかけられた声に答えず、そのまま躊躇うことなく橋へと走り出した。 「何する気だ!? 危ないぞ!」 「大丈夫だから、こっちに来ないでね!」 驚いたような声に、笑顔と共にかける声。 それは、決して止まることなどありえないのだという証拠。 リリスはまっすぐ前を向き、街の中央に位置する巨大な橋へ――そして、その向こう側へと駆けて行った。 ***** 橋の反対側は、かなり酷い被害を受けていた。 火事もさることながら、モンスターの数が多かったのか……いたるところに、血を流して倒れた人影が目に映る。 むっとする血臭。焼け焦げたにおい。 リリスはそれにわずかに眉をしかめ、生存者がいないかと辺りを見回した。 橋の手前でうずくまっていた人々は、すでに橋を渡るように声をかけてある。後は、このあたりに残っている人がいないかを探すだけだ。 モンスターがいるらしいと聞いている以上、できるだけ早くそれを見つけて―― 「ぎゃあああぁぁっ!」 「あっち!?」 突如、大きな悲鳴があたりに響き渡る。 それを聞いた途端にリリスはその声のした方へと走り出した。 (お願い……間に合って!) 気配はしなかった。煙や血のにおいなどで感覚がにぶっていた分をさしひいても、リリスにそれを気取らせなかったなら、それはかなりの力を持っている可能性がある。 そして、悲鳴が聞こえたということは襲われたということ。そして、悲鳴が聞こえてからでは遅いのだ。 声が聞こえたのはそうはなれていないところのはず。 リリスはそう願いながらまだ原型を留めている家を回りこみ、その裏手へと回りこんだ。 牙を剥く緑色の異形。そして、襲われている一人の若い男の姿。 それを一瞬で見取るなり、リリスは躊躇わずに腕を振るった。 「――はっ! ひゅん、と小さなナイフのひとつを異形の背へと投げつける。それは狙いを違わず背中へと突き刺さり、異形のモンスターはビク、と身体を一瞬大きく振るわせてゆっくりと振り返る。 動かした腕。その鋭い爪で切り裂こうとしたのだろう。だが――遅い。 ソレが振り返る前に、リリスはすでに肉薄していた。そして、そのまま躊躇わずに腰にさしていた短剣で、躊躇うこと無くその首へと渾身の一撃を叩きこむ! 「ぎゅぁああああああああっ!」 (しまった……浅い!?) 致命傷となるはずのその一撃は、しかし若干浅く、その命を奪うまでには至らない。逆に、その痛みでモンスターは身を振るわせ、明らかな怒りを露わにしてリリスへと向き直った。 一撃と放つと同時に跳び、間合いを取ったリリスにじりじりとにじり寄る、ソレ。 緑色の体躯。長く伸びた手足。明らかな知性を持つ、その目。 間違いなく、それは――プロトブレイザーと呼ばれたもの。人から作られた、異形。 何故、と問うこともせず、リリスはそのまま短剣を逆手に構える。 グルゥ、と小さく呻き声を上げ、ゆっくりと上体を屈みこませて鋭い爪を構えるプロトブレイザー。 先ほどは油断していた所だったからよかったが、これではそうもいかない。同じように剣で倒そうと思うなら、普通の渡り鳥ではかなり苦戦するだろう。 プロトブレイザーは、普通のモンスターとは比べ物にならないほどの力を秘めている。スピード、反射神経共に。何より、人から作られたソレを前にして冷静に戦えるものは少ない。 だが、リリスはそれを知っている。知っているからこそ、躊躇うようなことはない。躊躇う必要も、ない。 そして。 『可哀想だとは思うけど……手加減は、しない』 故郷の言葉で小さく呟いてから一瞬だけ、さきほど襲われていた青年へと視線を向ける。 彼はわずかだが、モンスターから身を離している。大怪我をしているようだが、それでもなんとか身動きができたらしい。 プロトブレイザーと青年との間のわずかな距離。だが、これなら。 緊張を解き、ゆっくりと短剣を下ろしてだらん、と脇に下げて見せる。 それを見て、躊躇なく跳びかかってきたプロトブレイザーを、リリスはじっと見つめた。 鋭い爪が彼女を貫く、その刹那。 『ごめんね』 ゴウッ! 「ひゃああぁっ!」 リリスが小さく呟くと同時に、跳びかかってきたモンスターの体が一瞬にして灼熱の炎に包まれる。