変わらぬまま、ずっと時を過ごしてきた。
 柔らかく暖かな日常を、幾度となくそれらを繰り返す事で訪れる平穏。
 それを抱き、微笑んでいた。
 手を伸ばせばいつだって、傍には『彼ら』がいた。
 かけがえのない友。
 少しずつ、少しずつ変わっていったものはある。
 けれど、それも好ましい変化でしかなく、痛みなどどこにもなかった。
 だから、それらがあるという事が、当たり前なのだと。
 そう、思い違えてしまった。
 もし、失ったことに罪があったとしたら、それこそが罪なのか。
 答えなどないまま、長い間、自問し続けた。
 答えなど、今も出ていないけれど。
 それでも、何度やり直しても、きっと自分は同じ道を行く。
 ならば、それはきっと変えようのないことだったのだろう。
 ――ただ。
 ただ、もしも再び手にすることができるなら、と……。
 そう想うことだけは、願うことだけはやめないでいようと想った。
 幼い頃に交わした、約束のために。
 あの時に手放した、暖かさのために。
 今ある、全てのもののために。




新たなる出会い それを目にするため 我らは往く 血塗られた果て無き道を――
第49話 交差する出会い(7)




 戸惑いと困惑を色濃く抱くアシュレー達に構うことなく、二人はただ、静かに向かいあっていた。
 リリスは構えた剣を目の前に立つイルダーナフへと向け、わずかに腰を落とす。
 イルダーナフは武器を持たぬまま、そっと広げるように右手を持ち上げる。
 乾いた空気の中、鋭いナイフのような気配が周囲を漂い――唐突にはじけた。
「――――ッ!」
 ザン、と砂を蹴ってリリスが勢いよく疾走する。身を屈め、迷うことなく目前の男へと直進。
 それと同じくして、イルダーナフもまたその手に黒い焔を呼び、纏いつかせる。


 衝撃は、同時。


「――くッ!」
 音にならない轟音が辺り一体に鳴り響き、それはただ見つめることしかできないアシュレー達を体の奥から震わせる。見えない衝撃は空気の膜となってぶわり、と彼らの体を強く押した。
 砂は巻き上がるもすぐに流れる風に飛ばされ、視界が晴れたそこには先ほどとは入れ違いになるかのような位置に立つ、二人の姿がみえる。
 アシュレーは気を失ったままのリルカに覆いかぶさるようにしながら、今しがた目撃したものにかつてない驚きと困惑を抱いていた。
(すごい……たった一瞬で、あれだけの攻撃を仕掛けるなんて!)
 今しがた目にしたものが信じられず、思わずアシュレーは小さくかぶりを振った。
 剣を手に駆けていく少女。焔を手にそれを待ち受けるイルダーナフ。
 目に見えず、けれど「同等の力を持った剣」を手にしたからこそ理解できる、強大な力の込められた剣をリリスは躊躇うことなくイルダーナフへと振り下ろし、そしてイルダーナフは「自分が持つのと同等の力」でありながら違う禍々しさを込めた焔でそれを防ぎ、そして離れた。
 言葉にすればただ一度の攻撃、ただ一度の防御に過ぎない。
 けれど、それは瞬きよりもわずかな瞬間に行われ、そしてそれぞれが込めた力は恐ろしいほどに強大。
 人の身など、わずかな痕跡、そのカケラすら残すことを許されぬほどに粉砕され消滅してしまうであろうほどのエネルギーが込められた力を、二人は扱ったのだ。
 互いの力はほぼ同等。ならば、互いに致命傷を与えることはできず相殺するに留まったのか。
 けれど、それでも完全には相殺しきれなかったのか、リリスは体の数箇所を黒い焔に焼かれているし、イルダーナフも左手の上腕の辺りを切り裂かれているのが見て取れた。
 そのまま、構えることなくじっとお互いを見詰め合う二人には、先ほど放った力の残滓などかけらも感じられない。けれど、だからといって恐怖まで感じた力は決して夢ではないのだ。
(どうして、僕は何もできない……ロードブレイザーの力が、アガートラームの力がなければ所詮僕には何もできないというのか?!)
 ぎゅ、と硬く握り締めたアシュレーのこぶしは、ゆっくりと血をにじませていく。
 それは、アシュレーだけでなくその場の誰一人として知ることのないまま、ゆっくりと時間をかけて不思議な無色の焔を纏い付かせていった。


