+<楽園>を求めて+
空は青く、白い雲が流れ、翼を広げた鳥達が大陸を渡っていく。
道とはいえない道を歩きながら、彼はまっすぐに歩き続けた。
一陣の風の吹く、果てなく続く荒野を。
この先には、大きな街がある。
彼が始めて訪れる、世界最後の王国――アーデルハイド。
そこが、彼の目指している場所。
**********
「おや、いらっしゃい! お一人かね?」
昼過ぎの人の出入りの少ない時間帯に、疲れたような足取りで宿屋に入ってきた一人の年若い
旅人を見やり、店主である男は気さくに声をかけた。
この街に着いたばかりであろうくたびれた服装の青年は、その声に顔を上げると旅の疲れが
現れている顔になんとか笑みを浮かべ、店主に頷いて見せた。
「ああ。寂しく荒野の一人旅、ってやつだよ」
苦笑気味の声。青年が歩く度に、軽い音が響く。
片側の肩にひもをかけるようにして背負われたリュックは、丈夫で長持ちするタイプの生地で
作られている。やや薄汚れた全身を覆う長さの砂色のマントを、彼は軽く手で押さえた。
渡り鳥としては平均並の装備だろうが、と男はふとその青年に興味を覚えた。長旅をするには
青年の荷物はやや少ないような気がしたのだ。
だが、男は突然面と向かって尋ねるような事はしなかった。
カウンターの前まで歩いてきた青年は、片手をカウンターにつくと早速といったように口を開く。
「部屋は開いてるか? 一番安いので構わねぇんだけどさ」
「うちはアーデルハイドじゃ良心的な値段の宿って評判なんだがね。そうだね……ちょうどいい
部屋が開いてる。南向きの窓のある部屋さ。値段も格安! どうだい?」
青年の言葉に苦笑を浮かべた男は、手元にある宿帳にさっと目を通すと彼の要望通りの部屋を
みつけ、パンと手を打ち鳴らしてそれを勧める。
しばし考える風に顎に手を当てた青年は、絶えがたい疲労と空腹感に耐えかねながら財布の中身を
思い出し、やっとこくりと頷いて見せた。
「ふーん……じゃあ、そこにするか。とりあえず今日明日くらいはゆっくりしたいから……
そうだな。2日くらい頼む。――それで、食事は?」
「悪いけど、食事は別だ。ここの酒場か、さもなきゃどっかで適当に食べとくれ。朝食は一応
別料金でできるよ。これも格安だが、どうするね?」
「そうだなぁ……いや、遠慮するか。朝にきちんと起きるとは限らないんでね」
「はっはっは! まぁ旅から帰った渡り鳥なぞ、そんなもんだろうな。それじゃ、これが鍵だ。」
楽しそうな笑い声を響かせる男に手を差し出して鍵を受け取ると、宿代の半分を手渡してさっと
宿の二階へと足を向ける。
それを見やり、そろそろ夕食の仕込みでも始めようと厨房へと赴こうとした男は突然振り返った。
大事な事を忘れていた。
「そうそう。お前さん、名前は?」
「俺か? 俺の名は、」
そう言うと青年――はさっと階段を上り、部屋へと入っていった。
「はぁ〜、くったびれた! やっぱ一人旅ってのは楽じゃねぇな」
部屋に入るなりはリュックを備え付けの椅子の上に放り出し、くたびれた
旅装もそのままにドスンと大きな音をたててベッドに倒れこむ。
野宿ばかりで疲れきった身体に、太陽のにおいのするシーツとその柔らかさが心地よい。
暫くの間、はそうしてじっと目を閉じていた。さわさわと外から
生い茂る木の葉の揺れる音が、人の声と同じほどに絶え間なく聞こえてくる。
荒れ果てた人の心を癒す、この世界ではまだ少ない瑞々しい自然の織り成す旋律だ。
彼の暮らしていた村でも、こうした音は存在していた。多くの人々が昔から何よりもそれらの
自然を大切にしてきた結果だ。
だが、彼が本当に求めていたモノは――……。
ふっと、は目を開けた。
「……こうしてたら、絶対に寝ちまうか。しょうがねぇ、起きるか」