その勢いに吹き飛ばされるようにして、その体躯は背後の壁へと叩きつけられた。 驚きの声を上げた青年の前で、その炎は一瞬高く燃え上がった後、幻だったかのように一瞬で収まり、消える。後にはわずかな燃えカスだけが、その存在を主張するかのように微かな音をたてていた。 「な、何なんだ……今のは」 恐れを含んだ青年の呟きに、リリスは少しだけ視線を落とした。 後悔するわけではないし、力を使うことに躊躇いもなかった。けれど。 この世界では存在しない、そして誰も見たことのなかった強大な力を見て恐れを抱く青年の姿に、少しだけ、悲しみを感じた。 未知なるもの、そして強大なものを見て恐れを抱くのは当然のこと。だから、怒りは感じない。当たり前だとわかっているから、否定もしない。 そして、ほんの数年前に彼らを襲った災厄は炎を纏った魔人の起こしたこと。それゆえに、この星に住む人々の多くが“炎”を恐れるようになっている。魔法の炎でさえ、厭う。 だから、リリスの生み出した炎を――魔法では在り得ない、その力を――目にして恐れたからと言って、リリスには彼を責められない。 それに、彼がこの力に恐怖を覚えるのもある意味正しいことではある。 所詮、あの程度のものでは彼女の相手にはならない。彼女が本気になれば、この街とて一瞬で燃え尽きる。当然過ぎるほどに、今以上の惨劇になる。 それだけの力を、リリスは持っているのだから。 ――そして、“アレ”もまた、同じ。 「……もう、大丈夫。……怪我は?」 「ひっ!」 小さく言ったリリスに、青年は息を呑んで後ろに下がる。それを見て、近付きかけていたリリスはぴたっと動きを止めた。 カタカタと震える青年に溜息を落とし、リリスは無言のまま短剣を鞘に収めた。腰のポーチから小さな果実を取り出し、放る。それは弧を描いて震え続ける青年の足元に落ちていった。 「わっ!?」 「ただのベリーだよ。……それがあれば少しは動けるでしょう? 橋の向こう側は安全だから、そっちへ行くといいよ。この辺りにはもうモンスターはいないけど、まだ危険かもしれないから」 驚き、怯えを含んだ声に溜息混じりの言葉を投げかける。 そしてそれだけ言うと、リリスは後ろを振り返らずに歩き出した。青年がそれを受け取ったかも確かめること無く、まっすぐに。 ***** 小さく、くちびるを噛んだ。 本当を言えば、少しだけ悔しい。 しょうがないとわかっていても、自分の感情を完全に押さえられない。しょうがないのだと、割り切ることができない。だからリリスはきつく手を握り締めることで、その想いを抑さえた。 それからわずかにはなれた場所で、リリスは足を止めた。 零れた溜息にはたくさんの思いが溢れているけど、でも、その中で一番強い想いは。 「……助けられて、よかった……」 「――おい、リリス!」 呟いたリリスに被せるようにかけられた声に、リリスは驚いて後ろを振り返った。 そこには、いつか見たことのある、青年の姿。 また、と言って別れたその人。暖かな、記憶。 フラッシュバックするそれにわずかに目をまたたき、リリスは驚きに口を開いた。 「あ――あの時の、御者のお兄さん!」 そこにいたのは、エレンシアからリリスとトニー達を馬車で送ってくれた、あの青年だった。 嬉しそうな表情を浮かべる青年に、リリスもまた喜色と驚きとを浮かべて走りよる。 どう口を開こうかと迷ううちに、目の前で立ち止まった青年が先に口を開いた。 「ああ、やっぱり! なんか見たことある姿だなと思ったんだが……まだ、ここにいたのか? 無事だったみたいだが……」 「まぁ、ええと、ちょっと。とりあえず怪我はないけど……大丈夫ですか?」 そう問い掛けたのは、笑顔で経っている青年の額にすすけた包帯が巻いてあったから。こめかみのあたりから、わずかに血がにじんでいる。 ああ、と呟いて彼はそれに手をやり、照れたように笑ってみせる。 「ちょっとぶつけただけだよ。運がよかったんだ。モンスターに襲われかけたところをARMSに助けてもらって」 ドクン、と高鳴る鼓動。 背筋を流れるイヤな汗に、先ほどまで感じていた予感が、ゆっくりと甦ってくる。 