〜月の夜の魔法〜 今宵は何を語ろう? 明るく輝く月夜の晩に、思い出す事はそうないけれど。 あなたに――あなたたちには知っていて欲しいから。 あたしの過去にはいろんな事があったけれど、それでも、それらの全てが今のあたしを形作っているから。 記憶に留めていなくてもかまわない。 ただ、感じていてほしいだけ。 あたしがいて、彼がいて、あなたが確かにそこにいた事を。 そしていつの日か、そっと思い返してほしいの。 あたしが今から語る、小さな思い出を。 ひとりの女の、微かな心の音色を。 月の雫のように、ひっそりと流れゆく願いを……。 【act.1】 前略、あたしたちは喧嘩していた。 「いいじゃない、それくらい! シオンのけち!」 「あのなぁ、けちとかそういう問題じゃないだろ!?」 「そういう問題なの!」 二人が出合ってから、ゆうに数ヶ月が経ったある日。 あたしはシオン――フリックと名乗っていた相棒と、いつになく激しい喧嘩していた。 別に、手が出るとかいうわけじゃないんだけど。 あたしは腕組みをしながらしかめっ面をしている青年を、幾分下からきっと睨みつけた。 「何で、刀持っちゃいけないって決めるの?! そんなの勝手に決めないでよ!」 「エリナにはこんなもの必要ないんだから、いいだろ!?」 「何で必要ないってわかるのよ!」 「魔法があるんだから、それで十分だろ!」 事の発端は、ただ黙々と景色の代わりばえのしない道を歩くのに退屈したあたしが、彼に刀の使い方を尋ねた事から始まった。 せっかくこんな良いものを持っているのだから、あたしとしては是非とも使えるようになりたい。 自分の身を護るためにも、そして――。 だけど生まれてから15年、ごく普通の家庭で育てられたあたしはこんなものを持った事もなかったので、結局今まで腰飾りとして持て余していたのだ。 勿体無い事はわかっているが、何も知らない素人が中途半端に刃物を使うと危険だという事くらい、あたしだってわかっている。だから使わなかったのだ。 そんな時。シオンと出逢ったのだ。これを利用しない手はないでしょ? 更に言えば、シオンは戦いのプロだ。……本人にしてみれば、かなり不本意らしいんだけどね。 折角だからとあたしが刀の使い方を習おうとしているのだが、何故か彼は教えてくれずに今までずっと馬鹿みたいな押し問答を続けていた。 そして今、あたしがいつものように同じ事を言っていると、突然彼があたしから刀を取り上げたのだ。 それはもう、見事な手腕で、一瞬でね。 驚いてあたしが理由を聞いたら彼曰く、「必要ないから」らしい。 当然、そんな言葉に納得できるはずはない。 あたしは猛然と彼に文句を引っ掛け、そして今に至っているのだ。 「返してよ! 人の物取るなんて最低!」 「いいだろ別に。俺が使ったほうが有効利用できるし」 「ナイフがあるからいいでしょ! それにシオンだって魔法はいつでもすぐに使えるってわけじゃないって知ってるでしょ」 「だからって、こんなのいらないだろ」 「だから、何でそんなことわかるのよ!」 あたしの言葉に、彼は苛立ったように舌打ちを繰り返したりしている。 その態度には『どうしてそんな事もわからないんだ』という思いがありありと表れていて。 それが更にあたしの怒りを増徴させる。 「分かるんだって、俺には!」 「ふ〜ん……じゃあ誰かさんのせいで、凄腕の暗殺者が来たりしたらどうするの!」 その言葉に、明らかに彼はひるんだようだった。 それは彼の唯一の弱点。負い目、と言ってもいい。 本当ならそれはシオンが酷く傷つく事だからあまり言いたくはない事なんだけど、でも今のあたしはそんな事を気にする余裕さえなかった。 とにかく頭にきていて、なんとかして刀を取り返し、なんとか戦う術を教えてもらおうとしか思っていなかったのだ。 でも、言った次の瞬間にはあたしは凄く後悔していた。 彼が、酷く傷ついた表情をしたから――。 しかし彼は軽く俯いた後、再びきっと顔を上げるとさっきよりも強い口調で啖呵を切った。 「――だから! 俺がエリナを守ればいいんだろ!」 「そういうことじゃないの!」 その言葉に再びこみ上げてきた怒りで、あたしの中に芽生えたばかりだった申し訳無いという気持ちは、すぐに消え去っていた。 傍から見ればつまらない言い争いだが、あたしたちにとっては真剣そのものだ。 そして、暫くの間にらみ合いをして――先に痺れを切らせたのは、あたしの方が先だった。 「……シオンの馬鹿! もう知らないッ!」 「あ、おい!」 「追ってこないで! ――『風よ 駆けよ』!」 