――わたしが思うはひとつだけ ただひとりで生きていく
でもいつからか 変わってしまったこの想い――
変わるはずのない、孤独を癒されたから
ひとりじゃないことの、喜びを知ってしかったから――?
「じゃあ、次はどうする?」
拓也はそう言って二人を振り返って見つめ、小さな驚きに軽く目を瞬いた。
先ほどまで彼らはとりあえず今までいた3階から1階まで降り、公衆電話を探し出して
それぞれの肉親へと声を繋いでいたのだ。
突然の連絡に未央の両親も久々の娘の声に喜び、特に拓也と瞳の両親の感激ぶりは凄まじ
かった。
だが、それも当然とも言える。
何せ、彼らが自分の子供に会うことが出来たのは2人が眠りについている時のみ。目覚めて
からもすぐに面会謝絶となり、知らされたのは『お子さんは無事に目覚めました』の一言のみ。
突然容姿が変化してしまった事も含め、心配でたまらなかっただろう。いくら変わって
しまったとはいえ、自分達の子供なのだから。
それに、もう一週間以上も彼らの声を聞いていない事にもなる。
午後から面会許可が下りていることを改めて連絡し(すでに病院側から簡単な連絡はつけて
あった)、見舞いの品を持ってきてくれるように頼みたかっただけなのだが、それを告げるだけで
結局は1時間以上も電話に釘付けとなってしまった。
一度病院で会っている未央はやはりそれなりに心配はされたが、彼女の性格もありそれなりに
早く解放してもらっていた。
よって、彼女は一人ベンチに腰掛け電話をする親友達を見つめ、いつしか船を漕いでしまって
いた。
だから、拓也はベンチでこっくりしている未央と拓也よりもやや早く電話を終わらせて未央の
隣に腰掛けたまま困ったように未央を見ていた瞳を見つめ、拓也が目を瞬き、困ったような表情を
浮かべたのは当然と言える。
「……寝てんのか? 未央のヤツ」
「うん……退屈しちゃったみたい……」
困ったような表情と共に苦笑を浮かべ、頬に掌を当てた瞳はじ〜っと気持ちよさそうな表情を
浮かべて眠っている未央をみつめた。
待たせたのは自分たちの方なのだから怒る訳にもいかず、拓也も顔一杯に苦笑を浮かべた。
無理に起こすのも気が引けるので、とりあえずそっと声をかけるしかない。
「……まぁ、とにかく起こすしかないだろ。――ほら、未央。起きろって」
「ん〜……んう?」
声をかけられ、軽く肩をゆすられてやっと彼女はしぶしぶといったように目を薄く開いた。
ぱちぱち、と重そうな瞼をゆっくりと瞬き、未央はゆっくりと両手を上にあげて大きな伸びを
する。その様はまるでしなやかな猫のようにも見える。
「あ……寝てた? あたし」
「ああ。待たせて悪かったな。……それで、この後どうする?」
「どうするって、何?」
まだ頭が眠っているのか、ほややんとした様子で拓也を見上げる未央に、彼はそれこそ不思議
そうな表情を浮かべた。
横に座っていた瞳と顔を見合わせ、再び未央をみやる。
「何って……お前が言い出したんだろ? 院内を探検する、って」
「凄く楽しそうにしてたじゃない、未央ちゃん」
「え〜……そうだっけ?」
眠そうに目をこする未央は、軽く首をかしげて考え出す。
だがそんな未央に構わず、拓也は腕時計の時間を確認して短く「やばっ!」呟いた。
「そんなの考え無くてもいいって! それより、あと1時間くらいで昼メシの時間になる。それ
までにはいったん部屋に戻れって、イカツイ看護婦に厳命されてるだろ、俺たち」
「あ、そうだった! 急がないと!」
そういう事だけはぱっと頭に浮かんだのか、未央もさっと立ち上がる。
そんな二人を見て、瞳もベンチから立ち上がる。なんとなく片手で弄んでいた可愛らしい
