願うことも、想うことも。
 過去を見ることも、未来を知ることも。
 どんな些細なことも、自分には許されなかった。
 いったい、何をしたというのだろう。
 すべてがわからぬまま、ただ、流されていって。
 そうして、気づけば全てを奪われ、失った。
 どうして、恨まずにいられよう?
 どうして、妬まずにいられよう?
 どうして、憧れずにいられよう?
 ただの偶然を、必定と運命と語られることが。
 それが、どれほど憎らしいと思えるか。
 見ることも感じることも聞くことも話すことも触ることも。
 何もかもが奪われ捕われ壊され失われ封じられ、ただ、あるだけで。
 けれど時間だけは流れているのだと、わかる。
 だから、――求めたことこそ、罪だったのかもしれない。
 想い、願い、求め、欲し、……そうして全てが、狂っていったのだろうか。
 もしかしたら、それは正しいものだったのかもしれない。
 けれど、きっと人は誰もがそれを狂気だというのだろう。
 だが、それがどうしたというのだ。
 ただひとつ、求めるものさえ手にできるなら。
 どれほどの罪を重ね、恨まれ憎まれ恐れられたとしても、構うことは無い。
 ただ、それのみを――




新たなる出会い それを目にするため 我らは往く 血塗られた果て無き道を――
第50話 交差する出会い(8)




 燃え盛る焔に包まれ佇むアシュレーの周りで、ブラッド達は困惑と驚愕とを抱えたまま彼を見つめていた。
 アシュレーを包む焔はさまざまな色を持ち、激しく燃え盛り周囲に強い熱を発している。
「アシュレーさんッ」
「落ち着け、ティム。とりあえずアシュレーを正気に戻すのが先決だろう……カノン、マリアベル」
 飛び出しかねない様子のティムを抑えつつ、二人に向かって目配せをする。
 それぞれ頷き、マリアベルはブラッドから気を失ったままのリルカを受け取り、多少離れた場所へと下がっていく。焔の放つ熱は、今では肌に痛みさえ感じるほどに強いものとなっている。怪我をしたリルカには、大きな負担となる。
 下がるマリアベルとは逆に、カノンはざりッと砂を鳴らして前に出る。そのまま、手にしたナイフを振りかぶり。
「ハァッ!」
 投擲。アシュレーに向け、まっすぐに――荒療治にはなるだろうが、アシュレーを取り囲む焔に近づけない以上正気を失った彼を気づかせる方法は限られている――致命傷にはならないよう、腕を切り裂く軌道を走っていくナイフ。
 だが。

 ボヒュウゥッ!

「な……」
「くッ」
「そんな……ッ」
 アシュレーに届くかと見えた瞬間、体を包む焔が一瞬濃度を増し、飛来したナイフを蒸発させた。
 焔はゆらりと揺らめくとまた濃さを減らし、薄い膜のような状態に戻って再びアシュレーの周りをたゆたう。
 また元通りに落ち着いた動きで燃え上がる焔に、マリアベルはきつく小さな手を握り締める。浅く早い呼吸を繰り返すリルカを見やり、再びアシュレーを見やる。
 冷たい予感が、胸をじんわりと蝕んでいく。そしてそれは、深い痛みを伴って浮かび上がる。
(これは……だが、他に考えられん。そして、アシュレーならば……)
 聡明な彼女は、すでにこの焔がなんなのか、その答えを選び取っている。その推測が間違いないだろうことを、長い時間の中で積み重ねた豊かな経験と知識から確信している。
「ならばもう一度ッ!」
「待つのじゃ、カノン」
 激昂したカノンがもう一振りのナイフを振りかざしたのを、マリアベルが落ち着いた口調で止めた。
 カノンはぎらつく視線を向け、怒鳴り散らそうとし――声を出す寸前で思い留まる。
 腕を組んでじっと考え込んでいたブラッド、ものはためしとばかりに水を放とうとスタッフをかざしていたティムもまた、リルカの傍に腰をおろしたままのマリアベルへと顔を向けた。
 静かな表情で、けれどその赤い瞳だけは燃え上がるような色を湛えるマリアベルに何かを感じ取ったのか。
 みなの視線を感じつつマリアベルはただアシュレーを、その体を包む忌々しい焔を睨み付けながら確かめるかのようにゆっくりと、
「おそらく、通常の手段では効果はあるまい。それは、……その、焔は」

