風が、吹く。 暖かくはないけれど、でも決して冷たくもない、風。 出会いと出会い、別れと別れ。 その合間にある想いに、その狭間にある望みに、何を託したのか。 空を舞う鳥はその翼で大地を渡り、海を越える。 その先に待つ、答えのない問いかけを探すために。 そして、それを見上げ、微笑むものたち。 彼らの想うもの、願うもの、信じるもの、……求める、もの。 それらは重なり合うことはないけれど、抱く強さは同じ。 けれど、それぞれ違う色を持つからこそ、それら全てが叶うことはない。 だからこそ、誰もが己の為に手を伸ばす。 遠く、果てない空の先へと羽ばたく、奇跡へと。 風と共に舞い上がり、どこまでも飛びゆく想いの欠片。 その行き着く先を、誰一人として知ることのないままに――。 ![]() 第51話 その合間にある出来事 手を伸ばす。 手のひらを差し伸べた先にあるのはただ、広がる空。 「やっと……出会えた」 小さく声を零し、男は嬉しげに微笑んだ。 どことも知れぬ場所。切り立った崖の縁に立ち、眼下には深く荒々しい海流の交わる海を見つめ、音のない世界に一人たたずむのは――イルダーナフという名を纏うモノ。 先の戦いより、すぐ後のこと。切り裂かれた傷もそのままにイルダーナフはそこに立ち、その身に纏う禍々しい力の流れとは相反するような表情を浮かべ、もう一度呟く。 「やっと出会えた」 ただひとつを望み、その為だけに過ごしてきた長い長い時間。 もしその時が永遠に続くのなら、それでもいいと思っていた。けれど、それが終わりを迎えることはわかっていた。 だからこそ、その時間の後にこそ望みが叶えられるよう、ずっとずっと想い願い続けてきたのだ。 それを口にすることは、しない。 誰かに知らせるつもりも、誰かに悟られるつもりも、ない。 この胸にだけあれば、それでいい。 「絶対に、叶えてみせる――きっと」 どこか、幼くさえ感じる口調で言葉を紡ぎ、差し伸べた手を見つめる。 手のひらを覆うように黒い焔が幻のように現れ、ゆったりとゆらめく。 「そのために、『俺』と、『我』と、『私』があるのだから」 謎かけのように口ずさみ、イルダーナフは手を下ろすと遠く澄んだ空を見上げた。 その色は、故郷の色とは違うけれど、でも確実に懐かしい色彩を含んでいる。風に流される雲が過去の情景を浮かべ、微かな疼きを感じさせる。 それは、喜びなのか悲しみなのか、痛みなのかさえわからないけれど。 「でも……きっと、叶えてみせる。そのために、全てを捨てたのだから」 つい、ほんの先ほどまで手を伸ばせば届く場所にあった思い出に、イルダーナフはもう一度優しく、けれど悲しみを秘めた微笑みをうかべた。 「全てを、――全てを手に入れるために」 その瞳に浮かんだ、禍々しさと冷徹な残酷さの交じり合った光は、けれど何者も目にすることなく消え去っていった。 「 」 その、万感の想いを秘めた言葉さえも。 ***** かたん、と小さな物音が響く。 零れるような小さな溜息、同時に僅かな絹擦れの音とぎしり、と何かが軋む音が響く。 「……ふぅ」 目じりを右手で強く押し、少年――テリィは疲労に染まった声を漏らした。 椅子に深く背を預けたまま、投げやりな態度で手にしていた書類を大きなテーブルの上に放り投げる。バサリ、と決して軽くはない音が響き、そうして部屋に沈黙が残った。 アシュレーによって待機を言い渡されたテリィは、すぐさま会議室に現在集められたありとあらゆる資料を広げた。ここ半年ほどの気象・地殻などのデータから、さまざまな地域で観測された事象、ここ最近に目撃されている黒衣の男の目撃情報、シェルジェで観測されたありとあらゆる魔法関連の出来事、民間に流れ出した噂話、ここ最近の衣料品の流出ルートなど。その資料はテーブルに小山が出来るほどあり、その種類も膨大な数になっている。 ケイトたちクルーにも手伝ってもらってそれらを集め、乱雑に集められたデータを種類別に分け、信頼できそうなものには目を通し、関連がありそうなものは全てチェックする。 そんなことを繰り返してすでに5時間以上が経過している。 ケイトやエイミーたちはこの城の維持など、他にやるべきこともあるからと大分前に仕事に戻ってもらったので、今現在ここにいるのはテリィ一人だ。 もともと勉強が苦にはならない性質だが、それでも長時間の集中は傷に響く。 集中による軽い頭痛、そして病み上がりの体はそろそろ限界を訴え、しばらく前から鈍痛を繰り返すようになってた。 「流石に、そろそろ休憩しないとダメか……」 ぐい、と軽く背筋を伸ばしてゆっくりと立ち上がり、サイドテーブルに用意してもらっておいたグラスに手を伸ばす。 水差しを傾けるとからん、と氷と水が涼しげな音を立てて透明なガラスに触れ合う。頼み込んで用意してもらっていた痛み止めを口に含み、水で押し流す。 こくん、と喉を冷たく清涼感ある水が流れるのを感じ、ほっと肩から力が抜けるのを感じた。 「ふぅ……」 そのまま一気にグラスの水を飲み干し、空になった冷たいグラスを手にしたままゆっくりとした足取りで窓辺へと足を運び、そっと窓を開いた。 やや乾燥した、けれどひんやりとした感触の風を頬に感じつつテリィは窓枠に持たれかけ、ぼぅっと空を見つめていた。 体を束縛する包帯が、ひどく邪魔に感じる。 もともと無理を言って戦列に加えてもらったにも関わらず、自分は何に役立ったというのだろう。 魔法の腕ではリルカに劣るつもりはないが、それでもやはり実践ではどうしてもテリィとリルカの間には経験という大きな壁がある。おそらく、このままではどこまでも追い越せないだけの高さの壁が。 ならば、と己の知識、そして学院を通しての情報収集ならと思ってみても、知識はノーブルレッドであるマリアベルに遠く及ばず、情報収集能力はかの青年が気づき上げたヴァレリアシャトーのクルーである専門家たちに分がある。 それ以外に、自分はどれだけの事ができるのだろう。どれだけのものを持っているのだろう。 冷静に考えれば、テリィの参戦は十分すぎるほどの助けになっている。今のように戦闘に向かうパーティーを後方から補佐することも出来、またARMSには及ばずとも安心して前線に出せるだけの実力もある人材など、そう多くはない。 6人のメンバーに、戦闘・補佐の両方を担当できるだけの存在が加わるということは間違いなく大きなプラスであり、それを理解しているからこそアシュレーはテリィの参加を認め、ブラッド達も反対しなかかったのだ。 それはわかっている。 けれど、それでもやはり、彼らとの間にある大きな壁に焦りと苛立ちを感じるのだ。 何も出来ないと、何の役にもたたないと。 「――だから、強くならないといけないんだ。守れるように、一緒にいられるように」 それが物理的な力なのか、それとも精神的なものなのか。 3年前から考え続けて、けれど今でもその答えはわからない。たぶん、わかることはないのだろう。 ただひとつわかるのは、今の自分には、足りないものがあるのだということ。 「精一杯やるんだ……今度こそ」 腕に巻かれた包帯をそっと解く。 しゅる……と静かな絹擦れの音が流れる中、テリィは迷い続けよう、と誓った。 迷い、そして答えを探しつづける限り――きっと、自分は立ち止まらずにいられるのだろうから。 ……To be continued.
|