エゾモモンガ(瞳お気に入り)の写真のテレカをポケットにしまい、二人に笑顔を向ける。
「じゃあ、まず1階から見てくの?」
「う〜ん……本当は最上階から見るのも面白そうだと思ったんだけどな……」
「まーいいじゃない。とにかく、ここから見てこう!」
そう言うと、未央は手早く手にしていた帽子を被り直し、自前の眼鏡をかける。それを見て
二人も手にしていた小道具――拓也はキャップ、瞳は薄い色の入った度なしの眼鏡――を再び
身につける。
それらはそれぞれ、自分達の容姿を隠すためのアイテムだ。
未央の髪と瞳の色は言うに及ばず、拓也と瞳も、髪の色こそ「染めた」と言って誤魔化せなく
はないが、その瞳の色だけは流石に目立ってしまう。
そんな面倒を考慮し、彼らは病室を出る前にそれぞれでその目立つ色を隠すために一工夫した
のだ。
実はそれは病院側にとっても必要な事だったが、当然彼らはそんな事は知らない。彼らが
そうした理由は、至極簡単な事だった。
――目立ったら遊べなくなる。
ただそれだけの、酷くシンプルな事。
瞳は「目立つの嫌いだもん」と言い、拓也と未央は二人そろって「面倒はヤダ」。それで、
相談もなく一瞬で変装する事になったのだ。先日未央が帽子と眼鏡をつけたら平気だった、という
酷くシンプルな方法でなんとかなった話を事前にしていたから、すぐにそれに決まったようなもの
だが。
問題はその道具だが、それもちょっと手荷物を探すだけで用は足りた。それぞれが持っていた
キャップや眼鏡を取り出し、それらを身に付ける事であっさりとその問題は解決したのだ。
瞳の目をどうするかは少し悩んだのだが、その問題も病院の1階にあったコンビニの安い
色付き眼鏡を買う事で解決した。
拓也はキャップを目深に被れば目はわからないし、未央も帽子を被って眼鏡をかければ
どうという事は無い。彼女の目立つ要因はどちらかといえばその髪の色なのだ。そして、瞳は薄い
黒のレンズ越しならばその瞳の色は誤魔化せる。
そうして、彼らは『室内でも帽子を被っている変な子』と、周囲の人間に認識される事に成功
したのだった。
……あまり嬉しいものでもなかったのだが。
「……で、探検ってったって、どこをどう探検するの? ただ歩くだけなの?」
そう、瞳が告げたのは彼らが歩き出してしばらくしてからのことだった。
いくつかの廊下を渡り、びっしりと名前の書き込まれたルームカードを見ながら歩いていた
未央はその声にはた、と動きを止めた。
数歩先まで歩いていた拓也はそれに気付いて自らも足を止める。後ろを振り返り、不思議そう
な表情で首をかしげている瞳をじ〜っとみつめる。
そしておもむろに、再び歩き出そうとした未央の腕を掴む。視線は動かさないままだ。
「……おい、未央」
「……う〜ん……」
「お前、何か考えて言ってたのか?」
「あ、あはははは……いや、ほら。ずっと病室にいてもつまんないし。だから、探検したら
楽しいかなーって思って……」
「……つまり、ただ『探検したかった』だけと?」
「うん」
照れたように笑う未央を見て、彼はぎゅっと拳を握り締める。
それを見て慌てたように未央は両手と首をめいっぱい横に振る。違う違う、と慌てて言う
その様を見て、つかれないのかなーと思う瞳。
拓也は陸上部のエースの一人。大柄な体格のわけではないが、体はそれなりに整っているし
力もそれなりにある。特に、その走力と(何故か)強い握力は学年一番の実力だ。
そんな拳で叩かれたら、しゃれにならないほど痛いのだ。
「だってほら、ここ、どこの病院かもわかんなかったし! 情報を集めるには、とにかく外に