「ロードブレイザーの焔と同一のもの」

『――ッ?!』
 マリアベルの声を遮るように、低く抑えられた女の声が発せられる。
 誰もが驚きに息を呑み、はっと視線を転ずるその先に、先ほどまでイルダーナフと対峙していた少女がいた。
 片手に剣を携えまっすぐに彼らを見据える少女に、誰もが警戒した眼差しを向けた。
 カノンは僅かに腰を落とした戦闘態勢になり、ティムも手にしたスタッフをきつく握り締める。ただ、マリアベルとブラッドは始めは驚いたものの、すぐに警戒を解いて少女を見据えている。
 それをわかっているだろうに、軽い足取りで少女は足を進め、アシュレーをやや迂回してブラッドたちから僅かに離れた場所で足を止めた。
 全員へと顔を向け、倒れ付しているリルカに目をやる。そしてすぐに視線を転じ、迷うことなくブラッドへと視線を向けた。
 何も言わずに、ブラッドもその視線を真っ向から見据える。
「…………」
「…………」
 しばし見つめ合い、先に口を開いたのは少女――リリスの方だった。
「前置き無しで言うけど、私なら、彼を……アシュレーを助けられる」
「理由は?」
 短く問うブラッドに、リリスはちょっと困ったかのように表情をゆがめる。
「――言えない。でも、私なら確実に助けられる。それに、私もアシュレーを助けたい」
「何をッ! そもそもお前は何者だッ?!」
 鋭い声で問い詰めようとするカノンに、けれどリリスは落ち着いた態度でゆるゆると首を振る。
 それに再び声を荒げようとしたカノンを、ブラッドが片手を上げて制する。
「落ち着け、カノン」
「……ッ!!」
 ぎりぎりと拳を握り締め、やがてゆっくりと構えた体から力を抜く。警戒した態度と視線はそのままだが、一応はブラッドの言葉を聞く、とでもいうように。
 それを見やり、マリアベルの傍で同じく警戒した表情のまま口を閉ざしたティムに頷いてみせる。その眼差しに不安がありありと浮かんでいるのを知りつつ、ブラッドはマリアベルをちらり一瞥してから再び少女へと顔を向けた。
「理由は言えない、と言ったな。……では、一つだけ答えてもらおう。お前は何者だ?」
「リリス」
 ブラッドの質問を予測していたように、リリスは短く答える。
 僅かに微笑みを浮かべた表情で、その瞳に悲しみのような色を秘めたまま。
「私は、リリス。……あなたたちの敵ではないもの。それ以上は、まだ、言えない」
「では、お前がアシュレーを助けるという、それを俺達が信じられるものは?」
「この剣に」
 手にした剣が、きらりと柔らかな光を流す。
 ガーディアンの、剣。
「これが何かはわかるでしょう? この剣を持つ、そのことを許されているというのは信じるには足りない?」
 静かに言うリリスに、ブラッドは口を閉ざす。
 しばし押し黙り、けれどすぐに顔をあげ、重々しく頷いた。
「――いいだろう。頼む」
「ブラッド!」
 さまざまな感情を含んだ声を上げるカノンに、ブラッドはまっすぐに顔を向けた。
「どのみち、俺達には何もできないだろう」
「うむ。まあ、ものはためしと言うじゃろう」
「マリアベル!」
「……僕も、お願いしたいです」
「……ティム!」
「あの剣からはガーディアンブレードと同じ力を感じます。それも、とても強くて、とても綺麗な……だから、信じてもいいと想うんです」
 不安を残したまま、けれどはっきりとした口調で言うティムにカノンは俯き体を震わせ、「……ふんッ」と顔をそむける。賛成はしないが、反対の言葉もなかった。
 それに呆れたかのような表情を向け、やれやれというかのような動作で肩をすくめたマリアベルは改めて、無言で佇んでいたリリスを見つめた。
「そういうことじゃ。よろしく頼む――が、アシュレーに何かあれば、黙ってはおらぬぞ」
「ええ。……ありがとう、信じてくれて」
「だが、先ほどの言葉。これだけは後で話してもらう」
 マリアベルの言葉を引き継ぐようにして言うブラッドに、リリスは唇をほんのわずかにゆがめ、そのまま何も言わずにアシュレーへと向き直った。


