アレが現れたと聞いた時、自分は何を思っただろう。
 恐ろしいと、ただ漠然とそう思っていただけではなく。
 きっと、わかっていた。
 目には見えない、心の何処か奥深い場所で。
 失うのだと、喪ってしまうのだということを。
 知っていて、それを理解しようとしなかった。
 だから、奪われてしまうのだということを、おぼろげにわかったのだろう。
 『長』たちに言われるまま繋いだ手を、強く強く握り締めていた。
 そうすれば、いいのだと。
 そうしていれば、いいのだと。
 疑うことも、思うことさえしなかった。
 逃げることは生き延びることだから。
 それがあたりまえだと信じて、そして。
 かたく繋いだはずの手を振り払われた時、やっとわかった。
 それでは、駄目だったんだと言うことに。
 自分と彼女の道は、別たれてしまったのだと。
 生き延びることよりも、守ることを望んだ彼女と。
 戦うことよりも、逃げ延びることを選んだ自分と。
 ただ一度の離別は、永遠のものとなる。
 でも、決してそれを認められずにこうして惨めに歩み続けている。
 諦めきれず、あるかもわからない希望を信じて。
 二人の進む道が、再び交わることのできるように。
 何よりも愛しい少女を、再びこの腕にかき抱けるように……




新たなる出会い それを目にするため 我らは往く 血塗られた果て無き道を――
第47話 交差する出会い(5)