あたしはわざわざ魔法を使って自分の素早さを上げてまでシオンから逃げ出し、道から離れた森の奥深くへと駆け込んでいった。 心の奥の方で、少しだけ彼が追ってきてくれるようにと……そう、願いながら。 「ったく、何でわかんないんだよ。……まあ、そりゃあそうそう簡単に言えるわけじゃないけど……」 置いてけぼりを食らった青年は、少し苦しそうに顔をしかめていた。 ――もう少し彼女が冷静だったら、気づいたかもしれない。 彼はただ、彼女の事を心配していただけなのだという事に。 自分の背負っている何よりも重く血塗られた罪を、誰よりもよく、知っているからこそ。 彼女に武器――最も簡単に人を《殺す》事ができるモノ――を使わせたくなかったのだという事に。 「ま、ぼやいても仕方ないし。さっさとお姫様を見つけないとそろそろ日が暮れるからな……」 小さく呟いたシオンは、目を細めるとゆっくりと傾き続けている夕日を睨みつける。 そして彼はぼやきながらも、彼自身にとって大切な人となりつつある少女を探しに、森の中を走りだした。 (何よ、シオンのわからずや! なんにもわかってない!) あたしはただひたすらに暗い森の中を走っていた。 後ろを見たら、すぐに走る気が萎えてしまいそうな気がしてどうしても振り返れなかった。 更に言えば無我夢中だったためか、元来た道もわからないほど迷っていたが、あたしはそれにも気がつかなかった。 「あたしの事なんか、何もわからないくせに!」 苛立ちをそのままにふっと口から飛び出した言葉に、あたしは驚いて足を止めた。 ひゅうっと冷たい風が横を通り過ぎ、あたしの頭に上った血を少しずつ、しかし確実に……身体中の体温ごと温度を冷やしていく。 「……何も、分からないくせに……?」 意識もせずにいるのに、言葉だけが勝手にするっと唇から飛び出してくる。 心の中から溢れてくる、いろんなものたち。 あたしの心に巣食う、醜くどろどろした感情。 「――あたしの事なんて――」 ドウシテ、マモッテクレルノ? キズツイテマデマモッテクレルノハ、ナゼ? 不意に、見開いていたあたしの瞳から涙が後から後から溢れ出してきた。 素直になれず、結局言えなかった想いが胸の中から溢れ出してくる。 (……あたしは、傷ついてまで守って欲しくない。足手まといになりたくないんだよ――) ぽろぽろと零れ落ち続けている涙を、あたしはそっと掌にすくってみた。 夜風に熱を奪われた涙は、とてもとても冷たかった。そして、どこか暖かい。 ちょっと前に来た刺客達と戦った時、その最中に彼はあたしを庇って怪我を負っていた。 確かにたいした怪我じゃなかったけど、凄くたくさんの血が流れ出ていて。 それでも大丈夫だと、彼は笑って言った。 あたしが魔法で治してくれたから、もう平気だと……そう言ってくれた。 でも――でもね? (あたしは足手まといなんでしょう? あたしがいたら、迷惑なんでしょう?) 一緒にいたい、一緒に旅をしたい。 同じものを見て、同じ時を過ごしたい。 だから、戦う術を覚えたかった。そうすれば、近くにいられると思った。 何の役にもたたなくても、せめて自分の身くらいは自分で守れるように。 ――足手まといに、ならないように。 (どうして、ダメなの? あたしは守られてるだけなんて嫌なんだよ) 守って、と言ったのはあたしだ。だから彼はあたしを守ってくれている。 でも、だからといってその為に傷ついて、血を流して欲しくない。 わがままだとはわかっていて……それでも。 ぐい、と流れていた涙を袖で拭い、あたしは軽く頬を叩いて気合を入れ直した。 「……こんな事一人で言ってても、しかたないよね。心配、してるだろうし。……帰んなきゃ」 辺りを見回すと、空はすっかり薄暗くなり夕霧まで出てきている。早くしないと、完全な迷子になってしまう。 あたしは元来たと思われる方向へと振り返り、トボトボと歩き出した。 この時のあたしは、いつだったか彼が言っていた注意を完全に忘れていたのだ。 暗くなったり、霧が出てきたら迂闊には歩き出さない方がいい事。 そして足元が見えないというのは、自分で思っている以上に危険だという事を。 突然、足元で何かが落ちていく音がした。 何が、と思うよりも先に、本来なら踏み出した足に感じるはずの地面の感覚がなくなり、その代わりに身に覚えのない浮遊感が身体を包み込む。 「――――っきゃあああぁぁぁ!!」 気がついた時には、あたしは崖から真っ逆さまに落ちていっていた。 薄れていく意識の中で、あたしを呼ぶ声を微かに聞きながら。 |