ゆっくりと重い体を起こし、とりあえず身に纏っていたままだったマントを脱ぎ捨てると
適当に椅子の背凭れにかける。着ていた上着も同様に椅子へと放る。
そして荷物から比較的キレイな服に着替えると、彼は荷物の整理を始めた。
破けたりして使えなくなった服等を屑篭へと放り投げ、消耗品や保存食料などの残りを
確かめる。これを怠ると、荒野にでた時に酷い目にあうのだ。
(昔、面倒だってんで食料を持たないで旅を決行して、危うく餓死する所だったからな……)
渡り鳥になる前の自分の過去の失敗を思い出し、は小さな苦笑いを口の端に浮かべる。
今となっては懐かしい思い出に過ぎない。笑い話のようだが、それでもあの時の自分は真剣に
死ぬかと思ったのだ。
「あ〜……流石に大分減ってるな。しかたねぇ、補充するか。食いもんも新しい方が日持ちが
するから、後で買うとして……ああ、金が減る……」
手持ち金を思い浮かべ、心なしか肩を竦ませながらは小さな洗面台で顔と手だけを洗うと、
身軽な恰好に護身用の短剣だけを腰に差して財布を持って部屋を出た。
この街に入ってまずが思った事は、意外と緑が少ないという事だった。
少ないというのは少し違うかもしれない。木々などは彼の暮らしていた村よりも当然多い。
だが、その木々たちがまだ若く、そして小さいのだ。
自然、違和感を感じてしまう。アーデルハイドは遥かな昔から栄えた現在唯一の『王国』
なのだ。その歴史は他のどんな村や街よりも古い。当然、この街に生える木々もそうなるはず。
「確か、アーデルハイドっていったら緑が多い王国っつー話だったような……?」
そこらの店で買った、穀物たっぷりのパンに新鮮な野菜とハムを挟んでソースをかけたものを
食べながら、ふと浮かんだ疑問に首をかしげる。
だが、その情報は随分昔に聞いた事だった事を思い出し、まぁ間違いでもあったのかと
思い直す。
辺境などを好んで旅するためか、自分がいろんな情報に酷く疎い事を知っているからだ。
「よ……っと」
は片手でパンを持ったまま、もう一方の手では先に
買っておいた消耗品の袋を抱え直す。
着替えの服等を買ってきたため、どうしても嵩張ってしまい前が見えにくい。この後街の
観光でもしようと考えていたは、視界を遮る袋に眉を顰めていた。
だから、前から走ってくる人物がいる事にも当然気がつかなくて。
「流石に邪魔だな……一度宿に戻って、それからまた出かけるかな――っと!?」
「きゃ!」
ドン、と軽い衝撃を感じた次の瞬間には反射的に袋を抱えなおし、自分に
ぶつかってきた人物の腕を咄嗟に掴む。
掴んだ腕の感触が細い。驚いてその人物を見ると、すぐに柔らかい女性的な背中があった。
が掴んだのは、20ほどの年恰好の女の腕だった。
驚きに目を見張ったその整った顔立ちは美しさと可愛らしさを余す事無く同居させ、肩よりも
短く纏められた髪は茶色がかった金。前髪の上の辺りで赤い幅広の布で髪を押さえている。
短いスカートなどの動きやすく丈夫な素材で作られた服装、そして腰にさしてあるソーサラー
専用のロッドから見て、まず間違いなく彼女は同業者――渡り鳥だろう。
そんな事を考えながらはぶつかった衝撃でややバランスを崩していた女性の腕を、
出来るだけ強すぎない程度の力で引っ張って立たせ、声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
「あ、はい……すみません」
「いや、どうってこ――……あ〜っ!?」
「え? ……あ」
続けようとしたの言葉は、自分自身の悲鳴で唐突に途切れた。
何事かとレイルの視線を辿った彼女は、無残にも自分の足で踏み潰してしまっているパンを
見つけると、再度びっくりしたように顔を上げて悲しそうな表情を浮かべる