「なんっ……こと、を……っ!」
「ひどいっ……」
 鋭く飲み込んだ声は、確かな音になる前にかすれて消える。
 ティムとリルカは涙を浮かべて悲鳴をこらえ、アシュレーはきつく、くちびるを噛締める。カノンは今にも飛び出しそうな表情を浮かべ、普段最も冷静なブラッドとマリアベルでさえ、その怒りを露わにしている。
 それぞれの反応を見せる彼らの様子に、イルダーナフは笑って見せた。
 その笑みは、決して揺るがぬ強固な想いと、己に対する自信を持つものだけが浮かべられる笑み。そして、それは歪んだ喜びと愉しみを纏っていた。
「何を驚く? 何を厭う? 人が死に、炎に包まれる様など初めてではないだろう?」
「――ッ!」
 その言葉に湧き上る怒りを押さえつけるアシュレーに、熱を孕んだ風が吹き付ける。
 エレンシアという名の小さな集落を焼いた炎は、もうすでに跡形もなく。ただ、その跡地には焼け焦げた木の残骸と強い熱に溶けて形をなくした岩がわずかに残っているのみ。
 今ではもう、そこが人の生活していた場所であった痕跡などひとつも残っておらず、まして、生存者も――そしてその遺骸すら、見つけることは叶わないだろう。人が焼けるにおい、それすらも強い炎に飲みこまれて消え失せた。ここで人が死んだなどと、到底信じられない。
 それほどの炎であったにも関わらず、派手な爆発音や大きな熱風はない。それは、その力がより純粋な“炎”であり、そしてすべてを“燃やした”だけに過ぎないということ。それも、一瞬で。それとも“蒸発”した、というのが正しいのだろうか。
 あたりに漂う熱だけが、それらの事実を彼らに知らしめる。
 アシュレーは強い怒りを感じながらきつく銃剣の柄をにぎり、そしてそれを解き放った。他のみんなの視線を感じながらもそれを振り返ることなく、ただ目の前の者を見据える。
 今、抜き身の剣を握った彼にあるのは溢れんばかりの怒り。そして、深い憎しみ。
 それをはっきりとアシュレーの眼差しから見取ると、イルダーナフはよりいっそう楽しげに顔を歪めた。
 あふれ出る負の感情。無言の中で突きつけられる憎しみが心地よいものとなって彼を癒し、わずかずつながらも『力』となって体内を循環していく。
「どうした? 戦いを望んでないと言ったのは、そちらだろう?」
「……望まないさ……でも、戦わなければ終わらないというんだろう?」
「私が望み、お前達は望まない。決して両者の想いが交わらなければ、それが対立するのは当然の摂理だとは想わんか?」
 抜き放った銃剣を持つアシュレーに、イルダーナフは楽しそうな口調で告げる。
  ぎり、と奥歯を噛締めた音が聞こえた気がして、リルカはゆっくりと顔を上げた。
 躊躇う事もなく人を殺し――もしかしたら、殺したという意識もないのかもしれない――それでいて、愉しそうな笑みを浮かべているイルダーナフが、許せなかった。
 3年前にも感じた、強い怒り。けれど、それとはまた違う種類の怒りが胸の内から溢れてくる。
「わたしたちと戦うためだけに、あんなひどい事をしたっていうの……?」
 その言葉に、イルダーナフは軽く眉を跳ね上げて見せた。
 ひどい事、と小さく呟いてからああ、と思い当たったかのように、
「思い切るために必要なきっかけを作ったつもりなのだが?」
「それだけのために、罪のない人達を殺したっていうんですかッ!?」
「それだけ、というのは若干心外ではあるがな」
 ふざけたような不思議そうな表情で言うイルダーナフに向け、鋭い声で問い掛けるティム。それに頷きと言葉を返し、軽く右手を動かす。すると、例え様のない“何か”がその手にまとわりつく。
 赤とも黒とも言えない色のそれは、ゆったりとした動きでイルダーナフの右の手のひらを包み、広がる。
 それを見たカノンは無言のままざっと構える。今すぐにでも跳びかかるような気迫を見せながら、寸前で動きを止めている。マリアベルもまた、アカとアオを静かに前方へと飛ばした。
 すぐにでも戦おうとしている二人を横目で見ながら、
「ここで戦って、全てが終わると?」
「さぁ? 上手くここで私を滅ぼすことができれば、そうなるかもしれんが」
「倒されるつもりはない、と言うことか。……ならば何故、今ここで戦うことを望む?」
 ブラッドの言葉に、イルダーナフは若干苛立たしそうな色を浮かべた。腹立たしい、何か不愉快な想いを感じたかのような。
 軽く持ち上げた右手を強く握り締めると、それに包まれた“何か”はあっさりと握りつぶされた。霧のように薄れ、そして消えていく。すると、すぐに同じようなものがうまれ、再びその手のひらを包み込んだ。
 そんなイルダーナフの様子をみて、ブラッドは小さく確信した。
(あいつは間違いなく、苛立っている。だが、何故だ? ここで戦うことが本意ではないということか? ならば、それは戦いを望んだという言葉と矛盾している……)
 この場所でイルダーナフと合った時から感じていた違和感。それが勘違いなどではなく、確かなものなのだと知り、ブラッドはさらなる困惑に眉をしかめた。
 アシュレーたちはそんな両者を見て、怒りを浮かべた中でも戸惑ったかのような表情を浮かべていた。
 それに気付いたイルダーナフは、
「……さぁな」
 つまらなそうに言い捨て、それから思い直したかのようにわずかに目を細める。
「小手調べ、とでも言おうか。そろそろ戦って様子も見たかったことだからな。それにはARMSが一番相応しいと思ってな。他では遊びにもならん。それに、恨みもなくはない」
「恨み……?」
 小手調べ、という単語にカノンははっきりと「面白くない」と顔に出す。だが、そのすぐ後の言葉に疑問を抱き、小さく問い返す。
「恨みとはなんだ? あたしたちにはお前に恨まれるような覚えはない」
「こっちも言うつもりはないがな。それでもお気に召さないのなら、本当のことでも言おうか?」
 冷めた眼差しが、じっとアシュレーを、リルカをティムをブラッドを、全員を射抜いていく。なのに、その瞳は燃え盛る炎にも似た紅を纏っている。
 ティムにはそれが少しだけ、不思議に感じた。
 相反するその瞳が、どうしてか気になる。強い違和感がティムを揺さぶる。
 これは、いったい何なのだろう。強い力を感じるのに、それが何かはわからない。けれど、確かに感じるのだ。間違いようのない、確かな……違和感。
 イルダーナフはわずかに目を和ませ、口開く。
「予感がしたのだ」
「予感……?」
「そう。予感だ。もしかしたら、と思ってな。……不服か?」
 ひどく、曖昧ないい方だった。
 柔らかく見えた眼差しはすぐに消え失せ、かわりに面白がっているかのような眼差しがのぞく。
 ちらり、と霞をまとう手に視線をめぐらせ、すぐにそらす。そしてイルダーナフはアシュレーをまっすぐに見据えた。
 その途端、見えない空気のようなものがあたりを取り囲んだ。
 ビリビリと震えるほどのそれは殺気とも呼べるもの。そしてそれが現れた瞬間、彼らもまた覚悟を決めた。
 かたく手にしたそれぞれの武器。構えた身体は強い緊張に包まれる。
「いい加減、終わりにするとしよう。……まずは」

 バウゥンッ!