*****


 小さく吐息を漏らし、リリスは剣を持つ手を僅かにゆるませた。
 先ほどの一撃は、二人にとって小手調べのようなものだったが――リリス自身は、その一撃に『小手調べ』とはかけ離れた威力を込めて放っていた。
 もちろん、初撃に全力を込めたわけではないがそれに限りなく近い、膨大な力を載せて放った一撃だった。致命傷とは行かないまでも、「あの空間」とは違うファルガイアでなら、それなりのダメージを食らうはずの。
 だが、それを弾かれた。
 目の前に対峙する男――イルダーナフには、明確なダメージを受けた様子はなかった。
 相殺するつもりで放ったのだろうイルダーナフの黒い焔は、けれどリリスの攻撃を相殺せできずにちょうど相反するように反発しあい、その余波が二人に多少の手傷を負わせる形となったのだ。
 しかしそれも致命傷どころか、傷とさえ呼ぶようなものではない。
 ちらり、とイルダーナフは予想していたよりも強力だったリリスの攻撃の余波に視線をやり、わずかに唇を歪ませた。
 隠し切れない、隠すつもりもない愉悦の、歓喜の色。
 それを見て取り、リリスもまた唇を笑みの形に歪めた。
 ……それに浮かんだ色は、イルダーナフとは違う想いを孕んでいたのだけれど。
 たった一度の攻防、そしてまた二人はわずかな距離をはさんで対峙したまま、静かに見詰め合った。
 その沈黙を最初に破ったのは、先と同じく、リリスだった。
 構えを解いてだらりと剣を下げた格好になると、ほんの一瞬だけアシュレー達の方へと視線を向け、
「改めて、聞いておくけど。――何故?」
 何時の間にか当事者から傍観者へと化し、リルカの手当てを行いながらただ二人を見つめていたアシュレー達は、リリスのその言葉にアシュレー達は幾度目かの驚愕に目を見張った。
 彼女の口にする言葉が、理解できる。
 それはつまり、彼女が先ほどとは違う、このファルガイアの言葉で話しているということだ。だがすぐにアシュレーだけでなく、マリアベルやブラッド、カノンは訝しげな表情を浮かべる。
 何故、わざわざ先ほどとは違う言葉で話すのだろう。自分達に会話を理解させるためとも思えるが、ならばなおさら、その理由がわからない。
 その戸惑いが伝わったのか、リリスは今度ははっきりと彼らに視線を向け、また目の前の男へと目を戻した。
 リリスの突然の言葉にイルダーナフもまた、面白そうに目を瞬いた。
 興味を引かれたかのように、その手に纏いついていた黒い焔をわずかにゆるませ、その体を取り巻くようにしながら、
「……何故、とはどういうことだ?」
「理由はわかってる。でも、念のためっていうのと、あと……腑に落ちない」
「ほぅ?」
 いっそう楽しげに呟き、イルダーナフはわざとらしく首を振ってみせる。
 腕を組み、こちらも完全に戦う気を無くしたかのように、けれど黒い焔だけは消さないままでにやり、と笑った。
「何が腑に落ちない、と?」
「今、この時期を選んだということ。そして……彼らを呼んだ、その理由」
「……ッ」
 今度こそ、明確に自分達を指し示す言葉を口にしたリリスに、アシュレー達はわずかに息を呑んだ。
 これで、彼女がわざとアシュレー達にも理解できるよう言葉をかえたのだということがわかった。だが、肝心の二人の会話はあまりにも抽象的かつ主語を省いており、ほとんど理解できていなかった。
 それを彼らの表情から読み取り、けれどリリスは構うことなく、言葉を紡ぎつづける。
「何も今でなくても構わない。……ううん、まだ、完全に回復したわけではない今である必要など、どこにもない。……違う?」
「確かに。だが、それをわざわざ教えるとでも?」
「まさか」
 ひょい、と軽い動作で肩をすくめて見せる。
 警戒を解き、自然な態度で佇むリリスは戦う意志を完全に無くしたようで、けれどその瞳の中には先ほど以上に苛烈な色が湛えられている。
「でも、今戦うのは私にとってもあなたにとっても得策じゃない」
「なるほど、な。今のままでは私は目的を果たせず、お前もまた、全力を出せない」
 ちらりとアシュレー達に向けられる視線。その意味は明白だ。
 ――彼女は、僕らがいるから、全力で戦うことが出来ない。
 自分達の存在が枷になっているのを感じ取ったアシュレーはギリッと歯を食いしばり、さらに拳をにぎりしめる。爪がてのひらの皮膚を傷つけ、ゆっくりと荒野に零れ落ちていく――その前に、無色の焔に焼かれ、消える。
 音もなく成されるそれに、やはり誰一人気づくことなくそれは次第に熱を帯び、現実としての存在を濃くしていく。
 そんな中、二人の対峙は続く。
「それが、お前が腑に落ちないという理由か?」
「そう。是非とも答えて欲しいのだけど?」
「よかろう。答えはたいした事ではない。――その方が面白いからだ」


 ドクン、と何かが鳴り響き、ゆっくりと何かが壊れ――溶けていく。


 あっさりとした口調で呟く、その言葉にリリスは顔をしかめる。
 その言葉、その口調、全てに彼女だけが感じられる微かな違和感を感じた。イルダーナフの言葉に嘘はない。けれど、それは真実ではない。
 『イルダーナフ』にとっての真実 。。。。。。。。。。。。。であっても、『彼』自身での真実 。。。。。。。ではない。

 ――そんな、矛盾した違和感。
「…………」
「それに、もう一つ確認したいこともあったのでな」
「確認したい、こと?」
 楽しそうに言葉を紡ぐイルダーナフに、いぶかしげに眉をひそめ――リリスはすぐに何かに気づいたかのように目を見開くと、勢いよく振り向き口を開こうとし。
 それと、彼の焔が燃え上がったのが、同時だった。