を再び見上げた。
もったいない事に、パンは無残にも潰れハムや野菜も飛び散ってしまっている。
「あ、あの、すみません! これ……ど、どうしましょう」
見ているほうが可哀相になってくるくらいに慌てた様子で彼女はまくしたてる。弁償させようか
と一瞬脳裏に浮かんだが、それを打ち消してはやや悲しげな表情で首を振った。
「あ〜……いや、こっちも不注意だったわけだし――あ」
そう言った瞬間、ぐぅとの腹の音が響く。そんなに大きな音だったわけでは
ないが、充分彼女にも聞こえただろう音量だ。
恥ずかしげに顔を赤らめた青年を見て、彼女はくすっと笑みをもらした。
優しげな微笑みだ。太陽のような強い輝きではなく、月のような弱々しさもない。そんな笑み。
「くすくす……お腹、空いてるんでしょう? やせ我慢は良くないです」
「……あ〜……いや、まぁ……」
ひとしきり笑うと、目じりに浮かんだ涙を拭ってその女性は再び頭を下げた。さらり、と短めの
髪が光を反射しながら彼女の動きに合わせて揺れる。
なんとなくそれを見ていて、は気恥ずかしさを憶えていた。
「本当にごめんなさい。お詫びに、何か奢ります」
「いや、それは……」
流石に見ず知らずの女性にそこまでさせるのは――と、断ろうとした矢先に再びぐぅ〜っと
腹の虫が鳴り響き、は再び顔を真っ赤にした。
これでは、いくら恰好をつけて申し出を断っても恰好がつかない。
「ほら、無理はよくないですよ? ……それに、私も一人じゃないほうがありがたいですし」
「え?」
最後の小さな呟きを問い返すの声に、なんでもないですよと微笑んで。
そうしてごいっしょしましょう?と誘いをかけてくる彼女の声と、我慢しきれないほどの
空腹感に耐え切れなくなったは、とうとう仕方ないといったように頷いた。
こんな美しい女性と食事。旅をしていると女性との出会いは当然限られてくるのだから、
これはまたとないチャンスのはずだ。
しかし、いかにも『飢えてます!』とでも言うように腹の鳴るこのシュチエーション。
(あ〜あ……ついてるんだか、ついてないんだか)
はこっそりと溜息を洩らした。
「悪いな。結局奢ってもらっちゃって」
「いえ。どうせ私もお茶でも飲もうかと思ってましたし。何より悪いのはこちらなんですから、
遠慮しないでください」
意外と力の強いその女性に引きずられるようにして、気付けば
は手近な店の2人掛けのテーブルに腰を下ろしていた。
あれよあれよと言う間に「何食べます?」「あ、や、別になんでも」「じゃ、この
サンドウィッチはどうですか?」「あ、ああ」「じゃ、これとこれ。こっちは二人前でお願い
します♪」気付けば注文を取られていた。
そして、やや呆然としていると微笑む女性の前にウェイトレスがてきぱきと運んできた
料理を並べていく。
の前には、値段の割にはボリュームのある2人前の
サンドウィッチセット。そして、彼女の前には香りの良いアイスティーと、大きなケーキのセットが
並んでいる。
そのケーキはサイズから見るとどう考えても3人前はありそうなのだが、平然としたその
様子からどうやらそれは一人で全部食べられるらしい、とが悟ったのは注文が届けられてからしばらくしてだった。
食べ物を粗末に出来ないはまぁいいか、とあっさりと思い直すとさっそく美味し
そうなチーズの挟まれたパンをほお張る。マスタードがピリっときいていて、なかなか美味しい。
次いでレモンの果汁を加えて爽やかさを出している冷たい水をぐっと喉に流し込むと、
はふと思いついたように口を開いた。
あんまりといえばあんまりな、今更の話なのだが。
「そういえば、お互い名乗ってなかったよな?」
「そうでしたか? ……あ、そうかもしれませんね。これは失礼しました。私はセシリアです」