 イルダーナフの言葉と全く同時に、強い炎が立ちこめる。強い風にも似たそれは重い衝撃となって辺りを吹き荒れ、彼の隣にあった噴水らしき残骸が消し飛ぶ。
 それだけでなく、彼らのいた広場のような場所にあった幾つかの大きな岩や何かの残骸も、同じように炎に包まれ、燃え尽き……あるいは衝撃に吹き飛ばされる。
 ただ片手を軽く上げ、佇むだけでそれを成したイルダーナフに、アシュレー達はより一層強い緊張を感じた。
 それを受け、イルダーナフはにやりと笑みを浮かべる。
「これで、より戦いやすくなっただろう? かかってくるといい。遠慮はいらない」
「ああ……遠慮なんてしない。必要ない。今ここで、倒してみせる!」
 アシュレーは言い切り、まっすぐにイルダーナフをみすえ。
 そして、戦いが始まった。


*****


 リルカとティムの魔法が飛び、マリアベルのレッドパワーが走り、ブラッドのアームが大地をえぐり、カノンとアシュレーの一撃がイルダーナフに向けて放たれる。
 流れるような見事な連携プレイ。重く、威力の高いそれらの攻撃。それは間違いなくこの世界でも最高レベルのもの。世界を滅ぼさんとしたものさえも葬った力。
 なのに、イルダーナフはそれらARMSの渾身の攻撃のすべてを一つ残らず受け流し、あるいは無効化してしまう。
 軽くかざした手のひらから生み出された、暗い炎に飲み込まれて。
 イルダーナフの使う炎にわずかなデジャ・ヴュを感じながら、彼らは戦う続ける。
 アシュレー達の放つ攻撃の全ては効かず、なのにイルダーナフの放つ衝撃刃や炎は狙い違わず彼らを吹き飛ばし、斬り付け、焼き焦がす。
 それの繰り返しだった。
「そんな……」
 アシュレーは少し下がり、荒くなった呼吸を整えながらも強く口唇を噛締めた。
 正直、予想もしていなかった。
 この世界の“最強”と呼ばれるものに名を連ねる彼らが、まったく歯が立たないのだ。
 繰り返し与える攻撃と、与えられる反撃によって彼らは一様にひどく消耗し、みんな荒い息を洩らしている。アシュレーとブラッドの残りの弾丸も少なくなり、リルカとティムも続けざまに魔法を放った事により残りの魔力も限りなく少ない。マリアベルはまだ余力を残しているようだが、彼女は完全な決め手にはなり得ないだろう。
 望みになりえそうなカノンは、今も続けてイルダーナフに向かっていっている。けれどそんな彼女こそ一番ひどい怪我をおっている。
(これほどまでに、アイツは強いというのか……? それとも、僕が弱くなったというのか!?)
 信じられないほどの実力差。
 マリアベルはブラッド、そしてカノンは3年前とあまり変わりはないだろう。そしてリルカは明らかに3年前よりも力を増している。それでもなお、彼らは勝てない。
 そして、アシュレーはロードブレイザーとアガートラームを失い、ティムもまたガーディアンの力を使えなくなっているから。
 失った力。だが、勝てない原因はそれだけではない。
 イルダーナフが、強すぎるのだ。おそらくは、最後に戦った時のロードブレイザーよりも。
「クッ……!!」
「どうした? お前達の力は、この程度のものだったのか?」
 苛立ちを含むというよりもつまらなそうな口調で、カノンを軽々と吹き飛ばしたイルダーナフは呟く。
 辺りには凄惨な戦いのあとが残っている。抉られ、焼け焦げた大地にひとり静かに佇むイルダーナフに対峙するアシュレーたちを見据えるその眼差しは、先ほどとほとんど代わらない。
 冷たいのに、熱い色を宿す瞳。
「確かに、今の私とここまで張り合えるのはお前達くらいのものだろう……だが、ガーディアンブレードとガーディアンの力を失っただけでこれとはな」
 ティムの放った水の弾丸を片手で軽く打ち消し、軽蔑の眼差しで彼らをゆっくりと見つめていく。
 ゆらりと立ちのぼる静かな殺気が、次第に気だるいものへと変化していく。
「……つまらんな」
「このぉ――ッ!!」
 リルカがありったけの魔力を込めて放った、氷の上位魔法。その圧倒的な氷の槍を視線だけで生み出した炎で溶かし、そして驚きに目を瞠ったリルカへと視線を向ける。
 ドクン、とわけもなく高鳴った鼓動に、アシュレーははっと息を飲んだ。
 いつかも感じたことのある、それは。
「リルカ、危ない!」
「――消えろ」