*****


 音も無く、たださまざまな色でゆらめくだけの焔は、今のところはまだ暴走する様子はないようだった。
 何かを強く想うことで己の中の力を解き放ち、その衝撃で意識を飛ばしたその結果、開放された力が行き場を失って堰き止めるものの無いままに溢れ出す。それを、リリスたちは暴走と呼んでいた。
 意識を失ってかなり経つにもかかわらず、その力がいまだアシュレーを取り囲むのみで暴走する様子が無い。
 それはおそらく、アシュレーが無意識のうちで何かを傷つける事を恐れているためなのだろう。
(幸い、といっていいのかわるいのか……それが暴走するきっかけにもなったんだろうとは思うけど、だとするとあまり良いことだとは言えない、か)
 内心で呟き、リリスはアシュレーの目の前で立ち止まった。
 彼を取り囲む焔から幾らも離れていない距離にあっても、リリスに焔を恐れる様子はない。それどころか、リリスは微笑みすら浮かべ、ゆるりと手を差し伸べた。
「……あっ」
「大丈夫。これは、誰かを傷つけるものじゃないから」
 思わずといったように声を上げたティムに、リリスは静かに言う。
 左手には変わらずに剣を握り締め、右手をゆっくりと焔の中へと差し伸べ――飲み込まれる。
「――――!?」
 それはリリスを一瞬にして包み込み、燃やし尽くさんと猛威を振るう。だが、それはリリスをやわらかく包み込むだけの結果に終わった。
 もう数え飽きるほどの今日いくどめかの驚愕を浮かべるブラッドたちを意識から締め出し、リリスはただ優しく微笑んだ。
「だいじょうぶ」
 そのまま一歩、足を動かしアシュレーに直接触れられる位置まで近づく。
 その瞳が虚ろなのを確かめ、リリスはそっと手を伸ばしてアシュレーの額に触れた。
「――起きて。目覚めて。閉ざしたままでは、力に意味はないでしょう?」
 穏やかに語りかけながらも、ゆっくりと自分の力でアシュレーの焔を落ち着けようと、そっと魔力を放出した。
 それはほんのかすかな力。誰も気づかないほど、かすかな量の。それを、傷つけないよう慎重にアシュレーへと流し込む。ただ溢れ出す焔を、力を包むように。
「貴方はそんなに弱くないはずだよ。力の本質を忘れたの? 知っているはずのものを、思い出して」

 ――あの時の戦いでは、貴方はもっと大きな力を持っていたでしょう?
    それは目に見えるものではないと、失うようなものではないとわかったはずでしょう?

「気づいて。……大丈夫。これもまた、貴方の力なんだから――」
 トン、と優しい仕草でアシュレーの額を押すと同時に、アシュレーへと流し込んでいた自分自身の魔力でぎりぎりで踏みとどまっていた焔をあるべき場所へと押し戻す。
 たったそれだけで、ほんの一瞬で燃え上がっていた焔はアシュレーに吸い込まれるように消え去り、焦点の合わぬ瞳を見開き佇んでいたアシュレーは急に力を失ったかのように膝をつく。
「アシュレー」
「アシュレーさんッ!」
 一歩退いたリリスと入れ替わるように駆け寄ってきたティムが、俯いたままのアシュレーの肩に恐る恐る、といったように触れる。と、
「……ティム?」
「ああ……!」
 どこかけだるげな声で、片手で頭を抑えつつゆっくりと顔を上げたアシュレーに思わず安堵の息を漏らし、ティムはその場に座り込んだ。
 それをみて、ブラッドやカノンもまた表情を和らげる。
 同じく安堵の微笑みを浮かべたマリアベルはしかしすぐにリリスへと顔を向ける。アシュレーとティムのもとへ歩み寄ってくるブラッドをに場所を譲るように、一歩後ろへさがる。
 リルカが落ち着いているのを確認し、念のためアカとアオを待機させたままマリアベルはリリスのもとへと歩み寄ろうとし。
「……よかった」
 小さく声を零し、手にした剣にそっと右手を触れさせ。
 柔らかな微笑みを浮かべたリリスは、次の瞬間突然力を失ったかのように倒れこんだ。
 それと同時に、リリスが手にしていた剣もまた、淡い光を放ったかと思うと空気に溶けるかのように姿を消す。
「なッ!?」
「え……あ、うわぁッ?」
 慌てて駆け寄るマリアベルに気づき、そちらを見たティムはついにパニックを起こしたかのようにあたふたとする。同じように気づいたカノンも、ちっと舌打ちするとリリスへと走り寄った。
 重たい体をなんとかささえつつ立ち上がったアシュレーは、肩を貸し出すブラッドに目を遣る。
「いったい……何がおきたんだ?」
「……さあ、な」
 気を失ったらしいリリスと、やっと正気を取り戻したアシュレー。今もまだ眠り続ける重傷のリルカを見やり、ブラッドは眉をしかめた。


 イルダーナフという、黒い焔を操る青年。
 リリスと名乗る、不可思議な少女。
 突如膨大な焔を巻き起こした、アシュレー。
 数々の謎と事件とが複雑に絡み合い、そしてそれに自分達がしっかりと関わっているのを感じ取って。
 ブラッドは、平和という時間が今、確かに終わりを告げたことを知った。




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