記憶をさぐるようにして首をかしげた後、にこやかに微笑むその女性――セシリアはさりげなく
ファーストネームだけを名乗った。
別に家名を名乗らないのは良くある事だが、なんとなくその様子に
は違和感を覚えた。
隠しているわけでもないのだろうが、と考えつつ自分も同様に口を開く。
「俺は、渡り鳥だ。まぁ、そんなに腕が立つわけじゃない
けど、一応一人で旅をしてる」
「あ、じゃあ同業者さんなんですね」
「そういう事。あんたは? まさか、女一人ってわけでもないんだろ?」
悪いが、そんなに強いようには見えないし。
のそのからかい気味の言葉に、彼女は苦笑気味に
頷いてみせた。
本音を言えば、セシリアは普通の渡り鳥やモンスター相手では逆立ちしたって勝てないほどの
実力の持ち主なのだが。それは、あまり言わない方が得策だろうから。
「ええ。2人の仲間といっしょに。今は、ちょっと……別行動をしていますけど」
「ふ〜ん……そいつら、あんたのコレ?」
ふざけて軽く小指を立てて振って見せると、セリシアは今度は曖昧に微笑んで見せた。
イエスともノーともとれるその反応からは、答えは望めそうにない。残念そうに肩を竦めて
見せたは、ふと彼女の名前をどこかで聞いたような気がするのに
気がついた。
(いつだったか、聞いた事があるような……? でもま、他人の詮索はしないのがルールだし)
「この辺りを拠点にしてるのか?」
「いいえ。私たちは世界を旅して回ってるんです。いろんな場所を見たくて……今回は偶然、
ここまで」
「へぇ……トレジャーハンター、ってわけでもないんだな」
「そういうさんは?」
「俺か? 俺は道楽みたいなもんさ。遺跡巡りや賞金稼ぎなんてガラじゃないんでね。適当に
旅して適当に戦って。金がなくなったら簡単な仕事して……ま、あんたと同じようなもんか」
「でも、一人では何かと大変でしょう?」
「そうでもないぜ? 俺の場合はただ旅をしてるだけだからな。よっぽど無茶でもしない限りは
平気なんだ。――そういえば、さっきはなんで走ってきてたんだ?」
「ああ、あれは……」
ちらりと浮かぶ、悪戯そうな微笑。小悪魔の笑み、とでもいうのか。
「知り合いから逃げてたんです。悪い人じゃないんだけど、しつこくて。捕まりたくなくて
見つかる前に走っていて、それで」
それは嘘ではない。本当の事――追いかけているのが一人ではない事や、逃げている理由
――を言っていないだけだ。
それを知らないは、素直にセシリアの言葉に頷いている。
「へぇ、だから一人じゃないほうがありがたい、って言ったんだな」
「あ、聞こえてたんですか?」
問い返すセシリアに当然、といった顔をする。
そこでふと、彼女なら知っているかも――と思い出し、先程感じていた違和感を聞こうと口を
開いた。
「そうそう。あんた、ここにはよく来るのか?」
そう言ってから、はハムサンドを口の中に放り込む。
次はどれを食べようか、と少しだけ考えるように皿に残ったパンを見つめる。……ちなみに、
セシリアのケーキはすでに跡形もない。一体いつの間に消化したのか。
一瞬きょとん、としたセシリアだが、すぐにその言葉に頷く。
「ええ、そうですけど……それが何か?」
「ずっと旅してたんなら知ってるかどうかわからないが――この街、緑がまだ若いみたいだが
何かあったのか? 少なくとも、ここ数年内に」
のその言葉に、セシリアはふっと不思議な表情を浮かべた。
複雑な感情が、表れては消えていく。
悲しみ、喜び、怒り。昔を懐かしむようで、つい今しがたまでの出来事を反芻するような表情。
それは、何か辛い時と想いを経験したものだけが持つモノ。
「……悪い。聞いちゃいけない事だったか?」
その表情に強い戸惑いを覚え。