 アシュレーが口を開いたのと、イルダーナフが口開いたのとはまったくの同時だった。
 その声にはっとして、誰もが身を構えた。その刹那。
 ドゥン、と激しい炎に包まれ、リルカは悲鳴一つ上げる間もなく吹き飛ばされた。
 黒い煙に包まれ、広場の端にある大きな瓦礫に大きな音を立て、追突する。小さく身動ぎ、そのままリルカはピクリともしない。手足を投げ出し、握っていたパラソルは力なく手元から転がり落ちる。
 彼女の着ている服のいたるところから黒く細い煙が立ちのぼり、剥き出しの腕や足には酷い火傷が見え隠れしている。
「リルカッ!」
「ティム、リルカを!」
「はいっ!」
 舌打ちをするアリアベル。ブラッドは素早くティムに指示を飛ばし、それを受けてティムはリルカの元へと向かう。カノンは無言で、けれど今まで以上の迫力をもって構えを取る。
 そんな彼らを尻目に、アシュレーとイルダーナフは静かに視線を交わしていた。
 怒りを込めたアシュレーの眼差しと、冷たい色を持つイルダーナフの眼差し。
「よくもリルカを……!」
「……くだらん」
 アシュレーの怒りの込められた眼差しをさらりと無視し、イルダーナフは一言呟いてその両手を前へと差し出した。
 音もなく両手の間の空間が歪んだかと思うと、そこに紅く、強く揺らめくものが現れる。それは見る間に膨張し、深い色を抱いていく。
 禍々しい、闇にも似た暗く澱んだ焔。
 それは、イルダーナフの瞳と同じ色を抱いている。深く、そして、強く。
 それは見る者すべてになんともいえない恐れを抱かせ。言いようのない不安を与える。
「まずい! アシュレー、あれを止めるのじゃ!」
「わかってる! カノン!」
「いくぞッ!」
「……遅い」
 アシュレーとカノンが走り出し、ブラッドの弾丸が届くその前に。
 イルダーナフの手から離れた焔は高く空へと舞い上がり、そして大きな火球へと姿を変える。
 何倍もの大きさに瞬時にして成長した炎は、ゆらり、と空中で揺らめいて……まっすぐにアシュレー達へと降り注ぐ。いつか見た力と、まったく同じ“焔”が。
「――――ッ!!!!」
 誰もが、死を恐怖した。紅い焔を。それに包まれる己を。
 そして、まっすぐに空を見つめていたアシュレーは、確かにそれを見た。
 恐ろしく凶暴で、残酷なまでに無慈悲な焔が彼らに降りかかる直前、彼らを守るように柔らかな何かが現われ、焔を遮り打ち消すのを。
 ふわりと音もなく光が現われ、アシュレーたちの身体を包み込む。それと同時に巨大な焔の前に赤い色の光が現われ、相殺し、打ち消す。
「な……」
「そんな……」
 わずかな熱さえも伝えることなく、それは焔を妨げゆらり、とゆらめいて静かに色を失う。
 結界のようなものだろうか、と呆然と考えるアシュレーの口から、ぽろっと言葉が零れおちる。
「今のは……いったい、何が……」
 隣に立っていたカノンも、驚きに目を瞬きながらも静かにかぶりを振る。誰もが驚き、呆然としている。頭をかばった腕を下ろしながら、戸惑ったようにあたりを見回す。
 そして、彼らを殺そうと――焔に包もうとした、その本人へと視線をうつす。
「これは……まさか……」
 しかし、イルダーナフもまた、自身の力を阻んだものに驚きの表情を浮かべていた。
 もしかすれば、それは彼ら以上に大きな驚きで。信じられないと、その目が語っていた。
 自分自身の放った力を知っているからこそ。それを阻むことができるということに、そしてそれができるという人物がいるということを知るからこそ。
 ――そして。


『――――イルド!!!』


 聞いたことの無い声が、聞いたことの無い音で、鋭く彼らの耳を打ちすえる。
 背後から届いたその声に、誰よりも大きく身を震わせて。イルダーナフが、ゆっくりと振り向く。
 その瞬間に見えたあまりにも大袈裟な驚愕の表情にわずかな疑問を抱きながら、アシュレーたちもまた後ろを振り返った。
 さく、と砂を踏む軽い足音が止まるのと、彼らがその姿を捉えるのは全くの同時で。
 彼らの立つ、その場からわずかに離れた場所には。


 漆黒の髪と瞳を持つひとりの少女が、佇んでいた。




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