出ないと駄目だったし! ね、結果オーライでしょ?」
「……まあ、そういう事で許してやろう」
尊大に腕を組む拓也に、ほっとしたように胸を撫で下ろす未央。
……本当は少し違うのだけれど。それが一体何なのか自分でも良くわからないから、未央は
それを心の奥に隠したまま言わなかった。
そんな二人に瞳は楽しげな表情を浮かべた顔を向けた。
「あたしは楽しいから、別にいいけど。――ね、次はどっかの病室に入ってみない?」
「どっかって?」
「例えば、こことか……」
不意に、瞳の指差した方から突然大きな声が漏れ出す。悲鳴に近い、歓喜の叫び。
ビク、と体を振るわせた瞳と未央は拓也をじっと見つめた。その視線を受けて、彼は軽く頭を
人差し指でかいてからそっとドアを開く。それが自分の役目とでも言うかのように。
静かに漏れ出す声が、彼らの耳に届く。
「ああ、絵美、絵美ぃっ! 良かった、本当に良かった……!」
「心配したんだぞ! もう、目覚めないんじゃないかと……ああ、神様!」
3人が団子状になってドアの隙間から中を覗くと、ベッドから身を起こした桜色の髪の
女の子の周りを両親らしい男女と医師と看護婦が囲んでいた。
女の子は不思議そうな顔をしながらその小さな体を抱きしめられている。抱きしめている
女性とそれを見ている男性は、目に涙を浮かべていた。
「…………」
「…………」
彼らはドアから身を離し、ドアをそっと閉じた。久方ぶりの親子の対面を、邪魔しないように。
そっと顔を見合わせた後、何も言わずに彼らは静かに歩き出した。
少し先の角を曲がる前、瞳はそっと後ろを振り返る。
「……よかったね」
その口元に浮かぶのは、微かな笑み。優しげな視線を投げかけ、彼女はパタパタと軽い足音を
たてて走り出す。
大切な仲間のもとへと。
「で、結局もとの階まで戻っちゃったね」
「あ……そういえばそうだな。どうしよう?」
暖かな感情を胸に、彼らは黙々と歩き続けて気がついた時には何故か3人が元いた階まで
登ってきてしまっていた。
時計を持っていない瞳が、前にたっている拓也に声をかける。
「お昼ご飯まで、まだ時間あるの?」
「ああ。まだ30分くらいあるんだ。どうする? 戻るか?」
「う〜ん……戻っても、何もないでしょ?」
「だなぁ……」
お腹の減り具合と、中途半端な時間に彼らは思案に暮れていた。
すると、突然そんな彼らの横を凄い勢いで医師を伴なった看護婦が駆け抜けていった。
「急いでください!」
「容態が急変してからの経過時間は!?」
「およそ10分!」
「く……まずいな、急いで他の医師を!」
「はい!」
騒がしく走りながら、彼ら奥の病室へと急いで行く。
それを見た未央達は、そろって顔を見合わせていた。
「……なんだろう?」
「なんかあったんじゃないか?」
「ね、行ってみようか。もちろん、邪魔にならないように、だけど」
不思議そうに顔を見合わせた未央と拓也は、その瞳の発言にぽん、と手を打ち合わす。
邪魔になるのはダメだけど。でも。
「……そうだよな。ちょっと、行ってみるくらい」
「すぐに帰ればいいんだし」
「ね、でしょでしょ?」
3人はそれぞれの顔に浮かんだ好奇心を認めて――不謹慎ながらも――楽しげな表情を浮かべ、
さっと走り出した。
本当は、予感がしていたのだ。
なんとも言えない、不思議な予感が。
良いとも悪いとも言えないような、そんな予感。
それが何かはわからなかった。それでも、確かに感じていた。
……大きな、予感が。
――今ではもう恐れない 恐れる物など何もない
この胸に咲く想い 決して消える事はない――
ひとりじゃないのなら
いつまでもずっと、わらっていられるのだから