気がつけば、そんな事を言っている自分がいる。
真摯な響きを含んだその声に、セシリアははっとすると慌てて首を横に振った。
「あ、いえ! そういうわけじゃないんです。ただ……」
酷く辛そうに口を閉ざし、そうしてまた、やや躊躇うかのように
を見上げる。
その眼差しに、は「何か」を感じた。
「さんは、ずっと旅をしてらしたんですか?」
「ああ。ただここ数年はずっと辺境を見て回ってたもんでね。何年か前に一度魔族が攻めて来て、
って話を聞いた後は何も。大きな街に来たのも、実は久しぶりなんだ」
「……そう、ですか……」
苦笑気味に告げた言葉に、セシリアは納得の言ったような表情を浮かべた。
セシリアはアイスティーを一口含むと、考えるように首をかしげる。しばらくそうした後、
ゆっくりと口を開く。
「……戦いが、あったんです……」
はそんなセシリアをじっと見つめた。
自分が聞きたいと想ったのもあるが、今は何故か――彼女が話したがっているようにも感じた。
彼女の言葉を遮ってはいけないと。体の奥にあるモノが、告げる。
「どう言ったらいいか、わからないんですけど……。魔族が攻めて来た、という話は
さんも聞いたんでしょう?」
「ああ。それを聞いた時は冗談だと思ったが、その時異様にモンスターの強さが増したから、
何かがあったんだとは思ったが」
「それは、事実なんです。私はそれを目の辺りにしましたから。――そして、この街もそう。
魔族が攻めて来て……たくさんの人が死にました。街もボロボロになって……今ではこうして、
復興していますけど。それでも、少し前まではまだ焼け跡やなんかがあったんですよ」
どこか遠い目で外を見つめながら話すセシリアの言葉に驚きながらも、
は一言も口を挟まなかった。
そんな事、今まで知らなかった。辺境ばかりを旅していた所為もあるが、自分が極端に噂を
嫌って話を聞こうとしなかった所為だろう。
つくづく自分の無関心さ加減にあきれ果てた。
同時に、そんな出来事があり、しかし今ではこうした平和がある事に深い安堵を覚えた。
「たくさんの人が頑張って、少しずつ街を復興させて――木々もたくさん、移植したんです。
だからまだ少し若い木が多いんですよ。……ほとんどがあの時の火で、燃え尽きてしまったから」
「…………」
「あの時の事は……辛い記憶だから。話したがらない人が多いんだと思います。だから、
さんも今まで知らなかったんじゃないかしら?」
小さな微笑みを浮かべるセシリアに、は知らず知らずのうちに優しげな表情を向けていた。
きっと、彼女にも色々と辛い事があったのだろう。でも、彼女はそれを乗り越えたのだ。
だからこそ、こうして今を生きている。微笑みを浮かべて――。
「知らなくてもいい事かもしれない。でも、できれば――私は知っていて欲しいと思います。
たくさんの辛い事や悲しい事があって、今があるんだという事を」
はふと、明るい日差しに照らされて微笑むセシリアが、
酷く眩しいと感じた。
それはきっと、彼女が内側から光を放っているから。
たくさんの記憶が、今の彼女を支えているから。
「……そうだな」
だから、は微笑んだ。
「今日はどうもご馳走さん。お陰で昼飯代が浮いたよ」
あの後しばらく他愛のない話を続け。
日が傾く前にと席を立ち、二人は道の真ん中で別れを告げた。
「いえ。私も楽しかったです。一人で食べるよりも二人の方がずっといいですしね♪」
「ああ。また会えるといいな」
「本当に。機会があればまた声をかけてくださいね」
「いろんな話を聞かせてもらって、助かったよ。……ありがとな」
にこやかに笑うセシリアにはすっと手を差し出した。
それを暖かな手で握り返してきた彼女を見て、は突然、気付いた。
彼女がいるから、今があるのだと。