「ARMS、が……?」 「ああ。ちょっと前だけど、ARMSが来てくれて。モンスターも彼らが倒してくれたんだ。その後、なんか大事な用があるとかいってエレンシアの方へ向かって行ったけど……」 なんでだろうな、と小さく言う青年の言葉が頭を通りぬけていく。 ドクドクと激しくなる心臓の音に、リリスはぎゅっと身体を抱き締めた。 ――なぜ、忘れていたんだろう。 ここにアイツがいたのは間違いない。プロトレイザーがいたのがその証拠だろう。なのに、その姿はどこにもない。 こんな中途半端で、アレが姿を消すだろうか? そして、現れたARMS。彼らはエレンシアへと向かったという。――何故? 答えは、決まっている。 「でも、ほんと助かったな。おかげでクアトリーは救われた。やっぱりARMSは英雄なんだ!」 「――違う。彼らはそんなもの、望んでなかった」 「え? 今、なんて」 小さく吐き捨てた呟きを聞き漏らし、青年は不思議そうな顔をしてリリスを見下ろした。 問い返す青年に答えぬまま、リリスは小さく首をふってみせる。 巻きこむ訳には、いかない。 たった数日の旅。話したこともわずかの、浅い付き合いだったけど。それでも、暖かな気持ちを分けてもらったことが、何よりも嬉しかったから。嬉しいと思えたから。 「なんでもないです。私、行かなきゃいけないから……これで」 「は?」 「橋の向こう側に、みんな集まってる。ここはまだ火があるから、そっちへ行ったほうがいいですよ。まだ何が起きるかわからないから、気を付けて」 「え、おい……リリス?」 「逢えて嬉しかったです。……じゃあ」 「おい!?」 畳み掛けるように言い、軽く頭を下げて青年の顔を見ないまま、リリスは走り出した。 どうか追いかけてこないで、という彼女の願いはどうやら届いたらしい。彼は追って来ることは無かった。 かわりのように後から響いた声を無視して、そのまま適当に走って街の外へと飛び出す。 先に行ったARMSとの差は、かなり開いているだろう。彼らが向かった場所も、エレンシアの方角という事以外はわからない。 「このままじゃ、間に合わない……どうしたら……」 街から少し離れた場所で足を止め、胸を焦がす焦燥と共に空を見上げ。 そして。 身体を揺さ振るほどの恐ろしい予感がリリスを支配する。 そしてそれと同時にそれを見て、それを感じた。 「――――ッ!!!!!」 見上げた空の先。エレンシアのある方角に咲く、大きな紅い光。それは空高く舞い上がり、花開くように消えていく。 音は、聞こえなかった。聞こえたはずの衝撃音は、自分の鼓動がかき消してしまった。 うるさいほどの自分の鼓動の音がガンガン頭に打ち鳴らされ、目の前が真っ暗になろうとする。 「……そんな……」 もう、間違え様が無い。 この目で見たもの。そして、感じた力。 眠っているのだと、信じたかったのかもしれない。まだ、大丈夫なのだと。 だが、それももう終わりだ。それを目の前でまざまざと見せ付けられた。 それも、最悪の結果で。 「……災厄の、始まり……」 あれは、始まりの合図。 もう、引き返せないと。引き返すつもりもないのだと。 それを他の誰でもない、リリスに知らしめるためだけにあげた、悲劇の幕開けとなるもの。 それを誰よりもリリスが理解するだろう事も、わかっていて。 (……終わらせる) 心で呟いただけでは、足りない。ならば。 「もう、終わらせてみせる。絶対に。この手で、すべてを終わらせる」 再び同じ言葉を口に出し、リリスは小さな緑色の石を握り締めた。 ゆっくりと強い輝きを放ち出すそれに、リリスは脳内にひとつのイメージを気付き上げる。鮮明なそれは、彼女の知っているエレンシアの姿。 このままではテレポートは失敗するだろう。恐らく、エレンシアはもうリリスの知っている姿とは異っているはずだから。それを、知っているから。 だが、失敗など関係無い。そこへ行くというその強い意思のみが今、彼女に必要なもの。 テレポートジェムに、自分の持つ魔力をも注いでリリスはまっすぐに前を見つめた。 そこにあるものを、見失わないように。 そして、彼女は緑の光に包まれ、姿を消した。 |