*****


 面白い。その方が。
 ひとを傷つけ、殺し、大地を焼き、空を汚す、その行為が。
 震える手を掴むアシュレーの脳裏に、イルダーナフの言葉に触発されたかのように先ほど目にしてきた光景がよみがえる。
 ――燃え尽きた家屋、血を流し、傷みと悲しみに涙する人々。
 力はあったはず。なのに、助けることも出来ない。
 先ほども、自分の持てる全ての力でイルダーナフへと挑んだ。
 けれど、その結果はどうだ?
 相手にはわずかな傷を負わすことも出来ず、逆に自分達は追い詰められ、リルカも重症を負った。
 過去の自分より、今の自分が劣っているとは思えない。
 いくら戦闘から遠のいていたにしろ、日々の鍛錬を怠らなかった体は基礎的な能力でいえば間違いなく向上している。
 ならば、何が違うのか。
 ――美しく、そして力強い波動を持つ、ガーディアンの剣。
 かつて手にし、そして今は手放したそれ。
 それがなければ、自分は何もできないのだと。
 焔の魔人と戦ったのは、全て、アガートラームの力があったからだと。
 ……では、今の自分に、どのような意味があるというのだろう。
 かの剣がなければ、普通の人間と何も変わらないと。そう、声を大にして言われたのと同じ。


 刹那のうちに浮かび、消え去ったさまざまな感情と想い。
 それは、激しい『力』への渇望でもあり。
 アシュレーの中で抑えつづけていた、もう一つの『力』を抑えていた鎖が脆くも崩れ去った瞬間でもあった。


*****


「駄目ッ……!」
 リリスが声を上げるよりも一瞬早く、アシュレーの体から膨大な力を持つ焔が巻き起こった。
 それに吹き飛ばされるように、熱を持った風と焔が広がり、立ち上る。
「わぁッ!」
「ぐッ?!」
「……ッ」
「な、何事じゃッ?!」
 すぐ傍にいたブラッドは、突然すぐ隣にいたアシュレーから現れたそれに驚き、そしてほぼ反射的といってもいい動作で傷ついたリルカを抱え、大きく跳びずさった。
 見れば、カノンもティムを抱えてやや離れた場所におり、マリアベルもアカとアオに身を守らせるようにして後退している真っ最中だった。
 それに僅かに安堵しつつ、ブラッドは再び先ほどまで自分達がいた場所を、そこに佇むアシュレーへと視線を向けた。
 アシュレーは、先ほどまで浮かべていた焦りや怒りなどの全ての感情の消えた顔で、ただその場に立ちすくんでいる。――その体に、激しく燃え盛る焔を纏いつかせながら。
「しまった……」
 それを見て、リリスは悔しげに舌打ちした。
 彼が、その体に焔を操る力を秘めていたことを知っていた。アシュレーがそれを疎んじ、誰にも言わずに隠して「力」そのものを忘れようとしていたことも。
 知っていたにも関わらず、それを完全に失念していたのは明らかに彼女のミスだった。
 考えてみれば、すぐにわかることだった。
 イルダーナフは、かつて『遊び相手』として彼らを選び、そして間違いなく一度は彼らに――アシュレー自身によって倒されている。その彼に対し、イルダーナフが何らかの行動を起こさないわけがなかったのだ。
「私をおびき寄せたのは、カモフラージュだったわけね……」
 深い闇の色をもつ瞳を激しい怒りで燃え上がらせながら、リリスはイルダーナフを睨みつける。
 時に青く、時に赤く、そして時に焔を黒く染め、アシュレーはその焔に包まれたままただ立ちすくんでいた。
 その表情には何も浮かばず、瞳は空虚な色を湛えたまま、ただ、そこにある。
 それが、イルダーナフの望んでいたものだ。
「別にお前を隠れ蓑にしたつもりはない。むしろ、こちらの方がよほど『ついで』だが……まぁ、これも目的だったことは否めないが」
「外道」
 鋭く吐き捨てるリリスに、よりいっそう楽しげにイルダーナフは笑みを深める。
 そして、焔を纏ったアシュレーへともう一度視線を向け、満足げに目を細めるとスッと空中へ飛び立った。
「逃げるの?」
「目的は達した。ならば、もう用はない。もともと完全ではないからな、またしばらくは回復に勤めるべきだろう」
「そのまま消えうせろ、災厄よ」
 皮肉げに笑うイルダーナフに、リリスは厳しい顔を緩めない。その様子にイルダーナフはもう一度笑みを浮かべると、それまでずっと自分を包んでいた黒い焔を消し、その全身を薄れさせる。
 完全に消え去る寸前、リリスと同じ漆黒を纏った男は、ほんの微かに目を細めた。
「今の俺の名は、『イルダーナフ』だ。――では、な」
 消えゆく男に頓着せず、リリスは刻一刻と激しくなる焔を纏うアシュレーとそれを見つめるブラッドたちの方へとかけていった。
 イルダーナフと名乗って見せた男が最後に見せた、かつての『彼』を思わせる表情に激しい痛みを覚えながら。




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