理由もわからないけれど、そう――理解していた。
「そういえば、これを誰かに言った事はなかったな……」
「え? 何が、ですか?」
の洩らした呟きを聞きとめたのだろう。不思議そうに
首をかしげるセシリアを見て、小さく微笑みを浮かべたは身をかがめると彼女の耳元にそっと囁いた。
どこか悪戯気で、そして自慢げな笑みを浮かべて。
これまで誰にも話した事の無かった、大切な秘密。
「俺がずっと辺境ばかりを選んで旅してた理由。……俺はさ、昔ガキの頃に夢で見た<楽園>を
探して、宛のない旅を続けてるんだ――」
昔々、自分が小さかった頃に。
夢で見た、緑でいっぱいの楽園を求めて荒野に飛び出した事がある。
そんなのは<夢>でしかないと言い切る大人たちに、そんな事はないのだと証明したくて。
そして砂嵐に遭って死にかけたけたは、その時はっきりと見たのだ。
美しく輝く、緑豊かな大地を。
誰もが笑って暮らせる、そんな世界を。
気がついた時は家のベッドで寝ていて。
通りすがりの渡り鳥に助けられたと、後で教えてもらった。
その時の事を言ったら、大人たちは<夢>を見たんだと言って笑ったけれど。
はちゃんと知っていた。
『夢』でもいいのだと。
諦めないでいれば、『夢』を――<楽園>をつかめるのだと。
それから、彼は決意した。
身体を鍛え、お金を溜めて渡り鳥として生まれ育った村を飛び出して。
どこかにあるはずの、そして生まれてくる筈の<楽園>を求めて。
そして――それはまだ、見つかっていないのだけれど。
絵空事だと、笑うだろうか。それとも。
貴女はそれを、信じてくれるのだろうか。
「――え?」
「ははは! いろいろと教えてくれた礼だよ! ――じゃあな、セシリア!」
あまりに意外な言葉にびっくりしたように目を見開くセシリアの様子に、楽しげな笑い声を
響かせながらは踵を返す。
その言葉と、優しげな――小さな子供のようにひたむきに夢を信じる純粋な表情を目にして
呆然としていたセシリアは、角を曲がろうとしていたに気付くとはっとして慌てて声を張り上げた。
「さん! また!」
「おう!」
後ろを振り返らず、はまっすぐに歩いていく。
「夢……見つかるといいですね」
穏やかな表情で呟き、セシリアもまた楽しそうな表情を浮かべていた。
そして、セシリアはの姿が消えるのを見届けるとすぐに歩き出した。
あれから、彼女には出会っていない。
はその後3日ほどアーデルハイドに滞在したが、結局
出逢う事もなかった。
彼女との出会いの後から、は彼女の言っていた戦いの話を少しずつ集めていった。
魔族が攻めて来た事。たくさんの人が死んだ事。それを阻止すべく、戦った者たちがいる事。
今では、もセシリアがただの渡り鳥ではない事を知っている。
アーデルハイドの王女であり、世界を救った英雄でもあるという事を。
そして、それがただ一人の心優しい女性であるという事も。
もう逢う事はないかもしれないが、それでもいいかと思うようになった。
自分がアテのない<夢>を求めて旅するように、彼女もまた<何か>を求めて旅をしている
のだと知っているから。
ただ一度、どんな偶然からか彼女と出会えたから。
――そして、彼女が今もこの世界を旅しているという事を知っているから。
「ま、縁があればまた会えるさ」
そうして、は微笑んだ。
**********
すたすたと、荒れ果てた大地に一人の青年が佇んでいた。
見渡す限りに広がる荒野を見渡していた彼は、ただ無限に広がる空の青と自分が今まで歩き
続け、そしてこれからも歩き続けるであろう大地の色とを見比べているようだった。
彼の瞳に映る景色は、もう見慣れた――そして、うんざりするほどに見飽きた景色でもあった。
自分がが生まれた時から、生まれる前から決して変わらない景色。そして、これからも
変わらないであろう――そう、言い続けられてきた景色。
今も、そう。誰もがこの永遠を哀愁と共に感じている。
軽い溜息を付くと、彼は肩にひっかけた紐をかけなおしてゆっくりと歩き出した。
気だるそうな足取りではあるが、その足取りには迷いはない。
しばらく歩くと、今までとは少し違う物が目に入るようになった。
辺りには乾燥しきってひび割れた大地、そして美しい空。だがその合い間に、ほんの僅かだけ、
道端にその姿を晒している雑草たちが目に入った。
それを目にすると、彼はゆるゆると驚きに目を見開いていった。
驚きと喜びとが彼の顔を彩ると、意外なほどその表情は幼く見えた。先程までの大人びた
表情が、まるで幻のようにも思える。
「すげぇな……この辺りじゃ久しぶりに見たぜ、雑草」
彼はそっとかがみこみ、膝を大地につけると恐る恐るそれに手を触れてみた。
その葉はすこしカサカサしていて色も褪せているけれど、まっすぐに空を向いて伸びている。
この荒廃した大地に、いつからか……僅かながらも姿を現すようになった、小さな小さな
命の証。
幼い頃の夢で見た<楽園>を信じ、それを確かめるために旅に出た彼はそんな小さな緑を
見つけるたびに喜びに目を細め、笑顔を浮かべるのだ。
滅びへと進むといわれているこの世界でも、ちゃんと生きている者たちがいる。
この小さな命がある限り、きっと世界はあり続ける。
そして、いつの日か――……。
驚くべき力強さを見せてくれているその雑草たちの姿に、青年はいつもの通り小さく――
けれど心底嬉しそうな微笑を浮かべると、腰に下げていた水筒から僅かな水を零した。
ゆっくりと零れた水はやや萎れ気味の茶色がかった小さな葉を伝い、細い茎を伝ってひび
割れた大地へと染み渡っていく。
心なしか、萎れていた葉の先端がまっすぐになった気がした。
「感謝しろよ? 大切な水なんだからな。……頑張って生きろよ」
囁きに近い彼の声に答えるように風に葉を揺らす様に笑みを深くし、彼は立ち上がると
再び前を向いて歩き出した。
**********
空は青く、白い雲が流れ、翼を広げた鳥が渡っていく。
道とはいえない道を歩きながら。
彼はただ、まっすぐに歩き続けた。
一陣の風の吹く、果てなく続く荒野を。
この先に、何があるのか――彼は知らない。知ろうとは思わない。
きっと、自分の知らない、見たことのない場所ばかりなのだろう。
あるかどうかもわからない、けれど確かに芽生え始めた筈の、命の欠片たち。
それが、彼の探し続けているもの。
彼の求める<楽園>へと続く道。
それを目にするために、彼は旅を続けるのだ。
いつまでも続く、この惑星の物語を知るために――。
あとがき
最近すっかりドリームに取り付かれまして。
「折角だから、書いちゃえ!」と安易な気持ちで掻き揚げました。
オリジナルではなく、二次創作っぽくワイルドアームズでやってみる事にしました。
出演者はオリキャラ君と、セシリアさんです。
一応、ゲーム後の話になっています。セシリア20くらい?
完全な読みきり小説、ってもしかしたら始めてかも(笑)。
あの世界には、たくさんの人がいて。
渡り鳥もたくさんいて、それぞれの理由をもって旅をしている。
だから、あるはずのない『夢』を探して――なんて人もいるんじゃないのかな?と思います。
それが形となったのが、なんです。
機会があれば、ロディ&ザックサイドも書いてみたいですね♪
あ、ちなみにセシリアが追いかけられていたのはもちろん、王国の兵士さんです!
ではでは。感想などいただけると嬉しいです。
前のページへ
Copyright(C) 2001- KASIMU all rights reserved.